だが──そんな花音の行く手をさえぎったのは詩穂だった。

「詩穂っ!?

「ふふふっ……どうしたの、花音ちゃん? そんなこわい顔しちゃって……」

 花音にとって聞き慣れた声のはずであるのに、こわれた機械の音のようにまるで生気を感じられなかった。

「詩穂……いったいなにが起こってるの……? どうして……」

「……やっと、微笑ほほえみかけてくれたの。私の中の……真実が」

「真実……? だって、その格好……。それに、なんでイロウスと……?」

「ふふっ……当然じゃない。だってこの子たちは、私のそばにいてくれる大切な存在なんだもの。花音ちゃんとちがって」

 近くにいたイロウスの顔を、詩穂が笑顔のままでなで上げた。

 まるで子供をあやすように。

「大切……? なにを言ってるの……?」

 変わり果てた詩穂の姿に戸惑う花音とは反対に、詩穂はおだやかなしようを浮かべていた。

「詩穂、最近なやんでたんだよね……? ごめんね、私、気がついてたのに、詩穂がだいじようって言うからそれ以上は聞けなかった……。でも、悩みがあるのなら言ってほしい。だって、私たち……」


「私を捨てたくせに、分かったふうな口をかないでっ!」


 とつぜんの絶叫に花音が吞まれた。

「す、捨てるって……。なにを言ってるのよ、詩穂……」

「あははは! そうやって、とぼけるんだ?」

「とぼける……? どういうこと? ねえ、お願い、私の話を聞いて……」

 花音の必死の呼びかけも、詩穂の心にはなにひとつ届くことはなかった。

「……もう、いいや。じゃあね、花音ちゃん」

「詩穂! 待って……!」

 追いすがる花音を、今度は葵が遮る。

「はーい。もう、おしまい。あなたたちの壊れていく友情はとっても美しいけど……花音、あなたにはもう用はないの。バイバーイ」

 吹き出した闇の中へと葵が、そして詩穂が姿を消していく。

「待って、お願い! 私の話を聞いて……!」

 後に残されたのは、詩穂のひようへんぶりに打ちひしがれた花音と、そして大量のイロウスだけだった。

「いったい、なにが起きてるの……? まさか、街でのことも詩穂が……?」

 混乱する花音のことなどお構いなしに、イロウスがじりっときよめてくる。

「なんとか……しなきゃ……。詩穂……」

 花音は力を振りしぼって立ち上がった。

 とりあえずこの目の前の危機をだつしなければ。

 いま目の前で起こった出来事をみんなに伝えなければ。

 そしてなにより、詩穂を救い出さなければ──

「詩穂……詩穂っ!!

 ぐちゃぐちゃの心のまま、花音はイロウスへといどみかかっていった。


      


 これまでとは比べものにならないスピードで、大量の人々がイロウス化している──最悪の知らせが神樹ヶ峰女学園にも飛び込んできていた。

ふうらん、いったいなにが起こっているの!?

「アタシだってさっぱりだ!」

 実験ラボのコンソールを操作するいつきと風蘭も、かつてない事態に混乱していた。

 イロウスのしようぼうがいされ、通信がうまく機能していない中、わずかに手元に届く情報はどれも最悪なものだった。

 もはやほしもりとうばつに向かわせてどうこうできるレベルではなかった。

 できることといえば、まだがいおよんでいないはんの人々を退たいさせ、さらなるイロウスの発生を防ぐことだけであった。

 結果、ばくはつ的に数を増したイロウスそのものには、なんのたいこう手段も打てていない。

 星守たちも、人々のなんおうえんで手いっぱいだった。

「予測されるイロウスの数はどのくらい!?

あくしているだけで三万以上だ……」

 f*fフオルテシモのライブで出現したイロウスの数の比ではなかった。

 把握しきれていないぶんもふくめればさらにふくれ上がるだろう。

「悪夢ね……」

「ああ……とびっきりのな」

 イロウスの総数も不明、事態の原因もまるで分からない──樹と風蘭の顔がいつになく険しいものになるのも無理はなかった。

「とにかく、情報がほしいわ」

「ああ……原因が分からないことには、対策の取りようがない」

 二人がそんな会話をわしていた時だった。


「詩穂……よ……」


 その声に樹と風蘭がラボの入り口をり返る。

 全身ボロボロになった花音が、あらい呼吸でかべに背中を預けていた。

「花音!?

「どういうことだ花音! 詩穂がどうしたんだ!?

 急いでけ寄った樹と風蘭が、今にもくずれ落ちそうになる花音の身体からだを支える。

 花音はもうろうとする意識の中、ぐっとにぎりしめたこぶしを自分の胸に押し当てた。

「イロウスを生み出しているのは……詩穂よ」

「なっ……」

「いったいどういうこと!? 花音、あなたが見たことを、くわしく教えてちょうだい!」

 信じられない風蘭と樹は、花音から事態のしようさいを聞き出そうとする。

 花音は息を切らせながらも、しかし、はっきりとした口調で自分がもくげきした一部始終を語った。

「そんな、そんなことって……」

「にわかには信じられないな……。だが……」

「すぐにあの子たちを呼びもどしましょう。危険ではあるけれど、確かめなければならないわ」

「ああ……そうだな。いつまでも後手に回っているわけにもいかないか……」

 二人は星守たちをイロウスが最も密集している場所──すなわち詩穂がいるであろう場所に向かわせることにした。

 危険なのは百も承知だったが、今の事態を打開するためには、もうそれしかなかった。


「お願い……誰か、詩穂を止めて……」

 花音の悲痛なさけびに、樹も風蘭もかける言葉が見つからず、固くくちびるみしめるしかなかった。


      


