貧民街にいる時のこと。


「貴族ってのは、本当に凄いんだね」

洗濯物がよく乾きそうな、青い空の下。

大量の洗濯物と格闘している私に、同じく洗濯に精を出している女性の一人がそう言った。

「あんな小さな体で荒れた男どもを従えてるなんて、何の冗談かと思ったよ」

その言葉に、周りで同じようにお洗濯をしたりお掃除をしている女性達が大きく頷く。

「本当にねえ」と声をひそめて、口々に話し始めた。

「あんなちっちゃい、薄っぺらい体でさ。よくあれだけの威圧感を出せるもんだよね……」

「根っから貴族なんだろうね。あの幼児体形のハンデをものともしてないんだから、ほんと大したもんだよ」

「…………」

悪意のない言葉が、グサグサと私の心を刺す。

しかしながら実際にその通りで、ぐうの音も出ない。本当によくぞ威圧感からほど遠いあの体で無双ができるものだと、私は噂をされている幼児体形の女性──ヴァイオレットさまに、目を向けた。

屋外に不似合いな座り心地の良さそうな椅子に腰掛け、髪染め剤作りに精を出す男性陣を観察しているヴァイオレットさま。

その一切の容赦を感じない眼差しには、確かにあの体には似つかわしくない威圧感がみなぎっている。

「まあ、一口に貴族といっても色々な人がいるのはわかったけどさ……」

思わず遠い目をする私の耳に、そんな歯切れの悪い言葉が聞こえた。

同時に視線を感じて顔をあげると、女性達はどこか可哀想な生き物を見るような、励ますような目を私に向けていた。

「……でもヴァイオレット様は、ものすごく綺麗ですから! 雰囲気はともかく、顔立ちには気品ってもんがありますし!」

「そうそう、ソフィア様もお綺麗ですけど、ヴァイオレット様のスタイルの良さは圧勝です!」

「……………ありがとうございます……」

優しさが傷口を抉っていく。

心の中で涙を流しつつ、私はそうお礼を言った。

すると女性達が顔を見合わせて、「本当に貴族らしくないですよね」と心配そうに眉を下げる。

「ヴァイオレット様……そんなんで、貴族社会でやっていけてたんですか?」

「カーター達はヴァイオレット様を『なぜか超ド級の極悪悪女と呼ばれてるすごい貴族』って言ってましたけど……流石に嘘すぎますよね? 死にかけのセミの方が悪いことできそうだし」

「まさか悪い人の使いっ走りか何かをさせられて、そんな噂を……?」

ものすごく心配されている。

痛ましそうな顔で私を見る彼女達に驚いて、「大丈夫です。やっていけてます」と慌てて言った。

「こ、こう見えても私は、普段は堂々と貴族らしく振る舞っていますので……!」

大嘘だけれど、完全なる嘘ではない。この体の持ち主ヴァイオレットさまは、それはもう誰よりも堂々としている。

しかし、疚しいことは疚しい。

なんとなく目を合わせられない私に女性達が顔を見合わせて、更に痛ましそうな目を向けた。

強がっている可哀想な子を見る目に、私は「本当です!」と焦りながら弁解をした。

「ええと……貴族とはどのような状況下に於いても、思い通りに場を切り抜けられるものというか……私も社交界では、悪女と恐れられるくらいのハッタリを利かせていますので……」

「ハッタリ……?」

なんだか微妙そうな顔をしつつも、納得してくれたらしい。

「うまくやってるならよかったですよ」と言いつつ、「あたし達が知ってるような貴族とヴァイオレット様が、あまりにも違いすぎましてねえ」と苦笑した。

「悪い意味じゃなくて、助かってるんですよ。ほら、消毒薬やら洗剤やら薬やらの作り方も教えてもらって」

「そうそう。洗濯とか掃除とかもね、こうして手伝ってくれてるし。本当にありがたいですよ」

「いいえ、消毒薬もお薬も、本当に簡単なものですので……」

女性達の言葉に少し照れつつ、私はそう言った。

ヴァイオレットさまが『髪染め剤を作るためには清潔が何より大切』と言ってくださったことで、貧民街の方々は衛生環境を整えようという意識を持ってくれるようになった。

けれど、今までの環境を変えるのはとても大変なこと。

今まで当たり前だった環境をただ変えろと言われても、何をどこまでどうすれば良いのか、と言うことは多分きっと、分かりにくい。

そのため一緒にお掃除やお洗濯をして環境を整えつつ、合間に身近な材料で作れるものたち──簡単な消毒薬や洗濯洗剤の作り方、そして簡単なお薬の作り方をお伝えしたのだった。

