一章
どこからどう見ても、紛れもない不審者である。
一九〇センチ近い長身、細身の体、やや猫背。髪の毛はガタガタのボブカットで、ヒゲは掴めるくらい長い。上半身は裸で、下半身には薄汚れたふんどし一丁。背中には紐が千切れかけた鼠色のリュックサックを背負い、右手には錆びた手斧、左手にはこんがり焼けた骨付き肉。
何を隠そう、俺――永野弘の姿だ。
誰かに見られた瞬間、即座に警察に通報されるような出で立ちだが、何も問題はない。なぜならここは、ダンジョンのそれもかなり深い層だからだ。
ダンジョン。
ゲームを代表に、小説や漫画などでも描かれることの多い冒険の舞台。
地下へ地下へ伸びる、モンスターや罠、そしてお宝と神秘に満ち溢れた迷宮だ。
そんなダンジョンが地球に突如発生して――何年経ったんだろうな。いやマジで。
たまには過去を振り返らないと、本格的に人間を辞めてモンスターに変わってしまいそうだから、久しぶりに思い出してみるか。
俺がダンジョンの深い層で、謎の半裸おじさんになった切っ掛けの日ってやつを。
◇
タッパは低いが横にがっしりとデカい、山賊みたいなツラの男が、地面に転がっている頭蓋骨を足でひっくり返した。
『おい、ナガ。見ろよこれ』
ナガは俺のあだ名だ。合計四人で組んで仕事をしている俺らは、互いにあだ名で呼び合っている。
ボロボロに崩された中世の要塞跡地みたいな地形。偽物の月明かりが照らす下で、転がった頭蓋骨から下あごがポロンと外れた。奥歯の部分がきらりと月明かりを反射する。
『お、金歯じゃねーか』
外れた下あごを拾い上げ、ナイフでえぐって金をとると、要らなくなった骨はそこらに放り投げた。砕けた石畳の隙間から伸びた雑草に落ちたのか、音は立たない。
『スケルトンも金歯とかしてんだな。金歯狩りでもして一攫千金狙うか?』
山賊野郎のヤスが下品な顔で笑う。
スケルトンは動く骨格標本みたいなやつだ。どうやって動いてんのかは知らんが、骨盤を叩き割れば死ぬ。死ぬっていう表現はおかしいかもしれないが、とりあえず、それで動かなくなる。
『割に合わねぇよ。地味にめんどくせぇし』
ぼやいたのは、坊主頭に黒縁眼鏡で、真面目そうな顔した男だ。
メガネと呼ばれているが、この中で一番暴力に手慣れている。
『お前らうるせぇんだわ。仕事中くらいは静かにしろよ殺すぞ』
チビで痩せぎすのニット帽君が脅すような口調で言った。こいつが今回のダンジョン探索の「ボス」だ。
俺らは日雇い労働者みたいなもん。ダンジョン前で自称会社さんの人に集められ、適当に分けられて潜る。このイキったニット帽のガキは、会社さんの使いっ走り兼、俺らのお目付け役だ。
『殺さなくてもそのうち減るさ。それがダンジョンだ』
ヤスが言う。「ボス」を除いた俺ら三人はヘラヘラと笑った。「ボス」だけがイラついた様子で、手に持ったバールのようなもので、自分の肩をトントン叩く。
このとき、たぶん、俺だけが感じた。先頭にいたからかもしれない。
――空気が変わった。
ハンドサインを出し、立ち止まる。全員無言で足を止め、息を潜めた。
どんよりと空気が濁ってくるように感じる。重苦しい緊張感だ。心臓が早鐘を打ち、視野がじわじわと狭くなってくる。
ざっざ。ざっざ。
遠くから草を踏みしめる音が近づいてくる。
ゆっくりと、半壊した石壁に身を寄せ、そっと音の方を覗いた。瞬間、背筋に冷たいものが走る。
『トレインだ!!』
思わず叫んだ。
敵に追われた獲物が逃げ惑ううちに、次々と色んなエリアの敵に狙われてしまい、大集団を作り上げる。それがトレイン。
しかも今回の場合は最悪だった。
先頭を走る――獲物役がラミア。蛇の体に、人間の女の上半身がくっついたモンスター。そして、それを追うのが数えきれないほどのスケルトンの集団。
俺らは目を合わせたのも束の間。散り散りになって、全力で走って逃げだした。
トレインで追われているやつが考えるべきことは単純だ。逃げ切るか、誰かになすりつけるか。
スケルトンは俊敏ではないが、疲れ知らずだ。逃げ切れはしない。ならば、他の獲物になすりつけるしかない。
そして、ラミアは蛇の能力――ピット器官を持っている。要は、熱を探知できる。つまり、どれだけ息を殺して物陰で縮こまっていようが、ラミアは絶対に俺らを見つけ出す。
