三章 思うだけじゃ伝わらないこと



…………ん……。いたた……」

 うららが目を覚ます。

 そこは血のように赤い世界──ではなかった。

 だいめいりようになる意識が周囲のじようきようあくし──ぼうぜんとする。

「な、んで……うららこんなところにいるの……? だって、ついさっきまで……」

 そこは、ライブ会場だった。

 色とりどりの照明がめぐり、何千という人々がケミカルライトをりながらかんせいを上げている。

 熱気に包まれ、興奮があふれ、感動がやくどうする、そんな──うららにとって夢のたいであった。

 だが、彼女がいるのはステージの上ではない。

 数多あまたの観衆が居並ぶ中、少しだけ開けた空間に一人で横たわっていた。

「ここは……どうして……」

 ふらりと立ち上がったうららがステージを見上げる。

 まばゆい光の中で歌い、おどっていたのは──彼女がかつてあこがれ、その背中を追いかけていたアイドルたちだった。

 ずっとテレビで、ライブ会場で、おうえんし続けてきたアイドルだ。

 しかしなにかがおかしい──

「これは……夢なの……?」

 幼いころから追いかけ続けてきたアイドルだけではなく、最近になって注目し始めたアイドルまでいたのだが──全員が当時の姿のままでステージに上がっていたのである。

 まるで自分のおくの中の映像がそのままとうえいされたみたいに。

「すごい……」

 大好きなアイドルたちの共演にうららは思わずほおをゆるませる。

 まるで自分のためにセッティングされた舞台のようであった。

 うららは我を忘れて夢中になった。

 最初はひかえめにながめるだけだったものが、次第に盛り上がり、他のファンたちと同じように飛びね、うでを振り、声をらしてせいえんを送るようになった。

 だが、やがてその顔が固まった。

 ステージ上からアイドルたちが次々と姿を消したかと思うと、代わりに現れたのは、彼女の心を今最も揺さぶっている一組のユニットだった。


 観衆たちのひときわ大きな声援にむかえられたのは──f*fフオルテシモの二人だった。


「そんな……」

 うららはがくぜんとした。

 それまでステージの上にいたのは自分が大好きだったアイドルたちばかりだ。

 その同じステージに今、f*fフオルテシモが立っている。

 つまりそれは──

「ち、ちがう! うららはあの二人に憧れてなんかないっ!」

 うららは反射的に顔をそむけた。

 認めたくなかった。

 さっきまでいつしよになって盛り上がっていた観衆の声が、今はただ不愉快だった。


「正直になればいいじゃん♪」


 瞬間、その声を除き、すべての音が消えた。

 ライブの音楽も歌声も歓声も、すべてがまぼろしのようにきりと消える。

 いや、音だけではない。

 あんなに眩かった照明も、大勢いた観衆も、もちろんf*fフオルテシモの姿も──なにもかもがそこには存在しなくなっていた。

 真っ暗で無人のライブ会場にたたずんでいるのは、うららだけになっていた。

 いや──うらら〝たち〟だけになっていた。

「あなたは……」

 声の主に視線を向けたうららが目にしたのは──自分とうり二つの顔をしただれかだった。

「だ……れよ、あんた……」

「うふふ……うららはうらら。もう一人のうららにきまってるじゃん♪」

「なに、言ってるの……?」

 事態が吞み込めないうららに、もう一人のうららがそっと近づく。

「正直になればいいじゃん♪」

 さっきの言葉をもう一度り返す。

「本当はうららも分かっているんでしょ? どれだけライバル視しても、気にくわなくても……f*fフオルテシモは、うららのはるか先を進んでいるんだって」

「そっ、それは……!」

 そくに否定しようとして、できなかった。

 自分の大好きなアイドルたちと同じステージに現れたのん

 それはf*fフオルテシモというユニットが彼女にとって、間違いなく憧れの存在であることを物語っていた。

「うららは本当はこう思ってるの。アイドルへのおもいの強さでも、イロウスに対する強さでも……自分はあの二人に遠くおよばないって」

「違う! そんなことないっ!」

 認めたくないうららが耳をふさいでもがく。

 それでもなお、もう一人のうららは彼女にささやきかける。

「自分に言い訳をしてるの。ほしもりだから、今はプロのアイドルになれなくたって仕方ないって。逆もおんなじ。アイドルになるための特訓にいそがしいから、星守として力が足りないのも仕方ないって……」

「違う……違うもんっ!」

「だからあの二人がうらやましいんだよね♪ アイドルとしての素質も、強さも、どっちもね備えた二人が羨ましくて仕方ない。ねたましくて仕方ないんだよね?」

だまってってばっ!!

