だが、それで十分だ。

 ギィン!

 たび、その音は闘技場に響く。

「はあ?」

 声なんて上げてる場合じゃないぞ。もう俺はお前の懐に飛び込んでいるのだからな。

 すかさず俺は刀を薙ぐ。だが〈暗黒面〉で上昇した身体能力は伊達だてじゃない。ミツムネは身体をねじるようにして、後ろに回避する。体勢が整う前に、無理矢理躱したからだろう。つるっと足を取られると、ミツムネはスッ転んでしまった。

 すると、観客席からぷっと笑いが漏れる。

「誰だ! 今、笑った奴!!

 ミツムネは観客席のほうを振り返り、ケダモノのように叫んだ。

 観客席は再び静まり返ったが、妙な空気感は変わらない。

 相手を圧倒すると思われていた勇者が苦戦する姿を見て、観客は白け始めていた。

「くそ! くそ! くそくそくそくそくそぉおおおおおおお!」

 ミツムネはすぐさま立ち上がる。

 構えを変えた。おそらくスキルを使うつもりだ。

「食らえ! 仮面野郎!!

〈死連斬〉!!

 相手の右手、左手、両足、そして首を同時に狙った四種の斬撃。

 初撃でこれを躱すのは難しい。ただし、俺はこのスキルを知っている。

 その攻略法も……。

 ギィンッ!!

 キレたミツムネが人気と形勢を逆転させるために放った一手は呆気なく跳ね返された。

 スキルによる攻撃は、使用者の身体をフルに使う。

 それを弾かれた場合、ノックバックはかなり激しいものになる。

 今度ばかりは身体能力だけで修正することは不可能だ。

 対する俺は少し余裕を持って、間合いを支配する。左肩に向かって刀を振り下ろした。

 硬く引き締められた刀は、あっさりとミツムネが纏っていた黒の鎧を切り裂く。

 やがて刃の先は、肩の肉と骨に到達した。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 ミツムネの悲鳴が響く。

 両手剣を落とし、左肩を押さえて野生の猿みたいにのたうち回った。

「勝────!」

「まだじゃあ!」

 審判が勝負ありと言いかけたところで、待ったの声がかかる。

 ミツムネでもなければ、観客でもない。それは観客席の中段より少し上。特別観覧席から聞こえた。

 やや興奮気味に息を弾ませ、闘技場のほうを睨んでいたのは、皇帝だ。

「まだ終わっておらん。続けさせよ」

「その通りだ! クソがよ!」

 ミツムネは両手剣を握る。少し傷口の出血が少なくなっている。

 小賢しいな。おそらく審判が皇帝のほうに気を取られた一瞬の隙をついて、スキル〈暗黒の声〉を使ったのだろう。回復量は少ないが、痛みぐらいは和らげることができたはずである。

「オレはまだ負けてねぇぞ」

「いや、お前の負けだよ」

「なんだと!?

「底は知れた。お前の剣は俺には届かない、一生な」

「ふざけんな!」

 ミツムネはまた両手剣を振り回すが、弾かれてしまう。

 スキルも、身体能力も、武器の重さも、ミツムネが上だ。それは認める。

 それでも俺が難なく両手剣を弾けているのは、単なる技量の差だ。

 ミツムネの両手剣はどうしても振り回すのに溜めがいる。

 始点がゼロだとして、最高点が一〇〇だとする。その一〇〇になるまでの時間がかかりすぎるのだ。

 一〇〇までいけば、さすがの俺でも返すことは難しいが、振り下ろしの直後、あるいはまだ加速がかかっていない瞬間なら、悠々と弾き返すことができる。

 ミツムネの剣は我流。というか、全くのど素人だ。

 そもそも出どころはわかりやすい両手剣なんて振り下ろす、振り回すかの二択ぐらいしかない。

 身体の動き、目線を見れば、どこを狙っているかなど丸わかりなのだ。

 そして、相手の武器を弾くことができれば、当然俺は懐に入りやすい。

 ゆっくりと、確実に、ミツムネの間合いを侵略することができる!

