その頃、王都では

室内を明るく照らす光に触発され、目を覚ます。

……もう朝なのか……。

チラリとサイドテーブルに置かれた時計を確認すると、いつも目が覚める時間よりもだいぶ経っている。

……昨夜はよく眠れずに、何度も起きてしまったから寝過ごしてしまったな……。

昨日バッシュ公爵領へと旅立っていった、最愛の妹であり、かけがえのない愛しい婚約者であるエレノアの顔を思い浮かべる。

『いつもだったら出かける前に、エレノアの部屋を訪れて可愛い寝顔をひとしきり堪能してから、そっと声をかけて……。可愛いエレノアは僕の声にすぐ反応してくれるんだ。まあでも殆ど反射的に目を開けているだけで、ちゃんと覚醒してはいないんだけれどもね。でもその寝ぼけてトロリと潤んだ瞳が愛らしくて、見つめられるとたまらなくて、ついつい濃厚なキスをしてしまう。キスの合間に漏れる甘い声がまた背徳的で、ついついその先に進んでしまいそうになって、何度クライヴに止められたことか……。この間なんか……』

そこまでつらつら考えた後、思考を強制終了する。

……いけないな。朝から不埒な妄想に浸るなんて、貴族の男として失格だ。……でも、あの毎朝の流れ。今はクライヴがやっているんだよね……。

──いや、落ち着け。あのクライヴが僕を差し置いて、エレノアに不埒な事をするはずがない。

彼は僕にとっても大切な兄だし、僕達兄弟の中で一番理性的だ。あのアシュル殿下にも信頼されている彼が、まさかそんな事……しないよね? ……うん、信じよう。

……でももし、彼が僕の信頼を裏切るような事をしていたとしたら……。僕はクライヴに何をするか分からない。それを許したエレノアに対しても。……いやいや、何を考えているんだ僕は。大切な兄妹の事を信じられないなんて。本当にどうかしているな。

ともすれば、どんどん後ろ向きになっていってしまう思想を振り払うかのように、明るい日差しが差し込む窓の方へと目をやる。

──こんなにも明るいというのに……。あの子がいないだけで、屋敷の風景も空気も、全てがくすんで見えるな……。

エレノアが獣人達に怪我を負わされ、王宮で保護されている時もそう感じていたが、今はそれ以上に強く感じる。

別にエレノアは命の危険がある訳でもないし、あと数日もすれば会えるというのに……。全くもって、自分も不甲斐ない男に成り下がってしまったものだ。

エレノアの筆頭婚約者として、彼女が誇れる男になろうと日々思ってはいるのだが、実際はエレノアがいないだけで、こんなにも後ろ向きな考えに浸ってしまう。なんとも情けない話だ。こんな僕の姿を見たら、エレノアは僕に対して幻滅してしまうに違いない。

──いっそのこと、生徒会の引継ぎや諸々など放っておいて、バッシュ公爵領に駆け付け、エレノアを抱き締めたい!

そんな胸の内から湧き上がるどす黒い誘惑を、何度振り払った事か。

そういえば、セドリックがリアム殿下から聞いた話によれば、自分が領地に赴きたいフィンレー殿下が、あの手この手でディラン殿下を襲っているらしい。

『てめー! いい加減にしろ!!』って、ディラン殿下がブチ切れているそうだけど、本当にその通りだよね。全く、あの方の手段を選ばないエレノアへの執着、なんとかしてほしい。病み属性はこれだから……。

そんな事を思いつつ、僕は溜息を一つつきながら寝台から音もなく下りると、明るい日差しが降り注ぐ窓辺へと立った。

「……ん?」

なんだろう。眼下に見える庭園に、エレノアの顔が見える。

有り得ないものを目にし、一瞬自分がまだ寝ぼけているのかと目を擦った後、再び眼下に目をやる。だがそこにはやはり、先程見た光景が広がっていた。

……幻覚か? いや、あれはどう見てもエレノア……だよね?

