「ぐぅ……! はぁ、はぁ……!」

 明かりがまったくない洞窟の中で過ごし続けているため、時間の感覚がまったくない。あれからどれくらいの月日が経ったのか、想像もできない。

 数時間、数日、あるいは数ヶ月? とにかく刻印の明かりがないと、すぐに気が狂ってしまいそうだ。

「み……みず……!」

 微かな水音を頼りに、壁に向かう。この洞窟には何ヶ所か、壁を伝って水が流れている場所があった。俺は岩肌に口をつけながら水を貪る。

「はぁ……! …………っ!」

 そして気配を感じ、その場を飛び退いた。同時に刀を真横に振り抜く。

「ピギュア!」

「く……!」

 刻印に薄く照らされ、姿を見せたのは四本脚の不気味な生き物だった。

 うごめく内臓のような胴体は血管が走っているところがよく見え、口は大きく裂けている。だが目がない。見ているだけで嫌悪感を抱くような、そんな怪物だ。

「ピッギュルアアアァ!」

 怪物は気づけば目の前に現れた。俺は咄嗟に刀を前に出して牙を受け止める。

「お……おおおおおお……!」

 素早く刀身を戻し、身を屈めながら右へ飛ぶ。そして獣の突進を受け流し、その側面に斬りつけた。

「ピギュルアアアァ!」

「ふんっ!」

 間髪いれず斬り裂いた傷口を、手甲で覆われた拳で殴りつける。獣は壁まで飛ぶと、そこで内臓が破裂したように肉片を四散させた。

「はぁ、はぁ……! いったいなんなんだ、この洞窟は……!」

 どういうわけか、ここにはこんな不気味な生物が闊歩していた。俺の刻印は辺り一面を照らせるわけではない。あくまで周囲をほんのりと明るくするだけだ。

 だが奴らはこの明かりを頼りにしているのか、遠くから一直線に襲い掛かってくる。

 元々片目での戦闘に慣れるため、攻撃の気配には人一倍敏感なつもりではあったが、これまでに何度も傷を負っていた。

 だがわるいことばかりではない。俺は壁を伝う水を飲み、そしてこの獣の肉を食らうことで生を繋げられていた。ただし。

「う……! く、くさい……!」

 当然ここには火なんてものはない。たまに水が溜まっているところがあれば、裂いた肉の血を洗う時があるが、たいていはそのまま食らう。

 血や臓物はとんでもなく臭いし、歯ごたえも悪い。しかし吐くわけにはいかない。

「んぐ……っ! さ……最初の頃よりは……な、慣れた、が……!」

 元々明かりがないためか、ここらで見る不気味な生物たちには目がなかった。しかしこちらに害意を持って襲い掛かってくるのだ。

 そんな日々を過ごすうちに俺は足音を消し、自分の気配を薄くして歩く術が身についていた。それでもこうして襲われてしまうのだが。

 それに刻印はずっと発現させ続けられるわけではない。長く発動させると体力の消耗も激しいし、一度しっかり休まないと再度の発動はできない。完全な真っ暗闇になる時間はどうしても発生する。

 そういう時でも奴らは襲いかかってくる。今の俺は生き物の気配に対し、とんでもなく過敏になっているだろう。

(本当に……なんなんだ、ここは……)

 一度心の底から恐怖を感じたこともある。ふと刻印で照らすと、そこには俺の腕くらいは大きい怪物の足爪があったのだ。

 爪だけでそれほど大きいのだ、身体はもっと大きいだろう。幸いその怪物は眠っていたため、俺は音を立てないようにその場を離れた。全貌は当然確認していない。

 それにさっきの怪物はまだマシな方だが、中には鉄のような硬さを持つ怪物や、戦闘力が高過ぎる二本足の化け物もいる。

 それらと命をかけた死闘を繰り返し、怪我を負いながらもなんとか生きることができていた。

(俺の刻印術も随分と成長した……)

