見たところ相手は30人くらいだ。さすがに1人で突っ込んで勝てる相手ではない。

 弓で何人か仕留めたら、報告を兼ねて即座に引き上げよう。そう考えて弓弦を引き絞る。

「まだ……もう少し……」

 さすがに相手もこちらに気づいた。だがここからなら届く。

 リーナは馬の両足が大地から離れ、上下の揺れがなくなった瞬間に矢を放つ。これは草原の民で弓を使う者なら、たいていの者が身につけている奥義だった。

「ぎゃっ!?

 放った矢は見事に敵の頭部を貫く。馬の足を止めずにそのまま次の矢を構え、同じように放つ。

「がっ!?

 また放つ。相手もクロスボウに矢を装填して放ってきていたが、動き回るリーナを捉えることはできなかった。

(いける……! これなら私1人でも……!)

 しかし矢の本数には限りがあるし、腕や指も限界がある。

 あと一射。いや、もう一射。最後の一射。そうして欲張っているうちに、状況は大きく変わった。

「そこの女! こいつがどうなってもいいのか!」

「っ!?

 急に背後から怒鳴り声が響く。後ろを振り向くと、そこには敵集団に捕えられたマヨの姿があった。

「マヨ……!」

 そもそも7千で来ている帝国軍が、30人だけで行動していたのはなぜか。本陣周囲の警戒や地形把握のためである。当然、敵意を向けてきた遊牧民の情報は他の部隊にすぐ届く。

 そしてやってきた別働隊は、リーナを取り囲もうと迂回していた。そこを後から追いかけてきていたマヨとぶつかり、彼女は捕えられてしまったのだ。

「弓を離して馬から降りろ! 抵抗すればこの女を殺す!」

「く……!」

 リーナは今さらながらに冷静になる。ユルト内の会話を聞き、そして帝国兵を殺す高揚感もあって思考が回っていなかったのだ。

 若さゆえの激情、そして経験不足が悪い形で顔を出していた。

 マヨを失うわけにはいかない。自らの失態を後悔しつつも、リーナは弓を捨てて馬から降りる。そこに帝国兵が近寄ってきた。

「へへへ……よくもやって……くれたなぁ!」

「ぐっ!」

 1人の兵士がリーナの顔を殴る。たまらず彼女は地面に倒れ込んだ。

「おい、落ち着けよ。まずは報告が先だ。その後にかわいがってやればいい」

「つかこっちの女、すっげぇ美人すぎねぇか!?

「だな! おいおい、こりゃ今夜が楽しみだなぁ!」

 こうして2人は帝国兵に連れ去られる。そしてそれを気配を殺しながら、草木に身を隠して見ていた者がいた。

 斥候、密偵活動を得意とするウット族の男である。

 彼はその情報を、8つの部族が集うムガ族の下へと届ける。


◆◇◆◇◆◇


 捕らえられた2人は、パラ族が集められている場所とは違う所へ連れて来られた。

 2人とも両手を縄で縛られており、兵士たちが引っ張っている形だ。そして幕舎の中へと入れさせられる。

「連れてきました」

「ご苦労。…………! ほぉ、これはこれは……」

 その男は草原に来た2千人の傭兵の1人であり、50人の傭兵をまとめる隊長を務めていた。

 長きにわたる戦乱を戦い抜いてきたのか、あるいはただ略奪に勤しんでいたのか。いずれにせよ人を殺しなれている気配を感じさせる。

「報告には聞いたが……黒髪にグレーの瞳がやたらと美しい美女か……! こいつぁたまらんなぁ!」

 男はマヨの全身に舐めるような視線を這わせる。そして傭兵たちに指示を出すと、2人の両手を拘束している縄を幕舎内にある柱にくくりつけさせた。

「もう1人の方も中々気が強そうではないか」

「隊長。一応、草原の女は殺しはともかく、手はつけるなという話でしたが……。たしか皇帝陛下に献上するんでしょ?」

「おいおい、お前分かってねぇなぁ。つまり手をつけた女は殺せ、という意味なんだよ」

「……ああ! なるほど! さっすが隊長!」

「ふん。こんな辺境までやってきて何の楽しみもないんじゃやってられねぇ……てのは、陛下もよく分かってんだろうよぉ!」

 そう言うと男はリーナの側まで移動する。そしてその顎に指をかけ、上に向けさせた。

「名は?」

「……ペッ!」

 リーナはそのまま唾を男の顔面に飛ばす。幕舎内に静寂が訪れたが、その1秒後に男はリーナの頬を殴った。

「がぐっ!」

「……生意気な女だ。いいだろう、前座でお前から犯してやる」

「触るな!」

「大人しくしろ、この未開の蛮族が!」

 リーナは床に倒れながらも男を蹴り上げる。だが男はビクともせず、逆にリーナを蹴った。

「リーナさん!」

 別の柱に括り付けられたマヨはリーナを助けることができない。そんなマヨを見ながら男はニヤリと笑った。

「そうか、リーナと言うのか。おい、お前ら! この女を押さえつけろ!」

「へい!」

「やめろ……! 私に……触れるな……!」

 リーナも激しく抵抗する。だが複数の男に押さえられてはどうしようもない。

 リーナは仰向けにされ、両手を押さえつけられた。さらに別の男たちが両足を掴んで股を強引に開けさせる。

 隊長と言われた男はリーナの股の前でしゃがみ込むと、下半身を露出させた。いきり立つソレを見せつけるようにリーナの視界に入れる。そしてナイフを取り出した。

「てめぇはこのまま強引に犯し、泣き叫ばせてやる……!」

「この……! 帝国人が……!」

 リーナは男を強く睨みつけるが、それすらも男をより興奮させていることに気づかない。そしてリーナの服を切ろうと、ナイフを股間に伸ばしたところで。

「ぎゃっ!?

