神父と悪女
一体どうして、こんなことになっているのだろう。
「はあ……入れ替わりましたか」
大きなため息を吐きながら、呆然とする私を見て、目の前の神父さまが心底嫌そうな顔をした。
「その顔で間抜けな表情を晒すのは不敬であり冒涜であり重罪です。即刻やめなさい」
おそるおそる、自身の体に目を落として絶句する。
絶対に私が身に着けないような、派手派手しい赤いドレス。
それが似合ってしまう、とんでもないスタイルの良さ。
ばっと周りを見渡す。
馬車の中。
たった今私は、知らない場所で髪を切られそうになっていたところだったのに。
「ゆっ、夢っ、これは夢! ……いたっ!」
「!? 小娘! その体に傷一つつけたら承知しませんよ!」
夢でありますようにと頬をつねろうとして長い指がぐさりと刺さり、痛みに頬を押さえた私に神父さまが大変お怒りになっている。
しかし私はそれどころではない。
一瞬で現状を察してくらくらする頭から、一気に血の気が引く音がした。
「しっ、神父さまっ! こっ、これはどういう……!?」
慌てる私に、神父さまがこの世で一番愚かな人間を見るような眼差しを向けた。
「見ればわかるでしょうに。偉大なるヴァイオレット様が、あなたと体を入れ替えてくださったのです」
「そっ、それはわかってしまいましたが……! こ、このタイミングはまずいです!」
今、私は絶体絶命の危機を迎えていた。
なぜかそのタイミングで入れ替わってしまった以上、私の代わりに今、ヴァイオレットさまがピンチを迎えてしまっているはずで。
きっと今頃ヴァイオレットさまは多くの男性に囲まれて、髪を切られて怖い思いを──……
……しているだろうか?
一瞬微妙な気持ちになったけれど、私は大きく首を振る。
いくらなんでも刃物を持った五、六人の男性相手に、立ち向かえるわけがない。
「あ、あの神父さま! 想像し辛いかもしれませんが少々大変なことになっていた時でしたので、何の準備もなく入れ替わってしまった今、いくらヴァイオレットさまでも大変な──」
「小娘」
冷ややかなため息を吐いて、神父さまが口を開いた。
「ヴァイオレット様は、お前が攫われたことを知っています。よって私たちは今、馬車でヴァイオレットさまの許へと向かっています。あと、十分足らずで着くでしょう。……まあ私は、あなたを降ろしたらさっさと帰れと命じられてしまいましたが……」
心底悔しそうに奥歯を噛み締める神父さまに、「えっ?」と首を傾げる。
「ヴァイオレットさまの許へ向かっているとは、どういうことですか……? なぜ場所が?」
「飼い犬に首輪をつけるのは、飼い主として当然の責務だと仰っていましたが」
「か、飼い犬って、まさか私のことですか!?」
私がそう言うと、神父さまはくわっと目を見開き、忌々しそうに「調子に乗らないでいただきたい」と吐き捨てた。今のところ、調子に乗れる要素がなくて困惑する。
「飼い犬は飼い犬でも、愛犬ではありません。ヴァイオレット様にとってあなたなど、きのこを探す豚のようなもの。つまり愛玩犬ではなくお役に立つための実用犬ということですから、お役に立つという意味では私とあなたは同レベルの存在ですよね」
「な、なるほど……?」
実用犬も愛玩犬も、可愛がられレベルは一緒なのではなどと的外れなことを思いながら頷きつつ、「あの」とおそるおそる口を開いた。
「それではつまり神父さまも、首輪? をされているということですか?」
それならば一体、その首輪が何なのか教えていただきたい。
そう思って私が尋ねた言葉に、神父さまは「うっ」と胸を押さえ、「小娘が……」と眼光鋭く睨みながら、呪詛でも吐きそうな低い声を出した。
大変な失言だった。そう悟った私は、慌てて弁解をした。
「ちっ、ちがっ、あの、首輪というものがどんなものか知りたくてっ……きっと神父さまは首輪が必要ないくらいヴァイオレットさまに信頼されているということで、あの、羨ましいです……!?」