 以前までなら腕部分を覆う手甲だったのが、今では肩部まで覆えるようになっている。刻印術は成長するというが、ここで死闘を続けるうちに俺の刻印も成長できたらしい。

 そしてこの暗闇での極限状態は、俺の内面にも新たな成長を促した。

 いや、成長とは違う。分かったのだ。自分の非力さと立場について。力とはなんなのかということについて。

(個の強さ、そして立場で得る強さ。あるのは奪う側か奪われる側か。蹂躙するかされる側かというだけのこと)

 俺は常に奪われ、蹂躙される側だった。それに抗うための強さも立場もなかった。だから俺は常に負けるんだ、立場が弱いから……と、言い訳をしてきた。

 立場とは何か。生まれなのか。それもあるだろう。だが自分で掴み取ったものではない。

 今の皇帝にせよ、たまたま自分が権力を振るえる立場に生まれたから得た強さに過ぎない。

 人は生まれながらに平等ではないのだ。しかし生きてもがいて掴み取るものに対しては公平である。

 師匠がいい例だろう。権力はともかく、その長い生で身に付けた剣技は他の追随を許さない。これは師匠が掴み取ったものだ。

 そして、生まれの立場で言えば、俺も決して負けてはいない。皇位継承権は低くとも、先代皇帝の息子という事実は覆らないのだから。

 それだけの強い立場を持っていながら、どうして皇国を守れなかったのか。出た結論は、立場とはそもそも移ろうものだから……というもの。

 先代皇帝が謎の病死を遂げたように、帝国の皇帝とてその立場は簡単に移ろう。

 俺は今まで「立場が弱いから、個で強くなっても負けていたんだ」という思考に囚われていた。

 確かにそれもあるだろう。だがこの世に絶対の立場なんてものは存在しない。

 そんなあやふやなものに俺は絶対的な強さを見出そうとしていた。なんと愚かな。目の前の分かりやすい権力に飛びつく貴族の如くだろう。

 そんなものに囚われたくはないし、ならば本当の強さとは何か……と、自問自答する。まだその答えは見えない。だが。

 自問自答を繰り返すことでこれまでにない、静かすぎて逆に耳が痛くなるような静寂が精神に宿る。波が立たない水面のような状態だ。

 極限まで集中力が高まったこの状態の俺は、鉄のような皮膚を持つ怪物の身体を容易く斬り裂くことができた。今なら黒鉄の重装歩兵すら、甲冑ごと寸断できる自信がある。

(高位の武人は鉄を斬れると聞いたことがあるが……ここでの生活が俺の剣腕を一段上へと押し上げた。まだ成長できる……ここで死ぬわけにはいかない……)

 真っ暗な空間で怪物が四六時中襲いかかってくるという、地獄のような環境。常人ならすぐに精神を崩壊させるだろう。

 だがこの環境を活用することで、俺の精神と肉体は新たな領域へと足を踏み入れていた。いや……この異様な環境に適応したのかも知れない。そうしなければ死ぬのだと覚悟を決めて。

 どれほどの絶望を前にしても、俺は決して生を諦めなかった。キヨカが、そしてマヨ様が今もどこかで生き抜いている。それに師匠やカーラーンさんも一緒のはずだ。

 別れ際に感じたキヨカの体温も俺に生への活力を与え続けてくれていた。必ず生きて己の役割を全うし、彼女にふさわしい男となる。再会を果たした時、これなら我が夫にふさわしいと認めてもらう。

 これも未だに出口を見つけられないこの地で、俺の精神を強く支え続ける源となっていた。

 数えきれないほどの戦いを経て、俺の剣筋も随分と変化したと思う。そもそもこれまで対人戦ばかり経験を積んできたのに、ここではその技術がまったく役に立たないからな。

 より実戦向きになり、洗練されたと思う。力の込め方や動作から無駄を省き、いかに速やかに相手を仕留めるか……そんな剣になった。

 とはいえ桜月刀がなければ、ここまで成長できなかっただろう。決して折れず錆びず刃こぼれしない、神秘の刀。刀身を作る皇桜鉄は特殊な製法で精製されており、その過程で皇族の血が混じるとも聞く。

 師匠からいただいたこの刀がなければ、怪物と戦い続けるうちに使い物にならなくなっていただろう。

(しかしこの洞窟はいったいなんなんだ……)

 どうして怪物がばつしているのか。大陸の地下はこいつらの領域になっているのか……?