 樹と風蘭の指示により、星守たちはイロウスの瘴気が最もく観測されている場所へと向かった。

 彼女たちがそこで目撃したものは、あのやさしい笑顔をたたえていた詩穂の、変わり果てた姿であった。

「しほ……せん、ぱい……」

 豹変した詩穂の様子に、誰もが我が目を疑った。

 にゆうな笑みをたたえた彼女の優しいおもかげはどこにもなく、不気味な冷たい笑みをかべた別人へとへんぼうしていた。

「本当に、詩穂なのか……?」

「詩穂せんぱい!」

 必死で呼びかけるも、詩穂の反応は、ない。

 まるで『詩穂』という名に覚えがないかのように首をかしげる。

「それに……人型のイロウスがこんなにたくさん……」

「全部、詩穂先輩が……?」

 あの優しかった詩穂が、今のこのさんじようを生み出しているという事実を、彼女たちはどうしても信じることができなかった。

「あら? ふふっ、星守のみなさん、こんにちは」

 星守たちの存在に、やっと気がついたかのように、詩穂がいつものようなていねいな口調で話しかける。

 しかし、その声にはまるで感情というものが存在しなかった。

「詩穂……いったいどうしちゃったの……?」

「詩穂先輩! 私たちといつしよに帰りましょう!」

 彼女たちの呼びかけにも、詩穂は冷たい微笑を返すだけだった。

「帰る……? 私には、あなたたちと帰る場所なんてない。やっと、真実が微笑んでくれたの」

「くっ……こうなったら力ずくで連れ帰るしかない! いくぞ、みんな!」

 明日あすの声をきっかけに、星守たちが詩穂のもとに駆け寄ろうとする。

 しかし──

じや……」

 詩穂が無造作にうでを振るう。

 それを合図に、大量の人型イロウスが星守たちの行く手をさえぎる。

 今の星守たちには人型イロウスをたおす力が備わっているとはいえ、この数の前ではそんなことは関係なかった。

「そんな……」

「詩穂せんぱいと戦いたくないよっ!」

 どうようする星守たちにも詩穂はようしやなかった。

「星守……消えて……」

「みんな、くるよ!」

 みきの一声に、星守たちがせんとう態勢を取るが、変わり果てた詩穂の姿に大きなショックを受けている今の彼女たちに、イロウスを押し返すだけの力があるはずもなかった。

 仲間との連係は完全に崩れ、だれも彼もが自分の身を守るだけで精いっぱいだった。

 もはや、詩穂とまともに話をすることすらできるじようきようではなかった。


『みんな! すぐに戻ってきて!』

 星守たちのれつせいを危険に思ったのか、樹から通信が飛び込んできた。

「でもっ! 詩穂さんがっ!」

 みきの悲鳴に、樹も苦しげにこたえる。

『分かってるわっ! でも……あなたたちまで失うわけにはいかない……お願いだから、戻ってきなさい!』

「でも……っ!

 詩穂のあんな姿をの当たりにして、このまま立ち去ることなんてできない。

 しかし現実として、今の彼女たちの精神状態では、詩穂にたどり着く前にイロウスたちに敗れてしまうだろう。

 どうしようもないジレンマとたたかいながら、彼女たちはやっとのことで自分自身をなつとくさせた。

「みんな、今はいったん戻ろう! それで……態勢を立て直して、絶対に詩穂さんを助けよう!」

 みきの決断に異を唱える者はいなかった。

 誰も彼もがくやしさに唇を嚙みながら、星守たちは詩穂とイロウスに背を向けた。


      


 神樹ヶ峰女学園へと戻ってきた星守たちの表情には、かくしきれないショックの色が浮かんでいた。

「詩穂さんがイロウスを生み出してたなんて……」

「あんな……見たこともないような数を……」

「そんなこと……」

 こんわくする教え子たちをむかえた樹も、彼女たちと同様、まだ混乱からけ出せずにいた。

「これからどうするんですか?」

かく区域の外にイロウスがげ出さないように、各機関と協力してほうもうを構築したわ。これでしばらくは時間をかせげる……問題は、その後ね」

 瘴気が以前にも増してのうみつになり、通信もしていた。

 街の様子はなにもつかめず、詩穂がまだあの場所にとどまっているのか、それとも移動しているのかさえ、分からなかった。

 もしも彼女が隔離区域の外に出てしまったら。

 さらに多くの人々をイロウスへと変えてしまったら。

 その時は──命じなければならないだろう。

 教え子たちに、詩穂を──

「とにかく、みんな、いまは休んで。追ってまたれんらくします」

 動揺と混乱をはらんだまま、どうしていいか分からず少女たちがまどう。

 そして、彼女たちには気になることがもう一つあった。

「あの……花音先輩は、どうされたんですか?」

 みきがそんな彼女たちの疑問を代表してたずねる。

「花音は……」

 樹が言いよどむ。

「花音は、今はしようすいしきっていて話ができるような状態ではありません。いたずらななぐさめも、逆効果になってしまうでしょう。そっとしておいてあげた方がよいかもしれません」