この中の誰かがなすりつけられる。確実に。それが自分じゃないことを祈りながら、他の奴と違う方向に逃げるしかない。
俺は走った。
次々に聞こえる人間の断末魔のさけびにも振り返らず、がむしゃらに走った。吸う息、吐く息、いちいち血の味がするまで走った。
トレインから逃れたあとも散々だった。いつの間にダンジョンの奥に入ってしまったのか、出てくるモンスターは格上の手に負えないやつばかり。逃げて隠れて走ってを繰り返すうちに――。
『どこだ、ここ』
俺は完全に道を見失ってしまった。
おそらくは、ダンジョンの深い階層と思われる場所で。
◇
あれからは大変だった。
たどり着いたのは、大昔に映画で見た恐竜時代みたいな植物が一面に生い茂っている階層。
ダンジョンの始まり地下一層は、建物の内部みたいな造りをしている。そこから階段を下るにつれて建物の外に出るようになり、やがて人の痕跡がまばらになって、自然物の割合が増えていく。
完全に人工物がないこの階層は、もはやどれだけ深いのかもわからない。
ただ、それは完全に悪いことばかりではなかった。
ダンジョンの浅い層は人工物が多い。つまり、水場や食料を得るのが大変なのだ。出てくるモンスターも生物ではなく、ゾンビやスケルトンなんかの、動く死体がほとんど。手持ちの水と食料で突破するしかない。深い階層は、モンスターとの生存競争にさえ勝てれば、とりあえず食い物に困りはしない。
その日から俺は大きな木の洞に身を隠して眠った。草木の若芽や、虫、小さなトカゲなんかを食べるところから始まり、少しずつ倒せるモンスターを倒していき、気づけばこの階層での生活も安定するようなっていた。
「といっても、結局出れないんじゃなぁ」
食事中に乱入してきて、焚火を踏みつぶしやがった、翼付きのトリケラトプスみたいなモンスター。その死体に腰かけてぼやく。冷血動物のくせにデカいからか、人肌よりもあったかい。
体長六メートルくらいはあるモンスターだって、楽に倒せるようになった。ここに下りてきたときは、素人に毛が生えたような冒険者――ダンジョンで日銭を稼ぐ者は、そう呼ばれていた――だった俺にとって、ありえないくらいの成長だ。
骨付き肉にがぶりと食らいつく。味付けもなければ血抜きもしていない、生臭い肉。とっくに慣れたが。
食料は問題ないんだ。実力に関しても、ここらの階層を多少上下しながら探索できるくらいには強くなった。ただ、水がなぁ。
来るときに持っていた、サバイバル用品の浄水キットはとっくに使い果たしている。ビニールバッグみたいなのに粉が入っていて、汚水に投げ込んで数時間待てば、中に綺麗な飲み物が出来上がっているという、アレだ。
この階層には、とても衛生的とはいえないものの、水源が存在する。だからこそ長期間生き延びられた。逆に中層から上の方の階層は水が手に入らないんだよな。
水がなければ人は動けない。上の方の階層はモンスターが弱いといっても、一切水を飲まずに踏破できるような距離じゃない。かといって、このまま一生ダンジョンの地下で暮らすっていうのも耐え難い。地上に戻ったところで何があるってわけでもないが、それでも人間社会ってやつが恋しい。
――やってみるか。
ダンジョン深部から、地上を目指すことが無謀な挑戦。聞く人によっては何を言っているんだこいつは、と思われるようなあべこべな状況だ。
「ま、最悪ゾンビの汁でもなんでも飲んでやるさ」
俺は白亜紀の原生林みたいな環境で、可能な限りの準備を整えて、逆ダンジョンアタックを開始した。
◇
地球に突如として現れたダンジョン。それによって世界はファンタジーなものに――ならなかった。人の枠を超えた力。それはある。魔法や魔法の道具。それもある。ただ、それは漫画やアニメで見るような派手で華やかなものじゃない。目で追えないような速さで走ることは出来ないし、氷の槍を乱射するようなことだってできない。社会の仕組みだってそうだ。緩やかには変われど、劇的な変化は起こらない。
関東ダンジョン多摩エリア二一層、通称「神殿墓地エリア」。
屋外の墓地が延々と広がり、ところどころに神殿のような建物が並んでいる。その神殿の礼拝所によく似た空間で、三人組の若い女性が焚火を囲んで体を休めていた。三人の背後には、小型のドローンが無音で浮かんでいる。
