「それにしても、このような無様な爪を見たのは初めてだわ」

囚人のような気持ちで差し出した両の手に、ヴァイオレットさまが絶対零度の冷ややかな声を出す。

「気品のきの字も宿らない指先を、惜しげもなく晒して。淑女教育以前の問題ね」

「う……な、長い爪は、お薬作りの妨げになってしまうものですから……」

ごにょごにょと弁解をする。

これは不可抗力なのだと、少しでもわかっていただけないかしら……と、淡い期待一割、諦め九割の気持ちで、私がヴァイオレットさまにそろそろと目を向けると。

「嘆かわしい」

思い切り眉を顰めたヴァイオレットさまに、バッサリと切り捨てられた。

「爪の美しさが長さだけだと思っているその貧相な美意識は、いつになったら人並み程度に向上するのかしら。お前の場合、長さが問題ではないの。手入れとは無縁のその荒野のような爪を、整えなさいと言っているのよ」

荒野……。

いくら何でも人体を形容する言葉ではないのではと思いつつ、しかし確かにヴァイオレットさまの爪と私の爪を見比べると、荒野と言われても納得する違いがあった。

私の不恰好な爪と比べて、ヴァイオレットさまの先が丸く整えられた長い爪は、つやつやとした赤色に塗られている。

そして一体どういう仕組みになっているのか、その表面にはキラキラとした宝石が惜しげもなく乗せられているのだ。美意識が貧相な私でも、ついつい綺麗だなあと見惚れてしまう。

とはいえ、あの塔の中で三日ほど宝石のついた長い爪で暮らした経験から言うと、長い爪というものは基本的にとても不便だ。あちこちに引っ掛かるし、細かいものが掴めない。

ただ爪が美しくなるというだけで、あんなに不便な生活を受け入れるなんて。ヴァイオレットさまの美意識はなんて底なしなのだろう。感服する。

「私もヴァイオレットさまのように……というのはハードルが高いですが、少しは美意識を持てるように頑張ります……」

帰ったら早速ナンシーさんやニコルさんに短い爪の整え方を聞いてみよう。そう思っていると、ヴァイオレットさまが頬杖を突いて小さく笑い、「ふうん?」と私に目を向けた。

「お前が自分一人で、どこまで美意識を持てるのか見ものだわ」

「う……た、確かに……」

筋肉や知識は、鍛えたり勉強したりすれば身につくものだけれど。美意識という明確な答えがない、感性にお任せというよくわからない分野では、磨き方自体が未知の世界だ。

……私には、無理かもしれない。

「手を貸しなさい」

私が情けなくも早速挫けそうになっていると、どこか蠱惑こわく的な笑みを浮かべたヴァイオレットさまがそう言った。

不思議に思いつつ、再度両手を差し出すと、ヴァイオレットさまが「見れば見るほど見窄みすぼらしいわね」と小さく息を吐く。

恥ずかしくなって居た堪れない気持ちになっていると、ヴァイオレットさまが小さく何かを呟いた。

その途端、指先がぱっと明るくなった。

透明な紫色の光がしゅるしゅると音を立てて指先に集まり、呆気に取られているうちに、光が私の爪に溶け込んでいく。

瞬きをした一瞬で光は消え、私の爪は短いまま形が丸く整えられ、薄く淡い紫色に染まっていた。

「わあ……!」

「その短さなら、薬作りに何の支障もないでしょう」

なんでもないようにそう言いながら、ヴァイオレットさまが「これでわかったでしょう?」と言った。

「もちろん、指ひとつ動かさなくても良い貴族の令嬢にとって、長い爪はごく当たり前の武装。けれどもまあお前の場合は100歩譲って、短い爪でも許してあげるわ。次にまたその爪をずたぼろにしたら──そんなにぼろ雑巾になるのが好きなのだと、そう扱ってあげるわね」

「ちゃんと磨きます」

ヴァイオレットさまの言葉に急いで答え、私は今染まったばかりの指先を高く掲げた。

なんだか爪が綺麗というだけで、気持ちがわくわくと浮き足立つ。

「ありがとうございます、ヴァイオレットさま。この色、ヴァイオレットさまの瞳みたいに暖かみのある紫で、とても綺麗です!」

薄く淡いその紫は、ほんの微かに赤色が混じったような綺麗な色だ。

私は自分の綺麗な爪に、にやにやと照れ笑いをしながら「この色だと余計に、気品のある淑女になれそうな気がします」と言った。

「ヴァイオレットさまのお力をいただけるような気がしますね! 背筋がすっと伸びるというか、今ならなんだか凛々しく振る舞えるような気が……」

調子に乗った私が、そんなことを話していると。

それまで黙っていたヴァイオレットさまが「凛々しい、ね」と呆れたような声を出した。

「だったらお前はまず、その情けない笑い方を改めることから始めないとね」

「情けない笑い方……!?

私の笑顔は情けなかったのか、と衝撃を受けつつ。

私はそれから小一時間、ヴァイオレットさまによる『気品のある笑い方講座』を受け、そして無事に『落第』の一言をいただいたのだった。