それも前回痛い目にあった場所に近い階層だ。

 スイは痛みを堪たえるような表情をしてから、無理に笑え顔がおを作って言う。

「ここで潜らないと、もうダンジョンに来れない気がするから」

「それはそうか。うん、そうだな」

 ダンジョンで死にかけることのストレスは、平和な社会で生きている現代人には想像しがたいものだ。ほぼ心的外傷と呼んでも差し支つかえのない経験は、早めに上書きしなければ人生そのものを蝕むしばむ傷きず跡あととなり、死の幻げん想そうが日常生活を壊し続ける。

 初期の冒険者にも、そんなやつがたくさんいた。ダンジョンの入り口を見ると拒きよ否ひ反応を起こす者、ただのビルの階段に怯える者。酷ひどい奴やつだと、細い道の曲がり角を通れなくなった、なんてのも。

 まぁ、きっと生死がかかってなくても同じようなことは日常でもたくさんある。

 向けられた悪意に曖昧な笑顔しか返せなかったら、その経験はずっと対人関係で足を引っ張る。何かに失敗したときに挑ちよう戦せんを諦あきらめたら、諦めることばかり上う手まくなる。

 だから、きっと彼かの女じよがダンジョンにいるのは彼女なりの最適解なのだ。

「それは良いんだが……あいつらは?」

 俺は親指で少年達をくいくいと指した。

「あれは同級生。なんかついてきた」

「帰さないのか?」

「そろそろ帰って貰もらおうかなって。ちょっと言いづらくて」

 スイは少し困った顔をする。俺は少年たちを手招きした。彼かれらはばたばたした動きで駆かけ寄ってくる。

「お前ら邪魔だから帰れってよ」

 全員が驚きよう愕がくの表情を浮かべた。

「なんで言うの!?」

「なんでお前が言うんだよ!」

「誰かが言わなきゃならねえだろうが。実力不足の奴を連れていたらまた同じ目に遭あうぞ。教えてやりたいだとか、仕事の都合だとか、ちゃんとした理由がねえならやめておけ」

 少女達は難しい顔をした。少年達は気まずそうな様子で視線をさまよわせる。

 ため息が出た。なんつーのかな。命のやりとりは体験しているはずなのに、絶ぜつ妙みように軽い。生き死にへの想像力がふわっとしている。

 どう生きる。どんな目に遭う。どんな傷を抱えてどんな生活を送る。そして死んで何を残す。

 進学と就職だけで思おもい悩なやむ年とし頃ごろに、それを想像しろという方が酷こくかもしれないけどな。何より、その想像力を働かせることが出来なかった結果、ダンジョンに閉とじ込められた俺に語れることはこれ以上ない。

「ま、体験してみりゃわかるだろ。もう一体チャンピオン来てるからやるぞ」

 バールを拾い上げ、五〇メートル先で揺れる鬼火を指す。赤色だ。妙みように強いアンデッドが湧わいているようだ。

 構えようとしたスイたちに手のひらを向けて制す。俺は少年たちの背中をバシンと叩たたいた。

「一いつ緒しよにやろうか。戦ってみりゃ、自分がその階層に合っているかも理解するだろうし、俺のこともわかるだろ」

 まずは実力を理解させなければ、俺の言葉に説得力もない。

 ゆっくりと体を左右に揺らしながら迫るチャンピオン。巨きよ体たいを支え、長大なツヴァイハンダーを振り回すパワーがあるというのに、それを感じさせない脱だつ力りよくした歩み。まともな動物には存在しない、アンデッド特有の違和感が恐怖を煽あおり立てる。

「改めてになるが、名前は? 俺のことはナガと呼んでくれ」

「蓮れん」

 金髪の少年がぶっきらぼうに名乗る。スイと話しているのを見て、最低限の信用は得たか?

「康こう太たです」

 蓮を助け起こした少年も名乗った。地味で大人しい感じのルックスで、体の線も華きや奢しやで弱々しい。肌はだも生白い。とてもダンジョンに潜るような人間には見えねえな。蓮に無む理り矢や理り連れてこられたか?

