エレノアお嬢様がやってきた!
私の名はガブリエル・ライト。
代々、バッシュ公爵家が領主を務めているこのバッシュ公爵領において、集積市場の副統括を拝命している商人の一人だ。
祖父の代から続く商家であったライト家は、父が大幅に販路を拡大させ、私の代で他国への輸出ルートを確保した事により、『バッシュ公爵領にライト商会あり』とまで言われるほどの大商家へと成長した。
いずれは爵位を賜るだろうと周囲は囁いているが、私自身はあまりそういった事に興味はない。
使える権力が多いに越した事はないが、貴族のしがらみに足を取られ、身動きが不自由になるのは避けたい。私の生きがいと趣味は、あくまで商人として辣腕を振るう事なのだから。
幸いにして、一人息子もそれなりに出来がよく、今現在は王立学院に通い、様々な事を学んでいる。貴族との交友関係は私よりも余程多いので、爵位は息子あたりに任せるつもりだ。きっと私よりも上手く、その繋がりを有効活用してくれるに違いない。
そんな中。私よりも先に爵位を賜わったのは、世話役の商人達の中で一番歴史も経験も浅い、エルモア・ゾラであった。
だが、彼の功績と先見の明を考えれば、統括の地位も爵位も、十分に妥当と言えるものである。
このバッシュ公爵領は肥沃な大地を有している。
それを代々、有能で懐の深い当主様が庇護し、どこよりも住みやすく安心安全な領地として、領民達共々守っているのだ。
お陰でこのバッシュ公爵領は、国で一番平和で呑気な領土と言われている。
出生率も良く、領民達の気質も穏やかで、希少な女性達も他領と違って、安心して外出する事が出来る。……なので当然、移住希望者も多い。
だが、この領はあくまで穀物一大生産地。どこまでも続く広大な畑と家畜溢れる……つまりは田舎だ。治安は果てしなく良いが、刺激も少ない。
なので折角移住しても、あまりののどかさに飽きてしまって出ていく者達も多い。
それに引き換え、隣のクロス伯爵領は逆にダンジョンの一大地域。一攫千金を夢見る者達の憧れの地だ。だから必然的にそちらに流れていく者達も多い。
結果的に、この領土が性に合ったのんびり者が定住するので、土地柄が保たれるという訳だ。
しかし、これだけのどかな土地柄だと当然というか、それを食い物にして私腹を肥やそうとする者達が定期的に現れる……のだが、考えが甘い! 全くもって、激甘だと言わざるを得ない!!
平和と食べ物がタダで手に入るわけがないだろうが!!
このバッシュ公爵領は、表ののどかさと反比例し、絶対的な実力主義だ。
そこには貴族だ平民だなどの括りも壁も存在しない。あるのはこのバッシュ公爵領を、身を挺して守ろうとする郷土愛。そして、この領にどれほどの利益をもたらす事が出来るか……という、飽くなき努力と実績のみである。
防衛力だとて、隣のクロス伯爵領や王都と比べても、なんら遜色ない戦力を有していると胸を張って言える。
最近、騎士団の秩序がやや乱れているとの情報が入ってきたが、そこはあの公爵様の懐刀であるイーサン様が迅速に手を打たれる事だろう。
とにかくだ。
このバッシュ公爵領においては、己だけが私腹を肥やそうとする者などは、論外中の論外。
この領土をいかに己の手でよりよいものにし、ついでに己も潤えるか……。そう、自分の利益などついでに過ぎない。それこそがこのバッシュ公爵領を預かる者達の共通認識である。
だからこそ、エルモア・ゾラがバッシュ公爵家当主であるアイザック様のお目に留まり、大抜擢されても誰も文句を言わないのである。彼は十分、それに値する働きをしたのだから。
……そう。細君がキナ臭かろうが、娘がちょっと怪しい動きをしていようが、彼が手綱さえ締めていれば問題はないのである。
さてさて。最近になって東大陸で内乱に遭い、難民となった獣人達が大量に移住してくる事になったのだが、彼等の殆どが草食系だったせいか、全員あっという間にこのバッシュ公爵領に馴染んだ。多分、こののどかな土地柄と彼らの感性が性に合っていたのだろう。
こちらも土地だけは大量に余っているし、どこの領土でも問題視されている、女性が少ないがゆえの人口不足で猫の手も借りたいぐらいなのだ。
なので、彼等の移住は諸手を上げて歓迎した。……いや、実際猫獣人もいたので、まさに言葉通り猫の手を……いやいや、そんな事はどうでもよろしい。
しかも彼らは全員……こう、なんというか……。可愛いのだ!
