希望と絶望

まずは腹ごなしをしようと、リアムさんと二人で、食堂に一歩足を踏み入れ──絶句した。


「おはようございます!!

「………!?

号令のような朝の挨拶をしてくれた男性陣──真新しい服に身を包んでいる──が、壁の両脇に立って背筋をぴしっと伸ばして、私に深くお辞儀をした。

それに言葉を返すこともできず、私はただただ目の前の光景に仰天する。

号令だけなら、ちょっと驚きはするものの、度肝を抜かれるほどではない。

昨日一人で夕食を食べたこの食堂が、異次元に迷い込んだのだろうかと言うほどに変わっていたのだった。

「あら、おはよう」

そう優雅に微笑むヴァイオレットさまが手に持つティーカップは、『職人が丹精込めて作りました』と言いたげな、贅を尽くした絵付けが施されている。

少し手を乗せるとぐらぐらと揺れていた素朴なダイニングテーブルは、なんだか黒光りする一枚板の、高価そうなテーブルに替わっていた。

そして極めつけにはテーブルの上には、オルコット伯爵邸で一度だけ見たような豪華な朝食だ。いつか革命を起こされる国王の食事リターンズにしばし固まりながら、私ははくはくと唇を震わせた。

「こっ……こっ、ここっ、これはっ……!?

「既製品だけれど、これでも少しはマシでしょう?」

あそこで買うことを条件に少し妥協したの、というヴァイオレットさまが口に出したお店の名前は、そういったことに疎い私でさえも知っている、超のつく高級店だった。

昨日の今日でこんなものを揃えられる、そんな方法は。

現実的に考えて、強盗しか考えられない。

元に戻った時投獄される未来が見えて、血の気が引いた私にヴァイオレットさまが「お前は本当に愚かね」と眉を顰めた。

「お金というものは、お金の集まる場所に行けば勝手に集まってくるものなのよ」

「……?」

どうやったらお金が勝手に集まってくるのだろう……?

釣り糸に磁石を垂らして金貨を釣り上げる想像をしつつ、しかしそれって結局強盗なのではと私が悩んでいると、見かねたカーターさんが「カジノです」と言った。

「カジノ?」

「ご存じありませんでしたか」

初めて聞く言葉に首を傾げると、カーターさんが少し意外そうに眉を上げた。

「お金を賭けて、色々なゲームをする場です。負けた者は勝った者にあらかじめ決めていた金額を渡すのですが……」

そう説明を始めたカーターさんの目が途端に熱を帯び、興奮気味に昨日の様子を教えてくれた。

なんでも昨日ヴァイオレットさまが訪れたのは、国内外から強者が集まるという有名なカジノだったらしい。

誰でも受け入れる代わりに、負けた場合は容赦なく搾り取られる。

取り立ては過酷の一言だそうで、腕に自信がある方だけが集まってくるのだそうだ。

そんな中、私の姿をしたヴァイオレットさまが足を踏み入れたらどうなるのか。

『こんな貧相な小娘にゲームができるのかあ?』

そう下卑た声で笑われ、『赤ちゃんはお家に帰って寝てな』とまで言われたらしい。

そこまで聞いて震え上がった。知らないということは、本当に恐ろしい。

そしてヴァイオレットさまはそう軽口を叩いた方々に勝負を持ち掛け、勝利。

負けが続いて呆然としているその方々を、いつものように口で煽りに煽っては更に勝負を仕掛けさせ、骨の髄までお金を毟り取ったのだという。

一切の情のないその様子に、周りはドン引きの一途かと思いきや。その勝負を見ていた方が、次々にヴァイオレットさまに勝負を挑み、連戦連勝。

その場にいたカジノ四天王と呼ばれる方々相手に次々と挑戦を仕掛けて大勝ちし、終いにはカジノのキングと呼ばれる方との勝負で有り金全部を賭けて勝利し、前代未聞の金額を手にしたそうだ。

