そう言うと刻印術を発動させ、両手に黒い手甲を出現させる。

 俺は確かに強くなった。だがその強さでは皇国を守れなかった。自分の望む未来を掴み取ることができなかった。

 しかし、ここでみんなの1分1秒が稼げるのなら。今日この時のために俺は強くなったのだと、初めて自分自身に胸を張れる。厳しい鍛錬を経て身に付けた己の力に意味を見出すことができる。

「死ぬ気はありません……! 生きて、自分の人生に意味を……価値を見つけるっ! 師匠、お願いします……!」

 思えば師匠に対して面と反抗したのは初めてだ。だが師匠は優しい目で俺の決意をくみ取ってくれた。

「ならば我が最後の弟子よ。お前はここでわしと居残りだ」

「はい……!」

「死ぬことは許さぬ。お前もまだ若い……いいな、ここである程度馬と敵兵の死体を積んだら、我らも橋を渡るぞ」

 橋の幅は広いとはいえ、馬と敵兵を積み上げれば馬での通り抜けは難しくなる。その間に橋の向こう側へ移動し、できた時間で橋を落とす。そういうことだろう。

「……くるぞ!」

 帝国軍はやはり2列になって橋を渡ってきた。まっすぐにこちらへ向かってくる。

「ふんっ! 犠牲を覚悟で残ったかぁ!」

「このまま踏みつぶしてくれよう!」

 馬上から槍が振るわれる。俺は腰を落として駆けだすと、槍の下をくぐり抜ける。そして真上へ飛んで敵兵の首を斬り飛ばした。

「…………っ!」

 そのまま馬の足も斬り、その場で倒れさせる。生暖かい返り血が付着し、鉄の匂いが気持ち悪い。しかし敵は次から次へと向かってくる。

「おのれっ!」

「辺境の蛮族如きがぁ!」

 続いて振るわれる槍に対し、俺は刀を横に向けて受け流す。そして前進しながら距離を詰め、渾身の力で馬ごと敵兵の胴体を斬り裂く。

「ぐぅ……!」

 隣を見れば師匠も敵兵と馬を仕留めていた。

 いけるか……!? いや、敵はまだまだ数が多い。対してこちらは2人、体力の限界はどうしても先に訪れる。

「ええい、何をしておる! 相手はたったの2人、全員で突っ込め! あの皇国人どもを踏み砕けぇ!」

 敵の指揮官らしき男が大声で命令を出す。

 まずい……! さすがに一度に来られたら、ひとたまりもない……!

 1人2人は斬れても、物量で押しつぶされてしまうだろう。だが敵兵たちはやや戸惑っていた。

「早く行けぇ! 俺の命令が聞けないのかぁ!」

 再び怒声が響き、騎兵が突撃してくる。その瞬間、橋が大きく揺れた。

「く……!」

「無茶をしおる……! ヴィル! いつでも走れるように準備しておけ! 橋がもつか分からん!」

 馬も武器を持った兵士も、かなりの重さがある。そのため敵も一度に橋を渡る人数に慎重になっていたのだろう。

 だが今はかなりの数の騎兵が、橋を大きく揺らしながら突撃してきている。足場もおぼつかないし、場所取りも難しいぞ……!

「おおおお!」

 それでも敵は向かってくるので、戦い続けるしかない。

 俺は騎兵たちを渋滞させ、衝突させようと地面すれすれまで腰を落として馬の足を狙う。だがちょうどその時、橋はひときわ大きく揺れた。

「うわ!」

「ヒヒィィィン!」

「し、鎮まれ!」

 俺たちが立っていた場所は、橋の真ん中あたり。つまり一番揺れが激しい場所だ。

 さっきまで上下に揺れていた橋は、今は左右にも大きく揺れていた。いろんなところからミシミシといやな音が鳴り続けている。

 そこにあまりの揺れに馬が暴れたため、一瞬ではあったが敵兵の動きが止まった。

「ヴィル! こうなっては仕方がない! 一度向こうに渡るぞ!」

「はい!」

 そうして真後ろを向いた時だった。師匠は既に少し先へ進んでいたが、急に妙な浮遊感が襲い掛かる。

「………………!」

 そして後方から聞こえてくる悲鳴。間違いない、とうとう橋が壊れたのだ。

「くぅ!」

 真っ二つに割れた橋は足場がだんだん垂直になっていく。俺は軽やかな身のこなしでできる限り前に進み、橋が完全に垂直になった時にはどうにか端にある縄を掴んだ。

 後ろからは騎兵や馬の叫び声が聞こえてくる。彼らはなすすべなく川へと落ちたのだろう。

「ぐっ!?

