電子限定 特典SS 草原の出会い



 目の前で母が殺されたあの日から、俺の世界は何もかもが変わってしまった。

 それまでの俺の世界といえば、皇宮がすべてだった。母がいて、弟妹がいて。教師がいて、そしてキリムネ師匠がいて。漫然と平穏をきようじゆし、毎日当たり前のように食事が出てきて、将来の帝国と自分の行く末に思いを馳せる。

 皇宮で完結し、皇宮ですべてがうまく回っている。それが俺の世界だった。

 だが大規模な粛清が行われたあの日から、俺は世界から追い出されてしまった。帝国兵を警戒しながらの逃避行は常に強い緊張を強いられ、何度も体調を崩してしまった。1日に食事が1回、それもわずかなパンひときれだった日もある。

 定住はできず、師匠と旅を続ける毎日であり、俺は母の死を悲しむ余裕すらなかった。

 だが決して泣き言は言わなかったし、自分はなんて不幸なんだとわめくこともしなかった。俺を連れて旅を続ける師匠の足を引っ張りたくなかったからだ。

 師匠は商人の護衛を繰り返しながらぎんを稼ぎ、領地から領地へと渡っていた。俺は薄汚れた服を着て右目には眼帯を巻いており、師匠が拾った戦災孤児という役割を演じていた。

 このころの帝国はどこも混迷を極めていた。どれだけ有能な統治者でも治安を維持するのは難しいだろう。

 皮肉なことに、それが俺の逃避行を助けることになっていた。賊も多く発生していたし、師匠も仕事を見つけやすかったのだ。実際、俺の前に追手が姿を見せたことはなかった。

「もしかしたらヴィルはもう死んだものと処理されているのかもしれんな」

 あの日、粛清に合ったのは俺と母だけではない。皇宮にいた他の皇族も、全員とは言わずとも何人か粛清されていたはず。

 師匠はいくつかの偶然が重なって、俺はもう死んだものだと思われているのでは……と考えているようだった。

 だからといって安心はできないし、あの日から俺の心は凍ったままだ。自分でも口数が減ったと思う。今の俺は……ただ師匠についていき、生きながらえているだけの存在だ。だがこれが母と師匠の望みなのだというのなら、生き続けようとは思う。


 そんな、なんとも言えない心持ちで数ヶ月が経過した。今は商人たちと共に小さな村に着いたところだ。

 師匠は護衛をしていた商人から金を受け取ると別れを告げ歩き出す。

「ヴィル。今日はここで泊まるとしよう」

「わかりました。それで……ここはどこなのです? ずいぶんと遠い場所まで来たと思うのですが……」

 帝都から出たばかりのころは、どこの町に着いても人が多かった。だがここ最近はそうした町が少なく、むしろ小規模な村が多い。おそらく相当帝都から離れたのだろう。

「ここはドッグワード領だ」

「…………! 帝国最東の地……!」

 皇宮にいたころ、座学でおおよその領地名は習っていた。そのすべてを覚えているわけではないが、ドッグワード領は覚えている。

 領主が管理する地としては最東となる領地で、開拓地が多くそこまで発展していない土地だったと思う。

 とうとう帝国の端までやってきたのか……。

 宿に入るとさっそく部屋を借りる。そこで荷物を下ろし、ふぅと一息ついた。

「師匠。しばらくこの地で過ごすのですか?」

 たしか師匠は自身の故郷であるアマツキ皇国を目指すと言っていた。だがここより東に国はないはず。

 まっすぐ皇国を目指さず、帝都から最も離れたこの地でしばらく情勢が落ち着くのを待ち、それから皇国へと移動するのか……と考えたが、それを否定するように師匠は首を横に振った。