中庭の中央。高い所の部屋からなら誰でも見える位置にある花壇に、まさしく大輪の花のごとく微笑むエレノアの顔がドーンと鎮座している。

──……エレノアに会いたい僕の心が見せた願望……な訳ないな。

僕はまじまじと、エレノアの顔をした『ソレ』を観察してみる。

するとどうやら『ソレ』は、色々な花を寄せ植えして作られたものだという事が判明した。

瞳の色はミモザとラナンキュラスを使って、陰影を上手く着けている。髪の色はハシバミを使用しているのか……。しかも、所々にヒマワリを植えて、髪飾り風にしているのがなんとも憎い演出だ。そして顔の部分は……白薔薇か。しかも薄紅色の品種も使って、文字通り薔薇色の頬を再現している……。やるな。

ん? 花エレノアの傍に誰かが……って、あれは庭師長のベン? それに部下の庭師達もいるな。あ、ベンがこちらに向かって、凄くいい笑顔で親指を立てている。成程。つまりは彼が指揮して、庭師一同で花エレノアを作ったのか。

これは……いわゆる、『フラワーアート』というものだろう。そういえば以前、エレノアが庭師達とそんな話で盛り上がっていたのを聞いた事がある。

なんでもエレノアの前世では、植物を使って上空から眺める植物アートがあったとの事。一番有名なのは、コメを使ったものだそうなので、いつか王家から苗を譲渡されたら作ってみたいと目を輝かせていたっけ。

……エレノアには申し訳ないが、そんな未来は果てしなく遠いと言わざるを得ない。……言わないけどね。

う~ん……。それにしてもまさか、庭師達が花を使ってエレノアの顔を作るとは思わなかったな。

しかもアレ、物凄く完成度が高い。まるで絵画のようだ。庭師達の尋常ならざるエレノアへの愛と執念を感じる。……というか、あんなものをたった一晩で作り上げるとは……。彼らも僕同様、よっぽどエレノアがいなくて寂しかったに違いない。

「うわー!! 凄ーい! エレノアだ!! うわぁ、可愛い!! 最高!! 君達凄いよ! 後で報奨金渡すね! そうだ! メルにこの風景を何かに転写してもらって、じーさまに見せよう!!

……あの声は……公爵様か。

まあ、興奮される気持ちも分かるが、じーさまって一体……。あ、ワイアット宰相様か。相変わらずナチュラルに不敬な方だな。……というか、いがみ合っているようであの二人、なんだかんだ言って仲が良いんだよね。

「………着替えよう」

いつまでもこうして眺めている訳にもいかない。

それでなくとも寝坊してしまったのだ。早く身支度を整えて、生徒会の引き継ぎ作業の為に学院に行かなくては。

後ろ髪を引かれつつ、僕は去り際にもう一回、アートなエレノアを目に焼き付けるべく中庭を凝視した。

……うん。見れば見るほど可愛い。出来る事ならこのままずっと眺めていたい。ああ……。このエレノアを、半永久的に枯らす事なく維持する事が出来れば……。

エレノアが聞いたら、「それだけは!!」と全力で止めそうだが、パトリック兄う……いや、姉上に頼んで、時間停止の魔法をかけてもらえないか相談してみよう。

そして後で僕も父上に頼んで、巨大なキャンパスにアレを転写してもらって、部屋に飾ろう。うん、そうしよう。

余談だが、僕の身支度を整えるべく、室内に入ってきた召使達も暫し窓辺に張り付いて庭を凝視していた為、支度が大幅に遅れる事となったのだった。


「いや~! それにしてもあの花のエレノア、可愛かったよねー!」

「お気に召されましたか公爵様! 実はあれ、僕も土の魔力で協力したんですよ!」

「うん! 最高だったよ!! 僕はいい義息子を持てて幸せだ!」

「有難う御座います! 公爵様!」

……朝食の席で、公爵様とセドリックが楽しそうに盛り上がっている。

成程。一晩でフラワーアートが完成したのは、セドリックが協力したからなのか。僕も後でセドリックを大いに褒めておく事にしよう。

しかし。エレノアのいない朝食風景は、なんというかこう……華がない。

エレノアに言わせれば、「充分華だらけです!! キラキラです!!」とか言うんだろうが……違うんだエレノア、そうじゃない。君がいないと、何だか世の中の全ての色合いが褪せてしまうんだよ。

