いざ! 修行の場へ!
「エレノア……! ああ、僕の可愛いエレノア! 会いたかったよ!!」
今現在馬車の中にて。私はオリヴァー兄様の容赦のない愛の嵐に翻弄された大海中の木っ端のごとく、息も絶え絶えになっていた。
なんせ馬車が走り出した途端、オリヴァー兄様は私を膝抱っこし、おもいっきり濃厚なキスをぶちかました後、熱に浮かされたかのような麗しい美貌を甘く蕩かせながら、あらん限りの愛の言葉を囁き、顔中にキスの嵐を降り注いでくれているのである。
……お陰で私のライフは、ゼロどころかマイナスに振り切れております。
幸いなのは、ちょっとした酸欠で貧血状態になったお陰で、鼻腔内毛細血管が決壊しなかったという事であろうか。
それでもキスの合間に、必死にクライヴ兄様に助けを(目で)求めていたのだが、クライヴ兄様がなにかを言おうとするたび、オリヴァー兄様の身体から凄まじい圧が噴き上がって、クライヴ兄様の口を塞いでしまう。
……思うにこの圧も、私の鼻腔内毛細血管の決壊を抑えていたのかもしれない。
でもそんな事を繰り返しているうち、強制イチャイチャを見せ付けられ続けたクライヴ兄様が遂にブチ切れた。
「……おい、オリヴァー。てめぇ……いい加減にしろや……!」
ドスの効いた声と噴き上がった冷気に、オリヴァー兄様は渋々といった体で、ようやっと私を腕の中から解放した。
「……うん。まあ、ちょっとだけ落ち着いたから、愛する婚約者とのスキンシップはここまでにしておこうか」
そんな事を言いながら(あれだけやって、ちょっとだけ!?)、真っ赤になってヘロヘロ状態の私をクライヴ兄様の横に座らせると、オリヴァー兄様は優雅に足を組み、その上に軽く組んだ手を乗せ、極上とも言える微笑を浮かべた。
「それじゃあエレノア。君とクライヴが同衾する事になった経緯を説明してもらおうかな?」
先程までのオリヴァー兄様の猛攻(?)により、フワフワしていた脳内が、突然冷や水を浴びせられたかのように覚醒した。それと同時に、身体が小刻みに震え出す。
「あああ……あの……っ! えっと……」
「オリヴァー。なんでお前がそれ知っているのか……は、なんとなく分かるが、俺とエレノアはただ単に、添い寝していただけだからな!」
「うん。それは報告で知っているよ。それに、もし君がエレノアに手を出していたとしたら、あの場に着いた瞬間、獄炎をお見舞いしていたからね。……で? エレノア。なんで急にクライヴと添い寝しようなんて思ったの?」
ああっ! オリヴァー兄様のこめかみに青筋が!! 笑顔が完璧なだけに、恐ろしさが増し増しです!
私は観念し、昨夜クライヴ兄様に添い寝をお願いした経緯を説明した。
「……ふぅん……。成程ね。つまり、エレノアはその男爵令嬢に嫉妬した……という事なんだ」
『嫉妬』という言葉に、私の顔が真っ赤になった。
隣に座っているクライヴ兄様にチラリと視線をやれば、うっすらと頬が赤く染まっていて、表情も凄く嬉しそうだ。
「た、多分……そう……なんだと思います。で、でもそれだけじゃなくて! 私、兄様方やセドリックの婚約者として、少しは自分から積極的に頑張ってみようと……」
「うん、嬉しいよ。でもそれ、僕達がいない時に頑張る事じゃないからね?」
ビキリと、再び青筋を立てたオリヴァー兄様に、私は心の中で「ひぇぇぇ!」と悲鳴を上げた。
「……まあ。色々言いたい事もあるけど、今回はなにもなかった事だしね。エレノアの情緒も微妙に育ったのはとても良い事だ。……でもクライヴ。君には後で色々……そう、色々話したい事があるから、覚悟しておいてね?」
にこやかにそう言い放たれ、ゴクリ……と、クライヴ兄様の喉が鳴った。
縋るようにオリヴァー兄様を伺えば、「大丈夫。本当にただ話をするだけだから」と言われてしまう。
オリヴァー兄様、それ本当ですよね!? 信じていますよ!?
「そうそう、エレノア。今夜は僕が君と添い寝をしてあげるよ」
「はい!?」
「慣れない場所での一人寝は寂しいものだからね。遠慮せず、存分に甘えておくれ」
そう言って、色気たっぷりに微笑まれたオリヴァー兄様に、私はあうあうと言葉もなく、顔を赤くしたり青くしたりする。
「……お前、天井裏にあちこちの影がわんさと付いてくるぞ? しかも時たま暗器が降ってくる。それでもいいのか?」
クライヴ兄様!? え? 影が天井裏にわんさと……って、何ですかそれ!?