 ふと創生神話を思い出す。女神がこの地に数滴の涙を落とす前、大陸は魔獣が支配する地であり、人間は隠れ住んでいたというものだ。

 最初の刻印持ちとなったという幻皇グノケインは、大陸各地を渡って魔獣たちの支配から人間たちを解放していった。

(目を合わせるだけで女性を妊娠させたという逸話といい、この手の話は大げさに誇張されたものや想像上の話をつなぎ合わせたものだという認識だったが……)

 創生神話は各国で知られているが、大陸中心部に位置するとある国が中心になって広めている。その国では女神があつく信仰されているのだとか。

 この地下世界の怪物と創生神話の関係性は何も分からない。だがグノケインが戦ったという魔獣は、もしかしたら、この地に跋扈する怪物に近しいものだったのではないか。魔獣というのは実在していたのでは。

 集中力が磨かれる環境だからか、次から次へと思考が広がっていく。だが次の瞬間、俺は即座に刻印を発動させると、その場を飛びのいた。

「く……!」

 俺のいた場所をものすごい勢いで何かが通りすぎていく。刀を構えて前方に視線を向けると、そこには一匹の怪物が確認できた。

 普段の俺であれば、極限まで集中力を高めて怪物との戦いに臨んだだろう。だがこの時ばかりは思考に空白が生まれてしまった。目の前の光景に理解が追いつかなかったからだ。

「…………!? な……」

 それは例えるのなら太った蛇だった。全長は俺の身長を超えている。ざっと見て成人男性2人ぶんくらいだろうか。胴体は俺とそう変わらない太さだ。

 これだけであれば、初めて見る怪物かと特に気を乱されることもなかったはずだ。しかしこの蛇は、頭部に赤く光る四つの目が付いており、信じられないことに宙に浮いていた。

 羽もなく宙に浮いているだけでも珍妙なのに、額にあたる部分には刻印のような文様が浮かび上がっているのだ。これに俺は驚きと動揺を隠せずにいた。

(なんなんだこいつは……!? 目がある怪物自体が少ないのに、その上刻印らしきものを光らせて宙に浮いているだと……!?

 蛇は胴体中央部を奥へとへこませる。そしてそこから猛スピードでこちらに突っ込んできた。

「ぐっ!」

 攻撃の気配を感じ取れていたこともあり、蛇の突進をギリギリのところで回避する。よく見ると尻尾の先端部には赤黒い針が見えた。

「おおおお!」

 いつまでも驚きっぱなしというわけにはいかない。俺は自分から駆け出し、蛇に刀を振るう。これに蛇は素早く右側面に回り込み、そのまま尻尾の先端部にある針を俺に突きたててきた。

「はっ!」

 一瞬で落ち着きを取り戻した精神で両目を見開き、針の動きの先を読む。そこに刀を合わせにいき、上方向へと受け流した。

(いける……)

 ここまでは想定通り。俺はそこから一歩踏み込み、体重を乗せて刀を振るう。一瞬後、蛇の怪物は胴体を寸断されているだろう。どれだけ硬いウロコで身を守ろうが、今の俺ならば関係なく切断できる。

 そして刀身が蛇の胴体に触れるかというタイミングで。

「がああああぁぁぁぁ!?

 蛇は大きく開けたその口から雷光を放ってきた。至近距離で襲来した雷光を避けることができず、まともに受けてしまう。全身を焼くような痛みと筋肉を痙攣させる痺れが襲いかかる。

「がはぁっ!?

