「ままま、まよ様!?」
「はい、マヨです。ふふ……難しそうなお顔でしたので、つい崩してみたくなりました」
ど、どういう理由!?
マヨ様の予想外の行動に、心に巣くい始めていた暗い感情が霧散していく。隣を歩く近衛、シズクさんも少し困った顔をしていた。
「マヨ様、はしたないですよ。不用意に殿方に触れてはなりません」
「あら……でももう皇国はなくなったのだし。私、既に皇族の姫ではなくてよ?」
「それで急に態度を変えられるわけはないでしょう……」
近衛でマヨ様についてきたのはシズクさんだけだった。
元々近衛は武人の中の選りすぐりだけあり、人数がとても少ない。ほとんどは最後まで皇王の側にいようと皇都に残ったのだ。
近衛同士の話し合いもあり、マヨ様と同じ女性であるシズクさんがこの旅に同行することになったと聞いている。
「ヴィル。異国の生まれであるあなたが、皇国にここまで心を砕いてくれたこと。大変嬉しく思います」
「マヨ様……?」
「この事態に対して、責任を感じていたのでしょう? そんなお顔をしていましたもの」
「………………」
責任……責任、か。たしかにそうかも知れない。
武人としての責任。元は帝国皇族の生まれだという責任。いろんな責任……プレッシャーを感じていた。それだけ背負うものが増えたということだろうか。
「気持ちは分かります。私も皇族としての責任を感じておりますもの。本当なら兄と共に、最後まで皇都に残りたかったのです」
でも……と、マヨ様は言葉を続ける。
「皇族の……ツキミカドの血を絶やすわけにはいかぬ、と兄に説得されてしまいました。もう会えない兄との約束です。私には……生き続けなければならない理由と責任があるのです」
生き続けなければならない理由と責任……。
マヨ様の思いや考えは本人でなければ分からない。だがこの旅は、マヨ様なりに考えた末の結果なのだろう。
マヨ様とて皇都に残る兄君や民たちに何も思わず、こうして草原に向かっているわけではないのだ。
「みんなそれぞれ歩んできた人生があるように、各々抱えているものがあるのですよ。だからヴィル、そんな顔をしないで……と、言っても難しいでしょうから。話を聞かせてください」
「話……ですか?」
マヨ様。もしかしたら責任を感じている俺を励ましにきてくれたのかな……。
「ええ。あなたは昔、キリムネ様と共にこの道を歩いてきたのでしょう? どんな旅だったのです? 草原とはどのようなところなのでしょう?」
「そうですね……」
昔を思い出しながらいろいろ話していく。途中から他の武人やシズクさんも気になったのか、ちょいちょい質問を挟んできてくれた。
少し話しただけなのに、先ほどまで感じていた鬱屈とした気分はなくなっている。不思議だ。やはり黙っているより、誰かと話した方が気が紛れるのかも知れない。
「……ではこの先に、大きな川と橋があるのですか?」
「はい。私もあとで知ったのですが、草原の民が馬を連れて通れるようにと、皇国がそこそこ大きな橋を整備しているのですよ。と言っても縄で吊っているためか、けっこう揺れるのですが」
こんなところを通るのは、草原と皇都を行き来する者だけだ。それにほとんど道なき道を進むので、ただ歩くだけでもかなり体力を使う。案内人がいなければ遭難する可能性もあるだろう。
橋の先はそういう場所だ。だがこのルート以外で地図にない道を進まず草原に行こうとすれば、帝国領内に入り大きく迂回せねばならない。危険を承知でこのまま進むしかない。
「山や森は野獣の類もいます。貴重な食料にもなりますが、注意は必要ですよ」
「ふふ。いざとなれば私の刻印術で斬り刻みましょう」
「ん……?」
そういやマヨ様の刻印術ってなんだろう。というか今、わりと不穏な発言が聞こえたような気がする。
そんなことを考えていた時だった。後方から師匠の怒声が響く。
「走れ! 帝国軍の追手だ!」
「え!?」
「なんと!?」
後ろを振り向くと、遠目に帝国の旗を掲げた騎馬隊が見えた。
そんな……! 気づかれた……!?