「ギャアアアアアアアアアアア!」

 再び汚い悲鳴が響く。狙った場所は先ほどと一緒だ。

 左肩の傷口をさらに抉られ、ミツムネは再び剣を捨てて、もんどり打つ。

 完全に会場は冷めきっていた。それでもミツムネは諦めない。激しく息を切らしながら、床を転がってでも俺との距離を取ろうとする。根性だけは見上げたものだ。

「おい! 審判! おかしいだろ! スキルを使ったオレより、スキルを使ってないアイツのほうがなんで強いんだよ! ドーピング! ドーピングだ」

「それは────」

「そうだ。その者は何かおかしい! 何か違法な薬物に手を染めているに違いない!」

 ミツムネに援護射撃をしたのは、皇帝陛下だった。

 まるで叱責でもするかのように審判に向かって喚いている。

「ロードル! 何をしているか! さっさとその者を調べよ! 特にその仮面があやしい!」

「そうだ。オレは勇者だぞ! オレより強い奴なんているはずねぇ! お前らもそう思うだろ? オレが負けていいのかよ、お前ら!!

 ミツムネが観客をあおり立てる。

 しんと静まり返っていた観客たちが我に返ると、また声を上げ始めた。

 再び勇者、勇者という大合唱が響き、俺を調べるように要求する。

 皇帝にも勇者にも、そして観客からも請われ、タキシードを着た審判はついに動く。

 ゆっくりと近づいてくると、俺が着けていた仮面に手を伸ばそうとした。

「くくく……」

 不意に笑い声が響く。

 笑っていたのは俺だ。肩を揺らして、まだ闘技場の上に立って戦っている最中だというのに、腹の底からこみ上げてきた笑いを吐き出す。えられなくなって、ついに大声を上げてしまった。

「な、何がおかしいんだ、てめぇ」

「お前が言ったんだぞ?」

「はあ?」

「『自分のことは自分の力で解決しろ』。人に頼る行為を、お前は憎んでさえいたんじゃないのか?」

「…………っ!」

「それがどうだ? 皇帝に、審判に、そして観客をも巻き込んで俺を悪者にしようとしている。お前が『ダセぇ』と言ったことは、今お前自身がやっていることじゃないのか?」

「……ブラック…………黒…………お前、まさか!」

「もう一度言う。ダサいな、勇者様!」

「てめぇえええええ! ぶっ殺すぅぅううううううううう!!

 ミツムネが手を掲げると、黒い塊が現れた。

 ギフト『あんこく』。だが、その大きさは以前、俺に向かって放ったときとは別ものだった。

 おそらくギフトのレベルが上がっているのだろう。

 強烈な殺意の波動……。

 目の前に立って戦うものだけではなく、見ている観客にすら恐怖を与える代物だった。

 間違いなく〈あんこく〉は俺を指向している。俺の背後には観客がいて、ミィミもいる。

 観客がパニックになっていることは、聞こえてくる悲鳴でわかった。

 ギフト『あんこく』は禁止されている遠距離攻撃の部類に入る。

 放てば、間違いなくミツムネの失格負けだ。だが、今のミツムネに理性を求めることは酷かもしれない。今までカス呼ばわりしていた俺に、論破されてしまったのだからな。

「しねぇええええええええええ!!

 ギフト『あんこく』が今まさに発射されようとしていた。

「バカだなあ、あんた」

 俺はあっさりとミツムネの背後に回り込む。

 タンッ、と音を響かせ、その後ろ首に手刀を浴びせた。

 あっさりと意識の糸を断ち切られた勇者様は崩れ落ちる。黒い塊は自然消滅し、再び陽の光が燦々と闘技場全体に満ちていった。

 ミツムネはぴくりとも動かない。

 え? という意外な空気が満ちる中で、ロードルという審判の渋い声が響き渡った。

「そこまで。勝者ブラック・フィールド!」

 一瞬の静寂の後、波のような歓声が俺に押し寄せてきた。




「黙れ! こんなの無効試合だ!」

 大歓声の中で、一喝したのは皇帝陛下だった。

 目は血走り、真っ赤になった顔は今にも爆発してしまいそうだ。

 俺と言うよりは、審判のロードルのほうに人差し指を向け、皇帝は声を荒らげる。

「こんなことがあり得るか。そこにいるのは勇者。導きの星5にして、最強のギフトを持つ勇者だぞ。それがどこの馬の骨ともわからぬ男に負けてたまるか」

「恐れながら、陛下。この通り勇者殿は完全に気を失っておられる。このまま続行することは不可能かと」

「だったら────」

「加えて、勇者殿は反則を犯そうとしました。結果的にブラック殿によって回避されましたが、仮にあのギフトが放たれていれば、多くの死傷者が出ていたのは必定。ブラック殿が何か不正をしていたというなら、その前に明らかに反則を犯そうとした勇者殿を罰するべきです」

