それを見て、呆然と思考停止する私と騎士達を尻目に、更にイーサンの奇行は続いた。
なんと、あの「冷酷」「鉄面皮」の名をほしいままにしてきた鬼の家令(ウィル命名)が、私の前で片膝を突いたのである。
しかも……しかもだ! 逆に私を見上げる形になったイーサンの顔は、ほんのりと紅潮していたのである。
無表情に頬を染め、涙を流し続ける冷酷家令。……ハッキリ言ってその姿は、ホラー以外のなにものでもなかった。
静まり返った演習場で、誰かが喉を鳴らす音がやけに大きく響き渡る。
「貴女様がこの世に誕生された時より、このイーサン。僭越ながら陰より見守り続けてまいりました。……ええ、本当は表で見守りたかった気持ちを押し殺し、耐え続けた苦節十三年……! ようやく……ようやく、お嬢様のご成長をこの目で……!! エレノアお嬢様。未熟者とお笑いください。私は今感動のあまり、心臓の鼓動が停止しそうな状態に陥ってしまっております!!」
「…………」
突然始まったイーサンの独白を、私は言葉もなく聞き入っていた。……いや、聞き入るしかなかった。
で、でも、あれ? イーサンって、私の事を不出来なご令嬢だって呆れていたはずでは……?
「お嬢様がこの領地にいらっしゃる事になったと、アイザック様よりお聞きしてからというもの、お嬢様のお越しを一日千秋の思いでお待ちしておりました。……ですが諸事情により、この荒ぶる思いを、お嬢様に悟られないように接しておりましたゆえ、お嬢様にはお辛い思いをさせてしまいましたね」
クッと、イーサンの眉間の皺が深くなる。
あ、この表情。ひょっとして怒っているんじゃなくて、何かを耐える時の表情だったりするのかな?
思わず、クライヴ兄様とウィルの顔をチラ見してみると、二人ともなんか悟ったような生暖かい目でイーサンを見ていた。しかも他の騎士達と違い、このイーサンの姿を見ても全く驚いていない。
……ひょっとして、イーサンって元々こういう人……?
し、しかもさっきの話からすると、イーサンって私が生まれてから十三年間、ずっと見守ってくれていたの?
「私……。イーサンには嫌われているのかと思っていた……」
するとイーサン、まさしく「苦渋」って感じに顔を顰めた。しかも眉間の皺、今ならコインが挟めそうなほどに深くなっている。
「……お許しくださいお嬢様。私の態度のせいで、お辛い思いを……。さぞや私をお恨みになられた事でしょう」
「ううん、大丈夫!」
思わずプルプルと首を横に振る。
「私が至らなかったからだって思っていたから。……それに、そんなに長い間私の事を見守ってくれていたんだね。イーサン、有り難う!」
「──ッ! お嬢様……!!」
イーサンの目から、まさに
◆◆◆◆◆
──……いや。お前の態度、割とバレバレだったが!?
互いに、良い雰囲気の中で見つめ合う主従を見ながら、クライヴやクリス達が心の中でイーサンに盛大なツッコミを入れた。
──というか、生まれた時からずっと見守っていたって、凄いなそれ!?
──しかもこいつの、赤く血走ったあの目……。絶対、エレノアの剣舞を見て感涙していたんだろうな……。
──今日だって、いつエレノアお嬢様が来てもいいように、夜のうちからずっと柱の陰で潜んでいたに違いない!