「花音先輩……」

 花音のことが心配なのはもちろんだが、詩穂のひようへんぶりをじかに目撃した彼女たちは、花音が今どんな精神状態にあるのか、なんとなく想像することができた。

 それゆえに、花音にどんな言葉をかけてあげればよいのか、分からなかった。


「ミミ、かのんせんぱいと、しほせんぱいと、また一緒にお話ししたいな……」

「サドネも……シホに、またお歌、教えてほしい……」

「花音と、またけんどうを一緒にできる日は来るよな?」

「ゆり……。そうだね……」

 花音と詩穂──初めて会った時こそ激しく対立していた二人だったが、いまや星守たちは〝仲間〟としてすっかり受け入れていた。

 あの二人とすごした楽しいひと時が戻ってくることは、もうないのだろうか──

 そんなふうに暗くしずんだふんになっていた星守たちの中で、うららだけはなにかしんみようおもちをしていた。

 そしてここも、そんなうららの横顔を見ながら、なにか強い決意をめているような表情をしていた。


『花音はいま、保健室で手当てを受けています。会いにいってもいいけど、くれぐれも彼女の負担にならないはんでお願いね』

 樹にそう教えてもらったうららは、心美と一緒に花音がいる保健室に向かった。

 そっとドアを開けると、書類を熟読していた風蘭と目が合った。

 風蘭はなにも言わず、白いカーテンで仕切られた奥のベッドに視線をやる。

 うららと心美は一つ深呼吸してから、カーテンの向こうに声をかけた。

「かのかの先輩……そっちに行ってもいい?」

 返事はない。

「花音先輩、お身体からだの調子はいかがですか?」

 やはり返事はない。

 うららと心美が顔を見合わせる。

 二人の気持ちは、同じだった。


『思っていることは言葉にしなければ伝わらない』


 いつか不思議な空間にほうり込まれた二人が、それぞれもう一人の自分と戦った末にたどり着いた答えがこれだった。

 ここで花音を独りにするのは、それはきっと思いやりではない。

 たとえ花音のいかりを買うことになっても、悲しませることになっても、今は花音の気持ちを聞いてあげることが大切だと信じた。

「……開けるね、かのかの先輩」

 うららがそっとカーテンを引く。

 花音はベッドに横たわり、どこかうつろなまなしでてんじようながめていた。

 その視線がゆっくりと二人の方を向く。

「うらら、心美……」

 まるでたった今、二人の存在に気がついたかのようだった。

「ずっとね……同じ事考えてた……」

 うららと心美がうながすでもなく、花音がぽつりぽつりと語り始めた。

「詩穂のことはなんでも分かってて、私のことも詩穂はなんでも知ってて……ずっとそう思ってたのに……」

 詩穂があんなことになっちゃった原因が、どうしても分からないの──花音が苦しげにつぶやいた。

 ずっと近くにいたからこそ、いざはなれてみて初めて気がついた心のすきだった。

「詩穂のこと……分かんなくなっちゃった……」

 つっとなみだほおをつたう。

 その横顔にうららは──確信した。

「あーもう! なによなによ! うじうじしちゃってさ!」

 落ち込む花音をみていられなくなったうららが声を張り上げた。

「しほっち先輩のことが分からない? そんなの、あったりまえじゃない! なにバカなこと言ってるのよっ!?

「ちょ、ちょっと……うららちゃん、そんな言い方……」

「いいの、ここみはだまってて! この分からず屋に教えてあげるんだから!」

 心美の制止にも耳を貸さず、うららはなおも強い言葉で続ける。

「いくらずっと一緒にいたってね、いくらいつもそばにいたってね、分からないもんは分からないのっ! 同じ人間じゃないんだから、そんなの当たり前でしょ!」

 うららの手厳しい言葉に、花音も思わず言い返す。

「そ……そんなこと、言われなくても分かってるわよ! だからこうやってなやんでるんじゃない! どんなにいつしよにいたって分からないことはある……それなら、いったいどうすればいいっていうのよっ!」

「伝えればいいんじゃないでしょうか……」

 激しく言い争う二人に割って入るように、心美がおずおずと自分のおもいを語り出す。

「分からないなら、伝えればいいんじゃないでしょうか……? 私とうららちゃんは、性格も全然ちがいますし、考え方も全然違います……」

 心美の言葉はおだやかなものであったが、しかしとてもはっきりとしたもので、そこには不思議な説得力があった。

「だから時々、うららちゃんは本当に私のことを友達だと思ってくれてるのかなって不安になる時もあります。だから、私たちは約束したんです……」


『思ってることは言葉にしなければ伝わらない』


っ……!

 だんならあまり自分の考えを主張することのない心美の言葉は、花音の心の奥底にさったようであった。

 しかし──

「でも……私の声は詩穂には届かなかった! いくら呼び止めても、詩穂は耳を貸してはくれなかった。もう、私の想いが詩穂に届くことはないのっ……」

「ホントに……伝えたの?」

「えっ……?

 うららの言葉の意味を、花音はしゆんに理解することができなかった。

「……ホントに全部伝えたのかって言ってるの! 思ってること、悩んだこと、うれしかったこと、つらかったこと、不安だったこと……かのかの先輩の想いを、しほっち先輩に全部伝えたのかって聞いてるのっ!」

「あっ……!

 花音は、うららの言葉の意味をようやく理解した。

(私……詩穂に私の気持ちを全部伝えてたのかな……?)

