第三部 第三話


 ◆◇◆◇◆ ミィミ ◆◇◆◇◆


「はあ……。はあ……。はあ……」

 荒い息を吐き出していたのは、闘技場で戦うミィミだ。

 全身に無数の打ち身、額から赤い血が流れ、履いてる靴の裏まで染み込んでいる。

 ぐったりと闘技場の壁にもたれながら、少しでも体力回復を図っていたが、そんなミィミの思惑を知ってか、ゼビルドは赤い髪を掴み、引っ張り上げた。

「おいおい。もうへばったのか?」

 ゼビルドは大きく口を開けて笑い、ミィミの顔面に拳を打ち込んだ。

 観客の悲鳴が闘技場に響く。その雰囲気は二分されていた。ミィミを心配する客もいれば、ゼビルドに賭けた博徒たちは「トドメを刺せ」と吠えている。観覧席のデーブレエス伯爵は口角を上げ、ラーラはキュッと唇を締めて、ショーに耐えていた。

 ゼビルドは容赦がない。

 良い玩具でも見つけたとばかりに、ミィミの頬を張っては、お腹に打撃を加える。

 その度に鼠のような小さな悲鳴が上がった。

「かはっ! かはっ!」

 反吐へどを吐きながらも、ミィミは決して「参った」とは言わない。

 それどころか顔を上げ、ゼビルドに反抗的な瞳を向ける。

 しかし、それは逆にゼビルドのぎやくしんを煽るだけだった。

「いいねぇ。楽しいねぇ!」

 口を目一杯広げて笑ったゼビルドは、再びミィミに向かって、暴力を振るう。

 審判であるロードルは止めようとするが、ミィミの目はまだ死んでいない。

 まだ何かを狙っているような瞳を見て、ロードルは試合を止めるのをちゆうちよしていた。

 暴力が再開される。剣闘試合はただの残虐ショーと成り果てていた。


 ◆◇◆◇◆


「ここだ」

 もうろうとしながらも、俺は記憶したデーブレエス邸の見取り図を頼りに、壁伝いに歩き続けた。

 辿り着いたのは、屋敷の最奥にある部屋だ。鍵はかかっていたが、事前にラーラからマスターキーを借りていて、一刻も早く状況を脱したい俺たちの障害にはならなかった。

(本当にラーラは何者なんだ? どう考えても一国の王女様の領分を超えているように思うのだが)

 鍵を開けながら思案したが、詮索してもしょうがない。こうしている間にもミィミはゼビルドに殴られ続けている。頑丈な緋狼族の身体とは言え、絶対なんてものはない。

 カブラザカは俺がこの部屋に来ていることに気づいていないようだ。

 見取り図によれば、この屋敷には医療室が存在する。

 おそらく俺が真っ先に解毒薬を探しに来ると、考えているだろう。

 だが、俺の狙いはそっちじゃない。

 扉を開くと、あったのは無数の本だった。

 デーブレエス伯爵の愛蔵書が収められた書庫である。

 小さな図書館並みの蔵書量。たった一人の貴族が抱えているにしては、異常な冊数だ。

 普通の魔導書も、上位の魔導書も本棚に並んでいる。よりどりみどりだ。

 その書庫にあったのは、本だけではなかった。

 ゆらり、と影が揺れる。カブラザカかと思ったが違う。

 次の瞬間、闇がうごめくのを見て、俺は重い身体を無理矢理動かした。

〈あんこく〉

 とつに伏せた瞬間、頭上を赤黒いほんりゆうが駆け抜けていく。

 直線的に射出された魔力の塊は、廊下を一直線に進み、奥の壁に当たって爆発した。

 爆音が轟き、砂煙が逆流して俺のところまでやってくる。大量の砂埃がかかり、〈霧隠れ〉の効果が消失した。

 すると、書庫の中から男の笑い声が聞こえてくる。

「くくく……。よう。ブラック……。まさかオレの顔を忘れたわけじゃないよな」

「ミツムネ……」

「やはりこっちでしたか?」

 嬉々として声を上げ、俺の背後からカブラザカが現れる。

「申し訳ない。罠を張らせてもらいました。あなたの選択肢は三つ。一つは逃げ帰ること。まあ、これはあり得ないと思いました。他人のために貴族の屋敷に忍び込むぐらいです。人の命もかかっている。あなたの症状も危うい。だからこそ、解毒薬がありそうな医療室と思いましたが、なるほど……。第三の選択をなさいましたか。つまり、書庫にて適合する魔導書を探し出し、先にクラスアップを図る。そして起死回生を狙うといったところでしょうか。素晴らしい……。素晴らしい生への執着ですよ、ミスターブラック」

「くっ!」

「しかし奥の手というのは、最後に使ってこそです。さあ、聞かせてくださいよ。死が忍び寄る中、必死に考えた逆転の策……。それを摘み取られた今の気持ちを教えてくださいよ。ねぇねぇ、どんな気持ちですか?」

 カブラザカの表情がどんどん悪魔じみていく。

 これがこいつの本性。殺人や自殺を考えている若者を中心に薬を横流しし、結果的に二十八人もの犠牲者を出した最悪の自殺幇助者。察するにその人間性は異世界に来ても、変わっていないようだ。