「認められない……自分の小ささがくやしくて仕方ない」

「──っ!! こ、このっ!」

 うららが反射的に飛びかかって口を塞ごうとする。

 しかしもう一人の自分は難なくその手をかわし、勢い余ってたおれ込んだうららを冷たく見下ろす。

「うららは……うららは……っ!!

 言い返したい、言い返したい、言い返したい。

 それなのに──言葉が出てこない。

 だって全部が本当だから。いつわりようのない真実だから。

 悔しくてくちびるみしめるうららをよそに、もう一人のうららはがおで続ける。

「将来、アイドルになりたいっていうのもウソなんでしょ。本気でなれるだなんて思ってない。うららは~、星守としての活動があるんだから~、いまアイドルになるための時間を取れないのは仕方ないよね~……って自分にウソをついてるだけ」

「そんなこと……!」

「でも~、心の底では本当は分かってるの♪ うららには本気でアイドルになるかくなんてできてないだけ。それをかくすために星守であることを利用してるだけ。でも、f*fフオルテシモの二人に見せつけられちゃった……本気でやろうとすればどっちもできるんだって」

「ち、ちがっ……」

しよせん、うららにとって星守なんて、アイドルなんて、そんなもんなんだよね? 早く認めちゃった方がラクになれるよ♪」

「ちがうっ……ちがうのっ!」

 必死に耳を塞ごうとしても、どうしてもそれができない。

 なぜならもう一人の自分が語ることは──ここ数日の間、彼女の頭をなやませていたことそのものだったからだ。

 自分は、口ではアイドルになりたいといつも言っている。でも、今は星守としての活動があるのだから、すぐにアイドルになれるわけではない。

 星守としての活動が落ち着いたらいずれ──そう思っていた。

 それは仕方のないことだ──自分に言い聞かせていた。

 だがf*fフオルテシモの二人が証明してしまった。

 トップアイドルとして活動することも、イロウスと戦うことも、決して両立不可能なことではないのだと。

 そう思ったしゆんかん、うららの心の中は自分への疑念でいっぱいになってしまったのだった。

 自分はアイドルを目指す覚悟があるのだろうか。

 星守としての活動を、アイドルになれないことの言い訳にしてしまっているだけではないのだろうか──と。

 胸の奥でだくりゆうとなった感情が、そのはけ口を求めてのたうち回り、少しずつ少しずつやみに染まっていく。

 どす黒いなにかがふくれ上がっていく。

 今の自分をみ込んで乗っ取らんとするかのように。

「あ、ああぁ……あああぁぁぁっっ──っ!?

 こみ上げてくるに、全身を巡る熱さに、うららが身もだえする。

 視界がかすみ始め、自分のうなり声もどこか遠くなって、自分が自分であるという感覚がうすれていく。

 はすうららという人間が、なにかにりつぶされていく──と、その時だった。


『うららちゃんがアイドルになることは、私の夢でもあるんだよっ!』


 闇に吞み込まれてしまう寸前、誰かの──声が聞こえた。

(ここ……み……?)

 その声がうららの心に一つの記憶をよみがえらせる。

 それは確か、ずっとずっと昔のこと──ずっと幼い頃のことだった。


      


