「ふぁ……よく寝た……。賊討伐に夜の運動と、結構体力を使ったからなぁ……」

 翌日、俺は理心館内に借りている自室で目を覚ました。昨日はなんとか怪しまれない時間帯に戻り、そのまますぐに寝たのだ。

「今日の予定は……武塾で講師か。なんで武人なのに、教師としての仕事まであるんだか……」

 皇国で武人として暮らすようになってから、間違いないと断言できることがある。それはこの国の貴族は、帝国の貴族よりも忙しいということだ。

 血筋に関係なく貴人として扱われるのは、条件を満たして武人と認められた者だけである。だがこの武人が本当に忙しいのだ。

 賊討伐や町の治安維持、時には町人の話を聞いてなんでも屋みたいなこともする。皇国軍に入る武人も多いが、そっちもそっちで朝から晩まで鍛錬を積んでいる時もある。

 また剣の腕が鈍ったり、武人として不適切な行動をしたと判断されれば、即その地位を失うことになる。そのため日頃の鍛錬は欠かせないし、仕事をサボるわけにもいかないのだ。

 そんなわけで俺は仕事のため、武塾へと向かった。


 武塾とは、武家の子や刻印に目覚め、将来武人を志す平民の子たちに教育を施す場だ。教師役には様々な役職の者が、科目内容に合わせて適宜配置される。

 武人はだいたい簡単な鍛錬や刻印術の扱いに関する教師役を任されるのだが、なぜか俺は一般教養の教師も任されていた。

 まぁ元々皇宮暮らしの時に、高度な教育を受けていたからな。好きではないが、座学自体は慣れている。上も講師として適性があると判断しているのだろう。

「では始めるぞー」

「あー、隻眼の武人さんだぁ!」

「本当に目が青いー」

 皇国人は髪色や目が黒や茶色、紺色の者が多い。もちろん全員がそうというわけではないのだが、それでも俺の目の色は目立っていた。

 その上、右目には眼帯をしているので、俺のことはわりと知られている。まぁ有名人でもあるキリムネ師匠の弟子でもあるからな。

「ほら静かにー」

 さっそく授業を進めていく。しかし……刻印に目覚めるという条件があるとは言え、この国では平民もこうして高度な教育を受けることができる。

 皇国人は真面目で強い武人が多いと評判だが……実際にこうして暮らしてみると、どこか納得もできるな。そんな感想を抱きつつ休憩を挟み、授業をさらに続けていく。

「ここからは刻印術についてだ。ここにいるということは、全員刻印は現れているな?」

「はい!」

「俺は左胸にあるぜ!」

「わたしは首のうしろー」

 ちなみに俺の刻印は右の瞳に刻まれている。中々例のない場所なので、普段は眼帯で隠しているのだ。

 しかしまさか、子供の頃に皇宮で習ったことを、こうして教える側になる日がくるなんてな……。

 刻印についてはあれからさらに詳しい知識を得た。皇国にもそうした資料や文献はいくらでもあったからな。今の俺ならより丁寧に教えることができるはずだ。

「そもそもどうして刻印が現れる者と現れない者がいるのか、知っているか?」

「はい。幻皇グノケインの血を引いているかどうか。また血の濃さで身に宿る神秘に差が生まれます」

「その通りだ。よく勉強しているな」

 答えたのは武家生まれの者だった。家でしっかりと教育を受けているのだろう。

 伝説で語られるような大昔、この大陸には魔獣が蔓延はびこっていたと言われている。人間はそうした魔獣たちから隠れるようにしてひっそりと生きていたが、それを見た女神が人を憐れんで数滴の涙を流した。