 俺自身は落ちはしなかったが、縄に掴まっていたため身体が向こう岸の崖に叩きつけられる。

 師匠も同じく上の方で縄を掴んでいたが、俺の姿を見て安心した表情を見せていた。

「橋を斬り落とす手間がはぶけたわい。さっさと上がるぞ!」

「はい……!」

 師匠は元々橋の上の方にいたので、さっさと登りきってしまう。

 俺も刀を鞘に戻すと、両手を使って縄を上り始めた。

(よかった……! どうにかみんな無事に渡りきることができた……! これで敵もしばらくは追ってこられない……!)

 初めて自分の身につけた実力に意味を見出せた気がする。そんな思いを抱き、真上で待つ師匠を目指して……。

「ヴィル!」

 師匠の叫びが耳を打つ。その瞬間、さっきも見た光の槍が真横に突き刺さった。

「な……!」

 後ろを振り向くと、敵指揮官らしき男が何かを叫びながら飛び跳ねている。

 俺たちを逃がしてしまったのが、よほど悔しいのだろう。腹いせにまだ橋を登りきれていない俺を狙ったに違いない。

「早く! 早く上がってこい!」

 このまま的になるのはごめんだ……!

 俺は焦りながら橋を登り続ける。だが次に飛んできた光の槍は、俺の真上に突き刺さった。

「あ……」

 その槍は掴んでいた縄を貫いていた。師匠が両目を大きく見開いて俺を覗き込んでいるのが見える。

 だがその距離がみるみる離れていく。そして。

「ぐぁ……!?

 俺は流れの速い川の中へと吸い込まれてしまった。


◆◇◆◇◆◇


「……マイバルめ!」

 鉄剛騎士団団長アドルドンは、マイバルの独断行動に強い怒りを覚えていた。彼はまだ日が昇っていないうちから騎兵を叩き起こし、勝手に軍事行動に出たのだ。

 皇都北から出たあやしい集団を追うのはいい。だがマイバルであれば、その集団に民間人がいようが必ず暴虐の限りを尽くす。

 別にそれ自体を否定するわけではない。帝国の歴史は力による支配と、特権階級による搾取だからだ。良い悪いの話ではなく、そうして歴史を積み重ねてきた。

 しかし今は時期と相手がわるい。これ以上武人との戦い以外で、皇国人をいたずらに刺激したくはなかった。

 侵略軍総大将であるアドルドンにそう思わせただけでも、武人たちの強さとこれまでの戦いぶりには意味があると言えるだろう。

「間に合えばいいが……」

 既に自分の部隊に後を追わせている。皇都から脱出した者を見つけたら、ただちに手厚い保護をするようにと伝えてあった。

 おかげで皇都を攻略する上での部隊分けをまた考え直さねばならない。なにせ十中八九、皇国は降参しないからだ。

「……4……いや、5日か……」

 帝国軍が皇都を完全に支配下に置く時間を目算する。



 だがこの後、皇国軍は予想以上の抵抗を繰り返し、皇都を完全に占領下に置くまで20日かかった。

 さらに皇族は最後に自決し、帝国は長きにわたって武人たちから遊撃戦を挑まれることになる。


◆◇◆◇◆◇


 遠い日のことを思い出す。世界は立派な建物と母上たちだけだった。

 先生たちからは高度な教育を受け、貴族としての教養を身につけていく。弟妹たちとたまにお茶会をしては遊ぶ。

 そんな伸び伸びとした毎日を送っており、自分の将来に不安も不満も抱いていなかった。

 8歳で右目に刻印が発現した時、当時は少し騒ぎになった。皇宮警備隊の隊長も珍しい発現場所だと言い、なんと皇帝陛下が俺の刻印を見るためにわざわざ皇宮まで来てくれたのだ。それが最初で最後になる父上との対面だった。