女性は勿論の事、なぜか男だろうが子供だろうが老人だろうが、とにかく可愛い。草食系だからなのだろうか? とにかく可愛い! 大事な事なのでもう一度言うが、本当に可愛い!!
モフモフした耳とか、尻尾とかがパタパタしていると、もうなんというか、とてつもなく可愛い! それは他の領民達も同様であったようで、皆彼等と接するたび、大なり小なり身悶えている。私とて、思わず触りたくなって伸ばした手を幾度己自身で叩き落とした事か!
しかも女性が沢山!! これも大事な事なので繰り返し言うが、希少な女性が沢山いるのだ!! それもウサミミ、ネコミミ、リスミミと、多種多様、バラエティーに富んでいる。
しかも、しかもだ! 我が国の気の強い女性達とは対照的に、一歩下がった控えめで可憐な女性のなんと多い事か! ……ここは元々楽園だったが、更に輪をかけて楽園となった。
やはりこれは、バッシュ公爵家が代々行ってきた善行が、今の幸運を引き寄せたに違いない。いや本当に、この領地に生まれて良かった。これからも頑張ろう!
まあそんな訳で。
私もそうだが、この領地の男共の浮かれっぷりは半端ない。あちらこちらで彼らを巡って、静かなる争奪戦が繰り広げられているようだ。
かくいう私も、いずれはウサミミの孫をこの手に抱きたいと……いやいや、落ち着け。
……いかんな。彼らが我々に怯えて他領に移住しないように、領民達には彼等への節度ある対応を周知徹底させなくては。
◇◇◇◇◇
そんな時だった。バッシュ公爵領を震撼させる、衝撃的な出来事が起こった。
なんと、アイザック様のご息女であらせられるエレノアお嬢様が、お忍びでこのバッシュ公爵領にいらっしゃったというのだ。
……尤も、
ともかくだ。
バッシュ公爵領の主都に居を構え、主要産業の要たる集積市場を取り仕切る我々が、他の者に後れを取るわけにはいかない。
そう思い、統括であるエルモアに連絡を取ったのだが、何故か音沙汰がなかった。なのでやむを得ず、副統括である私が動き、イーサン様にお嬢様の集積市場へのご視察を願い出たのだった。
──エレノアお嬢様の情報はアイザック様の手により、非常に入手し辛いものとなっている。
だが、息子から送られてくる学院におけるエレノアお嬢様の評価。そして今回、裏で密やかに進められていた獣人王国との攻防に、お嬢様が深く関与なさっていた事を踏まえるに、素晴らしいお人柄である事が伺い知れた。
このバッシュ公爵領を、いずれお父上やお母上に代わって治めていくであろう主家の姫。
是非とも直に、その人となりに触れてみたい。そしてこの領地の事をもっと深く知っていただきたい。
イーサン様から、市場の視察を承諾する連絡が入った時点で魔導通信を使い、王都の息子へとその旨を伝えた。……すると。
『エ、エレノアお嬢様がバッシュ公爵領にーー!!? &%%*$$##!!!』
最後にわけの分からない奇声を発し、魔導通信は切られた。
……おい、まさかと思うが息子よ。お前、こっちに戻ってくるつもりじゃないだろうな?
というか、まだ長期連休前だぞ? ……もし戻ってきたとしたら、フルボッコにしてやるから覚悟しておけ!