「それじゃあ、しばらくは休憩になるからみんなも休憩してねー」
胸甲と細身の剣を装備した少女、スイがドローンに向かって手を振った。
一人一台、それぞれがカメラ付きのドローンで配信しているのだ。この配信は娯楽目的で視聴する者も多数いるが、元来はダンジョンに入るすべての民間人に義務付けられたものでもある。
平和な国、日本。そこに突然現れた危険地帯であるダンジョンに、民間人が無資格で入ることなどできない。
国家資格である特定地下探索者免許試験に合格したのち、一般社団法人特定地下探索者協会と、公益社団法人特定地下探索者協会の二つに加入。それから二か月間の法定研修を受け、地下探索従事者証と、探索中に休みなく配信し続けるドローンを受け取って、ようやくダンジョンに潜ることができるのだ。
ちなみに両協会の加入費として合計で六〇万円ほどがかかり、さらに年会費として毎年一二万円がかかる。さらに毎年六回の研修参加が義務付けられており、それの参加費用として毎回三万円かかるため、実質の年会費は三〇万円くらいになる。
単純なダンジョンへの憧れで始めるには、あまりにも高いハードルだ。
さらに、ダンジョンで手に入れた物品はすべて協会が強制的に買い取り、入金は月末締めの三か月後払い。不正が出来ないよう、ダンジョン内では常にドローンに撮影され、配信され続ける。
現代のダンジョンにおいては、ナガのようなチンピラや食い詰め者が入る余地はない。
少女たちの腕についたスマートウォッチからアラーム音が鳴る。休憩を終えた彼女たちは立ち上がり、大きく伸びをした。
「んんん、あとは階段見つけて中継地点の設営。ダンジョン攻略も楽じゃないですな~」
黒の戦闘服とボディーアーマーに身を包み、短弓を手にした少女がドローンに吊るされた荷物を叩いた。魔法と科学の組み合わせで作られたこのドローンは、白くのっぺりした電子レンジのような見た目ながら、無音で宙に浮かんで撮影・配信を行うばかりか、二〇〇キログラムまでの荷物を運ぶことができる優れものだ。
「とはいえ、大事な任務ですから頑張りましょうね」
全身鎧と大きなメイスで物々しい武装をした少女が穏やかな声で言った。装備こそ重量級だが、優し気な表情はどこか聖職者のような神々しさがある。
「それはそう。画面の前のみんなもご存じの通り、私たち先遣隊がビーコンを設置しないと、後続の本隊が無駄にダンジョンをさまようことになっちゃう。さらに下層を目指す人たちも、この階層を探索する人も、ビーコンを頼りに探索するんだから、本当に大事なんだよ」
スイが指をドローンに突きつけるようにして言った。
肩のあたりで綺麗に切り揃えられた黒髪、透き通るような白い肌に、長くカールしたまつ毛。胸甲と細剣という装備も相まって、まさに姫騎士といった印象だ。ドローンの表面に表示されて流れる配信コメントにも、容姿に触れるようなものが多い。
「それでは、不死払いの加護をつけますね」
重装の少女がメイスを右手で掲げ、左手で小さな宝石のようなものを握りながら、小さな声で呪文を唱える。
『セ オエ テ イア アイ アヴァツ エ マナ リ』
メイスから迸る白い光を受けた三人は、礼拝所を出た。
早速現れたのは長剣で武装した三体のスケルトン。眼窩には黄色の鬼火が揺れる。
「黄色三、近くに遠距離なし! 楽勝!」
短弓の少女が元気よく言った。
スイと重装の少女が走り出すと同時、三体のスケルトンも距離を詰めるように走り出した。
全身鎧と錆びたスケルトンの長剣が衝突し、火花を上げる。構わず振りぬかれたメイスが骨盤を粉砕し、スケルトンがバラバラに崩れ落ちた。
スイは顔に突き出された切っ先を屈むように避けると、一体を蹴り飛ばし、もう一体の骨盤に鋭い突きを差し込んだ。また骨が崩れ落ちる。蹴り倒されたスケルトンが立ち上がる前に、スイは左手のひらを向けた。
『アフィ レ オ マロシ』
指輪が光り、手のひらに生み出された火球が飛ぶ。野球ボールほどの火球はスケルトンの骨盤を的確に撃ち抜き破壊した。一息ついたところで、短弓の少女が鋭い声を上げる。
「何か来る!」
月明かりが陰る。冷たい風が吹いた。
三人の前にゆっくりと姿を現したのは、ボロボロのローブを身に纏った、魔術師のような見た目の骸骨だった。右手には手斧、左手にはねじくれた木の杖を持っている。
「――レイス」
