自分のギフトが消されたミツムネは、動揺を隠しきれなかった。

 これでいい。俺に〈あんこく〉を防御する手段があると向こうが認識すれば、こっちのものだ。

 さて、ここからが希望の細い糸を辿る瞬間である。

 俺の予測が間違っていれば、俺の負け。予測が正しければ、この二人相手でも圧勝できる。

 今から俺がやることは、この戦いの勝利を決める一手だった。

〈収納〉!

 唱えたのは、魔力でできた空間を構築し、そこにほぼ無限に物を入れることができる魔法だ。

「なんだ、ありゃ?」

「ミスターブラック、教えてくださいよ。そんな名前の魔法で、どうやって現状を打破するのですか?」

 俺は〈収納〉で開いた穴の中に手を突っ込む。

 これは【大賢者】固有の魔法だ。そして、この空間には時間という概念が存在しない。

 つまり、千年前のものは千年前のまま存在する。まして俺はかつて【大賢者】と呼ばれていた人間の記憶を引き継ぐ者……。

 そう。ここにあるのは、俺が千年前に使っていた道具や装備だ!

「勝ったな」

 手から伝わってきた懐かしい感触に、俺は思わず口角を上げた。

 握ったそれを一気に引き抜くと、巨大な魔法石がまった杖が現れる。

 俺はすかさずミツムネとカブラザカのほうに向かって、掲げた。

〈転送〉

 瞬間、俺とミツムネ、カブラザカの姿が書庫から消えた。


 ◆◇◆◇◆


 俺たちが転送された先は背の低い葉が生い茂る湿地だった。

 メルエスからそう遠く離れていない西の湿地帯。俺とミィミが密かに特訓していた場所だ。

「なんですか、ここは? ただの草原のようですが……」

 一緒に転送されてきたカブラザカが目を丸くする。

「ふん。おあつらえ向きじゃねぇか。闘技場での借り。ここで返してやるぜ」

 邪悪な笑みを浮かべ、ミツムネは大剣を構えた。

 しかし、俺は杖を握ったまま蹲る。

 直後口から血を吐いた。既に身体が硬直し、指一本動かすのも難しくなってきている。

 毒にかかって、もう二十分以上が経過していた。クラスアップを果たすことはできたが、カブラザカが仕込んだ人工毒はまだ取り除けていない。

「なんだ? ボロボロじゃねぇか。いいぜ。それはそれで楽しみがいがあるってもんだ」

「どうしました、ミスターブラック? あなたはこんなものですか? 残念です。どうやらあなたを過大評価していたようですね。クラスアップして、大逆転するのではなかったのですか?」

「はあ……。はあ……。はあ……」

「つまらないですねぇ。ただわたくしたちを転送しただけ。闘技場からわたくしたちを遠ざけただけでは毒は消えませんよ。それにそもそも解毒薬なんてものはないんですから。はは……。言っちゃった。これは最後まで言わないでおこうと思ったのですが。いけないですねぇ。わたくしの口は軽すぎる。さて、今衝撃の事実を聞いたあなたの表情はどうでしょうか? ここまでやって。死にそうになりながら、目的のものがないということを聞いたときの顔……。どうぞわたくしに見せてくださいよ」