 涙が落ちた土地周辺には魔獣が近寄らなくなり、人はその地で生活を始める。だが強力な魔獣は時に人の生活圏内に入りこみ、数多あまたの命を奪った。

 そんな時代に現れたのが、幻皇グノケインだ。グノケインは女神のたくせんを受け、大陸を横断して涙が落ちた地を回った。

「グノケインとはどういう人物であり、何を成した者かは分かるか?」

「はーい! グノケインは女神より刻印を与えられた、最初の人間でー! 各国の貴族たちに刻印の力を伝えたのー!」

「よく知っていたな。少し補足しようか」

 元気よく答えた女の子も武家出身の子だ。まぁこの辺りの話は貴族ならともかく、平民だとどこの国もそう習うことはないからな。

 グノケインは女神より刻印を授かり、そして各地を回って危険な魔獣を排除していった。また伝説によると、グノケインの子を望んだ女性は彼と目を合わせるだけで妊娠したという。

 いや、どんな能力なんだ!? しかし創世神話には確かにそう記載されている。

 とにかくそうしてグノケインは各地で多くの子を成した。そして生まれてきた子もグノケインと同じく、刻印の力があった。

 そうして女神が涙を落とした地には大きな国ができ、刻印を持つ者たちは貴族として国をまとめあげていくことになる。

「刻印が刻まれる場所やその能力には個人差がある。と言っても9割以上の者は身体能力の強化向上だけどな。中には刻印が現れても何の力もない者もいるし、貴族でも刻印に目覚めない者もいる」

 グノケインの血……要するに貴族の血を引いていれば、だいたい8歳から10歳の時に刻印に目覚める。

 だがどのような能力なのか、またどの程度の強さなのかは人それぞれ。そして下位貴族や平民との間に生まれた子は、そもそも発現しないことも珍しくない。

 そのため各国の貴族たちは、婚姻先を調整して今日まで刻印を残してきた。特に王族や高位貴族は、大陸で最も血統をコントロールされてきた一族だろう。

 それは俺とて例外ではない。……そのわりにそんな大した能力は発現しなかったのだが。

「他にも目覚める力には、国や場所によって傾向も違うと言われているな。アマツキ皇国では特に優れた身体能力強化の刻印術に目覚める者が多い」

 これもこの国の武人が強いと言われている所以ゆえんだ。マサオミは両腕に衝撃や斬撃、熱にも耐えられるくらいの優れた防御能力を持たせられるし、キヨカは動体視力を跳ね上げさせることができる。

 その状態のキヨカとは接近戦がかなりやりづらい。こちらの攻撃がことごとく見切られるからな。

「俺は腕力が上がるぜ!」

「わたしは足が速くなるよー」

「先生。俺は刀身に炎を宿らせることができます」

「おお……。そりゃちょっと珍しいな」

 刻印に目覚めた者は、刻印術を発動させることで大なり小なりいくらか身体能力が向上する。皇国人の場合は、その上でさらに身体能力の一部を飛躍的に上げられる者が多いのだ。

 そういう意味では、刀身に炎を宿らせることができる能力は珍しい。

 ちなみに俺の刻印術は、発動させると両腕が黒い手甲に覆われる。その状態では腕力も上がっており、防御性能もそれなりには高い……が、まぁ地味だな。

 正直、その程度の力の持ち主であればいくらでもいる。重さを感じないのは利点だが。

「先生の刻印はどこにあるんですか?」

「俺のは普段は見えない場所に発現しているんだ。中々人前では見せられなくてな」

「あー、分かった! 先生お尻にあるんでしょ!」

「ちんちん! ちんちんにあるんだ!」

「ちょっと男子! 何言ってるの、やめてよ!」

「ふ……その低俗さ。しょせんは平民上がりだな」

 ……まぁ歴史上、そうした場所に発現した貴族も確かにいるが。もし男性器に顕現したら……夜の営みの際には明かりがいらなさそうだな。

 ちなみに刻印の力を発現させると、その間刻印は淡く光り続けている。俺の場合はそうした時に右目が光ってしまうので、眼帯でそれを隠しているのだ。

 何せ帝国にはヴィルガルド皇子の刻印がどのような紋様で、どこに発現していたのか記録が残っているはずだからな。わずかな確率だとしても、他国に右目に刻印を持つ男がいるという噂話が伝わるリスクは取りたくない。