「蓮、康太。俺の後に続け!」

 チャンピオンが体を沈しずめた。それに合わせ、こちらから走り出す。大事なのは衝しよう撃げき力りよく。華か麗れいな回避や剣けん技ぎは必要ねえ。まともにぶつかられず、まともにぶつかる。相手より体勢を整え、相手より速さを乗せて衝しよう突とつする。

 駆け出そうと体を伸ばす直前に、チャンピオンの頭部に跳とび蹴げりをぶち込んだ。足の裏に硬い感かん触しよく。壁でも蹴ったような頑がん強きようさと重たさだ。それでも、チャンピオンの初動は潰れた。体をよろめかせ、地面に片かた腕うでをつく。その肘ひじにバールを叩き込んでへし折り、前ぜん腕わんの骨を奪うばい取った。

 ずん、と重たい音を立て、チャンピオンが前のめりに倒れ込む。

 アンデッドは切り離はなした体のパーツが近くにあると、勝手にくっついて再生しやがる。手に持った前腕を、遠くめがけて放り投げた。人間の大だい腿たい骨こつみたいなサイズの骨が、くるくると回りながら薄うす暗ぐらい空に消えていく。

 呆あつ気けにとられている少年たちを振り返った。

「つ、つええ」

「ぼさっとすんな、続け!」

 怒ど鳴なりつけると、康太が真っ先に走り出す。チャンピオンの頸けい椎ついに槍を突き込むが、傷一つ無く弾はじき返された。筋力が足りていない。後から慌あわてた様子で続いた蓮が切りつけるが、こっちは力任せで剣筋が乱れすぎている。有効打を与えられず、鎧の表面を滑すべるばかりだ。

「っと、そろそろだな」

 二人の襟えり首くびを掴んで後ろに引っ張る。直後、チャンピオンが起き上がりながら、片手でツヴァイハンダーを横に薙なぎ払はらった。凶きよう悪あくな音を立てながら眼前を通る刃に、少年達の小さな悲鳴が漏もれる。

 少年たちを背後に投げ捨て、徒手でチャンピオンの懐に潜り込む。

 どうせ骨、体重は軽い。組み付いて片足を抱え込み、全力で持ち上げる。そのまま体を捻ひねりながら、チャンピオンを頭から地面に叩き付けた。プロレスのスパインバスターと呼ばれる技だ。日本名は脊せき椎つい砕くだき。頭頂部から腰まで、骨が砕くだけるような衝しよう撃げきが駆け抜ぬけただろうよ!

 どこかぶっ壊れたのか、転がってじたばた虫のように暴れるチャンピオン。その両りよう膝ひざを掴み、股こ間かんに足を踏み下ろした。派手な音が響ひびき、骨こつ盤ばんが砕ける。チャンピオンはぐったりと脱力し、動きを止めた。

 チャンピオンが取り落としたツヴァイハンダーを拾い上げる。重たいが、なかなか悪くないな。頑がん丈じようそうで俺好みだ。肩かたに担かつぐようにし、蓮と康太に向き直る。

「こんなもんだ。で、ここいらに出るモンスターと戦った感想はどうよ?」

 疑問形だが、実際のところ答えの決まった質問だろう。二人の落ち込んだ表情が物語っている。

 お膳ぜん立だてしてもらってフリーに攻撃できたというのに、その攻撃が一いつ切さい通用していない。これでは幸運の女め神がみに愛されたところで、いつかは死ぬのが関の山だ。

「まあ実際に事故る前に知れて良かったじゃねえか。階段も近い。他の探索者の居場所を確かく認にんしながらルートとって帰って、今後は適正なところで鍛きたえ直せ」

 チャンピオンと戦ってみたことで思い知ったのか、少年達は素す直なおに頷うなずいた。なぜか蓮の目が輝かがやき始める。

「ナガさん強いんだな。俺に教えてくれよ!」

「タメ口きいてんじゃねえ。家の前で棒でも振ってろ」

 頭にげんこつを落とした。

「素す手ででこんなに手早くチャンピオンを倒たおすなんて……。これでも一応、カテゴリはワンダリングボスなのですが。これが二五年間ダンジョンで生き延びた力ということなのですね」