 続けて胴体に重い何かがぶつかり、かなりの距離を吹き飛ばされた。おそらく蛇はムチのように胴体をしならせたのだろう。痺れで動きが鈍くなった獲物に確実な一撃を与えてきたのだ。

「ぐうぅぅ!」

 まだ痺れは若干残っているが、立ち止まるのは危険だ。俺は即座に身を起こしてその場を飛び立つ。

 蛇が猛スピードですぐ側を通過したのはほとんど同時だった。

(くそ……! なんだこいつは……! 目が四つの蛇ならただの怪物で済ませられるが、宙を浮いてやがるし刻印らしきものは光っているし、おまけに口から雷撃を放ちやがった……!)

 明らかにこれまで戦ってきた怪物どもを逸脱した存在だ。あの雷撃は危険過ぎる。致死ではないものの、一度受ければかなりの体力を奪われるし、続けてくる追撃をかわせない。

(まさか……刻印術だとでもいうのか……!?

 刻印を持つ者の条件は、グノケインの血を引いていること。そのほとんどは貴族であり、平民との間に生まれた子は刻印を持たないか、発現しても大した能力は有していない……と、言われている。

 少なくともこんな怪物が刻印を持つなんてことはありえない。しかしここは地上の常識が通用しない世界だ。自分の目で見たもので判断するしかない。

「シャルルルルルルル……」

 ここで初めて蛇は唸り声を出した。空気を震わせない独特な音を出している。しばらく睨み合っていたが、仕掛けてきたのは蛇の方だった。

「くっ!」

 赤黒い針をまっすぐに突き立ててくる。これを俺は正面から刀で弾いた……その直後、蛇が口を大きく開いている姿が目に入る。

 感じた危機感に任せて、何もない目の前の空間に刀を振るう。そこにちょうど口から放たれた雷撃が襲来し、刀で斬り裂く形となった。

(雷撃が来ると思った時には、刀を振るっていなければ間に合わない……!)

 目で追いきれない速度で迫ってくるのだ。放たれた後に刀を振っていては遅過ぎる。

 正直言って刀で雷光を斬れるかは一か八かだった。だが帝国軍に追われていた際に、師匠は敵指揮官が放った刻印術……光の槍を刀で斬っていた。

 あれを覚えていたので、桜月刀であれば摩訶不思議な攻撃も斬れるのではないかと思ったのだ。

 結果的にうまくいった。雷撃による直撃を避けることはできた……が。

「がふっ!?

 ムチのようにしならせた胴体が俺の脇を打つ。強烈な打撃を受けて俺は地面を転がった。

 蛇の追撃は止まらない。転がっている最中に上空に視線を向けると、赤黒い針が迫ってきていたのだ。

 高速で首をよじって針をかわす。太い針は地面に深々と突き刺さっていた。

「おお!」

 左手で地面を突いて立ち上がり、目の前の胴体に向けて刀を振るう。まだ針は地面から抜けていない。このタイミングなら斬れる。

 実際に刀は胴体に触れることができた。ウロコごと斬り飛ばそうとしたが、残念ながらその動きは途中で止められることになる。

「あがぁっ!?

 なんといつの間にか蛇の頭部が足元まで来ていたのだ。蛇は器用に胴体をくねらせており、上と正面を見ていた俺の視界から頭部を消していた。

 その蛇に左足を噛まれる。だがこれまで何度もここの怪物に噛まれてきた。今さら蛇ごときに噛まれたところでどうということはない。

 それより頭部に刀を突きたてるチャンスだ。刀を逆手に持ち換え、とどめを刺そうとしたところに雷撃が襲いかかった。

「………………っ!」

 こ、こいつ……! 噛みつきながら雷撃を……! 大きく口を開いた状態でなくとも、放つことができたのか……!

 再び全身を焼くような痛みと痺れが襲う。筋肉が意図せず痙攣し、刀を手放してしまった。さらにその場に倒れ込んでしまう。

(まず、い……なんとか、立たなければ……)

 この地で武器を手放すなど、己の命を投げ出すに等しい行為だ。だが思うように身体を動かせない。それどころか蛇はその長い胴体を活かして、倒れ込む俺に巻き付いてきた。

「ぐあぁ……!」

 両腕ごと巻き付かれ、強い力で締められる。そのまま蛇は宙に浮くとゆっくりと移動を開始した。

「こ……の……!」

 俺をどこに連れていくつもりだ……!? こいつらの巣か……いずれにせよこのままだと絞め殺されるか、動けないところを食われるかだろう。

(冗談じゃない……!)