 これのせいで、片目での戦闘鍛錬には本当に苦労した……。おかげで攻撃の気配察知などはかなり鋭くなったが。

「先生、今度大衆浴場でちんちんの刻印を見せてよ!」

「だから違うって! ったく……」

 ちんちんで盛り上がっているのは平民ながら刻印に目覚めた子だ。武人は平民出身者も多いので、他の貴族と比較しても気軽さというか……接しやすさがあるのだろう。

「どのような紋様の刻印がどこに浮かぶのか、またどういう能力なのかは個人差があるが……目覚めた力を伸ばし、成長させていけるのは全員一緒だ。各々、剣だけでなく刻印術の鍛錬も欠かさないようにな」

「はーい!」

 だいたい刻印については教えられたかな。そうこうしているうちに時間がきたので、ここで授業を終えた。


 こうして俺の武人としての生活は続く。賊が出たと聞いてはマサオミやキヨカたち、それに皇国軍兵士を連れて討伐に行き、時に会場警備の任なんかも受ける。また文仕官の護衛で外の町に行ったりと、とにかく休みも少ない。

 だが忙しいのは悪いことではない。仕事に忙殺されている間は、昔のことや今の帝国のことを考えずに済むからだ。それにこの多忙さは上が俺のことを、仕事を回しても問題のない武人だと評価している証左でもある。目標がある以上、与えられた任務には全力で取り組んでいくつもりである。

 だから今のように時間が空いた時は、さらに腕を磨くために道場でこうして素振りを繰り返している。床には俺の汗がそこそこ溜まっていた。

「ふぅ……」

「また腕を上げたな」

「っ!?

 遅い時間だし、道場には俺しかいないはず。驚きつつ首を回すと、そこには久しぶりに会う師匠の顔があった。

「師匠……!」

「こんな時間に明かりがついていたのでな。誰かと思ったら……ふふ。ヴィル、元気そうだな」

 手ぬぐいで汗を拭きながら師匠の側まで移動する。師匠は白髪が増えていたが、目から感じ取れるその活力は今も衰えていなかった。

「どうしてこちらに……?」

「武人頭と少し話しておったのだ」

 皇国には最高峰の実力を持つ4人の剣士がいる。

 軍に所属していない、俺のような武人を統括する武人頭、皇族の身辺警護を行う近衛たちの長、近衛頭。そして皇国軍を統括する軍長頭と皇国第一軍の将だ。

 師匠は若かりし頃、この4人を御前試合で下したことがあり、そこから【四剣崩し】の異名で呼ばれるようになった。

 武人頭は理心館に住んでいるので、師匠はここに立ち寄ったらしい。

「こうして話すのはいつぶりだ……3ヶ月くらいか?」

「そのくらいですね。これまでどちらにおられたのです?」

「ああ、実は少し皇国を出ておってな。もう引退した身なのに、国はわしをいつまでも働かせようとする。やれやれ……諸国漫遊の旅をしておった時が懐かしいわ」

 俺はあくまで師匠が旅の途中で保護した孤児であり、また弟子である。生まれや素性を知られないようにと、今では随分と互いに言葉遣いが変わっていた。

「武人頭に聞いたぞ。同年代の者たちと比較し、随分と活躍しておるとな。さすがはわしの最後の弟子だと褒めておったわ」

「そんな……」

 師匠は国に帰ってからは、誰も弟子をとっていなかった。ちなみに今の武人頭も師匠の弟子のため、俺にとっては兄弟子にあたる。

 近衛は武人として最高峰の実力があると認められた者だけがなれるが、その中にも師匠の弟子が多いと聞く。そう考えると多くのを持つキリムネ師匠は、武人たちの情報にかなり通じている方だろう。