 あの時の光景が花音ののうによみがえる。


『私、一人だってアイドルできるんだから!』


 葵にたんを切った時、花音は強がっていた。

 本当は詩穂がとなりにいてくれるから、アイドルとしてがんっていけているのに。

 自分が堂々としていないと詩穂を不安にさせてしまうかもしれない──そんな自分勝手な思い込みもあって、詩穂に対して自分の心の弱さを見せたことは、これまであまりなかった。

(あの時だって、そうだ……。あの時も、あの時も……)


      


『詩穂、今日の最後のところ、タイミング合わせるの、やっぱり難しそう?』

『ううん、だいじよう。本番までにはちゃんと花音ちゃんにおくれないように頑張るから』

『無理しなくても、ちょっとくらい難易度下げてもいいのよ? ダンスで無理して、せっかくの詩穂の歌にえいきようがでちゃったら、元も子もないでしょ?』

『ありがとう、花音ちゃん。……でも……大丈夫だから』

『そう……詩穂がそう言うなら……』


(詩穂は、きっと不安だったはず。でも私に気をつかわせまいとして……)


      


『ん、おはよ、詩穂』

『おは……よ……』

『どうしたの、詩穂?』

『う、うん……ちょっと、ね……』

『大丈夫? 保健室行く?』

『ありがとう……でも、なんでもないから……』

『そう……でも、無理だけはしちゃダメだからね』


(あの時だって、詩穂に元気がないのは分かってた。悩みがあるのなら教えてほしい。私は詩穂の力になりたいから、詩穂の支えになりたいから……そうやってちゃんと伝えればよかったんだ……)


      


「ごめん、詩穂……私、詩穂になにも伝えられてなかった……」

 花音のひとみから涙がこぼれ落ちた。

 心細い想いをさせてしまった、つらい想いをさせてしまった──詩穂へのざんの気持ちでいっぱいになった。

「かのかのせんぱい……」

「花音先輩……」

 えつをもらす花音を、うららと心美はそっと見守り続けていた。

「初めて、詩穂の歌声をいた時ね……」

 花音は先ほどまでの口調とは一転、静かに語り出した。

「一瞬、時が止まった気がしたの……ずっと、この歌声を聴いていたい、そう思ったんだ。あの日以来、私は詩穂の一番のファンになったの」

 うららも心美も、黙って花音の話に耳をかたむけていた。

「だからね、私たちf*fフオルテシモの初めてのライブの時も……」


      


『……ありがとう、花音ちゃん』

『もう、それはさっき聞いて……』

『ううん、さっきのことじゃないの』

『私は歌が好き。歌うのが大好き。でも……ずっとひとりで歌ってきた。だれかの前で歌うのがこわかったから……。だけど、そんな時に花音ちゃんが私に手を差しべてくれたの。詩穂の歌はすごいよって、きれいだよって教えてくれたの。そうじゃなかったら私、きっとここまで来られなかった……』

『詩穂……』

『だから……ありがとう、花音ちゃん。こんな私と一緒にいてくれて……』

…………なーに言ってるのよ。詩穂のためだけじゃない。詩穂の歌をきたい、たくさんの人に聴いてほしいって私が願ったの』

『花音ちゃん……』

『だから、詩穂がここにいる理由の半分は私のワガママみたいなものよ。そんなふうに自分で全部を背負い込まないで』

『うん……うん……』


      


「……本番前に、不安でいっぱいだった詩穂に伝えたの。私の、想いを。でも……」

 いま、詩穂のことを思い出そうとして脳裏によみがえるのは、最後に別れた時の彼女だった。

『私を捨てたくせに、分かったふうな口をかないでっ!』

 そうぜつきようする詩穂のいかくるった──でもさびしそうな顔だった。

「詩穂、忘れちゃったのかな……? 私の想いはやっぱりもう、詩穂には届かないのかな……?」

 あのれいてつな顔の下に詩穂がどんなどくかかえ込んでいたのか、今なら分かる気がした。

 きっと詩穂は声なき声でさけんでいたはずだ。

 もっと花音ちゃんの気持ちを教えてよ──と。

「ごめん……ごめんね、詩穂……」

 ぎゅっと手を胸に当てて嗚咽をもらす花音に、心美がそっと声をかける。

「まだ、きっと大丈夫です。花音先輩の想いは、きっと詩穂先輩に届くはずです」

「そうよっ! かのかの先輩がここであきらめたら、f*fフオルテシモf*fフオルテシモを諦めたら、この先、誰がくにえだ詩穂を救えるっていうのよっ!」

 ツンとそっぽを向きながらうららが花音の背中を押す。

「心美、うらら……」

「そ、それにf*fフオルテシモがいなくなっちゃったら、うららも、ほ~んのちょっと、困るっていうか……ま、まあうららがゆいいつ認めたライバルがいなくなっちゃうわけだし? 張り合いがなくなるっていうか?」

「ふふっ……そうだね、うららちゃん」

「なっ、だからなんでここみはちょっと笑ってるのよーっ!」

 うららと心美の、そんな少し気のけたやり取りに、花音の表情も思わずゆるむ。

 そして、なにかを決意したような瞳でつぶやいた。

「詩穂に、会いにいかなきゃ」

 花音は、自分の想いを詩穂に伝えようと決意した。

 あの日──ファーストライブの直前のように。

 きんちようふるえている詩穂に語ったように。

 どれだけ詩穂が大切で、どれだけ詩穂の歌声に救われてきたのか、そのことをなおに伝えよう。

 もう一度、あの時のように──いや、あの時以上にすべてのおもいをめて。

ちがっててもいい、傷ついてもいい……それでも私は、詩穂に伝えたいことがあるの」

 花音のしんけんな瞳に、うららと心美もやさしく微笑ほほえんだ。

「ふぅ、仕方ないわねぇ、それじゃ……」

いつしよにいきましょう」

「……一緒に?」

「そうですよ。花音先輩も詩穂先輩も、私たちの大切な……仲間なんですから」

「そうよっ! そ、それに、うららにとっては……ライバル、でもあるんだからっ」

「心美、うらら……ありがとう」

 花音の表情に、もはや迷いはなかった。

 ぎゅっとにぎりしめたこぶしを胸に押し当てた花音の顔には、大いなる意志が見て取れた。


      


 花音とうらら、そして心美の三人は、樹や風蘭に無断で学園を飛び出した。

 詩穂に会いにいくなんて言えば絶対に止められてしまう。

 自分たちの身を案じてのことだろうけど、今だけは詩穂のところに急がなければならなかった。

 花音は、色あざやかな黄色のドレスに身を包み、かみにはf*fフオルテシモのヘアピンに加え、青いちようのブローチを身につけていた。

 あの、想い出のファーストライブのしようであった。

「花音先輩、詩穂先輩の居場所が分かるんですか?」

「分からないわ」

「かのかの先輩!?

