◇◇◇◇◇
「……成程。つまりは、バッシュ公爵家の
冷静さを取り戻したアシュルの問い掛けに、アイザックが深く頷く。
「ええ。勿論、陛下方には前もってお知らせしてありますし、殿下方や聖女様にも、出発前にご説明する予定でした。当然、オリヴァーとセドリックにもね」
優しく視線を向けられ、オリヴァーは恥じ入るように顔を赤くする。
「そうだったのですか……。公爵様、取り乱してしまい、まことに申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるオリヴァーに、アイザックは「いやいや」と手を振った。
「寧ろ、もっと早く説明しておくべきだったんだけど、今日一日の報告と一緒に説明しといた方が良いかと思ってね。陛下方にも頼んで、影達には一切情報を漏らさないように、周知徹底してもらっていたんだよ」
──成程。だから影達が、自分達に報告してこなかったのか……。
その場の全員が、納得するように心の中で呟いた。
「公爵様のお陰で助かりました。もし、僕個人で今迄の報告を聞いていたとしたら、きっとなにを置いても、バッシュ公爵領に向かっていたでしょうからね」
「そうだね、オリヴァー。僕もそう思うよ」
しみじみそう話すオリヴァーに対し、アイザックはうんうんと頷く。
余談であるが、バッシュ公爵家の影及び、オリヴァーにより、こっそり放たれていたクロス伯爵家の影達には、アイザックが直々に「絶対にオリヴァーの耳には入れないように!!」と、物凄く力一杯念押しをされていたりするのである。
「まあでも正直、我が領の騎士団が、ここまで腑抜けているとは思っていませんでしたけどね。イーサンも大真面目に頭を抱えておりました。しかもあの男爵令嬢が、よりによって『主家の姫の部屋を使わせてほしい』と言い出すなど、想像もしていなかったようで、思わず思考が停止して、うっかり了承してしまったと話しておりました」
結果的に、そのお陰で全面的に油断してくれたので良かったとも言っていたが……。
「まあ、話を聞く限り、ゾラ男爵令嬢……だったか? ああいったタイプの女性は、我々アルバの男にとってはまさに鬼門だろうからね。騎士達や領民が騙されてしまう気持ちも分からなくはない。……尤も、我々や上位貴族からしてみれば、いかにも『見慣れた』ご令嬢方に毛が生えたようなものだが……。それにしても」
クスッとアシュルの口から笑みがこぼれる。
「そのご令嬢も運がなかったね。貶めようと画策していた主家の姫が、まさかあんな規格外な少女だっただなんて、思いもしなかっただろうから……。寧ろ彼女には同情してしまうよ」
アシュルの言葉に、その場の者達が一斉に失笑する。……無論、その目は誰も笑ってはいなかったが。
「でも正直意外だったな。貴方や、そのイーサンとかいう家令。どちらもエレノアを心の底から大切に思っているはずなのに、敢えてあんな状態の領地にエレノアを送り出すだなんて」
「百万の言葉より、実際のエレノアを見せた方が手っ取り早いと思いましたので。……それに、わざわざこちらから動いて断罪してあげるほど、僕は優しくありませんよ?」
あくまで穏やかな口調で話すアイザックだが、その表情も雰囲気も非常に冷たいものだった。
確かにそのとおりだろう。
もしバッシュ公爵家が「不敬である」として、早々にゾラ男爵令嬢を処分していたとしたら、こうも見事な返り討ちに遭う事はなかっただろう。むしろ彼女の思い描いたとおり、エレノアが嫉妬で彼女を排除したとして、一定数の領民達の、エレノアに対する心証は悪化してしまっていたに違いない。
それに、件の男爵令嬢の計略は、普通のご令嬢相手であれば十二分に通用するものであった。
だが、そのことごとくが不発に終わったばかりでなく、手痛いほどに自分自身に跳ね返ってきてしまっている。……ようは、自分で自分を断罪してしまったようなものなのだ。
「……公爵様。それでも、その男爵家の者達に対する正式な制裁は必要と愚考いたしますが」
「うん、そうだねオリヴァー。アシュル殿下。エルモア・ゾラ男爵には、あの母娘が躍るのを邪魔させないよう、今現在は私の監視下に置いています。勿論、領内で行われるお披露目には解放しますがね。彼等への罰は、その後の行動を見てから決めさせていただきます」
うっそりと微笑むその表情に、その場にいた全ての者達の背に冷たい戦慄が走る。
普段の穏やかさを脱ぎ捨てたその顔は、まさに次期宰相と呼ぶに相応しい、冷酷な為政者のソレであった。
『流石は、あのワイアットが見初めた男だな……』