「ちょうどよい。汗を流しに銭湯へ行くぞ。その後は少し酒に付き合え」

「はは。もちろんです」

 アマツキ皇国に来て驚いたことの1つ……それは貴族である武人と平民の距離が近いことだ。

 武人は気軽に町に立ち寄って飯を食うし、大衆浴場で風呂にも入る。町の人たちも特にそれで構えたりはしない。帝国や他の国ではまず見られない光景だろう。

 まぁ武人の中には平民上がりもいるし、本当に気を使うような高位の武人はあまり表に出てこない。それにいつも第一線で働いているんだ。平穏な生活を守ってくれる武人に対して、平民は尊敬や好意の気持ちをもってくれている。

 皇国の貴族の中には武人の他に、文官や一部上級文仕官もいる。そうした家系の者の方が、俺のイメージする貴族に近いと言えるな。

 そんなわけで、俺は師匠と一緒に大衆浴場で汗を流して料亭に来ていた。完全個室であり、中々高そうな店だ。

 出てくる料理も店の雰囲気に合ったもので、何を食べてもとても美味しかった。

「そう言えば俺がまだあっちにいた頃におっしゃってましたね。皇国は魚と酒の美味い国だと」

「そうだったかな? 実際美味いだろう」

 そう言いながらニヤリと笑みを浮かべる。最初は生魚なんて……と、思っていたのだが、今では俺も皇国の料理がとても舌に合うようになっていた。

「こうして2人で食事をとるのも随分と久しぶりですね」

「ああ。……ヴィルももう22か」

 そう言うと何かを思い出すように、師匠は両目を細める。

「昔わしが言ったこと……覚えているな?」

「ええ。20歳を迎えたら、自分で生き方を選んでいい……と」

 母上が守った俺の命、20歳までは守る……というのは、師匠なりのケジメだったらしい。それまで俺を厳しく鍛え、身を守れる強さを備えさせるというのも。

 一方で俺自身は帝国生まれの貴族である。それにあの日……母上は俺と一緒に、生まれ故郷であるリンゼント領に行こうとしていた。皇宮にいては危険だと分かっていたからだろう。

 もし帝国が気になるなら……そして母の実家を訪ねたいのなら。何をするにせよ、20歳を超えてからだと俺は言われていた。

「元々筋がいいというのもあったが、ヴィルは本当に強くなった。今ならちょっとした賊の集団くらい、1人で片付けられるだろう。本気を出せば、皇国の高位武人とも互角に渡り合える実力はある」

「そんな……」

 さすがにそれは買いかぶりが過ぎる。俺とて長く武人として過ごしてきたんだ、上の者たちの実力はよく分かっている。

「その右目……うかつに外せないのが残念でならん」

「………………」

 確かに片目によるハンデはあるが……これは仕方がない。俺が皇国の武人として生きるためには絶対に外せないものだからな。

「2年前、お前はまだ自分がどうしたいのか分からない、それを判断できる情報もないと言っていたな。今はどうだ?」

「……判断できる情報がないのは相変わらずですが。どうしたいか……という部分については、見えてきたものがあります」

「ほう?」

 師匠は興味を持った視線を隠さず、酒の入った杯を飲み干す。俺はそれに新たな酒を注ぎながら口を開いた。

「皇国の武人として生きていけたら……と、思っています」

「……ゼルトリーク帝国に対し、思うところはないと?」

「そりゃありますよ。今でも母上の命を奪ったことは許せないし、あの時何の力も持っていなかった自分も憎い。怒りや憎悪なんてものは常に心の中にくすぶっています。でも……俺がこの国でこうして生きていけるのは、師匠や武人として切磋琢磨してきた仲間たちのおかげでもあります。帝国は自分の生まれた国だという気持ちもありますが……こうして時間とともに憎悪を薄れさせていき、皇国の武人として過ごしていく。誰からみてもそれが一番いいんでしょう」

 だからこれからも眼帯は外さず、俺はヴィルとして生きていくのだ。

 眼帯はこの先何があっても、そしてどんな強敵とぶつかっても……たとえ死のうとも外さない。死ねば刻印は消えるし、ヴィルガルドという皇族が皇国に存在していた事実は消えるのだ。