「う~ん……。それは鬱陶しいけど……。まあ、いざとなったら力づくで排除するから別にいいよ」
別にいいよじゃありませんー!! 兄様、力づくで排除って一体!?
「……オリヴァー。俺はお前を犯罪者にはしたくねぇ。たのむ、堪えてくれ!」
スン……と表情を消したクライヴ兄様が、オリヴァー兄様に肩ポンしたが、オリヴァー兄様は微笑んだまま黙っている。……オリヴァー兄様。何故微笑んだまま、なにも仰らないのでしょうかね!?
「うん。って事で、この話はこれで終わりにしようか」
「強制的に終わらせるな!!」
「さ、エレノア。またこっちに戻っておいで」
青筋立てたクライヴ兄様をガン無視し、オリヴァー兄様は自分の膝をポンポンと叩く。この流れで「いえ、今は結構です」なんて、誰が言えるだろう。
おずおずとオリヴァー兄様の膝に乗ると、オリヴァー兄様はすかさず、私の頭にキスを落した。
──に、兄様ー!! これ以上されたら、キャパオーバーで鼻腔内毛細血管が……! 真面目にヤバいです!!
「そ、そういえば兄様! 出かける前に、イーサンから渡されたあれ、なんなんですか!?」
途端、私の頭にキスの嵐を振らせていたオリヴァー兄様の動きがピタリと止まった。
「………名刺……かな?」
え? まさか本当に名刺だったとは!
「この世界の名刺って、凄く大きいんですねぇ……」
「……まあ。名刺にも色々あるからね」
素直に感心する私に、オリヴァー兄様が曖昧に笑って答える。
そんなオリヴァー兄様を、「んな訳あるか!」といった、猜疑心溢れるジト目でクライヴ兄様が睨み付けていた事に、再びキスの嵐に晒されていた私は気付かなかった。
◇◇◇◇◇
「エレノアお嬢様。ようこそおいでくださいました!!」
郊外を出てから一時間ほど馬車に揺られ、広々とした牧草地に到着した私達は、バッシュ公爵家から牧場を委託されたという牧場主さんに挨拶をされた。
その後方には他の従業員の方々に加え、獣人(主にウサギ獣人)の方々が、耳を思いっきりピルピルさせながらキラキラした眼差しで私達を見つめている。癒し……癒しだ! 万歳!!
──というか!! しっかり小さなケモミミ達もいますよ!?
しかもロイ君位の年齢から、上は小学校高学年ぐらいまでと幅広い。それに耳の形や色も様々だ! 可愛いー!! ああああっ! こ、これはテンション上がる……!!
「エレノア……?」
ヒヤリとした声に、条件反射とばかりに背筋がピンと真っすぐになった。
「興奮するのは後にして、今はちゃんとご挨拶しようね?」
微笑みの圧を受け、コクコクと頷くと、私は出迎えの方々に向かってニッコリと微笑んだ。
「皆様。バッシュ公爵家当主、アイザックの娘のエレノアです。この度はお忙しい中、婚約者達共々、職業体験をしたいとの私の我儘を快く受け入れてくださり、本当に有難う御座いました。皆様方はどうか、こちらを気にせずお仕事に励まれてください。私もこちらにご厄介になるからには、出来る限りのお手伝いをさせていただきたく存じます」
そう言ってドレスの端を摘まむと、膝を軽く折る略式の挨拶をおこなう。すると、牧場主さんや従業員の皆さん方が、一斉に目を潤ませた。
「おおお……! 噂通り、なんとお優しく、心の温かなお方なのか……!!」
「眩しい……! そして、尊過ぎる……!!」
「い……生きていて良かった……ッ!!」
皆さんの目から、ハラハラと涙が零れ落ちる。するとその後方にいた獣人の皆さんも、一斉に泣いたり鼻を啜ったりしていた。子供達はそんな大人達の姿を見てきょとんとしている。
「ふふっ。エレノアの人気は凄いね」
「お前、昨日なんてこれの比じゃなかったんだからな!? ……まあ、やらかしの方も凄かったが……」
やらかしってなんですか兄様!? あっ! ティルやクリス団長達も、うんうん頷いている! 酷っ!
と、とにかく皆さん落ち着いて!? そして噂通りって……まさか昨日の視察の話、もう広まっているんじゃないでしょうね!? だとしたら田舎ネットワーク、恐るべし!!
