こうなるともうクレイヴァールを止めることはできない。しかし遊牧民を捕まえるために、わざわざ軍を動かしたくないというのも事実。

 そこに兵力を回すくらいであれば、もっと重要な地域はいくらでもあるのだ。

 もしかしたらこれは、機嫌を損ねた演技で自分を困らせることが目的ではないだろうか。アーロストンはそう考えたが、金はかかるが仕方ないと諦める。

「傭兵たちを使ってもよろしいでしょうか?」

 クレイヴァールもこの発言で、精強な騎士団を遊牧民にぶつけるのはもったいないと気づく。蛮族には愚民をぶつけるくらいでちょうどいいだろう。

「任せる」

「では傭兵2千人に、騎士団の新兵を5千。計7千を派遣しましょう」

「くくく……新兵の実地訓練に使うか。お前も随分といい性格をしているではないか」

 どうせ草原への派兵を止められないのなら、少しでも騎士団にとっていい結果を求めた方が合理的だ。

 戦場の経験がある傭兵たちに新兵を合わせれば、戦力としては十分だろう。それに帝都から距離があるぶん、新兵たちにとってはいい訓練になるはずだ。

(遊牧民の数や居場所は分からないが、大人数で向かえば何人かはすぐに捕えられるだろう。非武装の彼らには悪いが……ここで新兵の訓練に使わせてもらう)


◆◇◆◇◆◇


 ラーバ草原。帝国最東の地にして、大陸最東の地でもある。どこまでも続く雄大な草原は初めて目にすれば、誰もがしばらくは立ち止まると言う。

 だが季節によっては寒暖差が激しく、特に夜は湖が凍り付くこともある。また人の生活圏から離れた地ということもあり、商人も滅多に訪れない。

 そのため長きにわたり、遊牧民がその地から出ることなく生活を続けていた。

 ツキミカド・マヨがこの地に落ち延びてもう1年以上経つ。今では彼女も草原の民の1人として、彼らと生活を共にしていた。

 炊事の手伝いもするし、馬の面倒も見る。近衛のシズクは当初、皇族がされることではありませんと止めていたが、もう皇国は存在しませんよと言って聞かなかった。

(あれからいろいろありましたが……やはり私は、ここで生きていくしかないのでしょうね……)

 死んだ兄との約束もある。ツキミカドの血は残さねばならない。だがそれはまだもう少し先でもいいだろう。

(初めてのことばかりで、最初は戸惑いもありましたが……草原の民には驚かされました)

 1年以上彼らを見てきて、マヨは遊牧民たちを大きく誤解していたことに気づいた。まずその数が考えていたよりも非常に多いのだ。

 考えてみれば当たり前かも知れない。何せ彼らは、もう随分と昔からずっとこの地で生きているのだ。大きな争いもしていないし、人口は増え続けるだろう。

 8つの部族はそれぞれに得意分野があり、各々その能力を活かして互いに助け合っている。

 そして個人個人の能力と部族としての能力は、間違いなく狩りや集団戦で大きく有利になるようにかみ合っていた。

 まるで初めから誰かが意図して役割を分けさせたような……そんな作為的なものすら感じる。

 そして最も驚いたのが、遊牧民は全員が刻印持ちだったという点だ。それも少し変わった能力の使い手もしばしば見かける。

 だが皇国民とは違い、優れた身体能力向上系が多いというわけではない。小さな火を起こしたり、少量の水を発生させたりと、日常生活で役立つものが多い。

 誰も彼も戦闘が得意というわけではないが、やはり馬と弓の扱いはほぼ全員が優れていた。

 自分が考えていたより、遊牧民たちは遥かに精強である。そんな8つの部族の代表が、今朝からユルトと呼ばれる移動式住居に集い、ずっと話し合いが続けられていた。

(何かあったのでしょうか……。少なくとも8つの部族長が全員集うのは初めて見ます)

 気にはなるが、今はやることがある。自分の仕事に戻ろうとした時だった。

「……? リーナちゃん……?」

 ムガ族族長の娘、リーナ。遠目に彼女が馬を駆り、西へ走っていくのが見える。弓を持っているし狩りに出かけたのかも知れない。

「あれ……? でもリーナちゃん、狩り当番ではありませんよね……?」

 それに草原の民は基本的に複数人で移動する。1人で馬を駆ってどこかへ行く……というのは、あまり見たことがない。

「………………」

 マヨは近くにいたロブア種という馬に視線を向ける。ロブア種は普通の馬より小さいが、寒さに強くスタミナもあるため、重い荷物を長時間運ぶのに向いている馬種だ。

 マヨも草原に来て1年以上経つ。まだ大きな馬は難しいが、ロブア種であれば乗れるようになっていた。

「少し心配ですね。……ついて行ってみましょうか」


◆◇◆◇◆◇


 カーラーンは族長である父、ローバンと共にそれぞれの部族代表と話をしていた。

「では……」

「ああ。とうとう来たというわけだ」

 8つの部族がこうして集うのは、そうはないことだ。ユルトの中は緊張に包まれていた。ウット族の女性が口を開く。

「確かに確認したよ。帝国軍は今、草原を侵攻中だ。数はおよそ7千」

「既に我がパラ族の何人かは捕えられた」

「侵攻の理由は、皇帝への不忠だそうだ」

「なんだ、それは」

「馬の件かもね」

 ムガ族は草原のやや東寄りにいたため、まだ全員が知っているわけではなかったが、草原西部は既に帝国軍が侵攻を開始していた。

「どうかパラ族の解放に協力してもらいたい」

「それは……しかし……」

「いつまでも古の契約に縛られることはない! 同胞が捕えられたのだ、これは助けねばならぬ!」

「そう簡単な話ではないぞ。相手は帝国軍……つまり初代皇帝の血筋となる。贖罪の契約を果たさぬまま、また罪を重ねるか? 私は先祖に申し訳ない」

「だが! それでは同胞を見捨てるというのか!?

 話し合いは中々折り合いがつかなかった。

 捕えられた同胞を救出したい者、そのために帝国軍に弓引く行為にためらう者。古き契約を捨てる時だと叫ぶ者、それはできないと諭す者。

 終着点は見つからないまま、何時間も時間だけは過ぎていく。

(せめて……契約を履行し、我らを率いられる者がいれば話は変わるのだが……)

 その時に備えて、草原の民は何世代も世代交代を繰り返してその技を磨いてきた。

 だがいくら準備を整えようが、その時は決してこない。そしてそれこそが草原の民に課せられた贖罪なのだ。


「……少し休憩を挟もう。休憩後は8つの部族を今の場所から……」

「失礼しますっ!」

 ユルトの中に緊迫した声が響く。全員の視線が中に入ってきた男に集中した。

「リーナとマヨ、両名が……! 帝国軍に捕えられました!」

「な……!?


◆◇◆◇◆◇


 8つの部族長がそろう。それはリーナが生まれてから初めて見る光景だった。

 リーナ・ムガ。ムガ族族長の娘にして、カーラーンの妹である。

 彼女はちょっとした好奇心から、ユルト内の会話に聞き耳を立てていた。そして知ったのだ。帝国軍が既に草原に侵攻してきており、同胞が捕えられたということを。

「ゆるさない……!」

 リーナは帝国軍に強い恨みを抱いていた。

 かつて慕っていたヴィルを殺した者たちなのだ。それに同胞まで捕えられたと知っては、黙っていられない。

 頭に血が上ったリーナは弓を手に取ると、馬に跨り西部を目指す。しばらくして彼女の優れた視力は、遠目に帝国軍たちを捉えた。

「見つけた……! あいつらが……ヴィルを……!」