「そうはいっても、あの子……ルーナの病気も診てるんですよね? 忙しいじゃないですか」

「あ、いえ、それは大丈夫です! お洗濯やお掃除は、空き時間だけのお手伝いですし」

基本的に私は普段、ルーナちゃんの薬作りにかかりきりになっている。

しかし薬作りは、大抵待ち時間が発生する。研究所にいる時はその待ち時間も全て薬作りに関わっていたけれど、ここではその時間はルーナちゃんとお喋りの他、こうしてお手伝いをすることに使っていた。

あのヴァイオレットさまが、貧民街の方々のために手を尽くしているのだ。私もできる限りのことをしなければ、面目がたたない。

「ヴァ……ソフィアさまに比べたら微力ですが、私も生活を整えるお手伝いができれば」

「まさか! 微力なんてことは全っ然ないですよ」

私の言葉に、女性達が首を振る。

それからヴァイオレットさまに目を向けて、「確かにあの方はすごいですけど」と、再び感嘆交じりのため息を吐いた。

「髪染め剤が花祭り以降も売れるかは──特に貴族に売れるのかは、正直まだ半信半疑ですけど。でもその日食べる食事にも事欠いていたあたし達が、こうして身の回りを綺麗にする余裕ができたことも、先のことにちょっと希望が出てきたのも、髪染め剤のおかげですからね」

「そうだねえ。食べ物を買ってもまだお金があるんだもの」

「あたしはもう少し落ち着いたら、子どもたちに何かプレゼントを用意してやろうと思ってるよ」

「あ、いいね。あたしも子どもと……それから、旦那に洗剤でもプレゼントしてやろうかな、少しは綺麗にする手伝いをしろって。ヴァイオレット様、超大容量の洗剤を作りたいんですけど、手伝ってもらえます?」

そんなことを話す女性達の表情の明るさに、なんだか心がほっこり温かくなる。

「洗剤にも使用期限がありますので、超大容量はやめた方が……」

そうやんわりと止めつつ、代わりに豆果が洗剤になる樹木があるのでそれを一緒に育てるのはどうかと提案する。

「実がなるまで時間はかかりますが、体も衣類も家も洗えるとても良い洗浄剤になりまして、それを植えたら孫子の子どものそのまた孫にまで受け継がれる素敵なプレゼントに……」

「そ、それはちょっと……」

やんわりと断られてしまった。

それでも種子が手に入ったら貧民街のあちこちに植えてみようか、と女性達が話し出す。

「旦那へのプレゼントは雑巾にしとくよ。刺繍でも入れとこうかね」

「あたしは子どもに髪紐でも作ろうかね」

手を動かしながら、にこにこと女性達がプレゼントについて話し合っている。

その声音にこちらまで楽しい気持ちになりながら、私は洗濯物を擦る手に力を込めたのだった。



「プレゼントかあ……」

洗濯を終えて、朝に冷ましておいたお薬も、そろそろ良い頃合いだろうと自室へ向かう途中。

私は自室までの廊下を慎重に歩きつつ、きょろきょろと廊下の端から端までを捜し見ていた。

──やっぱり、ないなあ。

女性達の会話に子ども達も喜ぶだろうなあと軽くなっていた足取りが、徐々に重くなる。

足を止め、廊下の窓ガラスに映る自分の頭を眺めながら、私は途方に暮れたような気持ちで小さくため息を吐いた。

「本当に、どこにいったんだろう……」

捜しているのは、クロードさまからいただいた髪留めだ。

ここに来た初日。カーターさんに髪をつかまれた拍子に落ちてしまった髪留めが、あの後どこを捜しても見つからないままでいる。

ヴァイオレットさまにもそれとなく尋ねてみたけれど、知らないとのことだった。

ならばカーターさんにも聞いてみようと思ったけれど、尋ねた瞬間に顔面蒼白となり、睡眠返上のまま見つかるまで捜し回る未来が見える。

お金のことになるとタフになる方とはいえ、あれ以上の心労を重ねたら胃がおしまいになるはずだ。いくら大切なものとはいえ、薬師としては誰かの健康を最優先にしなければならない。