(俺の生存が明らかになって、この国と師匠を厄介ごとに巻き込むわけにはいかないもんな)

 今日まで過ごしてきた時間もあり、俺はアマツキ皇国が大切な場所だと思えるようになった。

 この国は帝国と事を構えていないし、忙しいけど武人としてずっとこうして生きていけるはずだ。

(………………)

 ふと心に暗い予感が走る。皇宮で過ごしていた時も、俺は毎日同じ1日が過ごせると思っていた。だが現実はそうはいかなかったのだ。

 しかしあの時とは事情も環境も違う。それにこうして武人として生きていくための力もある。

「皇都にいたら、あまり外の情報は入ってこないだろう。……何も知らずに自分の生き方を決めるのは酷なことだ。わしが皇都に戻るまで何を見て聞いてきたか、それを聞かせてやる」

 もしかしたら俺が「自分の生き方を決めるのに、判断できる情報がない」と言ったのを気にしたのかも知れない。師匠は今の大陸がどうなっているのかを話してくれた。

「ゼルトリーク帝国は今、大きく3つに割れておる。そこまでは聞いたことがあっても、内情までは知るまい?」

「ええ……。新皇帝とそれを認めない貴族たちによる内乱、という印象です」

「うむ。それに加え、兵士崩れや他国の犯罪者が集まった勢力が存在している」

 10年前、時の皇帝……俺の父は戦争中だったある国と和睦を結んだらしい。だがその実態は、負けそうだった帝国が賠償金を支払ったというもので、事実上の敗戦だった。

 まさか帝国が負けていたと思っていなかった俺は、両目を大きく見開く。

「そうなのですか……!?

「ああ。あの時の帝国は、いろいろ敵を作っておったからの」

 帝国が戦っていた国の名はフェルローグ王国。ローグ島という島に築かれた国だ。

 島国だけあり、フェルローグ王国は海軍戦力が非常に発達した国だった。造船技術も進んでおり、特に海戦では敵なしの強さを誇っていたらしい。

 その島に侵攻を開始した帝国だったが、上陸すらままならなかった。そして海戦で多くの兵力を失ったタイミングで、今度は逆にフェルローグ王国が大陸に乗り込んで来たらしい。

 その時に帝国は有力貴族から多くの死者を出した。しかもフェルローグ王国に、大陸におけるきようとうを築かれてしまったのだ。その地を起点に、帝国領へ侵攻してくることは明らかである。

 これに焦った帝国政府は、フェルローグ王国に対し和睦を提案した。

 元々フェルローグ王国も島国だけあり、海軍戦力は強くとも陸戦戦力はそこまで抱えていない。大陸を蹂躙するにせよすぐには難しいという面もある。話し合いの余地はあった。

 だが帝国としては奪われた土地を返してもらいたいし、大陸に橋頭堡を築かれたままではフェルローグ王国の脅威はなくならない。フェルローグ王国もそれが分かっているので、手放すにせよ高く売りつけたい。

 その結果、帝国は多額の賠償金に一部の権利に加え、皇族の姫を嫁がせることになった。

「この時に嫁いでいった姫というのが、今の皇帝の妹なのだ」

「現皇帝の……妹……!?

 この賠償金の影響で、帝国は他国と戦争をしている場合ではなくなった。それにフェルローグ王国に侵攻された領地の立て直しと補償もある。

 そうして元々ガタガタだった財政はさらに圧迫され、民には重税が課されることになった。

 こうなると苦しいのは民たちだけではない。その地を治める領主もだ。

 しかし高位貴族……特に帝都住まいの中央貴族は、今の生活を維持したい。加えて財政という国としての体力が落ちている今、地方の領主に大きな力を持たれたくない。

 俺が皇宮に住んでいた時、既に中央と地方で貴族の分断が進んでおり、権力争いの綱引きが行われていた。

 特に広大な領地といくつもの町を治める大領主は、中央で権力を握る貴族たちと対立関係が進みつつあったのだとか。

「そしてとうとう、1人の皇子が動き出したのだ。彼は特定の領主……戦争の影響が少なく領地経営も比較的うまくいっている大領主たちに対し、共に国難に立ち向かうための増税を求めた。お前たちが儲けていられるのは、他の貴族が血と汗を流しているからだ。負担は平等でなくてはならない……と」

