気が付けば木々はすっかり衣替えを完了し、朝晩以外もはっきりと「寒い」と感じるようになった。温かいものが恋しくなってスープやホットミルクを作っても、たちどころに冷めてしまう恐ろしい季節。

 あの食事会があって二週間った頃、バーレイさんがお茶に誘ってくれた。勇んでお邪魔したお宅は、奮起したバーレイさんにより見違えるようにれいになっていた。ちりひとつなく、塗装も塗り直されてピカピカだった。マットも何やらお洒落しゃれなものに変わっており、誰が選んだのかと少し気になった。

 やっと家が片付いて、エレーナさんはさぞ喜んでいるだろうと思った。素敵な家の感想を是非伝えようと意気込んだ私だったが、彼女とは短い言葉しか交わすことができなかった。朗らかに挨拶だけして、スッと部屋に引っ込んでしまったのだ。

 初めは、「何か部屋でしていることがあるのかな」くらいにしか思わなかった。が、しかし。何回かお邪魔しても彼女は部屋から出てこない。家に居るにもかかわらず、お茶を一緒にはしない。挨拶だけでおしまいである。

 バーレイさんは「気にすんな」と言うが、当然気になる。聞けば、私の次の話し相手も雇っていないとのこと。

「どうぞごゆっくり」と部屋のドアを閉められてしまうものだから、こじ開けにいくこともできない。バーレイさんのあっけらかんとした「普通に元気だぞ」という言葉も、どこまで信じていいのやら。何やら変化のあった彼女の様子がつかめず、どことなく歯がゆい思いに駆られている。

 ちなみにお茶の招待は毎回先生と共に受けていたけれど、先生は一緒には行かず。バーレイさんは余程先生にも来てもらいたいのか、訪れたのが私だけだと心外なくらいガッカリされる。ツンツンしている割には、人懐こいことが判明している。

(先生の気が向いたら一緒に行ってくれるでしょう)

 そんなことを考えながら、スコップ片手に地面にしゃがむ。

 季節柄、畑仕事は減ってきたが、今日は大事な作業の日。土を触るのも少々我慢が要るけれど、我が家の玉ねぎ収穫のためには代えられない。種が順調に育ったので、予定地に植え付けをするのだ。

「ふう、こんなもんかな」

 ずらっと並ぶ苗たち。浅植えは加減が難しい。これが全部ちゃんと育てば当分の間、玉ねぎには困らない予定だ。

(要るもんね、玉ねぎは)

 何かにつけて玉ねぎは料理に使う。「頑張るんだぞ」と声掛けをし、ふと視線を隣のカブゾーンに移すと、収穫できそうなカブがいくつか見つかった。大きなカブだ。

「今日はトロトロのカブのスープだな」

 現場監督の気持ちで畑の前に立ち、ずぼっとひとつ抜いてみた。丸っとした白いいたずらボディ。ごろっと煮込んでもいいけれど、ステーキにもできるサイズ。心の中の現場監督が判断に迷った。

「いーや今日はスープにしよう。ステーキは明日」

 初心を貫くことにして、収穫したカブをキッチンへひとまず置きにいく。キッチン横に通じるドアを開けると、丁度先生が降りてきたところだった。私はとして収穫物を掲げ、本日のメニューをお知らせする。

「楽しみだ」

(ふふ……)

 相変わらず本当にそう思っているのか分からない淡々とした調子。疑う必要はないと分かっている。素っ気なくても、答えてくれるのが可愛かわいらしく思えて、私は都度どうしてもにやついてしまう。

「明日はステーキにいたします。では私はこれから落ち葉のお掃除に」

 上機嫌でまた庭に出ようとすると、背中に「ルシル」と声がかかった。「何でしょう」と振り返ると、先生はこちらにぺたぺたとやってきた。

「背を」

 何のことか分からなかったが、とりあえず言われた通り大人しく先生に背を向けた。すると、首元のマフラーがもぞもぞと動く。先生が触れているらしかった。

ほどけていましたか……?」

「……」

 声による応答はない。きっとうなずいたのだろう。

(子供のような……)

 マフラーを巻き直してもらうなんて、小さい子のようだ。きゅっと首元がしっかりマフラーに包まれ、温かくなる。じわじわと居たたまれなさが私を襲った。

「ありがとうございました」

「緩んでいた」

(直しただけだよ、ということですね……)

 何だろう。本当に何だろうなあ、と心の中で額を押さえる。言葉にすればあっさり終わってしまうのが釈然としない。無駄嫌いで合理的な先生だと知っているからこそ参ってしまう。その優しさを優しさだと思っていないのはご本人だけ。

「はあ……好きが募りますねえ……」

 ひとり庭でほうきに顎を預け、高い空に向かってつぶやく。鳥が空を回っていたが、聞こえてはいないだろうとぼんやり思った。


 それからしばらくして。

「あら、またお誘いが」

 バーレイさんから再びお茶のお誘いのお手紙が届いた。これでもう何回目だろう。ずっと禁止されていた交流が解禁され、余程うれしいのだろうか。そう思うと何だかいじらしい。手紙にはやはり私だけでなく、先生にも是非、と書いてあった。前回からそう日も経っていない。先生の答えはきっとまた「いい」だろう。この場合の「いい」は「行くよ」ではなく「遠慮する」という意味である。

 せっかくお誘いを受けたのに、と思いもするが、そもそも積極的に誰かとお茶をしながらおしゃべりをする人ではない。そんな人に無理強いするのも道理に合わないので、私もしつこく「本当にいいんですか」と訊くことはしない。

 会って日の浅いバーレイさんは、その辺の先生の生態がまだ分かっていない。コルテスさん宅の食事会のようにするっと先生が参加するのは毎度ではない。

(このままではお誘いした分だけバーレイさんが断られてしまうなあ……)

 自分は断る先生だが、私に対しては「行きたければ行くといい」と言う。ここが私の悩ましいところで。行きたいか行きたくないかと言われれば、行きたい気持ちが勝る。けれど、先生がエレーナさんお話し相手事件(便宜的にそう呼んでいる)を思い返せば、そうしょっちゅう躊躇ためらいなくお言葉に甘えて「では行ってきます」と言うのも少々はばかられる。

(でもなあ。せっかく声をかけてもらっているし、バーレイさんが望むなら今度こそ私が街の人とのつなぎ役になれる気もするし、エレーナさんの様子も気にかかる……)

 どうしたものかと考えながら、魚屋さんで夕飯のお魚を選んでいると、不意にガッと後ろから肩を掴まれた。驚いて「ぎゃ!」と悲鳴を上げて振り返ると、ムッとした顔のバーレイさんが立っている。何てタイミングだ。

「び、びっくりしましたよ」

 とりあえず急襲されたことについて控えめに抗議してみた。しかしそれは伝わらなかったようで、バーレイさんは「手紙届いた?」といきなり用件に入る。お店の邪魔になってはいけないので、とりあえずスススと道の脇に移動した。

「はい。いただきました」

「先生は」

「うーん、まだお訊きしていませんが……どうでしょう」

 私のかんばしくない返事を聞いたバーレイさんの顔があからさまにつまらなそうになる。どうして彼がそんなに先生にお茶に来てほしいのか不思議になる程に。

「先生にお話ししたいことがあるのですか?」

「そう!」

 食い気味にバーレイさんが迫ってきた。どうどう、と手を前に出して距離を取る。

「どういったご用け」

「忙しいの?」

 言い終わる前に言葉をかぶせられる。勢いがすごい。少しされながら「はい」と答えた。するとバーレイさんはさも悔しそうに唇をむ。一体何がどうしたというのだろう。

(この間の食事会で会ったときには何もなかったのに)

 先生よりもむしろ、コルテスさんやリリアさんたちと仲良くなりたそうな雰囲気だった。

「じゃあ、伝言して。っていうか、口利きして」

「へ」

 口利きというからには頼みごとのたぐいだと察せられる。身構える私に、バーレイさんはムスッとして言った。

「魔法、教えてほしい」

(そ──)

 それは黙っていない人がわんさか居そう。バーレイさんには悪いが、一番に思ったのはそんなことだった。特にあの金髪のお兄さんとか。その上司のお姉さんとか。先生を「フィリス師」と呼ぶ方々は他にもきっと存在する。

(私から先生に頼んだなんてイーダさんに知れたら何てなじられるか分からない……!)

