一声かける。黒いシャツを捲り上げ、傷口の検分をすると、そこに現れたのは明らかに刃物由来だろう切り傷だった。

その傷口を見て一瞬驚き、少年の顔を見る。

しかし額に滲む脂汗を見て気を引き締め、「見た目ほど大きな怪我ではありません」と励ました。

「処置をします」

鞄の中から、念のためにと持ってきていた殺菌効果と止血効果のあるエンドの葉を取り出し、傷口に押し当てる。固定するため、持ってきていた包帯をきつく巻きつけた。

「す……すみません」

包帯を巻き終えた頃に、少年がそう言った。

銀髪に青い瞳がよく映える、綺麗な顔立ちの少年だ。しかしその綺麗な顔立ちも、まだ苦痛に歪んでいる。

「仕事で失敗してしまって……」

「…………そうでしたか。大丈夫ですよ。角度や位置からして、大事な内臓には傷がついていないと思われますし、出血の割に傷は浅いので」

そう微笑みながら、私は少年に昨日調合したばかりの軟膏を手渡した。

一瞬だけ(王家の管轄……)という言葉が頭をよぎったけれど、これは昨日薬師長と相談しながら作ったものなので、ギリギリのところでセーフ、ということにする。

「三時間経ったら、包帯の下の葉は外して大丈夫です。その後一日五回、この軟膏を塗り込んでください。できれば今日は安静に。それからお腹なので大丈夫かと思いますが、傷口を太陽には当てないようにしたほうが良いです。痕が残ってしまいますので。それから……お家はどこですか? お送りを……」

「……いえ。近いので。一人で帰れます。ありがとうございました」

「しかし……」

「本当に、大丈夫です」

脇腹を押さえながら頭を下げる少年は私の申し出に本気で困っていそうで、躊躇いながら頷いた。

「あの……本当に、無茶はせず、お大事に」

「はい。ありがとうございます。この恩は、いつか必ず。……あの、あなたのお名前は」

「あ……、いえ! お気になさらず!」

慌てて手を振る。勝手に私手作りのお薬を渡してしまった手前、名前を言ってはまずいような気が、とてもする。

「そ、それでは! あの、お大事に……!」

そうぺこりとお辞儀をして、すぐ近くにいるクロードさまに目で合図をする。

クロードさまは何かを言いたげな表情をしながら頷いたのだった。



「きょ、今日はその……色々と、すみませんでした」

帰りの馬車へと向かう途中。

少し難しい顔をしているクロードさまに、深々と頭を下げる。

「お疲れのところ付き合わせてしまったというのに……あの、色々と……」

クロードさまは、犯罪を取り締まる立場の方だ。

だというのに犯罪のギリギリアウト寄りの行為を目の前で行ってしまい、大変に面目ない。

しかしそれをきっぱりと口に出せばクロードさまが正式な共犯となってしまいそうで、私はごにょごにょと謝った。

「……あ、いや。大丈夫だ」

クロードさまがハッとしたように表情を和らげた。

「確かにアーバスノットの薬は全て王家の管轄に当たるが、君は王宮薬師だ。必要な処置に薬が必要とあれば処方するのは当然だし、今回は緊急になる。帰ってからあらためて申請すれば、何も問題はないだろう。何かあったら俺も証言する」

「ほ、本当ですか? よかったあ……」

安心して力が抜ける。

帰ったらすぐに報告をしようと大きく安堵のため息を吐くと、クロードさまがやや躊躇いがちに、「君の行いは、素晴らしいことだとは思うのだが」と慎重に口を開いた。

「しかし街ではああいう手口で人を引きつけ、金品を奪ったりする者もいる」

「えっ……」

「王都は人口も多く豊かだが、貧しいものが多く集まる貧民街と呼ばれる場所がある。大通りはともかく、裏路地などは治安が悪い。……そのことは陛下も気にされていて、早急に貧民救済に力を入れなければと言っていたが……そういった施策は、効果が出るまでに時間がかかる」