ほら、同行権をかけた戦いに敗れた召使達のあの目。微妙に死んでいるし、ジョゼフは流石の完璧家令ぶりを発揮しているが、時折こっそり溜息をついている。

あと数日でエレノアに会える僕らと違って、彼等は一月近くエレノアに会えないのだから、この反応も当然だろう。

……彼らの精神衛生と花エレノアを守る為、やはりパトリック姉上に時間停止魔法を打診しておくとしよう。

僕はチラリと前方に座る父親達を盗み見た。

グラント様。気持ちは分かりますが、舌打ちは止めましょう。父上もあからさまに、つまんなそうな顔で溜息つかないでください。

「はぁ……。癒しが足りない」

「全くだな。なんかこう……。人生の張り合いがねぇよな」

だから! そういう事を実の息子達の前でぶつくさ言わないでください! あんたら本当に、自分の欲望に忠実だな!

気を落ち着かせる為に紅茶を口に含むと、やはり浮かんでくるのはエレノアの顔。

『……今頃、エレノアはどうしているのかな……?』

今の彼女にとって、バッシュ公爵領は初めて行く場所だ。楽しんでいるだろうか。嫌な思いをしていないだろうか。不安は尽きない。

……尤もクライヴと一緒だから、危険はないだろうけどね。何故か近衛騎士達まで護衛に付いているし。バッシュ公爵家の召使達も、ここぞとばかりに騎士服を着ていた。

……エレノアは彼女が言うところの、『コスチュームオタク』という業を背負っているらしく、この屋敷の者達はそれをとてもよく理解している。

エレノアにキラキラした目で見つめられ、ご満悦になっているであろう彼らを思うと、何だか無性に殺意が湧くな。……いや、殺さないけどね。

まあ、もし万が一僕が暴走したら、クライヴが全力で止めてくれるだろう。僕は自分で止める気はないし。

『お前、ふざけんなよ!? ちっとは自分で抑制しろ!!』ってクライヴの声が聞こえてくるようだが、僕のエレノアと四六時中一緒にいられるんだ。それぐらいしてくれても罰は当たらないと思う。

……それに、一番の懸念はクライヴだ。

悔しくて認めたくないが、クライヴは僕達の中では一番エレノアに信頼されている。

彼女が屈託なく甘えられるのも、多分クライヴだけだ。それゆえ彼は、僕やセドリックが味わい得ない数々の美味しい思いを味わっている(クライヴいわく『のち、拷問』らしいが)。

ひょっとしたらこうしている今も、クライヴとエレノアは婚約者としての距離を縮めているのかもしれない。……うん、有り得る。エレノアは天然で危険な事をするし、無自覚に相手を煽る天才だ。そんな彼女と二人きりで領地で過ごしているのだ。……むしろ何も無い方がおかしい。

──やはり一日でも早く、僕も領地に向かわなくては……!!

僕は今一度、心の中で強く誓った。

「……おい、メル。オリヴァーの奴、一見冷静だけどよ……その……」

「分かっているよグラント。背後のアレだろ?」

「俺の気のせいでなければ、あいつの背後のアレ……魔力溜まりに近いぞ?」

「抑えきれないエレノアへの熱い思いが無自覚に暴走しているんだろう」

「バッシュ公爵家に、スタンピードが発生する日も近いな」

「やれやれ、全く……。あの子もまだまだ修行が足りないね」

「いや。あいつのアレは、修行してどうこうなるもんなのか?」

「そうだったね。万年発情期……いやいや、万年番狂いの名は伊達ではない。多分矯正は不可能だろう」

……なにやら父上達が、ロクでもない事をヒソヒソ話し合っているようだが、そんな事はどうでもいい。とにかく今の僕には、エレノアが圧倒的に不足しているのだ。その飢えを満たす為には、一刻の猶予も無い。