 予想される未来におびえた。これは是非理由を聞かなくてはならない。というか聞いたまま先生に「魔法を教えてもらいたいそうです」と言って通るとも思えない。待ったなしで断られそうだ。何せ、先生は普段魔法を使わないのだ。これまでのエレーナさんやバーレイさんとは違った理由で。

「ご事情をお伺いできますか?」

 バーレイさんは何の躊躇いも見せなかった。それどころか、「聞いてくれ」と言わんばかりの気迫を感じた。

「俺は──。魔法を使わずに生きてきた。ばあちゃんにそう言われてたから」

「バレちゃいけませんでしたものね」

 安易に納得してみた私だったが、途端にバーレイさんに恨めしそうににらまれ、そう簡単な話でないことを悟った。

「ばあちゃんは今後も普通の人の中で暮らしていくんだから、魔法よりも他にできることを増やせって言うけど。ばあちゃんはいいよ、自分は使えるんだから」

 人付き合いの解禁と同様、魔法を使ってはいけない理由がなくなった今、バーレイさんはこれまで我慢していたものへようやく手を伸ばせる。長い年月の間、めに溜めてきた気持ちが表情や声色ににじていた。

「でも、俺だって魔法使いなんだ」

 バーレイさんの瞳が憂いを帯びて揺れる。

「ガキのときにどっかの魔法使いに馬鹿にされたこと、俺は一生忘れない。いつか見返すってずっと決めてた」

「そこで」と詰め寄られ、とっに一歩退いた私の背中が建物の壁に触れる。いつの間にか追い詰められていた。

「今がチャンスなんだ。ばあちゃんに先生が超絶凄い魔法使いだって聞いた。俺はそんなすげー先生に教わりたい」

「な、成程……」

 頷きながら、内心大変弱った。想像した以上に事情が重い。魔法使いにしては若年な彼だって、私から見れば九十年分の人生を背負っているという大先輩だ。何十年もおもいを溜めていたのだろう。「頼んでみます」と口にするのは簡単だが、その熱意を聞いてしまったからこそ、安請け合いできなくなった。

 私に仲介を期待するバーレイさんには申し訳ないけれど。

「あの、お話をお伺いしておいて恐縮なのですが……」

「あ?」

 お断りの雰囲気を察知したのか、バーレイさんの目が鋭く私に突き刺さる。いやしかしひるんではいけない。なら。

「ご自身で先生に直接お願いされた方がいいと思いました」

「……」

「大事なお願いですので、ご自身の言葉でお気持ちと共にお伝えしてください」

 バーレイさんはぶすっとして黙った。どうしようかな、とその顔を眺めていると。やがて小さな声で「分かった」と返ってくる。私はそっとあんのため息を漏らす。

「いつ会えるの」

「お客さんがみえるときはお昼過ぎが多いです」

 バーレイさんはまた「分かった」と繰り返し、「明日行く」と低く呟いた。今度「分かった」と言うのは私の番だった。

「先生にはバーレイさんがいらっしゃることをお伝えしておきますね」

「ん」

 さっきまでじょうぜつだったバーレイさんはいつもの不機嫌そうなバーレイさんに戻った。現金だなと思った次の瞬間。

「時間取ってごめんな」

 青年はそう言って私の買い物籠をいちべつし、身を返す。私が返事をする間もなく、すたすたと歩き去ってしまった。その場には私一人が残される。今のは何だったのかとはんすうし、目を瞬いた。あれは所謂いわゆる

「……あまのじゃ!」

 どんどん遠ざかる背中に向かって放った言葉は当人に届くことなく、雑踏の音に紛れて消えた。

 バーレイさんに告げた通り、先生には「バーレイさんがお会いしたいそうです」と知らせるだけにとどめた。先生からの反応は至って普通。軽く頷いただけだった。

(うーん)

 その夜、自室のベッドの中で丸くなり一人で緊張を味わう。先生がバーレイさんの申し出を聞いてどんな反応をするかという漠然とした不安が私の神経を刺激し続け、中々寝付けない。ゴロゴロと何度も寝返りを打った。

(……正直、お断りの方かと思ってるけど)

 バーレイさんに自分で頼んでみてとは言ったものの。結局、私が間に入るのと同じ結果に終わるかもしれない。

 バーレイさんからすれば優秀な人に師事したいと思うのは当然のことではあるけれど、先生からすれば「何故なぜ自分が」と思うだろう。そばにエレーナさんという魔法使いが居るのだから、エレーナさんが教えるべきと考えそうである。

 無駄なことはしない先生だ。悩む暇もあるかどうか定かではない。

 とはいえ、この世に絶対はないらしいので、私の予想が外れ、先生が了承する可能性は当然ある。

(そうなったらなったで何か起こるかもしれないけど)

 バーレイさんのあの真剣な顔が思い出された。きっとこの日を、この機会をずっと待っていたのだろう。かなうといいですねと思いつつ、叶ったらどういうことになるのか。脳裏に浮かぶイーダさんの顔、その上司のカロー師の顔、エレーナさんの顔。想像していたら、知らない内にまぶたが閉じていた。溶けるように意識が遠くなっていく。

 明日のことは明日に任せ、ゆっくりと眠りに就いたのだった。


「チョコ!」

「パイ」

 次の日。宣言通り太陽が西の方を照らし始めて少しした頃、バーレイさんはやってきた。当然だが連れはおらず彼一人。私が出迎えると、手に提げていた箱を突き出してきたので受け取って開いたら先の通り。しそうなチョコパイが登場した。

 先日招待されたお茶会のときもレモンパイをいただいた。お菓子のパターンがまたパイに戻っていることには言及しない方がいいのだろうか、と余計なことを考えながら階上の先生に声をかける。

「お茶をれますからどうぞ席に……」

「いい」

「……」

 気迫が凄い。既に弟子の顔をしている。誠意とやる気を見せようという意志がビシバシと伝わってきた。立ったまま先生を待つつもりの彼にかたくなに着席を断られ、仕方がないので私はともかくお茶を淹れようとキッチンへ向かう。

 階段を気にすると、まだ影はない。

 先生はそのとき向き合っているものに区切りが付かないと、呼んでも中々現れないことがある。相手が慣れっこのコルテスさんだったら、私もあまり気を遣わずにお茶を勧めて間を持たせればいい。けれど慣れない人が来るのは初めてだ。何となく「待たせている」という意識が強く働き、そわそわしてしまった。

(まだかな、まだかな)

 一分一秒がとても長く感じた。今日に限って最長記録(二十分)を更新したら流石さすがに呼びに行ってもいいだろうかと思っていたところ。ぺたぺたと例の足音が聞こえてきた。

(よかった! 先生!)

 階段を降りてくる白い頭の黒い影。先生はリビングに居るバーレイさんを一瞥した後、私の方へ視線を投げた。「今はどういう状況?」と読み取ることができる。

(参りますね)

 私はキッチンから飛び出した。改めてバーレイさんを紹介しようとしたのである。しかし、それはバーレイ氏により制された。

 青年は私へ向かっててのひらを突き出し、手助け不要の意を示してきたのである。そして一歩、先生の方へ踏み出した。

「エレーナの孫のバーレイです。今日はお願いがあって来ました」

「……」

 先生の目が鋭く光る。あの視線で大体の人はたじろぐものだが、バーレイさんは負けなかった。ガッツがある。

「魔法を教えてください」

「断る」

(……そ、即断!)

 どうしようかな、と悩む暇もないお断りだった。見ている私が怯んでしまった。しかしバーレイさんはくじけない。大きな思いがあるからだ。

「お願いします。どうしても魔法が使えるようになりたいんです」

「祖母が居るだろう」

(あ。やっぱり……)

 想定していた問答が始まった。ここからバーレイさんがどう頑張れるか、手に汗を握って見守ったが、先生への響かなさと言ったら、硬くて重たい岩に小石がコツコツ当たっているようなものだった。

 バーレイさんが「ばあちゃんにはその気がない」と言えば先生は「説得しろ」と答え。彼が魔法を使えないがために受けた屈辱を晴らしたい、どうしても見返したいと語るとため息しか返ってこず。いよいよバーレイさんは「お願いします」の一点張りとなった。

(あああどうしよう。こうちゃく状態に)

 外野の私は正直「もう見ていられない」という気持ちになっていた。

「あなたしか居ないんです」

「断る」

「くっ……」

 バーレイさんはついに苦渋の表情を浮かべた。そしてそれまで眼中になかった私を視界に入れた。バチッと目が合い、ドキリとする。これは。

(『助けて』って言われているような気がする……!)

 同じやり取りの繰り返しにとうとう限界がきたのだろう。どちらかが折れるしかなくなっていたが、先生が折れることはまずない。先生の意志は目に見えて固かった。それこそ根性論で「続けていればいつか許可がもらえる」とはちょっと思い難い程に。

(どうしましょう)

 この状況に可哀かわいそうな気はするものの、私が先生に「バーレイさんに魔法を教えてあげてください」と言うのは何だか話が違う気もする。私がバーレイさんの代わりをすることはないのだ。一方でバーレイさんの苦悩も聞いてしまった手前、彼に「諦めてお帰りください」とも言いかねる。

 何かこの状況を打破するいい手はないかと考えた瞬間──。

「はあ……」

 先生からとてもはっきり聞こえる大きなため息が漏れた。いい加減ご機嫌を損ねられただろうか。私とバーレイさんの目がそろってギクリと大きく見開かれた。

「先程、他の魔法使いを見返したいと言った」

 その声色にはいらった気色はなく、普段のように淡々としたものだった。バーレイさんは小さく「はい」と答え、視線を先生に戻す。

「見返したい、の意味が分かりかねる」

 先生は腕を組んで首を僅かに傾けた。ゆらりとした立ち姿。あれは、話を聞いてくれようとしている。私は「ああ大丈夫だ」と安心を覚えた。しかし、バーレイさんは自分の説明が十分でなかったと捉えたらしく、弁明に励み始めた。

「俺はただでさえ人より魔力が劣るのに、全然使う訓練もしていないんじゃ、一層差が出るだけだ」

(ただでさえ魔力が劣る……?)