──全くもって、愛が尋常じゃねぇ! 狂気すら感じるぞこいつ。間違いなく超ド級でヤバい奴だ。
……等々、皆の心の中でのツッコミは続く。
見れば、あの空気を読まないティルですらも無言でドン引きしている。ってか、あのヤバイ告白に素直に感動しているエレノア(お嬢様)も真面目にヤバイ。
「……今迄あいつの周囲にいた奴ら、あんなのしかいなかったからな……」
『『『ああ……(察し)』』』
クライヴのフォロー(?)に、クリス達は納得したように頷いた。
そういえば、話に聞いた筆頭婚約者様も、同じぐらいにヤバそうな方だったからな。しかも見て見れば、近衛騎士達もあの二人を見てしみじみと感じ入っている様子。……成程。環境って大事なんだね。
自分にビシバシ突き刺さる周囲の視線をものともせず、イーサンは胸元のハンカチで涙を拭うと、表情を改めその場から立ち上がった。
「大変失礼いたしましたお嬢様。貴女様への不敬もなにもかも、この先バッシュ公爵領を受け継ぐ貴女様の憂いを、徹底的に排除する為で御座いました」
「え?」
「……さて」
改めて居住まいを正したイーサンは、その場の騎士達を一瞥した後、唇を開いた。
「私はバッシュ公爵家当主であらせられるアイザック様より、この領の統括と人事権を一任されております」
そう言って一呼吸置いたイーサンが、クリスに視線を向ける。するとクリスは顔を少しだけ曇らせながら、イーサンと視線を合わせた。
「たった今より、その人事権を行使いたします。このバッシュ公爵家騎士団長であったジャノウ・クラークは、己が仕える主に敵意を向けた事により、本日をもって騎士団長の解任及び、騎士団からの除名処分といたします。同じくジャノウ・クラークと共に謹慎中の騎士達も同様に除名処分といたします」
演習場にいた騎士達がどよめく。
だがイーサンの言う通り、彼等は主家の姫であるエレノアに対して敵意を隠さなかった。
本来であれば、命を懸けて守るべき対象にそのような感情を向けたのだ。イーサンのくだした処分はしごく妥当なものであった。
しかも彼らは主家の姫ではなく、別の女性に『騎士の忠誠』を誓った。
そしてその忠誠を誓った女性の為に、仕えるべき主家の姫と対峙するという、騎士として最も恥ずべき行為を行ってしまったのだ。むしろ除名処分で済んだのは、当主の多大なる温情に他ならない。
騎士達に「静かに!」と一喝した後、イーサンは再び口を開いた。
「それに伴い、新たな騎士団長には、副団長であったクリストファー・ヒルを任命いたします。副団長にはテ………いえ。アリステア・マクシミリオを暫定で任命いたします」
再び騎士達が騒めき出す。その中には、「イーサン様『テ』って言ったよな……?」「『テ』って……?」という声が、あちらこちらから聞こえていた。
「なお、先程クリストファー・ヒルに対し、見当違いの意見を述べていた騎士達及び他数名も、ジャノウ・クラークらと共に騎士団から除名処分といたします」
「そ、そんな!!」
「な、なぜですか!? イーサン様!!」
除名処分を告げられた騎士達が真っ青な顔で声を上げた。
それはそのはず。騎士が仕えるべき領主に直接任を解かれるという事は、騎士失格の烙印を押されるようなもので、大変な不名誉とされているのだ。当然、そんな元騎士を騎士として雇おうとする貴族や領主など、この国には存在しない。
なので除名された騎士のその後は、冒険者となり私兵として雇われるか、辺境の警備兵として採用されるかしか道はないのだ。
そんな彼らに対し、イーサンは呆れたような眼差しを向ける。
「なぜ……ですか。その理由が分からないからこそ、貴方がたは除名処分となったのですよ」
「──ッ!」
「……いいでしょう。分からないのならば、教えて差し上げます。騎士とは、仕えるべき方がどのような人物であろうとも、まずは忠誠を捧げ誠心誠意お仕えする。そのうえで、主が間違った方向に向かおうとした時、
イーサンが言葉を切ったと同時に、眼鏡のフレームを指で押し上げた。
「お嬢様の慈悲を賜った後も、性懲りもなくあのような紛い物に心を砕き、更にはお嬢様を侮辱する発言まで……。お優しいお嬢様をどこまでコケにすれば気が済むのでしょうね? 貴方がたは」
ここで、イーサンの態度と口調がガラリと変わった。
「いいか。お前達が今もこうして生きていられるのは、エレノアお嬢様がそれを望まれない事が分かっているからだ。そうでなければお前達もクラークも、一昨日の段階で私が始末していた。それを除名処分で済ませてやったんだ。……こうして、生き永らえられている事の幸運に感謝するんだな……!」
イーサンの全身から、凄まじいばかりの魔力が噴き上がった。その圧迫感と迫力に、その場にいた誰もが息を呑む。
イーサンの怒りを表す、属性が判別できないほど真っ黒い魔力は、まるでそれ自体に意志があるかのようにうねっていた。
◆◆◆◆◆
『……こ、恐っ!!』
イーサンの本気モードの怒りを目にし、全身が震える。チラ見したミアさんの耳も、かつてないほどぺったり寝てしまっていた。
──……えっと……。そ、それにしてもなんか、イーサンの魔力、めっちゃ見覚えがあるんですが……?