 うららは幼い頃から周りにチヤホヤされることが得意だった。

 どうすれば可愛かわいがってもらえるのか、物心ついた頃から分かっていたし、その通りにうことも簡単にできた。

 それを知ってか知らないでか、周囲の大人たちもうららが望むことはなんでもかなえようとしてくれたし、彼女のことをとても大切にしてくれていた。


「うららは将来、ぜーったいアイドルになるんだからっ!」


 うららが自分の夢を、そうやって自信たっぷりに宣言した時も、もちろん周囲の反応はいつもと同じだった。

「うららちゃんなら、将来絶対に可愛いアイドルになれるよ!」

「だってうららちゃん、こ~んなに可愛いんだから!」

 みんながおうえんしてくれた。がんれと言ってくれた。

 でもなぜか、うららは不満だった。

 幼心になんとなく察してしまっていたからだ。


 誰も──誰も本気で受け止めてくれている人がいないことを。


『アイドル』という夢は、多くの子供がいだくものだ。

 しかし、現実にトップアイドルとしてかつやくできるのは、ごくひとにぎり。

 大人たちはそんなこと百も承知だったが、いつも通り〝可愛い〟うららの言うことに深く考えもせずなおうなずいていただけだった。

 うららが本気でその夢を語っているとは、本当にその夢を実現できるとは、誰も思っていなかった。

 そのことがうららには分かってしまっていた。


 それでも──それでも今もなお、うららがこの夢を持ち続けていられるのは、一人の友人のおかげであった。


「……ねえ、ここみ。やっぱりアイドルになるのって、難しいのかな……?」

 ある日、学校からの帰り道、うららはめずらしく暗いトーンで、ばくぜんとした不安のようなものを打ち明けたことがあった。

「うららちゃん……?」

「ずっとアイドルになりたいって、うららは思ってたけど……誰も本気にしてくれない。みんな……うららちゃんなら可愛いからなれるよ、って言ってくれるけど、誰も本気で考えてくれてないことくらい、うららでも分かるもんっ……」

…………

「……って、ここみにこんなこと言ってもしょうがないよね。っていうか、こんなこと話すのうららっぽくないし」

「……う、うららちゃん!」

 とつぜんここはこれまでうららでも聞いたことのないような大きな声で彼女の言葉をさえぎった。

「な、なによ。急に大きな声出して……びっくりするじゃない!」

「うららちゃん、ダメだよっ!」

「ダメって……なにがよ」

「だって、だって……うららちゃんがアイドルになることは、私の夢でもあるんだよっ!」

 心美の予想外な告白を、うららはすぐには理解することができなかった。

「……なんで、うららがアイドルになることがここみの夢になるのよ。ここみには関係ないでしょ」

「えっと、その……それは……」

 なにか言いたげだが、なかなか心美の口から次の言葉は出てこない。

「なによっ! 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよっ!」

「うららちゃんは、私の……あこがれ、だから……」

「憧れ……?」

 またもや心美の予想外の言葉にうららはまどう。

「……私はいつも、自分に自信がなくて、なかなか思ってることを口に出すこともできなくて……でも、うららちゃんはいつも自信たっぷりで……アイドルになりたいっていう夢も、いつも堂々と言えてるから……。だから、うららちゃんは私の憧れで……」

「ここみ……」

 それはうららにとって意外な言葉だった。

 いつも自分の後ろにくっついてくるだけで、あまり自分の意見を言わない心美。

 そんな心美が、自分のことをそんなふうに思っていたなんて考えたこともなかった。

 うららは、自分の顔がほんのり熱くなっているのを感じた。

 それと同時に、ずっとかかえていた心の中のモヤモヤが晴れていく気がした。

「……なによそれ……変なここみ!」

「ご、ごめんね、うららちゃん。急に変なこと言っちゃって……」

「ホントよ! そんなこと、急に言わないでよねっ!」

 うららはいつの間にか、だんの強気な口調にもどっていた。

「でも……安心しなさい。うらら、ぜったい、ぜーったい、将来はスーパーアイドルになるんだからっ! だから……ここみはそんな心配しなくていいの!」

「うららちゃん……」

……っ! もう! ここみ、歩くのおそい! さっさと帰るわよ!」

「えぇ……待ってよ、うららちゃ~ん!」


 アイドルになる──うららの幼いころからの夢が、彼女だけのものではなく、心美との二人の大切な夢になった瞬間だった。


(そうだよね、ここみ……。アイドルになるっていううららの夢はウソなんかじゃない。うららは星守としても強くなるし、スーパーアイドルにもなる。歌えて、おどれて、戦える……そんな、ちようスーパーアイドルになってやるんだからっ!)