 何となく、その言葉が気になった。魔力というのは人によって差があるものなのだろうか。持久力とか、瞬発力とかみたいに。鍛えたら強くなるものなのか、と普通の人間の私の中に次々疑問が浮かぶ。しかしそんな私には気が付かず、バーレイさんは腕を組んで微動だにしない先生にたいし、必死に話し続ける。

「それに自由に魔法が使えないんじゃ魔法使いとして生まれた意味がない。そう言って馬鹿にしてきたやつらが、もうそんなこと言えないように」

「だから」

 バーレイさんが話している途中で先生が遮った。先生が「意味が分かりかねる」と言った意味に、私はそこでふと気付く。

(ああ、そうか)

「何をどうするつもりか、あるいは見返したところでどうなる、といている」

「え……」

 バーレイさんはキョトンとした。

「誰かをおとしめる奴が、律儀に自分が貶めた相手のことを覚えているとは思えない。君はそんな者のために自分の時間をくれてやるつもりか。無駄だと断言できる」

「……」

「己のために己の人生を歩むべきと思うが」

…………

 先生はそう言って、もう話すことはないとばかりに組んでいた腕を解く。いつの間にかうつむいてしまったバーレイさんをそのままに、私に顔が向けられる。「もう行っていいか」と伺いを立てているように見える。ここで部屋に直行しないのは大きな変化だ。以前だったら言い放って去っていたことだろう。

(ありがとうございました)

 私は軽く頭を下げて応えた。先生はこくりと頷くと、何事もなかった様子で階段を上がっていく。明らかにしょんぼりしているバーレイさんを残して。

(さてどうしよう)

 抱いていた野望があっさり「無駄」と表現され、そのショックがいか程のものか私には計り知れない。何せその見返したいという悔しさを秘めていた年月はきっと私の人生よりも長い。軽く「元気を出して」とはとても言えない。とにかく疲れただろう。

「お茶をお持ちしますね」

 準備していたティーセットを取りにキッチンへ行こうとすると、バーレイさんはとてもか細い声で「いい」と答えた。

(ええー)

 バーレイさんは背中を丸くしてとぼとぼとリビングを出た。私は慌てて追いかける。

「あの、あの」

 何と言ってよいのか。口からは意味のない言葉しか出てこず、自分にあきれ苛立つ。そうしている間に、青年は靴を履き終えた。

「じゃ、ありがとう……悪かったな」

「いえやだそんな」

「……先生にも、謝っといて」

 励ます言葉を口にしようとしたけれど、バーレイさんは私の反応を待たずにくるりと背を向けてしまった。そしてそのまま足早に玄関を出ていってしまう。

(ああ!)

 伸ばした手がむなしい。がっくりと項垂うなだれたバーレイさんは一人で森の奥に消えていった。彼の気持ちを物語るようなどんよりした曇り空。開けっ放しのドアがわびしい世界を見せる。

 自分で直接先生に伝えるべき、と言ったのは間違いだったという気はない。先生が断るだろうと予想していたのも否定はしない。が──。

(あんなにぺしゃんこになってしまうなんて。私の想像力が欠けておりました)

 可哀想なくらい丸い背中だった。せっかく望みへの一歩を踏み出そうとしたのに。

(でも先生の言ったことには賛成だし……)

 その点についてはバーレイさんも同じだろう。もしも反論があるのだったらこらえることはしないでなお押していったはず。解決への道は、バーレイさんの中にしかない。

「難しいなあ……」

 ドアを閉めると背を預けてひとつ。淹れた紅茶は蒸らし過ぎてしまっただろう。

 テーブルに並んだ瓶たち。熱が取れたことを確認して、順に蓋を閉めてゆく。ラベルに『リンゴ』と書き、持てるだけの数を抱えると地下の食料庫に向かった。デッドスペースを許さないここの食料庫にはあらゆる食材がビシッと保存されている。

「よいしょ、よいしょ」

 瓶の並ぶ棚へ手の中にある新たな瓶をひとつずつ置いていく。隣にあるのは『スグリ』と書かれた瓶。そう、これらは私が定期的に作っては保存しているジャムである。

 紅茶に入れるもよし、パンに塗るもよし、お菓子にだって使える。色んな種類のジャムがあると何かと安心。精神衛生上とても良い。

(とても良い、はずなんだけど)

 イマイチ気が晴れないのはどうしてか。

 ジャムの瓶の並びにくりのシロップ煮の瓶があった。それを見て自然と頭をよぎるのはバーレイさん。彼が家に来たのはもう一週間も前のことになってしまった。あれ以来、お茶のお誘いもなければ、街ですれ違うこともない。どうしているだろうか。

 先生からは「君が案じることではない」と言われてしまったけれど、私が案じているのはバーレイさんの悩みが解決するかどうかではなく、バーレイさんが落ち込み過ぎていないだろうか、ということである。何か私にできないかと考えてみたけれど。

「……おすそ分け」

 結局私ができるのはそんな程度のこと。栗のシロップ煮の瓶を眺め、彼が作ってくれた栗のパイを思い出す。あのときは何て扱いが難しいのかと驚いたけれど、今思えば可愛いものだった。

「……」

 置いたばかりの瓶をひとつ手に取り、エプロンのポケットに入れる。これをどうするかは、お昼ご飯を食べてから考えよう。

「さて」と顔を上げると、上に持って上がる食材を選び、昼食の支度に取り掛かる。

「んー。昨日は野菜をたくさん食べよう企画だったから、今日はどうしようかな」

 その日の気分が材料と相談を始めた。よくめるが、いつも材料事情が勝つ。

「お夕飯はお肉のロティを予定しているので、昼は軽めかつちょっと気の利いた……」

 目に留まったのはそば粉。ピンときた。

「ガレットにしよう」

 そば粉で生地を作り、薄く焼く。焼いた腸詰や葉ものの野菜を包んでいただく、ごそうガレット。ソースはどうしようかと考えながらガレット生地の生産に励んでいると、外で強く風が吹いた。びゅううと大きな音がして、森がざわざわと揺れる。

「変な天気……あ!?

 外を見ようとリビングのガラス戸に目を向けたとき、何かが飛んでいくのが見えた。

「まずい!」

 それが何なのかを察した私は手にしていたレードルをボウルに突っ込むと、火を止めてガラス戸に駆け、外に出た。

「わあああ洗濯物!」

 一人で騒ぎながら風に飛ばされそうになっている洗濯物の回収を急ぐ。既にさっきタオルが一枚飛んでいった。そうしている間も冷たい風がびゅうびゅう吹く。とにかく干してあった洗濯物をリビングへ放り入れると、風に連れていかれたタオルを探す。

 髪はぐにぐちゃぐちゃになった。スカートもバサバサとはためく。色々押さえつつ、きょろきょろと辺りを見回す。しかしタオルはどこへやら、それらしきものは見当たらない。

(タオルー)

 一枚失くしてしまったかとがっくりし、諦めて家の中へ戻ろうとしたとき、「ルシルちゃーん」と知った声が私を呼んだ。私は「ん?」と背後を振り返る。

「探し物はこれ?」

 空に浮かぶ人影に思わず「わ」と声を上げた。家から少し離れたところで強風をもろともせずイーダさんがふわふわしている。その手には我が家のタオル。何て良いタイミングで来てくれたのだと感動した。

「イーダさーん。ありがとうございます。そうですー!」

 両手を挙げて応えると、金髪のイケメンは地面に降りる。そのままこちらに来るかと思いきや。

「……どうされたんですか」

「大丈夫だよね、今日は。フィリス師家に居るよね?」

 イーダさんは警戒しながらへっぴり腰でじりじりと足を進める。かなり奇妙な感じがするけれど仕方がない。これには深い理由がある。

 先日前触れなく遊びに来たイーダさんは先生の「魔法使いけ」に見事にかかった。しかも行く手を阻まれただけでなく、空から勢いつけて降りてきたものだから、見えない壁に強打してかなり痛い思いをした。

 どうしてそんなことになったのかというと。涼しくなる前、先生が「ちょっと世界樹を見に行ってくる」ということがあったからである。この「ちょっと」というのは厳密には「五日」のことであり、家を空ける間の安全性について先生は考えた。

 先生が不在の間にけしからぬ魔法使いが来てはならないと、魔法使い除けを家の周りに施していったのである。しかし実際家に来たのは見ず知らずのけしからぬ魔法使いではなく、何も知らないイーダさんだった。

 とても悪い気はしたのだけれど私にはどうすることもできなかったし、イーダさんも先生の魔法使い除けを破ることができず、その日はすごすごとお帰りいただくしかなかった。

 ──という苦い経験から、イーダさんは家に近付くのに注意を払っているらしい。本日先生は在宅されているので、大丈夫なはず。イーダさんにそう告げれば、彼はようやく安心した顔になり、大股でこちらにやってきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 イーダさんからタオルを受け取り、お礼を言いつつ家の中へ案内した。そしてダイニングに用意していたガレットを見てイーダさんは目を輝かせた。

「お昼はまだですか?」

「……」

「まだ」と答えないところから察するに、まだじゃないなと思ったけれど、「用意しますね」と告げる。訊く方がだった。

「手伝うよ! お茶の用意がまだだよね」

 勝手知ったる風でイーダさんはカップやティーポットを取り出し始めた。二人でワイワイと準備していると定時の十五分前。先生が合流した。今回はイーダさんが手伝ってくれたため、先生のお仕事が残っていない。先生は食べるだけの状態になっているテーブルを眺めて「ほう」と興味深そうに呟く。イーダさんが居ることに対してはさして驚いていないらしい。