「それは……」

 難しい……な。帝国を維持するため、祖国の危機を共に乗り越えようと言うのは、確かに聞こえはいいが……領主たちも自領の民たちの生活を背負っている。

 国を優先するか、自領を優先するか。決してそれだけの話ではないだろうが、全員が納得するとも思えない。

「領主たちにも言い分はあった。そもそもこれまでも十分税を払ってきたし、ここまで増税が必要になったのは中央貴族の落ち度ではないか、と」

 中央貴族と言ってはいるが、実態は皇族批判だろう。そして今の皇族は、果たして本当に帝国の皇帝位を戴くのに相応しいのか、という世論形成に動き始めた者がいたらしい。

 これに焦った……あるいは憤慨したのは、皇子を始めとした中央貴族、そしてそれらと繋がりの深い領主たちだった。

 だが当時皇帝だった父は大領主たちの言い分ももっともだと認め、懐柔策を検討していたらしい。

「そしてその時、皇帝は病死した」

「………………」

 そのタイミングでの病死……か。

「次の皇帝だが、多くの貴族や騎士団から支持を受け、先の皇子が皇帝位に就いた。大領主たちの力を削ごうと考えていた者が……だ。皇帝となった彼はさっそく一部の領主たちに増税を課す。そして……」

「ふざけるな……と、内乱に発展していったのですね」

 師匠はうなずきを返す。要するに地方貴族と中央貴族の対立だ。

 新皇帝は税を納めない反抗的な、ある領主に対し、反逆罪を科す検討を始めた。ここまでやれば皇帝は本気なのだと、周りの領主たちも理解するだろうという考えがあったらしい。

「ところが領主たちの何人かは同盟を結び、帝国に真っ向から立ち向かうことを決めた」

「……リンゼント領は、皇帝に対し叛旗を翻した領地の1つだったのですね。だからあの時……」

「そうだ。皇宮にいた皇子たちの中には、その血筋から殺すわけにはいかない者が多い。新たな皇帝にとっても使い道は多いからな。一方で明確に反逆を企てた者の血筋は、決して許すわけにはいかない」

 そしてあの日、俺と母上は襲撃されたのか。大領主たちも自分たちの利権を守るため、また納めている税で中央貴族がのうのうと暮らしているのが許せなかったのだろう。

 しかし気になる点もある。

「それだと帝国は二分していますよね? あとの1つは?」

「ある意味でそれこそが、この大陸から孤児や難民、また賊に身をやつす者たちがいなくならない原因と言える」

「大陸の治安が乱れ続ける原因、ということですか?」

「そうだ。ただでさえ国の経営が難しかった時に、内乱が起こったのだ。その影響は民にももちろんある」

 帝国は精強な騎士団を抱えている。領主たちも兵力を持ってはいるが、職業軍人の数は多いとは言えない。

 そして大陸で最大の版図を広げる帝国の乱れは、他国にとっては利益を得るチャンスになった。

 国境を接する国で友好的な国家は少なかったが、彼らはあの手この手で介入してきたのだ。

 ある国は中央に「前の皇帝のせいで我が国は苦労しましたが、新皇帝であるあなたは違うでしょう? 援助するので、これからは友好関係を構築していきましょう」と言う。

 また別の国は領主連合に「援助するので、共に今の皇帝を討ち倒しましょう。その代わり我が国の姫と皇族を嫁がせ、次の皇帝にはその夫を就かせる。これを機に両国の関係を前に進ませていきましょう」と話す。