 うららの心に、もう迷いはなかった。


「うら……らは……」

 闇のころもに包まれつつあったうららのくちびるが静かに動いた。

「うららは……あきらめ、ない……」

 かがやきを失っていたひとみに光が戻る。

 全身にからみつく闇を振りはらいながら、目の前に立つ自分を──自分の姿をしたなにかをにらみつける。

「ここみがいてくれるなら、うららはどこまでだって頑張れる……。どんな夢だってつかみ取ってみせるっ!」

 花音と詩穂に負けているからなんだ。差をつけられているからどうした。

 そんなもの絶対に縮めてみせる。

 追いいてみせる。

 ここみといつしよなら──

「絶対にっ……諦めないんだからっ!!

 せつ、闇の衣が飛び散った。

 うららの身体からだが輝き始め、やがてまばゆい一つの光球となった。

 真っ暗だったライブ会場全体をみ込み、光でくす。

 そうして次にうららが目を開いた時──彼女はいつの間にか、ステージの上に立っていた。

 その身を新しいせいに包まれて。

「これは……」

 戸惑ううららが、ふとステージの下へ視線を落とす。

 そこには、もう一人の自分がポツンと立っていた。

…………うらら、諦めないから」

…………

だれになんて言われても、絶対に夢を諦めないからっ!」

 絶対の自信をこれでもかとめ込んでぶつける。

 その決意を受け止めたもう一人のうららは、なにも口にすることなく──わずかばかりのみを残してあとかたもなく消え去った。

 だが彼女をじっと見つめていたうららは、その口が少しだけ動いた気がした。

 がんばれ──そうつぶやいた気がした。

「早くみんなのところに戻らないと……。ここみはだいじようかしら……」

 うららが上を見上げる。

 ライブ会場の屋根にれつが入っていた。

 その割れ目の向こうに赤と黒の入り混じった空間が見える。

 サイドブリッジで吞み込まれた時に見た、あの血の色の世界だ。

「入り口があそこなら……きっと出口もあそこよねっ!」

 うららは不気味な空間めがけてちようやくした。


      


「ここは……」

 心美が目を覚ました時、そこは映画館だった。

 広い広い映画館──わたかぎり並ぶ座席のはしはもはや見えず、後ろをり返ってもまだ席が視界の果てまで続いている。

 そんな映画館の最前列、その中央に心美は座っていた。

 そしてスクリーンに映し出されているのは──

『ほら、ここみ! 行くわよっ!』

『うららちゃん、待ってよ~!』

 自分と、うららの姿だった。

 他愛たわいないおしゃべりに興じたり、ショッピングをまんきつしたり、一緒に星守の特訓を受けていたり。

 毎日の何気ないワンシーンを抜き出して、つなげたような映像だった。

「これって……」

 なんでこんなものが映画館で──心美が不思議に思っていると、不意にスクリーンが暗転した。

 しばしのせいじやく

 やがて再び映し出されたのは──

『うららちゃん……大丈夫?』

『……なにが?』

『なにがって……それは、その……』

『……あーっ! もう考えるの止めっ! こんなことで考え込むだなんて、うらららしくないもん! 未来のスーパーアイドルうららが負けるわけないの! ほら、ここみ、いくわよっ!』

 そして再び暗転。

 次に映し出されたのは、日の暮れたさびしい道を、心美とうららが無言で歩いているシーンだった。

 おたがいになにもしゃべらない。

 うららはなにかにおもいをせるようにずっと遠くを見つめ、心美はそんな彼女をえんりよがちにながめる。

(今までと……どこかちがう……)

 心美はピンときた。

 始めに流れていた映像は、いつどこの一幕か思い出すこともできない。

 それくらい、自分とうららにとっては、ありふれた日常の一コマであった。

 しかし今の二つの映像は──よく覚えている。

 花音と詩穂の強さ、そして戦うことに対する二人の強いかくを改めて見せつけられた直後のことだ。

 イロウス警報が鳴り、出現場所に直行した時にはすでに二人によってイロウスがたおされた後だった、あの時だ。

 花音と詩穂が、アイドルもイロウス退治もどちらもかんぺきにやりきってみせると宣言した──そのはくと覚悟にあつとうされた、あの時だ。

 うららが自信をなくして、元気をなくして落ち込んでいるのに、かける言葉を見つけられずにだまって見守るしかなかった──あの時の自分だった。


「友達なんてくだらないよね」


 しゆんかん、自分のすぐひだりどなりから聞こえた声に心美は息を詰まらせた。

 あまりにとつぜんで、そして──あまりに似ていたから。

 心美は目線だけで自分の隣を見やる。

 そこには──自分とうり二つの顔でスクリーンを見上げる少女が座っていた。

「どれだけ一緒にいても、仲の良いフリをしても……本気でなやんで落ち込んで、ふさぎ込んでいるのに相談すらできない。本気で悩んで落ち込んで、ふさぎ込んでいる時に……なにも声をかけてあげられない……」

