ちょっぴり赤くなってお礼を言うと、無表情だった口元がピクリと動いた。
……な、なんかイーサン、表情とかは昨日と変わらないんだけど、態度がこう……柔らかくなった? というより、子供扱いになった?
だって口元にソース付けちゃっただなんて、普通だったら「お嬢様、はしたのう御座いますよ」って叱られるとこだよね?
なのに優しく拭われるだけなんて……。ツンツンされるよりも嬉しいんだけど、なんかこう……。落ち着かないというかなんというか……。
あ! ウィルがこっちをジト目で見てる!
そういえば食堂に来てからずっと、イーサンが手取り足取り私の世話を焼いてくれているからな……。そのせいでウィル、手持ちぶさたになっちゃって、いつの間にかクライヴ兄様の方に追いやられちゃったんだよね。ごめんねウィル。
あ、ちなみにミアさんはここにはいません。
実は彼女、故郷から移住してきた家族の元に行っているんだよね。まあ、
ミアさん、アルバ王国に来てからこっち、ずっと家族と会えていなかったからね。
身の回りのお世話をする人達も沢山いるし、一日でも早く顔見せた方が良いよと、遠慮する彼女を昨夜のうちに、家族の元へと送り出したのである。
ミアさん、恐縮しながらも凄く嬉しそうな顔していたなぁ……。
「クライヴ様っ! アレ、どうにかならないんですか!?」
エレノアがミアの事を思い出し、しみじみしているのを
そんなウィルの姿は、まるで愛人に妻を寝取られた夫のようで、今にもハンカチを噛み締めんばかりだ。
既に自分の分の朝食を完食したクライヴは、食後の紅茶に口をつけながらウィルに対し、同情と呆れを含んだ眼差しを向けた。
「ウィル、落ち着け。気持ちは分からんでもないが、そもそもあっちとお前とでは、傍仕えとしての経験値が違い過ぎる。あの男は本邸の一切を公爵様より直々に任されるような奴だぞ。騎士あがりで召使歴の浅いお前が勝てる相手じゃねえ」
「そんな事はありません!! たとえお仕えする年数は浅くとも、エレノアお嬢様への愛と忠誠は、あんな陰険野郎には断じて負けませんとも!!」
鼻息荒く、そう断言するウィルであったが、実はイーサンがアイザックと「初めてのパパ呼び」を巡り、昼メロ~奥様愛の劇場~ばりの攻防を繰り広げたガチ勢である事を知らない。
対して、イーサンに思うところのあるクライヴは、それに関して何も言わず、ただ黙って紅茶を飲んでいたのだった。
「それにしてもクライヴ兄様。私がこっちに着いたのって、昨日の夕方近くですよね? なのに各村々から問い合わせがくるって、どういう事なんでしょうか?」
「そりゃあお前、昨日領民に手を振っていたアレだろ。……ったく、だから無駄に愛想を振りまくなって注意したんだ」
「え!? ち、ちょっと待ってください!! 手を振ったって、ほんの数人にだけですよ!? なのになんで他の村や町の人達が、私がここにいる事を知っているんですか!?」
「……甘いな。お前は地方における噂の広がり方を舐めている」
「え?」
ク、クライヴ兄様。ここにきて、地方あるあるですか!?
動揺している私に対し、イーサンは一口大にカットされた果物を私の目の前にサーブしながら、深々と頷いた。
「お嬢様。このバッシュ公爵領は大変にのどかで過ごし易い土地柄ですが、それゆえ他の領地に比べ、娯楽があまり御座いません。なので、こういった噂は考えられないほどに早く広がります。特にお嬢様のご
《イーサンの想像》
『おい、見たか!? バッシュ公爵家の家紋の入った馬車だぞ!』
『八本脚の馬だった! あれって、王族や貴族が使う魔獣(?)だよな!? しかも護衛もいたぞ!』
『そしたら、公爵様かお嬢様がいらっしゃったんだ!』
『俺、すっごく可愛い女の子が乗っているの見たぞ!』
『俺も見た! 手を振ってくれた!』
『じゃあお嬢様が来たんだな! 隣町の親父に伝えにいかなきゃ!』
『なにっ!? お嬢様が!? 田舎の親戚に魔導電報だ!』
『俺も報告しなきゃ!』
『あ、俺も俺も!!』
『おい、
『うちの村に来てもらえるよう、村長さんに直訴じゃー!』
『他の村々に後れをとるな!! うちに一番先に来てもらうぞ!!』
「……とまぁ、こんなところでしょうか?」
イーサンの予想に、私は思わず口を開け、ポカンとしてしまった。
『そ……そういえば……』
私が前世で住んでいた所も割と田舎で、「ドコドコの誰々さんが帰ってきた」「どうやら婚約した報告に来たらしい」「あれまぁ、めでてぇ!」……なんて、あっという間に広まっていたわ。……ヤバイ。田舎ネットワークの恐ろしさを舐めていた!