 こんなわけの分からない場所で、怪物ごときに殺されてたまるか……! 俺の命は人でもない奴らにくれてやるほど安いものじゃない……!

「あああぁぁぐうぅ……!」

 蛇は移動をしながらも徐々に締め付けを強めてきた。あと少しすれば骨も折れるだろう。

(し……死ぬ、のか……? 俺が……こんな、ところで……?)

 ふざけるな……! まだ俺にはなすべきことが……いや。なすべきことを見つけてもいないのに……!

 俺はまだキヨカとの再会を諦めていない! キヨカだけではない、マサオミや師匠たちもだ!

 マヨ様をお守りして草原へ行くという使命も道半ばだぞ!? 最後の皇族となるマヨ様をお守りするのは、武人としての責務だ……! これを成さずしてキヨカと再会などできるはずがない!

「お……おお……!」

 それ以前に、ここで死んでは母上にも合わせる顔がない……! あの粛清の日、師匠は俺を守ると母上に誓い、武人として鍛えてくれた……! 皇国に居場所を作ってくれた……!

 俺の命は多くの人たちの想いが連なっている! 死ぬのは甘えだ、今日まで俺の命を繋いでくれた者たちに対する冒とくだ……!

 俺は俺の生を諦めない! 必ず生きてこの地下世界を脱出し、草原へ向かう! そしてそこで、一生を賭しても貫きたいと思える願い……輝きを手にしてみせる……! 自分の生に意味と価値を見出し、俺にしかなせない使命を見つけるんだ……!

「お……おおおお……おおおおおお!」

 右目が熱い。まるで溶岩が漏れ出てきているかのような錯覚を覚える。こんな怪物ごとき、さっさと片付けろと暴力的な衝動が精神を支配していく。

「かああぁぁ……!」

「シュルルルルッ!?

 俺は両腕に力を込めて締め付けてくる蛇の胴体に抗っていた。刻印術を発動させている時はいくらか腕力が上昇するが、今はその腕力が普段よりもさらに上がっている気がする。

 いや……腕力だけではない。全身にこれまで感じたことのない強い力がみなぎってきているのが分かった。

「うあああああああ!」

 みなぎる活力そのままに、力いっぱい腕を拡げていく。蛇もかなりの力を込めてきていたが、それ以上の力で強引に胴体による拘束を押し広げていった。

「かあああああああ!」

 そしてとうとう隙間が生まれたところで、俺は拘束を解くことに成功する。同時に蛇の身体を掴み、岩壁に向かって投げ飛ばした。

「シャルルッ!?

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 よし……! 全身にみなぎる力でなんとか振りほどけた……! だがこれで形勢が逆転したわけではない。

 刀は少し離れた場所に落としてしまった。あの刀がないと、蛇の雷撃を防げないのだ。あまりの速度で迫ってくる以上、回避は難しい。刀を使って斬るしかまともな対処法がないのだ。

 そんな俺の焦りを読んだわけではないだろうが、蛇はこちらに向かって大きな口を開いていた。雷撃の予備動作だ。

「く……!」

 くそ……! あれの直撃を受けると、またしばらく動けなくなるっていうのに……!

 一か八かで回避できないかと、真横に移動する。だが蛇はその口をしっかりと俺に向けてきており、とうとう雷光が撃ち放たれた。

 雷光は周囲を照らしながら俺に直撃する。痛みと痺れを覚悟していたが、いつまで経ってもそんなものはこなかった。

「…………!」

 それよりも雷光で周囲が照らされたことで、俺の身体をよく見ることができた。なんと胴体や足に至るまで、全てが黒い甲冑のようなもので覆われていたのだ。

(これは……成長したのか……! 俺の刻印術が……!)