 いったいどんな刻印術に目覚めたのか。これまで皇帝一族の刻印を記録してきた文官も興味津々だった。

 まぁ発現した能力は両手に黒い手甲が顕現し、腕力が上がる程度のものだったのだが。

 しかし戦い向きと言えば戦い向きだ。将来どこかの領地か他国に出されることは決まっていたが、あるいは騎士団を率いる可能性もあるとされ、剣の稽古も本格的になった。

 そんな日々はなんの予兆もなく砕かれる。いや、俺がその予兆に気づけていなかっただけなのだろう。気づけたところで、当時それを乗り越えられるほどの力はなかったが。

 そして第二の故郷であるアマツキ皇国でも、また俺は全てを失ってしまった。今回もやってきたのは帝国だ。

 この地で武人として一生を過ごす。そう決意した矢先の出来事だった。

 なんなんだ……いったい俺がなにをしたというんだ……。

 何が足りなかった? どのタイミングでどうしていれば、未来を変えることができた? 分からない……何も分からない……。

 武人として強くなるだけでは足りなかった。では俺に強い立場があれば、話は変わっていたのだろうか。

 その強い立場とはなんだ? 何ができる者を指す?

 立場に強弱があるのは、いやというほど思い知っている。かつてはそれ故に母上を目の前で失ったのだ。

 もう自分の大切なものを……居場所を失いたくない……。これまで自分が身につけた強さに、答えと意味が欲しい……。

 帝国軍の追手を見た時、俺は決意を固めた。答えと意味を得るために、ここに残って戦い続けると。そして師匠はそんな俺の気持ちに応え、共に残ってくれた。

 もう答えは出たのだろうか。意味は生まれたのだろうか。みんな……無事に草原へ向かえているのだろうか。

 それに皇都に残ったキヨカは今も無事なのだろうか。俺の決意がマヨ様を草原に届けたのだと認めてくれるだろうか……。

「ぐ……っ!」

 全身に鈍い痛みが走る。俺はゆっくりと両目を開いた。

「が……はぁ……はぁ……」

 どこだ……ここは……。どうしてこんなに全身が痛い……?

「そう……だ……。おれ、は……あのとき……かわに……なが、されて……」

 どうやら濁流に流され、そのまま海に出たらしい。

 俺は今、岩肌にひっかかるように全身が固定されていた。波は容赦なく身体にかかるし、正直かなりしょっぱい。

「どこまで……ながされ、たんだ……?」

 川に流されて海に出たにしては、周囲にあるのは断崖絶壁の岩肌だけだ。それがどこまでも続いており、とても登れそうにない。

「ん……?」

 ふと視線を横に向けると、少し先に刀が岩の間に挟まっているのが見えた。

 間違いない。師匠より賜った神秘の刀、桜月刀だ。同じところに流されてくるとは……。

 いや、案外あの刀が俺を守ってくれたのかもな。桜月刀はその製造工程からして、皇族の特殊な力が宿ると言われているし。

「うご……け……!」

 少し身体を動かしただけでも、全身が悲鳴をあげる。そうとう長い時間、身体を動かせていなかったのだろう。

 筋肉は固くなっているし、長く海水に浸かっていたおかげで皮膚はふやけている。

「ぐぅ……!」

 ゆっくり慎重に岩肌を移動し、どうにか刀を手にする。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 これだけでかなりの体力を使った。

 まずいな……意識を取り戻したのはいいが、早く食料や水を確保しないと。このままでは死んでしまう。

「はぁ、はぁ……。ん……?」

 刀を取りに移動したことで、俺はその先の岩肌にくぼみがあるのを発見した。

 角度的にさっきまで隠れて見えていなかった場所だ。そしてそのくぼみの先に洞窟が見えた。

「なんだ……洞窟……なぜ……」

 大自然の話だし、洞窟くらいはあるか。とにかく今はどこか地に足をつけられる場所へ移動したい。

 そう考え、ゆっくりと岩肌越しに移動を開始する。そしてどうにか洞窟の入り口までたどり着いた。

 入り口こそ海水で浸かっているが、その先には地面が見える。俺はホッとしてそこまで移動した。

「はぁ……どうにか……休めるか……」

 全身がだるい。よく生きていたものだ……。

「…………?」

 今さらながら普段よりも視界が広いことに気づく。右目に触れてみると、いつも付けていた眼帯が外れているのが分かった。

「さすがに……海に飲まれたか……」

 こうなっては仕方がないな。というか意識したら、いきなり視界の広さに違和感を覚えるようになった。

 皇国からはなれた以上、もうこの目を隠す意味もないのか……?

