
その日から俺は洞窟最奥の間を拠点にしていた。基本的に怪物は中に入ってこられないので、ここで寝泊まりをしている。
そして水を飲んで肉を食らう時間以外は、謎の本に目を通し続けていた。もうどれくらいの時間、こんな生活を送っているのか分からない。
「………………」
この本は古代大陸文字で書かれており、正直かなり解読が難しい。俺は皇宮に住んでいた時に多少は教育を受けていたので、部分的にではあったが読める箇所もあった。
しかし言葉遣い自体が難解なのだ。中にはまったく読めないページもある。
(やはり……間違いない。これは……)
本の正体は一言で言えば歴史書だった。著者は名前が書かれていないが、どうやら幻皇グノケインの側近だった人物のようだ。
そう。この本は伝説の人物、グノケインを中心に書かれたものだった。
(どこまで本当の内容なのかは分からないが……しかしこんな場所にあるんだ、信憑性は高いと思いたくもなる……)
本が劣化していないのは、著者の刻印術による能力らしい。そしてこの本によると、グノケインは女神の涙が落ちた地を巡る中で、何度も大きな戦を繰り返していた。
一般的な貴族が知るグノケインという人物は、女神に選ばれて最初に刻印の力を手にした人間だ。
彼は大陸に蔓延る魔獣を退治しながら、自らの血脈を広げていった。そして彼の血を引く子孫は、刻印の力を発現させることができる。
その辺りについては、詳しく書いてあるページが見つからなかった。いや、俺が読めていない部分にあるのかも知れない。
とにかくグノケインは魔獣だけではなく、多くの人間や巨大な勢力とも戦い抜いた。その中で様々な戦術研究が進み、その成果が記されているページもある。
(この時代に陣形や戦術の研究も進んでいたのか……)
皇国で黒鉄の重装歩兵と戦った時のことを思い出す。
俺自身が身をもって経験しているからな。戦いは数や個の強さ、それに陣形や地形、用兵指揮能力など様々な要素が勝敗条件に複雑に絡まっている。
興味もあったのでその辺りの内容はとても面白く、かなりの時間を費やして読み込んでいた。他に目を引いたのは魔獣についてだ。
大陸において魔獣は存在しないので、てっきりグノケインを神格化するための空想上の生物かと考えていた時期もあったのだが。この本によると、魔獣は本当に生息していたらしい。
(グノケインは1ヶ所に魔獣を追い込むと、刻印術で大地を割って地下へと落とす。そして割った大地を戻して魔獣を地下へと封印した……)
どうやら大陸の各所にはそうした場所がいくつかあるようだ。ここもその1つ。つまりここに生息していた化け物は、魔獣が明かりのない空間で生きるため、代を重ねてきたものだろう。
(というか大地を割る刻印術ってなんだよ。さすがはグノケイン……)
またこの本は女神の従者としてのグノケインだけではなく、1人の野心溢れる男としての側面も描かれていた。
彼は各地で山賊みたいなことを繰り返し、多くの人に襲い掛かっていたらしい。またその傍らで大陸を回り強大な力を見せることで、彼自身の信者も作り上げていった。
魔獣を封じて実際に強い権力を持ち始めてからは、相当好き勝手をしていたようだ。特に女子供に対しては、強い加虐嗜好を持ち合わせていたらしい。
神格化されている幻皇グノケインではあるが、統治手腕は山賊の域を出ないものだったとある。
状況は異なるが、傭兵と犯罪者どもが治める帝国西部のようなものだろうか。といっても俺は直接帝国西部を見て回ったわけではないので、あくまで想像にすぎないのだが。
しかしそんな彼の支配に耐えかね、立ち上がった者たちがいた。その者たちこそ。
「………………っ!? こ……これ、は……!? まさか……ほ、本当に……!?」
だがグノケインが英雄として実績を作り上げたのも事実。何も知らない人からすれば、彼はこの大陸から魔獣の脅威を取り除いてくれた男なのだ。
古代は今ほど刻印持ちも多くはなかったし、力を持たない平民には強い求心力を発揮していただろう。
そうして彼は死後も英雄として扱われ続けた。その方が当時の刻印持ちも平民も都合がよかったのだ。