──さて。気を取り直して、早速牧場スタイルに変身しますか。
私はウィルの代わりに付いてきてくれたダニエルにお願いして、あらかじめ馬車に積み込んであった例のアレが入ったバックを持ってきてもらった。
私がなにに着替えようとしているのか知っているクライヴ兄様は、複雑そうな顔を、たった今、なにを着るのか察したオリヴァー兄様は苦笑している。
あ、ダニエルは十一歳の時に、初めて行ったダンジョンに同行してくれた召使の一人である(本当はウィルと同じ、クロス伯爵家の騎士だったそうなんだけど)。
「すみません、どこか着替える場所を貸していただけませんか?」
牧場主さんに声をかけると、「あの……。すみません。家がちょっと離れていて……」と恐縮されてしまったので、納屋の隅とか馬屋でも良いと言ったら、全力で拒否されてしまった。
「おおお、お嬢様を馬屋になんて……。とんでもございません!!」
そう、土下座せんばかりに言われてしまえば強行する訳にもいかない。馬屋、そんなに駄目だろうか? (「駄目に決まってんだろうが!」とクライヴ兄様に拳骨を食らいました)。
というわけで、妥協案として従業員達の休憩所に案内されました。
休憩所はというと、世界名作劇場の超有名山少女がお祖父さんと暮らしていた、山小屋みたいなログハウスだった。ちなみにここって、牛や馬の出産に立ち会う従業員の為の宿泊施設も兼ねているんだそうだ。
う~ん……。ここでチーズを焼いて、黒パンに挟んで食べたら、さぞ美味かろう。
というわけで、着替えようとバックを持って小屋に入ろうとしたら、「あの……お手伝いの方は?」と、牧場主さんに尋ねられ、「あ、一人で着替えます」と答えたら、急遽獣人の女性陣が数名、着替えのお手伝いに名乗りを上げてくれた。
お仕事あるから申し訳ないってお断りしようとしたんだけど、「お嬢様のお世話の方が大切です!」と鼻息荒く言い切られ、結局お願いする事にしました。牧場主さんもホッとした顔をしていたしね。
本当なら、ミアさんが私のお世話の為にウィルと一緒に付いてきてくれるはずだったんだけど、彼女は今現在、聖女であるアリアさんの介抱の為、本邸に残っているのだ。ちなみにウィルは、セドリックとリアムの看病をしている。
馬車の中でオリヴァー兄様に聞いたのだが、どうやらディーさんがリアムとアリアさんをほぼ拉致同然に馬車に乗せ、身一つでバッシュ公爵領まで来てしまったらしい。
なので本来、アリアさんのお世話をする予定だった獣人メイドさん達は、護衛の方々と共に後からやってくる予定なんだって。
で、その間。アリアさんを男性がお世話する訳にもいかないという事で、急遽ミアさんがアリアさんのお世話係になっているという次第です。
ディーさん……。貴方一体、なにやってんですか!? そりゃあ、ヒューさんがあんだけ激怒するはずですよ!!
「……あの、エレノアお嬢様」
「あ、はい?」
つなぎの作業着……。いわゆるオーバーオールに着替えた後(獣人の皆さんは、「え? この服!?」って感じにビックリしていたけど)、真っ白い髪をしたウサミミのご婦人が声をかけてきた。
……ん? よく見たら、瞳の色が紅い。それに容姿も……ひょっとして……。
「あの、もしかしてミアさんのお母様……ですか?」
私の問い掛けに、ご婦人の顔がパァッと輝いた。
「は、はいっ! エレノアお嬢様、お初にお目にかかります。ミアの母のリズで御座います」
そう言うと、ミアさんのお母さん……リズさんは、私に対して深々とお辞儀をしてくれた。
「エレノアお嬢様。ミアの命を救ってくださったばかりでなく、私共草食系獣人を救ってくださり、本当に有難う御座います! しかも、ミアをお傍に置いていただけるなんて……。昨日、久し振りに会った娘は、とても元気で生き生きとしていて……本当に幸せそうでした。なんと感謝したら良いのか……」
そう言って涙ぐむリズさんと、リズさんに同意するように頷く獣人の方々。私は慌てて首を横に振る。
「そんな! 私がしたことなんて、ただのきっかけに過ぎません。それに私の方こそ、ミアさんに傍にいてもらって、凄く嬉しいし助かっているんですよ!?」
日々ケモミミに癒されていますし! ……とは、心の中に呟くに留めておく。
「……あの……。それで、皆さんはその……。ここに来てお仕事大変だとか、少しでも辛い事とかないですか?」
昨日の獣人さん達に言ったのと同じ質問をしてみると、リズさんやその場にいた人達は皆、朗らかな笑顔を浮かべた。
「ええ。辛い事など欠片もございません!」
「私達、バッシュ公爵領に来られて、本当に幸せです!」
「一緒に働いている方々も、全員とても親切でお優しい方々ばかりです! 私達、少しでもこの国の方々と、なによりもエレノアお嬢様にご恩返しが出来るよう、精一杯頑張りたいと思っております!」
心からそう思ってくれているのが分かるほど、その表情はとても晴れやかに輝いていた。……ついでに耳も、めっちゃピルピルしていました。ああ……癒される。
「有難う御座います! これからも一緒に頑張っていきましょう!」
胸に湧き上がってくる温かい気持ちのまま、私も彼等に向かって、とびきりの笑顔を浮かべた。
「お待たせしましたー!!」
元気いっぱい走ってくる私の姿を見たクリス団長以下、バッシュ公爵家の騎士達が、笑顔のまま固まった。
……まあ、仕方がないかな。
今の私、ジョナネェにお願いして(無理矢理)開発してもらった、ジーンズ生地のオーバーオールに麦わら帽子。とどめにピンクの長靴を履いているのだから。
そう。今の私はどこからどう見ても、立派に農民です!