 これまで俺の肩部まで覆っていた黒い手甲が、全身を覆いつくしていたのだ。おそらく先ほど右目に熱を感じた時に、この変化を遂げたのだろう。

(そうか……それで全身から力がみなぎっていたのか……!)

 従来の刻印術では腕力を上げるのみだった。しかしこの状態だと全身の身体能力が向上するらしい。

 さらに蛇の放つ雷撃も無効化した。防御能力が飛びぬけて上がっている。

「シャルルルルルル!」

 蛇は赤黒い針を俺の胴体目掛けて突き出してきた。これに俺は前へ駆けながら、左手で弾き飛ばす。

 腕部も以前よりもかっちりと黒い甲冑で覆われており、蛇の針を通すことはなかった。

「かああああ!」

 そのまま蛇の胴体を掴み、力技で振り回す。そしてたっぷりと遠心力を乗せて蛇の頭を地面に叩きつけた。

「シャブッ!?

 明らかに動きが鈍った。やはり頭部への攻撃は怪物たちに共通して有効なのだろう。

 力を取り戻す前に蛇の頭部へと襲いかかる。俺は全力で頭部を殴り付けた。

「ブブッ!?

「つああああああ!」

 ようやく掴んだ勝利への道筋。俺は決して手を抜かない。何度も何度も全力で頭部を殴打する。

 身体能力が上がり、硬い手甲で覆われた拳でひたすらに殴り続ける。蛇はとっくに動かなくなっていたが、息を吹き返されても厄介だ。特にこいつは刻印術が成長していなければ、厄介極まりない怪物である。

「うおおおおお!」

 両腕を組んで渾身の力で振り下ろす。蛇の頭部はぐにゃりと歪み、四つあった目は全て潰れ、血と共に吹き出てきた。額にあった刻印らしき紋様もきれいさっぱり消えている。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……! か……勝った……!」

 呼吸を整え立ち上がる。自分の頭部を触ってみると、硬い感触があった。おそらくフルフェイス状の兜を身に付けた状態になっているのではないだろうか。

 ここに鏡なんてものはないが、今の俺は黒い甲冑で全身を覆った見た目になっているはずだ。

 仕留めた蛇の胴体を掴み、刀を落とした場所へと戻る。それほど離れていなかったこともあり、すぐに見つけることができた。

(まさか刻印術が一気にここまで成長するとは……)

 これまでただ地味な能力だと思っていたが、こうなると話は変わってくる。優れた身体能力に圧倒的な防御力。これをどう使いこなすかが、この地下世界を生き延びることに係わってくるだろう。

 そのことも重要だが、今は腹ごしらえだ。俺はさっそく刀で蛇の胴体を捌いていく。この地でのくさい生肉生活にもすっかり慣れてしまった。

「……む。今まで食った怪物の中じゃ、一番うまいな……」



 それからも俺は地下世界を歩き続けた。何度も怪物たちとの死闘を繰り広げたが、蛇のように刻印のようなものを持つ怪物とは出会っていない。あいつの正体も結局分からずじまいだ。

 それを言い出したらここにいる怪物全部に言えることなので、気にしていても仕方がないんだろうけど。俺にとっては生きることと、肉の味がマシかどうかの方が重要だ。

 そうしてさらにどれくらいの時を歩いたか分からないある時だった。いつからか俺はここで遭遇する怪物たちと戦闘になっても、さほど苦労せず倒せるようになっていた。

 今では刻印の明かりがなくとも、迷いなく刀を振るうことができる。

 そんな武人としての成長を実感している今。俺の目の前には明らかに人工物と思われる扉があった。

(…………なんだ、これは)

 天然の洞窟内を進んでいると、岩壁にどう見ても扉がついていた。

 いや、正しくは扉のデザインが彫り込まれた岩肌だ。その中心部には縦長の空洞があり、身体を横に向ければその先に進めそうである。

「………………」

 いったい誰がこれを……? いや、そもそも。ここは本当に自然の洞窟なのか?