 正面を見つめたままたんたんと語ったもう一人の心美が、ギョロッと目だけを心美に向けた。

「ねえ……ここに映っている二人って……本当に友達同士だと思う?」

 自分と同じ声のはずなのに、それが心美にはどうしようもなく冷たく聞こえた。

「あ、あなた……だれ……」

「あなたは、わたし。わたしは、あなた」

 心美は身動きができなかった。

 ひざふるえ手がかじかみ、歯の根が合わなかった。

 異質な空間に閉じ込められたきようと、自分と同じ顔が隣にあるという恐怖と。

 そして──心をかされているような恐怖と。

「なんで……そんな、こと……」

 自分とうららとは友達なんかじゃない──そんなことを言われて本来なら黙っていられるわけがない。

 まんできるわけがない。

 それなのに声が出てこなかった。

 彼女の言っていることはデタラメだ──そう断言できない自分がいた。

(もう一人の私が言ってること……本当に違うって言えるのかな……?)

 うららがなにか思い詰めている時、彼女から切り出してくれるのをただ待つことしかできない自分。

 うららが悲しんでいる時に、ただ見守ることしかできない自分。

(ぜんぶ……私だ……)

 的外れなことを言ってしまいそうだから、うららの気持ちを傷つけてしまいそうだから、自分なんかがうららの支えになれる自信がないから──その全部がこわくてどうしようもなくて、だから口をつぐむしかない。

 認めたくない自分の姿を、もう一人の自分からきつけられていた。

「ねえ……楽になろうよ?」

 心美の左手が、もう一人の心美にそっとにぎられた。

「本当に悩んでいる時に、悩みを打ち明けられないのが友達なの? 相手が悩んでいると分かっていても声をかけられないのが、本当に友達なの? 私とうららちゃんは、本当に友達なの?」

「わた……しは……」

 震える心美の唇はまともな言葉をつむぐことができなかった。

 目のしようてんが合わず、意識がうすれゆく。

 ゆっくりと、ゆっくりと心美の左手が形をくずす。

 五本の指がけ落ち、真っ黒なかたまりへとへんぼうする。

「さあ……」

 頭の奥にみこんでくるような、ねっとりとした声が心美をめ回す。

 左手からひだりうで、そして左半身へ──心美の身体からだじよじよにその原形を失い、やみの衣にしんしよくされていった。

 眼前のスクリーンに幕が下り始める。

 もうこの二人の物語は終わったのだと告げるように──


『ここみの考えてること、もっと教えてよっ!』


 瞬間、下り始めた幕が動きを止めた。

 スクリーンに再び映像が映し出される。

 それは──いつかの遊園地だった。

 ずっと昔、うららといつしよに遊園地に行った時のおくだった。


『ここみの考えてること、もっと教えてよっ!』


 うららはあの時、確かにそう言った。

 だがうららはなぜ、あんなことを言ったのだろうか──


      


 その日もうららは、自分の乗りたいアトラクションを次々と回り、それに心美が振り回されていた。

 いつもの二人によくある光景だった。

(そうだ……。でも、あの時、私は……)

 うららとある約束をしていた。

 一緒に観覧車に乗ろうね──心美はうららと一緒に観覧車に乗ることを楽しみにしていたのだ。

 でも、うららはそれを忘れてしまっているかのように、その場その場でおもしろそうだと思ったアトラクションばかりめぐり、心美はそれにただついていくことしかできなかった。

