自分でなんとかしてください
「……さま。……イヴ様」
ぼんやりとした意識の端に、誰かの声が聞こえてくる。……が、俺の頭の中は、先程泣きながら走り去っていったエレノアで一杯だった為、気に留める事もなくスルーしてしまう。
『クライヴ兄様なんて、イーサンと楽しくフローレンス様の事を話せばいいんだ!! 兄様のバカ!! 大嫌い!!』
宝石のようにキラキラ光る、俺の大好きな瞳から大粒の涙を零しながらそう叫んだエレノアの顔を思い返す。
あの言葉も、あの涙も……。俺の事で男爵令嬢に嫉妬したからなんて……。
自然と口元が緩む。どうしよう、嬉し過ぎる。
もしこんな事をオリヴァーやアシュル達に知られでもしたら……。そう思うと恐ろしい限りではあるが、それでも降って湧いたようなご褒美的幸運に酔いしれてしまう。
「クライヴ様!」
そんな俺の耳に、ハッキリと名を呼ぶ声が聞こえ、瞬時に意識が覚醒した。
「あ、ああ。すまないイーサン」
少しだけ呆れを含んだ眼差しを向けてくる家令に、慌てて詫びを入れる。そう、今現在俺はイーサンと話し合いを行うべく、離れから本邸へと向かっている最中だった。
その話し合いの内容はといえば、勿論あのゾラ男爵令嬢の事だ。
初対面からエレノアに対し、含むところのある女だとは思っていた。そのうえ、自分に対してのあの態度……。
まるで、自分こそが俺に相応しいと言わんばかりのあの振る舞いに、不愉快が臨界点を突破しそうになった。
イーサンや公爵様の思惑があるのだろうと我慢をしていたが、これ以上あの勘違いな猫かぶり女をここに留め置くのはエレノアの為にならない。
それになにより、エレノアの事になると理性を失う万年番狂いの弟と脳筋殿下が、バッシュ公爵領にやってきてアレを目の当たりにしたら……。そう思うだけでゾッとする。
幸か不幸かエレノアのやらかしで、あの女は自ら墓穴を掘った。
エレノアの素晴らしさも十分領民にアピールする事が出来たし、いい加減さっさとあの母娘を
それをまさかエレノアが聞いていたうえに、あろう事か誤解して嫉妬するなんて……。おっといかん。また頬が緩んできた。
「……そうそう、クライヴ様。実はお伝えし忘れていたのですが、ゾラ男爵夫人とその娘であるフローレンス嬢には、既に本邸から退去していただきました」
「──……はぁ!?」
突然サラリと告げられた言葉に、口から思わず間の抜けた声が出てしまった。俺達に付いてきたクリスとティルからも、息を呑むような音が聞こえてくる。
「部下達に命じ、お帰りになるタイミングに合わせて荷造りをさせ、フローレンス嬢の到着と同時に、彼女の乗っていた馬車に母親と荷物を載せて出立させました。これから筆頭婚約者様方や、王族の方々を迎え入れるにあたり、あの親子は不要……いえ、害にしかなりませんからね」
そう言いながら、イーサンは指で眼鏡のフレームを押し上げる。
その顔はあくまで無表情であるが、纏う空気にピリリとした負のオーラが
ならば冷徹な家令の皮の中に、エレノアへの凶愛とも言えるほどに深い愛情を隠し持っている(というか、もう既に隠し切れていない)この男が、あの娘のやらかしに怒らないはずがない。
「ですので、今から行う予定の貴方様との話し合い自体、全くの無意味という事になります」
「だったら、最初からそれ言っとけよ!!」
「後々の細かい打ち合わせは必要かと思いましたので。……まあでも、それを行うのは明日でも問題ありませんし、心ここにあらずなお方と有益な会話が出来るとも思えません。ですのでどうぞ、このままエレノアお嬢様の元にお戻りになってください」
「……いいのか?」
「いいもなにも……。お嬢様を泣かせた責任を、ご自身で取っていただきたいだけですよ」
──なんか最後らへん、妙に言葉にドスが効いていた気がするな……。