「でもね、詩穂はきっと姿を見せるわ。たぶん今の詩穂は……私に対して強いこだわりを持っているでしょうから」

 だから自分がここにいる──そう詩穂に示すことができれば必ずやってくる、そんな確信があった。

 そして、自分たちの存在を詩穂に察知させる方法となると──

「イロウスをたおしまくるわよ! かたぱしから!」

 自分の身をえさにするのが手っ取り早かった。

 今やイロウスが支配する街のど真ん中へと三人がり込んでいく。

「か、かのかの先輩……うららが言うのもなんだけど、ちょっと適当すぎない……?」

「ま、まあ……でもそれ以外にいい方法もなさそうだし……」

「さあ、行くわよっ!」

 花音がせんじんを切ってとつげきする。

 手当たりだいにイロウスをって、撃って、撃ちまくる。

 群れてむかえ撃たれる前にことごとく薙ぎ払う。

(さあ、詩穂……私はここにいるわよ。お願い、姿を見せて!)

 自らの存在を詩穂に届けるように花音がイロウスを次々と倒していく。

 しかし──

「か、かのかの先輩……なんかイロウスの数がはんないんですけど……」

「多すぎですぅ~!」

 三人をきようにんしきしたイロウスたちが四方八方から集まりつつあった。

 何百何千というにごった瞳が三人を取り囲む。

「くっ……さすがにこの数はちょっと厳しそうね」

「もうっ! でも、うららたちでなんとかするしかないでしょ! ほら、いくわよ、ここみ!」

「そ、そんなこと言っても……」

「うらら、心美、危ない!」

 背後からせまるイロウスを花音が退けようとする。

 しかしこのタイミングでは間に合わない──そう思った時だった。


 上空からさった光の矢がイロウスをいつそうした。


「花音せんぱい! ひとりで突っ走りすぎですよ!」

 ビルの上に立つ無数のひとかげ──見知った星守クラスの仲間たちだった。

「あなたたち、どうして……?」

「どうしてって……私たち、仲間だからに決まってるじゃないですかっ!」

「そうですよ! 勝手に出ていっちゃうなんて、水くさいじゃないですか!」

「私たちだって、詩穂さんを助けたいという想いは同じなんです!」

「みき、すばるはる……」

 三人の言葉に花音は思わずうるっときてしまった。

「詩穂に会いたいんだろう!? ここは私たちに任せて先に行け!」

「絶対に詩穂を連れもどすのじゃぞ!」

「あんな悲しい顔のままにさせておくんじゃないぞ!」

「花音せんぱいなら、助けられるはずだよっ!」

「詩穂先輩の歌声を取り戻してくださいませ!」

「サドネ、おうえんする!」

「うふふっ、れんげへのお礼は花音ちゃん、詩穂ちゃんのハグでいいから♡」

「花音さん……行って」

 少女たちが花音の道を切り開く。

「みんな……ありがとう」

「もう、そんな湿しめっぽいのはあとあと! 行くわよ、かのかの先輩!」

「詩穂先輩のもとへっ!」

 うららと心美が背中を押す。

(そうだった……みんなにお礼を言うのは全部を終わらせてからだ……)

 花音がぐっと表情を引きめた。

「行くわよ、うらら! 心美!」

 仲間たちの一撃がイロウスをなぎはらって切り開いた道をけ抜ける。

 すでに行き先は決まっていた。

 この先──しぶの方角からこちらに向かって、真っ黒なしようかたまりが近づきつつあった。


 迫ってくる瘴気の塊を迎え撃つべく、赤に染まった渋谷の街に花音たちが乗り込む。

 右も左もイロウスばかりで、まるでイロウスだけが住む街のようだった。

 そして三人の正面、そこにきよだいな黒い塊がちんしていた。

 向こうを見通せないほどのしつこくころもおおわれ、まるでとりでのようだった。

「詩穂っ!」

 花音はのどしぼって叫んだ。

「そこにいるんでしょ、詩穂っ!!

 何度も何度も呼びかける。

 するとゆっくりと、やみの塊が形を変えた。

 鳥がつばさを広げるように闇の衣が左右に開き、その中に彼女が見えた。

「なにしに来たの?」

 招かざる客を追い返すような冷たい声だった。

 花音はぐっとおなかに力を入れ、闇の圧力に逆らうかのように声を張った。

「詩穂に会いにきたに決まってるでしょ!」

「私に? どうして?」

 カクン──こわれた人形のように詩穂が首をかしげる。

「どうしても伝えたいことがあるの!」

「伝える……? 別に私は、花音ちゃんから聞きたいことなんてないのだけれど……。それに、なに……その格好? いまさら……」

 花音が身を包むあざやかな黄色のドレスに、詩穂は少しだけ顔をしかめる。

 そうやって二人が会話している間にも、周りを取り囲んでいたイロウスたちは続々と花音めがけて飛びかかってきていた。

「させないっ! ここみ!」

「うんっ! 花音先輩と詩穂先輩のじやをしないでっ!」

 花音に迫るきようそうをうららと心美が受け止め、はじき返す。

 花音からイロウスを遠ざけるようにふんとうする。

(ありがとう、二人とも……)