 そんなうららがあまりに楽しそうだったから、自分の気持ちを言い出すことができなかった。

 うららが楽しければそれでいい、我慢しようと口を閉じた。


 そんな時、うららがふと立ち止まって、心美の方をり返った。

「ねえ、ここみ!」

「……どうしたの、うららちゃん?」

「ここみは、なにか乗りたいものはないの?」

「え……ううん、私はうららちゃんの乗りたいものでいいよ」

「……あっそ」

 うららと一緒に観覧車に乗りたい──本当の気持ちを伝えることができなかった。

 うららちゃんはきっと、私との約束のことなんて忘れちゃってる。でもこれでいいんだ。うららちゃんが楽しければ──そんなあきらめと満足感にひたっていた心美に──うららはげつこうした。


『……ここみのバカっ! もういいっ! うらら、ひとりで観覧車に乗るからっ!』


 心美には、うららが突然態度を変えた理由が分からなかった。

「えっ……うららちゃん、待ってよ……私も一緒に行くから……」

「ここみはいいのっ! うらら、一人で行ってくるから!」

「急にどうしたの、うららちゃん……?」

「だって、ここみは乗りたいものがないんでしょ! だったらここで待ってればっ!」

「え……どうしてそんなこと言うの……? 私だってうららちゃんと一緒に観覧車に乗りたいよう……」

…………

「約束したよね……? 二人で一緒に観覧車に乗ろうって……」

 心美が自分の気持ちをなおに語った、その時だった。


『だってここみがなにも言ってくれないからでしょっ!?


 うららのその言葉に、心美はハッとした。

 一緒に観覧車に乗りたい──そう言い出したのは自分の方なのに。

 楽しそうにするうららに遠慮して自分の想いを押し殺してしまっていた。

『ここみってばいっつもそうっ! ここみがなにをしたいのかさっぱり分からないっ! 今日だってそうっ! ねえ、ここみは楽しいの? うららにつき合うだけで……本当に楽しいのっ!?

 ぼうぜんとする心美にうららはさけぶ。

『もっと教えてよ! もっと聞かせてよ! ここみの考えてること!! ここみはうららと一緒にいて、ホントに楽しいの!? ここみの思ってること、ちゃんと言ってくれなきゃ、うらら……分かんないよっ!』

 あぁ──そうだ。

 その時、心美は気づいたのだった。

 うららは自分のことを本当に友達として見てくれているのだろうか──そんな不安をいだいていた自分と同じように、うららもまた悩んでいたのだと。

 うららに対する想いを、自分がちゃんと伝えていないから。

「……うららちゃん、ごめんね。私、うららちゃんと一緒にいて楽しいよ! 今日だってうららちゃんと一緒に観覧車に乗れるの、すごく楽しみだったから、だから……私、うららちゃんと一緒に観覧車……乗りたい……!」

「……そ。じゃあ、さっさと行くわよ。……でも、これからはここみの考えてること、したいこと、ちゃんと言ってよね。いい? もしえんりよなんかしたら、うらら、許さないんだからねっ!」

「うん……うんっ……ありがとう、うららちゃん!」


 あの日、約束したのだ。

 なやみも不安も喜びも悲しみも文句もいかりも──おたがいにちゃんと思っていることは、口に出して伝えようと。

(そうだ……。それなのに私は……)

 いつしか忘れてしまっていた。

 活発なうららを見守るだけの自分にもどってしまっていた。

 だから──f*fフオルテシモの勢いにみ込まれて落ち込んだうららに、なにも言えないあさ心美になってしまっていたのだ。


…………うららちゃんは、私の大切な友達」

 その半身を闇のころもに包まれた心美が告げる。

 もう迷わない。もう遠慮しない。もう怖がらない。

 だってそれが、本当の友達なのだから──

「元気で、可愛かわいくて、ごういんで、自信家で、負けずぎらいで……なにからなにまで私とちがうけど……うららちゃんは私の大切な友達だからっ!」

 れかけていたひとみに力が戻る。

 その目がもう一人の心美をいたしゆんかん、心美の半身にまとわりついていた闇がぜた。

 闇を振りはらった心美の身体が光を帯びる。

 そのかがやきにおおくされたもう一人の心美は、なにも言うことなく姿を消してしまった。

 最後に残されたのは、新たな星衣をまとった心美だけだった。

「これって……」

 見たことのない星衣に心美がまどう。

 しかし迷っている場合ではないと、自分のほおをパチンとたたいた。

「……うららちゃんが待ってる!」

 決意を新たに心美が走り出す。

 延々と終わりなくびた座席の向こう──闇の中にれつが見えた。

「きっと、あそこに出口が……」

 立ち去る心美を見届けるように、その背後ではスクリーンに再び幕が下り始めた。

 やがて幕がスクリーンを完全にかくす。

 幕が下りきるまで、スクリーンには一枚の写真が映っていた。

 それは仲良く手をつなぐ心美とうらら、そして──


 そんな二人を背後から見守る、もう一人の心美だった。


      