ともかく明日、エレノアお嬢様を万全の態勢でお迎えすべく、他の世話役らや警備担当者、市場で店を構える者達や配送人達に素早く指示を出す。
万が一にでも、お嬢様に御不快な思いをさせてはならないからな。……うん、させようものなら、間違いなくイーサン様によってこの首が飛ぶ。あの方のバッシュ公爵家至上主義は、この領内では有名だからな。
◇◇◇◇◇
雲一つない、スッキリ晴れた晴天の下。
集積市場では我々世話役を中心に、非常に大勢の者達が、エレノアお嬢様のお越しを今か今かと待っていた。
ここに集まっている者達は、他領の商人達や一般客が多少混じっているものの、その殆どがバッシュ公爵領の領民達だ。
建物の内外にも厳重な入場規制を施し、いつもなら目こぼしする小悪党やスパイの類も、良い機会とばかりに一掃した。周囲には目立たぬよう、一般人に扮した護衛達も配置している。
……尤も、今回エレノアお嬢様に同行するご婚約者様は、我が国の英雄であるグラント・オルセン将軍の御子息、クライヴ・オルセン様だし、バッシュ公爵家騎士団が身辺警護にあたるはずだから、まず間違いなく御身に危害が及ぶ事はないだろうが……。
エレノアお嬢様は今迄、この領地には数える程度しかお越しになられた事はなく、またその情報は、お父上であるバッシュ公爵家当主アイザック様により、極限まで秘匿されてきた。
……いや。ご婚約者様方の御父上方から……というか、クロス伯爵様の妨害も含まれていたようだが……。
とにもかくにも、この領地を統べる主家の姫様がいらっしゃるのだ。私もそうだが、皆胸の高鳴りが抑えきれないのだろう。
ん? あの帽子とコートを纏い、コソコソしているのは、我が愚息ではないのか!?
……やはり駆け付けてきたか。あの馬鹿、後で仕置き決定だ!
おおっ! 遠くに小さく馬車の姿が! ……ってあの馬、異常に大きくないか? ああ、成程。あれが噂の
あんな遠くにいてもあの迫力。流石は王家御用達の幻獣。それをバッシュ公爵家にも下賜されたのだから、領民として実に誇らしい。
そんな事を考えている内に、スレイプニルが引く豪華な馬車が、我々の前にゆっくりと停車する。
すると、その周囲を囲むように護衛していた騎士達が、そのまま乗っていた馬から跳躍して地面に降り立ち、周囲を一瞥する。……うむ! 流石はバッシュ公爵家が誇る騎士団員。見事だ!
……ん? ちょっと待て。あの中に、見慣れない制服の騎士達がいるのだが……。ひょっとして、王都バッシュ公爵邸を守る騎士達であろうか?
などと、騎士達の動きに目を奪われている間に、いつの間にか御者が用意していたタラップを踏み、一人の青年が馬車から出てくるのが見えた。
その姿に、思わずその場の一同が揃って息を呑む。
陽光を受け、燃えるように輝く銀糸の髪。晴れ渡る青空よりも青く美しいアイスブルーの瞳。
その面差しは精悍かつ優美で、騎士に負け劣らぬ鍛え上げられた体躯と相まって、この上もなく美しい。
そ、そうか。この方が世に名高き英雄のご子息様。噂には聞いていたが、これほどとは……!
そして次に、美の化身とも言うべき青年が大切そうに手を取り、エスコートする少女の姿を見た瞬間、その場に静寂が満ちた。
陽光を受けて輝く、波打つヘーゼルブロンド。薔薇色の頬と愛らしい桃色の唇。そして何より印象的なのは、インペリアルトパーズのようにキラキラと輝く、黄褐色の大きな瞳だった。
簡素だが、一目で質の良い特上の絹を使っているのが分かる、純白のドレスを身にまとったそのお姿は、ご婚約者様と並んでもけっして引けを取らない……いや、寧ろそのご婚約者様をも引き立て役にするほどに愛らしかった。
このお方が、エレノア・バッシュ公爵令嬢。バッシュ公爵領を統治する、公爵家直系の姫君……。
「ようこそおいでくださいました、エレノアお嬢様。バッシュ公爵領直轄集積市場の副統括を拝命しております、ガブリエル・ライトと申します。後ろに控えている者達は、共にこの市場を管理している世話役の者達です」
……果たして私は、ちゃんと噛まずに口上を言い終えられたのだろうか……?
「初めまして、ライト様。エレノア・バッシュです。この度はお忙しい中、私共の為に貴重なお時間を割いていただき、心から感謝いたします」
緊張と、お嬢様と直に会話が出来る喜びと恐れ多さに内心大焦りしている私に対し、エレノアお嬢様は花が綻ぶような笑顔を浮かべながら、鈴の音が鳴るかのごとき愛らしいお声で、挨拶と労いのお言葉をかけてくださった。
しかもなんと! 我々に対して、簡易的な淑女の挨拶をしてくださったのだ!
……なんという……。この方は愛らしいだけではなく、平民である我々に対しても、お父上同様礼を欠かさぬお方なのだ。
目の端に、愚息が胸を押さえて崩れ落ちている様子が映ったが、今の私に責める気持ちは欠片も湧かない。というより、自分も副統括という立場でなければ、愚息同様
その後、遅れて姿を現したエルモアの娘を見た瞬間、私は別の意味で倒れそうになった。
……なんなのだ、あれは!?
