「お前が表立って誰かを気にかけたことなど、これまで一度もなかっただろう。最初はクロードへの嫌がらせかと思っていたが。……いや、これは私の願望かもしれないな」
そう言いながら、ヨハネスは僅かに目を伏せた。
「お前に友人と呼べるような人間ができたらいいと、叔母上が亡くなった時から思っていた」
特に、ヴァイオレットが信頼していた伯父を失った今となっては。
「──ヴァイオレット」
気を引き締めて王族らしい笑みを浮かべたヨハネスは、わざと声音に威厳を滲ませ、ヴァイオレットの名を呼んだ。
黙ってこちらに目を向けるヴァイオレットの表情を、悟られないよう慎重に観察する。
「伯父上との面会は、どうだった」
ヴァイオレットは何も言わず、口元だけで微笑んでいる。
何も答える気がないその様子に、ヨハネスは自分の想像が当たっていたのだと確信する。
「お前が伯父上と面会をした翌日に、幽閉の塔の者から報告があった。──伯父上の髪が、一夜にして
ヴァイオレットの表情は、微笑したまま動かない。
動揺のない紫の瞳をまっすぐに見据えながら、ヨハネスは再び口を開いた。
「──いくら相手がお前でも。あの伯父上の心は、そう簡単には砕けまい」
復讐を遂げた先にヴァイオレットからどんな言葉を投げつけられるか。ヴァイオレットを知り尽くしていた伯父ならば、よくわかっていたはずだ。
(それに何より……伯父上の心は、とうに砕けていたのではないか)
そして復讐心だけが、その砕けた心の添え木になっていたはずだ。
(──残酷なことだ)
浮かんだその言葉が伯父に対してなのか、ヴァイオレットに対してなのか、両方か。
自分でもよくわからないまま、ヨハネスは静かに口を開いた
「伯父上の話を思い返し、不思議に思ったことがある。私は祖父の人となりをよく知らない。しかし私の父と、お前の母のことはよく知っている。私の父には確かに想像力はなく、利己的ではあるが──反対に叔母上が、非常に聡明だったということを。……あの叔母上が、悪意に気付かぬはずがない」
ヴァイオレットの紫の目には、何の感情も宿っていない。
「そしてもしも悪意を持って伯父上の妻を害そうとしたならば。伯父上の妻が一言『茶を貰った」というだけで全てが露見するような、あのようなお粗末なことはしないだろう」
そう言いながらヨハネスは、叔母の顔を思い出す。
その容貌と聡明さは、ヴァイオレットによく似ている。しかしヴァイオレットの母とは思えないくらい優しかったあの人は、そんな嫌がらせは決してしないだろうが。
「祖父は人前では、伯父上を大切にしているように振る舞っていたという。ならば体面を保つため、懐妊した息子夫婦のために何かを取り寄せるという事を、しない方が不自然だ」
そうして取り寄せたその茶を、捨てることはせず気まぐれに託したのではないかと、そうヨハネスは予想している。
「すべては、偶然だった。自身が殺した妹はただ純粋に懐妊の祝いに来ただけで、何の罪もなかった。──ヴァイオレット、お前はそう告げたのか」
そう問うヨハネスの胸中には、伯父に対しての複雑な思いが渦巻いていた。
味わってきた苦痛は想像もできないが、それでも領民のためにと助けを求めた少女を利用し苦しめたことを、ヨハネスは生涯許すことはできないだろう。
しかしその人生に、救いがあってほしいと願ったことは事実。
関係の薄いヨハネスよりも、そう願う気持ちはヴァイオレットの方が強かったのではないだろうか。
「受けた仕打ちは、どんなことがあっても必ず返す。──お前の根幹を成すその信念を、私は否定はしない。──いや、少し語弊があるな。やりすぎている時には大いに止めるし否定する。そこは私は父上よりは甘くないぞ。だが」
心のどこかで妙な胸騒ぎがして、ヨハネスはヴァイオレットを見据えた。
「どうか頼むから、今後無茶はしてくれるな。私が助けになれることは、必ず手を貸すから。お前が私を助けてくれたように」
「……無茶なことはしないわ」
ヴァイオレットが小さく、呆れたように息を吐いた。
「『感情に任せて動けば、本質を見失う』──それが伯父様からの最後の教えですもの。自ら危険に飛び込むようなことは、しないと誓うわ」
「……そうか」
ヨハネスはヴァイオレットが平気で嘘を
「よかった」
しかしその言葉は確かに真実のように見えて、ヨハネスはそっと安堵のため息を吐いた。
◇
(──本当にあの男は、あれで国王が務まるのかしら)
ヨハネスを乗せた馬車が去っていくのを窓から見届け、ヴァイオレットは息を吐いた。
前から思っていたのだが、あの男は王族としてあるまじきことに人間の本性が善性だと誤解している節がある。あれに道徳教育を施した者は、すぐに処するべきだ。
とはいえヨハネスには、あのように扱いやすい男であってほしいのだが。
(国王としての権力に、愚かとまではいえない頭脳。利用価値も、囮としての優秀さもなかなか類を見ないわね。私や伯父様と血が繋がっているとは思えないわ)
ヨハネスが聞いたら毛を逆立てて怒りそうなことを思いながら、ヴァイオレットは窓から離れ、自身が気に入っている豪奢な椅子に腰掛けた。
(お母様の聡明さに気付いただけでも上出来かしら。しかしどうしてそれで、『偶然』という言葉ですませてしまうのか不思議だけれど)
ヨハネスの言う通り、ヴァイオレットは確かに伯父に真実を明かしている。
しかしながらその真実が、ヨハネスの言うような偶然であるわけがない。
そしてその『偶然』を引き起こした黒幕を掴む情報は、圧倒的に足りていない。
そんなことを思いながら、微かに笑ったヴァイオレットは冷めた紅茶に映る自分の顔を見下ろした。
「──まったく、嘘を吐くまでもなかったわね」
ヨハネスに言った通り、自ら危険に飛び込むようなことは、もう決してしない。
前回はヴァイオレットを知り尽くす、師である伯父に不覚をとった。
しかしヴァイオレットはもう二度と、誰かの術中に陥ることなどないと決めている。
「──友人、ね」