幕間『深層の妖精伝説』



 地下四五層。

 シダによく似た、しかしその大きさは数十メートルクラスの巨木が日差しを遮る。気温も湿度も高い。濃厚な土の匂いが漂っていた。

 カスタネットを連打したような、不気味な鳥の声が響く。樹上性のモンスターが枝葉を揺らし、針のような葉がぱらぱらと降り注いだ。

「暑すぎる。長時間の行動は無理だ」

「対偵察ドローン迷彩シート、脱いでもいいんじゃないか?」

「流石にな。生物の気配が多い。他国の勢力がいるとは考えづらいな」

 巨木の幹に身を預けていた二人の男が、深緑色のポンチョを脱いだ。

 迷彩の戦闘服を着込み、顔には緑色のドーランを塗りたくっている。その手には、銃身下部にグレネードランチャーを取り付けたアサルトライフルを持っていた。

 彼らはダンジョン内を偵察する自衛隊員だ。地下三〇層に建設した前哨基地の次を造るべく、危険な深層を少数精鋭で探索していた。

「なんでこんなところまで行かされてるんだか。海外の軍隊が侵攻するなら、見通しのいい二〇層あたりを通ってくるだろうに。わざわざ四五層を移動してくるなんて、隣国にハンニバルでもいなきゃ有り得ねえよ」

 片方の隊員がぼやいた。

「言うな。一応、録画録音されているんだからな。それに、何階層まで拠点を設営出来るかで、我が国の立ち位置が変わるんだ」

 二人仲良く肩をすくめる。

 各国がダンジョンに軍隊を派遣するのには、幾つもの理由があった。

 まず、ダンジョンを経由しての侵攻に備えるため。

 ダンジョンからモンスターが出てこないように、警戒するのは当然のこと。だが国はモンスター以上に、同じ人間を警戒していた。

 謎の多いダンジョンだが、今のところ『全世界のダンジョン出入り口は、同じダンジョンに繋がっている』という説が有力だ。もし十分な物資に体力、それと戦闘力があるならば、ダンジョンを歩いて日本からアメリカに行くことだって出来る。

 隣国から陸軍が直接やってくることを恐れていた。

 次に、希少な資源や魔法文化を獲得するため。安全に企業や大学が調査できる範囲を広げることは、国力の強化に繋がる。

 そして最後は、国力を誇示するため。

 モンスターという分かりやすい脅威で、かつ殺してもいい相手が現れたことで、戦争をせずに、各国はそれぞれの軍隊の強さを示せるようになったのだ。

「戦車と対空自走砲持って来て、適当にドローン飛ばせば済むだろ」

「それが出来るのは、兵隊が自前でブーツを買わなくてもいい国だけだぞ」

 彼らはお互いの格好を見て苦笑いした。ぱっと見はほとんど同じ服装。だが、下着にブーツ、手袋、果てはライフルのスコープまで自腹で購入したものを使っている。ドローンに積んでいる荷物にも、私物がたくさん詰まっていた。

 もちろん、必要最低限のものは支給される。だが、使い勝手が悪く、体を消耗させるそれらを、過酷で命懸けなダンジョン探索で使う気にはなれなかった。

 ガサリ。遠くで葉の擦れる音がした。二人とも表情を引き締め、無言で頷く。

 片方が音の方向に双眼鏡を向け、もう片方が背後を警戒。音の正体は見えない。

 薄暗い樹冠の下を、さらに濃い影が通り過ぎていった。二人には木の葉で遮られて見えないが、おそらくは、大空を飛竜が飛んで行ったのだろう。相変わらず、鳥が不気味な声で鳴いている。

 二人の頬を冷や汗が伝った。浅くなりそうになる呼吸を、意志の力で抑え込む。

 音の正体が、ゆっくりとシダの陰から身を現した。

 全裸の男だった。鍛え抜かれた体に、まるで月面のクレーターのように、無数の傷痕が刻まれている。ぼうぼうに伸びた髪と髭が固まり、薄汚れたスチールウールのようだった。

 全裸の男は獣じみた眼差しで、周囲を見回す。猫背で首ごと回す仕草は、まるで恐竜のようだった。地面に指を伸ばし、土を掬ってぺろりと舐める。口をもごもご動かしてから、眉をひそめて吐き出した。

