通貨の違い
「お客さん、変な物積まれたらこっちも困るんだよ。出航前に掃除まで必要になっちまったし、どうしてくれるんだ?」
件の木箱を廃棄すると乗客の前で告げたら、持ち主はあっさりと判明した。腐りかけの醤漬けはさておき、石は価値のあるものだ。それを手放すことなど出来なかったのだろう。
小太りの商人は、慌てたような素振りで頭を下げている。うちと付き合いのある商会に所属しているようだが、この男の利用は初めてだ。どこか小狡そうな、裏のある雰囲気を感じる。
「船長さん、積み荷は引き上げますので、どうか箱の処分は勘弁してください。掃除にかかった費用もこちらで出します!」
周囲に誠意を示しているようで、実際には最低限かつ当たり前の話しかしていない。
呆れて溜息を漏らすと、商人はこちらの足に縋り付いて泣き喚き始めた。俺は足を強引に引き抜き、汗で湿った裾を手で払う。
「あれを処分される訳にはいかないんです、どうか、どうか!」
「取り敢えず、アンタの商会とは今までの付き合いもあるんで、事を荒立てるつもりは無い。持って帰るなら後は自分でどうにかしてくれ。ただ同じことを繰り返すようなら、今後は考えさせてもらう」
「ご迷惑をかけた以上、それは已むを得ません。ご寛恕くださいまして、ありがとうございます」
そう言った瞬間、商人は涙を引っ込めて満面の笑みを浮かべた。そのまま木箱の元へと走り、引き摺って船から離そうとする。
……積み荷を拒否されるのは織り込み済み、といった様子。となると、これは密輸ではなく何か別の狙いがあるな?
事の真相は読み切れないものの、荷物を下ろして終わり、とは到底思えなかった。
「なあお客さん、積み荷の担当をしたのが誰かは覚えてるかい」
「いいえ、荷物は所定の位置に置いてくれ、としか言われておりません。誰が積んでくれたのかまでは……」
内心で舌打ちをする。
客に対する説明としては、定型文に当たる言葉だ。これでは確認した者が誰なのか解らない。それに、この商人が素直に白状することだって有り得ないだろう。
……臭いで吐きそうになっていたデニスは、容疑者から外れるか。
俺はデニスを手招きし、なるべく声を抑えて告げる。
「デニス。乗船準備はいいから、商会へ走ってくれ。あの男のことを厳重に抗議しろ」
「解った」
こちらが木箱を処分したことにして、実際はこの男が中身を横領するという展開は有り得る。身を守るためにも、やれることはやっておくべきだろう。
デニスを見送りつつ、面倒事が増える一方だと、俺はこっそり溜息を吐いた。
◇
大変喜ばしいことに、荷物を積み込んだ商人は大人しく箱を引き取ってくれた。
どうも上司に輸送を任されただけで、中身については知らされていなかったらしい。それが本当なのかはさておき、蓋を開いたらあまりの悪臭で泣いていたので、取り敢えず気分的には満足した。
耐え切れずに吐いて岸を汚した所為で、周囲で見ていた人間からも非難されていたが、これについては自業自得だろう。うずくまって、小刻みに震える背中が目に焼き付いている。
相手が素直に引き下がったため、事があっさりと済んだ点は良かったが──積み荷を確認した人間が誰かまでは、結局のところ解らなかった。決まった担当がいるのではなく、手空きの船員が合間にこなす業務であるため、白を切られたらそれまでのようだ。
密輸を目論んだのか、そもそも作業工程の不備で確認すらされていないのか。いずれにせよ、解らないものは仕方がない。ただ乗客からは、船員に対する信頼が漠然と損なわれたような印象を受けた。
船員が仕事に対して真面目であると信じたくとも、目の前にある現実がそれを否定している。
とはいえ、真相に興味はあっても、正義漢ぶって俺が追及するようなことではない。自分の身を守るのは自分だということで、船員の真似事は終わりとするべきだろう。
そうして予定より遅れたものの、ひとまず船は出発した。日程の決まった旅という訳でもないし、数時間くらいは誤差だ。
「やれやれ……」
着替えて手も洗ったのに、まだ臭いが残っている気がする。