もしかして、他の方が拾ったのだろうか。

そうも思ったけれど、あれだけ恐怖政治を敷いているヴァイオレットさまの持ち物を隠し持ったり売ったりするということは、考えにくい。見つかったら最後、裸どころの騒ぎではないだろう。

きっと、どこかにはあるはずだ。諦めずにあとでもう一度捜してみよう。

そう気を取り直してもう一度歩き出そうとした、その時。

「ヴァイオレット様」

「リアムさん」

後ろから声をかけられて振り向くと、リアムさんだった。

なんだか気まずそうな顔をしている彼に、どうしたのだろうと首を傾げる。

「どうかしましたか?」

「……あの、これを」

「え? ……あ!」

リアムさんが差し出したのは、間違いなく捜していたあの髪留めだった。

「すみません。お二人がここにいらした日、床に投げ出されたものを拾ったのですが……どうお返ししたら良いものか、悩んでいて」

そう言うリアムさんに、なるほど、と納得する。

リアムさんはまだ十三、四歳。刃物を持った大の大人を屈服させたヴァイオレットさまは、さぞかし怖かったはずだ。

気持ちはとてもよくわかる。私だったら、話しかけるどころか視界に入ることすら怖い。

落ちていた髪留めを拾ったものの、渡すことができず。悩んだ末に、ソフィアヴァイオレットさまより身分の高いヴァイオレットさまに、託すことを決めたのだろう。

ありがたいことだ。喜びに緩む頬を必死で引き締めつつ、髪留めを受け取る。

「ありがとうございます! ……と、ソフィアさまも思うと思います! 責任を持ってお返ししておきますね」

本当にとても嬉しい。よかったなあ、と思うとついつい力が抜けて、安堵のため息が出た。無くさないよう、慎重に懐に仕舞う。

視線を感じて顔を上げると、リアムさんが神妙な顔つきでこちらを見ていた。不自然に思われないよう、「これはソフィアさまの大切なものでして」と弁解する。

「なんでも大切なお友達からもらったものだそうで」

「お友達」

ちょっと驚いたような顔をしたリアムさんに、「そうなんです」と若干照れつつ笑う。

「就職祝いにと頂いたものだそうです。その他にも、いつもお世話になっているそうで……」

本当に、とてもお世話になっている。

私が誘拐されたことを知り、急いで一人駆けつけてくれたことだけでもその優しさが偉人レベルなことがわかる。あらためて、クロードさまには頭があがらない。

しみじみとそんなことを思っていると、リアムさんが一瞬沈黙をし、「素敵なご友人ですね」と微笑んだ。

「それでは僕は、今から出かけてくるので……すみません。失礼します」

「お気をつけて。あの、髪留めをありがとうございました。ソフィアさまに代わってお礼を言います」

私がそう言うと、リアムさんはぎこちない微笑を浮かべて、足早に去って行った。



「なるほど。だからみんな、何かを作っているのね」

仕上げを終えた薬を持って、ルーナちゃんの部屋へと来た。

