いつもの日常

無事王宮薬師の研究所に戻った私は、しばらくの間諸々の後処理や事情聴取や溜まっていたお仕事など、慌ただしい日々を送っていた。

そして今日、すべてがようやく落ち着いた日。

私は王宮薬師寮の自室にて正座をし、うなだれていた。

「もう、とっても心配してたのよ」

ぷりぷりと、ナンシーさんが怒っている。

その横ではノエルさんが、困ったような笑顔を浮かべていた。

「誘拐でもされていたのかと思ったら、本当に誘拐されかけて、おまけに貧民街で人助けをしていたのですって? 無事なら一言くらい連絡をしなさい!」

「す、すみません……!」

「まったくもう!」

私が王宮薬師の研究所に戻った日。涙ながらにぎゅうぎゅうに抱きしめてくれたナンシーさんは、私の繁忙が終わるまでこうして怒るのを待っていてくれたらしい。

機が熟してようやく怒れるタイミングになったと、休日の今日。朝からとても詰められている。

「おかげで私、花祭りは恋人をはしごしようと思っていたのにそんな気になれなくて……結局、『屋台の匂いに釣られてソフィアちゃんが戻ってくるんじゃない?』なんてノエルちゃんと話し合って、女二人で花祭り、ソフィアちゃんを捜しに行ったんだからね!」

「ナンシーさん、ノエルさん……!」

申し訳ないと思いつつ、感動で胸が熱くなる。

そんな私を見て唇を尖らせたナンシーさんが、「まったく、すごい花祭りだったわね」と、感嘆と憤りを器用に両立させながら「陛下もちょっと素敵だったし」と少しうっとりとした。

「陛下の、ちょっと不運そうなオーラも素敵ね、と思いながらソフィアちゃんを捜していたら、空から花びらがひらひら~と降ってきて、びっくりしてたらソフィアちゃんがいきなり花の女王に選ばれていて……もう、びっくりしちゃった」

「私も驚きました」

ナンシーさんの言葉に、ノエルさんが頷いた。

「すごくワイルドな方々に女王と呼ばせていましたよね。そういう趣味とは露知らず……」

「違います」

食い気味で否定をする。さすがにそれは、絶対にされたくない類の誤解だ。

しかし私に胡乱気な視線を向けるノエルさんの誤解が解けたかは、怪しいところだ。

内心涙を呑んでいると、ナンシーさんの「まったく」というため息が聞こえた。

「これからはちゃんと報告してね。勝手にどこかに行ってはだめよ」

「……はい!」

「まったく。怒っているのに、嬉しそうな顔をしちゃって」

呆れたようなため息を吐きながら、ナンシーさんが「今日はこれからエルフォード公爵令嬢のところに向かうのでしょう?」と微笑んだ。

「気を付けて行ってきてね」

「お帰りをお待ちしています」

「……はい!」

二人に手を振って。

私は薬師寮を後にして、ヴァイオレットさまのお屋敷に向かった。



──そうして、エルフォード公爵邸で。

「そ、それにしてもっ、……いつから気付いていたのですか?」

頭に三冊の本を乗せ、背筋をまっすぐに伸ばしながら、私はぷるぷるとヴァイオレットさまを見た。

「まさか狙っていたのが、その場にいる全員だったなんて」

あの花祭りの時。

なんと犯人であるドミニク・ランネットさまは、ヴァイオレットさまや陛下のみならず、時計台の近くにいた人々もすべて巻き込むような爆破事件を起こすことに決めていたらしい。

それに気付いたクロードさまはドミニクさまを止めに行き、ヴァイオレットさまは何も起こらないようにと魔術で火薬を花びらに変えてしまった。

一切の打ち合わせがなかったにもかかわらず、なんという見事な連携だろうか。

思い出して感嘆しつつも、しんみりとする。

自分も含めた世界のすべてを憎んだことが動機だったそうだけれど、本当は止めてほしかったのではないだろうか。

爆破事件を公にすることはできないという判断で死罪は免れ、ナイフの所持や所持金の一切を許されず、身一つで国外追放──これは死刑宣告に等しい──になりそうだという。

そんなドミニクさまとクロードさまのことを考えて、私は小さなため息を吐いた。

そんな私にヴァイオレットさまが、こともなげに口を開いた。

「いつから気付いていただなんて。最初に話し合った時にはわかっていたわよ」

「えっ、や、やっぱりヴァイオレットさまって人の心が読めるんですか……!?

動揺し、バランスを崩してずるりと本が落ちる。あっと思って床に滑り込もうとした時、ヴァイオレットさまが指を鳴らした。

貴重な貴重な本たちは床に落ちることなく、ふわふわと浮かんでいる。

「ヴァイオレットさま……!」

感激して何度もお礼を言うと、ヴァイオレットさまが冷ややかな目で「礼を言う暇があったなら、早く歩行くらいは人並みになりなさい」と、私の頭の上にドサドサと本を乗せた。痛い。

あの花祭りが終わってから、私のこの淑女教育は再開されている。

冷ややかな目線で見られる回数は変わりなく、叱られる回数にもまったく変わりがない。進歩の見えない私に、そろそろヴァイオレットさまの堪忍袋の緒がぷっちりと切れてしまいそうだ。

気合を入れて、背筋を伸ばす。

かかとに重心を置いて、つま先を外に向けて……。

踏み出した足が絨毯を踏みしめる。頭の本は落ちなかった。

驚いて、目だけでヴァイオレットさまを見る。

「ででっ、できました……!」

「一歩しか歩けていないではないの」

その冷ややかな声に、今度こそ本が落下する。

「せめて百歩は歩けるようになってから、できたと言いなさい」

「ハードルが高すぎませんか……!?

容赦がない。涙目で本を頭に乗せ、もう一度歩き出す。


そんなふうに、相変わらず怒られてはいるけれど。

ようやく穏やかな日常が戻ってきたなあと、私はほっと息を吐いたのだった。