「ぐぅ……とりあえず……やす……もう……」

 地面の上に座れたことで安心したのか、一気に疲れが襲いかかってくる。俺は眠気に逆らえず、そこで眠りについた。


「ん……」

 なんだ……身体が……濡れている……?

 うるさいくらいに聞こえる波の音で目を覚ます。そして驚きで思考が一瞬固まった。

「…………っ!」

 なんと身体が海水に浸かっているのだ。今は壁際まで流され、そこの岩肌に身体がひっかかっている。

 さっきまでちゃんと地面があったはずなのに……!

「潮の……満ち引きか……!」

 く……! ここも安全ではない、とにかく海水が満ちる前に洞窟を出なければ……! そう考えて入り口を見る。

「うお……!?

 既にその入り口は小さくなっていた。今から洞窟を出るには、まず入り口まで泳いでいかなくてはならない。だが。

「俺……泳げないんだけど……!?

 そう。これまで遊泳なんてしたことがないし、ましてや鍛錬も積んだことがない。

 それに海水の中でこんなに固まった身体を動かしても、まともな挙動ができるはずがない。足をもつれさせて沈んでいく未来が鮮明に見える。

「せめて身体が十全に回復していればよかったのに……!」

 それならまだなんとか不器用なりに泳ごうとしたかも知れない。

 しかし海面が上昇したことで、段になっている洞窟の奥へと上がれるようになっていた。幸いそこには腰を落ちつかせられそうだ。

「ぐ……!」

 入り口とは逆方向に進み、段の上へと上る。そして入り口は完全に海水によって塞がれた。明かりも入ってこなくなったので、完全に真っ暗になる。

「さすがにこれ以上は……海面も上がってこないよな……?」

 思えば下の地面には貝殻が多く見られた。暗い地面を触ってみるが、上の地面には貝殻の数も少ないように感じる。

「少し流れてくるかもだが……海水に浸かるということはなさそうか……?」

 少し寝たおかげで、多少は体力が回復した。その頭でこれからのことを考える。

(このまま待てば、また海面は下がるのか……? そしたら外に出る? いや、外はずっと断崖絶壁が続いていた。登ることは不可能。では岩肌伝いに移動する? どこまで続いているのか分からないのに? その間の食べ物や水は? まともに足がつかないまま、体力はもつのか?)

 そもそも長く岩肌で意識を失っていたからか、全身が痛い。おそらく複数個所で打撲を受けている。

 だがこのままここにいても朽ちていくだけだし、やはり一か八か外に出て移動するしかないだろう。

(そうだ……それにマヨ様や師匠たちも、カーラーンさんの案内で草原へ向かったはず。そこまで行ければ……またみんなと会える……)

 ふと「会ってどうする?」という疑問が頭に浮かぶ。

 帝国に居場所を奪われる恐怖を感じながら、一生を草原で暮らす? また帝国軍が現れたら、今度はどこに逃げる? そもそもまた逃げるのか? 奪われる立場の者は、一生その立場から逃げられないのか?

