第三部 第二話
『それでは決勝戦を始めます!』
昼から始まった剣闘試合は、決勝戦を迎えようとしていた。
幾度かの休憩と催しを挟んだことによって、闘技場内は夕暮れ時を迎えようとしている。
窓から赤い陽の光が差し込み、西から東に向かって巨大な影が伸びていた。明と暗──ちょうど闘技場を分かつように明るい場所と、陰になった場所が鮮明に浮き出ている。
『西の方角より、我らが領主様のご子息──ゼビルド・ル・デーブレエス!』
日陰の部分から現れたのは、ゼビルドである。
一回戦を危なげなく勝利し、二回戦ではミュシャに押されながらも、最後は逆転勝ち。さらに準決勝は不戦勝。運もある。始まる前の下馬評では決して高くないダークホース的な参加者だったが、今大会一番のラッキーボーイとして一定の人気を博していた。
だが、そのゼビルド以上の人気を獲得した参加者がいる。
『東の方角にご注目ください。今大会最年少参加者──ミィミ・キーーーーナァァァアアア!!」
赤い耳、赤い尻尾。降り注ぐ夕陽の光の中から生まれたかのようにミィミが現れる。
同時に大歓声が上がった。ミィミとシュプレヒコールが上がり、小さな闘士の登場を歓迎する。
可愛いらしい容姿もさることながら、その戦績も観客を熱狂させるに十分なものだった。
全試合、瞬殺。いまだに一太刀も入れられていない。
赤い超新星は、完全に観客の心を鷲掴みにしていた。
名乗りが終わり、審判のロードルによる説明がなされる。
両者とも互いを睨んでいたが、表情は対照的だ。
ゼビルドは歯茎まで剥き出して笑えば、ミィミは野犬のように低く唸る。
離れるようにと胸を押されると、二人は大人しく従った。
ロードルは観覧席のほうを見る。そこには十人以上の皇軍の兵士がガッチリと天幕を囲んでいた。
中には、戻ってきたばかりの皇帝陛下とデーブレエス伯爵、さらに特別招待されたルーラタリア王国王女ラーラも着席している。
おもむろに皇帝陛下は立ち上がり、最終戦が始まる闘技場に向かって叫んだ。
「はじめぃ!」
号令とともに、飛び出したのはミィミだった。
対するゼビルドは何もしない。手をぶらりと垂れ、ほぼ無気力な状態だ。
そこにミィミの剣が唸る。だが、ゼビルドはピクリとも動かなかった。
ただし、その目は笑っている。
「────ッ!」
ミィミは突然剣を引き、後ろに下がった。不可解な動きに、観客たちがざわつく。瞬殺劇を期待していたのに、ミィミがわざと戦いを中断したように見えたからだ。
後ろに下がったミィミを、ゼビルドが猛追する。
反転攻勢に出ると、思いっきり大曲剣を振り下ろした。
ミィミはかろうじて双剣をクロスさせて、その振り下ろされた剣を受け止める。
互いの顔が接近する中で、先にミィミが口を開いた。
「お前、きらい!」
「心配するなよ、犬っころ。最初ぐらいは付き合ってやる。観客の目もあるからな。けどよ。もしオレ様に当てやがったら、あのミュシャって女は一生助からねぇぞ」
ゼビルドの言葉を聞いて、ミィミの動きが止まった。
その瞬間をゼビルドは見逃さず、ミィミのがら空きになった腹に蹴りを入れる。
思いも寄らない一撃に、ミィミの顔が初めて苦痛に歪んだ。
強烈な一撃をまともに受け、激しく咳き込みながら、ミィミは立ち上がる。
それを見て、ゼビルドは声を上げて笑った。
「フハハハハ! さあ、虐殺ショーの始まりだ!」
◆◇◆◇◆
闘技場から一際大きな歓声が聞こえる。決勝戦が始まったのだろう。
今頃、ミィミがどんな仕打ちを受けているか考えると、後ろ髪を引かれる思いはある。しかし、これはミィミ自身の望んだことだ。その痛みと、覚悟を無駄にしないためにも、解毒薬を見つける必要がある。