その姿には、普段の優しさや甘さは欠片も存在していない。まさに、百戦錬磨の氷の宰相が直々に認めた後継者……と称賛するに値する凄みを醸し出していた。
メルヴィル・クロス伯爵やグラント・オルセン将軍といった、個性あふれる面々のお陰で、平凡なイメージがつきまとう彼の知られざる一面を眺めながら、「ゾラ男爵家の未来は暗いな」と、アシュルは心の中で独り言ちた。
「実際、不穏分子も良い感じに炙り出されていましたし、クライヴも聡い子ですから、すぐに私やイーサンの意図を察してくれたようです。……ただエレノアのフォローに、だいぶ神経をすり減らしていたようですね」
「ああ。あのエレノアを一人で面倒みていたのなら、その苦労も察して余りあるね」
しみじみそう呟くアシュルの横では、オリヴァーが口元に手をあて、再び赤面していた。
「そんな彼に僕は……。我が身の至らなさに恥じ入るばかりです」
恥ずかしそうにそう口にするオリヴァーを見ながら、アイザックは冷や汗を流した。
『……うん。まあ、苦労だけじゃなかったんだけれどもね』
そう心の中で呟きながら、アイザックは先程イーサンから送られてきた新情報(エレノアからの添い寝のお誘い云々)だけは、決してこの子に知られないようにしなくては……。そう心の中で決意する。
「ああ、成程。どーせ君の事だから、『エレノアを一人で独占するとは、なんて羨ましい。というか腹が立つ』って、心の中で理不尽にムカついていたんだろう? 全く、万年番狂いはこれだから……」
やれやれと言ったような呆れ口調のフィンレーに対し、オリヴァーも顔の上半分に影を落としながら、極上の笑顔を浮かべた。
「フィンレー殿下。余計な邪推をしている暇があったら、大切なご兄弟に殺意を向けるのを止めたらいかがですか? その目の青あざ。どうせディラン殿下に反撃されて出来たんでしょう? 本当に病み属性とは、つくづく因果なものですね」
「君さぁ……。消されたいの?」
バチバチッと、互いの魔力が火花を散らす。
やっぱり始まった「混ぜるな危険」を回避すべく、アイザックが慌てて話題を変えるべく口を開いた。
「と、ともかく。そういう事で、領内の膿はあらかた一掃できそうです。……が、私は少々エレノアの『転生者』としての知識を軽く考え過ぎていました。……まさかたった二日で、あれほどの事を成してしまうとは……」
その言葉に、その場の一同を代表するようにオリヴァーが口を開いた。
「そうですね。今迄は、エレノアがあのように公式の場に出る事がなかったから気が付きませんでしたが、集積市場での言動や、品評会にて即興で作ったという不可思議な食感の果物。……あの我々が想像もつかないほどの発想力と知識には、驚嘆を通り越して畏怖すら覚えます」
エレノア自身は何気なく、思い付いた事をそのまま口にしたりしただけなのだろうが、彼女の発案を具体化し、事業として展開すれば、バッシュ公爵領は莫大な富を得る事となるだろう。
「そういえば、師匠が発案したって言われていた、魔力を剣に乗せる戦法や片刃の『刀』も、実はエルの発案だったんだろう?」
「ワイアット宰相が、オルセン将軍から巻き上げたっていう『万年筆』も……ね。まあどっちも、エレノアのアイデアだった事を知っているのは、バッシュ公爵家の関係者以外では、僕ら王家直系と重鎮のみだけどね。……どうやら母上やエレノアの住んでいた世界は、僕達の想像を遥かに上回る、文明が進んでいた世界だったようだ」
その知識はまさに、値千金。
成程。各国が『転生者』や『転移者』を、積極的に保護対象とするはずだ。
『そういえば……』
アシュルはふと思いついた。
父や叔父達は、母のアリアが転移者であるという事実を内外に対し、徹底的に秘匿してきた。
しかも母が色々考案した料理のレシピすらも、身内で楽しむのみに留め、決して一般に広めようとしなかったのである。
それもこれも、母の全てを囲い込みたいという独占欲からきているのだとばかり思っていたが……。ひょっとして、それ以外にもなにか理由があったとしたら……。
「……実はその事で、一つ懸念が出てまいりました」
アシュルの懸念を察したかのように、アイザックの表情と口調が強張る。それにつられ、その場の全員に緊張が走った。
「長年、監視対象としてきた彼の国。『帝国』が動き出すやもしれません」
途端、その場に張り詰めたような空気が広がった。
◇◇◇◇◇
「では、出立は明後日の早朝という事で。こちらから王宮にお迎えにあがります」
「ああ、宜しく頼んだよオリヴァー。そしてバッシュ公爵。クロス魔導師団長にも、転移門の設置を宜しく頼むと伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