 さらに他の国は「これだけごたついているのなら、今なら簡単に領土を奪えるのではないか」と進軍を開始した。

 その結果、広大な国土を有していた帝国はさらに分断されていく。

 北部は領主連合が、南部は皇帝が支配する。その一方で、西部には隣国の侵略軍がどんどん入り込んできていた。

 特に混乱のひどかったのがこの帝国西部だ。他国の軍は村々を容赦なく略奪していくし、領主一族を始めとした貴族は女や子供でも構わず殺していく。しかもここで、とある傭兵団が思いがけない行動をとった。

「傭兵団……ですか……?」

「そうだ。その傭兵団は全員が刻印持ちでな。当時他国の侵略軍と一緒に帝国領に押し寄せてきたが、暴れるだけ暴れたら急に雇い主を裏切ったのだ」

「傭兵が雇い主を裏切る? 雇い主って……他国の騎士団ですよね……?」

 これまで一緒に戦っていた侵略軍を襲撃し、武具と食料を奪う。そして刻印を持つ騎士を殺していった。

 残ったのは領主のいなくなった土地と、力を持たない兵士たちだ。その傭兵団はそのまま帝国西部に居座り、今も四方八方で略奪を繰り返しているらしい。

「貴族の娘や子供をさらっては親に金を出させているようだ。統治らしい統治も行っておらず、領地は荒れ放題になっていると聞く」

「そんなことに……!? しかし統治が進まなくては、自分たちが生きていくための金や食糧をそろえるのも難しいのでは……?」

 それに帝国に侵攻していた国は、その傭兵団に裏切られたのだ、黙っているとも思えない。

「くわしいことは分からんが、傭兵団は初めから帝国領内で裏切るつもりだったのではないかと言われておる」

「どういうことです……?」

「今ではその地に、至るところから訳アリの犯罪者たちが集うようになっておるのだが……ある犯罪者は傭兵団を雇っていた国の王女をさらって、傭兵団の下へ行ったと聞く」

「…………! それは……」

 師匠いわく、どこまで本当の話かは分からないとのことだ。

 だが傭兵団はあらかじめ自分の部隊を雇い主である国に残しておき、裏切りを合図に王族をさらわせ、そのまま団長の下へ合流しに行ったのではないか……という話もあるらしい。

「この話が本当だった場合……王女はまぁ人質だろうな。もっとも、そのさらわれた王女も無事だとは思えんが」

 そうして帝国西部は傭兵団をトップとする、無秩序な国ができあがったらしい。

 だが無秩序ながら、その実力は確かである。領主連合も皇帝陣営も下手につついて被害を受けたくない。もし戦いに敗れて戦力のバランスが崩れたりすれば、敵がいつ攻めてくるか分からないのだ。