「まあ、オリヴァー達が来た後に、領内の貴族連中や有力者達を集めたお披露目パーティーを開く予定ではあったが、その前に領民に顔見せするのはアリだな。修行の事もあるし、何よりオリヴァーが来たらお前と離れたがらないだろうから、自由に動ける今のうちに、領地の視察を済ませちまった方がいい」
「……そうですね。分かりました」
クライヴ兄様のお言葉に、私は汗を流しながら頷いた。
確かにオリヴァー兄様、今でも私をあんまり他人の目に晒すのを嫌がるし、
本当は今日、修行に良さそうな牧場や農園を見て回ろうと思っていたんだけど……。そんでもってついでに、移住した獣人さん達……というより、チビケモミミさん達と触れ合う予定だったんだけどなぁ……。
あ、別にそれが主な目的ってわけではないですよ!? あくまで異文化コミュニケーションの一環です!
『……まあいっか。まだ来たばっかりだし、一日ぐらいズレたって問題ないよね』
ところで先程から気になっていたのですが、クライヴ兄様……。なんかやけに気怠そうだな。あ、
差し込む朝日を受けて、兄様の綺麗な銀髪がキラキラ輝いて、アンニュイな表情と相まって、めっちゃ色っぽいです! 目に沁みます! 眼福です! お陰様で私の心臓、朝からドコドコ
『そういえば……』
クライヴ兄様。昨夜、久々に鼻血を噴いてグッタリしていた私をベッドに寝かせてくれた後、なんか後ろ髪を引かれるような感じにチラチラ私を見ながら、自分の寝室に入っていったんだけど……。ひょっとして、私からの添い寝のお誘いを期待していたのかもしれない。
んで、それが不発に終わって、鍵のかかっていない続き部屋で悶々としていてよく眠れなかった……とか?
……うん。考えてみればクライヴ兄様も、精力盛んなお年頃。
しかも『男子の嗜み』を計算に入れなければ、兄様ってまさかの童●なんだよね……。た、溜まってる……のかもしれない。いや、兄様とて健全な男子。溜まっていないはずがない! (はしたなくて申し訳ない)
こ、ここは婚約者たる私が一肌脱いで……いや、脱がないけど! ……えっと、そ、それで……。私、まだみ、未成年だし、過激なスキンシップは無理だけど! ……じ、自分からキス……したりとか……! と、とにかく、そ……添い寝ぐらい……頑張ろう……かな?
うん、そうだよ。私さえ黙っていれば、オリヴァー兄様にだってバレないだろうし。こ……今夜にでも勇気を出して、クライヴ兄様を誘ってみよう……かな!?
『……こいつ……。またろくでもねぇ事考えてんな……』
まさに、そのろくでもない事が特大級の天然砲として自分を襲うであろう事などつゆ知らず、クライヴは今現在、自分の目の前で百面相をしながら何度も頷いている最愛の妹をジト目で見ながら、そう心の中で呟いたのであった。
「そうそう、お嬢様。視察の件ですが、ゾラ男爵令嬢が同行を所望しております」
途端、爽やかだった食堂の空気がピシリと凍った。
見ればクライヴ兄様、能面のような顔になっている。ウィルや他の召使達に至っては、明らかに顔を顰めているよ。おい、ちょっと君達! レディーファースター精神はどうした!?
「彼女はお嬢様ご不在のおり、領内のあちらこちらを訪れております。なので自分がご案内差し上げたいと、そう申しておりまして……」
へぇ~、そうなんだ。管理者って領主の代わりに、視察なんかも定期的に行うんだな。
それを手伝って、フローレンス様もあちこち飛び回っていたという事か。じゃあ、色々領内の事情も知っているみたいだし、案内してくれるのなら心強いよね。
「分かりました。ではお願いしますと伝えてください」
「かしこまりました」
「イーサン。同行は許可するが、馬車は別々にしろよ」
「クライヴ兄様?」
「折角のお前と二人きりの空間に、よく知りもしない他人を入れて邪魔されたくねぇ」
「──ッ!」
ボンッと顔が真っ赤に染まる。
ク、クライヴ兄様! サラリと独占欲発言きましたね!? あ、朝っぱらからそういう心臓に悪い発言、やめてください! もう!!