 ここに来るまで俺はいくつか違和感を覚えていた。まずこの空間に生息する怪物どもだ。こんな生物がいるなんて聞いたことがない。

 創生神話の魔獣との関連性を疑ったこともあるが、こんな場所でその正体なんて突き止められるはずもない。

 そもそもこいつら、ここで生まれたのか? 大陸の地下にこんな怪物が生息しているというのなら、どうして誰もそのことを知らない? 地上には出てこないのか?

 そしてこの目の前にある人工物。どうぞこの先へお進みくださいと言わんばかりだ。

(しかしこの先に道がない以上、進むしかない……か)

 これまでも洞窟内部にはいくつか分かれ道があった。選んだ道が行き止まりだったこともある。今回も行き止まりか……と思ったが、そこで見つけたのがこの扉だ。

 俺は精神を凪の状態に整えると、身体を横にして細長い空洞を進み始める。このマインドセットも必要に応じて自然にできるようになった。

(せまい……それに岩肌がごつごつしていて痛い……)

 着ていた服ももうボロボロだ。これでさらに破れるな……。

(……む)

 空洞を抜けると、そこは少し広めの空間が広がっていた。生物の気配は感じない。

 俺はこの空間に何があるのか、慎重な足取りで調べ始める。

(空気の流れは入ってきた空洞からしか感じない。……いや、微かだが上からも感じる。この空間自体はそれほど広くはないが、天井は高い……?)

 刻印で壁を照らしながら歩いていると、入り口に戻ってきた。どうやら一周したらしい。

(入り口を背にして左右は半円状、正面はやや直線的な造りだったな)

 外周はそんな感じだ。続いて空間の中心部を目指して足を進める。

 そしてそれを見つけた。

(本……だと……? こんなところに……? 誰が……?)

 そこには大量の本が積み重なっていた。いつからあるのか分からない。それにあまり劣化らしい劣化が見られないのも怪しい。

 だが無限にも思える時間、真っ暗な空間を歩き続けた先で見つけた本。興味はある。

 俺は警戒心を解かないまま、本の1冊に手を伸ばした。


◆◇◆◇◆◇


 ゼルトリーク帝国がアマツキ皇国を支配下に収めて約1年が経った頃。これまで小競り合いを繰り返していた領主連合のある領地に対し、帝国騎士団は本格的な侵攻を開始した。

 帝都から発った騎士団は銀槍騎士団。その数2万、率いるは銀槍騎士団団長バンドレッド・クルアードである。

 彼が向かう先は領主連合が1つ、カムラック領だ。

 カムラック領は領主連合勢力において、西部に位置する領地である。そのさらに西は別の領主が治めており、その領地は賊が闊歩する帝国西部と面している。

 帝国はまず領主連合をこの地で東西に分断すべく、カムラック領へ侵攻を開始した。

「バンドレッド様! 敵は正面の3万、増援の様子は見られません!」

「ふん……情報通りだな。おそらく他領からの援軍は来ない」

 カムラック領は約3万の兵数を抱える規模の大きな領地であったが、帝国騎士団の侵攻に対し他領の応援は頼んでいなかった。これにはいくつか理由がある。

 まず第一に、兵数が勝っているという点。帝国騎士団を迎え撃つべく先んじて平野に陣取っており、純粋な兵力勝負を仕掛けるつもりでいた。

 第二にバンドレッド自身が若く、知名度が低いという点。騎士としての力量は低いが、家格で騎士団長になった男だろうと判断していた。

 そして第三にカムラック領の領主自身が、領主連合内において主導権を握りたかったという点がある。

 領主連合は現在、4人の大領主が中心になって方針が決められている。領主は他に何十人もいるが、実質この4人が全体の指揮を執っているのだ。

 今回帝国騎士団を撃滅すれば、カムラック領主は間違いなく領主連合内において強い影響力を得る。そこからの立ち回り次第では、他の領主たちを味方につけて、新たな大領主になれる可能性もあるのだ。