 イーダさんは「フィリス師フィリス師」と先生に寄っていったけれど適当にあしらわれている。先生は今からご飯なのだ。邪魔をしないでほしい。

「いただきますよー」

 はしゃいでいる大きな子供に声をかけ、三人で昼食を取り始めた。

 チーズとサーモンでも合うね、腸詰とブラックペッパーの相性が最高、と主に私とイーダさんがキャッキャとガレットについて喋り、それを先生がもぐもぐしながら黙って聞く。美味しい組み合わせを発見すれば皆で共有した。イーダさんが自分の発見した取り合わせが一番だと主張したけれど、それは三枚前に私が試していたものだったのでちょっと揉めたが、総合的にとても楽しい昼食だった。

 おなかがいっぱいになったところで丁度ガレットもなくなり、楽しい昼食はお開きとなる。先生はイーダさんが来ていようといつもの通り飲み物を持って二階に上がる。ジャムを入れた紅茶を渡したら横から「いいなあ」と聞こえたので、私たちの分も作り、片付けたダイニングでゆっくりする。

「わあ美味しい」

「ようございました」

 ご機嫌なイーダさんを見て、自然と頬が緩む。このお兄さんも大分年上のはずなのだが、ふとした表情で、時には自分よりも年下に見える瞬間がある。

「今日は何をするの? おやつは?」

 訊かれて「うーん」と腕を組めば、エプロンのポケットの重みが存在を主張する。バーレイさんに持っていこうかどうしようか考え中だったリンゴのジャムの瓶。「どうしようかな」と思った私の表情の変化をイーダさんは見逃さない。

「何か用事があった? いいよ、そっちを優先して」

「え、でも」

「突然来ちゃったし」

 今日に限って、みたいな言い方だったがイーダさんが来るのはいつも突然である。口にしてはまた揉めると思ったので言葉をみ、私は素直に「ありがとうございます」と言った。

(迷っていても仕方がないか)

 やっと決心が付いた。イーダさんも「どうぞ」と言ってくれるし、思い立ったときに行った方がいいと考え、私はエプロンを外して瓶をテーブルに置いた。

「ジャムだ」

「ええ。ちょっとおすそ分けに行ってきますね」

「街に?」

「はい」と応えると、何と「僕も行こうかなあ」と言い出した。

「お散歩ですか?」

「んーん。ルシルちゃんについてく。フィリス師、二階に上がっちゃったし」

 イーダさんの気まぐれが始まった。イーダさんがついてくるとなると、バーレイさんと顔を合わせることになる。

(……バーレイさんのお悩みに、イーダさんだったら応えられるかも?)

 そんなアイデアが浮かんだけれど、自信はない。もしかしたら良い出会いになるかもしれないが、バーレイさんからしたら余計なお世話かもしれない。「あなたのために魔法使いを連れてきましたよ」なんて。

(今日は、バーレイさんのお顔を見に行くのよ)

 元気でいるか、落ち込んではいないか。それが一番気になることだ。私の本日の目的はバーレイさんの様子を見に行くこと。初志貫徹でいこう、と自分に言い聞かせた。

「よし、では一緒に参りましょう」

「買い物と散歩以外で街に行くのは初めてだね。誰の所に行くの?」

 完全に楽しくなってきたのか、イーダさんがワクワクしている。私は「ええと」と言って言葉を濁した。

 何とも珍しいことに、訪ねる方も訪ねられる方も魔法使いだ。ご紹介にあたり、相手が魔法使いだということは彼らにとって大事なことだろうか。私には判断が付かない。例えるなら、私がコルテスさんにリリアさんを「この方は普通の人間です」と紹介するようなものだろうか。想像して、かなり奇妙な感じがした。

(そもそも、バーレイさんとエレーナさんが魔法使いだって言っていいのかな?)

 最近街の人に公表したとはいえ、これまで秘密にしてきた彼らだ。私が許可なく勝手に人に教えていいことではないだろう。イーダさんには「最近越してこられた方のところです」とだけ伝えることにした。

「あの、イーダさんについてもし、相手の方にどなたですかと訊かれたら、何とご紹介すればよいでしょうか」

「僕? え、君の友達って言えばいいんじゃないの? うそ、そこで迷うの?」

 まるで「心外」という顔で非難するように見られた。変に伝わってしまったと気が付き、慌てて「違います違います」と弁明する。しかしイーダさんは「君って時々冷たいんだから」と完全にへそを曲げてしまった。私は心の中で「しまった」と額を押さえた。

「さあイーダさん、久し振りの街ですよ~」

「……」

 ご機嫌を取ってもそう簡単に許してはくれない。結局、むくれたままのイーダさんを連れて家を出ることになった。

 ざくざくと落ち葉を踏む音が続く。あからさまにムスッとしたイーダさんがこれまたあからさまに私と目を合わせないように頑張っているので、どうしたものかと悩む。謝ってもコレなので打つ手がない。あいにく、あげて喜ぶお菓子も持ち合わせていない。

(もー。イーダさん)

 誤解させてしまったのは私が悪かったと思うけれど、ちゃんと説明したのに。

「今からお訪ねするのは、エレーナさんという方のお家です。お孫さんもご一緒に住んでいます」

「ふうーん」

 ほぼ意地で不機嫌なままでいるのが手に取るように分かる返事だった。そのうちに機嫌を直してくれることを期待して、そのまま話しかける。

「ご様子を見に行くついでに、おすそ分けをしたくて」

「ふうん。じゃあ訪ねる理由にジャムを持っていく訳じゃないんだ」

(す、鋭い……!?

 イーダさんはジロリと私を見下ろした。

「フィリス師が気にしてたよ」

「え」

「分かってるくせに」

「……」

 イーダさんの目力には恐れ入る。

(先生が気にかけてくれているのはよくよく存じているのですが……)

 そう。知っている。先生は一度だけ「案じることではない」と言ってくれたきり、何も言わないけれど、私のことをずっと気にしてくれている。果たして、私がいつまでももんもんとしているのをどう思っているのか。

 それでも、目の前であれだけ人が落ち込んでしまったのだ。仕方ないことと割り切っても、気にしないではいられない。

「ええと、お孫さんを心配しているのですが、私の気持ちの問題なので、そっとしておいていただいております」

「何それ」

 イーダさんが呆れたように眉尾を下げる。

「ジャムが解決してくれるといいね」

「……はい」

 私にかけられた言葉にはもう怒った気配はなく、ただただ友人を案じる彼の優しさだけがじんわりと心に染みたのだった。


 そして歩き続け、そろそろエレーナさんの家が見えてくるはず、というところで向かいからバーレイさんその人が歩いてきた。

「あ」

「どうしたの」

「あちらの方がお孫さんです」

「入れ違いにならなくて良かったね」

「呼んでご覧よ」というイーダさんに頷き、私は少し先に居る彼に「バーレイさん」と手を振った。すると、下を向いて歩いていたバーレイさんは顔を上げてキョトンとした様子で立ち止まった。私たちはそのままバーレイさんの方へ近寄る。

「よ」

「こんにちは」

 バーレイさんは私を見てもさして驚きもせず、気まずそうにもしなかった。意外と普通な様子で、私は内心ひどく安心した。

「誰? 後ろの」

 私よりも、初めましてのイーダさんの方が気になるらしい。バーレイさんは私の後ろに目を向けながら尋ねた。イーダさんは私の隣に並び、バーレイさんにニコリと微笑ほほえむ。私が紹介する間もなく、イーダさんは自分で「イーダって言います」と名乗った。

「彼女の友達だよ」

(……)

 しっかり根に持っているところが彼らしい。私が紹介するより先に、自分で言ってやろうという魂胆だったようだ。目が「どうだ」と言っている。私も目で「恐れ入ります」と返した。

「ふーん。街の人?」

 目だけで会話する私たちを気にすることなく、バーレイさんは質問を続けた。

「違うよ。今日は遊びに来ているだけ。ルシルちゃん、アレ渡さないの?」

「あ。そうでした」

 イーダさんに促され、籠からくだんの瓶を取り出す。「これ、おすそ分けです」とバーレイさんに差し出せば、向かいから素直に手が伸びる。

「リンゴ。スコーンに合うよな」

「あ! いいですね!」

 早速お菓子に使ってくれそうで嬉しくなる。が、バーレイさんはあまり喜んではいなそうに見えた。思ったより元気そうではあるのだが、やはりどことなく暗い。

「あの……大丈夫ですか? どうされてましたか?」

 恐る恐る訊いてみると、バーレイさんは「ああ」とため息交じりに応えた。そして私の質問の内容が先日の一件に係ることだと察したのか「違う、あっちじゃない」とげんなりした様子で呟く。

「家に色々来ててさ」

「色々?」

 渋い顔で頷く青年。私とイーダさんは顔を見合わせた。

「ばあちゃんは相変わらず自分から人とは会わないよ。人とは会わないんだけど、その代わり? 代わりなのか? あれ。……とにかく、猫やら犬やら、時間ずらして虫まで。あいつら土の中居なくていいのか」

「え? 何? どういうことです?」

「今まで人にバレたらいけないからって隠してたのに、それをバラしただろ。動物が物珍しさからばあちゃんに会いに集まってくる。『先生以外と話せるなんて珍しい』とか言って!」

うるさいんだよ!」と言ってバーレイさんは頭を抱えた。何だか色々、思ったのと違う事態になっている。「ええと」と戸惑いを隠せないでいる横でイーダさんが目を瞬いている。

(あ。知られた。完全に)

 明らかに一般の人には起こり得ない状況のご披露だった。魔法使いを知らない人なら「何を言っているんだろう」と思うだろうけれど、こちらのお兄さんには魔法使いの話にしか聞こえない。

「君たちも魔法使いなの? 待って、虫も分かるって言った? 君も分かるってこと?」

「な、何だよ……。え? 何? 分かるけど、何? おいルシル」

「あ!? エレーナって、もしかしてエレーナ女史!?