「く……!」
「走れ! 走れ!」
「きゃああぁ!」
「落ち着け! この先は橋がある! まずはそこを渡りきるぞ!」
くそ……! ここまで来て……! マヨ様を奴らに奪われるわけにはいかない……!
◆◇◆◇◆◇
「いそげぇ! 皇国人を逃がすなぁ! 剣を持つ者は武人だ、全員殺せ! 武装していない者は殺すなよぉ、誰が皇族か分からんからな!」
「おおおお!」
ブリスから報告を聞いたマイバルは、馬に乗れる者から優先して準備を整えさせ、逃げ出した者たちを追って北上していた。
数は100騎にも満たないが、全員が武装しているのだ。民間人を抱えた集団の方が不利なのは変わらない。
それにあとで歩兵隊も追いついてくる。今は国外に逃げようとする者たちを捕えることが優先だ。
「ふん……! どこへ逃げようというのだ! いいか! 1人も逃すなよぉ!」
そう言うとマイバルは、右親指の付け根にある刻印を光らせる。そしてそのまま右腕を頭上に掲げた。
「むん……!」
すると彼の頭上に光の槍が現れる。マイバルが右手を振った瞬間、光の槍は正面に向かって飛んでいった。
マイバルの刻印術は身体能力強化系ではなく、かなり珍しい部類のものだ。1日の使用回数に制限はあるものの、現出させた光の槍を飛ばすことができる。
だが皇族に当たったらたまらない。そのため、あくまで足を止めさせるための牽制だ。しかし。
「あぁ!?」
前方にいる初老の男が刀を抜くと、光の槍をかき消してしまった。
「辺境人の分際で生意気な……! ええい、急げ! 奴らが橋を渡ってしまう!」
追手に気づいた皇国人たちは駆け足で橋を目指していた。このままでは橋を渡りきられてしまうだろう。
だが橋自体はそこそこの広さがあるし、馬も通れそうだ。
「ふん……! 追いつくのは橋を渡ってからになりそうだな……!」
どれくらいの馬が同時に渡って大丈夫なのか、本来であれば調べてから進むだろう。だが今は時間が惜しい。
マイバルは先に部下に橋を渡らせて、自身は少し離れたところで様子を見ようと考えていた。
「ぶひゃひゃ……! 鉄剛騎士団だけでなく、俺もしっかりと手柄をたてられそうだなぁ! 我らを皇都北に配置させたアドルドン騎士団長には感謝感謝ぁ!」
◆◇◆◇◆◇
「特殊な刻印持ちがいるのか……!」
追手からは光の槍が飛んできた。なんとか師匠が斬ってくれたが、民たちには動揺が走る。しかしそれで足が遅くなるのは状況が許してくれない。
「急げ! 早く渡るんだ!」
既にカーラーンさんを始めとして、何人かが橋を渡り始めていた。久しぶりに見る橋をよく観察する。
(馬上で槍を振り回すことを考えれば、敵は多くても2列にならなくては橋を渡れない……!)
無理をして2列。安全を期すなら1列で渡る方がいいだろう。そして木でできてはいるが、今は燃やすことができない。
(切り落とし……できなくはないが、時間がかかる……! とても追手がいる状況では難しい……!)
皇国が管理しているからか、わりと頑丈に作られているのだ。ならば……!
俺は橋の半ばまで駆けると、そこで足を止める。そして後ろを振り向いて刀を抜いた。
「ヴィル!?」
最後尾にいた師匠が俺の考えていることを察する。
「ならん! それはわしの役目だ! お前は先に行け!」
「……やです」
「ぬ……!?」
「いやなんです、もう……! 大切なものを……場所を失うのは……! このまま何もせずまた生きのびて……そこから何をすればいいのか、草原でどう生きればいいのか……! もうわけが分からないんですよ! 今日まで身につけたこの力……! ここでみんなの時間を稼げるのなら、それで本望っ!」