「はあ……。はあ……。……ふふ。だろうな」

 俺は顔を上げて、目一杯笑った。

「解毒薬がないなんてことは、初めからわかっていたよ。普通万が一を考えて【薬師】ってのは毒と一緒に解毒剤を作るものだが、作ってないんだろ? お前はそういう奴だ」

「なんだ、わかっていたんですか」

「だけど、お前は一つ見落としている。異世界の人間であるお前が知らないのも無理はないが、スキルや魔法で作り出したものは、術者の死によって解除されるんだよ」

「知っていますとも……。でも、そんな身体でわたくしを殺すことができますか? そばには優秀なボディーガードだっているんですよ」

「いつの間にオレはお前のボディーガードになったんだよ」

「言葉の綾ですよ、ミスターミツムネ。さあ、どうぞ。サクッとやってください。抗うことをやめた人間の顔なんて、まったく興味がないので」

「てめぇに言われるまでもねぇ。とっととぶっ殺す!」

 ミツムネは大剣を肩にかけて、近づいてくる。

 俺は一歩も動かない。動けないのだ。ただ息を荒く吐き出すしかないが、それすらも困難になりつつあった。それでも、俺の意思は決してくじけない。

「抗うことをやめたんじゃない。もう既に俺ができることはやりきったんだよ、カブラザカ」

「は? 何を言っているんですか。そんな状態で」

「不思議に思わなかったのか? 人工毒を操るお前に、無策で飛び込んで、まんまと毒にかかってしまった相手のことを、一度でも疑問に思わなかったのか?」

「まさか……。わたくしの毒をわざと受けたとでも言うのですか?」

「俺は現代人だぜ。人工毒に対する対処ならわかっている。難しいかもしれないが、対人工毒用のフィルターを作って対策できたかもしれない。なのに、俺は真正面からお前に突っ込んでいった。それは俺の計算のうちだとは考えなかったのか?」

「はあ? なんのために?」

「お前の好きな戦隊ものにもあったろ? 味方がピンチになると発動するスキルや、魔法や必殺技を使うキャラクターがな」

 俺とカブラザカの会話を聞いて、ミツムネは剣を構えたまま固まった。

「まさか……、てめぇ。そのためにこいつの毒を受けたっていうのかよ」

「いや、いやいやいやいや……。あり得ないでしょ。ダメージを受けるためにわざと毒を受けるなんて。なんですか、それ?」

 カブラザカは頭を何度も振る。その表情は一転して、青白くなっていった。

 そして、ついにあの『幻窓』が俺の前に開かれる。

『呼吸、脈拍の乱れから危機状態にあると判断。また周囲に敵性反応を確認しました』

『固有スキル【隕石落としメテオラ】の発動条件を満たしています』

『発動しますか? Y/N』

 その『幻窓』に目を細めながら、俺は最後に言った。

「お前たちは最初から俺の手の平の上で踊っていたんだよ」

 迷いはない。

 これは報いだ。俺に優しくしてくれた人たちを傷付けた者への……。

「YES!」

『広域殲滅魔法【隕石落としメテオラ】の発動が承認されました。カウント開始します。3、2、1』


 ゼロ発動……。


 夕焼けと夜闇のはざで無数の星が流れる。

 その光は次第に大きくなり、轟音を上げながら、こっちに向かってきていた。

 カブラザカは悲鳴を上げ、ついに踵を返して逃げ始める。それに気づいてミツムネが後を追ったが、その前にカブラザカは足を取られた。そのまま湿地帯を流れている小川に突っ込むと、跳ねた泥を全てかぶる。

 綺麗な小川に映り込んでいたのは、己の絶望した顔だった。

 理想に近い表情を見て、カブラザカの心に浮かんだのは、恐怖という初めての感覚だった。

「やめろ。やめてくれええええええええええええええええええ!!

 大口を開けて叫んだ稀代の犯罪者は、隕石の落下した衝撃の中に消えるのだった。


 ◆◇◆◇◆


 顔面にゼビルドの拳がヒットする。

 軽いミィミの身体は砲弾のように吹き飛ぶと、闘技場を囲う木製の壁に突き刺さった。

 あちこちに血が垂れ、折れた牙が硬い床に落ちている。

 常人であれば、とっくにストップがかかっていただろう。

 それでも、試合が止まらないのは、ミィミが立ち上がろうとするからだ。

 闘技場は静まり返っている。敬意と祈りを込めるように両手を組み、観客たちは不屈の闘志を見せる小さな戦士に静かなエールを送っていた。

 ミィミの粘りに心変わりしていたのは、観客だけではない。

 ゼビルドもまた焦っていた。全力で殴り、蹴り、叩きつけているのに、ミィミはゾンビのように立ち上がってくる。心が折れるどころか、その身体すら壊すことができていなかった。

 次第に惨めな気持ちになってきたゼビルドは、最後に渾身の力を込めて、ミィミにとどめの一撃を叩き込む。

「これで終わりだぁ!!

 およそ人を殴ったときに起こる音ではなかった。

 このとき、誰もが思った。終わったと……。

 そばにいて、常にそのミィミの闘志に敬意を払ってきた審判ロードルですら、そう感じていた。

「ミィミ!」

 突然、誰かが彼女の名前を呼んだ。

 ゼビルド、ロードル、そして観客の視線が通用口のほうに向けられる。

 立っていたのは、アンジェに肩を貸してもらったミュシャの姿だ。

 まだ本調子ではないにしろ、その顔色はかなり良くなっていた。クロノがカブラザカを倒したことによって、ギフトで作った毒の効果が消滅したのだ。

「立って戦ってくれ! 私のためではない! 自分のために!!