幸い、デーブレエス邸を囲んでいた皇軍は闘技場のほうに移動した。
まだデーブレエス伯爵が抱える私兵が残っているが、俺にはスキル〈霧隠れ〉がある。その有用性は、先のクエストで何体もの魔獣を葬ったことからも明らかだ。
楽々と敷地内に侵入し、真っ直ぐ屋敷を目指す。
すると、足音と動物の鳴き声が聞こえた。
犬だ。敷地内に放たれていた番犬が、〈霧隠れ〉によって姿を隠した俺のほうに近づいてくる。
有用は撤回かもな。いくら〈霧隠れ〉でも犬の鼻を騙すことは難しいらしい。
こういうときの対処法もちゃんと考えているけどな。
俺は懐からあるアイテムを取り出す。
「いぬ~まっしぐら~(の○代風)」
あらかじめ用意していたドライフードを庭に撒く。
普通の番犬は、主人が与えた食べ物以外口にしないようしつけられている。だが、この『いぬまっしぐら』は、そんな調教されている番犬でも食べてしまう。まさに「犬まっしぐら」なペットフードなのである。
案の定、番犬は俺の『いぬまっしぐら』に飛びついた。
貪るように食べ始めた途端に動きを止めてしまう。そのまま横倒しになって、寝てしまった。
犬には悪いが睡眠薬を入れておいたのだ。
「それにしても珍しい犬種だな。ドーベルマンよりも大きいし。見たことがない。ん、待てよ。こいつ、もしかして────」
◆◇◆◇◆
番犬たちを黙らせた後、俺は屋敷の中に入っていく。
「随分と静かだな」
邸内を管理する家臣や給仕がいてもおかしくないのだが、人の気配はまるでない。
さっきまで皇帝という面倒くさい客人がいたのだ。もっとばたついていてもおかしくない。
「なのに、この静けさ……。やはり罠か」
引き続き薬を探すため、俺は廊下を進む。角を曲がった瞬間、電流のようなものが走った。
罠だ。だが、攻撃性のあるものじゃない。事実、俺はダメージを負っていなかった。
しかし、身体を覆っていた〈霧隠れ〉の効果が消える。
俺の身体が、そばの窓硝子に映り込んだ。
「いるんだろ、そこに……」
「おや。バレていましたか。なかなか勘が鋭いお方ですねぇ」
現れたのは、ひょろっとした中年の男だった。
黒のマッシュルームカットに、黒い瞳。緑のマントを胸の前で留めた男は、同じ緑のグローブをした手を上げて、こちらにゆっくりと近づいてくる。
「あんた、誰だ?」
「私兵ですよ。デーブレエス伯爵に雇われたね」
「その割には派手な恰好をしているじゃないか?」
「もしかして、緑のことを言ってます? わたくしは好きなんですがね。みんな、地味って言いますけど、そこがいいんです。わたくしはあなたと違って、注目されるのが苦手でね。ほら、戦隊ものでグリーンって、一番印象に残らないでしょ?」
「……あんた、もしかして日本人か?」
「あ。しまった。ずる──」
先に動いたのは、俺のほうだった。
〈貪亀の呪い〉
男は懐に手を伸ばしたが、その前に俺の〈貪亀の呪い〉にかかる。
動きが減速したのを確認した後、俺はさらに〈貪亀の呪い〉を二回かけた。
男の動きがゆっくりというより、ほぼ動かなくなる。
この機を逃す手はない。一気に必勝パターンに持っていく。
〈菌毒の槍〉
トドメとばかりに、男の胸に突き刺した。
肩に直撃させる。傷はあまり深くないものの、みるみる男の顔色が悪くなっていった。
「ちょ、ちょっと……ず、ずるくないですか? 会話をしてる最中ですよ」
「状況的に、敵地にいる俺のほうが不利だからな。先手を打たせてもらった。……そもそもベラベラと聞いてもいないことを喋ったのはあんただろ」
男は血を吐き、ついには
〈菌毒の槍〉の毒は容赦なく、男の身体を蝕んでいく。本来魔獣相手に使用する魔法だ。ラウンドタートルのような巨大魔獣だろうと、三十分以内には絶命する。人間であれば、五分と保たない。