 俺が倒したチャンピオンの死体を検分していた殴りヒーラーの少女、トウカが感心した口調で言う。ワンダリングボス――彷徨さまよう実力者か。その階層に出てくる中で、少数で強力な個体のことを指す言葉っぽいな。

 トウカの言葉に蓮が「えええええ」とデカい声を返す。再び頭を叩いて黙だまらせた。

「声がうるせえ。キンキン騒さわぐな」

「だって、だって! 二五年ってあの配信に出てきたゴブリンさんだろ!?」

「なんだ、その呼び方。あと静かにしねえと黙らせるぞ」

 マジで反省しないな。とりあえずぶん殴る。

「警告と同時に手を出してますねー……」

「直す暇ひますらなかった」

 ヒルネとスイが呆あきれたように言った。ドン引きしながら康太が言う。

「佐さ藤とうさんの配信は人気ですからね。一週間以上経たってますけど、まだホットコンテンツに載のってますよ」

 まぁ見た目が良くてこのくらいの実力があれば、人気者にはなるだろうな。

「対してお前らは人気も実力もないのな」

「言うな!」

「うるせえ!」

 学習能力のないバカをビンタした。あとでうんこの話してやるから黙ってろ。

「俺らは最近資格とったんだよ」

「僕ぼくがダンジョンに潜りたいって言って、蓮君が付き合ってくれたんです」

 黙らないバカの言葉に康太が続く。意外だな。バカの方が主で、大人しそうな方が従かと思いきや、逆だったか。

 康太は色白で手足も細い。清潔感はあるがおしゃれではなく、口元がもにょっとした覇は気きのない顔つきだ。真面目そうだが華はなはない。

「なんか目的あるのか?」

「はい」

 康太は頷いた。自分から語るつもりはなさそうだが、目には想像以上に強い光があった。

「じゃあ、身みの丈たけに合ったところから頑がん張ばれ。同級生だからって甘あまえんな」

「はい、そうします」

「そのうち機会があれば教えてやるから」

「師し匠しよう! 師匠だ!」

「うるせえよ。殴るのも疲れた。はよ帰れ」

 なんか少しだけ羨うらやましいな。俺のときは、歩け荷物持て戦え死ねだったからな。命令と罵ば声せいと血と疲ひ労ろうの中、剥き出しの自己中心性をぶつけ合いながらの探索だった。

「ちなみにナガの目標は?」

「特にねえんだよなぁ。ダンジョンから出たばっかりで金もねえし、協会に加入する費用バカみたいに高いしで、生活がカッツカツでな。ダンジョンで現地調達してりゃ食費もほぼタダだ。というわけで、金が入るまでダンジョンで暮らしてやろうと思ってな」

「無む茶ちや苦く茶ちやじゃないですか……」

「リゾートバイトみたいなノリでダンジョンに潜る人、初めてですねー」

 トウカとヒルネが変な生き物を見る目を向けてきた。やめろ、照れるだろうが。

「それじゃあ、一緒に行動する? 二五層のボスは記録がないから、一緒に来てくれると安心するかも」

「アリだな。報ほう酬しゆうは四人の頭割りでいいか?」

「もちろん」

 話はまとまった。蓮と康太の連れん絡らく先さきを貰い、それぞれのスマートウォッチのマップ情報を共有する。これでお互いがどこにいるのかを把は握あくし、簡易的にだが安否を確認できる。

 彼らの背を見送り、俺たちも下層目指して移動を開始した。

 細々とした戦闘や、墓地の遺品漁あさりをしながら降りた先は地下二四層と二五層の間の階段。踊おどり場ば部分に拠きよ点てんを設営する。

 俺たちは生身の人間だ。戦闘するだけで消しよう耗もうし、なんなら歩いているだけで疲労は蓄ちく積せきする。ここいらで休息を挟はさむのが賢けん明めいだ。軽装のヒルネは余よ裕ゆうそうだが、重装備のトウカは少しばかり顔色が悪くなっていた。

「こんなダンジョン舐なめた持ち物、初めて見た」

 俺のドローンの荷物を覗のぞき込んだスイが呆れたように言う。喧嘩売ってんのか?