「………………!」

 俺の知る中で、最強の剣士は師匠だ。その師匠ですら帝国軍から皇国を守ることはできなかった。せいぜいマヨ様を始めとした、少しの民を守れるくらいだ。

 なぜか。それはやはり師匠も個で強くとも、立場が強くなかったからだろう。

 最強の立場。それは皇国の皇王ではなく……帝国の皇帝だ。

 立場が強ければ、個の実力者でさえ自分の強さとして使うこともできるのだ。例えば皇国を侵略した黒鉄の重装歩兵たちのように。

「くそぅ……」

 気づけば涙が流れてきていた。もう疲れたのだ。奪われる立場でい続けることに。そこから抜け出せないことに。

 マヨ様のことを思い出す。彼女は……今、何を考えているのだろうか。

 彼女も俺と同じはずだ。奪われ、そして大切な居場所を失った。だがあの時話したマヨ様は、小柄ながらとても気丈な女性に見えた。

 きっと兄との約束が……そしてこれまでの皇国における日々が、彼女の中で強く輝き続けているのだろう。

 それはきっとキヨカも同じだ。武人としての誇り、血族と最後まで皇都に残って帝国に抗うと決めた決意。この輝きはたとえ帝国の騎士といえど打ち消せはしない。

「俺にも……俺にも、そんな輝きが……あれば……」

 きっと人はその輝きを、生きる意味だったり人生を賭しても成し遂げたい目標と呼ぶ。あの時、俺が橋の上で見つけたいと願ったものだ。

「……いいや、まだだ」

 まだ今からでも見つけられる。こんなところで泣いて人生をはかなんでいる場合じゃない……! まずはなんとしても、ここから生きて出るんだ……!

「そうだ……俺はまだやれる……! やれるんだ……!」

 全身に力を入れ、なんとか立ち上がる。既に周囲は真っ暗で何も見えないが、まずは一晩寝られるスペースを確保しなければ。

 そう考え、足を進めながらなるべく平たい場所を探る。そして。

「は……?」

 自信満々に踏み出した先に地面はなく、体幹バランスを大きく崩した俺は、そのまま真下へと落下していったのだった。


「ぐ……うぅ……」

 どうやら落ちた先で眠っていたらしい。全身の痛みがひどくなっている。上から落下した時に身体を打ったのだろう。

 しかしダメージはともかく、しっかり寝たおかげで体力は戻っていた。それに頭もスッキリしている。

「ぬぅ……真っ暗だな……」

 当然だが明かりが何もないので、周囲の様子を見ることができない。しばらく考えて俺は刻印を発動させることにした。

「まさかこういう形で、刻印をありがたいと思う時がくるとは……」

 両手が黒い手甲に覆われ、そして右目が輝いたことで周囲の景色が見えるようになる。

 発動させた刻印がどれくらい光るかは個人差がある。だが眩いくらい強く輝く……ということはない。俺の刻印も少し光る程度のものだ。

 しかしこの明かりが存在しない漆黒の世界では、この程度の明かりでも周囲を照らすことができた。

「これは……」

 改めて周囲を見渡す。上はまったく何も見えない。壁は取っ掛かりが見当たらず、ここを登るのは難しそうだ。

 周囲からは磯とカビの匂いがする。そして洞窟はさらに奥まで続いていた。

「ふぅむ……?」

 洞窟自体は結構広い。俺は改めてここがどこなのかを考えてみる。

 海に出たということは、皇都から見て東にあるのは間違いないだろう。

 皇都東部は一部海岸線が続いているし、少し移動すれば海に面する陸地は断崖絶壁になっている。

 そういう地形だからこそ、草原に向かう途中にある川で、そこそこ高い位置に橋が通されていたのだ。

(あの時点で皇都より北に移動していた……ここは皇都から見ると、北東に位置しているのか……?)

 橋を渡った先は山を越えることになる。案外この先の洞窟はその山の真下になっているのではないか。それにもしかしたら。

(このまま進めば……外に出られる……?)