「いいや。ここからさらに東へ赴き、そこから皇国を目指す」

「さらに東……? ここから東には何もないのでは?」

「たしかに国はないし、領主が治める土地があるわけでもない。ただ広大な草原が広がっているのだ」

「草原……」

 その草原には遊牧民が住んでおり、師匠はその中のとある部族と面識があるとのことだった。

「ムガ族といってな。皇国とも多少の縁がある」

「ここより東に人が住んでいるとは知りませんでした」

 師匠は俺の知らなかった草原の話を教えてくれた。どうやら対外的には草原も帝国領ということになっているらしい。

 だが貴族はおらず、ただ遊牧民が住んでいるのみ。帝都からあまりに距離があるため、どこにいるかもわからない遊牧民たちにはあまり干渉していないのだとか。

 おそらく今の帝国の情勢も関係しているだろう。内乱に他国の侵略という事態を迎えているのに、わざわざ遠方の草原をどうにかしようという余裕はないはずだ。

「草原から皇国へ続く道があってな。地図にもなく、遊牧民しか知らぬ道だ。そこを通って皇国を目指す」

「……わかりました」

 まだ旅は続くらしい。正直、皇国へ行ってどうなるというのか……と、思わないでもない。だがそんなことで駄々をこねては、俺を生かしてくれた母と師匠に申し訳ない。

 この日は久しぶりのベッドということもあり、ぐっすりと眠ることができた。


 翌日。師匠と草原に向かって歩き出した。

「うわ……」

 視界いっぱいに広がる草原を見て、思わずかんたんの声が漏れてしまう。大地とはこれほどまでに広大だったのかと、独特の感覚が脳を揺さぶっていた。

 場所によっては草が長く伸びたところもあるが、大部分は見通しのいい草原だ。おかげで馬に乗る遊牧民たちをすぐに見つけることができた。

「彼らは馬と弓の扱いに優れている。そして馬と共に過ごすからこそ、この地を離れないのだ」

 要するに牧草地帯でしか生きられない……生きる気がないということだろうか。彼らにとっての世界が草原だと思うと、なんとなく皇宮が世界のすべてだった自分と通じる部分があるかも……なんて考えてしまう。

 師匠は遊牧民たちと会話を交わし、自分は皇国出身でムガ族に知り合いがいると話した。遊牧民たちも皇国とムガ族と聞き、あぁと納得の表情を見せる。

 皇国と遊牧民は多少の縁があると言っていたし、それと関係しているのだろう。

「案内しよう。馬に乗るといい」

 彼らは親切だった。俺と師匠はそれぞれ別の馬に乗せてもらい、草原を駆ける。ただでさえ見渡しのいい景色だったのに、視線が高くなったことでこれまでにない解放感が感じられた。

 そうしてそれなりの時間が経ったころ、目の前に集落が見えてくる。白い布で覆われた、円形の建物が並んでおり、どれも大きく、デザインに統一感があった。

「助かった。礼を言う」

 それからはとてもスムーズに事が運んだ。ムガ族の族長と師匠が挨拶を交わし、皇国へ行きたいと相談を持ち掛ける。

 これに対しムガ族の族長であるローバーンさんは俺を見て、しばらく草原に滞在することを勧めてきた。

「これまでもずいぶんと長旅だったのでしょう? ここからさらに皇国へ向かうとなれば、さらに過酷な旅になる。せめてその旅に耐えられる体力がつくまで、この地に滞在されてはどうか?」


 それからしばらく遊牧民たちの世話になることとなった。俺は遊牧民たちが狩りでとってきた獣の解体を手伝ったり、師匠に剣の稽古をつけてもらう日々を過ごす。

 そんなある日のこと。することもなく1人で剣を振っていると、誰かが近付いてきた。

「なにしてるの?」

 髪を短く切りそろえた少年だった。年齢は俺より少し下くらいだろう。どうやら見慣れない男が剣を振っており、興味を惹いたようだ。

「見ての通り、剣の素振りさ」

 遊牧民で剣を持っている者は少ない。大抵は弓だ。いくつか部族がいるという話だし、もしかしたらムガ族があまり剣を使わないだけ、ということもありえるかもだけど。

 なんにせよ少年からすれば、素振りをしている光景が物珍しかったのだろう。そうぼんやりと考えていたが、次の質問には答えられなかった。

「なんのため?」

 なんのため。俺は……なんのために剣を振っているんだ……?

 皇宮に居たころは、将来は騎士団を率いる立場になるかも……という期待があった。上の兄たちと違い、本格的な剣を学ぶのも理由があった。

 だが……今の俺はなんだ……? ここでどれほど師匠と剣の稽古を積もうが、そして素振りを繰り返そうが。それがいったいなんになるというんだ……?