 サイドブリッジ──

 赤く染まった空にけ目ができた。

 一つ、そしてもう一つ。

「たあぁぁぁ!

「やあぁぁぁ!

 二つの亀裂が同時にはじける。

 裂け目をぶち破るように飛び出したのは──心美とうららだ。

「ここみっ!?

「うららちゃん!?

 二人ともお互いにしようとつするコースで飛び出してしまっていた。

 勢いそのままに二人は空中で衝突しそうになったが、なんとかスピードを殺し、お互いにき合うように止まった。

「ここみ! あのね、うらら、伝えたいことがっ……!

「うららちゃん! 私、どうしても言いたいことが……っ!

 二人が同時に叫び、同時におどろく。

 今までの二人なら迷わず心美が先をゆずり、うららにうながしただろう。

 しかし、今度は違った。

「うららちゃん! 私から言わせてっ!」

 うららのおかぶうばうような強引さで、心美は彼女のほっぺたを両手で押さえた。

「私はうららちゃんを支えたい! 星守のうららちゃんも、アイドルのうららちゃんも、どっちも大切なうららちゃんだからっ! だから……だから教えて! うららちゃんの悩んでること全部っ!」

 これまでまんしてきた──いや、忘れていたおもいをぶちまけるように心美がする。

「ちゃんと答えられないかもしれない! 変なこと言っちゃったり困らせちゃったりするかもしれない! でもっ……でも絶対に受け止めるからっ! うららちゃんは……私の大事な大事な友達だからっ!!

 その頰に一筋のなみだしたたらせながら、悲鳴のような声で心美が叫んだ。

「ここ……み……」

 うららは声を失った。

 ぐに自分を見つめ、今にも泣き出しそうにえつをこらえ、それでも言い切ってくれた友達の瞳に意識が吸い込まれていった。

…………うん、分かった」

 やがて、うららが語り出した。

「うららね……自信なくしちゃってた」

 かつてならだれにもけなかった悩みを、今だけは洗いざらいぶちまけた。

「ううん、それだけじゃない……。星守としての使命とか、アイドルを目指す熱意とか、そんなのも全部まとめて消えちゃってた……f*fフオルテシモのすごさになにもかも諦めそうになってた……」

 でもね──うららが心美の顔を見つめ返す。

「ここみが思い出させてくれたの……。うららの夢は二人の夢だって。うららだけじゃない、二人でかなえる夢なんだって……」

 心美の手の上に自分の手のひらを重ね、ぬくもりを確かめるようにそっとなでる。

「ありがとね、ここみ……」

「うららちゃん……」


「な、なぜ……。なぜその姿で戻ってきた!?

 エヴィーナが声をあららげた。

 宙にかぶ彼女の周囲には、十六個の黒いほのおただよっている。

 その一つ一つが星守たちと花音、詩穂を閉じ込めたはざの世界だ。

 うららと心美もふくめれば合計十八個──これだけの数の狭間の世界をしていたエヴィーナは、そちらに集中するあまり、二人の復帰に気づくのがおくれた。


「ふんっ、未来のスーパーアイドル、うららをまどわそうったって、そうはいかないんだからね!」

「うららちゃんといつしよなら、私は絶対に負けないっ!」

 二人の瞳にもはや不安の色はなく、自信に満ちあふれていた。

 そんな二人にエヴィーナが食ってかかる。

「なぜイロウス化しない!? なぜその姿を保てるっ!? なぜ……なぜっ!?

 人間のやみをあぶり出し、不安や怒り、にくしみ、悲しみを育て上げ、心を乗っ取って肉体から引きはがし、実体化させる──それがエヴィーナによる『人間のイロウス化』だ。