あの黒さといい、魔力のうねり具合といい……あっ! フィン様の闇の触手(?)!!
じゃあこれってもしかしなくても、病み……いや、そうじゃなくて、『闇』の魔力……? え? イーサンってば、フィン様と同じ『闇』の魔力属性だったの!?
見れば、クライヴ兄様やクリス副団長……いや、団長達も一様に驚愕の表情を浮かべ、固唾を呑んでイーサンを見つめている。件の騎士達など、その黒い魔力を真っ向から向けられ、顔面蒼白で震えていた。
「……さて」
エレノアや騎士達が固唾を呑んで見守る中、彼らに更に止めを刺すように、イーサンが表情をガラリと変え、ニッコリ(!?)と実に良い笑顔を浮かべた。
笑顔なのに、さっきの怒った顔より怖く見えるとは、これいかに?
「良いではないですか。貴方がたにはすでに心からの忠誠を誓う方がいらっしゃる。今後は誰憚る事なく、大手を振って『騎士の忠誠』を誓った方をお傍近くで守りなさい」
「あ……あ……」
騎士達が、その場で膝から崩れ落ちる。
そんな彼らに向けられた視線は、一様に冷たいものだった。
彼等は確かに、あの場ではエレノアに対峙しなかった。だがイーサンの言う通り、クラーク達の姿を我が身に置き換え、己の騎士としての本分を思い出さなくてはならなかったのだ。
間違いなくこの家令は、あの男爵令嬢を不穏分子をあぶり出す為の駒にしたに違いない。そして彼らはまんまとふるいにかけられ、落とされた。
だがそれと同時に、今現在最後通告を突きつけられ騎士達には、直接エレノアを害する行動を取らなかったとして、引き返す機会が幾度も与えられていたのだ。
なのに彼らは、そのことごとくを棒に振った。この結果はまさに自業自得としか言いようのないものだった。
「……?」
除名処分を受け、項垂れていた彼らはふと、ある視線に気が付き顔を上げる。するとその先にはエレノアがいた。
「──ッ!!」
自分達がお仕えすべき方であった主家の姫。その瞳に浮かぶ感情は、自分達を責めるものではなく、むしろ心配し気遣うものであった。
それに気が付いた瞬間、騎士達は怒涛の後悔に打ちのめされた。
「……我々は……なんという事を……!」
そもそも自分に対して不敬を働いた時点で、ただの管理者であるゾラ男爵の娘を追い出そうとするのは至極当然の事であり、責められる事でもなんでもなかったのだ。
……いや。むしろ普通の高位貴族のご令嬢であったのならば、追い出すだけでは済まなかったに違いない。
バッシュ公爵家当主であるアイザックは娘を溺愛している。
その娘が本当の事を訴えれば、下手をすれば男爵家のお取り潰しさえあり得たはずだ。
──だが、彼女はそうしなかった。
幾度も不敬を重ねるフローレンスや自分達に対しても、主家の姫という立場を振りかざす事なく、真摯に接してくれていた。
そこには自分達で自分達の非に気が付いてほしいという、深い慈愛の心があったに違いない。なのに自分達は、その慈悲を何度も踏みにじってしまったのだ。
仕えるべき主君を持つ騎士としての本分を忘れ、最も護るべきものをないがしろにした騎士達は今やっと、エレノアこそが真実、自分達が身命を賭し、守るべき珠玉であったと気が付いたのだった。
だが、気付くのがあまりにも遅すぎた。
──公私を弁えず己の恋情に溺れ、真に護るべき主を蔑ろにした。
その愚かしさによって、この美しく優しい少女に仕える道を永遠に断たれてしまったのだ。後悔しても、もう取り返しがつかない。
騎士達は心の底から湧き上がってくる後悔と絶望に、その場から立ち上がる事すら出来ずにいた。