診察をしながら、先ほどの女性達との会話をルーナちゃんに話すと、窓の外に目を向けたルーナちゃんは、得心がいったというふうに頷いた。

「休憩時間はいつもお話をしたり休んでるのに。みんな集中して何かを作ってるから、なんだろうと思ってたの」

私も同じように、窓の外に目を向ける。

確かに昼食の時間を取っているはずの女性たちは食事もそこそこに、刺繍をしたり布を何かを糸を結っていたり木を削ったりと、めいめいに何かを作っているようだった。

楽しそうなその様子にほっこりしながら眺めていると、どこか遠い目をしていたルーナちゃんが、静かに口を開く。

「私はね、小さい頃、魔術師ごっこが大好きで。お父さんが木を削って、こっそり魔法の杖を作ってくれたの。今でも大事に持ってるんだ」

すごく幸せな思い出なのだろう。少し寂しそうに、けれど嬉しそうに微笑んでいる。

「お母さんはうさぎのぬいぐるみを作ってくれてね。私はお返しにたんぽぽで花冠を作ってあげたの。すごく上手だったのよ」

「それは、とても素敵ですね」

「そうでしょう? 私、プレゼントを貰うのも大好きだけど、プレゼントをするのはもっと好き!」

そう言いながら窓の外を見ていたルーナちゃんが、「だから少しだけ悲しいの」と睫毛を伏せた。

「お兄ちゃんはいっぱい働いて私にたくさん薬を買ってくれたのに、この手じゃ何もできないから、お返しもあげられない」

そう儚く笑うルーナちゃんに、胸が締め付けられる。

どんな声をかけて良いかもわからず言葉に詰まる私を見て、ルーナちゃんが「だからヴァイオレットさまが来てくれて本当によかったあ」とにっこり微笑んだ。

「だって、治ってきてるもの! このまま治ったら、お兄ちゃんに素敵なものを作るんだ」

それまではお預けだけどね、とルーナちゃんが言う。

「……私、良いお薬が作れるよう、頑張りますね」

絶対に治してみせる、と断言できないのがもどかしい。それでもできることは全てやろうと考えつつ、私は先ほどのリアムさんの姿を思い出した。

最後に見せたぎこちない微笑みが、なんだか見ていると切なくなってしまうような、儚い笑みに見えたのだ。

お互いのために頑張っているリアムさんとルーナちゃんに、他に私ができることはあるだろうか……と暫し考えて、顔をあげる。

「……ルーナちゃん。よかったら、一緒に作りませんか?」

「え?」

「たとえば、こう、布に針をぷすぷすと刺すタイプの刺繍なんてどうでしょう? 針に糸を通すことは私がやりますので」

私の言葉に、ルーナちゃんが目を丸くする。

その姿に、私は「お恥ずかしながら、私は手芸のたぐいは苦手なのですが」と情けなく眉を下げた。

ヴァイオレットさまから淑女教育の一環として刺繍を学んだ私は、『底辺』という評価をいただいている。しかしそんな私にもできたのがこの刺繍なので、図案さえ簡単であればできるはずだ。