「ライター三個パック、裁さい縫ほうセット、釣つり糸いと、消毒液。ここまでは良いだろ?」

「そうね」

「道中にあった拠点からパクってきたレトルトが何食かと水。これも良いだろ?」

「やってることほぼ盗とう賊ぞくだけど、そうだね」

 本来はごっそり持って行くものではないらしい。

「キッチンナイフ、シェラカップ、塩、胡こ椒しよう、わさびチューブ、にんにくチューブ、歯ブラシ。以上」

「以上、じゃないから!」

 スイがキレた。そんな怒んなくても。他に何が要いるんだよ、逆に。

「色々足りないけど、なんで下着の替えも持ってきてないの!?」

「前後ろ、裏表で四回はける」

「汚きたない!!」

 正直俺おれもそう思う。そもそも四回じゃ全然足りないしな。

「でも税ぜい抜ぬき一一〇〇円、税ぜい込こみ一三二〇円で探索に行けるんだからお得だろ」

「普ふ通つうはそれだけでは行けないんですけどね」

 壁かべにもたれかかっているトウカまで呆れた顔だ。

 探索のコストを下げるのは基本中の基本だ。仕事でやっている以上は、経費を減らして戦果を増やすことを考えなければいけない。現時点での戦利品の換かん金きん額は概がい算さんで三万円程度だ。良いリュック一つで消し飛ぶ金額だな。

 報酬が安いように感じるかもしれないが、命を懸かけるっていうのは安いもんなんだ。高所作業だって六時間で日当一万いかなかったりする世の中だ。世界に七〇億もある人命の値段は先進国でも安く、専門技能がなければ高い価値は生み出せない。それに。

「現地調達は基本だろ。備えていても遭そう難なんした時点で現地調達せざるを得ないんだ」

「それで実際に二五年間生きているんだから何も言えないや」

 スイが唇くちびるを曲げた。

「醤しよう油ゆが入っていないのが気になりますなー」

「そこじゃないでしょ」

「いいところに気が付いたな。流石さすがはヒルネだ」

「うへへへ、それほどでも」

「私が間ま違ちがってるの!?」

 スイがうるさい。飴あめちゃんでも持っていたら口に放ほうり込こんでいたところだ。

「ダンジョンで醤油使うと、なぜか獣けもの種……今だと魔ま獣じゆう種か。の中でも熊みたいな奴らが寄ってくるんだよな」

 熊は手ごわい。なんなら地上の熊ですらバカみたいに強いのに、ダンジョンの熊ともなれば言わずともわかるだろう。大型の種類ともなれば、竜りゆう種にすら匹ひつ敵てきする。そんなダンジョンの熊を呼び寄せるのは自殺行こう為いだ。

「それ本当ですか? 初めて聞きました」

「おじさん嘘うそついたこと無いんだよな、実は」

 嘘うそつきの常じよう套とう句くだが、本当だ。憶おぼえてないだけで嘘ついてるかもしれないけどさ。

「鬼き翔しよう院いん兄きよう妹だいの二人が初めて敗走したのも熊でしたっけねー」

「誰だそいつら。ビジュアル系バンドマン?」

「今一番勢いがあるダンジョン配信者。兄妹でやってるんだけど、二人とも国内トップクラスの実力があって、戦せん闘とう面めんですごく注目されているの」

「上うわ澄ずみでも熊には勝てんか」

「ナガは勝てたの?」

「期待に応えられなくて悪いんだが、あれは人間が勝てるように出来てねぇよ」

 四足歩行の時点で高さ一〇メートルくらいあるし、ヒグマってよりシロクマみたいな体形で、手足が長いんだよな。人間が使える武器じゃ有効打は与えられない。倒すなら戦車でも持ち込まないとな。

「でもこの情報がちゃんと検証されたら、凄い価値がありますよー! それこそ、何を持ち帰るよりも高値が付くかも? です!」

「そうですね……。携けい行こう食料の見直しはもちろんですが、熊を誘ゆう引いんすることで危険を避けることもできますし、竜種に熊をぶつけて共とも倒だおれを狙ねらえるかもしれません」