お詫び兼箱の撤去費用として貰った、酔い止めの飴を舐める。花蜜に香草を入れて煮詰めたという飴は、顔の周りに漂っている不快感を多少打ち消してくれた。
溜息で甘い匂いを撒き散らしつつ、周囲を確認する。
俺はもう食事をする気分にはならないが、船員達は体が資本であるためか、交代しつつ朝食を摂っていた。こういう面での意識は高い。
何となく怪しい人間を探ってしまう──最終的に船に乗り込んだのは、船員が五名に俺を含めた乗客が六名。船旅は金がかかるものだからなのか、客の身なりというか、装備はしっかりしている。
中年の男と妻子、その護衛で併せて四人。残ったもう一人は、俺と同じく単身で船旅らしい。
一方で船員は食事中の者が三名、櫂を操っている者が二名。全員が引き締まった体をしており、服装も同じであるため、遠目だと判別がつきにくかった。
……事件が起きると、誰も彼もが疑わしく見える。
先入観を捨てろ。深入りするな。俺には関係ない。
冷静な自分がそう主張している。
結局のところ、王族や貴族との縁を断ったとしても、別に世界が優しくなる訳ではない。外界は魔獣が闊歩しており、人里では権力者が幅を利かせているこのご時世において、人が強かになるのは当然なのだろう。善良な人間の方が大多数だとはいえ、善良なだけで生きていけるほど甘い環境ではない。
明日の日を見るためには、何らかの力が必要だ。最低限、己の生活を確保出来るだけの何かが。
そう考えると、あの壺を届けることで、誰かが助かる可能性だってあったのかもしれない。
……しかし何故、あんな拙いやり方を選んだのだろうか? 石自体は持ち込みが禁止されている品ではないのだから、普通に輸送はされた筈だ。なのにあんな隠し方を選んだとなると、仕入元か出荷先、どちらかの目を誤魔化そうとしたということにならないか? そこを調べれば、ある程度事情が解りそうだが……生憎今は船の上で、何が出来る訳でもない。
いや、そもそもの話、これは密輸ではないんだよな。隠しているから犯罪のように見えただけで、問題となったのは醤漬けの方だ。だからどこか嚙み合わない印象が残っている。
考え事に耽っていると、不意にザナキアさんからお声がかかった。
「フェリス、樽が一つ空になった。行けるか?」
「行けますけど、早いですね?」
「そりゃあ、船室を洗ったからな」
それもそうか。あの臭いにあの汚れであれば、かなりの量を使っただろう。
納得して樽の置かれた場所へと向かう。一つ分をすぐさま満たして、俺は軽く息を吐いた。
「……ザナキアさん、さっきの件があるじゃないですか」
「壺のことか?」
「ええ。ああいう、荷物を隠して持ち込む話ってよくあるんですか?」
ザナキアさんは苦笑いを浮かべると、水を一口啜る。
「大っぴらに言えた話じゃないが、まあよくある。国境沿いまで下るとデグラインとカイゼンの軍事基地があるから、色んな荷物が動いている訳でな。いちいち突っ込んでたらこっちの命が危ないんで、航行の妨げとなる物以外は全部通すことにしてるんだ。さっきのも賄賂か何かじゃねえか?」
なるほど。
臭いはさておき、ザナキアさん達は荷物の内容を知っても特に慌てていなかった。あれは慣れているからか。
「それ、俺に話しても大丈夫ですか?」
「公然の秘密という奴かね。バレることが少ないってだけで、怪しい荷物が無い方が珍しい。両国とも、敢えて法整備をしてないようだしな。むしろ、アレを通した奴が名乗り出なかった方が、俺としては痛かったよ」
仕事において信頼出来ない人間が身近にいる、という事実はどうしても負担になる。しかし船上で犯人捜しをしたところで、結果を出せなければより雰囲気が悪くなるだけだ。
この状況はやり辛いだろうな。
「取り敢えず……この便が終わるまでは、ちょっと動けないでしょうね」
「そうなんだよなあ。仕方ねえ、まずは仕事に集中するさ。ああ、暫く甲板は危ないから、船室に引っ込んでた方が良いぞ」
「ん、何かあるんですか?」
「そろそろ流れが速い場所を通るんで、船が揺れる。それと、チージャの巣が近い」