 分からない。しかしここから元の場所へ戻るのは困難だし、かなりの体力を消耗する。食べ物にも不安がある今、あまり体力は使いたくない。

「……行くか」

 俺に残された時間は少ない。おそらくあと少し歩けば、喉はカラカラになるだろう。その前になんとか活路を見出さなければ。


◆◇◆◇◆◇


 アマツキ皇国の皇都が陥落し、帝国の支配下になって30日後。ゼルトリーク帝国の帝都ゼルトスタッドでは、何度目かの戦勝パーティーが開かれていた。

「辺境の小国がようやく黙りましたなぁ!」

「あの国はいろいろため込んでおると聞く。これで我らが帝国はますます力をつけるでしょう!」

 貴族たちは浮かれ、皇帝と帝国騎士団を褒め称える。そんな者たちから距離を取り、1人酒を飲む男がいた。

 彼の名はアーロストン・ロンドニック。数年前に若くして帝国騎士団総代の地位に就き、騎士団内部の大改革に着手した男である。

「ここでしたか」

「……やぁアドルドン」

 皇国を侵攻する指揮を執っていた鉄剛騎士団団長アドルドンも、皇都から戻ってきていた。今は甲冑姿ではなく、貴族らしい恰好をしている。

 占領政策や旧皇国領統治は彼の仕事ではない。彼は帝都から派遣された軍や代官と入れ替わりに、騎士団を率いて帝都に帰還したところだった。

「このパーティーの主役がこんなところにいていいのかい?」

「主役ではありませんよ。皆こうして騒げる理由があれば何でもいいのでしょう」

「ふ……違いない」

 アドルドンはアーロストンより年上だが、決して彼を見くびってはいない。今の帝国騎士団は彼がいなければ立て直しもできなかったし、ましてや精強な軍隊に生まれ変わることもなかった。

 まさに新たな帝国の時代を作るために生まれてきた男だろう。もう少しで帝国は国土統一のため、本格的に動き出すことができる。

「皇国はどうだった?」

「大軍を動員しての戦の経験。これがなかったことが幸いでした。これまで領土野心的なものを抱いていなかったのは、その気質によるものでしょうが……もしその気があったのなら、今頃この大陸に版図を広げていたのは皇国だったかも知れません」

「それほどか……」

 アーロストンもアドルドンの報告には目を通していた。

 戦いが始まる前に皇国の地理や戦力は調べていたが、皇国人の独自文化や性格などは気にしていなかったのだ。そのため戦争には勝ったものの、予想外の出来事が多かった。

「皇王の最期も報告で見たが……見事なものだな」

「はい。側を固めていた親衛隊もとても精強で、こちらの精鋭が何人も失われました」

「覚悟を決めた一国の王と、その従者か……。今の帝国にそこまでの気概を持つ者がどれほどいるものかな」

 少なくとも皇帝はそれほどの覚悟を決められる男ではない。口には出さないが2人ともそう考えていた。

 アーロストンとしては、今回の遠征は生まれ変わった騎士団の実地訓練のつもりでもあった。皇国のことを調べた上で、これなら訓練相手にちょうどいいと考えたのだ。

 だからこそ皇帝に裁可を取り、騎士団を動かした。また皇国の財や資源を取り込みたいと考えたのも事実である。それらを活用して領主連合に対する備えを完成させる算段だった。

 しかし予想外の被害……鉄剛重装隊から幾人もの死者を出してしまった。

 帝国騎士団全体から見れば微々たる損失だが、彼らは1人1人が専門性を高めたエキスパートだ。時と場合によっては、雑兵50人より価値が勝る。少なくとも領主が抱える軍よりも優先順位は高い。