僕は父上達や公爵様、そしてセドリックに挨拶をした後、一足先に学院へと向かった。

◇◇◇◇◇

「さて。僕の生徒会長としての引継ぎはここで終了だ。皆、よく付き合ってくれたね」

死屍累々とばかりに、机の上で書類に塗れながら突っ伏す生徒会役員達を前に、僕は満面の笑みを浮かべながら、引継ぎ終了を穏やかに告げた。

……本来であれば、卒業までの残り数ヵ月間。この数年間生徒会長として行なった業務のアレコレを引き継いでいくのが恒例であるのだが、僕にそんな猶予は無い。

何故なら今迄、身内だけの婚約者でエレノアを囲い守っていたのだが、よりによって王家直系がその婚約者の輪に加わってしまったからだ。……しかも四人全員!

……まあでも『仮』だけど。……そう、まだ今のところは。

だがその『仮』だとて、一瞬でも気を抜いたその瞬間、あの手この手を使って取っ払われてしまうに違いない。

愛する女性を手に入れる為なら、全身全霊をかけて戦うのがアルバの男というものだ。

しかも最悪な事に、この国の最高峰である王家直系が本気になっているのだ。悠長にしている暇など、僕には一分一秒も存在しない。

そういうわけで、ここにいる新旧生徒会役員達には非常に申し訳ないが、生徒会の引継ぎは長期連休前までに繰り上げさせてもらった。

それを宣言した時は、「殺生な!!」「生徒会長、ひどっ!」「どうせエレノア嬢絡みでしょう!? 気持ちは分かりますけど、横暴です!!」と散々文句を言われたが、その見返りとして、『これを読めば安心安全、完璧生徒会マニュアル』を作成する事を約束すると、渋々ながら了解してくれた。

……多分だが、その冊子の表紙をエレノアの姿絵にする事が、大いにプラスに働いたのだろう。

「カミール。僕の教えによく付いてきたね。君なら僕の後を継いで、立派に生徒会長を務めあげられると信じているよ」

「光栄です、会長」

この王立学院生徒会において、副会長を拝命しているカミールが、深々と頭を下げる。

カミール・ノウマン侯爵令息。

……四大公爵家の一柱であったノウマン家は、カミールの姉であるレイラ・ノウマンがブランシュ・ボスワースの計画に加担した罪により、侯爵に降格された。

元四大公爵家の凋落ちょうらくは、社交界の口さがない者達の恰好の娯楽とされ、カミールが引退を決めたリオ・ノウマン侯爵に代わり、各方面で引継ぎの手続きをしたり、挨拶回りで夜会などに出た際などは、あからさまに様々な憶測を囁かれ、心無い言葉も浴びせられたと聞く。

当然、学院でもエレノアを神聖化する多くの者達から、厳しい目を向けられていた。

だが彼はその全てに対し、一切言い訳も反論もすることなく、「姉の仕出かした罪は、一族の罪」と真正面から受け止め、堕ちた家名を己の代で復興させようと、ひたすらに努力していた。

そんな彼を認めたうえで、僕は生徒会を辞退しようとした彼を引き留め、次期生徒会長になる事を勧めたのだ。

僕と……そして、彼自身の最愛の女性であるエレノアを身内が傷付けたと悔やんでいた彼は、「自分には、そんな資格はありません」と、生徒会長への誘いを頑なに固辞したが、僕はそんな彼に諭すように語りかけた。

「僕はね、全てが完璧な人間が人の上に立つ事を、あまり良しとはしていない」

「……会長?」

「理不尽に晒され、それでも前を向いて懸命に努力する君ならば、同じような苦しみを持つ者や悩みを持つ者達を正しく導いていけると信じている。だからこそ君に、生徒会長を務めてほしいんだよ」

「──ッ!!