「ろ、ロードル! 貴様!」

 己の言うことに異議を唱え、またその理をまくし立てる家臣に対して、皇帝陛下の怒りは益々膨れ上がっていく。いよいよ陛下がキレるとなったとき、観覧席に小石が投げ入れられた。

 幸い天幕にいた皇帝陛下に当たることはなかったが、あと半歩天幕から出ていれば、頭に当たっていただろう。

「だ、誰だ、皇帝に向か────!」

「ふざけんな!」

 突如として皇帝陛下に暴言が浴びせられると、それをきっかけにして波のように広がっていった。

「何が勇者だ!!

「全然弱いじゃねぇか!」

「どうしてくれるんだよ! 全部勇者にツッコんだんだぞ!」

「金返せ!」

 皇帝陛下がいる天幕に向かって、石や物が投げつけられる。

 言ってみれば、「勇者」に賭けていた博徒たちの腹いせに近いものだった。それだけではない。勇者に対して期待し、その本性に絶望した者たちまでもが皇帝陛下に反抗の意志を見せる。

「あるじは悪くない! ミィミ、怒るよ!」

「そうだ! クロ──ブラック殿は何も不正などしていない」

 通路口のそばで、ミィミとミュシャも抗議の声を上げていた。

 いよいよ危機を察したのか、皇帝陛下は家臣たちを盾にして、天幕の奥に引っ込む。

 皇帝陛下の怒りの矛先はそばにいたデーブレエスに向けられた。

「デーブレエス! この者たちをどうにかせよ! いや、今すぐ首をねるのだ!」

「う、承りましたが、このままでは我が輩らの首のほうが刎ねられるのであーる」

「ならば早く我が皇軍を呼び戻せ! こいつらをころ────」

「情けないですこと」

「「え?」」

 皇帝陛下とデーブレエス伯爵の視線が急に声をかけた来賓に向けられる。

 それは皇帝陛下が特別に招いた少女だった。

 椅子の背もたれに身体を預けず、ピンと背筋を立てて観覧していた少女はすっと立ち上がる。

 華やかなドレスを揺らし、堂々と天幕から出てきた。

 その姿を見たとき、俺は思わず息を呑む。

「ラーラ?」

 すると、通路口のほうからミュシャの叫び声が聞こえてきた。

「あれはルーラタリア王国の姫君──歌姫ことラーラ殿下ではないか!」

 え? ルーラタリア? 姫君??