何故よりによって、ドレスの色がエレノアお嬢様と丸かぶりしているのだ!? 有り得ないだろう!? しかも到着の遅れを真っ先にお詫びすべきお嬢様を放置し、領民達との会話に興じるなど……。エルモア! お前、娘に一体どういう教育をしてきたのだ!?
ご婚約者様をはじめ、周囲の護衛騎士達の冷たい視線と怒気に恐れ戦きながら、エレノアお嬢様にお詫び申しあげる。
するとお嬢様は、「間違いは誰にでもある。それよりもバッシュ公爵家の為に一生懸命働いてくれている事にお礼を言いたい」というような趣旨の御言葉を仰ったのだ。
──天使だ……! 女神様の御使いが、今ここに降臨された……!
私は……いや、私を含めた世話役の全員が、エレノアお嬢様の尊さに胸を打たれ、揃ってその場に片膝を突くと頭を垂れた。
本音を言えば、我が身にかけられた至上のお言葉を胸に、そのまま地面にひれ伏し身悶えたかったところだが……。流石にそんな無様を、お嬢様の御前で晒す事は出来ない。
まあ、私の気持ちを代弁するように、愚息が地面にひれ伏し身悶えているから良しとしよう。
その時だった。
フローレンス嬢が慌ててこちらに駆け寄るなり、何故か私達の前に立つと、「エレノアお嬢様!! 申し訳ありません!」と、見当外れな事を捲し立てだした。
彼女の話を要約すると、自分の父親が不在なのはバッシュ公爵家が仕事を振った所為なのだから、怒りを解けと……。しかも我々が叱られていると思い込み、庇おうとしているようだ。
……本当に、なんという……!
以前から目に余る行動が目立つ娘であったが、まさかここまでとは……。
エレノアお嬢様の困惑した様子に怒り心頭になった私は、フローレンス嬢に対して厳しい言葉を浴びせる。
確かこの娘は母親と共に、バッシュ公爵家本邸の管理者をしているはず。
なのにあのイーサン様が、このような愚かな者を野放しにするなど……。一体なにを考えて……。
──……ひょっとしたら、エルモアがこの場に駆け付けられなかった本当の理由は……。
私は密かに浮かんだ考えを胸に、エレノアお嬢様とご婚約者様方を市場の中へと誘導した。
「うわぁ~! 凄い!」
市場の中に入ったお嬢様は顔を紅潮させ、見る物全てに興味津々といった眼差しを向けている。ああ……なんとお可愛らしいのだろうか。
店の者や周囲にいる者達も皆、相好を崩してお嬢様に見惚れている。
更に可笑し……いや、微笑ましかったのは、店に立ち寄って商品を勧められていた時だ。
お嬢様が差し出されたそれらを手に取り、口に持っていく素振りを見せるたび、ピッタリと横に付いてきていた召使が、お嬢様のお手をぺちりと叩いて止めさせ、お嬢様がションボリと名残惜し気に商品を返し、また次の店に行く。その繰り返しである。
いや、確かにトマトやリンゴや大ぶりな苺なんかを口にして、万が一纏う純白に汁が飛び散ったりしたらと思えば、止める気持ちは分からんでもない。だが、一介の使用人があんな態度を高位貴族の娘に対して行うなんて、普通は有り得ない。
下手をすると投獄もあり得る。なのにお嬢様とその召使は、まるで息の合った芸人のように、我々の前で有り得ない攻防を繰り返しているのだ。……ひょっとして我々は全員、白昼夢を見せられているのだろうか?
だがご婚約者様の表情は凪いでいる。……成程。信じられない事だが、つまりエレノアお嬢様のこのお姿は通常仕様という事なのだろう。
「エレノアお嬢様、朝採れのマンゴーですよ?」
そう言って、店主が手早く商品のマンゴーを一口大に切り分ける。
するとお嬢様の顔がみるみるうちに紅潮し、瞳の輝きも増していく。……お嬢様。マンゴーお好きなのですね?
あっ! 例によって召使が動いた!
だがしかし……。
「シャノン……」
お嬢様が目をウルウルしながら召使を見上げる。……くっ! な、なんというあざとさ! 鉄壁の防御を誇る召使も、頬を染めて口を引き結んでいる。……あっ! 一番大きく切られたマンゴーを口に放り込んだ。毒見か!?