それを聞いたカミールは、最終的には僕の説得に応じ、生徒会長の任を受ける事を承諾した。

彼は四大公爵家の嫡男だった事もあり、能力的には申し分ない。それに僕に対し、堂々とエレノアへの恋情を表明するという気概を見せた。

事件後。色々言っていた者達も、彼の態度や行動を見て、今ではちゃんと彼自身を評価している。……彼にならば、安心して僕の後任を任せられるだろう。

「さて、これが約束のものだ。汚れ防止の魔法をかけてあるけど、大切に扱ってくれよ」

そう言って、『生徒会マニュアル』を差し出すと、先程まで死人のように机に突っ伏していた新旧役員達が全員ガバリと起き上がり、冊子を受け取ったカミールの元に群がった。

「うおぉぉっ!! 革張り! 豪華!! しかも絵が……絵が、カラー!! そのうえ、姫騎士仕様!!

「あああっ! なんて愛らしいんだ、エレノア嬢……!!

「くそっ! 何で僕達は卒業しなくてはならないんだ!?

「会長! これ、複製可ですか!? え? 駄目? そ、それじゃあせめて、表紙だけでも! え? 大却下!? ひどっ!」

「こ、これは生徒会の秘宝として、厳重に金庫に封印しなくては!!

──……マニュアルを封印してどうするんだこいつらは。

マニュアルを見ながら、キャッキャとはしゃいでいる生徒会役員達に対し、呆れながら声をかける。

「生徒会長の業務は勿論、年間を通じた生徒会の仕事の内容を細分化してまとめている。これを見ても、どーーーしても分からない事があったなら、僕に連絡を入れるように。……あくまでも、どーーーしても分からなければ……だからね? そこのところを忘れないように」

僕の言葉を聞いた瞬間、微妙そうな顔をした新旧生徒会役員達に「分かったね?」と駄目押しの微笑を浮かべ、全員を頷かせた後、僕は生徒会室から出ていった。

──後に、このマニュアルが生徒会秘蔵の聖典バイブルと化し、この書物を手に取れるのが生徒会役員だけの特権となったそうだ。

その事により、聖典バイブルを見たい多くの生徒達が、生徒会役員の地位を得んが為、翌年より血で血を洗う戦いが繰り広げられるようになった事を、僕は後に生徒会に入ったセドリックから聞く事となったのだった。

◇◇◇◇◇

「やれやれ。だいぶ遅くなってしまったな」

王立学院を出たのが夕方だった為、なんやかんやと手続きしながら登城したら、夜になってしまっていた。

近衛騎士に先導されながら、長い廊下を歩く。壁に埋め込まれた魔石のおかげで、城内の至る所は、まるで昼間のように明るい。

だけどそこはそれ。全てが均一に明るいのではなく、中庭に面した廊下とか、夜景を楽しめるテラスだとか、そういった場所は他の個所よりも若干暗くなっているのだ。

ここから先の、中庭が見渡せる箇所などは、美しい花々の咲き乱れる様を幻想的にライトアップされているから、それを堪能出来るように廊下は常に仄暗く……あれ? なんか他の場所より明るくないか? これじゃあ中庭の景色が楽しめない……。

見れば、中庭は一つもライトアップされていなかった。というか、暗くてなにがなにやら……。あ、そういえばここ、エレノアとディラン殿下の魔のタッグで壊滅したんだった。

「………」

……そうか……。まだ修復終わってないから、見せられないんだね。

『うちの妹がすみません』と心の中でお詫びしつつ、僕は殿下方が待っているであろうサロンを目指す。

今日は、殿下方とバッシュ公爵領に向かう日程のすり合わせをおこなう事になっているのだ。

本当なら、僕とセドリックが到着して一日経ってから、王族をバッシュ公爵家縁者一同でお迎えする……という事になっていたのだが、「一分一秒でも早くエルに会いたい!」と、ディラン殿下が駄々を捏ねた為、一緒にバッシュ公爵領に向かう事となったのである。