 花音は心の中で感謝を伝え、詩穂をえ続けた。

「詩穂、あなたになにを言われようとも、私はもうくじけない。私の気持ちが詩穂に届くまで、絶対にあきらめない!」

「ふーん、あっそ……好きにすれば? でも、邪魔だけはしないでね」

「ええ、詩穂を助けるためなら私はなんだってするわ。だって、私は……詩穂に救われたんだから。今度は私が詩穂を助ける番だから」

 詩穂のかたがわずかにピクリと動いた。

「今でも覚えてるわ……詩穂と初めて会った時のこと」

 花音はゆっくりと語り始めた。

「放課後、音楽室の前を歩いていたら、歌声が聞こえてきたの。あのころの私はね、将来に対する不安でいっぱいで、くだらないことですぐにイライラしちゃって……クラスでも、少しりつ気味だった」

…………

 詩穂はなにも言わない。

 感情の見えない視線を花音へ注ぐだけだった。

「それでも、身近に相談できる人なんていなかったから、平気なフリをして、なんでもないような顔をして……。本当は不安で仕方なかったのにね。そんな時だったの……私が詩穂の歌声と出会ったのは」

「……やめて」

 詩穂の声のトーンが少し変わった。

 それでも花音は伝え続ける。

「その優しい歌声は、おそれずに進め、あなたならだいじよう……そんなふうにはげましてくれているように聞こえた。私、詩穂の歌声に、心からの勇気をもらったんだよ」

「やめて……やめてよ……」

「私が感じたあの感動を、だれにも伝えないまま終わらせたくなかった。詩穂の歌声に勇気をもらったおかえしをするために、私は詩穂と運命をともにしたいと思ったんだ。だから、アイドルをやっていくって決めた時、そのパートナーは詩穂以外にありえなかった」


『あなた、私とアイドルやりなさい』

「えっ」

『歌うのがこわいなら……私のためだけに歌えばいいの……』


「やめてって言ってるでしょ!」

 とうとう詩穂が感情をあらわにした。

 血走ったひとみが花音をく。

「ううん、やめない。私、いつも詩穂の前では強がっちゃうけど、本当は強くなんかないんだよ。詩穂がとなりにいてくれなきゃなにもできない、ただのおくびようものだよ。だから……私はこの先もずっとずっと、詩穂と歩いていきたいの。だから……」

 花音の正直な告白が詩穂の胸をつらぬいた。

 ズキン! ズキン!

「なんなのっ、この胸の痛みは……!? 捨てたはずなのに……なんなのっ、どうして今さら私の心をかき乱すのっ!?

 その時、詩穂の頭の中で聞き慣れた、あのねっとりした声がひびわたる。

『よく考えなさい、詩穂……あの女の言葉を信じて、どうだった?』

「葵……先生……」

『結果、裏切られて……あなたが味わった痛み、苦しみはこんなものじゃなかったでしょう?』

「そうだっ!」

 詩穂は迷いをち切るように頭をる。

「私のためだけに歌ってほしいって言ったのも、どうせ私を利用するためのウソだったんでしょ!? 利用して、有名になって、ひとりでアイドルをやっていくためのウソだったんでしょ!?

「詩穂……ちがうの! あれは、葵ちゃんが……いいえ、あんなの葵ちゃんじゃない。あなたを利用しようとした〝誰か〟がけたことだったの! 詩穂も、もう気がついているんでしょ!」

「ウソっ! ウソだ、ウソだっ!」

 詩穂の感情とシンクロするかのように、闇の力が一気にふくれ上がる。


「うららちゃん、心美ちゃん! いったいどうなって……」

「すごい闇の力だ……あの中心に詩穂がいるんだな!」

 みき、明日葉たちもようやく追いつき、うららと心美に合流する。

「うん、でも……しほっち先輩、とっても苦しそう」

「私たちにもなにかできれば……」

 今はまだ彼女たちも、きようぼう化するイロウスを退けつつ、花音と詩穂の行く末を見守るしかなかった。


「お願い、詩穂! 私の話を聞いて!」

「うるさいっ! だまって! 黙って!!

 詩穂は闇にまみれてすべてを捨てようと決意した自分、そして花音を信じたいという強いおもいをいまだいだき続けている自分──二つの自分の間で大きくれ動いていた。

 花音を信じようとする詩穂に、闇にちたもう一人の詩穂がささやきかける。

(でも、蓮見さんは? あの子はどうなるの? 花音ちゃんは、私のさそいを断って蓮見さんと会ってたじゃない。あんなに楽しそうな顔をして。アイドルのことに関しても、あの子の方がくわしいし、あの子がいれば、花音ちゃんは私のこと、いらないんじゃない?)

 その言葉が再び詩穂を闇に引き戻す。

「そうよっ……! やっぱり花音ちゃんが言ってることはウソ! 私に隣にいてほしいだなんてウソ! だって……あの日、私の誘いを断って蓮見さんと会ってたじゃない! 蓮見さんといる時の方が、私といる時よりも楽しそうだったじゃない!」

 詩穂が、うららに対するしつを初めて口にしたしゆんかんだった。

 うららに花音を取られてしまうのではないか──そんなドロドロとした感情を詩穂自身が口にした初めての瞬間だった。


「バカっ!」


 そんな詩穂に対して真っ先に反応したのは花音ではなく、目の前のイロウスをほうり出して花音のもとへと急いで駆け寄ってきたうららであった。

「バカっ! あんたたち、そろいもそろって大バカよっ! かのかのせんぱいが、しほっち先輩の誘いを断ってうららと会ってたですって!? そうよ、かのかの先輩と二人で会ってたわよっ! でも、でも……それはしほっち先輩にないしよでプレゼントを用意して喜ばせたいって、かのかの先輩が考えてたからなのっ!」

「えっ……?