「不安要素はいくつかあります。皇族が死んだことで、元皇国民たちは帝国を強く恨んでいる。これからも抵抗は続くでしょう」

「ふむ……他には?」

「はい。皇族で1人、行方が掴めていない者がおります。おそらく……」

「ああ、北へ逃げた可能性があるのだったね」

 行方不明の姫は不安要素である反面、帝国にとって利用価値が生まれる可能性がある人物でもあった。

 もし姫が生きていてどこかで挙兵すれば、旧皇国民たちも立ち上がるだろう。何せ彼らは自分の命よりも皇国民としての誇りを優先する人種だからだ。

 それに領主連合が保護すれば、彼らの誰かと姫を間違いなく婚姻させる。そうなると皇国を取り戻すという大義名分を得て挙兵も可能になる。

 実際に皇国を取り戻せなくとも、姫が挙兵したという事実が伝われば、せっかく支配下に収めた皇国領で反乱が起こるのは必至だった。

 一方で帝国が保護できた場合は少し話が変わる。これを丁重に扱い、皇帝と婚姻させられれば。旧皇国民や武人の生き残りに対して融和を図ることが可能になる。

 時間はかかるが、ゆるやかに皇国は完全に帝国の一部となるだろう。

「すぐに橋を修復し、捜索隊を組むべきです」

「ああ。私もそう陛下にお伝えしたのだが、今でなくていいだろうとかわされてしまったよ」

「は……?」

 アーロストンとしては、現場で見聞きしてきたアドルドンの意見を尊重したいと考えていた。

 だが騎士団は帝都に帰還したし、現在皇国領へ入っているのは文官や執政官、そしてそれらを補佐する帝国兵である。その管轄は皇帝や他の中央貴族になる。

「そんな小娘1人、生きていたところで何もできんとね。まずは占領した皇国領の統治を優先し、橋の修復は余裕ができてからでもいいだろうと言われたよ」

「……………」

 皇国が帝国領になった今、その財政を使って橋を整備する判断を下すのは騎士団ではない。

 そして最高意思決定者の皇帝が一度そう判断した以上、現場の執政官たちがすぐに橋の修理を行うとも思えなかった。

「だが、その橋を渡った連中の行き先は予想がつく」

「……どこです?」

「ラーバ草原だろう」

「ラーバ草原……帝国最東の辺境ですね」

 地図では帝国領となっているが、実際に住んでいるのは遊牧民だけである。

 帝都からはあまりに遠く、また道もまったく整備されていない。そこに多大な時間とコストをかけて町を作り、街道を整備したところでメリットも小さく、そもそも住みたがる者もいないのだ。

 草原には8つの部族が存在し、帝国との窓口はムガ族が務めている。彼らは従属の証として年に何頭か馬を献上し、帝国はそれを受け取る。ただそれだけの関係だった。

 力で支配しようにも草原は広く、どこに何人いるかも分からない遊牧民たちを支配下におくのは簡単ではない。またそれほど離れた土地に大軍を向かわせられるほどの財政的な体力も物資もないのだ。

 そのため今も間接的な支配が続いている。幸い彼らもどこかのんびりとしており、帝国に対して翻意はないので、ずっと放置されている存在だった。

「知られたのはごく最近だが、草原の民と皇国は薄いながらも取引があった。おそらく山野を越えれば、行き来は可能なのだろう」

 とはいえ口で言うほど簡単ではない。地図を見るだけでも山越えをせねばならないし、他にも樹海など難所がある。

「なるほど……北へ逃げたというのなら、草原を目指している可能性はありますね」

「ああ。だが案内人もなくたどり着けるとも思えないがね」

 むしろ不可能だろう。そもそも道ができるくらい行き来が活発であったならば、もっと草原と皇国民の交流は深かったはずだ。

「……姫の捜索に、草原へ部隊を送りますか?」

 アドルドンの言葉にアーロストンはなんとも言えない曖昧な笑みを浮かべた。

「それはできないよ」

「と、申しますと?」

「もちろん姫の重要性は理解している。だがそもそも私は姫が草原へたどり着けるとは思っていない。そして草原に部隊を送ったとして、どうやって探し出す? あの地を迷わず進めるのは8つの部族だけだ。そんな地へ、いるのかも分からない姫の捜索のために、いったい何日分の食糧とどれくらいの兵数を送ればいいのだ?」

「………………」

 せめて草原の入り口に砦でもあればまた話は違ったのだが、外敵もいないのにわざわざ常駐軍や砦を建設するコストもない。

 また皇国はそもそもどこの国とも親交は無かった。姫が今さら同じ帝国人である領主連合と結びつき、挙兵するとも思えない。

 万が一草原まで逃げられたとして、そこから一生出てくることはないだろう。

 それならそれで帝国にとって邪魔にはならないのだ。皇国領も姫を活用できないものとして、支配体制を構築していけばよい。

「とは言え、直接皇国人を見た君の不安ももっともだ。すぐには準備できないが……何人か適当な傭兵を送り出すとしよう」

「感謝します」

「今は西への対応にも追われているからね。1年くらい先になるかも知れないが、そこは大目にみてくれよ」


◆◇◆◇◆◇


「みなさん。ようこそ我らが大地へ」

「ここが……」

「帝国最東の地……」

 橋上の激闘を終えて約3ヶ月後。カーラーンたちはとうとう山と樹海を越えて草原へとたどり着いていた。

 カーラーン1人であれば1ヶ月くらいの距離であったが、さすがに大人数で子供もいるとなるとその足は遅くなる。マヨは前に出ると、改めて草原を見渡した。

「すごい……大地がどこまでも続いている……」

「我ら草原の民はみなさんを歓迎します。今の時期だと、我がムガ族はもう少し北東に進んだところにいるでしょう」

 少しの休憩を挟み、一行は再び歩き出す。後方を気にしなくてよくなったことで、キリムネは先頭を歩くカーラーンの隣へ移動する。

「ここまでの案内、助かった。皇国人として礼を言う」

「何をおっしゃるのです。元々我らも皇国人の作る道具に、日々の生活を助けられていましたし……それにこの地で育てた馬を大切にしてくださっていた。その点だけでも皇国人を迎え入れる理由には十分でしょう」