刻印持ちは「自分たちはグノケインの力を継承している」という立場だし、彼が英雄でなくなればその立場が崩れかねないしな。
しかし本の著者は英雄グノケインの別の側面を知っている。そしてそれを世に出すことはできない。だが記録は残したい。
そこでこうして本に記し、グノケインが割った大地の底へと隠した。ここ以外にもこうした本を隠した場所があるようだ。
(なんとか全て解読したいが……そのためにここで一生を送るつもりはないな)
今一度心に静寂を呼び込み、思考を深めていく。
この本に記された内容を信じるのならば、この空間の壁を登り続ければ地上に出られる可能性がある。
どれくらいの高さがあるかは分からないが、今の俺ならば登りきれるという確信がある。
だが地上に出られて、そのあとどうするか。何がしたいか。そして何を成せるかを思い描く。
同時にこの洞窟で掴み取った強さと精神力にも問いかけた。
(一言では中々言い表せない……が……)
今の大陸は古代と似ている。3つに割れた帝国は大陸中に混乱を生み出し、俺のようにただ蹂躙される者が毎日泣き、そして死んでいく。
かつての俺は無自覚で言っていたが、これを立場の違いと切り捨てられるのは、恵まれた生まれの強者だろう。
ならば今の俺は。再び草原に戻ったとして、また蹂躙される側にいるわけにはいかない。
(俺は向こう側……奪う側に行けるのに、そのことに気づけないでいた)
変わらなければ。そして動かなければ、また帝国軍が来て皇国のように失ってしまう。
もうそんな思いはしたくない。これ以上、帝国に奪われてなるものか……!
改めて草原の民、その特異性に注目する。ここで知識を得た俺は、彼らが本当はどういう部族なのか。そしてどういう経緯を経て遊牧民となったのかを把握している。
8つの部族。そして本に記された、古代に交わされし契約。
俺であれば……ゼルトリーク帝国皇帝の血を引く俺であれば、その契約を履行することができる。覚悟を決めるのは俺なのだ。
しばらく両目を閉じていたが、長めの息を吐いたところでゆっくりと見開いていく。
「…………………………………………。やるか」
新時代のグノケインに。そしてこの混迷極まる大陸を鎮めるため。
俺はゼルトリーク帝国を統一する。
◆◇◆◇◆◇
クレイヴァール・ゼルトリーク。現ゼルトリーク帝国の皇帝である。
彼は不機嫌さを隠さない表情で、目の前で膝をつく人物……騎士総代であるアーロストン・ロンドニックを見下ろしていた。
「陛下。お忙しいところ、こうして拝謁のお時間を賜りましたこと、まことに……」
「ああ、そういうのはいい。お前の言う通り、俺は忙しいのだ。さっさと用件を話せ」
「は……」
皇帝クレイヴァールは、アーロストンを気に入ってはいなかった。若くして騎士総代に抜擢したのも、気に入らなかったからだ。
ところがアーロストンは、派閥争いを有利に進めながら騎士団改革をやってのけた。今では軍閥系貴族からの評価も高く、彼に味方する騎士も多い。
そして1年前の皇国占領をきっかけに、帝国騎士団は結果を出し始めていた。その度に彼の名声はより上がっていく。
もちろん彼を騎士総代に抜擢した、皇帝クレイヴァールの見る目は確かだという評価もある。
だがこの何をやらせてもこなせてしまうアーロストンを気に入らない明確な理由があった。それは彼とクレイヴァールは同じ父を持ち、母は違えど血を分けた兄弟だという点だ。
アーロストン自身は元々皇位継承権が20位以下であり、成人するまで皇宮から出てくることはなかった。
そして成人するなり有力貴族であるロンドニック家に入れさせ、皇位継承権を放棄させた。
内乱勃発当時、アーロストンの母方の家は領主連合とは無関係だったのだ。しかしこのまま皇族の一員として置くには、いささか不安も残る。
そう考えたからこそ、ロンドニック家に引き取らせた。
だが中央貴族として影響力を持つロンドニック家の後ろ盾を得たことで、彼は宮中でめきめきとその実力を発揮し始める。