「醤油が戦術物資になりゃあ面おも白しろいな」

 そう聞くと検証のために持ってくれば良かったと思えるな。いや、リスクの方がでけえな。触さわらぬ神に祟たたりなしだ。人間が手も足も出ない存在への恐れを失ってはいけない。

 ちなみに焼肉のタレを持ってきていないのは、原料に醤油が入っているものが多いからだ。相当違う匂においになっているから大だい丈じよう夫ぶだとは思うんだが、熊の嗅きゆう覚かくは犬より鋭いっていうしな。

「ま、だいたいのものは現地調達出来るから良いんだよ。武器もこの通り手に入ったしな」

 チャンピオンから奪い取ったツヴァイハンダーの表面を手で拭ぬぐう。粉っぽい錆さびのざらつきを感じた。

 アンデッドの武器は良いぞ。ダンジョンのものだからか、やけに頑丈だ。レイスの手て斧おのだってかなり長期間使うことが出来た。元からそんなに鋭くないおかげで、刃が潰つぶれることも少ない。

 きちんとした装備を整えているスイが信じがたいという表情をした。

 彼女たちが持ち込んでいる野営用の資材は、俺の持ち物に文句をつけるだけはあって、相当に入念に用意されたものだった。

 階段の上下には金属のパイプを組み合わせた逆さか茂も木ぎのようなもの。並の膂りよ力りよくのモンスターはそれだけで侵しん入にゆうを阻はばまれそうだ。さらに赤外線センサーまで取り付け、逆茂木の目の前に敵が現れたら警報が鳴るようにされている。しっかりとマットを敷しいたテントを立て、薄いプラ板みたいな素材で仮設トイレまで作ってしまった。

 至いたれり尽くせりのキャンプ場って感じだな。

 一方の俺は、その辺にあった絞こう首しゆ台だいをバラして手に入れた薪まきを燃やして、アンデッドから剥はぎ取ったローブをひっかぶって寝ね転ころがるだけ。

 スイたちも気まずそうにしていたが、流石に一緒のテントに誘さそってくることはなかった。


:かわいそうwww

:ダンジョン舐めてるからそうなる

:文明人を見習え

:こいつどうやって生き残ってきたの?

:ダンジョンに25年いたってのも確定情報ではないからな

:焚火でごろ寝似合ってるぞwww


 こいつらうぜえわ。というか二五年経ってるんだから「www」くらい滅ほろんでおけよ。俺は起き上がって一発ドローンを殴り、コメントを黙らせた。


 地下二五層での戦闘は非常に安定したものだった。

 スイとヒルネの遠えん距きよ離り攻こう撃げきで戦せん端たんを切る。俺とトウカが前衛を引き受け、スイとヒルネがカバーする。相手に遠距離攻撃をするモンスターがいれば、ヒルネが遊ゆう撃げきにあたる。

「退たい屈くつになるくらい問題ねぇな」

 あくびをし、口元を手でこすった。そろそろひげが伸のびてきたな。指先で押せば、硬かたい毛がぽきっと倒れるような感触がした。

「そろそろ、そうも言ってられなくなるけどね」

 スイが細剣で指した先には、謎なぞ物質で出来た黒い建物。ダンジョンの階層を跨またぐ階段だ。

「なんか変じゃねえか?」

 普ふ段だんよく目にするものは二種類。浅い階層ならば、普通に建物の階段のように見えるが、色合いだけ謎物質になっているもの。深い階層ならば、地上にあるのと同様に、豆とう腐ふみたいに真四角な建物にぽっかりと入り口が空いているもの。

 ところが、今目の前にあるものは、ねじくれた石柱に囲まれ、地面に直接下り階段がぽっかりと口を開いている。

「こういう禍まが々まがしいデザインの階段は、ボス階段って言われておりますね」

「ほー、ボスね」

 いったいどんな理由、概がい念ねんで存在しているのかは分からないが、とにかく強力なモンスターが中で待ち構えている特とく殊しゆな空間らしい。

「めっちゃ強いから、普段はこういう階段避さけてるんだけど……今回の私たちの探索は、ボス階段の情報収集の依い頼らいを受けてるんですよねー」

 なるほど、そういう依頼もあるのか。

 俺が深層に潜もぐったときはこんな階段は使わなかった。広いダンジョンには無数に階段がある。そのうちの幾いくつかが、こんな感じのボス階段になっているのだろう。

「ボスってのは階段の踊り場なんかで、体育座ずわりでもして待ってんのか?」

「そんなシュールな感じじゃないよ。上からガソリン流せば解決するじゃん。階段の先が扉とびらになってて、ボスがいる広い部屋に繋つながっているの。ここで言うなら二五層半ってところかな」