「お嬢様、お任せください!! 我々の手で、お嬢様を輝かんばかりの天使仕様に飾りたててご覧にいれます!! 格の違いを見せ付けてやりましょう!!」
「う、うん。程々によろしく……?」
鼻息荒く宣言された、美容班達のやる気が熱い。
それにしても、格の違いって……? 皆なにと競い合っているのだろうか?
『そ、それにしても……。この朝食、量が多いな!』
甘いトウモロコシをふんだんに使用した極上ポタージュ。フカフカの焼きたてパン。蜂蜜たっぷりフレンチトースト。特製ドレッシングのかかった、旬のフレッシュ野菜サラダ。そして産みたて新鮮卵と自家製ベーコン。チーズをたっぷり使用した、フワフワスフレオムレツと、朝採れフルーツ盛り合わせ。しかもカボチャのプリンや苺ムース等、野菜や果物を使ったデザートまで、各種色々取り揃えてある。
……さっきから頑張って食べているんだけど……。さ、流石にもう限界かも……。
私は食べても食べても減らない食事を前に、途方に暮れていた。見ればクライヴ兄様の分は、綺麗さっぱりペロリと食べ尽くされている。
ぐぬぬ……クライヴ兄様。細身の癖に、わりと大食漢なんだよね。
「お嬢様。無理してお食べになる必要は御座いません。美味しいと思ったものだけ、召し上がってくださいませ」
「う~ん……でも、全部美味しいし……。残すのはなぁ……」
だって、残ったものは廃棄されてしまう。こんなに美味しいのに、そんな勿体ない事したくないし……。あっ、そうだ!
「じゃあ、お弁当作ってもらえますか?」
「お弁当……ですか?」
「はい! 領内を視察するのって一日仕事だろうし、皆で休憩する時、手軽に摘まめるようなものを中心に。……それで私の分は、この残ったお料理を使ったお弁当にしてください!」
「お嬢様!?」
「フレンチトーストとデザートは、頑張って食べ切ります。だから、オムレツとかサラダとか、このフワフワパンに挟んでサンドイッチにして、フルーツも生クリームと一緒にパンにはさんでフルーツサンドにしてほしいです!」
「残したお料理を、お弁当に……? お、お嬢様……!」
うっ! イーサンの眉間の皺が増えた!!
こ、今度は流石に淑女らしくないって怒られるかな? で、でもここは踏ん張らなきゃ!
「だって、このまま残すのなんて、食材を作ってくれた生産者の方々や、料理を作ってくれたシェフに申し訳ないもの! ……ね、イーサン。お願い!」
私の必死のお願いに、イーサンは物凄く深い溜息をつきながら、眼鏡のフレームを指でクイッとした。……あれっ? か、顔がほんのり赤い。い、怒りを抑えているのか……!?
「……かしこまりました。レスター、今聞いたとおりです。余った料理は捨てるのではなく、お嬢様の御昼食として作り直すように」
「は、はいっ!」
イーサンの言葉に、今迄部屋の隅に控えていた料理長だと紹介されたレスターさんが、戸惑いながらも恭しく頭を垂れた。
よ、良かった……! イーサン的には不服かもしれないけど、ひとまず納得してくれたようだ。
「レスターさん、美味しい食事を有難う御座います! ……あの、でも今日の夕食からは、もうちょっとお食事少なくしてくれますか? どれもとても美味しかったから、残す事になったら勿体ないですしね」
そう言って微笑むと、レスターさんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
……ん? あれ? イーサン、なんで目元にハンカチを当てているの? ひょっとして目にゴミでも入った?