 突然騒ぎ出したイーダさん。私だけでなく、バーレイさんもギョッとした。そんな我々にはお構いなく、イーダさんの興奮は収まらない。

「ルシルちゃん知らないの? エレーナ女史って言ったら、海洋生物から虫まで意思疎通できる魔法使い随一の多言語理解者じゃない! 虫なんて、フィリス師だって無理だよ!」

「そんな。『じゃない!』と言われても、そんなこと……」

 そのとき何かが頭を過った。あれはいつのことだっただろうか。エレーナさんのトレジャーハンター録を喜んで聞いていたとき。どうしてそんなに次々と宝が見つかるのかと尋ねたことがある。彼女の答えは『まあ、虫の知らせというか。鶴の一声というか』という掴みどころのないものだったので、勝手に「企業秘密なんだな」と理解していた。が。

(まさか……本当にその通りだったということ……!?

 イーダさんが「すごいまさか出会えるなんて」とはしゃいでいる横で、真相に辿たどいてしまった私は震えた。「嘘……」とその孫を見ると、彼は彼で私とは別件で困惑しているところだった。

「何、この人。どういうこと。魔法使い? やべー奴?」

 小声で私に訊いてきたが小声である意味はあまりなく、ばっちりとイーダさんの耳は拾った。「やべー奴」と言われ、我に返ったらしい。鼻先を上に向け、ジロリとバーレイさんを見る。

「失敬だな。やべー奴じゃないよ。ふうん。君がエレーナ女史のお孫さんってことだね」

「そのエレーナ女史ってのもよく分かんないんだけど」

「知らない方が驚きだけど。魔法使いの学者の間で、彼女を知らない人は居ないよ」

「じゃあ、アンタも……」

「僕も魔法使いだよ。君たちは、協会の人じゃないよね。僕は協会の統制部に所属してる」

 協会の統制部、という言葉を聞き、途端にバーレイさんの顔が険しくなった。

「何しに来た。また俺のこと馬鹿にしに来たの」

「どうして?」

 純粋に問いかけをしたイーダさんに向ける、バーレイさんのまなしが鋭い。憎しみそのものを投げつけるようだった。

「俺が、魔法を使えないから……」

 バーレイさんの顔が思い切りゆがんだ。イーダさんはバーレイさんの反応を見てしばし口を閉ざした。それ以上追及することはしなかった。

「言ってしまった」と苦い表情を浮かべるバーレイさん。自ら「魔法が使えない」とは、口にしたくないことだっただろう。心中を察すると非常に申し訳ない気持ちに襲われた。

 気まずくシンとした空気を破ったのはイーダさんだった。

「……ごめんね。うちのどうしようもない先輩が……先輩かな? 多分きっと先輩だよね?」

 私に「ね?」と訊かれても。知りません分かりませんという意を込め、無言で首を横に振る。

「知らねえよ。アンタよりは年食って見えたけどね」

「名前は? 聞いた? 名前さえ分れば僕が考えつくだけの仕返しを」

 何やらイーダさんが物騒なことを言い出した。「それはどうだ」と言おうとした私より先に、バーレイさんが息を吐きながら首を揺らす。

「仕返しとか、そういうのはいいんだ」

(おや)

 先日までは見返してやると息巻いていた彼が、諦めたような顔をしている。

「……」

 心境の変化があったのだろうと、じっと眺めた。すると、バーレイさんは首をひねってポキリと鳴らし、「なんかさ」と視線をらす。

「俺って、何なんだろうって。ずっと考えてたよ」

「何なんだろう……?」

「魔法使いから生まれたのに、魔法はからきし。俺って、何……? みたいな」

 深過ぎる疑問への回答に悩んだ私から絞り出てきた言葉は「難しいですね」という全く彼の助けにならない、残念なものだった。自分で自分にがっかりした。しかしバーレイさんは気分を害さず、「難しいよな」と肩をすくめてみせた。

「俺が何なのかなんてさ、分かんないんだけど。答えは出ないんだけど。でもフィリス先生に言われてちょっと自分のことが分かった。見返したいって気持ちを捨てても、魔法が使えるようになりたいって気持ちは変わらなかったんだ」

「バーレイさん……」

「自分のための方が、頑張れそう。誰かに頼むにしても、独学でやるにしても」

 あまりのけなさに泣きそうになった。長年自分を押し殺して我慢してきた彼だ。態度は多少大きくても、中身はこんなにいじらしい。

「魔法、鍛えたいの?」

 言葉を詰まらせて何も言えないでいると、代わりにイーダさんが口を開く。バーレイさんは顔を上げて目を瞬いた。

「独学はね、難しいよ」

「だって、ばあちゃんは乗り気じゃないし、フィリス先生にも断られてる」

「フィリス師?」

(あわわわ)

 一瞬強い気を発したイーダさんだったが、「ふうん」とたかぶりを抑えてくれた。ひと悶着あったらどうしようかと思った。

「僕で良ければ教えるよ。たまに街に来るし」

「協会のアンタが?」

 バーレイさんは不審そうに眉を寄せる。幼少期に受けた心の傷は深い。イーダさんはその顔を見て苦笑した。

「多分、初めての子に教えるのはフィリス師よりいと思うよ。フィリス師って基本の技術が高過ぎてするのすら難しいから……」

「……何で、そんなことしてくれるの」

 イーダさんは目を細め、自嘲するような笑みを漏らした。

「できないのはつらいって、知ってるからね」


「──という訳で、イーダさんが明日バーレイさんにお教えすることになりました」

 帰ってきた私たちは、一部始終を先生に興奮しながら報告した。熱い私たちとは反対に、先生は「そうか」と淡々としていたけれど、心なしか表情が柔らかい。きっと良い結果だと思ってくれていることだろう。

「して。その間イーダは」

「お邪魔します!」

 元気に言ってのけるイーダさん。既に占領しているソファの肘掛けを手でパタパタとたたく。先生は僅かに眉間を寄せたが、結局何も言わず。早々に諦めたらしい。

明後日あさってにはおいとましますから! 仕事があるので!」

「……」

 先生は頷くだけの返事をして紅茶のカップを口に運んだ。その様子をソファからイーダさんがニコニコして眺めている。

「イーダさん、こちらも使ってください」

 ブランケット一枚ではもう寒かろう。とりあえず直ぐに出せる毛布類をソファに置いた。

「本当にソファでいいんですか? 私のベッド使います?」

「ル、ルシルちゃんの寝床がなくなっちゃうでしょ! ないない!」

「その場合は私がソファへ」

「選択肢としてあり得ないってば」

「ね、フィリス師」とイーダさんが首を伸ばす。先生は「ない」と即答した。そして何かを思案するように私を見る。

「……君がどうしてもイーダに寝台をと言うのなら、私の場所をイーダに譲り、私がそこに寝る」

「「それだけはないですよ!」」

 私とイーダさんは一斉に否定した。とても力強い否定だった。そんなことはとてもさせられない。いくら先生が普段からソファでゴロゴロしていようと、ちゃんとした寝床を奪う訳にはいかない。何だか先生に言わせてしまった感があり、ちょっとドキドキした。

 私のドキドキとは裏腹に、先生は「ふむ」といつもの調子で顎に手をる。ご本人的には大事でないのか、「そうなんだ」という雰囲気を醸していた。

(ひとつだけ、アイデアが……!)

 今しがた天才的にひらめいてしまった。個人的にはナイスな案だと思うけれど、果たして共有してよいものだろうか。イーダさんが「お構いなく」とブランケットを頭から被ってオバケになって遊んでいる横で、私はひそかに葛藤した。

(誰かが、どこかで、一緒に寝ればいいんじゃないかしら……!)

 この場合もちろん誰かというのは私と先生の組み合わせのことであり、別解はない。どこかで、については任意のベッドとする。大きさ的には先生のベッドの方が大なり、私の方が小なり。

(……別に変な意味じゃないもの。ただ、誰もソファで寝ないようにするには、というひとつの案だもの)

「……」

 私は黙って挙手をした。先生の視線の向きが変わったことに気が付いたイーダさんも「どうしたの」とこちらを振り返る。

「ひとつの案ですが」

「はい」

 答えてくれるのはイーダさん。先生は足を組んでジッと聞いている。

「私のベッドをイーダさんにお譲りして、私が先生のところにお邪魔するという案を思い付きました」

「……」

…………

(ふ、不評!)