 詩穂の表情が固まる。

f*fフオルテシモの記念日だからって、神樹ヶ峰に早くめるようにしほっち先輩が気をつかってくれたからって、かのかの先輩はしほっち先輩にお礼がしたかっただけなのっ! そんなことでかんちがいして、ひとりでなやんでたなんて……ほんっと世紀の大バカよっ!」

「花音……ちゃん……」

 うららに先に言われてしまった花音が、ほんのりしゆに染まった顔で詩穂を見上げる。

「詩穂、私にとってf*fフオルテシモを結成した日は特別なの。だから、ここのところ元気がなかったあなたに内緒でプレゼントを渡したかったの……」

 こみ上げる想いを伝えるように花音が言った。

「ねえ詩穂、覚えてる? 私が詩穂をアイドルに誘った時のこと……。歌に自信を持てないっていうあなたに、だったら私のために歌ってって言った時のこと……」

「そんなの……忘れるわけ、ない……」

 詩穂がなつかしむようにゆっくりと瞳を閉じた。

かなでみやに通うようになって、でも周囲の人との付き合い方が分からなくて孤立して……そんな時に声をかけてくれたのが花音ちゃんだった……」

 じゆんすいうれしかった。

 自分の歌を好きだと言ってくれる人がいる──それだけで胸がおどった。

 しかも、それがひそかにあこがれを抱いていた花音だったから。

 花音はいつも堂々としてキラキラしていて──自分に自信を持てない私とは正反対だったから。

 アイドル活動を始めてからも、分からないことだらけだった。

 それでも歌い続けた。

 f*fフオルテシモの活動が順調に進んで、たくさんの人から注目されるようになっても、気持ちは変わらなかった。

「花音ちゃんの期待にこたえたい、花音ちゃんといつしよに花音ちゃんの夢を目指したい……それだけが私が歌う理由だった……」

 そう──自分のすぐ隣にいる、この歌を好きだと言ってくれる大切な人のために歌っていた。


『詩穂、とっても楽しそうに歌ってた。詩穂の気持ちがそのまま伝わってきたよ』


 そうしているうちに、自然と自分もアイドルを楽しめるようになっていた。

 ライブで盛り上がるお客さんの笑顔、おうえんしてくれるファンの声──アイドルをやって良かったと心から思えるようになった。


「花音ちゃんと一緒にいられて……本当に楽しかった……」

「私だってっ!」

 花音がたたみかける。

「ずっと詩穂の歌に背中を押してもらってた! 勇気をもらった! この感動を誰かに伝えたかったのっ! 詩穂の歌をもっともっと多くの人に聴いてもらいたくて……それがいつの間にか私の夢になってた!」

 もっと高みへ、もっと遠くへ──詩穂と一緒に進んでいきたいと願った。

 でもそれはきっと、詩穂に絶えず小さな不安の種を植え付けてしまっていたのだ。

 自分は本当に必要とされているのか、自分には花音の隣にいる資格があるのだろうか。

 そんな悲しいさいしんをくすぶらせてしまっていたのだ。

「詩穂! 私ね……この先もずっとずっと詩穂と一緒に歩いていきたい! 詩穂と並んで進んでいきたい……だからっ!」

 だから伝えよう。

 今の自分のまっさらな気持ちを。

「だからお願い! 私のところに帰ってきてっ! 私の隣にもどってきてよっ!!

 さっきまでき物が降りてきたようにさくらんしていた詩穂は、花音との思い出を振り返っているうちに、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。

「わ……私は……」

 そのくちびるがたどたどしく想いをつむぐ。

「私だってずっとこわかった……。いつもキラキラしてる花音ちゃんの隣に、私なんかがいてもいいのかって……。本当は花音ちゃん、ひとりでアイドルをやりたいのに、私が足を引っ張ってるんじゃないかって……」

「そんなわけないじゃないっ! 私だっていつも怖いわよ! 本当にいま進んでいる方向は正しいのか、本当に上手うまくやれているのか……だから、詩穂に隣にいてほしいの! 詩穂じゃなきゃダメなのっ!」

 本音をさらけ出す詩穂のかかえていたやみはもはや、そのりどころを失おうとしていた。

 詩穂の瞳に宿っていたほの暗い闇が消え去り、力あるかがやきを取り戻していた。

「花音ちゃん……いいの? 私が花音ちゃんの隣にいても……」

「当たり前でしょ! 詩穂じゃなきゃダメなの! お願い、戻ってきて!」

「花音ちゃん……花音ちゃん……」

 つぶやく詩穂ののうに、ファーストライブの時の思い出がよみがえる。


『……ありがとう、花音ちゃん』

『もう、それはさっき聞いて……』

『ううん、さっきのことじゃないの。私は歌が好き。歌うのが大好き。でも……ずっとひとりで歌ってきた。だれかの前で歌うのが怖かったから……』

『詩穂……』

『だけど、そんな時に花音ちゃんが私に手を差しべてくれたの。詩穂の歌はすごいよって、きれいだよって教えてくれたの。そうじゃなかったら私、きっとここまで来られなかった。だから……ありがとう、花音ちゃん。こんな私と一緒にいてくれて……』