 こうしてかつて広大な支配地域を有していた帝国は、3つに分かれて今も争い続けている。

 特に西部に犯罪者が多く集まるようになり、またその犯罪者が盗賊として様々なところへ出稼ぎに行くため、帝国の治安は乱れ続けているらしい。

「賊はいくら討伐しても、次から次へと出てくるからの。こんな世の中じゃなおさらだ」

「………………」

 アマツキ皇国は他に比べると、かなり平穏に暮らしている国だったんだな。

 ここは帝国から見ると南東に位置している。東は海に面しているし、北部や南部には山脈が走っている。そのため皇国から見ると、北西部にある平野で帝国と面している形だ。

 元々帝国と皇国の間には、別の国が存在していた。しかしその国も父が皇帝だった時代に帝国の侵攻を受け、そのままゼルトリーク帝国の領地となった。

 皇国は帝国が隣国になったため、多少は親交もあったらしいが、内乱が起こってからほとんど親交はないと聞いている。

「師匠は……上から頼まれて、大陸の情勢を探っていたのですか?」

「そうだ。皇国人で国の外に出たがる者は珍しい。わしはその点で変わり者扱いではあるが……大陸を歩くのに最も慣れた皇国人だからな」

 そうなんだよな。治安がいいからか、それとも飯が美味いからか。あるいは皇族への忠義が厚いのか。皇国人はあまり自国から出たがらないのだ。

 もちろん全員がそうというわけではないし、師匠の弟子の中にも剣の修行で大陸を回っている者もいると聞く。

 それに皇国人自体、別に閉鎖的というわけでもない。それは俺への態度からも明らかだ。

 まぁ単純に住み慣れた地を離れてまで、国外に求めるものが少ないんだろうな。

「どうだ? 今の帝国の話を聞いて」

「……と、言われましてもね。まぁ思うことがないわけではありませんが」

 荒れに荒れたかつての生まれ故郷……か。気になる者は多い。

 弟妹、母上と俺を殺す指示を出した今の皇帝、母上の父であるリンゼント領主、帝国西部で好き勝手している犯罪者たち。そして皇国に来るまでの旅で知り合った民たち。

 これらに対して抱いている感情は、とても一言では言い表せない。憎悪、哀愁、焦燥、友愛……いろんな感情が混ざっているのだ。とにかく帝国にはいい思い出もつらい思い出も多い。

 しかし、それは皇子ヴィルガルドの持つ感情であり、皇国の武人ヴィルとしてはどうしても持て余してしまう。そう感じるのは、俺がこの国の民として馴染んできたからだろう。

「この国から出て修行の旅をしようだとか、リンゼント領に行こうとか。ましてや帝都に行って皇帝に一言物申す……なんてこともやろうとは思いません」

 いや、皇帝に対して恨みはないわけではない。やろうと思わないと言うより、その手段がないと言った方が正しいか。

「答えは変わりませんよ。俺はこの国の武人として生きていく。それだけです」

 それでいいですよね……母上。

 母上はあの日に亡くなり、俺は弔うこともできずに師匠と国を出た。俺をかばって死んだ母上の顔は今でもはっきりと思い出せる。

 妄想かも知れない、あるいは俺の願望かも知れない。それでも俺の中の母上は、自分の仇を討てとは言わないのだ。

 母上の命を奪われたことを悔しく思わないわけではないが、こうして俺が生き続けることで、あの日の母上の目的は果たせたのだと思っている。

 俺の言葉を聞いた師匠は、そうか……と、一度目を閉じた。

「ヴィル自身が考え、導き出した答えだ。ならこの国に連れてきた者の責任として、最後まで面倒をみてやるとするかな」

「師匠……」

「お前の母君……リグライゼ様との約束でもある」

「そう言えば師匠は、旅の途中で母上と知り合ったのですよね? どういう経緯で出会ったのです? 母上も高位貴族の娘、中々会える機会もないと思うのですが……」

 この辺りの経緯はざっくりとしか聞いたことがない。師匠は懐かしむように視線を上に向けた。

「なら少し、その辺りの話を聞かせてやろうか。あれはわしが四剣崩しと呼ばれ、皇国にいづらくなってきた時だった……」

 それからの時間は師匠と長く話し、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごせた。俺と出会う前の師匠や、まだ父に嫁ぐ前の母上の話が聞けたのも興味深かった。

 師匠が母上と出会ったのは、まだ母上が10代の時で、領内の視察に町を巡っていた時に知り合ったのだとか。

 たまたま滞在していた町で騒ぎが起こり、その解決に師匠が力を貸した時に縁ができたらしい。数ヶ月ほどではあるが、師匠自身もリンゼント領で暮らしていたのだとか。

 母上が皇帝に嫁ぐために帝都へ向かう少し前まで共に領内を回った時期もあったとのことだった。

 俺が生まれる前の話ということもあり、とても面白かった。ここ数ヶ月で一番充実した夕食を過ごせたと思う。

 そして、自分の口から決意表明を行ったことで、俺の中でより強い覚悟……この国の武人として生きていくのだという覚悟が定まったのを感じた。