 数秒の沈黙の後、イーダさんは「えー……?」と気のない反応。そして先生はというと、控えめに言って嫌そうな顔をしていた。これはショックが大きい。そんなに引かれるとは思わなかった。このまま一目散に逃げ出したい。その辺の毛布に頭を突っ込むのでもいい。しかしここは逃げではなく、まずもって提案を取り下げなくては。もう十分傷付いた。

 私は早々に前言を撤回すべく、首と手をブンブン振ってアピールした。

「今のはなしで! 失礼いたしました! 突拍子のないことを!」

「ルシルちゃんさあ……」

「忘れて! ただのひとつの案ですから!」

 ジト目で見てくるイーダさん。明らかに私がはしたない者扱いされている。心の中で泣きながら、彼が頭から被っているブランケットの端を掴み、カーテンを閉じるようにギュッと合わせた。中から「ちょっと!」とモゴモゴ苦情が聞こえるが、構わず先生の方へにこりと笑いかける。

「お気になさらないでくださいね」

 すると先生は紅茶のカップを置いて立ち上がり、こちらに歩いてきた。何かと思って待っていると、意外と近くまで来てドキリとする。ときめいている場合ではない。これから心に突き刺さる苦言がもたらされるかもしれないのだ。

 イーダさんをブランケットに閉じ込めながら、覚悟してグッと丹田に力を込める。フッと目の前に影が落ちたのと、耳に声が滑り込んできたのは同時だった。

「君の寝床を使わせる、という時点で却下だ」

 低い声と、かかる息は私の思考を停止させるに十分な働きをした。

「それ以外なら応じよう」

「分かったか」とささやかれ、私は小さく「はい」と返す。先生は「現状に変更があれば言うように」と残して、二階へ消えた。

「──ぶは! ルシルちゃんったら……あれどうして赤くなってるの」

…………

 私の力が緩んだところでイーダさんが脱出を果たした。さっきまで一人でモゴモゴしていた彼は何があったのか分かっていないようだった。不思議そうな顔で私の赤面を指摘してくる。

…………

 私は無言でソファに積んでおいた毛布に頭を突っ込んだ。ぎりぎりと毛布を握り、込み上げる何かに耐える。ようやく動き出した脳が騒ぎ出す。外界からイーダさんが「ねえ、どうしたのさ」と話しかけてくるけれど、それどころではない。

(いいい今のはどういう意味なの!?

『君の寝床を使わせる』のを先生が却下する意味とは。

 寝床を奪う訳にはいかないと思ってくれているに留まるのか、それとも。それともというのは、つまり例えば、先生のベッドをあのイーダさんの上司のお姉様に使われると考えた場合に、胸に覚える「凄く嫌」という気持ちと同等のものを先生も抱かれたということだろうか。

(そそそんな、いえ、あ、やだ)

「うわああああああああああ」

「何!?

 突然うめごえを上げた私にイーダさんがドン引く。声に出さずには耐えられなかった。勘弁してほしい。

「……どうも」

 しばらくしてから、ぬるっと毛布から頭を抜いた。息を乱しながら「すみません。お、想いが余って……」と言い訳をする。イーダさんはまるで残念なものを見る目つきで「髪、ぐちゃぐちゃだよ……」と言った。

 暗闇に冷やされた空気が揺れ、イーダは目を開いた。何重にも被った毛布の一番上にかけてあったものがずり落ちる。

「……フィリス師?」

「起こしたか」

「いえ、まだ寝ていませんでした」と言いながらイーダは身を起こし、落ちた毛布を拾う。ぬくぬくと布に包まれていた体に、部屋の空気が一層冷たく感じられた。イーダは目を凝らし、フィリスが傍に立っているのを認めた。水でも飲みに降りてきたのかと思ったが、どうやら自分に用事らしい。イーダは居ずまいを整え「はい」と応える。

「……」

 しかし返事はなかった。二人の間にしばしの沈黙が訪れる。先にしびれを切らしたのはイーダだった。

「寒くないですよ」

「見れば分かる」

 淡々とフィリスが返し、イーダは「ですよね」と苦笑いを浮かべた。

「大分気が安らいだようだ」

 イーダは唐突に始まったフィリスの話に目を瞬いた。「何が?」と一瞬面食らったが、直ぐにルシルのことを言っているのだと察した。

「僕が来る前に、何かあったんですね」

 ガラス戸からのこころもとない光で、フィリスの影が頷いたのが見えた。来たときから、フィリスがルシルを気にしているのはイーダの目には明らかだった。

「……礼を言う」

「えっ!?

 イーダは思わずソファから毛布やブランケットの山ごと床に滑り落ちた。

「わ! わ!」

 動揺して布が絡まり、床でもがいている内にフィリスがペタペタと階段を上っていく。イーダの「ちょ! フィリス師!」という声に振り向くこともなく、フィリスは二階へ消えた。

 イーダはようやく何重にもなった毛布から自由になると、そのまま後ろに手を突いて座り、「もう……!」と天井を仰いだ。

「お礼、言われちゃった……」

 あまりにも予期しない出来事だった。イーダはぐちゃぐちゃになった毛布にゴロンと倒れ込む。

「そっか……役に立ったんだ……」

 独り言が誰もいないリビングに消えていく。自分で発した言葉は、自らの胸を小さく打った。

「じゃあ、行ってくるね!」

「行ってらっしゃい。お家は分かりましたか?」

 翌朝。玄関にて、バーレイさんに魔法を教えるために出かけるイーダさんを見送る。イーダさんは先の私の質問に「大丈夫大丈夫」と答え、靴を履いた。

「あまり盛大にやるとご近所さんがびっくりするかも。魔法自体、見慣れていないと思います」

「あはは、最初からそんなことできないから安心してよ。家の中だけで十分だよ」

 魔法のABCについてはよく分からないけれど、彼が言うならそうなのだろう。私はイーダさんに土産みやげのリンゴバターを渡し、「お気を付けて」と笑いかける。イーダさんはローブのポケットに瓶をうと、元気良く出発した。

「私も、お掃除しなくっちゃ」

 そのまま私も庭に出て、箒片手に辺りを見回した。毎日しなければならないくらい、落ち葉集めが必要になってきている。森から風に乗ってどんどん舞い込んでくるのだ。気にしていないと庭一面が葉で覆われてしまいそう。すっかり草の背が低くなった正面の草原を掃いて綺麗にしていると、二階からせり出すバルコニーに先生が姿を現した。

 手すりに寄りかかり、こちらを見下ろす。

「静かになった」

「先程イーダさんがお出かけされました」

 煩がっていたような気色はないので、皮肉などではなく単純に「静かになった」と言っているのだろう。

「お昼には一度戻られるとのことです」

「そうか」

 雲ひとつない高い空と先生を見上げる。空気が寒い季節の匂いをはらみ、鼻先から冷える感覚がした。イーダさんも寒さを耐えて帰ってくるだろう。お昼は温かいものにしよう。

(──と思ったのですけど)

 正確に時を刻む時計の針が十二時を過ぎた。先生も既にテーブルに着き、お昼ご飯のスタンバイは完了している。が、イーダさんがまだ戻らない。

 せっかく体を温めようと、熱々のシチューにホットサンドというメニューにしたのに。当然昼食の時間に間に合うように帰ると思い込んでいたので、もう彼の分も用意してしまった。

「どうされたのでしょう。取り合えず冷めてしまいますから、お先にどうぞ」

 リビングのガラス戸前をウロウロしながら先生へ声掛けすると、先生から「君も」と着席を促される。

(まだあちらに居るのかな、それとも帰り道で何か……)

 心配しつつ、先生の言葉に従ってテーブルに着こうとガラス戸を離れたとき、バサバサと羽音が聞こえた。結構大きな音だったので、驚いて肩を揺らす。戸の方を見れば、一羽のカラスが窓をくちばしで控えめにコンコンと叩いていた。どう見ても先生にご用の方だ。

 先生は私に呼ばれるより先に席を立ち、私の横を通り過ぎてガラス戸を開ける。カラスは「カアカア」と何かを先生に伝えた。

「分かった」と先生が発すると、カラスは潔くサッと飛び去っていく。先生はスッとガラス戸を閉め、私にこう伝えた。

「イーダは向こうで厄介になるらしい」

「え? お昼ですか?」

「そう」

 途端に私の中で膨れ上がる熱い想い。「もっと早く言え」という強い気持ち。あからさまにムムムとした私の頭を先生がなだめるように叩く。

「どうするんですかイーダさんの分ンン

 別に先生を責めているのではない。この場に居ないイーダさんに向けて低くうなる。夕食に回そうと思えばできなくはないけれど、ホットサンドの二度焼きは信条に反する。火が入り過ぎるし、そもそも置いておけばパサついてしまう。

「たくさん召し上がってください」

 声に消しきれない怨念が混じる。

「承知した」

 恨めしくしている私の頭の上で先生が軽く笑った。


 夕方になり、外がすっかり暗くなった頃、やっと問題児が帰ってきた。一言言わなくてはと思い「イーダさん」と玄関に顔を出す。しかし私をはるかに上回る勢いで、イーダさんは「ルシルちゃん!」と寄ってきた。

「な、何ですかそんなに息巻いて」

「ルシルちゃん、恋だ」

「へ」

「あれは、恋だよ」

「は?」

 あなたは一体何をしに行ってきたのだ。イーダさんが突然妙なことを言い出すものだから、文句を言うつもりだったのに不覚にもぜんとしてしまった。

「いやイーダさん、魔法をお教えに行ったのでは?」

「勿論そうだよ!」

 当たり前だという顔をされたが、やっぱり事態は呑み込めない。順を追って話してほしいと伝えると、イーダさんは「任せて」と何故か誇らしげに言った。私はそのまま玄関で目を白黒させながら話を聞くことになった。

 物語はイーダさんが森を抜けたところから始まった。彼が森の中で見つけた珍しいキノコに喜ぶ場面は正直省いてもらっても構わなかったけれど、大人しく耳を傾けた。迷子にならずにお宅に到着したイーダさんはバーレイさんにもじもじと迎え入れられ、エレーナさんに挨拶をした。

 エレーナさんは「私の言うことばかりを聞いていられない程大きくなったのね」と寂しそうではあったみたいだけれど、「私より教えるのがきっとお上手だわ。よろしくお願いします」と落ち着いたらしい。