 いきなり暴走する観客の前に、ラーラが出てきたことには驚いたが、それが姫君なんて。

 しかも、これから向かう王国の……。

 観客も騒然としていた。天幕に隠れて今までわからなかったが、まさか隣国の姫君までいるとは誰も知らなかったのだ。

 観客の熱が冷めていく。その一瞬を見逃さず、金髪をなびかせながらラーラは歌い出した。

 持っていた竪琴を鳴らし、まるで子守歌を聞かせるように緩やかな旋律を奏でる。

 優しく、温かく、慈しみを抱いた歌は、それまで興奮状態にあった観衆の平常心を取り戻させるに十分な効果を秘めていた。美声を聞いて、口を押さえ、涙を流す観客までいる。

 観客だけじゃない。ラーラの歌は俺の心の深い部分にまで浸透していく。戦闘で昂ぶった身体と心を冷ましていった。

「クラス【吟遊詩人】……。〈鎮静の歌〉か」

 本来興奮した魔獣や魔物を抑えるために使うスキルだが、人間にも通じるか否かは見ての通りだ。

 しかし、ラーラの歌はその効果以上のものを感じさせる。本人の資質によるところもあるのだろう。歌声は観客の胸を突き、ささくれだった心を癒した。

「みなさん、失礼いたしました。剣闘試合はまだ始まったばかり。ここからさらに熱い戦いが繰り広げられますので、是非ご注目くださ~い」

 ラーラは全身を使って、みんなに手を振る。

 最後に彼女本来が持つ華やかな空気が、暴走気味だった観衆にトドメを刺した。

 ひとまず事なきを得たようだ。

 俺はホッと息を吐く。安心したのは俺だけじゃなさそうだ。

 天幕の奥で子ネズミのように震えていた皇帝陛下はようやく立ち上がった。

「ら、ラーラ姫。助かった。礼を言う」

「陛下にご無理を言って、観覧をご許可いただいた恩を返すことができましたわ」

「そ、そうだな。そなたの観覧を許可した余のけいがんの為せる技といったところか」

 皇帝陛下、全然懲りてないなあ。あんであることは前からわかっていたけど……。帝国も長くないかもしれない。本格的に危害を加えられる前に、早いところおさらばしたいものだ。

 そうしていると、皇軍たちが天幕にやってくる。それを見て、デーブレエスが声をかけた。

「陛下、皇軍が迎えにまいりました。今のうちに脱出したほうが良いのであーる」

「そ、そうだな。こんな危険な場所、一時とていられるものか」

 最後に吐き捨てると、そそくさと闘技場から退場していった。


「ブラック殿」

 一瞬、誰のことかわからず、反応が遅れる。

 偽名を付けたのは俺だが、どうもまだ名前に慣れていないらしい。

 振り返ると、あの審判が立っていた。小脇に勇者を抱えている。ミツムネは背が高く、体重だけでも八十キロ以上はあるはず。その上鎧まで着ているから、総重量でいえば、百キロは超えるというのに、それを片手で軽々と持ち上げていた。この審判、やはり只者ではないだろう。

「立場上、こういうことはあまり口にできないのですが……」

「え?」

「見事な戦いぶりでした。まるで『剣神』と戦っているような」

「それはまるで『剣神』と戦ったことがあるような言い方ですね」

「少々行き過ぎた言動でしたかな」

「いえ。……間違ってはいないと思いますよ」

 ロードルと呼ばれていた審判は眉尻を動かす。

 俺はそれ以上何も言わず、闘技場から退場した。


「あるじ~!」

 通路口に戻ってくると、ミィミがロケットみたいに抱きついてきた。飼い主の帰りを喜ぶわんこみたいに頬ずりし、尻尾をパタパタと振るって、俺の勝利を称えた。

「さすがあるじ! あるじ、強い! あるじ最強!!

「まだ初戦を突破しただけさ。でも、ありがとう、ミィミ」

「あるじなら絶対優勝できるよ。絶対!」

「おいおい。ゾンデさんに、絶対優勝するって約束したじゃないか? もう忘れたのか?」

「そっか。ミィミ、約束した。でも、あるじにも優勝してほしい。どうしよう、あるじ!? ミィミ、ピンチ!!

「じゃあ、二人で決勝へ行って、二人で優勝しよう」

「おお! それならあるじも優勝、ミィミも約束を破らずにすむ。あるじ、天才!」

 俺はミィミの頭を撫でてやる。身内ながらミィミはやはり可愛いな。

 千年前も可愛かったが、今世ではさらに拍車がかかっているような気がする。

「クロノ殿、私からもお祝いさせてくれ」

「ミュシャ、ありがとう」

「ちなみにこの者も、クロノ殿をお祝いしたいそうだ」

 そう言うと、彼女の陰からひょっこりと小さな女の子が現れた。

 今にも泣きそうな顔で、こちらを見ておどおどしている。

「アンジェ! 確か人混みが苦手とか言ってなかったか?」

「頑張って……その、来ましたのです。その……、刀のことが気になった、のです」

「おかげさまで勝てたよ。アンジェ、ありがとう」

 ミツムネに勝利した最大の功労者は、まさにアンジェとその刀だろう。

 今刀身を確認しても、刃こぼれ一つしていない。

 俺がアンジェに教えたといったが、作刀の工程だけで細かいノウハウはレクチャーしていない。なのに想定以上の性能が出ているというのは、アンジェの腕に他ならないだろう。短納期でここまで作り込んでくれた彼女には感謝しかなかった。

