お叱りを受ける薬師

ここで過ごす最後の夜となった、六日目の夜。


「お前は本当にお人好しね」

自室で摘んだばかりの薬草でお薬を作っていた私に、ヴァイオレットさまがそう言った。

薬草のすり鉢をる手を止めて、その言葉に首を傾げる。

「お人好し、ですか?」

「ええ。ここに来た時から、ずっと思っていたのだけれど。お前は筋金入りのお人好しだわ」

私が淹れた紅茶を飲みながら、ヴァイオレットさまが言う。

「通りすがりに倒れただけの怪我人を助け、それが実は自分を攫う誘拐犯──そう発覚したあとも手当てをし、未知の病に侵された娘のために治療をし、そして貧民街の救済なんてものを提唱して」

一体いつ寝ているの、と呆れるヴァイオレットさまに、「う……」と肩を縮こめる。

「お前はここに来た最初の日も、明け方まで何か怪しげな薬を作っていたでしょう?」

「あ、怪しげでは……明け方でもないですし……」

ごにょごにょと弁解する。明け方に限りなく近かったけれど、あれはまだ夜だった。

それに明け方近くまで薬を作っていたのはここに来た当日だけだ。

この体はヴァイオレットさまのものなので、お体に差し障りがあってはいけない。そのため睡眠時間は一日五時間をキープしている。

ただ起きている間中、大体薬を作っているというだけなのだ。

「大体あの娘の手は治ってきているのでしょう? もう作る必要などないでしょうに」

「いえいえ! まだお薬は飲まなければなりません。それに病状の経過に合わせて処方は変えていきたいですし、私たちは明日ここを去りますので、お薬のストックやハーブティーも、念のためひと月分は置いておけるようにしておきたかったですし……」

とはいえストック自体はもう作り終えているので、今作っているのはストックのストックだったりするのだけれど。

私がそう言うと、ヴァイオレットさまが大きくため息を吐いた。

「ただの変人ではないの」

「そ、そんなことはないと思うのですけれど……」

身一つで刃物を持っている男性を裸に剥いて傅かせ、一晩でカジノの女帝に上りつめてしまうような方に変人と言われてしまうと、なんだか微妙な気持ちになる。

私が少し不服そうにしていると「お前が変人でなくてなんだというの」と、ヴァイオレットさまが呆れ果てた顔を私に向けた。

「お前、あのリアムという少年が自身で傷をつけたことを、一目でわかっていたのでしょう?」

ヴァイオレットさまの言葉に目を見張る。

「ど、どうしてご存じなのですか?」

私の言葉に、ヴァイオレットさまが「当然でしょう」と言った。

「王宮で会った時のお前の様子が訳ありだったもの。その時はさすがに自傷だとまでは思わなかったけれど、トラブルを抱えていそうなことに気がつきつつお節介に行くのだろうということは、どんな馬鹿でもわかるわ。それからはもう、簡単な推測よ」

それが簡単だと言えるのは、ヴァイオレットさまだけじゃないだろうか。

「どう考えても理由わけありだとわかっていたでしょうに。手当てだけならトラブルに遭うまいと思ったのか、トラブルに遭っても構わないと思ったのか。どちらにせよわざわざ治療しに行くだなんて大した馬鹿だと思うのだけれど、一体どちらなの?」

「確かにあれは刺傷で、それも傷口の位置や角度から察するに、ご自分でつけたものだろうと察してはいたのですが……なぜ治療をしに行ったのかと言われると……」

なんと言って良いかわからず、私は困って眉を下げた。

「怪我をしていたので、としか……?」

「……?」

言っている意味がわからない、と言いたげなヴァイオレットさまに、確かにこれは言葉足らずだったと思い、私は「ええと」と考える。

「……こんなことを言うのは恥ずかしいのですが。私には理想があるんです」

「理想?」

驚いたように、ヴァイオレットさまが片眉を上げた。

頷きながら、慎重に口を開く。

「もしも苦しんでいる人がいたら助けたい。病気にならないためにできることがあるのなら、それをやりたい。誰も苦しまずにすむ世界があったらいいなと思うんです」

そんなことを言いながら。

お部屋に漂うハーブティーの香りのせいか、リアムさんと話したせいなのか。

私はぼんやりと昔のことを思い出した。

あれは、お母さまが亡くなる少し前のこと。

見よう見まねで作ったお薬をお母さまに出した時。お母さまは嬉しそうにそれを飲んで、私に『薬師になりたいの?』と聞いた。

当時薬師になれればお母さまを助けられると思っていた私は、『うん』と答えたのだと思う。

それを聞いたお母さまは私の頭を撫でて『一つだけ、覚えていてほしいの』と言った。

『──どんなに偉大な薬師でも、人を救えない時がくる。思い込みで治療を誤り、思い込みで、人を傷つけてしまうことが』

『思い込み……?』

『そう』

そう言うお母さまは少し悲しそうで、私も悲しくなったことを覚えている。

『薬師として生きるのならば、どうか思い込みに囚われないで。人を救いたいという気持ちは、いつか必ず自責となって返ってくる。けれども薬師として生きるのならば、人を救いたいという気持ちを大切にして。それがいつか、きっとあなたを救ってくれる』