まあつまり。僕とセドリックの乗った馬車が、聖女様と殿下方が乗った馬車をお守りしつつ、先導してバッシュ公爵領に向かう……と、そういう体を取るのである。

「やったぜ!」とはしゃぐディラン殿下が、「兄上、あんまり我儘言ってはいけませんよ?」とリアム殿下に諭されるという、なんともシュールな光景に、思わず半目になってしまったのは致し方ない事だと思う。

まあ、ディラン殿下はエレノアと僕達の命の恩人という側面があるからな。

それに、どうせあちらでは、『王家直系と聖女様をもてなす公爵令嬢』という図式になるのだし、この鬱憤は『婚約者』として、愛し合う僕達を見せ付ける事で晴らすとしよう。

公爵様が仰るには、いつ誰が来ても万全なように手配してあるから、いきなり王族と一緒に到着しても問題ないという事だが……。

「ん?」

なんか横を、オレンジ色の物体が横切った気がして、無意識に『ソレ』を掴み取る。

「ピッ!?

「んん?」

聞き慣れた声に掴んだモノを見てみると……。そこには、オレンジ色のまん丸な鳥がジタバタもがいていたのだった。

……ちょっと待ってくれ。これって確か、エレノアにくっついていった、マテオ・ワイアットの連絡鳥じゃないのか!? なんでそれがここに!!?

「まさか……! エレノアの身になにかが……!?

「クロス伯爵令息? ……え? は? ち、ちょっ!!

慌てたような近衛騎士の声をバックに、僕はサロンに向かって全速力で駆け出した。

◇◇◇◇◇

──時はオリヴァーが王城を訪れる三十分ほど前に遡る。

王家直系達の集うサロンでは、アシュル、ディラン、フィンレー、リアムに加え、学院帰りにそのまま王宮へとやってきたセドリックがオリヴァーの到着を待つ傍ら、お茶を片手に和やかに談笑していた。

「へぇ~! 君が庭師達と花でエレノアの顔を?」

驚いた様子のアシュルに対し、セドリックはニコニコ顔で頷いた。

「はい! エレノアが領地に行ってしまって皆元気なかったから、なんとか少しでも慰めになるものを作りたくて」

「ふ~ん。いい心掛けじゃないか。でも本当のところ、あの万年番狂いの気を落ち着かせるってのが目的だったんじゃないの?」

「……フィンレー殿下のご想像にお任せします」

相変わらず、ズバッと真意を突くフィンレーに対し、セドリックは引き攣りながらも、はぐらかすように曖昧に笑った。

──というか、アシュル殿下はともかく、何でバッシュ公爵領に行かないこの人がここにいるんだろう……。フィンレー殿下がオリヴァー兄上と鉢合わせた時に、揉めなかった事など一度たりとて無かったのだから、出来れば兄上が来る前にここから出ていってほしい……。

そう心の中で呟きつつ、セドリックは『何事もありませんように』と、切実に女神様に対し祈った。

「……ねぇ。今なんか変な事考えた?」

「い、いえっ! そのような事はなにも!!

「でも一晩で作りあげるって、凄ぇなお前らんとこの庭師! 王宮うちにスカウトしてぇぐらいだな!」

そんなセドリックに助け舟を渡すように(多分無意識だろうけど)、ディランが明るい口調で話しかけてくる。

セドリックはホッと安堵の溜息をついた。

「有り難う御座います! 庭師達もエレノアの不在が寂しかったようで、ついつい張り切っちゃったみたいです。今度は、植え込みをエレノアの形に刈り込むって息巻いていましたよ!」

「……エレノアが帰ってくるまでの間に、バッシュ公爵家の庭が凄いことになっていそうだね」

「バッシュ公爵領に行く前に見に行きたい!」「うん、じゃあ明日、学院行く前に見に来てよ!」と、キャッキャと楽しそうに話しているリアムとセドリックを眺めながら、アシュルはエレノアだらけになるであろうバッシュ公爵家の庭園に思いを馳せ、今度お忍びで訪問する事を心の中で決めた。

そんなアシュル達の元に、マテオがなにかを両手に包むようにしながら、慌ててやってきた。

「で、殿下方、大変です! 私の連絡鳥のぴぃが戻ってまいりました!!