 俺はアンジェの頭を撫でる。

「ありがとな、アンジェ」

「あう……。だから、頭を撫でないでくださいのですぅ」

「あ。ごめん……。つい────」

 俺は慌てて手を引っ込めた。

 なんというか、アンジェの頭の位置って、ちょうど手を置きやすい位置にあるんだよな。

 あと、髪がすっごく柔らかくて、心地良い。

「次はミュシャで。その次がミィミだな」

「うん! 勝って、あるじと一緒に決勝に行く」

「おいおい。私を忘れてもらっては困るぞ」

「さ、三人とも頑張ってください!」

 その後、ミュシャは危なげなく勝ち上がり、いよいよ真打ちミィミの出番となった。


 ◆◇◆◇◆


 剣闘試合初戦で一時的にできた空気は、過去のものとなっていた。

 試合は白熱の展開を迎え、見応えのあるものになり、賭け事を忘れて熱狂する観衆も少なくない。

 さすが本戦まで勝ち上がってきた武芸者たちだけあって、レベルが高かった。

 そんな雰囲気の中で闘技場に立ったのは、ミィミだ。

 俺とミュシャ、そしてアンジェは通路口からその様子を見守る。

「クロノ殿の実力は、アンジェの鍛冶屋で見たときから知っていたが、ミィミが戦うところを見るのはこれが初めてだな。やはり強いのか?」

「強いぞ。一瞬の爆発力でいえば、時々俺をしのぐときがある」

「で、でででも、相手の人も強そうですぅ」

 ミィミの対戦相手が通路口から出てくる。

 現れたのは、真っ黒な毛に尻尾、頭にはピンと耳が立っていた。

 亜獣人だ。くろいぬ族か……。亜獣人の中では、膂力、スピードともにトップクラスを誇る一族だ。

 さらに上背もあり、腕もしなやかで長い。口から伸びる牙も気を付けたいポイントだ。

『西の通路からやってきたのは、黒狗族グリン・ダ・ファ男爵ぅぅううう!』

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 グリンは己を鼓舞するように遠吠えを響かせる。やる気満々のようだ。

 男爵かよ。亜獣人にしては珍しいな。よほどの功績を上げたか、金で買ったかのどちらかだろう。

『対するはミィィィイイミィィイイイイイイイ! なんと十二歳での参加! もちろん今大会最年少です。果たしてどんな戦いになるやら』

 二人は向かい合う。体格で言えば、大人と子どもの差があった。

 最初に仕掛けたのは男爵だ。まだ開始の合図は鳴っていない。ただその黒鼻をミィミに近づけ、すんすんと動かした。ミィミは無視していたが、グリン男爵の瞳が一際閃く。

「お前、奴隷だったろ?」

「…………ッ!」

「図星か。わかるんだよ。いくら取り繕おうとしても、お前らのドブ臭さは鼻につくのだ。ここはな。お前らみたいなドブネズミがくるところじゃない。便槽の上にでも座って、男のナニでもしゃぶってればいいんだよ」

「男……。ナニ……? ナニって何?」

「チッ! 所詮クソガキか」

「両者離れて」

 一触即発になりかけたが、審判のロードルが絶妙のタイミングで間に入る。

 少し遺恨の残る形になったが、両者は大人しく引き下がった。

 定位置につくと、ミィミは腰に差していた得物を豪快に抜く。

 両手に持った、ナイフよりも長く、ショートソードよりも短めの剣を見て、ミュシャは首を傾げた。

「双剣? 意外だな。ミィミはあの緋狼族と聞いた。ならその膂力を活かし、もっと重い武器を持たせると思ったが……。それこそリーチを補うような槍や両手剣なんかを」

「確かにミィミの馬鹿力は魅力的だな。でも、それじゃあミィミのもう一つの魅力を潰すことになる」

 ミィミが構えると、グリン男爵は腕を交錯させた。すると手から鉤のように歪んだ爪が伸びる。

 互いが構えたのを見計らい、ついに試合が始まった。

「はじめ!」

 飛び出したのは、グリン男爵だ。

「ひゃあああああ! たまらねぇ! こういう試合を待っていたんだ。剣闘試合に事故は付きものだからな。ちょっと首の根っこを引っかけて、思わずぶっとい動脈を切っても、それは事故だ、事故。それにお前みたいな汚物が死ねば、世のため人のためになるってもんだろ!」