「なんだあいつは……」

 隊員はうめいた。何から何まで理解不能だった。

「どうした、何がいた?」

 お互いに小声でささやく。

「全裸の男が土を食べている」

「は?」

 背後を警戒していた隊員が、双眼鏡をひったくる。

「マジかよ」

「マジだよ」

 二人は顔を見合わせた。こんな階層に、半裸の人間がいるなど有り得ないからだ。

「追跡するか?」

「邦人の可能性がある。声をかけよう」

 二人は油断なく、安全装置を外したライフルを構えながら、全裸の男に近づいていく。

 かなりの距離が開いているというのに、全裸の男と目があった。男は野生のウサギに似た機敏さで、飛び跳ねるようにジャングルの奥へと逃げ出した。

「逃げた!」

「追うぞ!」

 そんな隊員たちの耳に、大木をへし折る音が聞こえた。超大型のモンスター、それも竜が接近している兆しだ。

「……くそ、撤退だ」

「わけがわからん。とりあえず上の判断を仰がなければ」

「最悪だ。ドローンのカメラに映っていなければ、俺らが病院送りだろうな」


 地下四五層を偵察した隊員からの報告は市ヶ谷を揺るがした。

 やれ海外勢力の隊から落伍した遭難者だ、やれサル系統の新種のモンスターだ、やれ妖精種モンスターの見間違えだ、などと様々な意見が飛び交った。

 カメラは不鮮明な映像しか捉えられておらず、ハッキリ人間とは認められなかったのだ。動きや移動の仕方が人間離れしており、余計に混乱を招いていた。

 それらの情報が断片的に漏れ出して混ざり、一つのあいまいろんな噂に姿を変える。

『ダンジョンの深層には、全裸マッチョのおじさんが住み着いている』

 というものだ。この噂は世間にも広がり、ちょっとしたネットミームにもなった。



 地下二一層。

 俺はスイ達と並んで歩きながら、だらだらとスケルトンをしばいていた。ツヴァイハンダーの一振りで、骨が砕けて崩れ落ちる。

「重量武器持ったらスケルトンくっそ楽だな。ブンしてポンだ」

「そんな、キッチン家電じゃないんだから」

 お、このスケルトンは金の指輪してるな。ツイてるぜ。剥ぎ取って、呆れた顔をしているスイに見せつけた。

「儲けたな。んなもん着けてるなんて、こいつら元は人間だったのかね」

「でも生きてるダンジョン人間いなくない?」

「まぁ、人間に似た妖精種はいるが、まんまの人間は見たことねぇなぁ」

 そんなのいたら、そもそも人間として認めるかとか、ダンジョンに潜ることへの人道的配慮だとか大問題になるもんな。

「あ、でもそれで言うと、変な都市伝説がありましたねー。ほら、ダンジョン全裸マッチョおじさん」

 ヒルネが楽しそうに言った。なんだその、ターボババア並に頭の悪い語感。

「考えた奴、バカじゃね?」

「ダンジョンの奥地には、全裸で這い回り、地面を舐めて土を食べて、空を飛んで逃げ回り、時速二〇〇キロで走るおじさんがいるという噂話ですね」

 トウカが教えてくれたのは、荒唐無稽な話だった。大バケモンじゃねえか。

「いるわけないだろ。見たことねえぞ」

「そうだね、ナガは見たことないだろうね」

 なぜかスイが溜息をついた。なんだその目は。

「あ、でもダンジョン奥地で変な奴らを見たことがあるぞ。遠目でハッキリとは見えなかったんだがな。人間みたいな姿をしているんだが、肌が緑色なんだよ。それで、目が顔の半分くらいあって、飛び出してるんだ」

「なにそれ怖っ……」

 マジで怖かった。見かけた瞬間に逃げたもんな。確か、水源を探して地面の湿り具合を確かめているときに、遠くの木陰で発見したんだっけ。

「少なくとも、ダンジョンの奥には未知の妖精種がいることは間違いないようですね」

「ああ、そうだな」

 トウカの言葉に俺たちはうなずいた。

 まだまだダンジョンには謎がたくさん眠っているということだろう。

「ダンジョンの妖精さんですねー」

 ヒルネがのんに呟いた。