その場はとんでもなく盛り上がり、カジノ史の歴史に残る夜の女帝の爆誕だと割れんばかりの拍手と賞賛が、カジノ場のホールに響き渡ったらしい。

「あんなに鮮やかに荒稼ぎする人間を、俺は人生で初めて見ました!」

何も言えずにただただ茫然としている私に、カーターさんが興奮冷めやらぬといった様子で何度も頷いた。

「対戦相手の心は砕いても、犯罪は犯さない! まるで金さえも屈服し、降伏していくような……そんな錯覚さえ抱きそうなほどの荒稼ぎっぷりに、俺は身一つでも犯罪を犯さずとも大金が手に入るのだと、大変な感銘を受けました。そして同時に、天啓も受けたのです」

「て、天啓……?」

なんだか嫌な予感がしてそう呟くと、カーターさんが良い笑顔で頷きながら「その天啓が大当たりで」と、懐から色のついたガラス玉を取り出した。

窓から差し込む朝日を受けてきらめくそれは、とても綺麗だけれど。私の目には何の変哲もない、ただのガラス玉のように見える。

「これに『女王ソフィアの金運爆上げアミュレット~これであなたも大金持ちに~』という名前をつけまして」

「…………!」

限界まで目を剥く私にカーターさんが「それをソフィア様の横で売っただけで、ウッハウハのがっぽがぽ!」と歯を見せて笑った。

「なんとこれまでいいとこ硬いパン一個だった朝飯が、一夜にしてこれだけの肉が出せるように!」

そう言いながらカーターさんが両手を食卓に並んだご馳走に向けると、先ほどから直立不動のまま両脇に立っていた男性陣が「おおおー!」という野太い歓声をあげる。

眉を顰めたヴァイオレットさまに蠅を見るような目を向けられ、歓声はぴたりと止んだけれど。彼らの目もカーターさん同様、キラキラと輝いていた。

「今夜からも売り出し続けていく予定ですが、他にも新商品を考案中で……」

昨日まではあんなに死んでいた目に輝く希望を宿したカーターさんが小声で、次々に思いついた商品をあげていく。

切実に、やめていただきたい。

あまりの出来事にカラカラになった口でやめてほしいと、そう言おうと思うのに。

「これでようやく、腹いっぱいに食べられる、食べさせてやれる生活が手に入ります」

そんなことを言われてしまうと、やめてほしいなどとは言えるはずもなかった。

うなだれながら案内されるままに席に座り、カーターさんが甲斐甲斐しく取り分けてくれた朝食を一口食べる。

こんな時でも美味しいものは美味しいものだ。食べ物に感謝しつつ、黙々と食べ続けた。

しかしそんな私にも上機嫌に、カーターさんは興奮した面持ちで話し続ける。

「カジノ場の前で『これで勝つ! 女王ソフィアの心理戦術』なんて本を出したら売れそうじゃないですか? ぜひヴァイオレット様にも一言寄せていただけると嬉しいです。友人である匿名公爵令嬢から見た、カジノの女帝の特別秘話! ソフィア様が普段どのような生活をしているのか、普段から社交界でどのような舌戦を繰り広げているのか……」

普段のソフィア・オルコットは、必勝とは縁遠い世界にいる引きこもりです。

そんなことが言えるはずもなく、私は「ははは……」と乾いた笑い声をあげた。そもそもこの国に公爵令嬢は一人しかいないらしいので、匿名公爵令嬢は全然匿名ではないと思う。

どんな手を使ってでも、本だけは回避しよう。そしてヴァイオレットさまには、これ以上私の二つ名を増やさないでほしいということを、なんとかしてわかっていただこう。

そう思いながら目の前のヴァイオレットさまに、若干湿り気のある視線を送る。

するとヴァイオレットさまが涼しい顔を私に──、いや、三つ目のパンを取ろうと手を伸ばす、私の手元に目を向けて。

「──……」

ヴァイオレットさまがゆっくりと目を細めて、私のお腹に視線を動かした。

「…………」

何が言いたいのか、わかりすぎるくらいよくわかる。

私は一瞬の葛藤の末、伸ばした手を泣く泣くずらし、紅茶でお腹を膨らませたのだった。