「カブラザカ! てめぇは黙ってろ! お前の策に乗ってやったが、ここまでだ。そいつを仕留めるのは、このオレだからな」

「かまいませんよ、ミスターミツムネ。直接手を下すのはわたくしの美学に反するのでね。……さあ、ミスターブラック。どうします? 大ピンチですよ。わたくしとしては、ここを華麗に抜けきってほしいものですがね」

「そんなチャンスはねぇ。ここで仕留めてやる。覚悟しろ!」

 ミツムネは手を掲げる。今度は外さん、とばかりに俺を睨め付けた。

 その顔を見て、俺は笑みを浮かべる。

「なるほど。奥の手というのは、最後に使ってこそ──か。まったくその通りだ」

「ほう……。起死回生の手があると」

「ああ。ありがとうな、ミツムネ。お前が開けてくれた穴のせいで援軍到着が早まりそうだ」

「は?」

「援軍到着?」

 俺は口に指を入れると、鋭い音を立てて指笛を鳴らした。

 何かが廊下の奥から走ってくる。チャッチャッチャッと奇妙な音が徐々に近づいてきていた。

 既に夕暮れだ。屋敷の奥となるともう暗い。その中で、二対の目がカブラザカとミツムネに襲いかかった。

「い!」

「ぬ!?

 犬じゃない。それは魔獣の一種だ。

 魔犬種ドッグシャンク。Dランクに属する魔獣で、リザルドンと同じく人懐っこい。

 千年前でも、貴族の中にはドッグシャンクを飼う者がいた。犬よりも力が強く、魔獣相手にもひるまない。五十匹のドッグシャンクを操り、中隊として運用する【魔物使い】もいたぐらいだ。

 ドッグシャンクを起こした後、〈劣魔物の知識〉で手懐けた俺は、指笛を鳴らしたら助けに来るようにあらかじめコミュニケーションを取っておいたのである。

 Dランクの魔獣など、カブラザカにとってもミツムネにとっても取るに足らない相手だろう。

 だが一瞬でいい。一瞬、この二人の動きを止めることができれば、十分だ。

 俺は着ていたマントを脱ぎ去り、身体にかかっていた砂埃を払う。〈霧隠れ〉をかけ直すと、ドッグシャンクに手こずるミツムネの横を通り過ぎて、書庫に入った。狙いは『悟道の書』。この山のようにある蔵書の中から探すのはひと苦労だが、『悟道の書』には他の魔導書にはない特徴がある。

 即ち、魔導書の中でも別格に分厚いということだ。

「あった!」

 広○苑もかくやという分厚い魔導書を見つける。

 千年前、何度も見たから間違いない。

 俺は『悟道の書』のある書棚に向かって一気に駆け上がる。

 背後でドッグシャンクから解放されたミツムネとカブラザカの喚き声が聞こえた。

「くそ! 逃がすかよ! 〈あんこ────」

「書庫でギフトはヤバいですよ、ミスターミツムネ! ここにある本はうちの雇い主のお気に入りなんです。一部でも消滅したなんて聞いたら、逆にあなたが命を狙われますよ」

「うるせぇ! だったら、オレは皇帝の野郎の命令で動いてんだよ。邪魔すんな!」

 ここに来て、仲間割れか。所詮はごうの衆だな。

 おかげで俺は『悟道の書』を本棚から引き抜き、ページをめくることができた。

 光が書庫に満ちる。すると、魔導書の内容が一気に頭の中に入ってきた。

 魔導書は読み解くものではない。開くことによって、相手の記憶を塗り替え、その内容を刻み込む。

 故に魔導書なのだ。

『「大賢者」のクラスレベルが〝Ⅱ〟になりました』

『スキルツリーの上限が開放されました』

 よし! ここからは一気にいく。

 俺は袋の中に溜めていた魔結晶を全て出す。

 それを俺に向かってくるミツムネとカブラザカに投げつけた。空中に拡散した魔結晶は暗い書庫の中で星のように瞬く。一方、俺の予想外の行動に、ミツムネとカブラザカは慌てふためいた。

 そんな二人に狙いを付けながら、俺は魔法を唱える。

〈魔法の刃〉+全体化!

 無数の青白い刃が、散らばった魔結晶に向かって行く。

 全ての魔結晶が細い刃でほぼ同時に射貫いた瞬間、『幻窓』が浮かび上がった。

『スキルポイントを獲得しました。スキルレベルを最大九つまで上げることができます』

『スキル[魔法]のレベルが19になりました』

『〈魔力増強〉を獲得しました』

『〈破魔の盾〉を獲得しました』

『〈歴泉の陣〉を獲得しました』

『〈収納〉を獲得しました』

 俺はスキルポイントを全て[魔法]に突っ込んだ。

 次の瞬間、闇が閃く。

〈あんこく〉

 ついにミツムネがギフトを俺に打ち込んでくる。

 デーブレエス伯爵の大量の愛蔵書があるにもかかわらずだ。

「遅い。何もかも遅い!」

〈破魔の盾〉!

 俺の前に魔力で作られた盾が現れると、〈あんこく〉の力を無効化する。

 この魔法は一度だけ魔力の攻撃から守ることができる。

 たとえ、ギフトだろうと無効化は可能だ。ただし一日一回しか使えないけどな。

「な! オレの〈あんこく〉が消されただと!」