「……」
私の言葉に、神父さまは気を取り直したようだった。
「まあ、そうですね。確かにあの首輪は駄犬にしか必要がないかもしれません。あれはあなたが迷子になった時に発動する、位置追跡の魔術だと伺っております」
「位置追跡の魔術……」
絶句する。
確かに愛犬相手なら、迷子になったときに居場所がわかれば安心だ。
しかし問題は私が成人している人間だということと、事前のご相談がないということだ。
「女難の星とはこのこと……?」
予想よりも、はるかにダメージの少ない難だった。
確かになんというかこの隠し事は、少し人権が侵害されている、ような気はするけれど。
「何を不服そうな。そのおかげで助かったのだから良いでしょうに」
吐き捨てるかのように言う神父さまの言葉にハッとして、身を乗り出した。
「そ、それです! 私の代わりにヴァイオレットさまが大変なことに……!」
「ハッ」
私の言葉を、神父さまが鼻で笑った。
「心配は無用ですよ。ヴァイオレットさまがならず者の前に立たれたということでしょう? それはつまり」
くい、と片眼鏡を直しながら、どこか誇らしそうにニヒルに笑う。
「罪人どもが、地獄に落とされるというだけのこと」
「じ、地獄に落とすのは私の体でですよね……!?」
まざまざと目に浮かぶ光景に背筋にぞっと悪寒が走り、私は神父さまに泣きついた。
「はっ、早く進んでくださいいい!!」
「その体で品なく喚くなど、なんたる不敬ですか!?」
目を吊り上げる神父さまに、懇々と説教されつつ。
目的地に着くまでの間、私はただただ、色々なものの無事を神様に祈り続けていたのだった。
願い虚しく、私があの部屋に踏み込んだとき。
私の目の前には、とんでもない光景が広がっていた。
「…………」
先ほどまで見下ろされていたはずの私が、今は一人椅子に座り、屈強な男性陣に
皆一様にヴァイオレットさまに平伏していて、中でもリーダー格だと思われる金髪の男性──私の髪を掴んで切ろうとした男性などは、下着姿一枚だ。
もしもここに町の風紀を取り締まる騎士さまがいたならば、即座に連れて行かれるに違いない。
もちろん連れて行かれるのは、強要した側の
「なっ、なななっ……なっ……!?」
最悪だ。予想の斜め上をはるかに突き抜ける光景だった。
強欲な悪女という呼び名も嫌だなあと思っていたのに、この上破廉恥という文字までついてしまったら、さすがに私は泣くと思う。
「ふふっ、服! 服を! 着てください!」
金髪の男性の横に綺麗に畳まれていた服を取り、あわあわと目を瞑って男性に押し付ける。
その人が顔をあげた気配がしたかと思うと、一瞬の間を置いて息を呑んだ気配が伝わり──「うわ!」と叫ばれた。
その言葉を皮切りに、男性陣が私に気付いたのか口々に「ひい!」「やべえ!」と小声で囁きあっている。
「う、嘘だろ!? なんでエルフォード公爵令嬢が来るんだよ、もっとやべえのが来たじゃねえか……!」
「いや毒使いよりはましだろ! もはやあれは人間じゃねえ……!」
人間じゃないレベルの毒使いとは、まさか私だったりするのだろうか。
一体全体ヴァイオレットさまは、どんな話を、一体何をしていたのだろうか。
私が言葉もなく、絶句をしていると。
「──失礼」
聞き覚えのある、しかし何故か悪寒が走るような禍々しさを宿した低い声が、後ろから聞こえた。
いつもは安心する声なのに、今日は聞いているだけで体が勝手に震え上がる。
「ソフィア・オルコット──彼女を攫った暴漢が、ここにいると聞いたのだが」
「ク、クロードさま?」
後ろを振り返り、どうしてここがわかったのだろうと、まじまじとクロードさまの目を見る。
珍しく髪や服装や呼吸が乱れているクロードさまは、私とヴァイオレットさまを見てしばらく固まり、深くため息を吐いたあと。
「──……なるほど。理解した」
そう小さく呟いて、じろりとヴァイオレットさまを見た。