 その目は赤く血走り、今にも昇天しそうなほどに興奮していた。

 すると、その気配が消える。

 スキル〈暗歩〉。クラスは【暗殺者】だけが持つ固有スキルだ。

 するとミュシャが突然立ち上がった。

「思い出した。あいつ、殺し屋男爵だ。予選会でも、二名の死傷者を出したれだぞ」

「ふぇえええ! なんでそんな人が出場しているんですか?」

「事故だと片付けられたらしいが、まさか本戦にまで出場してくるとは……」

 なるほど。事故と見せかけることができれば、人を殺しても罪に問われないか。

 大方、男爵という地位も似たような手口で得たのかもしれない。

「まずいのです! ミィミさんが危ないのです!」

「大丈夫だよ、アンジェ。なんの問題もない」

「クロ…………ブラックさん。────って、どさくさに紛れて撫でないでくださいです!」

 アンジェがポカポカと俺を殴る横で、闘技場での戦いは────。

 決していた。

 まるで空気の中に溶け込むように現れたグリン男爵を見つめていたのは、獣じみた少女の瞳だった。

 グリン男爵としては気配を殺し、完全に死角に入ったはずだ。

 なのに、ミィミはきっちりと反応していた。

「な、なんで私の姿を……。こうなったら!!

 グリン男爵は戦略を変える。

 今度はスキルを使わず、速さでミィミをかくらんするつもりらしい。

 さっきも言ったが亜獣人の中で、黒狗族はトップクラスの身体能力を持つ。

 ただしトップクラスであって、トップではない。さらに言えば、緋狼族は獣人でも亜獣人の中でも、トップオブトップの種族だ。

「あれ?」

 気が付けば、グリン男爵の前からミィミの姿が消えていた。

 一瞬ほうけるグリン男爵、しかし、戦いの最中にあって、その一瞬が命取りだった。

 すると、ポンと肩を叩かれる。

「鬼さん、捕まえた。今度はおじさんが鬼だよ」

「なっ! ま、待て! いつから鬼ごっこになった!」

「え? 違うの? ずっとおじさんが走ってるから、鬼ごっこをしてるのかなって」

「バカな! ここは戦場だぞ!! 舐めてるのか!!

「そっか……。忘れてた。ミィミ、戦わないと」

「はっ?」

「じゃ、行くね。おじさん」

 ジャキッ!!