「あー! マジですっげー楽しみ! あっち行ったら、エルと思いっきり遊ぶぞー!」
ウキウキ笑顔全開なディランの言葉に、その場の全員が一斉に冷たい眼差しを向けた。
「ディラン兄上、遊んでどうするんですか! だいたい、エレノアは修行しに行っているんですよ!?」
「ばっか! そこはそれだろ? なにごとも、息抜きは大事なんだって!」
「ディラン兄上じゃあ、息抜きが主体になりそうだよね。……やっぱり兄上同行させない方が良くない? なんなら代わりに僕が……」
「フィン! てめーはまだ性懲りもなくそういう事を! 今度は青あざだけじゃ済まねぇぞ!?」
キレたディランとフィンレーが言い合いを始め、アシュルがやんわりそれを諭す。セドリックとリアムは、明後日向かうバッシュ公爵領の事を楽しそうに話し合っている。……今では非常に見慣れた日常風景だ。
──だが、皆どこかしらその『日常』を意識して演じているようにも見える。
オリヴァーは先程、アイザックの口から語られた帝国の件について思いを馳せると、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「オリヴァー?」
自分の名を呼ぶ声に意識を浮上させる。見れば、アイザックが気遣わし気な表情で自分を見つめていた。
「大丈夫だよ、オリヴァー。もし万が一帝国が動き出すとしても、公爵令嬢であるエレノアをいきなり攫ったりはしないはずだ。それにあちらには、クライヴもイーサンもいる。君達が来るまでの間、ちゃんと守ってくれるよ」
「……随分と、イーサンという家令の事を信頼されているのですね?」
オリヴァーの言葉を受け、アイザックは笑みを浮かべながら頷いた。
「ああ。彼とは幼馴染のようなものなんだよ。彼のエレノアへの愛情は本物だし、実力も多分クライヴよりも上だ。もし不測の事態が起ころうとも、彼ならきっとエレノアを守り抜いてくれる」
アイザックの台詞に、オリヴァーは驚愕の表情を浮かべた。そんな彼に、アイザックは更に言葉を続ける。
「……それに、君とは色々な意味で気が合いそうだしね」
「そうなんですか?」
「うん! (特にエレノアに関してだけ病むところとか……)」
問題部分は流石に口に出さず、笑顔で頷いたアイザックだったがその直後、室内に能天気な声が響き渡った。
「あれー? なんだ。修羅場だって聞いたから駆け付けてきたってのに、もう終わっちまったのか? つまんねーな!」
突如現れたグラントに、アイザックが眉根を寄せた。
「終わったもなにも、修羅場にもなっていないから! ってか君、なにしにここに来たんだい?」
「あー? いざって時の助っ人的な?」
「あっそう。ちなみに、どうやって騒ぎを収拾させるつもりだったの?」
「全員ぶちのめして大人しくさせる!」
「「「「「「「…………」」」」」」」
ドヤ顔で言い切ったグラントに対し、アイザックを含めた全員が
それってつまり、王族をぶちのめそうとしたって事だよね? そんな不敬発言、なに堂々と言い放ってんだこの男は。というか、単純に暴れたかっただけなのでは……?
「おっ、そうだ! それはそうと、エレノアも遂に女としての情緒が芽生えたってよ! 良かったなーお前ら!」
「……は?」
途端、オリヴァーの声が二オクターブ低くなった。
「え? 何の話だよ師匠」
「そうですよ将軍。なんでいきなり、エレノアの情緒が出てくるんです?」
「ちょっ! ばっ!」と、慌てて次の言葉を止めようとするアイザックと、訝し気に首を傾げるディランとアシュルに対し、グラントが言葉を続ける。
「それがな! さっきヒューバードと奴の部下の会話をうっかり聞いちまったんだけどよ、なんでもエレノアの方からクライヴをベッドに誘ったんだとさ! しかも情熱的に抱き着いてお強請りしたって話だぜ!?」
興奮気味に捲し立てるグラントだが、うっかり聞いたと言いつつ、実はしっかり隠密スキルで盗み聞きしていたりする。
しかも真実はただの添い寝なのだが、グラントの脳内では「添い寝=ベッドへの誘い」という、大人の図式が瞬時に成り立ってしまったようだ。
ビキッ! と、その場の空気が見事に氷結する。
だが、氷結させた張本人はその場の空気を読まず、顔面蒼白になっているアイザックに向かい、ニッカリと非常に良い笑顔を向けた。
「ってわけでアイザック。どうやら孫を一番最初に腕に抱けるのは、この俺のようだな!」
喜色満面の笑顔で、グラントがグッとサムズアップした。……と同時に、真のカオスが再び幕を開けたのであった。