ふわりふわり。ポカポカに晴れた気持ちの良い日。空に人影が浮かぶ。影は揺れながら、しかし方向は変えずにあるところへ確実に向かっていた。

 トッ、と足音を立てて庭へ着地すると、サラリとした金の髪が弾む。日の光を透かし、きらめく髪が深い森の中でピカ、と光った。

 影の主──イーダは足取り軽く、機嫌良く庭の先へ立つ家へと駆けた。が、違和感を覚える。静かだ。ここは大抵静かな家だけれど、一層。何の物音も、気配もしない。

「ま、まさか! また僕に断りもなく!」

 せっかく来たのに、と言いながら玄関のドアではなくガラス戸へバン、と張り付いた。カーテンが邪魔で中が見えない。

「くっ! 開かない! やられた!」

「留守か!」とイーダは拳を握って仁王立つ。庭へせり出すバルコニーを悔しそうに見上げ、不在の家主に「もう~! フィリス師~!」と叫んだ。

 そのとき、別の足音が森のトンネルの方から近付いてきた。イーダは足音の方を振り向くと、ムスッとして不遜に新たな来訪者へ告げた。

「ここのお宅なら留守だよ」

 来訪者は人のいい笑顔を浮かべ、「存じています」とうなずいた。イーダは相手の顔を見て「あれ」と目を瞬いた。

「君。前にここんで会ったね。何だっけ、商工会? ってとこの子?」

「はい。覚えていますよ、イーダさんですよね。コルテスです」

「ああ、そう! コルテス君!」

 イーダは記憶を引っ張り出した。遊びに来ていたときに、仕事だと言って訪ねてきたコルテス。フィリスから邪険にされず、ルシルとも仲が良い。しかし二人と一番親しいのは自分だと自負しているので、出入りを「許してやっている」ことにしている。

「ルシルさんと先生は今ご旅行中です」

「りょ、旅行!? あのフィリス師が!? ただの旅行!?

 朗らかに衝撃的なことを言ってきたコルテスに、イーダは目をいた。「仲がよろしいですよねえ」などとのんなことを言っている目の前の青年。イーダは「これだから若輩者は!」とあきれた。イーダからすれば、フィリスが研究目的でなくただの旅行に出かけるなんて、と驚かないのはモグリだ。

 コルテスはイーダの動揺には気が付かず、「ルシルさんがご一緒だと、先生はお出かけも苦ではないのでしょうねえ」と笑う。イーダはその言葉に「う」とうめごえを漏らした。

「そ、そんなの知ってるよ! 彼女の実家にだって先生はついていったんだからね!」

「あれも驚きましたねえ」

 知っていた。イーダは「ううう」とうなる。コルテスはようやくイーダの態度を変だと思い、「どうされましたか」と尋ねた。プライド的に正直に答える訳にはいかないイーダは「ふん」と言って平気な振りをした。

「君は二人が居ないと知っているのにどうして訪ねてきたのさ」

「俺はですね」

 コルテスは話しながら家の屋根を見上げた。イーダも倣って首をグイッともたげる。

「昨日この辺りは風が強くて。嵐とまでは言いませんが。一応先生のお家の無事を確認しに来ました。屋根に何かあれば大変ですから」

「……誰かに頼まれたの?」

「いいえ?」

 コルテスの笑顔が、を浴びて輝く。イーダは強気にしているのが何だか馬鹿馬鹿しくなった。

「どうやら問題ないようですね。良かった。では俺はこれで」

「あ、待ってよ。僕もそっちに行くんだ。バーレイ君のところに行かなくちゃ」

「あれ、お知り合いですか?」

「そうだよ」

 イーダはコルテスの隣に並ぶと、街までの道を共にする。二人は森のトンネルの中を歩いた。木々の隙間から日の光が見え隠れしている。

「バーレイ君とはルシルちゃんつながりで知り合ったんだ。君は?」

「俺はルシルさんへバーレイさんを紹介した身ですね」

 言いながら苦笑いを浮かべたコルテスを不審に思い、イーダは「どうしたの」と追及した。コルテスは「いやあ」と口籠もりながら事情を語る。

「本当に、彼女をあのお宅へご紹介するのは気が引けたんですよ」

「どうして?」

「お手伝いに行ってください、というお願いでしたから。先生から彼女をお借りすることになるでしょう」

 イーダは首をかしげた。自分だってよくルシルと遊んでいる。それが何だというのだろうか。そのまま伝えると、コルテスは「俺もよくおしゃべりしてるんですけどね」と困りながらうなじをく。

「あくまで『お願い』という形でしたから。先生から引き離す機会を作ってしまったのが申し訳なくて。ルシルさんにお伝えしてもピンときていなかったので、俺の気にし過ぎなのかもしれませんが」

「……分かる」

「え?」

 コルテスがき返すと、イーダにガシリと肩をつかまれた。ギョッとして身を固くする。しかしイーダは構わず喋り続けた。

「分かる~! ルシルちゃんて、フィリス師のこと好きだ好きだと言う割にはさ~! ちょっとアレなとこあるんだよ~!」

「あ、アレなところ……?」

「聞いてよ! 僕が泊まるのにね、ソファでいいって言ってるのに気を回して自分のベッドを使ったらどうだとか言うんだよ!? あのとき僕がどんな顔でフィリス師に見られたか知らないんだよ!? どうして僕があんな風ににらまれないといけないのさ!」

「……そ、それはアレですね……」

 コルテスはその場を想像し、口元を手で覆った。

「そんなことする訳ないじゃん!」

 コルテスはイーダに力いっぱい揺さぶられ、舌をみそうになりながらあいづちを打つ。心の底から「それは気の毒だ」と思った。もしも自分だったら震え上がってしまうだろう。

「でもさ。別に。そういうフィリス師も、ルシルちゃんも嫌いじゃないんだけどね。フィリス師、アレでもすごく柔らかくなったし」

 イーダはコルテスの肩から手を離した。ふいと明後日あさっての方を向いて「やれやれ」とため息をくと、隣から笑みを含んだ息が漏れた。目だけを向けると、コルテスが笑っている。

「俺も。お二人が好きです」

「……君、話が分かるね」

「ありがとうございます」

「僕が居ない間、よろしくね」

 イーダはそう言って再び歩き出し、その後ろをコルテスが笑いながら続く。

 白い家は変わらずたたずみ、森は二人の会話を包む。その内森を抜ける二人を、街は花の香りで待ち受けた。空高く鳥は旋回し、猫は路地裏で寝転ぶ。コートデューの駅へ汽車が汽笛を鳴らして到着した。