『私の大切なお嬢様を泣かせやがって……この青二才が!』という副音声が透けて見えるようだ。
「分かった。クリス、ティル。お前達は他の連中共々、今夜はゆっくり休め」
「警護はよろしいのですか?」
「ああ。エレノアの傍には俺がついているし、これから数日後には他の婚約者達だけでなく、王家の方々も来訪される。だからお前達は、今のうちに休んでおけ」
「御意」
騎士の礼を執り、離れに戻っていくクライヴの後ろ姿を見送るクリスに、イーサンが声をかけた。
「そういえば貴方がた、近衛騎士から
「はぁぁ!? 何でだよ!! ってか、あいつらにも言われたけど、なんで僕らバッシュ公爵領の騎士がお嬢様の事をなにも知らないんだ!? それと、彼らがお嬢様の事を『姫騎士』って言っていたけど、あれは一体なんなんだよ!?」
突然にべもなく却下を食らい、思わずクリスは素のまま怒鳴りつけてしまう。それに対し、イーサンは無表情を崩す事なく淡々と告げる。
「『今は』と言ったでしょう。近いうちに情報制限は解除します」
「やっぱり情報、抑えていたのか!!」
「それに、貴方達はその目で実際のお嬢様を見て知った。ならばそれで十分なのではないですか?」
イーサンの言葉に、クリスはグッと声を詰まらせた。確かに自分は今日一日、エレノアの傍にいて実際の彼女を目の当たりにした。
幼いころの子猿だったお嬢様がよくぞこのような……と、その成長ぶりを何度噛み締め、彼女の騎士である事をどれほど誇りに思った事か。
「……それにお嬢様が『姫騎士』と言われている件に関しては、明日になれば分かります。楽しみに待っていなさい」
そう言って、眼鏡のフレームを指クイしているイーサンを見れば、驚く事に口元が吊り上がり、あろう事か喉奥で小さく笑っている。……先ほどの鋭利な雰囲気が跡形もなくなっているのは結構な事だが、どこをどう見ても何かを企んでいる悪役そのものである。
『薄々思っていたが……。こいつ、お嬢様の事大好きだよな……』
「楽しみにしてろ」と自分達に言いつつ、自分の方こそが滅茶苦茶楽しみにしているっぽいし。
『そういえばクライヴ様が、「朝練」とか言っていたが……。まさかそれに関する事なのか?』
ってか、朝練ってなにをするんだろう?
未だにクックッと邪悪に笑っている不気味な家令を見ながら、そんな事を考えているクリスの横で、ティルはドン引いた様子で「キモッ!」と呟いていた。
「……ああ、そうそう。お前達」
イーサンは執務室に戻ると、なにかに向けて声を発する。
すると次の瞬間、ザワリと空気が震え、複数の気配がその場に現れた。
「クライヴ様に張り付いていなさい。多少の事は見逃すとして、もしお嬢様に万が一の事があれば、殺すつもりで攻撃するように」
次の瞬間、気配が跡形もなく消え去った。
「……伯父上からの報告によれば、婚約者教育は一向に進んでおられないとの事。本来であれば後押ししたいところではありますが、王族が絡んでいてはそれもままなりません。……悩ましい限りですね」
それに、兄に先に出し抜かれたとあっては、あの『万年番狂い』と称される筆頭婚約者がどれほど荒ぶるか。……いや、王家直系達も黙ってはいないだろう。
「エレノアお嬢様。面倒な殿方ばかりに好かれますね」
──……いや。というより自分を含め、アルバの男が総じて面倒な性質なのかもしれないが……。
そう心の中で呟きながら、イーサンは今日の視察で起こったあれこれをアイザックに報告すべく、魔導通信を行う準備を開始した。
◇◇◇◇◇
離れに戻ったクライヴは一路、エレノアの部屋へと向かう。すると扉の前に、クリス達とは別の護衛騎士達とウィルが所在無さげにウロウロしているのが見えた。
「クライヴ様!」
こちらを見るなり、あからさまにホッとした顔のウィルが駆け寄ってくる。その姿はまごうことなく、尻尾を激しく振った忠犬そのものだ。