 無数の剣閃が孤を描く。

 ミィミを切り刻もうと思っていたグリン男爵が、逆に切り刻まれていった。

 もちろんミィミは男爵を傷付けたりしない。

 その代わり、雄々しい黒毛ははげ山同然となり、代わりに真っ白な肌が露出する。

 殺し屋男爵の威厳が、地の底まで落ちた瞬間だった。

 いきなり体毛を刈られ、ハゲワシみたいになったグリン男爵は呆然とする。

 しかし、その首謀者は一切悪びれることなく、無警戒に顔を近づけた。

「あのね、犬さん。最初に言おうと思ってたんだけどね」

「な、なんですか?」

「ミィミはね。ネズミじゃないよ。狼だよ」

 ミィミは首を傾げ、無邪気に笑う。

 敵を敵としていない態度に、グリン男爵は強者の香りを嗅いだに違いない。

 ついには悲鳴を上げ、慌てて演武台から降りていった。

「あっ! ちょっと待って! ナニってなんなの? 教えてほしかったのに。ぶぅー」

 ミィミが引き留めるも、男爵は無視して西の通路口に消えていく。

 オッズではグリン男爵のほうが高かったようだが、観衆たちは愉快げに笑い、小さな闘士の健闘を称えるのだった。


「お疲れ、ミィミ」

 俺はミィミとグータッチを交わす。

 本人は困惑した表情だった。実力の一割も出さなかったのだから仕方ない。

「あれで良かった、あるじ?」

「よくやった、ミィミ。初戦突破だ。おめでとう」

「えへへへ……。あるじに褒められた。ところであるじ……。男のナニって、何?」

「ん? そ、それはだな?」

「男のナニをしゃぶるとどうなるの? あるじも嬉しい?」

「ちょちょちょ、ちょっと待て。ミィミ、落ち着け。それはそのセンシティブというか」

「せんしてぃぶ?」

「あ、いや……。と、ともかくミィミが知るにはまだ早い。そ、そういうのは大人になってから」

「ミィミが大人になったら、教えてくれる?」

「も、もちろんだ」

「じゃあ、大人になったら。ナニのことを教えてね」

 ミィミは表情を輝かせながら微笑む。守りたいこの笑顔。

 親心としては、一生〝ナニ〟の意味を知らずに育ってほしい。

 ミィミと他愛のないやりとりをしていると、そこにミュシャがやってきた。

「あはははは……。ミィミはうぶいな。殺し屋男爵を一蹴した強者とはとても思えん」

「笑いごとじゃないぞ、ミュシャ」

「そういう教育をするのも、雇い主の務めだぞ、クロノ殿。それにしても見事な戦いだった。なるほど。ミィミのスピードを生かす戦術に出たということか」

 リーチを埋めることも重要だが、俺はミィミの素材を生かすことにした。重い武器を持つと、ミィミのスピードが殺されてしまう。むしろ軽い武器を持って、動き回れる戦術を採用することにした。

 結果、それがうまくはまり、初戦を圧倒する技量を得たというわけだ。

「これは思っていたよりも強敵だな。私もうかうかしてられない。ミィミ対策をせねば、優勝は少々難しいかもしれぬ」

「その前に俺と当たることを忘れてないか、ミュシャ」

「おっと! そうだったな。ならば次も勝って、準決勝で相まみえることとしようぞ、クロノ殿」

「ああ!」

 コツンと俺とミュシャは互いの拳をぶつける。

 それぞれの方向へと別れ、次の戦いに備えるのだった。


 ◆◇◆◇◆


 一時的に試合運営をラーラ姫と審判のロードルに任せ、皇帝陛下とデーブレエス伯爵は近くにある伯爵邸に避難していた。ひとまず安全は確保されたわけだが、皇帝陛下の表情は優れない。

 それを気まずそうに見ていたのは、デーブレエス伯爵である。

 皇帝陛下の気分が落ち着くようにと最高級の茶葉を出してはみたものの、全く口を付けてくれない。ただただ紅茶が冷めていくのを眺めていることしかできなかった。

「おのれ! 余に恥を掻かせおって! あのれ者が!」

 唐突に皇帝陛下は癇癪を起こし、目の前の紅茶がのったテーブルをひっくり返す。

 デーブレエス伯爵は思わず「ひっ!」と悲鳴を上げた。

 怒りの矛先が向けられたのは、無様に負けた勇者ではなく、ブラックに対してであった。

 ちなみにブラックに敗れたミツムネは治療を受け、今はこの屋敷の客間で寝ている。

「デーブレエス!!

「は、はい! はいであーる!」

「あのブラックとかいうふざけた奴を優勝させてはならぬ。場合によっては殺してもかまわん」

「こ、殺して……であーるか?」

「そうだ! どんな手を使ってでもいい。奴を殺せ!」

「人を殺せ」という明確な指示に、デーブレエス伯爵は息を呑む。

 だが、それも一瞬のことだ。次第にデーブレエスの顔は醜悪に歪んでいった。

「陛下、もしあのブラックを止める者が現れた暁には……」

「良かろう。望みのものを与えてやる」

 デーブレエス伯爵の口が裂ける。

 呪われた人形のように笑うと、伯爵閣下は恭しく頭を下げた。


 デーブレエス伯爵は自分の執務室に戻ってきた。

 客間でのやり取りを話すと、それを聞いた息子ゼビルドは飛び上がる。

「やったぜ! オレ様もこれで近衛兵、近衛兵長にだってなれるぞ」

「愚かな息子だな。なんなら、ロイヤルファミリーにすら我らはなれるかもしれないのであーる」

「とにかくこんな田舎におさらばできれば、オレ様はなんだっていい」

 ゼビルドは俄然やる気をみなぎらせる。

 一方、デーブレエス伯爵は執務室にいるもう一人のほうに視線を投げかけた。

 勇者カブラザカと名乗るゼビルドの師匠である。

 異世界人であることは間違いないのだが、デーブレエスもゼビルドも彼の詳しい出自は知らない。

 どうやらティフディリア帝国ではなく、他国で勇者召喚された者らしく、皇帝も知らない様子だった。本人は組織に属すことを好まず、こうやって用心棒まがいのことをして、ジオラントのあちこちを回っているらしい。