そう言うお母さまの言葉の意味を知ったのは、それからすぐのこと。

誰よりも助けたかったお母さまを助けられなかった私は自分を責めて、その時の痛みは未だに、心の底で癒えないまま眠っている。

そんなことを思い出しながら、私は静かに口を開いた。

「……生前の母から、私は『薬師は思い込みを持ってはいけない』と教わってきました。ですので、この人は悪人かもしれない、そんな思い込みから生まれる躊躇いで、助かる命が失われたり、苦しんだりすることはあってほしくなかったんです。それは私の理想から、離れてしまいます」

そう言いながら浮かんできたのは、昼間のリアムさんの言葉だった。

生きている間に救えなかった人間のことを、亡くなった後に祈っても意味はない。

確かにそれはその通りで、私はそのことにずっと傷つき、罪悪感を抱えていたのだった。

「当時母を救えなかったことに対する、贖罪なのかもしれませんが」

そんなことを言っているうちに、喉元に熱いものがこみあげる。

絶対に泣き顔を見せてはならないと、必死でそれを飲み下しながら、私は眉を下げて情けなく笑った。

「貴族らしくないことは、重々承知しているのですが……」

私の言葉に、それまで沈黙していたヴァイオレットさまが、「いいえ」と静かに言った。

「今までのお前の発言の中で、唯一貴族らしい発言だったわ」

「え?」

聞き間違いだろうかと驚いていると、ヴァイオレットさまが凪いだ湖のような静かな目で、私を見据えた。

「──自分の中に理想を持つことは、貴族にとってとても大切なことだと。私に淑女教育を施した人は、そう言ってたわ」

「!」

褒められた、のだろうか。

驚いて目を見開くと、目じりにたまっていた涙がぽろりと落ちた。

「──何を泣いているのよ」

「す、すみません」

ヴァイオレットさまのお体で泣くのが腹立たしかったのか、ヴァイオレットさまがやや不機嫌そうに「どうせ寝不足だからそうなるのよ」と言って、私を無理やりにベッドの中に入れた。

「明日は大事な日なのよ? 私の美容のためにも今日は早く寝なさい。寝るまでここで見張ってるわよ」

「し、しかし薬作りがまだ途中で……」

「この私の言うことが聞けないと言うの?」

「寝ます」

恐ろしさに涙は引っ込んだけれども、また別の涙が出てきそうだ。

毛布を頭まで被りながら、明日は早起きして続きをしよう……と私がひっそり涙を呑んでいると、ヴァイオレットさまの静かな声が響いた。

「私はお前のような、貴族の風上にも置けないお人好しは嫌いなの」

「う……」

先ほど褒められたのは幻だったのか、というようなストレートな言葉に、私は少し眉を下げた。

「けれど、今回。お人好しのお前がいなければ、私は労力と得るものを秤にかけて、間違いなくこの貧民街を捨て置いたでしょう」

そう言ったヴァイオレットさまが、ふ、と笑う気配がした。

「お前のおかげで私を含めた全員が、最小限の労力で、最大限の──いいえ、期待以上の成果が出せたのよ。お人好しのお前にとっては、これは限りない朗報なのではなくて?」

これは、慰めてくれているのだろうか。

とてもヴァイオレットさまのものとは思えない褒め言葉に驚いて、私は毛布から顔を出した。

「ヴァイオレットさ……」

「早く寝ろと言ったでしょう? いつまで私を拘束する気なの」

「寝ます」

毛布を顔にかけ直す。理不尽ではあるのだけれど、私はなんだか胸の中が少しだけ、ぽかぽかと温かくなっているような気がした。

ゆっくりと目を閉じる。気付かなかっただけで疲れていたのか、すぐに強い眠気がやってきて、意識が微睡まどろみに引っ張られた。

「──……ヴァイオレットさま」

眠りに落ちる直前。失言などしないように気を引き締めていた口が、ふわふわとした意識に引きずられて軽くなる。

私はこの一週間一緒に過ごすにつれ、思うようになったことを呟いた。

「ヴァイオレットさまは。ドレスの裾を踏んだくらいで、お家を没落させるような方ではないです……」

「──……」

言い終えた後、私はすぐに眠ってしまって。

小さく呟いたヴァイオレットさまの言葉は、聞こえなかった。