「頼りない相棒で申し訳ないのですが、それでも二人でやればできるはずです」

「……うん!」

ルーナちゃんが満面の笑みを浮かべる。どうやら喜んでもらえたようだ。

「では、私は材料を借りて来ます!」

よかったと安心した私は、急いで外に向かう。向かう先はカーターさんのところだ。

ヴァイオレットさまの無茶振りに即座に応えられるよう、あらゆるものを用意しているというカーターさんは、「こういうものが欲しいのですが」と頼むとすぐに出してくれる。

今回の材料も、「ありますよ!」と、どこから取り出したのか、刺繍の本、それから色とりどりの刺繍糸や剣山状の刺繍針、それから布地を差し出してくれた。すごい。

何度もお礼を言って、ルーナちゃんのお部屋へと戻る。わくわくした様子で待っていたルーナちゃんに微笑みつつ、「それでは早速始めましょうか」と言った。


「わあ、できてる……!」

ぷすり。ひと針刺した瞬間、布地に埋め込まれた刺繍糸に、ルーナちゃんが感動した声をあげる。

その楽しそうな、嬉しそうな顔と刺繍を見て、私は「できてますね!」と歓声を上げた。

図案を描いたハンカチに、ぷすぷすと針を刺していく。選んだ青い刺繍糸が布地にもこもこと埋め込まれていき、徐々に形になってきた。

図案はルーナちゃんが考えたもの──今回は、デフォルメされた簡単なわんこだ──を、私が描いた。周りにはお花も咲いている。

少しへろヘろなわんこではあるけれど、味があってなかなか可愛いのではないかと思う。

「お兄ちゃんはね、犬が好きなの」

真剣な表情で布地を見つめながら、ルーナちゃんがそう言った。

「なるほど。だから犬なんですね」

「そう! 好きなものが描かれていたら、もっと嬉しくなるでしょう? 好きなものを好きなように作れるから、手作りってとても素敵だと思うの」

まあ、一番はお安いからなんだけどね! とたくましく笑うルーナちゃんに、釣られて笑う。

そのまま他愛ないお話をしながら楽しそうに刺繍をするルーナちゃんが、ふと何かを思いついたように顔を上げた。

「ヴァイオレット様は、誰かに何かを贈らないの?」

「私、ですか?」

うん、と微笑むルーナちゃんに、少し考える。

「ヴァ……ソフィアさまには、日頃のお礼に何かお渡ししたいなあと思っているのですが。私の作ったものがお眼鏡にかなうかといえば、まず、かなわないと思います」

「そうなの……」

ルーナちゃんが少し残念そうな顔をする。

せっかく楽しそうだったのに、これではいけない。他には……と少し考えて、次に浮かんだのはナンシーさんをはじめとする、王宮薬師の先輩達だった。

ナンシーさん達なら私の作ったものでも、受け取ってくれそうだ。心配をかけているお詫びもしたい。

「他にお渡ししたい方といえば、王きゅ……」

うっかり王宮薬師の先輩達と言いかけて、口を押さえる。

そんな私にルーナちゃんが、「王宮!?」と、パッと顔を輝かせた。

「そういえばヴァイオレットさまはとても偉い貴族なのよね! 王宮? 王宮にプレゼントを贈りたい方がいるの!?

綺麗な目をきらきらと輝かせて、ルーナちゃんがそう尋ねる。なんて誤魔化したらいいのだろうと必死で考えた頭に、浮かんできたのはクロードさまだった。

「お、王宮に勤める、騎士さまで……」

「騎士様!」

ルーナちゃんの目が、更にきらきらと輝く。

「どんな方なの? かっこいい?」

「ええと……はい、とてもかっこいいです! それにとても優しくて、真面目な方で……」

他にもいいところはたくさんある。剣も強くて美味しいものを選ぶのがお上手で……と、私はクロードさまの良さを熱弁した。

「いつも本当にお世話になっていて。お礼の品をお渡ししようと決めていたのですが……」

しかし、既製品を買おうと思っている。

そう途中まで言いかけた言葉を、ルーナちゃんの「素敵!」という言葉が遮った。

「それならなおのこと、いいタイミングだわ! 一緒に作りましょう?」

そう言うルーナちゃんに慌てて、私は「買った品を贈ろうと思ってるんです」と言った。

「え……どうして?」

「ご無事と健康を祈願して、剣に飾る飾り紐を贈ろうと思っているのですが。どうやらそれを手作りするのは、婚約者か恋人だけだそうで……」

私の言葉に、心底不思議そうな顔でルーナちゃんが首を傾げた。

「どうして?」

「ど、どうして……?」

答えに窮する。考えてみればどうしてなのか、まったくわからない。

うんうんと悩んだ末に、ギブアップをした。そもそも婚約者か恋人云々というのも、ナンシーさんとノエルさんの会話を聞いて察したものなのだ。

「何故なのかは、ちょっとわからないのですが……。しかしその方は独身で今は婚約者もいらっしゃらないので、変な噂が立ったら申し訳なくて」

ただでさえ、以前クロードさまからプロポーズをしていただいたことがある身の上だ。あれが思いやりによる救済行為だと知らない方々の目に触れたら、変な勘違いをされてしまう。