「っ!?

 幕舎の入り口で立っていた2人の兵士が、その場で血を噴きながら倒れた。


◆◇◆◇◆◇


 ああ……なぜだろう。こうして人と会うのは随分と久しぶりなのに……どうしてか以前よりも、その動きや呼吸、思考まで読み取ることができる。

 どう動き、次になにをしようと考えているのか。心にどういう感情を宿し、それをどうぶつけようとしているのか。手に取るように分かる。

 長い時間をかけて岩肌をよじ登り、俺はその先で最後の難関に遭遇した。とうとう日の光が見えたのだが、その亀裂が狭く身体を通すことができなかったのだ。

 だが意識を集中させて精神を落ちつかせると、どこに衝撃を加えれば、亀裂を大きく広げながら崩すことができるか。それが見えてきた。

 そうして俺は手甲を纏った腕で岩肌を殴り、天井を穿つことで人が通れるくらいの穴を作る。

 そう、とうとう地上に出ることができたのだ。日の光があまりに眩しく、思わず目を閉じてしまった。

 日の動きを頼りに、おおよその方角を把握する。だがここがどの辺りなのかは分からない。しかし南側に山脈が見えたことから、1つの仮説を立てた。

(あの山脈の向こうは皇都なのでは……? 俺は地下を通って、山脈の北側に出てきた……?)

 元々いた場所を考えると、ない話ではないと思う。もっとも、海でどこまで流されていたかにもよるだろうが。

 とにかく俺は北を目指した。ここが思い描く場所であれば、この先に草原が広がっているかも知れないのだ。

 そして森の中で湖を見つけ、そこで水面に映る自分の顔を見る。どれほど時間が経ったか分からないが、自分でも随分と精悍な顔つきになったと思う。あと髪が長過ぎる。

 刀で適当に髪を切り、湖で身体を清める。長く洗っていなかったので、自分でもかなり臭いと感じていたのだ。

 そしてさっぱりしたところで再び北を目指して森を出る。そこには見間違えることなどあり得ない光景が広がっていた。

「草原だ……!」

 声を出したのも久しぶりな気がする。草原に出て安堵したが、ここが草原のどのあたりかは分からない。とにかく歩き続けるしかないな。

 そう考えて日が落ちてきた時だった。遠目に火をおこしている者たちを発見したのだ。

 遊牧民かと考え、駆け足で走る。だが視界に入ってきたのは、忘れもしないゼルトリーク帝国の旗だった。

「………………!」

 武装した兵士の集団だというのは見れば分かる。俺は長く伸びた草の中に身を屈めて、気配を殺して兵士たちに近づく。情報が欲しかったのだ。

 そしてそこで草原の民が捕えられたというのを知った。しかも1人は黒髪でグレーの瞳を持つ女だという。草原にいる女性で、思い当たる人物は1人しかいなかった。

(マヨ様……!)

 そして2人が捕えられた場所を特定し、今に至る。

「なんだ、てめぇは!」

「どこの部隊の奴だ!」

 ざっと周囲を観察する。

 マヨ様……! よかった、無事だ……!

 それにもう1人も先ほどマヨ様の声が聞こえていたので、誰か分かっている。懐かしいな……随分と成長したものだ。

「聞いてんのか、てめぎゅあっ!?

 飛んでくる虫を払うかの如く、自然な動作で刀を振るう。あまりに違和感のない動きに相手も反応できず、正面から堂々と斬り伏せることができた。

 やっぱり……俺の剣、なにか変だ。こう振れば相手は無抵抗で何も反応できず斬られる、というのが分かる。

「こ、殺せ!」

 中にいた残りの者たちが襲いかかってくる。刻印持ちもいるし、身体能力も高い方だろう。だが。

「ぎゃっ!?

「がっ!?