「なるほど、ゲームみたいだな」

 反応がイマイチなのは時代の違いなのか、この子たちがそういうゲームをしないだけか。おじさん定期的に寂さびしい思いするんだが?

「関東ダンジョン二五階層、環かん境きようは屋外アンデッド。この条件でのボス戦は私たちが初になります。気を引き締しめていきましょう」

 ただでさえ謎の多いダンジョンで、さらに特異な環境。ボス部屋を避ける探索者は多いということか。

 流石に深層のドラゴンより強いってことは無さそうだが、未経験のものは正しく恐れた方が良さそうだな。初見殺しじみた一発芸を持っているモンスターも珍めずらしくない。ボスとくれば、何があっても不思議じゃないだろう。慎しん重ちようにいかないとな。

 こういうときだけは、盾たてなんかが欲ほしくなる。木製でいいから、コボルトのでも奪ってくれば良かった。

 ――なんて思っていると、トウカがドローンに吊つるしたコンテナからタワーシールドを取り出した。焼き菓子の八ツ橋みたいな形をした、長方形のでっかい盾だ。ずるい。

 なんとスイまで小ぶりな盾を取り出す。こちらは小さめのヒーターシールドだ。将しよう棋ぎの駒こまをひっくり返したような形。某ぼう姫ひめ様さまの伝説のゲームで、緑衣の勇者が持っているような盾だな。

 盾無し組は、俺とヒルネだけのようだ。親近感を込めてじっと見つめると、「な、なんですかぁ」と涙なみだ目めになって後ずさった。なんでや。

 ボスがどんなものか不明な以上は、いつもみたいにゴリゴリのインファイトはするべきじゃない。ツヴァイハンダーを長めに槍やりのようにして持つ。刃が先の方にしかついていないおかげで、刀身の真ん中を握にぎれる。思っていた以上に取り回しやすい。

 長物は良いぞ。人類がマンモスを倒せたのは、槍を発明していたからだ。原初の人類が、絶対に素手では倒せない強敵を打だ倒とうした、最古のジャイアントキリングの立役者なのだ。

 ボス部屋の扉は、軽自動車くらいなら余裕で通れそうな大きさの、両開きのものだった。階段と同じ謎素材で出来ており、俺たちが近づくと自動的に開いた。

 異様な空間だな。直径五〇メートルくらいの半球状の部屋。壁に床ゆか、その全てが滑なめらかな白い石で出来ている。妙な明るさに違い和わ感かんを覚えじっくり見てみれば、建材の石自体がぼんやりと発光しているようだ。

「ボス、いないな」

「中央辺りまで行くと出てくるんだって」

「誰かの配信で見たのか?」

「うん」

 言葉短めにスイとやり取りする。

 ちらりとドローンを振ふり返れば、コメントが読めないくらいに遠ざかっている。どうやら強敵との戦いに合わせて、被ひ弾だんしないよう離れて撮さつ影えいするようだ。そんな判断が出来るくらいのAIを積んでいるとしたら、凄いことだな。