「変な噂を流されるのが嫌なのなら、その騎士さまは『友達から貰ったけれど、婚約者でも恋人でもないよ!』って言うんじゃないかしら!」

渋る私に、ルーナちゃんが少し必死さを感じさせる表情でそう言った。

「それに無事を祈るためのものなら、無事でいますようにって気持ちを込めて自分で作った方が、神様が守ってくれそうな気がするわ」

「た、確かに……」

言われてみれば、そんな気もする。

しかしだからといってご迷惑をかけるわけには……と私が悩んでいると、目を伏せたルーナちゃんが、「それに」と小さな声を出した。

「……ヴァイオレットさまと、一緒に何かを楽しみたくて」

「ルーナちゃん……!」

あまりのいじらしさに、胸がきゅん、と締め付けられる。もじもじと恥ずかしそうに俯くルーナちゃんに、「作らない」とは言えるはずがない。

──作ったとしても、必ず渡さなきゃいけないわけじゃないし……。

一瞬で陥落した私は、そう自分に弁解しつつ。

ルーナちゃんに向かって、「一緒に作りましょう」と拳をあげた。


それからもう一度カーターさんの元に行き、飾り紐の作り方が載っている本や、その他の材料を用意していただいた。

カーターさんは本当になんでも持っている。もしや四次元に繋がるポケットをお持ちなのではないだろうか。

そんなことを思いつつ、作り方が載っている本を眺める。まずは色を選ぶようだ。びっくりするくらいたくさんある色の中からどれにしようかと、真剣に選ぶ。

うんうんと悩んでいると、一つの色に目が留まった。

手に取ると、ルーナちゃんが「綺麗な色ね」と声をあげる。

「それにするの?」

「はい。……この色、とても好きなんです」

それはクロードさまの目とよく似た碧色だった。素敵な色を見つけられたことに満足してほくほくし、次の手順を確認する。

するとルーナちゃんの「うふふ」という笑い声が聞こえて、私は顔を上げた。

「ごめんなさい、ヴァイオレット様がすごく真剣で、とても楽しそうだったから」

若干の恥ずかしさを感じつつ、「まだ色を選んだだけですが……」と口を開いた。

「確かにこれは、なんだか楽しいです」

「そうよね!」

嬉しそうに頷くルーナちゃんとお話をしながら、時には黙々と、進めていく。集中して手を動かす私の耳に、「できた!」という声が聞こえた。

顔を上げて糸の始末をお手伝いし、刺繍が解けないように布に使える接着剤で固めた。このぷすぷすと刺すタイプの刺繍は解けやすいので、こうして固める必要があるのだ。

できあがったその刺繍をみて、ルーナちゃんが満足気に「うまくできた」と口元を綻ばせる。

「ほら、このわんこ。この、スン……とした口元が、お兄ちゃんにそっくりでしょう?」

そう言われてじっくりと見ると、その犬の刺繍は確かに、そこはかとないニュアンスがリアムさんに似ているような気もする。

「お兄ちゃん、喜んでくれるかなあ」

嬉しそうな、少しだけ不安そうな顔をするルーナちゃんに「大丈夫ですよ!」と大きく頷く。

「もしも私がリアムさんだとして。ルーナちゃんからこんなに素敵なハンカチをもらったら、あまりの嬉しさに泣いてしまうと思います」

「ええ……泣かれるのは、嫌だなあ」

そんなことを言いつつ「ヴァイオレット様がそう言うなら喜んでくれるよね」とルーナちゃんがにっこり笑う。

「ヴァイオレット様の飾り紐の完成も楽しみね。きっと、すごくすごく喜んでくれると思うわ!」

「そうですねえ……」

手元に目を落とす。超初心者の私が作る飾り紐の完成は、まだまだ時間がかかりそうだ。

お渡しする予定はないけれど……。

「まずは完成目指して、頑張ってみます」

なんだかこの飾り紐に、すでに愛着が湧いてしまっている。いずれ完成したものが見たいので、のんびり気長に、しかしコツコツ頑張ろう。

そんなことを考えながら、ルーナちゃんの刺繍も終わったタイミングということで、私は一旦自室に戻ることにした。試したい薬の調合が、まだまだあるのだ。

「また一緒に刺繍してね」

お片付けを終えて部屋に戻ろうとする私に、ルーナちゃんがにこにこと笑った。

「他にもあげたい人がたくさんいるの。お兄ちゃんの職場の人に、カーターお兄ちゃんに、それから……」

次々と名前を挙げていくルーナちゃんに、私はふふ、と笑った。

「ルーナちゃんは、本当にプレゼントすることが大好きなんですね」

私の言葉に、ルーナちゃんが「うん!」と大きく頷く。

「だって贈る相手のことを考えながらプレゼントを作ると、相手のことも自分のことも、もっと好きになるでしょう?」

ルーナちゃんのその言葉に驚いて、小さく息を呑む。その素敵な考えが、びっくりするくらいそうだなあと、すとんと納得できたからだ。

確かにそうかもしれないと、手元の碧色に目を落とす。

渡す当てがないものとはいえ、一本一本、丁寧に手を動かしている間。

私の心の中にあった感情は、クロードさまの喜ぶ顔や、末長く無事でありますように、という柔らかなものだけだった。

誰かを大切に思う柔らかな気持ちは、そのまま自分の気持ちも包んでくれる。

贈り物とはすごいものだなあと、私は心の中で感嘆した。

「確かに。ルーナちゃんの、言う通りです」

そう私が微笑むと、ルーナちゃんは「そうでしょう?」と、誇らしそうに胸を張った。