「は? ぴぃが!?

「たしかその鳥、エレノアにくっついてバッシュ公爵領に行ったはずじゃ!? まさか、エレノアの身になにかあったのか!?

途端、室内に緊張が走る。

「……ねえ。ってかその鳥、なんか細くなってない?」

フィンレーの言葉に、全員がマテオの手の中を覗いてみる。

すると確かに、いつものまん丸ボディはどこへやら。なんかシュンと二分の一ぐらいのスレンダーボディになってぐったりと横たわっている。そして何やら小さく囀っている。

「マテオ、こいつなんて言っているんだ!?

「『魔力ください……』って言っています」

「……うん。さっさとあげてやれ」

「は、はいっ!」

汗を流すリアムに力強く頷いたマテオは、手の中のぴぃに魔力を注ぎ込み始めた。

するとスレンダーなボディが、段々と丸みを帯びてくる。その様子を見た誰もが、『風船だ……』と心の中で呟いた。

「ピッ!」

やがて、いつものまん丸ボディを取り戻したぴぃは、マテオの掌でポンポンと元気よく跳ねた後、ピーピーと何かを訴えかけるように囀りだした。

「マテオ、その鳥なんて言っているんだ?」

「はい。なんか凄くムカついた事があったそうです」

「ムカついた事……。そ、そう。じゃあエレノアの身に何かあったわけではなさそうだね」

ホッとした表情を浮かべたアシュルだったが、はたと気が付いたようにある疑問を口にした。

「ねえマテオ。確か連絡鳥って、主とコンタクトを取れば瞬間移動出来るんだよね? なんでこんなに疲弊していたわけ?」

「はあ……。なんでも急いでこちらに帰らなきゃと焦るあまり、私とのコンタクトを忘れ、気が付いた時には王都まであと半分という距離まで飛び続け……。結果、コンタクトをした頃には魔力が尽きかけていたそうです」

それを聞いたリアムとセドリックは肩を落とし、アシュルは顔を手で覆いため息をついた。更に、フィンレーとディランはジト目になっている。

「……馬鹿かな?」

「馬鹿だな」

「そんなに抜けていて、よく連絡鳥なんてやってられるね」

「なんか、すっげーエレノアっぽい……」

最後のリアムの言葉に、その場の全員が「ああ……」と心の底から納得する。そういえばペットって、主人に似るっていうしね。

「やめてください! ぴぃはあいつのペットではなく、私のペット……いえ、使い魔です!」

「結局ペットじゃん」

「いっその事、エレノアにあげちゃったら?」

ディランとフィンレーの言葉に、マテオはクワッと目を剥いた。

「冗談じゃありません!! ぴぃは絶対、あいつにはやりませんよ!? だいたい親友だから、仕方なく貸し出してやっているだけなんですからね!? そこのところを間違えないでください!」

『……仕方なくとか言いながら、嬉々として交換日記代わりにソレ使っているじゃないかよお前』

ツンとそっぽを向くマテオに対し、アシュル達はそう心の中でツッコミながら、生暖かい眼差しを向けた。

「……ねぇ。そろそろその鳥がなんでこっちに帰ってきたのか知りたいんだけど?」

フィンレーの言葉に、その場の全員がハッと初心に帰った。

「ぴぃ! お前、なんでこっちに帰ってきたんだ!?

マテオの問い掛けに、ピーピーと一生懸命何かを訴えるぴぃを見ながら、アシュルは寄った眉根を指でもみほぐす。

「マテオ。何度も言っているが、僕達全員、鳥語は理解出来ないんだけど?」

「はっ! あっ! も、申し訳ありません!! ぴぃ、なにがあったか再生しろ!」

「ピッ!」

そうしてパカッと開いたぴぃの口から語られた、エレノア一行がバッシュ公爵家本邸に到着した時のやり取り……。つまりは、エレノアに対する家令の慇懃無礼な態度や物言いに加え、公爵家の騎士達が主家の姫に対し取った有り得ない行動や言動の数々を聞かされてしまったロイヤルズの背後から、それぞれの魔力が一気に噴き上がった。

「今からバッシュ公爵領に向かう!!