 隊長格の男に向かってまっすぐに歩く。男たちは武器を振るってくるが、誰も俺の歩みを止めるどころか、遅くすることすらできない。

 相手の攻撃が届くよりも早く、一切の無駄がない動きでこちらが斬り伏せていく。そして。

「な……なにもんだ……てめぇ……」

 幕舎内に残っている男は俺と正面のこいつだけになった。互いに完全に間合いに入っている。

 ああ……男の呼吸、感情、動作。次にどう動くか。それが全て分かる。

 これだけ殺しているのに、俺の心は波一つとして立っていない。どこまでも静寂が続いている。そして。

「あ……」

 男が両手で剣を振り上げたその瞬間、俺は刀を真横に一閃させ、両腕と首を斬り飛ばした。こうなることは既に見えていた。

「そ……その、刀……それに……青い目……」

 マヨ様は本当に驚いた表情で俺を見ている。なんだか最後に会った時より、たくましくなられた気がするな。

 俺はまずすぐ側にいたリーナの縄を切ってやる。

「あ……」

 続いてマヨ様の側へ移動し、同じく縄を切った。

「久しぶりです、マヨ様。それにリーナ」

「え……」

「や……やっぱり……! そんな……ま、まさか……!」

「もしかして……ヴィ……ヴィル……!」

 俺は静かにうなずいて見せる。再会を喜びたいし、いろいろ事情も聞きたい。だがここは敵地のど真ん中だ。

「話したいことは多いが……今はここを離れよう」

 2人も事情は分かっているのか、首を縦に振ると一緒に外へ出る。周囲にはここに来るまでに斬った死体が転がっていた。

「あいつらだ!」

「あ!? 女が逃げるぞ!」

「救出に来たか! 逃がすな!」

 ち……! もう少し穏便にやりたかったが、2人の救出を優先した結果だ。仕方ない。

「走ろう! 方角は!?

「東!」

「分かった!」

 2人とも刻印を発動させ、身体能力を向上させる。そして東に向かって走り出した。

「追え!」

「馬を持ってこい!」

 さすがに馬には追いつかれるな……! 追手は……50くらい、か……?

(今の俺なら……全力を出せば。いけるか……!?

 いや、それだと2人を守る者がいなくなる。とにかく今は走るしかない……!

 そう考えていた時だった。正面から矢が飛んでくる。

「え!?

 矢の軌道は俺たちを狙ったものではなく、その後ろにいる追手たちを捉えたものだった。

 なんという見事な腕だ……! 決して誤射しないように、俺たちの上を通り過ぎていったのに、しっかりと追手に矢を届かせている……!

(この弓の強さ……! ムリア族か……!)

 正面には馬に乗った遊牧民が15人向かってきていた。

「リーナとマヨだ!」

「もう1人いるぞ!」

「一緒に逃げてきているということは、味方だろう!」

「3人とも、乗れ!」

 俺たちは遊牧民に手を伸ばし、それぞれ別の馬に乗せてもらう。そしてその場を離脱したのだった。


「おお……! 本当に……!」

「ヴィルか……!」

 馬に乗せられて、俺たちは遊牧民たちがいる場所まで戻ってきた。事情を聞いた者たちが大勢集まってくる。

「ヴィルううぅぅぅぅ!?

 リーナは俺に抱き着いてきた。日に焼けた肌に、濃い金髪とキリっとした目。思い出にあるリーナとは違い、随分と美しくなったと思う。

 というか違い過ぎる。昔は男の子っぽかったのに……。

「……久しぶりだ、リーナ。それにマヨ様も。遅くなりましたが……どうにか合流できました」

「ヴィル……! ふふ、こんな日がくるなんて……! あなたには二度も命を助けられました。なんとお礼を申し上げればいいか……」

「そんな……」

 続けて顔を見せたのは、カーラーンさんと師匠だった。

「ヴィル……」

「ただいま戻りました」

 2人とも俺の存在を確めるように肩を叩く。そして師匠は真剣な視線を向けてきた。

「……どうやら相当な修羅場を越えたと見える。その若さで剣の極みに至ったか」

「そんな。……いえ、どうでしょう。実はまだ自分でも分かっていないのです」

 対人戦自体が久しぶりだったのだ。自分の剣がこんなだったかと、違和感を強く覚えているくらいだ。

「すごかったよ、ヴィル! 何人もの男たちが、気づいたら全員ヴィルに斬られていたの!」

「……たしかに。刀を振るった瞬間は見えていたのに、今刀を振るったのだと意識できたのは斬り終えてからでした」

 ああ……ここからは敵意を感じない。こんなにたくさんの人がいるのに、命の危機を感じない。

 当たり前のはずなのに、この状況ですら違和感を覚える。

 まぁあんな環境で過ごしていては仕方がないか。マヨ様は俺の右目を見ながら、さらに言葉を続けた。

「そう言えば、ヴィル、右目は見えていたのですね」

「……ええ。この刻印を隠すため、眼帯をつけていました。ですが、もうその必要もありません」

 そう言いながら俺はカーラーンさんに顔を向ける。

「今の草原の事情は、ここに来るまでにおおよそ聞きました。カーラーンさん。八氏族を集めてもらえますか? 俺は……草原の民に対し、契約の履行を行いたいと考えています」

「な……!?

 俺の言葉に明確な反応を示したのは、カーラーンさんだけだった。他の者たちはそもそも知らないか、聞いたことはあっても詳細は分からないのだろう。

「ヴィル……! それは……いや、どうしてそのことを……!?

「……俺は契約を果たすことができる資格を持っています。この右目の刻印は、それを証明することができるでしょう」

「そんな……まさか……! と……とうとう……現れたというのか……! 我ら……草原の民の罪を……! あ、あがなえる、ものが……!」