 また領主連合側としても、3万の戦力が2万の戦力を相手にすぐ負けるとも考えていない。

 万が一苦戦しているようならば、帝国騎士団の側背を突けるように東から援軍を送ればいい。そう考えていた。しかし。

「突破せよ!」

「おおおおおお!」

 バンドレッドの指揮する銀槍騎士団は、重装騎兵を中心とした編成になっていた。

 彼は1万もの騎兵を矢印型の陣形に整える。中央先頭には自身を含む最精鋭の重装騎兵で固め、矢印型のため中心部は突破力に優れた縦陣になっている。これで強引に敵陣を突破するのだ。

 カムラック領軍は当初、騎馬による突撃を防ぐために木の杭を打ち付けた柵を配置するつもりだった。

 だが自分たちの勝利は揺るがないという慢心がその行動を遅らせ、そしてバンドレッドは敵の準備が整う前に決着を着けようと、予定よりも速い行軍スピードで進んできた。

 結果。カムラック領軍はまともな陣地を設営する間もなく、帝国騎士団と相対することとなる。

 敵の突撃を止めようにもその突破力はすさまじく、あっという間に真ん中を抜かれてしまった。

「左右から回り込め!」

「おおおお!」

 カムラック領軍を圧倒的な突破力をもって中央で分断し、バンドレッドはそこで部隊を2つに分ける。それぞれ左右に分かれ、敵軍の背後から回り込む形を取った。

「うわああああああ!?

「落ち着け! 相手の方が数が少ないのだ! 冷静に対処しろ!」

「ああ!? あ、あっちにも!?

 最初に突撃を受けてしまったものの、数は領軍の方が多い。混乱はあってもまだ対処はできていた。

 しかしそこに、南からさらに帝国兵が現れる。

 バンドレッドは先んじて自身を含む重装騎兵1万を先行させていたが、残りの1万は長槍を持った歩兵である。そして歩兵隊は槍を構え、そのまま戦場へ突撃を開始した。

「ま、まずい! このままでは挟撃される!」

「はやく! はやく騎馬隊を仕留めよ!」

「だ、だめです! 奴ら、精鋭です! つ、強過ぎる……!」

「ぎゃあああああ!?

 数で帝国騎士団は不利だったが、銀槍騎士団の重装騎兵は精鋭揃いである。彼らは歩兵が到着するまでの間、見事に耐えきった。

 そしてそこに歩兵が突っ込めば、挟撃は完成する。あとは挟まれた領軍がすりつぶされていくだけだ。

「ひいいいぃぃぃぃぃ!」

「に、逃げろおぉぉ!」

「あ、まて! 逃げるなブベッ!?

「隊長がやられたぞ!」

「こっちもだ!」

「も、もうだめだああぁぁ!」

 こうなるともはや決着はついたも同然である。バンドレッドはよく届く叫び声を上げた。

「我らの勝利だ! かちどきをあげよっ!」

「おおおおおおおおおおおお!」

 領兵たちも帝国騎士団の勝鬨を聞き、自分たちが負けたのだと精神的に追い込まれる。

「これより掃討戦に入る! 武器を捨て降伏する者は命まで奪うな! 逃げる者、武器を持つ者は殺せ!」

「おおおおおおおおおおおお!」

 こうしてカムラック領は初戦で敗北し、領主連合が援軍を送る間もなく壊滅した。しかしこのまま帝国騎士団の北上を許せば、領主連合は完全に東西で分断されてしまう。

 そこでカムラック領の北部に兵を送って防御態勢を整え、同時に騎士団の縦に伸び切った補給線を牽制するようにカムラック領東部から軍を進めた。

 元々援軍の準備をしていただけあり、この動きは早かった。そのため銀槍騎士団は一度占領したカムラック領に留まり、領主連合はなんとか分断されるのを防ぐ。

 しかし長年膠着状態が続いていた中、誰が見ても分かる形で領主連合は敗北した。

 また戦が始まって僅か1日で3万の戦力が敗れたという事実は、領主たちの間で大きな衝撃を呼んだ。