内務の改革を押し通し、財源の無駄使いだと賄賂を厳しく監視し始めた。そんな彼を煙たがる貴族に頼まれて、空いた騎士総代の役職を任せたのだ。
軍務などこれまでの経歴からすれば畑違いであり、すぐにボロを出す。貴族間同士の調整で失敗するだろうと思っていた。
しかし彼はロンドニック家の伝手を使い、一部の軍閥貴族と関係を深めていく。
そこからあっという間に人間関係を拡げていき、また時には幾人もの騎士を
今では「もしアーロストン様が皇族のままであったなら……」と、陰口を言う者まで出てきている。
その言葉の続きは「クレイヴァール様よりよほど良く帝国を統治してくださっただろう」だ。
皇位継承権を放棄しているとは言え、腹違いの弟なのは違いない。兄として、そして皇帝として、この有能な家臣には強い不快感を覚えずにはいられなかった。
「銀槍騎士団が押さえたカムラック領ですが、新たな領主として陛下がお選びになられた方と合わせて……」
アーロストンは騎士総代としての立場から、皇帝クレイヴァールに報告と意見を述べていく。クレイヴァールは退屈そうな表情を浮かべたまま、報告を聞き流していた。
「……で、いつ領主連合を完全に叩けるのだ?」
「すぐには難しいかと。動きを大きく抑えることには成功しました。今のうちにならず者たちに奪われている、帝国西部への準備も進めるべきかと」
領主連合からしても、ならず者たちが
これを機にならず者たちが積極的に領主連合側へ進出し、略奪を行うかも知れない。そうなれば帝国としても付け入る隙が生まれる。
一方で完全に領主連合西部を占領してしまうと、ならず者たちと隣接するのは帝国だけになる。そのためしばらくは緩衝地帯として、領主連合最西の地は取らずに残しておきたかった。
「ふん……順調そうでなによりだ」
「ありがとうございます」
「そう言えば最近、辺境の草民から馬が献上されておらんのではないか? ん?」
クレイヴァールは侮蔑を隠さずに、遊牧民たちを草民と表現する。
彼からすれば草原の民は帝国人ではなく、帝国に忠誠を誓ってただ貢ぐだけの蛮族という認識なのだ。そしてその認識は、中央貴族からすればごく当たり前の感覚だった。
「……去年から馬は献上されておりません。どうにも馬の間に病が広まっており、献上できる馬がいないのだとか」
「あぁ!?」
帝国に隷属してしかるべき蛮族が、その義務を怠っている。これにクレイヴァールは強い不快感を覚えた。
せっかく大帝国が後ろ盾になってやっているというのに、いつから主人にえらそうな態度を取れるようになったのか。
馬が寄越せないのなら、代わりに女や男手を差し出せばいいのだ。
「それは皇帝であるこの俺に対する侮辱ではないか! お前はそれを知りながら、今日まで草民どもを放置していたのか!?」
「……陛下。彼の草原は帝国にとって、あってもなくても特に影響のない地です。次に倍の馬を献上させれば……」
「ならん! 一度甘やかせば、愚民はどこまでもつけあがる! ましてや奴らは、貴族もいない蛮族の集まりなのだぞ! 皇帝であるこの俺の顔に泥を塗りやがって……!」
クレイヴァールは顔を真っ赤にしながら立ち上がる。そして右腕を勢いよく横に振るった。
「すぐに軍を組織せよ! 草原を焼き払い、族長を捕えるのだ! また馬代わりの女と一緒に、族長を帝都まで連行せよ!」
ただでさえ領主連合が自分に歯向かっているという時点で腹立たしいというのに、その上辺境の蛮族にまで軽んじられては、さすがに看過できない。
クレイヴァールは自分に軽率な態度を取った遊牧民たちを許す気がなかった。
「しかし……草原まで軍を進めるにも、準備が……」
「そこを考えるのは騎士総代であるお前の仕事だ。有能な貴様なら可能だろう? ん?」
「……彼らと帝国は、長年対立せずにやってこれました。一度機会を与えれば、陛下の懐の深さに……」
「いてもいなくても、帝国にとってはなんの影響もないと言ったのはお前ではないか。皇帝に対して不敬な態度を取ったものがどうなるか。それを内外に示すのに都合がよかろう?」
「………………」