「「…………」」
そんなエレノア達のやり取りを観察していたクライヴとウィルは、揃って半目になった。
「……クライヴ様。あの家令、ヤバイです」
「……お前も分かってきたようだな、ウィル」
「はい。……それにあの人、他の人達と普通に接しているようで、エレノアお嬢様だけしか見ていませんよね!? あの狂気にも似た執着……いえ、愛の重さ? ……失礼ながら、私が非常によく存じ上げている、どこかの誰か様と非常に近いものを感じます」
「ああ……。そうだな……」
クライヴとウィルがヒソヒソと話し合い、その王都にいるどこかの誰かが、「ハックシュ」とクシャミをしていた丁度その時。先程朝食の残りをお弁当にするようにと命じられた料理長のレスターが、信じられないといった面持ちでエレノアを見つめていた。
彼はエレノアがまだ小さい頃、ここに帰ってきた時の事を覚えている古参の使用人の一人である。
『……あの時、お嬢様は「こんな田舎臭いお菓子なんて食べたくない!」と言って、自分が作ったお菓子を床にぶちまけていた……』
お嬢様の好きなものはなにかと考え、子供が喜びそうなものをと、色々試行錯誤を繰り返しながら作ったお菓子を一口も食べずに無駄にされ、その時は酷くショックを受けたものだった。
貴族が食事を残す事などありふれた行為だし、食事の度に感謝と感想を口にする御当主様のような方の方がまれなのだ。それは分かっている。
だが、心を込めて作ったものを、「田舎臭いつまらないもの」と言い切り、無駄にされた印象が強く残っていた為、不敬とは思いつつもお嬢様に対し、苦手意識を持ってしまっていたのだ。
なのに同じ貴族であり、女性であるフローレンス様は、一使用人でしかない自分と顔を合わせる度、『いつもありがとう御座います』『美味しかったです』とお声をかけてくださった。それが料理人として、どれほど嬉しかった事か……。
だから、お嬢様の為に離れで料理を作るように……とイーサン様に命じられた時は、ハッキリ言って憂鬱だった。自分と同じ古参の使用人達が口々に、「お嬢様はとても変わられた」と話していても、信じる事が出来なかった。
『きっと文句を散々言われながら、嫌そうに食事を召し上がられるだろう。いや、一口も食べてくださらないかもしれない』
そしてまたあんな思いをするぐらいなら、いっそお役目を辞退し、罰を受けてでもフローレンス様の元で食事をお作りしたい。……そう思ってすらいた。
けれどもその憂鬱な気分はたった今、ものの見事に吹き飛んでいってしまった。
お嬢様は自分の料理を見るなり目を輝かせ、「どれも美味しい!」と、一生懸命召し上がられていた。
そして、作ってくれた者に申し訳ない。美味しいから残したくないと仰り、お弁当にしたいとまで望んでくださったのだ。
ハッキリ言って、自分の目と耳を疑った。今見ている光景が信じられなかった。
「レスターさん、美味しい食事を有難う御座います!」
名を呼び、向けられた愛らしい満面の笑み。
お嬢様に対する偏見が跡形もなく消え去り、代わりに湧き上がってきたのは、涙が出るほど温かな感情。
──そういえば……と、ふと思い出す。
『いつも有難う御座います』
お嬢様と同じように、そう言って微笑まれたフローレンス様。だが、あの方は自分の名を一度も呼んだ事がなかった。
……そしてお嬢様が残したくないと仰った、あの料理の数々……あれは。
『食卓にもう少し、彩があったら素敵ね』
『果物の種類が沢山あると、とても幸せな気分になれるわ』
『以前、お父様が王都からお土産に買ってきてくださったお菓子。そりゃあ美しくて美味しかったのよ』
そうフローレンス様が呟かれるたび、あの方の笑顔が見たくて……。思いつく限りの最高の料理を作ってお出しした結果、品数がどんどん増えていったのだった。
しかも、その殆どが僅かに口を付けただけで残され、廃棄されていた。
だというのに愚かにも自分は、「食べてもらえた」と、その事実だけで幸せで……。
『食材を作ってくれた生産者の方々や、料理を作ってくれたシェフに申し訳ないもの』
バッシュ領に暮らす人間として……そしてバッシュ公爵家にお仕えする一員として、とてつもない喜びが湧き上がってくる。
──ああ。皆の言う通り、お嬢様は本当に変わられたのだ。
「……お嬢様。お弁当も……そしてこれからお出しする料理も。お嬢様を笑顔に出来るような、とびきり美味しいものをお作りいたします!」
今も幸せそうに、カボチャのプリンを頬張る小さな主に向けてそう呟いた後、レスターは深々と頭を下げた。