ちなみに髪型はというと、リズさん達が渾身の編み込みでおさげにしてくれました。
気分はまさに「赤毛のア●」……待てよ? ア●ってオーバーオール着ていたっけ?
「エレノア! なんて可愛いんだ! 僕のお姫様!」
そんな中、ブレないのがオリヴァー兄様である。
苦笑するクライヴ兄様を尻目に、オリヴァー兄様は駆け寄ってきた私を全力で抱き締め、麦わら帽子にキスの雨を落した。
「ああ……。本当に、君はなにを着ても愛らしいね! 王都邸ではジョゼフや皆の目もあって、うっかり褒められなかったけど、本当はずっとこの格好の君が可愛いって思っていたんだ! 愛しい僕のエレノア。もっとよく君を見せておくれ?」
そう言うと、オリヴァー兄様は私をひょいっと抱き上げ、視線を合わせる。
「うひゃあ!!」
うぉっ、眩しい!! いきなりのドアップに目が潰される!!
眩しさに目を閉じていたら、その隙に頬にキスされたー!!
オ、オリヴァー兄様! 修行前に私を出血多量にさせるおつもりですか!? ……って、うぐっ! そ、そんな妖艶スマイルを、こんな清々しい青空の下で……! しかもこんな、農民スタイルの女なんかに向けないでくださいー!! 色んな意味でアウトですっ!!
◆◆◆◆◆
「……物凄い溺愛っぷりですね」
エレノアがオリヴァーに翻弄されている姿を見ながら、クリスがクライヴに話しかける。
「……まあな。だが、あいつの本気はあんなもんじゃねぇぞ? なんせエレノアが子猿だった頃から、あんな感じだったんだからな」
「──ッ! あ、あの頃からアレ……ですか!?」
思わず息を飲んだクリスに、クライヴが目を見開いた。
「……クリス。お前、あの頃のエレノアを知っているのか?」
「は、はい。領地にいらっしゃった時、一回だけお会いしました」
「……凄かっただろう?」
「……いえ! ……いえ、まぁ……そうですね」
その場に沈黙が落ちる。
互いに子猿だった頃のエレノアを知っている者同士。言わずとも、互いに考えている事がなんとなく分かった。
「……変わられて、ようございました」
そこでフッとクライヴの唇から苦笑が漏れる。
「ああ、そうだな。だがオリヴァーの奴は、エレノアが変わらなくても等しく愛し続けていただろう。……だからあいつは常に、エレノアの『一番』なんだよ」
「そう……ですか」
「……まあ、変わっていないところもあるがな。たとえば無鉄砲なとことか、いらん方向に爆走するとことか」
そうぼやくクライヴだったが、エレノアを見つめる眼差しはどこまでも温かく優しい。クリスも思わず目を細めた。
「ええ、そうですね。……私が『騎士の誓い』をお嬢様にお捧げした時に仰ったお言葉が、今になって分かりました」
「あいつが言った言葉?」
「ええ。『その代わり、私の地が出たとしても、その時は大目にみてね?』……と。私やティルが
「お前、エレノアがあんな規格外の奴でガッカリしたか?」
「まさか! むしろあのようなお方にお仕えできるなど、騎士として最高の誉れで御座います。……それは私だけではなく、他の者達も同意見でしょう」
自分達が
なにより、自分達領民を「対等」だなどと言ってくれるお方を未来の主に頂けるのだ。自分にとっても、この領内に生きる者達にとっても、それはどれほどの僥倖であろうか……。
「今は、もっともっとお嬢様の『地』を知りたいと思っておりますよ」
「……まあ、嫌でも知る事になるだろうからな。覚悟しておけよ?」
「望むところです」
農民のような格好をし、絶世の美貌を持つ婚約者に翻弄され、真っ赤になっている自分の小さな『貴婦人』。
そんな愛すべき少女を、クリスは眩しいものを見るような眼差しで見つめた。