「チッ! 大言を吐いておいてカブラザカの野郎、しくじったか! だが、一歩遅かったな。今、決着したところだ。おい、審判。終わりだ」

 ゼビルドはミィミに背を向けると、ロードルに向かって怒鳴る。

 しかし、ロードルは手を上げなかった。彼はジッと何かを見ている。

 勝者であるゼビルドを見ているのかと思ったら、そうではない。

 ロードルはこの戦いの間、ずっとミィミの目を見ていた。

 虚ろだった少女の瞳が、オアシスの水でも浴びたかのように輝いていく。

 ゆらりと立ち上がると、後ろを向いたゼビルドの肩を叩いた。

「おじさん、どこを見てるの?」

「あん?」

 ゴンンンンンンンンンンンンンンンンンンッ!!

 それはこの闘技場で振るわれたどんな暴力よりも激しい音がした。

 ゼビルドの巨体が、先ほどのミィミと同じく吹き飛んでいく。

 そのまま反対方向の壁に突き刺さり、大穴を開けた。

「な…………なん……?」

 ゼビルドに意識こそあったが、鼻骨が完全に口蓋に向かって凹んでいる。

 もんどり打つゼビルドを見ながら、ゆっくりとミィミは立ち上がった。

 その雰囲気はどこか優雅だ。大きく伸びをし、軽く肩を回す。今ベッドから起き上がったばかりのように欠伸をした。

「は~あ……。やっと終わった。ずっと叩かれるのって案外退屈なんだね~。もう少し長かったら、眠っちゃうところだったよ。ふわ~あ……」

「あ、あんだけぶん殴ったのに……。なんで立ち上がれる?」

「なんで? おじさんの攻撃、全然痛くなかったよ」

「は────っ?」

「きっとミィミが小さいから手加減してくれたんだね。最初は嫌いだったけど、おじさんっていい人だったんだ」

「て、てめぇからかってんのか!!

「じゃあ、ミュシャも元気になったし。今度はミィミの番だね」

 ミィミの髪がふわりと揺らぐと、闘技場の空気が一変した。

 三下といえど、ゼビルドにもわかったのだろう。ミィミから放たれる匂い立つような覇気を……。

 千年────真の地獄を知る戦士の殺意を……。

「昔ね。『剣神』が言ってたんだ。ライオンを狩るときも、蟻を踏み潰すときも常に全力でやりなさいって……。だから、優しいおじさんにミィミの本気を見せてあげる」

 ミィミは四つん這いになると、瞳を光らせ、吠えた。

 ギフト『へんしん』

 直後、小さなミィミの身体が肥大していく。褐色の肌からふさふさとした赤い毛が炎のように伸び上がり、彼女を包む。折れた牙は元通りになり、手や足の爪が鉤のように伸びて、床に突き刺さった。可愛い鼻は前に向かって伸びていき、目が鋭く吊り上がっていく。

 少女の姿はいつしか巨大な狼へと変貌していた。

 これにはゼビルドはおろか、そばにいたロードルも呆気に取られる。

 観客席からは悲鳴が上がり、観覧席の貴賓客たちも口を開けて固まっていた。

 ミュシャやアンジェも、初めて目にするミィミの真の姿に息を呑む。

 闘技場が騒然としていても、ミィミは全く動じない。

 モフッとした尻尾をくるりと動かし、地面を叩く。緋狼族の威嚇の合図だ。

 フッと息を吐くと、殺気を含んだ冷たい獣臭がゼビルドの鼻をくすぐった。

 たったそれだけのことだったがゼビルドの意志を折るには十分だったらしい。腰砕けになると、女の子座りをして、その大きな狼を見上げた。

「ひぃ……。ひぃ……。おた、おたすけを!」

「やめろ! やめるのであーる! 審判! 試合を止めるのであーる!」

 デーブレエス伯爵親子は揃って、試合を止めることを懇願する。

 審判であるロードルはため息を吐いた。

「それは山々なのですが……。巨大な狼に人間の言葉が通じるかどうか」

「はっ?」

「そうだ。【魔物使い】のクラスの方を呼んで、通訳してもらいましょう。【魔物使い】の方! もしいらっしゃるならどうか出てきてください。……出てきませんな。弱りました」

「ふざけるなであーる、ロードル! 止めろ! 止めるのであーる!」