「あんたが【薬師】だな」
「なぜ、そう思われるんです?」
「ミュシャに使われていた毒は、ジオラントのあらゆる解毒方法を受け付けなかった。考えられる可能性は、ジオラントにない毒。たとえば、人工毒だ」
「有名どころでは、青酸カリや、サリンといったところですか。……でも、どうやって作るんです? 粗悪品ならまだしも、純粋なものを合成するには大きな装置が必要ですよ」
「ギフトを使ったんだろ? つまり、あんたも勇者の一人というわけだ」
「なるほど。……思ったより、簡単にバレてしまいましたね。一本とられてしまいました」
「薬を渡せ。そうすればあんたの毒の状態を解いてやる」
「その必要はありませんよ」
男はスッと立ち上がる。何事もなかったようにだ。
俺はすかさず〈菌毒の槍〉を打ち込む。男は仰け反ったがすぐに体勢を整えた。
しかも打ち込んだ傷がみるみる回復していく。毒も回った様子はない。
「仰る通り、わたくしのクラスは【薬師】です。ならわかるでしょ。わたくしに毒の攻撃なんて通じませんよ」
「じゃあ、これならどうだ?」
俺は手をかざす。
〈魔法の刃〉!
無数の青白い刃が男に向かって殺到する。
捉えたと思ったが、男は緩やかに身体を動かし、刃を回避した。
「〈貪亀の呪い〉は効いてるはずなのに」
「動きを遅くする魔法なんでしょ。なら、それより速く動けばいいじゃないですか? 歯の裏に仕込んでいるちょっと危ない筋力増強剤みたいものを飲めば、問題ないですよ」
さすがは【薬師】か。俺も薬に詳しいほうだが、向こうのほうが一枚上手らしい。
俺は腰に差した刀を抜く。こうなれば、接近戦で圧倒するしかない。
一気に間合いを詰めようとした瞬間、俺は足を滑らせた。
ちょっと足がもつれただけだと思い、慌てず立ち上がろうとする。
だが、今度は手に持っていた刀を落としてしまった。視界も二重に見え、指先の感覚がみるみるなくなっていく。動悸も激しい。刀を握るどころか、立っているのも難しくなり、いつしか俺は屋敷の廊下に這いつくばっていた。
「今さら逃げようとしてもだめですよ。そもそも【薬師】がいるってわかっていて、よく来ましたね。それも毒が霧散しやすい屋外ならまだしも、室内に飛び込んでくるなんて」
「な、ん……だ……と……」
うまく舌が動かない。息をすることすら、困難だった。
何度深呼吸しても、肺に空気が入った感覚がまるでしない。
そんな這いつくばるしかない俺を見下ろした男は、俺に向かって深々と頭を下げた。
「まだ名乗っていませんでしたね、ミスターブラック。わたくしはマサト・カブラザカと申します」
「おまえ…………やはり、日本……じん…………」
「ご同郷でしたか、ミスターブラック。名前のセンスからもしやと思いましたがね。あなた、ハズレ勇者でしょ? 隠さなくてもいいですよ。わたくしも別の意味で似たようなものですし」
別の意味で……? 待てよ、マサト・カブラザカ。
「お、おまえ……。たしか薬剤師の…………、薬を……横流し…………して」
「おや。そこまでわたくしを知っているとは? もしかして、わたくしのファンだったりします?」
鏑坂將十……。覚えている。
三、四年前、薬剤師という立場ながら、薬局の薬剤をダークサイトに横流しし、多額の金銭を受け取っていたという小悪党だ。それがバレて、海外へ逃亡。その後も海外で仕入れた薬をダークサイトで売りさばいたりして、生計を立てていたことが警察の捜査でわかっている。
確か病院の医師をしている父親を殺した容疑でも手配がかかっていたはずだ。
その後、行方がわからなくなったというが、まさか異世界にいるなんて。