 そこからどうして「あれは、恋だよ」に発展するのかまだ見えてこない。白熱して喋るイーダさんを見守った。

「バーレイ君は実はこっそり練習してたみたいで、感覚で大分掴めていたよ。難しいのは魔力の制御と放出のバランスで……」

「ははーん成程?」

「いくつか長期的な課題を出しておいたから僕が街に来たときに確認することにしたんだ」

「付きっ切りでなくていいんですか?」

「一応近くにエレーナ女史もいるからね」

 聞く限り、魔法についてのレッスンはつつがなく進んでいるようだった。まだ始まったところなので、今後二人がどうしていくかは遠く近くで応援していきたい。

「──で、だよ!」

「っ、はい」

 いきなり強い語調で詰め寄られ、たじろいでしまった。どうやらここからが問題らしい。

「お昼に一旦帰ろうとしたんだよ? 午後にまた来るねって。そしたらさ、そのタイミングで誰か来たんだ。するとどうだいバーレイ君が途端にソワソワし始めたんだよ」

「はあ」

「僕を部屋に残して慌てて出ていくの。あんまり怪しかったから僕はしっかり聞き耳を立てたね」

 何をしているんだこの人は。うまもいいところだ。呆れ果て、我が家のお昼をかっ飛ばされたのを責める気もせてしまった。「どうなったんですか」とやる気なく問えば、「それがさ」とビシッと指をさされた。

『約束通りパイを貰いに来ました~』

『あ、やべ。その、まだ焼きが』

『そうなの? やだ早かったわねごめんね?』

『これから直ぐ焼くから、あ、あの昼はもう済んでんの』

『お昼? まだこれからだけど』

『だ、だったら……!』

 その流れで昼をここでどうだとイーダさんにも声がかかった。バーレイさんがとても必死だったので、快諾したとのこと。そうして来訪者と共に昼食をることになったのだが……。

「リリアって子知ってる?」

「知 っ て る!」

 これは聞き捨てならない事態になってきた。さっきまで呆れていたことも忘れ、イーダさんのローブを掴む。

「飲食店をやっている子なの? お店に出すパイを貰いに来たって言ってたけど」

「飲食店をやっている方ですねえ……」

 問題なのは彼女の店でパイを出すことではなく、そのパイの譲渡うんぬんの約束がいつ結ばれ、いやいつその約束を結べる程仲良くなったのか。聞きたいのはそこである。

「バーレイ君、あれは恋だね」

 簡単に断言するイーダさんに「何故分かるんですか」と追及する。どうしてあなたはそんなに人の恋心を見破るのが上手いのか。専門の探偵か何かか。

「君も大概分かりやすかったけど、バーレイ君は比じゃないね。バレバレもいいところだもの。真っ赤だし、明らかに狼狽うろたえてるし」

 引き合いに出されると決まりが悪い。しかも分かりやすいと形容されるなんて。私はすように「それでお昼が要らなかったんですね」とトゲトゲしく返した。イーダさんはそこでようやくハッとし、「ごめんね」と申し訳なさそうにした。

 玄関に居続けて足元が寒くなってきたことに気が付き、リビングへと足を向ける。別に玄関で聞くことはなかった。私の後ろをトコトコとイーダさんがついてくる。

「あのね、そのね。あ! ルシルちゃんに言わなくちゃ! って思ったのが丁度十二時頃で。慌ててたらエレーナ女史が気を利かせてカラスを呼んでくれて」

 言い訳をする様が叱られた子供のようで、毒気が抜かれてしまった。

「いいですよ。先生といただきましたから」

「……ちなみにお昼は何だったの?」

「ホットサンドです」

 イーダさんは悔しがった。でもバーレイさんのところで良いものを食べさせてもらったに違いない。彼はお料理上手なはずだし、大事な来客のリリアさんも居たのだから。それにしても。

(リリアさんに恋……か)

 不思議なことではないな、と冷静さを取り戻した私は納得した。彼女は元々可愛らしいし、気も利くし話し上手。私だってうっかりれそうになる瞬間がしばしばある。むしろ彼女は惚れられ過ぎて本気で困る人だ。過去に深刻なストーカー被害に遭って自警団が出動したのは一度や二度ではないと宿屋のテオさんから聞いたことがある。

「リリアさん、バーレイさんの恋心に気が付いていましたか?」

「え? うーん、それは分からないな。彼女の方は隠すのが上手だったから」

「普通気付くと思うけど」と付け足し、イーダさんはローブを脱いでソファの背にかけた。続いて自身もソファに落ち着く。本当に彼はここが自分の家のように過ごす。

「あの」

「何?」

「エレーナさんは、どんなご様子でしたか?」

 イーダさんは空を見て「んー」と首をかしげた。

「何も言わなかったよ。何か言いたそうな顔はしていたけど」

「そ、そうですか……」

 イーダさんは私に「どうしてそんなこと聞くの?」と質問を返してきた。私は曖昧に笑って「いつもバーレイさんを案じていらっしゃるので」と濁したが、内心、ホッとしたような、エレーナさんのことも心配なような、複雑な気持ちだった。

「ルシルちゃんに続く、魔法使いと普通の人との恋だね」

 ソファの背もたれにゴロンと首を預け、イーダさんは私を見上げた。意味深な瞳である。私が返せる言葉はひとつだけ。

「……想いが通じるかどうかは、相手が誰であれ分からないものです」

「はは、君ならそう言うよね」

「何ですか」

 彼の意図が分からず、少々ムッとした言い方になってしまった。「いや?」とイーダさんが眉を下げて笑う。

「心配してるだけ。慣れないことの多い子みたいだから。僕は明日帰るけど、気にしてあげて」

 からかっているのかと思ったけれど、イーダさんの目は真剣だった。具体的に何をどう、とまでは授からなかったけれど、「分かりました」と頷く。イーダさんは「ありがとう」と言って微笑んだ。


 次の日の朝。「昨日の昼の分を取り返さなくちゃ」などと言って朝食をモリモリ食べ、「食べ過ぎた」と三十分休み、イーダさんはモゾモゾと帰り支度を始めた。

「次はいついらっしゃいますか」

「んー。休みになったら?」

 それがいつだ、と聞いたつもりだったのだが、不意に休みになったり、急に思い付いて休みにしたりするそうなので、結局本人にも分からないということだ。「お待ちしていますね」と言うと、イーダさんはとても嬉しそうに笑った。

「じゃ、また来ます」

「はーい。お気を付けて」

「……」

 お見送りは先生と一緒。自発的に二階から降りてきてくれたことに驚いた私とイーダさんは手を取り合った。

「……行ってしまわれましたね」

 彼が居る内は家の中がにぎやかだった。去ってしまえばまた穏やかで静かな暮らしが戻ってくる。居なくなった傍からシンとした。三日の滞在だったけれど、何だかもっと長かったような錯覚に陥った。

 もう遠くの空を飛んでいる影を追う。何度見ても不思議な光景である。

「ソファが解放された」

 先生が屋内に戻る素振りを見せ、ぼそりと呟く。

(ああ、お昼寝できませんでしたものね……)

 先生より少し遅れてリビングへ入る。先生はソファに畳んで置いてある毛布やブランケットを片付け始めていた。

「干してから仕舞いますので、隅に置いておいてくださいますか」

 先生はひとつ頷くと、きちんと四隅を揃えて畳み直し、部屋の隅にそれらを運ぶ。素直だ、可愛い。

 さっさと片付け終わった先生は満足そうにダイニングテーブルの所定の位置に座った。朝食のスープ用に出したクルトンの余りをそのままカリカリかじっている。気に入ったのだろうか。

 そのままでは口の中が粉っぽくなろうと思い、カップに紅茶をした。私も自分のカップに紅茶を補充し、先生の向かいに腰を下ろした。

「……これで君は落ち着くか」

 先生がほおづえを突き、外に目を向けながらポツリと尋ねた。先生のツンとした鼻先が美しい。胸の中がじんとした。何も言わず、ずっと見守ってくれたのだ。私がバーレイさんのことを気にしている間、ずっと。先生も、私のことを気にかけながら。

「はい。ありがとうございます」

「……何より」

 先生の目だけがこちらを向く。まばたきの音が聞こえそうなくらい静かな部屋の中。ほのかな朝日が部屋を照らす。白い壁が青を帯びた灰色に光る。紫色の瞳が鮮やかだった。

 イーダさんが去って数日。もとい、イーダさんによってバーレイさんのあずかり知らぬところで私に恋心を暴露されてから数日。イーダさんから「気にしてあげて」とは言われたものの、直接バーレイさんに相談されたのではないし、本当にバーレイさんがリリアさんを好きかどうかの確証もない。私は何をどうすればよいのかと考えあぐねていた。

 そんな訳で、「気にしておく」ことだけ気にして過ごしていたある日。ついに私は決定的な現場を目撃することとなった。私が積極的にその機会を狙っていたのではない。偶然が向こうからやってきたのだ。

 買い物途中で広場を横切ったとき、リリアさんと宿屋のテオさんに呼び止められた。二人は年こそ少し離れているが、軽口を言い合える程仲が良い。テオさんがリリアさんのバーの常連さんという背景もある。声をかけられた私は勿論、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように二人に近付いた。

 最近の物価はどうだとか、コートデューは相変わらず静かだとか、近頃作って美味しかった料理のことなどを話していると、バーレイさんが広場の入り口に現れた。

「あら、バーレイ君じゃない?」

 周りを見ることにけているリリアさんは直ぐに気付き、バーレイさんに手を振った。

……っ!