常の冷静さをかなぐり捨て、勢いよく立ち上がりざまそう言い放ったアシュルに対し、傍に居た近衛や侍従達が慌てふためく。

「ア、アシュル殿下! お気を確かに!!

「お気持ちは痛いほど分かります! ですがどうか、冷静になってくださいませ!!

「兄貴、よく言った!! 俺も当然一緒に行くぜ!」

アシュルに追従するように、ディラン脳筋も勢い良く立ち上がる。

「僕も行く! なんなのあいつら! 僕のエレノアに対して……許せないね。この世に生まれ落ちた事を後悔し、「死なせてください」と土下座したくなるような制裁を与えてやらなければ気が済まないよ!!

「フィン兄上! それ絶対駄目なヤツ!! でも気持ちは凄くよく分かる!」

口々にそう言いながら、アシュル共々立ち上がってしまった王家直系達を、控えていた近衛達と、ついでにセドリックが必死に止めようとする。

「リアム! 僕も気持ちは同じだけど、まずは公爵様に話を聞いて……って、ちょっと! なに出て行こうとしているんだよ!? 取り敢えず落ち着こう!!

「私どもも、ものすごく理解出来ます!! ですがそれはそれ! 殿下方、落ち着いてください!!

「誰か! ヒューバード様を呼べ!!

近衛の誰かが言い放った台詞に、ディランが素早く反応する。

「そーだ! ヒューの野郎!! なんでこんな大事になってんのに、影から報告上がってこねーんだよ!? おい、マテオ! お前何か聞いているのか!?

「い、いえ! ディラン殿下。私もたった今知りました! あっ、ぴぃ!? ど、どこ行ったんだ!?

魔力の一斉放出に驚いたのか、いつの間にかぴぃが部屋の中から消えてしまっている事にマテオが気が付き、慌てて周囲を見回す。

その間にもギャアギャアワァワァと、サロンはまさにカオスと化していた。

普段であれば、場の収拾に動くはずのアシュルまで頭に血が上っているのだから、まあ当然の結果だろう。

今にもサロンから飛び出していきそうな王子達を、駆け付けた騎士達や魔導師、果ては影達が必死になって押さえている中、突如救いの神が現れた。

「殿下方! 落ち着いてください!」

「「「「バッシュ公爵!?」」」」

真打ちの登場に、いきり立っていた面々の動きがピタリと止まった。

『め、女神様の助け!』と周囲がウルウルする中、アイザックは「あーあ」という顔で室内に入ってきた。

「バッシュ公爵!! エレノアが……!!

「おい、お前んトコの領地、どうなってやがんだ!? 家令も騎士達も、無茶苦茶じゃねーか!!

「アシュル殿下、ディラン殿下、どうか落ち着いてください。今から私が、色々と分かり易く説明いたしますから! とりあえず座ってください!」

アイザックの言葉に、アシュル達は渋々ソファーに腰を下ろした。

「さて、それでは……」

その時だった。

外から、なにやら揉めるような声と、ドサドサとなにかが倒れるような音が聞こえた後、蹴破る勢いでドアが開け放たれた。

「アシュル殿下!! なんでこの毛玉がここにいるんですか!? ひょっとして、エレノアになにかあったのですか!? 答えてください!!

もがくぴぃを手に握り締めたまま、必死の形相をしたオリヴァーを見たマテオが顔面蒼白になる。

「ぴぃ……! お前、なんでよりによってその男に……」と、マテオが小さく呟く中、『うわぁ……。最悪のタイミングで面倒くさいの来た!!』と、その他の者達は皆、腹の中満場一致で呟いたのだった。