 強くなりたいのか? 師匠のような剣技を身につけたいのか? なんのため?

「………………」

 気づけば俺は素振りをやめていた。同時に、皇宮に居たころと違って、この地で師匠と行う剣の稽古に身が入っていなかったことを自覚した。

「……どうしてだと思う?」

 そして情けないことに、少年に質問を返していた。まるでこの少年が答えを持っていると期待しているかのように。

「みんなを助けるため!」

「…………へ?」

「わたしもね、最近弓の勉強を始めたんだよ! 獣より強くなれば、獣を狩ってみんなお腹いっぱいになるでしょ? そしたらみんな助かるもん!」

「みんな……?」

「うん! 前にね、お兄ちゃんが遠乗りに連れて行ってくれたときね、たくさんの獣が襲いかかってきたの。そのときお兄ちゃん、ケガしちゃって……。わたしが弓を使えたら、獣より強かったら、お兄ちゃんケガしなかったのに。だからね、わたしはお兄ちゃんやみんなを助けるため、弓の勉強をはじめたんだよ!」

 ああ……この子はなぜ力を付けたいのか、その明確な理由を持っている。部族を率いる強さを得るとかではなく、純粋に家族を……仲間を助けられる力を欲している。

 そして何より、家族を守れなくて後悔したくないという強い思いがある。

「………………!」

「わ! ど、どうしたの!?

 両手で自分の頬を叩く。周囲にはパンッと渇いた音が響いた。

 情けない。俺は心のどこかでずっとねていた。口には出さなかっただけで、国を追われて母を亡くしたことで、「だから俺は無気力になっても許される」と甘えていた。

 この少年は兄の窮地を目の当たりにし、自分が強くなることを選んだ。なら俺は?

 たしかに母を亡くした。皇族としての生も奪われた。このまま何もしなければ、俺はまたいつか後悔するんじゃないのか……?

 もしまた理不尽な暴力が襲いかかってきたら、その時どうするのだ? 俺には力がないからと諦め、すべてを差し出すのか? 万が一そんな事態が再び起こったら、俺は激しく後悔することになる。あの時もっと修行していれば、俺は強くなれていたはずなのでは、と。

 そもそも俺は刻印を持っている。強くなれる素養は他のだれよりもあるはずなのだ。理不尽な暴力に真っ向から立ち向かえる強さを求め、そして得られる立場にいるはずなのだ。

 そうだ……どうして忘れていたんだろう。なくしてしまったものは戻ってこない。だけどそれは何度も奪われ続けていい理由にはならない。

 少なくともあの日、俺に師匠と同等の力があれば、母を守れたことは間違いないのだから。

 目が覚めた……とは少し違う。ただ自分の中にあった甘えを自覚しただけだ。そしてそれに囚われ続ける限り、俺は何度でも奪われる側に立たされるのだろう。

「……ありがとう」

「なにが?」

「いや……そうだな。俺も守れる強さを得るため……大事なものを奪われない強さを身に付けるため、素振りを繰り返すんだよ」

 少年の最初の質問に答える。だが少年は俺の答えに興味がないのか、ふーんと言うだけだった。

「俺はヴィル。きみ、名前は?」

「リーナ!」

「リーナ……? 女性っぽい名前だな……」

 ムガ族の名前はそういう感じなのだろうか。そう思っていたが、リーナは首を横に傾げた。

「リーナ、女の子だよ?」

「………………」

 単純に俺が思い違いをしていただけみたいだ。ああ……たしかに女の子に見えなくもない……か……?

「そうか。リーナ、よければ俺にも弓を教えてくれないか?」

「うん! いいよ!」


 この日から俺はリーナとよく遊ぶようになった。思えば同年代の子どもを相手にこうやって遊んだのは初めてのことだ。純粋に楽しいと思える時間を過ごした。

 そして楽しいという感情を久しぶりに思い出したおかげで、気持ちも明るくなっていき、だんだん口数も増えていく。師匠との稽古にも、皇宮に居たころよりも熱が入るようになった。

 リーナは無自覚ではあったけど、暗く沈み、どこか拗ねていた俺の心に明るい光を照らしてくれたのだ。

 この出会いと恩は一生忘れることはないだろう。