国王陛下と悪女のお茶会

あれはヨハネスが、十歳の時のことだった。


「ヨハネス。おまえはすこし、あますぎるのではなくて?」

王宮の、自室にて。

四歳のヴァイオレットが、完璧な仕草で紅茶を飲みながら、じろりとヨハネスに目を向ける。

公務に赴いた母を待つこの幼い従妹いとこは、どうやらヨハネスにご立腹らしい。

「何が?」

「あのじじょのことよ」

首を傾げて尋ねると、ヴァイオレットはちらりとヨハネスの左手に目を向ける。

「いずれくんしゅとなるにんげんに、ちゃをかけるなどゆるされることではないわ」

どうやら憤慨のきっかけは、新人侍女の粗相のようだ。

粗相をして茶をこぼし、ヨハネスの手を濡らした彼女に「火傷はしていないためもういい」とさして咎めず、他の慌てる侍女達と共に下がらせたことが気に食わなかったようだ。

「それを言うなら、ヴァイオレット。前から思ってはいたけれど、君主になるべき人間をお前と呼ぶのも許されないことなんだよ」

ヨハネスがやや呆れてそう言うと、ヴァイオレットは幼児にあるまじき嘲笑あざわらうような笑みを浮かべて、「そんなの、いまさらではないの」と言った。

「いままでゆるしていたことを、『やっぱりだめ』とひるがえすのはよくないのよ。さいしょがかんじんということばを、おまえはしらないの?」

あまりにも偉そうな四歳児に閉口する。

この口から先に生まれたような従妹に、ヨハネスは勝てたためしがない。

じんじんと痛む左手も相まってつい顔を顰めると、ヴァイオレットは目を吊り上げた。

「いまからでもよびだして、あのじじょにそうおうのばつをあたえなさい」

「いいんだ。大したことじゃないから」

最初に許したことを『やっぱりだめ』と翻すのは良くないんじゃなかったのか、という言葉は呑み込みつつ、ヨハネスは首を振った。

確かに多少の痛みはあるが、数日で治るような軽い火傷だ。

しかしその程度であっても王族に火傷を負わせたあの侍女は、きつい罰を受けるだろう。

ヨハネスの言葉に、ヴァイオレットがますます不満そうな顔で「しなくてもよいやせがまんをするなんて、おうぞくのかざかみにもおけないやつね」と憤慨している。

自分にされたわけでもないのに何を怒っているのだと、ヨハネスが言い返そうとした、その時。

「二人とも。部屋でお茶を飲んでいたのね」

柔らかなアルトの声が響いた。

振り向くとそこには、公務から戻ったらしい叔母が微笑んでいた。

ヴァイオレットの母は、ヨハネスが今まで見た人間の中で一番きれいで優しい女性ひとだ。

そんな叔母がヨハネスに目礼したあと、ヴァイオレットに目を向ける。

「ヴァイオレット。いくら殿下がお優しくとも、そのような言葉遣いをして甘えるのはよくないわ」

「あまえてないわ! これはきょういくよ!」

憤慨するヴァイオレットに、叔母は「まあ」と口元に手を当てる。

「ヴァイオレット。甘えのない素敵な淑女というものはね、もしも殿下に何かを教えて差し上げたい時は、『教育』ではなく『進言』と言い換えるものよ」

そう言いながら、叔母の赤に近い紫の瞳が、ヨハネスを捉える。そうして視線がヨハネスの手に向かい──納得したように頷いた。

「まあ、殿下。手が赤くなっていますわ。……もしや、侍女の粗相をお許しに?」

「あ、ああ……」

「急いで冷やさなければ。ヴァイオレット、殿下を冷やして差し上げて」

叔母がそう言うと、ヴァイオレットはむっとした顔のまま、口の中で小さく呪文を唱える。

するとじんじんと痛むヨハネスの手が、ぱあっと氷のように冷たい光で包まれる。

冷やすと随分楽になる痛みに驚いていると、叔母が「よかったですね」と優しく微笑んだ。

「ヴァイオレットは、殿下に手当てをしてほしかったのね」

「そうなの?」

ヨハネスがぎょっとしてヴァイオレットに目を向けると、彼女は思い切り顔を顰めて「そんなわけがないでしょう」と顔を背けた。

「わたしは、しようにんにまともなばつもあたえられないヨハネスが、なさけないとおもっただけで……」

「そうね。正当な罰を与えるべきというあなたの意見は、間違っていないわ」

ヴァイオレットの言葉に、叔母が頷く。

その様子を見たヨハネスは、胸を押さえて俯いた。

「けれどね、ヴァイオレット。殿下の行動も、何一つ間違ってはいないのよ」

「え?」

ヴァイオレットとヨハネスは、同時に叔母の顔を見る。対極にあるお互いの意見が、どちらも間違っていないとはどういうことだろう。

そんな疑問を浮かべるヨハネスたちに、叔母は柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。

「もう少し正確に言うと、自身の思う正解へと誘導するのが王侯貴族というものです。たとえば殿下の侍女を庇った行動は、主人を侮る使用人をつくることにも、主人に忠誠を誓う人間をつくることにもなり得ますわ」