「先に支援魔法をかけます」

 トウカがメイスを掲かかげた。

『ティガ リ アイ テティー マロシ リ アウ テ イア マイ トゥ』

 橙だいだい色いろの光が俺たちの胸むな元もとに飛び込んできて、小さな光の玉を形作った。じわりと染しみ込み、溶とけ込んでいく。

 何が、という訳じゃないが、なんとなく力が湧いてくるような感覚。拳こぶしを強く握りしめたときに、「なんか今日力入るな」と思うような、そんな感覚が全身に広がる。

「体を少しだけ頑がん健けんにし、高こう揚よう、鎮ちん痛つう、出血の抑よく制せいなどの効果もあります。力が強くなる人もいるみたいです。気休め程度ですが」

「十分すげえわ。大人になるとな、体調が万ばん全ぜんだな~って感じる日が少しずつ減るんだよ。これ、ちゃんと老化したやつらにかけてやれば、泣いて喜ぶぞ」

「ふふ、そうですか」

 冗談だと思ったのか、トウカは笑っている。

 俺はたまたま若さを残した状態で老化が止まっているが、冒ぼう険けん者しやのときにいたオッサン連中なんかは、毎日肩が痛いだの疲れが取れないだの目がかすむだの言ってたからな。

 力が漲みなぎった勢いそのままにボス戦広場の中央まで進むと、突とつ如じよ地面が揺ゆれた。震しん度ど四くらいか? 足を踏ふん張って耐たえる。

 俺たちの目の前に、地面と同じ材質の箱がせり上がってきた。サイズは一辺四メートルの立方体ってところか。

 ズン。

 重たい音。

 出所は明らか。箱の表面に大きな亀き裂れつが入っている。パラパラと零こぼれ落ちる、砕けた石材。

「こりゃまた、でっけえプレゼントだな」

 軽口を叩いたその瞬間、箱が爆はぜるのが見えた。

 内側で爆ばく発はつでも起きたのか。立方体の石材が無数の破は片へんとなり。それが、俺の方にぐっと膨ふくらんだ。

 いや、これは爆発なんかじゃなくて。

「回かい避ひィィイ!!」

 口から出た叫びとは裏腹に、体は前に傾かたむいていた。

 ――ああ。視界がスローモーションになってやがる。こういうときは、必ず嫌いやなことが起きるってもんだ。

 砂すな煙けむりの塊かたまりが突つっ込んでくる。爆ばく風ふうを追い抜き、突き破やぶるようにしてそいつは姿を現した。危機感が脳を突き刺さす。さらに時間は引き延ばされる。

 嘴くちばし、鳥? 否、歯がある。

 鱗うろこ? 目、俺を見てる。

 二足歩行? 跳はね、いや、飛び掛かかってきてる。

 散り散りに断だん片ぺんの言の葉となった思考すらも置き去りに。体は最適解へと動いた。

 足は前へ。腰こしから肩へ、肩から腕うでへと捻りが連動し、手に持つツヴァイハンダーを正面に向かって突き出す。

 箱を吹ふき飛ばして突とつ進しんしてきていたそいつは、胸に向かって真まっ直すぐに突き出された切っ先を躱かわすように、横にステップした。勢いが殺され、足を止める。

 砂すな埃ぼこりが晴れた。

 鮮あざやかなライトグリーンの鱗に覆おおわれた、しなやかで細長い体。蛇へびのような首に、ダチョウに似た頭部。前ぜん肢しは小さく、後ろ足での二足歩行。しいて似ている動物を挙げるならば、恐きよう竜りゆうのヴェロキラプトル。

 ただ、デカい。体高だけで四メートル。全長だったら八メートルってところか。

 瞳どう孔こうが縦に裂さけた目は、何の感情も映さずに俺を捉とらえている。

「なるほど。これがボス部屋か」

「竜種!?」

 悲鳴が俺の背中に追いついた。うるせえ。

 重たい剣けんを突き出した勢いそのままに。相手がなんだろうと、足は前に動き続ける。

 地面と切っ先の間に体を挟む。結果として、上段に振り上げられる刃やいば。全身丸ごと投げ出すように、上から叩きつける!