「自己紹介する手間が省けてしまったのはいいことですが、話すことがなくなってしまいました。強いて言うなら、死んでくださいませんか?」
「くそ!」
俺は魔法〈小回復〉を使う。さらに中級回復薬を飲んだ。
少しだけ身体が楽になったが、症状が多少緩和されたにすぎない。
「無駄ですよ。さっきあなたが言ったんですよ。ジオラントにはない人工毒が使われているって。わたくしのギフト『くすり』はあらゆる毒を作れる。青酸カリでも、サリンでも、もちろん人類がまだ経験したことのない特殊な毒も……」
「人類が……経験した…………ない?」
「無味無臭で、一旦症状が発症すれば、長く苦しみ、その末に亡くなるとかね。わたくしはね。自分の理想の毒を作ることができるんですよ。まさにわたくしに打って付けの『
「毒……じゃ、なくて…………薬、の……まちがい、だろ?」
「よく言うでしょ。薬と毒は表と裏。表裏一体なんですよ。ああ。それにしてもいい顔になってきましたね。過度の発汗に、瞳孔の異常収縮……。唾液が止まらないようですねぇ。だらしなく、垂れ下がっていますよぉ。血圧どうですか? 吐き気は? あははははは! なんだか診察しているみたいですねぇ。昔を思い出しますよ」
随分とよく喋る。さっきは話すことがなくなったとか言ってたくせに。
ともかくここにいてはだめだ……。どんな毒かは知らないが……。一旦外に……。
いや、待て。外に行っても勝ち目はない。毒が消せるかなんて保証はないんだ。
なら戦うしかない。しかし、どうやって。
今のところカブラザカに有効な攻撃手段はない。〈菌毒の槍〉は通じないし、身体も思うように動かないのでは刀も振れない。〈魔法の刃〉は当たる気がしない。
やはりこの毒をなんとかしなければ……。
俺はとにかくカブラザカから距離を取ろうとする。廊下の角まで来たとき、俺は息を呑んだ。
廊下にデーブレエス伯爵の家臣と思われる人物たちが倒れていたのだ。
「まさか……。死ん…………でる?」
「いいですねぇ! いい! その顔ですよ、ミスターブラック!」
振り返ると、カブラザカの表情が一変していた。さっきまで笑っていても、どこか無気力な感じがしたのに、今は若い才能を見つけた教師のように活き活きとしている。
「わたくしはねぇ、ミスターブラック。潜水艦の映画が好きなんですよ」
「潜……水…………か……?」
「サブマリン映画の最後は、主人公が乗る潜水艦がピンチに陥るというものです。敵の魚雷の攻撃を受け、隔壁に穴が開き、水が容赦なく入ってくる。仕方なく隔壁を閉じるのですが、分厚い窓の外にはまだ船員が……。それを窓越しで見送るしかない主人公。仲間の船員は海水を飲みながら、助けてくれ、と叫ぶ。そう。今のあなたの顔がまさにそれです。絶望に顔を歪ませ、それでも何か一つの希望にすがって、最後まで悪あがきしようとしている。わたくしはねぇ。そんな人間の顔を見るのが大好きなんですよ!」
何か一つの希望か……。
そう。希望ならある。細い糸のような希望だが、今はそれに頼るしかない。
俺は道具袋から、〈薬の知識〉で作った煙玉を取り出し、地面に投げつけた。
煙が廊下いっぱいに広がり、俺とカブラザカの姿を隠す。
「ごほっ! ごほっ! 古典的な手を使いますね。なるほど。洋画ではなく時代劇派でしたか、そのなりで。でも、楽しみですねぇ。あなたがどんな希望を見つけ、そして絶望するのか。わたくしはとても楽しみですよ、ミスターブラック!」
カブラザカの笑い声は、まるで壊れたバイオリンが鳴るようだった。
俺は再び〈霧隠れ〉を使い、身を隠す。罠に最新の注意を払いつつ、鉛のように重たくなった身体を引きずりながら、屋敷の奥へと進む。
そこにはまだ、絶望しかなかった。