「ウィル。エレノアの様子は?」
途端、忠犬の尾と耳がへたる。
「はぁ……。自室のベッドでお休みになられております。……その……。お着替えしている間もずっと泣いておられて……。今はミアさんが傍に付いて宥めてくれています」
ウィルの説明を聞いたクライヴの眉根が寄った。
いくら気が動転していたとはいえ、あの状態のエレノアをそのままにしてしまった後悔が、ギリギリと胸を締め付ける。
「……そうか、分かった。ウィル、そして他の者達も、今日はここを警護しなくてもいい。明日からは忙しくなるだろうから、全員今日のうちにゆっくり休んでおけ」
「クライヴ様、ですが……」
「エレノアの事は心配するな。俺に任せておけ」
途端、ウィルと護衛騎士達がなんともいえない表情を浮かべた。
ウィルの顔などあからさまに「むしろ心配です!」と、でかでかと心の声が書かれている。
「……いいから、とっとと行け!!」
イラッとして思わず威圧を浴びせると、全員慌てて一礼した後、その場を足早に後にする。
尤もウィルだけは、廊下の角から小さく「クライヴ様~! 負けてはなりません! 自制ですよ~!!」と、エール(?)を送ってから去っていった。
クライヴは「やれやれ」といったように溜息を吐いた後、高い天井を見上げた。
「『影』いるか?」
すると暗がりがゆらりと動き、複数の気配が現れる。
『はっ!』
『クライヴ様、ここに』
「俺はこれから、エレノアの部屋に入る。ついてはお前達も部屋への入室を許可する」
次の瞬間、気配がざわつく。
「そして俺が暴走しそうになったら……殺すつもりで攻撃しろ」
『──ッ!』
『そ、それは……!!』
そう。あの時いきなりの「寝てください」発言で脳内が修羅場を起こし、気が付かなかったが、「添い寝」だとて立派な
鈍いエレノアは気が付いていないのだろうが、婚約者ないし恋人である女性の方からそういった行為を求めるという事は、すなわち相手に「自分に触れてもよい」という許可を与えたも同然。
その上で、例えば口付けをしたとする。
膝抱っこしたり、ソファーで抱き締めたりしながらの口付けであれば、それがどれだけ濃厚なものでも「婚約者との微笑ましいスキンシップ」で済む。
だが、同じ事をベッドで同衾しながら……となると話は別だ。それは「微笑ましい」触れ合いではなく、立派に「婚前交渉」になり得るのである。
しかも、その相手は自分が唯一無二と定めた心より愛しい存在で、身に着けているのは(多分)ナイトウエアのみ……。
昼間、無自覚天然発言によりダメージを負った身としては、そんなエレノアとベッドの中で引っ付いたりキスしたりして、その先どこまで耐える事が出来るか分からない。というよりむしろ耐える自信がない。
「万が一の時の為だ。……どのみち理性がブチ切れたりすれば、後でオリヴァーの奴にぶっ殺されるからな」
『確かに……』と誰かが小さく呟く。というより、自分を差し置いて同衾した事がバレれば、どのみち無傷では済むまい。(主に精神的に)
『『『いっその事、エレノアお嬢様との同衾をお止めになられたら……』』』
──と、影達は思ったが、それを口にする者は誰一人いなかった。
……まあ、それは当然の事であろう。
なにせ、あの無垢で天然なお嬢様の勇気を振り絞ったお誘いなのだ。もしそれを言われたのが自分達だったとして、止めるかと言われても絶対止めないだろう。
いや、後で処刑宣告を出されたとしても絶対止めない。そして悔い無く笑って
『かしこまりました、クライヴ様!!』
『どうぞご存分に挑まれませ!!』
『何かあったら、遠慮なく攻撃させていただきます!!』
「お、おう? 頼んだぞ!」
影達のやる気に満ち溢れた声援(?)を受け、クライヴはエレノアの部屋のドアを静かに開けた。