 カーラーンとしては数ヶ月ぶりの、そしてキリムネからすれば数年ぶりの草原になる。

 祖国を失ったキリムネも、落ち着いたらこれからの生き方を模索しようと考えていた。

「……なつかしいの。あの時はまだヴィルも小さかった。よくあの小さいなりで皇都まで行けたものだ」

「………………」

「こんなことなら……泳ぎの鍛錬も積ませておくんだったわい」

 ヴィルが濁流にのみ込まれたのはカーラーンも目撃していた。勢いも強かったし、そのまま海まで流されていったのは想像がつく。

 カーラーンとしてもキリムネとしても、ヴィルを探しに行きたかった。だがその場にいたのは2人だけではない。

 マヨなどの皇族の他に、幾人もの子供を含む民たち。彼らを放置してヴィルを探しに行くことはできなかった。

 カーラーンは声を抑えてキリムネに話しかける。

「ヴィルは……ただの戦災孤児ではなかったのでしょう? おそらくは高位貴族の生まれと見ているのですが……」

「ほう……どうしてそう思う?」

「所作が違いますからね。明らかに教育を受けた者だと分かります。それに刻印も持っていた」

 刻印を発現させる条件は幻皇グノケインの血を引いていることである。そして略奪した先で平民を犯す貴族がいるように、平民の中にも刻印持ちは見られる。

 しかしカーラーンはヴィルに関しては十中八九、帝国の高位貴族だろうと考えていた。

「よく考えてみたら、ムガ族は帝国政府との窓口も務めておったんだったの。貴族の所作についても知っておったわけか」

「もちろん詳しいわけではありませんが……私は部族の中でも、特に貴族との対応をよく任されているので」

 だからこそ皇国の姫に対しても、無礼のない態度を取ることができていた。

 草原には8つの部族が存在しているが、それぞれ上下関係はない。各々に果たすべき役割があり、そして助け合っているのだ。

「……少しよろしいでしょうか?」

 いつの間にかマヨが近くまできており、2人に声をかける。カーラーンは構いませんよ、と柔和にほほ笑んだ。

「カーラーン様、キリムネ様。改めてお礼を。ここまで無事にたどり着けたのはお2人のご尽力と、そしてヴィルが命を懸けて戦ってくれたおかげです」

「……ありがとうございます。マヨ様のその言葉を聞けば、ヴィルも大層喜ぶことでしょう」

 この一行の中で犠牲者はヴィル1人だけだった。だが彼が橋に残って戦い続けてくれたのは全員が知っている。

「わし1人であったら、騎馬兵のいくらかは通しておったでしょう。そして2人で帝国兵を食い止めていたからこそ、敵は焦って突撃を行い橋は崩れた。……まったく。なんでわしが生き残ったのか。位置が逆じゃわい……」

 キリムネはあの時のことを強く後悔していた。そしてマヨもカーラーンも、「きっと彼は生きてますよ」「待っていたら草原に来ますよ」なんて安っぽいことは言わない。

 だからこそ彼に対して素直に感謝を口にする。あの時のヴィルの健闘があったからこそ帝国の追手を撃退し、こうして全員草原にたどり着くことに繋がったのだから。

 カーラーンは一度目をつむると前を向いた。

「彼は皇国民と私をこうして助けてくれました。草原の民は受けた恩を忘れません。あなたがたを迎え入れることで、彼への恩返しとさせていただきましょう」

 そう言いながら、妹のことを思い出す。妹のリーナはヴィルによく懐いていた。皇国から帰ってきたら、真っ先にヴィルに会えたか聞かれるだろう。

 本来であれば、一緒に草原に帰ってこられる予定だった。またヴィルであればリーナと結婚して、いずれムガ族族長となる自分を助けてくれる。そんな予感もあった。

(……今日中にはみんなと合流できそうだな)

 久しぶりとなる家族との再会。だがその胸の内は決して明るくはなかった。