「先生、よろしくお願いするであーる」

「計画の変更はないということですな。よろしい。なら、既に手は打ってあります」

 カブラザカは数枚の紙を差し出す。

 そこには参加者の名前と、人相がスキルによって描かれていた。

 大会に参加するための願書だ。

 ブラック、ミィミ、さらにミュシャの願書が見てとれる。

「候補でいうと、この三人でしょうな。そうですな。と言っても、ブラック当人は狙うのは難しいでしょう。そうなると、残りは二人。……まずは手始めに、この女からにしますか」

 カブラザカは懐から取り出した小瓶を、そっとミュシャの人相書きの上に置く。

 それを見て笑ったのは、デーブレエス伯爵だった。

「ブラック、残念だったな。お前に賞金も、我が輩の大事なコレクションも渡さない。優勝するのは我が息子ゼビルドであーる。ぐひっ……。ぐひひひひひひひ!」

 奇妙な笑い声を上げ、デーブレエスは丸い身体を震わせるのであった。


 ◆◇◆◇◆


 二回戦が始まった。

 俺は二回戦も圧勝し、続けて二回戦第二試合『ミュシャvsゼビルド』が始まろうとしていた。

 勝った方が俺の対戦相手となるためか、ミュシャは随分と気合いが入っていた。よっぽど俺と一対一で戦いたいらしい。

 対するゼビルドのクラスはおそらく【剣闘士】。攻撃と体力に優れた前衛向きのクラスだ。

 恵まれた体格をしていて、決して楽な相手ではない。

「はじめ!」

 開始の号令がかかり、その緒戦────。

 ゼビルドの肉弾攻撃に最初ミュシャは面食らったようだが、戦術を変えて相手の攻撃をうまく捌き始めると、徐々にペースを取り戻していった。ミュシャの鋭い打ち込みに、ゼビルドの腰が引けると形勢は逆転する。

 俺とミツムネが戦ったときと似たような展開になってきた。

 ゼビルドもミツムネと同じく、クラスや体格に恵まれていても、技量がまるで足りていないのだ。力不足は否めず、ミュシャに剣筋を読まれてパニックを起こすと、ついには無茶苦茶に大曲剣を振り回し始めた。

 対戦相手が興奮しても、ミュシャは冷静に回避していく。

 ゼビルドに疲れが見えるや否や、ミュシャは燃え上がった炎のように反撃に転じる。

 連続攻撃も決まって、勝負ありかと見られた瞬間、膝を突いたのはミュシャのほうだった。

「なんだ……」

 俺には何か疲れのようなものが出たのかと思った。

 様子がおかしいと感じたのは、ゼビルドが立ち上がってからだ。

 下品な笑い声を上げながら、ゆらりとミュシャに近づいていく。大曲剣の腹で軽く己の肩を叩きながら、膝を突いたミュシャを見下ろした。

「どうした、ねーちゃん。さっきまでの威勢は?」

 ゼビルドはサッカーボールキックでミュシャの鳩尾を蹴り上げる。

 ミュシャはかろうじて防御したが、衝撃を殺すまでには至らない。

 難なく吹き飛ばされたミュシャは、闘技場を囲う壁に叩きつけられた。

「あるじ、ミュシャおかしいよ。ミュシャ、どうしたの?」

 突然動きが悪くなったミュシャを見て、ミィミは戸惑う。

 やっぱりおかしい。スキル? 魔法? いや、ずっと見ていたがゼビルドにそんな素振りはなかった。考えられるとすれば……。

「毒か」

 まず怪しいのは、ゼビルドが持っている大曲剣だ。しかしミュシャはすべての攻撃を剣や武具で受けていた。それは肉体接触による攻撃にも同じことが言える。ならば、仮にミュシャが今、毒に冒されているとすれば、この闘技場に入る前に盛られていたということになる。

 遅効性の毒なんていくらでも考えられるが、今それを調べても意味のないことだ。

「ミュシャ! 降参だ! 試合を放棄しろ」