クロードさまが少し眉を寄せて、小さく息を吐いた。

「今回は大丈夫だったが、そういったこともあると念頭に置いてくれ」

「わ、わかりました……次は気をつけます……」

こくこくと頷くと、クロードさまが「そうしてくれ」と小さく笑った。

──けれど。そういう背景があるならなおのこと、あの男の子のことが心配だ。

心を痛めつつ、今はその気持ちを切り替えて、私はクロードさまにあらためて「ありがとうございます」と言った。

「え?」

「そういったことがあるとわかって、それでもあの時何も言わずに私の好きにさせてくださって。もしあの子が悪いことを考えていたとしたら、一緒にいるクロードさまも危険な目に遭ったかもしれないのに」

きっと、ハラハラしたのではないだろうか。そう思いながら言った私の言葉に、クロードさまが「いや」と苦笑した。

「もしもあの少年が暴漢だとしても、自分よりも体格の良い大人の男と一緒にいる女性には手を出さないだろう。……それに、もしも暴漢だとしたら、少年だろうと捕らえなければ」

「あっ、なるほど……確かに」

騎士さまらしい言葉に納得しつつ、「それでも」と私は言った。

「それを抜きにしても、クロードさまは多分私を守りつつ、治療させてくれたと思います」

たとえばあの少年が、クロードさまをはるかに超える山のように大きく屈強な男性だったとしても、黙って見守ってくれたのではないかと思う。

「本当にクロードさまは優しくて面倒見が良くて、物語に出てくる騎士さまみたいです」

護衛というだけではなく、たとえばあの少年の体調が悪くて、道端では処置が難しいとなったとき。きっとクロードさまなら私と一緒に、近くの病院まで少年を運んでくれると思う。

勿論、極力ご迷惑をおかけしないよう、何事も自力で頑張るつもりではあるけれど。

ただ、そういう優しい方だと思える方が側にいるだけで、とても安心できるのだ。

「それにクロードさまはお菓子を選ぶのもお上手なのに、今日おすすめしてくださった屋台もすべて絶品で、食べ物に関しての審美眼が超一流で……」と、優しさ以外にもクロードさまの魅力をお伝えすべく、身振り手振りを加えて熱弁を振るっていると。

はらり。結んでいた髪の毛が、首筋にかかる。

「え」

「あ」

なぜか、ナンシーさんに結ってもらった髪が崩れたのがわかった。

慌てて近くのお店の窓ガラスを覗くと、そこには大変悲惨な髪の毛になった私の姿がぼんやりと映っている。

そういえば、と思い出す。出かける前ナンシーさんに、「あまり動きすぎてはだめよ」「極力触らないようにね」などと言われていたことを。

それを忘れた私は今日、屋台を見てははしゃぎまわり、舌鼓を打つ際に首を振り、先程は慌てて怪我人の処置までしてしまったのだった。

「お、お見苦しくてすみません……」

自分の愚かさを呪いつつ、とりあえず髪の毛をほどいて手櫛で梳かしながら、私はクロードさまに謝った。

ちなみに髪紐で一つに縛る、ということしかできない私は、ピンを使ってどう頭を整えればいいのかわからず、寮につくまでこの髪の毛でいることが決定している。

顔から火が出そうとはこのことだなあと思っていると、先ほどから黙ったままだったクロードさまが、急に「ははっ」と笑う声がした。

見るとクロードさまが、おかしくて仕方がない、といったふうに笑っている。

「はは……す、すまない。先ほどはあんなに凛としていたのに、落差が激しくて……しかし、丁度よかった」

呆然としている私に、クロードさまが笑いながら先ほど購入していた紙袋を差し出した。

開けるよう促されて、戸惑いつつその紙袋を開くと。中に入っていたのは、緑色の小さな宝石がお花の形で飾られている髪留めだった。

「こ、これを私に……?」

「薬作りの時には髪を纏めるだろう? その時にでも使えるかと思っていたが。早速使えそうで、よかった」

「し、しかしこんなに高価なものを……」

いくら露店で売っているものとはいえ、宝石がついているものは、私にとってはとても良いお値段のものだった。

申し訳なさに眉を下げると、クロードさまが「友人というものは、祝いの際に贈り物をするものだ」と言った。

「遅れたが、君の王宮薬師への就職祝いだ。ほんの気持ちだから、受け取ってほしい。女性ものの髪留めを贈る相手は、他にいないからな」

「あ……ありがとうございます」

申し訳なさは残るものの、それならばとありがたくいただくことにした。

いつか絶対にお礼をしようと心に誓いながら、いただいたばかりの髪留めで髪を留める。

「簡単に留まりました」