…………なーに言ってるのよ。詩穂のためだけじゃない。詩穂の歌をきたい、たくさんの人に聴いてほしいって私が願ったの』

『花音ちゃん……』

『だから。詩穂がここにいる理由の半分は私のワガママみたいなものよ。そんな風に自分で全部を背負い込まないで』

『うん……うん……。ありがとう……本当に……』


 そうだ──私は歌が好き。歌うことが大好き。

 自分の言葉を歌にして、誰かに届けることがこんなにも幸せなことなのだと気づかせてくれたのは花音ちゃんだった。

 そんな花音ちゃんが私が隣にいてもいいと言ってくれている。私じゃなきゃダメだって言ってくれている。

 花音ちゃんも私と同じ気持ちだったんだ。

 それなら、私は。私は──

「花音……ちゃん……」

 闇のとりでからふわりと降りた詩穂が、熱にかされたような顔で一歩、また一歩と花音へと歩み寄る。

めなさい、だまされているのよ』

 詩穂の歩みをさえぎるように、大地に落ちたかげからいつわりの詩穂が姿を現した。

 彼女を今の姿へとらくさせたもう一人の自分だ。

 一人、また一人と影から現れては詩穂を引き留めようとする。

『あの子はあなたを裏切った。信じてはいけない』

『また傷つくだけなのに、同じあやまちをり返すの?』

『目を覚まして。あなたの幸せはこちら側にある』

 ばやに彼女の耳にじゆのように言葉を流し込む。

 しかし、もはや詩穂には聞こえていなかった。見えていなかった。

 彼女の目に映っていたのはただ一人、たった一人の笑顔だけだった。

「……おいで、詩穂」

「花音ちゃん!」

 詩穂がけた。

 りよううでを広げてむかえてくれる、花音の胸の中へと飛び込んだ。

(あぁ……花音ちゃんだ……)


『あ~ら、ダメよ詩穂? あなたは私のこまでしょ?』


 ズブッ──いやかんしよくが詩穂の腕に伝わってきた。

 しゆんかん、彼女は自分になにが起こったのか分からなかった。

 どこからか声が聞こえてきた、それだけのはずだった。

 しかし気がついた時には、その手に長大なじゆうけんにぎりしめていた。

 その切っ先には、つらぬいた先には──


「花音ちゃんっ!?


 せんけつに染まった花音が音もなくくずれ落ちた。

「花音ちゃん! わ、私……こんなつもりじゃっ!?

 力なく横たわる花音をとっさにき起こす。

 真っ青な顔で泣きじゃくる詩穂に、花音はこんしんの力をめて微笑ほほえんだ。

「やっと……私の知ってる詩穂が戻ってきてくれた……」

 血にれた手が詩穂の頰をそっとなでる。

 詩穂はとっさにその手を握りしめた。

「すぐに手当てするから! だからお願いっ! お願いだから……っ!!

「もう……そんなになみだでグチャグチャな顔をしないの……。そんなんじゃアイドル、失格よ……」

 花音がもう片方の手をそっと差し出した。

 その手はなにかを守るようにぎゅっと固く握られている。

 詩穂を見失ったせんしきからずっと──神樹ヶ峰女学園でりようを受けている時も、ここへやってきた時もずっと。

 ただの一度もこぶしをゆるめなかった、その手が守っていたものは──


「ほら……忘れ物よ、詩穂……」

 二人のきずなあかし──f*fフオルテシモのヘアピンだった。


「花音ちゃん……花音ちゃんっ!」

「詩穂……このヘアピンにちかったこと、覚えてる……?」

 泣きじゃくる詩穂のかみに、花音がヘアピンを留める。

「詩穂は歌で、私はダンスで……方法はちがえど、伝えたいっていうおもいはきっと同じだった……」

「うんっ……うんっ……!

「それがf*fフオルテシモ……だから私たちは、これまでも、これからも、二人でf*fフオルテシモだって……」

「もうしゃべらないで、花音ちゃん! もう私はどこにも行かないから! 絶対に花音ちゃんのこと、放さないから! だから……」

「そんな顔をしないで、詩穂……。詩穂が無事なら、私は……」

「いや……いやぁ……。いやぁぁぁ────っ!!

 詩穂が花音の身体からだを強く抱きしめる。

「そんなこと言わないで花音ちゃん! 私をひとりにしないでっ!」

 お願い、誰でもいいから助けて──詩穂はいのった。

 花音を連れていかないでくれと。

「お願い、花音ちゃん……目を開けて……!」

 まだまだ伝えたいことがたくさんあった。

「花音ちゃん、言ってくれたよね! 私たちは二人でf*fフオルテシモだって!」

 せっかく、花音がなおに気持ちを伝えてくれたのだ。

 今度は自分が伝える番だった。

「花音ちゃんにアイドルにさそわれた時、どんなにうれしかったか……。花音ちゃんが私の歌をめてくれる時、私がどんなに幸せな気持ちだったか……。花音ちゃん、知ってる?」

 花音のとなりにいられることが、どんなに幸せなことだったか。

 自分にとって、花音がどれほど大切な存在だったか──

「伝えたいのに……花音ちゃんに、私の気持ちを伝えたいのに……。それがもうできないなんて……ウソだよね、花音ちゃん? お願い、目を覚まして……」

 強く、強く祈る。

 この半身をささげてもいい。自分がどうなったっていい。

 だからお願い、花音ちゃんを返して──


 せつ、二つのヘアピンが輝きだした。