「……お一つだけですよ?」
「わーい!」
召使が楊枝で刺した一番小さい欠片(酷い!)を、万が一にも汁が漏れぬよう、片手でガードしながら差し出した途端、エレノアお嬢様がパッと破顔し、パカッと口を大きく開けた。
それに対し、召使が慌てた様子で、「お嬢様! お口は小鳥のように小さく! 囀るようにささやかに!」なんて言うものだから、お嬢様が「えっ!? こう? こんな感じ!?」とばかりに、一生懸命お口をパクパクさせている。その姿はまるで、親鳥に餌を強請る雛のごとくである。
そんなお嬢様のお姿に、「はい、アーン」とマンゴーを食べさせている召使の顔も首も耳も手も……ようは全身が真っ赤になってしまっていた。
……も、もう……止めてくれ! 女神様、これ以上は私の心臓が保ちません! どうかお助けを……!!
胸を押さえ、何とか踏んばり立っている私の周囲には、耐えきれず床に蹲ったり、倒れ果てて身悶える連中で溢れかえっている。まさに死屍累々といった様子だ。
ん……? マンゴーを差し出したあの店主も、「父ちゃん、しっかり!」と息子に介抱されているな。……うむ。君の気持ちは痛いほど分かる。だから頑張って立ち上がれ。そして生きろ!
見ればお嬢様の後方に控えていたクリス副団長は、手で顔を覆って震えている。そしてその隣のティルロード殿……だったか? 両手で腹を押さえ、爆笑を堪えている。
だが両者とも膝崩れもせず、しっかり立っている。……流石はバッシュ公爵領の騎士達。見事だ。
ご婚約者様は……。一連の出来事を能面のような表情で見つめておられる。あれは……ひょっとして、羨ましい……のだろうか? それとも嫉妬?
ご婚約者様。お相手が天使で女神の御使いで、最高に愛らしいと苦労されますな。同じ男として激しく同情いたします。
そんなこんなしているうちに、お嬢様がなに気なく仰った構想に、我々は全員息を飲んだ。
「折角こんなに豊富で新鮮な食材が沢山あるんだから、それを使った料理を提供したら、商人さん達や、観光客の人達への商品のアピールになるんじゃないかな」
更には、新たなる観光客の確保、本来廃棄されるはずだった商品を金に変える方法。それによる新たる事業への可能性……など、次々と斬新な発想を語られるお嬢様のお言葉に、我々は言葉もなく聞き入る。
気が付けば市場中の店主達までもが、興味津々といった様子でお嬢様と我々の会話に聞き入っている。しかも、「うちの商品ではなにを作れば!?」「お嬢様、うちは!?」と、不躾にも意見を求める声まで続出する始末。
だがお嬢様はそれに対し、気を悪くするどころか楽しそうに、次々と斬新なアイデアを披露していく。しかも……。
「シチューとか、果物を使ったジュースとかは牛乳を使うし、別の商品を扱っている店同士で連携するのもいいんじゃないでしょうか?」
そんな事をサラリと仰った。
確かにそれなら、互いにタダ同然だった廃棄用商品を提供し合って、利益を得る事が出来る。一石二鳥どころか、一石三鳥だ! 本当に素晴らしい!
そうして、市場に集った者達全てでエレノアお嬢様をお見送りした後、早速、様々な案を具体化すべく動き出す。
『そういえば……』
フローレンス嬢が我々やお嬢様を出迎えるでもなく、さっさと馬車に乗り込んでいたようだが、誰も気にもしていなかったな。というより、存在自体忘れていた。
……まあいい。彼女をどうにかするのは我々ではない。
もう既に自滅の道を歩んでいるようだし、放置で良いか。そんな事より、やるべき事は山のようにある。
我々がまだ若かった頃。さほど有名ではなかったこの集積市場を、仲間達と共に盛り立てていったあの時の情熱が蘇ってくる。心も体も若返っていくようだ。
見ていてくださいお嬢様。
お嬢様が我々に授けてくださった様々な構想を元に、一丸となって、バッシュ公爵領を更に発展させていきます。きっと将来、バッシュ公爵領は、他領の追従を許さないほどに栄える事でしょう。
……おっと、いかん。多分そこらに転がっているだろう愚息を回収し、今後の計画の手伝いをさせなくては。
学院をサボったツケは、長期連休返上で許してやろう。まあ多分、命令せずとも勝手に頑張るだろうがな。