チージャは口の先端が鋭く尖った魚で、水面から獲物へと飛び掛かる習性があるそうだ。船を壊すほどの力は無いものの、当然ながら人には刺さるし死者が出ることもあるため、一般客には下がってもらうとのことだった。
そんな状態でも、船員は河の状態によって進行を決めねばならないので、甲板から離れる訳にはいかない。色々大変なんだとザナキアさんは笑っていた。
ただ危険が迫っていると言う割に、彼は半袖の作業着のままで、武装する様子が無い。
「……何か防具は?」
「船首を担当する二人にはある。で、他の三人は盾を両手に持って、向かって来た奴を叩き落とす役割だな。動き易い方が作業が楽なんだよ」
チージャの脅威度が解らないし、慣れてもいるのだろうが、流石に何か装備した方が良い気がする。少なくとも、頭くらいは守るべきだ。
「ザナキアさん、手拭いって余ってません?」
「多少はあった気がするな。どうした?」
口で説明するより、見てもらった方が早い。
俺は魔核で軽く曲がった板を作り、手拭いの上に載せて包んだ。板が真ん中に来るよう調整して、布の端を頭の後ろできつく結わえる。お手軽な額当てだ。
「こうすれば汗が目に入らないようにしつつ、頭も守れる防具になります。板の部分だけならすぐ作れますよ」
「やけに魔力が多いと思ったら、お前、魔核職人だったのか。なるほどなあ。因みに全員分作るとして、幾らで売る?」
正直なところ、加工に関しては全く苦労していない。魔核そのものの価格と俺の手間賃を考えても、大した額にはならないだろう。ただ、あまり腕を安売りするなという忠告が脳裏を過ぎる。
前なら一万とつけていただろうな。
「一つにつき二万でどうです」
「それ、ベルとカーゼとどっちだ?」
「あっ」
まるで考えていなかった質問に、胸を突かれる。
已むを得なかったとはいえ、慌ただしく渡航を決めた所為で、為替相場を把握していない。むしろ何故そんなことが抜けていたのかと、己を呪うほどの失態だ。完全にやらかした。
「ベルのつもりでしたが、カーゼだとどれくらいです?」
「今は百ベルが百十カーゼってところだな。カイゼンの両替商に頼むと、手数料で一律三千ベル取られたような……暫く使ってないから解らん」
「カーゼを持っていないので、そちらでお願いします。勉強するんで、端数は切ってください」
文字通りの勉強だ。ザナキアさんがこの辺の知識を惜しまない人で助かった。
「お前は本当に……発想がどっか年食ってんだよなあ」
ザナキアさんは苦笑いを浮かべると、すぐ近くの船室から金を持って戻って来た。数えてみればきっちり十万カーゼ。気を遣われない方が、今回ばかりは気が楽だ。
俺は立て続けに同じ板を作り、鉈の背で叩いて見せる。甲高い音が響くも、板そのものに傷は無い。割れていないことを確認してもらってから、ザナキアさんにそれらを手渡した。
「多少の衝撃には耐えられるようにしてあります。魚が相手なら充分かと」
「そうだな、これくらい頑丈なら大丈夫だ。ありがたく使わせてもらおう。……さて、今度こそ俺は仕事に戻るかね。お前は船室で、他の客と話でもしておけ。彼等はお前と違って、カイゼンは初めてじゃない。色々面白いことが聞けるだろうさ」
「そうですね。そうさせてもらいます」
話し込んでいるうちに、船もかなり進んだだろう。俺は忠告に従い、船室へと足を向けた。
「チージャは美味いから、沢山獲れたら分けてやるよ」
「へえ。期待してますよ」
軽口を叩いて、ザナキアさんと別れる。
一人になり、ふっと息を抜いた。
おかしなことばかり起きている所為──と、自分を正当化するには無理があるな。誰にも頼れない土地だというのに、どうにも間が抜けている。このままでは、いずれ致命的な過ちを犯すだろう。
あれこれ考え込むのなら、足元をしっかりさせてからだ。腕っぷしだけで全てを切り抜けられるほど、世の中は楽に出来ていない。
急に色々なことが心配になってくる。異国ということを深く考えず飛び出して来てしまった。
今更戻れもしないのに。
久々の自己嫌悪だ。それでも、まだ到着までは時間がある。
情報収集のためにも、もっと他人と交流することにした。