 途端にバーレイさんは目を大きく開いてビタッと固まった。私は内心で「ああ……」と思った。イーダさんは正しかった。これは分かりやすい。バーレイさんは早足で私たちの方へトコトコトコトコやってきた。既に耳が真っ赤である。

 何も知らないテオさんは「お? 君は? 初めて会うな」と目を瞬かせた。リリアさんは明るく笑って「最近越してきたバーレイ・ブルーム君よ」と紹介した。テオさんはいい人全開の笑顔で「ああ!」と笑った。

「君がそうなんだね。俺は宿屋をしているテオって言うよ。よろしくな」

 バーレイさんはドギマギしながら「よ、よろしく」と答えた。その顔には、「リリアさんとはどういう関係だろう」と書いてある。目で訴えられたが、微笑んでかわした。この場で何を言えというのか。

「バーレイ君はお菓子作りが上手なのよ。時々お店に出させてもらってるの。宿にも卸してもらったら?」

「へええそうなんだ。今度頼もうかな」

「あ、あの。う、ああ」

(バーレイさん、頑張って)

 初対面に弱いのか、褒められておもゆいのか、バーレイさんがカチコチになっている。これは助け舟が要るだろうか。

「あ、いかん。そろそろ行かなくちゃ。じゃあまた、ルシル、バーレイ君。リリアは夜にな」

「待ってるわね~」

「……!」

「バイバーイ」と手を振るリリアさんを見て、バーレイさんが硬直した。大方テオさんが仕事終わりにリリアさんのバーに飲みに行くねという話だろうけれど、バーレイさんには違う意味に聞こえたかもしれない。そろりと横目でどんな顔をしているかうかがう。

「っ!」

 いけない。バーレイさんが泣きそうだ。説明しなくては! と謎の使命感に襲われた。

「バーレイさん、テオさんは」

「さっきの、恋人……?」

「え?」

(バーレイさん──!?

 何て顔で何てことを訊くんだ。リリアさんに恋人がいるかどうかを案じているのが丸分かりではないか。私でさえ分かるのに、リリアさんに伝わらないはずがない。私は口を閉じ、リリアさんの対応を待つことにした。どう転ぶのか怖くて下手に口が出せない、とも言う。

「うふふ、違うわよ」

「あ、そ、そうか」

 バーレイさんよ。否定されたからといって、何を安心しているのか。あなたは今自分から綱渡りの綱の上を歩き始めたのだ。しかも引き返せなそうな位置からスタートを切っている。リリアさんの一言で、綱から落ちてしまうかもしれない。どうなってしまうのか、私は息を呑んだ。

「ん知らないフリした方がいいのかしら?」

(わああああ)

 あまりにバレバレ過ぎて、逆にリリアさんが私に助けを求めてきた。難しい判断に、脳が汗をかく。

(え、ええとええと。バーレイさんはまだ想いを打ち明ける気ではないみたいだから……)

「──はい」

「分かったわ」

 キリッと応えると、リリアさんはウインクして答えた。可愛い。バーレイさんは事態が分かっていないみたいだったけれど、ウインクの可愛さにやられている。

「あたしもそろそろ行くわね。またね、二人とも」

「はーい。さようなら~」

「ッ分かった!」

 バーレイさんと並んでリリアさんを見送る。私はこの赤い顔をした人をどうしたらいいか、非常に悩んだ。

「本当に恋人じゃないんだよな?」

 リリアさんが見えなくなったところで、バーレイさんが再度確認を取ってくる。私は大分低いトーンで「テオさんは常連さんですよ」と教えた。そして分かりやすくホッとするバーレイさん。何だか見ていられない。これで隠しているつもりがあるのだったら少しも隠せていないと言ってあげた方が親切かもしれない。

「……お好きなんですか、リリアさんのこと」

 堪らずに訊いてみると、ボフッと更に赤くなるバーレイさん。どうやら本気で隠せているつもりだったらしい。無理がある。

「何で知って……!」

「何でって言われましても。見ていれば分かりますよ」

「ま、魔法か……?」

 これでは話が進まない。私はやむなく「あれでは誰にでも分かる」としっかり伝えた。バーレイさんはそれを聞き、こちらがびっくりする程びっくりしていた。

「ううう嘘だろ」

「残念ながら」

「本当です」と言葉尻をすぼめる。バーレイさんはその場でうずくまった。

「どうか、お気を付けて」

…………

 ひゅるり。広場に空っ風が吹く。丸くなっているバーレイさんを眺め、数分が経った。彼は今羞恥心と戦っているのだ。私もこれ以上傷付ける真似はしたくない。今は、見つめることしかできないのだ──。

「ルシル」

「はい」

 不意に青年が顔を上げる。何やら険しい表情をしていた。

「何でしょう」

「……年下の男って、どう思う」

「見た目の話です? 年はバーレイさんの方が遥かに上ですよ」

 何を言っているんだ、と思った。確かにリリアさんは泣き黒子ぼくろがセクシーだし、色っぽくて大人っぽい。が、恋は盲目と言うけれど、そういう基本情報まで分からなくなって大丈夫だろうか。

「くっ! そうだった!」

 バーレイさんは俯き、「不覚!」とばかりに悔しそうに唇を噛む。段々と居た堪れなくなってきた。いたわりを込めて「バーレイさん」と肩を叩くと、再び名前を呼ばれる。

「二人のときは、どうだったの」

「へ」

「ルシルと、フィリス先生のとき」

 矛先がこちらに向けられた。目を泳がせてまごつくと「ねえ」と追撃を食らう。

俺、初めてなんだよ。こんなこと思うの。どうしたらいいか全然」

(あ、甘酸っぱい!)

 甘酸っぱい、まぶしい。純な気持ちをまともに聞いてしまい、私まで恥ずかしくなってしまった。

「えええ、そう言われましても……!」

「参考にするだけだから!」

 断る方が悪いと思ってしまう真っ直ぐな瞳に、私は負けた。力なくよろよろとしゃがみ込み、バーレイさんと視線を合わせる。真実、正真正銘、澄んだ目をしていた。

「わ、私たち、というか、私の場合ですが」

「うん」

「私の方が、その、お慕いしていましたので……。人として素敵だなと思う気持ちに勝るものはなく……」

「言ってしまった!」とワッと両手で顔を覆ったときだった。辺りで一斉に羽音が立つ。バサバサバサブワワワワ。羽ばたきと共に散る羽毛。

「──し、しまった!」

「な、何だ!?

 私はそうはくになって立ち上がった。森目掛けて飛んでいく鳥たちに「待って!」と叫ぶが甲斐かいはない。

(せ、先生に言いに行ったんだ……! またやってしまった……!)

 とはいえ、これは鳥たちもやり過ぎだ。彼らに語ったならまだしも、今はバーレイさんに話していたのに。

「報告される……。『ルシルがのろてたよ』って言われる……」

『全く、どいつもこいつも乙女心が分からないんだから』

「にゃー」と足元から聞こえたと思ったら、マカロンさんが居た。いつの間に来たのだろう。マカロンさんは私の周りを一周すると、ちょこんと正面に座った。

『猫にはちゃんと言ってあるわよ。ルシルちゃんのことも考えなさいって』

「どういうこと」

『あら、アンタそういえば喋れたわね』

 私を置いて、バーレイさんとマカロンさんが会話を始めた。先生以外に動物と話している人はめっに見ない。

『猫と鳥は先生への伝達係なのよ。情報を集めては報告してるの』

「へー。俺たちのことも?」

『勿論よ。ねえアンタ、いいこと。人のこと参考にするのはいいけど、まずはアンタの人となりをリリアが気に入らなくちゃ、話にもならないわ。長生きな癖に性急なのね』

 マカロンさんが長く鳴いた後、バーレイさんは真剣な面持ちで黙った。私一人が状況を分かっていない。戸惑いながらどちらへともなく「あの」と声をかける。答えてくれたのはバーレイさんだった。

「……俺、頑張ってみる」

 私にはいささか唐突に聞こえたけれど、先のマカロンさんとの会話の中で何かあったらしい。素敵なアドバイスでもいただいたのだろうか。詳しくは分からなかったけれど、表情が明るくなっている。

 瞳に希望の輝きを宿したバーレイさんがすっくと立ち上がり、「ありがとな!」と私とマカロンさんへはつらつとした笑顔をくれる。彼のあんなに晴れやかな顔、見たことがない。

 生き生きとして歩き去っていく背中に手を振り、私はしょっぱい気持ちで森を背負った。先生は今頃報告を受けていることだろう。再び地面にしゃがみ込んだ私の足に、マカロンさんの肉球がむぎゅっと押し付けられる。励ましてくれているのだろうか。

『先生も怒りはしないでしょ、大丈夫よ』

「はあ……恥ずかし……」

 帰った私をジト目の先生が待っていたことは言うまでもない。誰彼、所構わず惚気ているのではないということを必死に説明し、バーレイさんのためだったと言って何とかご納得いただいた。

せわしないことだ」

 一通り事情を把握して先生がぼそりとこぼす。バーレイさんの世界は回り始めたばかり。目まぐるしくて鮮やかなものに触れては驚いていることだろう。

 あのリリアさんがバーレイさんをどう思うようになるかは、誰にも分からない。人の恋心は、自由にならないもどかしさがある。たとえ、自分自身のものであっても。