スイは息をのんだ。
腐った皮膚が張り付いた骸骨がカラカラと嗤う。眼窩の奥に光る鬼火は、赤。
「赤は……厳しいですね」
一般的に、アンデッドの強さは鬼火の色でわかると言われている。弱い順に、無し・水色・黄色・赤色。それ以上は観測されていない。事実上、最強のアンデッドと言えるのが、赤の鬼火の個体だ。
「ま、まだ来てる!」
後方で警戒していた短弓の少女が悲鳴を上げた。
レイスの背後から、さらにもう一体レイスが現れた。眼窩の光は――。
「むらさき、ですか?」
重装の少女の声は震えていた。彼女はこのパーティーで最も対アンデッドの経験が豊富だ。だからこそわかる。
「か、勝てません。撤退を」
言いながら、直感していた。撤退は叶わないだろうと。散り散りに逃げれば、もしかすると一人は生き残るかもしれないが、恐らくそれは自分じゃない。最も重装備な分、最も足が遅い。絶望の中、それでも前に一歩、足を進める者がいた。スイだ。
「バランス型の私が、一番生存率が高いと思う。隙を見て逃げるから、二人は先に逃げて」
レイスたちに細剣を向ける。逃げろと言われた二人は何かを言おうと口を開け閉めしていたが、スイが魔法の詠唱を始めたのを切っ掛けに、背中を向けて走り出した。
仲間の自己犠牲を心が拒んだとて。ダンジョンでは簡単に人が死ぬ。ときにはあっさりと、実力者揃いの大集団とて命を落とす。それは、彼女たち自身にとっても例外じゃないと知っていたからだ。
二人はスイの身を案じながらも、来た道を全力で引き返した。
強敵。それも複数を一人で相手取るときは、下がりながら戦うのが定石だ。
宙に浮くレイスの杖から黒い球体が放たれる。大きく横に回避。着弾した背後から、粘っこい液体がぶつかった音がした。赤のレイスが滑るように接近。振るわれた手斧をしゃがむように回避。細剣で一突きし、バックステップで距離をとる。
横にかわす。後ろに下がる。上下にかわす。後ろに下がる。合間合間に攻撃を挟みながら、広大な墓地を下がる。
踏みしめた地面が揺れた。嫌な予感がし、即座にバックステップ。ついさっきまでスイが足を置いていた場所に、腐った腕が突き出された。冷たい土を押しのけて出てきたのは、目に黄色い鬼火を宿したゾンビだ。
冷汗が頬を伝う。
スイがしてしまった想像を裏付けるように、周囲の墓が揺れた。次々と地面から這い出て来るゾンビやスケルトン。二体のレイスが嗤った。
「……トレイン」
スイは唇を噛んだ。
◇
まずい。もう水が切れた。
太い木をくりぬいただけの、お手製の樽の中身はもう空っぽだ。斧で樽の内側を剥がして、湿った木の繊維をしゃぶりながら裸足でぺたぺたと歩く。
唯一の救いと言っていいのは、もう九階層も人工物のあるエリアを上がっていることだ。もう幾らか進むことが出来れば、他の冒険者やらに助けを求めることが出来るかもしれない。
助けるメリットがないと見捨てられるかもしれないが、そこはアテがある。リュックには幾らか、金でできた装飾品が入っているのだ。これで交渉すれば、助けてくれなくとも、多少の水は分けてくれる可能性だってある。
「はぁっ、はぁっ」
渇きに自然と息が上がる。墓場から起き上がったゾンビの頭をカチ割り蹴とばした。燃料が手に入ったら、こいつらを焼いて蒸留みたいなことをすればいいかもしれないな。可燃物くらい、どっかで手に入るだろう。
雲に偽物の月が覆われて視界が悪い。燃料を探すのは次の階層が良いかもな。そんなことを考えていると、はるか先でぽっと小さな光が浮かんで消えた。魔法だ。それも炎の魔法だ。
アンデッドはあまり光る魔法を使わない。黒いネチャネチャを飛ばしてくるのがほとんどだ。十中八九、光った場所に人間の魔法使いがいる。人間が、いる!
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
視界の先には、無数のアンデッドを相手に、下がりながら戦う少女の姿が。
どうやらトレインを引き起こしているようだが、そんなことはどうでもいい。なんでこんな所に一人でいるのか、そんなこともどうでもいい。
「水ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
一刻も早くアンデッドを片付けて、水を分けてもらおう!