「正解へと誘導する……?」

なんだか難しそうだ。自分にできるだろうかと、つい不安になる。

そんなヨハネスに、叔母が「大丈夫ですわ」と優しく微笑んだ。

「まずは自分の思う正解──こうありたいという理想を、胸の中でつくることです。そのためには二人一緒に色々な経験をすることが必要ですわ」

そう言った叔母が「この、少しわがままなヴァイオレットと一緒に、というのは大変かもしれませんが。どうぞこの子をよろしくお願いしますね」と苦笑した。

その言葉を聞いてヴァイオレットが「めんどうをみるのはヴァイオレットのほうよ」と抗議する。

ヴァイオレットの言葉に、叔母は「殿下にそんなことを言ってはいけませんよ」とたしなめながらも、ふふ、と笑う。

「ヴァイオレットも、殿下に何かがあった時は助けて差し上げてね」


そんなことを言っていた叔母は、間もなく病に倒れて一年後に果無くなった。

今思い返せばヴァイオレットの無法ぶりはそれ以来、質が変わったように思う。

叔母の言葉を借りて言えば、おそらくその時ヴァイオレットの胸の中で『正解』が、きっと確立したのだろう。



──そんなことを思いながら、ヨハネスはクロードとソフィアが去った後の部屋の中を見渡した。

ヴァイオレットの部屋に入るのは、数年ぶりだ。

最後に訪れたのは、ヴァイオレットの見舞いに行った時だった。これなら風邪も治るだろう、そう思って真剣に選んだ蜂蜜を、罵倒されて投げつけられた。

あの時何もわかろうとせず、生まれて初めてヴァイオレットを怒鳴りつけた時のことを、ヨハネスはおそらくずっと悔やんでいくだろう。

とはいえ。それとこれとは、話が別である。

「それで」

ヨハネスの対面に座り、優雅に紅茶を飲んでいるヴァイオレットにじろりと目を向けた。

「私からの呼び出しを再三断っていたのは、一体どういうわけなのだ、ヴァイオレット」

普通ならば青ざめて平伏する場面だと思うのだが、ヴァイオレットは涼しい顔をしている。

「だって、私の方には何の用もないのだもの。それなのにお前と会うなんて、なんだか気が向かないわ」

つくろいもしない理由にイラッとし、ついじっとりとした視線を向ける。

「国王からの呼び出しは『気が向いたら行く』というものではないと思わないか? 言っておくがな。私は多忙なのだぞ。どこかの従妹が願った報奨の後始末でな」

報奨というのは、幽閉の塔に投獄されている伯父との面会権だ。

本来王族の殺害を企んだ者は、神父以外との面会が禁じられている。固く禁じられているそのルールを、『大公を捕まえ王太子の命を救った報奨』として特別に許可したのだった。

その後処理の大変さは、思い出したくもない出来事である。

あらゆる大貴族や権力者──例えばエルフォード公爵家と共にこの国の双璧を成すディンズケール公爵家や、ディンズケール公爵家と縁が深い大聖堂。

その他いくつかの有力貴族に苦言を呈され、王位を継いだばかりのヨハネスは、その対応に非常に苦慮することとなった。正直今も、胃が痛い。

思わず遠い目をしたヨハネスの様子をさして気にする様子もなく、ヴァイオレットが「まあ」と言った。

「私のせいばかりではないでしょう? 様々な国策を、張り切ってやっているそうではないの」

「……その通りだ」

王宮に顔を出さずとも、ヴァイオレットはきちんと情報は仕入れているらしい。

さすがだなと内心で舌を巻きつつ、ヨハネスは頷いた。

「地方と王都の格差是正も急務だが、同時に貧民街の問題に一気に手を付けようと思ってな」

人も物資も金も集まる王都だが、その恩恵を受け入れられない者が集まる場所が貧民街だ。

貧困と、犯罪の地。それに加えていつも流行病が始まるのは貧民街であることから、その場所は侮蔑と差別の対象になっていた。

「貧民街の解決は、なかなか難しい。あそこに金をかけても無駄だと難色を示す者も多いからな」

とはいえ王位を継いだ時から、父である先代国王の『豊かな貴族に集中して富を分配する』ということは決してやらないと決めていた。

王侯貴族からの反発は覚悟の上で、鉄は熱いうちに打てと一気に物事を進めている。

とはいえすでに反感を買っている身だ。この上更に、必要以上の反感を買うのは避けたい。

そういうわけで日々様々な貴族の力関係や要望や狙いを窺いつつ、現状で出来る最善の政策を立てて実行していた。

「まったく。この問題を解決できる者がいるのなら、私はどんな報奨でも授けるのだが」

ついそんな冗談が出てしまう。しかしこんなことを言っても意味がないと自分に苦笑しながら、ヨハネスは気を取り直して口を開いた。

「しかしそれにあたって、オルコット伯爵令嬢。彼女の作ったカプセルは、非常に役立っている。慈善活動を行っている者の話では、栄養状態が向上していると。私が礼を言っていたと伝えておいてくれ」

今言えば良かったな、と思いつつヨハネスがそう言うと、ヴァイオレットが怪訝そうに眉を顰めた。

「どうして私が?」

「お前とオルコット伯爵令嬢は、友人なのだろう?」

「馬鹿なの?」

ヨハネスの言葉に、ヴァイオレットが愚か者を見るような目を向けた。

その暴言に「不敬だぞ」とぼそりと呟きつつ、ヨハネスは小さくため息をく。