俺は躊躇いなく、手斧だけをたのみにアンデッドの群れに飛び込んだ。
正面のゾンビを掴んで、左のスケルトンとの盾に。ダッキングで次のゾンビの懐に潜り、飛んできた魔法の盾に。右のスケルトンは腰椎を切り飛ばす!
大ぶりの剣をかわしたら、反撃のラリアットで数体巻き込んでなぎ倒す!
脳からドバドバと汁が溢れてくるのを感じる。水だ! 人だ! 日本社会だ!
昔は脅威だったアンデッドのトレインだって今となっちゃ楽勝だ。それもまた、なんだかとにかく気持ちいい!
「げ、原始人……? 亜人系?」
背後から聞こえる声だって気にならねぇ!
骨と腐肉を蹴散らしていると、目の前に赤い鬼火を浮かべた、ローブ姿のアンデッドが割り込んできた。互いが振った手斧がぶつかり、跳ね上がる。
「よぅ、久しぶりだなぁ」
こいつは、俺が身に着けている唯一の衣類、ふんどしの布を提供してくれたアンデッドだ。ちなみに手斧もこいつから奪ったものだ。あのときは命懸けの激戦だった。が。
近くにいた不運なスケルトンの肋骨を掴み、投げつける。飛んできたそれを邪魔そうに払ったローブ野郎。その無防備になった手首を切り飛ばした。零れ落ちた斧を空中で掴み取り、錆びた斧の二刀流でローブ越しに斬り付ける。嫌がって杖を振り上げたときに露出した膝の皿を、奪った手斧が叩き割った。深く食い込んだ手斧から手を放し、怯んだローブ野郎を蹴り飛ばす。
吹き飛んだローブ野郎は、アンデッドの群れの足元に埋もれて、あっという間に見えなくなった。
やっぱ楽勝じゃねぇか。こうなりゃ勝負は決まったようなものだ。
長年に渡るダンジョン生活で学んだこと、その一。トレインは厄介だが、その物量そのものがモンスターの仇になる。足を潰せば他のモンスターに巻き込まれ潰されるのだ。どれだけタフなモンスターでも、絶え間ない踏みつけ攻撃には耐えられず、為す術なく砕け散る。
視界の端で、紫の光が通り過ぎた。二体目のローブ野郎が、少女に忍び寄っている。なんて卑怯な。
「ゴラァ! そいつは俺の水だぁぁぁぁ!」
ボサっとしてるゾンビの頭を踏み越えて、ローブ野郎に空中から躍りかかる。全体重を乗せた一撃は、綺麗にそいつの頭を捉えた。
ばきっ。
嫌な音がした。右手の内が、急に軽くなる。くるくると斧の頭が飛んでいくのが見えた。
「マジか!?」
振り返ったローブ野郎の眼窩で、紫の炎が躍る。密着する俺を払うように杖が振りぬかれた。咄嗟にしゃがむ。視界の上で、細長いものが揺れ動いた。髑髏の口から、黒い蛇がずるずると吐き出されている。
「ああああ面倒くせえええ」
蛇の形をして動いちゃいるが、どうせこれも素材は黒いネチャネチャだろう。アンデッドが魔法で出すネチャネチャは、言うなれば呪いのようなものだ。
油性インクみたいにベッタリとくっつき、ついた部分から体の末端にかけて、全ての感覚を奪い取る。肩に食らえば腕から指の順に何も感じなくなり、首につけば視覚聴覚嗅覚味覚の全てを奪われる。長時間つきっぱなしにしていると、体力まで奪われて疲れ果てるのだ。
近くにいたスケルトンをぶん殴って長剣を奪い、背後のゾンビ一体を斬り捨てる。手斧で襲い掛かって来たローブ野郎の攻撃をバックステップでかわして、口に長剣をねじ込んだ。
「よく噛んで食え、スルメ野郎!」
背後のゾンビを使って三角跳びをし、咥えさせた剣の柄頭に飛び蹴りを入れた。硬いものを突き破る感触。一瞬こちらに手を伸ばしたローブ野郎だったが、ふっとその力が抜け、眼窩の鬼火が消えた。
今のがボスみたいなものかな。それなら後は掃除をするだけだ。ローブ野郎が落とした手斧を振るい、残りの雑魚共を一気に蹴散らしにかかる。
――気づけば、立っているのは俺と少女だけだ。
流石にトレインの大集団を倒すのは、雑魚であれ疲れる。俺は肩で息をしながら、フラフラと少女に近づいた。
「ちょ、え、なに」
思わずといった様子で少女が身構える。
「み、みず」
「え?」
「水を、くれ」
渇きの限界だったのだろう。足から力が抜け、俺は冷たい地面とごっつんこした。