 トカゲ野や郎ろうの腿ももに、鈍にぶい刃がめり込んだ。五センチだ。たった五センチ分の深さだけ傷をつけ、大たい剣けんはピタリと止まった。

 思わず唇が吊り上がる。硬い。致ち命めい傷しようにはほど遠い。だが。

「これでもう、俺のこと無視できないよなぁ?」

 なにせ、貴重な痛みを与あたえてくる存在。雨だれ石を穿うがつってほどじゃないが、小さな傷とて積み重ねればいつか命に届く。

 返事は無言の噛かみつき。頭上から降ってくる死の気配を、サイドステップで躱した。横よこっ面つらを短く握った剣で殴る。キラキラと緑の光が躍おどった。

 名もなき竜りゆう。深層の生態系を支える、ただの一匹ぴきの獣。

 細く軽い体と、強きよう靭じんな脚きやく力りよくを武器に、素す早ばやく駆け回る。得意とする飛び掛かりは、人間にとっては当たれば即そく死しの大おお技わざとなる。

 長い尾おで全体重を支えて、踵かかとの爪つめを引っかけるように、両りよう脚きやくで蹴けりを打つこともある。

「お前らァ、ぼさっとすんな!」

 見なくてもわかる、背後で竦すくんじまっている少女たちの様子が。だが、竜種相手にそれは許されない。

「走る、跳ぶをさせたら負けだ! 気合い入れて絡からんでけ!」

 死地に生あり。

 一〇〇メートル後ろにいたって、こいつは五秒もあれば目の前だ。ならばこそ、走らせちゃいけない。薄うす皮かわ一枚挟んだところにある死を見ないふりして、全力で斬きりかかるしかないんだよ。

 というか、距離があったらこいつが跳んだときにカバーしきれねえ。

「無理無理無理無理ー!」

 そんなことを叫さけびながら、ヒルネがラプトルに飛び掛かった。短たん剣けんでは打だ撃げき力りよく不足。鱗の表面を引っ掻かくだけに終わるが、これで良い。

 遅おくれてスイが駆けこんできた。さらに後ろから近づくガシャガシャと重たい音。トウカも来たな。

「トウカは正面! 噛みつきは盾で防げる!」

「はい!」

「スイは後ろ! 回避重視! 少しずつ削けずれ!」

「削れってどこを!?」

「目につくところだ!」

 長い尾は、構えられた槍のように侵入を拒こばむ、破は壊かいの間合いだ。そこに飛び込むのは恐おそれを捨てなければいけないが、まだ早かったか?

「ヒルネはトウカのカバー! 蹴りの予備動作を見み逃のがすなよ!」

「突き飛ばせばいいです!?」

「なんでもいい! トウカを蹴らせるな!」

 二トンはあるだろう体を自由自在に動かす筋力で蹴られたら、どんな防具でも一いち撃げきでぐしゃぐしゃだ。

「俺は足を潰す!」

 片足での踏みつけを紙一重で避け、軸じく足あしの脛を殴なぐる。重ねたガラス板を割っているような感触だな。

 竜種の嫌なところだ。鱗というのは、捕ほ食しよく動物にとって最高の防具だ。動き回れる自由を残しつつ、反はん撃げきを気にしないタフネスを与えてくれる。

「硬すぎるよ!」

 両足の先に、細剣を振るうスイの姿が見えた。ダメージは全く通っていない様子だが、ラプトルは鬱うつ陶とうしそうに尾を振っている。虫を追い払う牛の尻しつ尾ぽを思い出し、少し面白くなった。

「細剣使ってるからだ、ツヴァイハンダー使うか?」

「扱あつかえないってば!」

 くつくつと喉のどの奥おくから笑いが漏れる。

 だがそろそろ装備の限界だろうな。火力不足が否いなめない。細剣――レイピアなんてのは、人間を殺す専用の道具だ。人間相手なら肋ろつ骨こつくらい切り落とせる火力を持つ、強力な武器なんだが。専用外の使い方じゃ、万全の力は発揮できない。

 背後では断続的に激しい衝しよう突とつ音おんが鳴っている。トウカは耐えているな。

「意識が散ってるぞ?」

 全体重を乗せた、全力の振り下ろしを足の指に打ち込む。べきり、と三本指の一つが折れた。巨体がぐらりと傾き、たたらを踏む。

 カチカチカチカチッ。小石を打ち合わせるような音。ラプトルの喉からだ。

 ムスクのような、独特な臭においがした。おそらく、警けい戒かい臭しゆう。小型の竜種は、追い込んでいく最中にこんな臭いを発する。

「気をつけろ、動きが変わるぞ」

 ラプトルの足がぴたりと止まった。何かを探すように首をもたげ、頭だけきょろきょろと動かす。

 くるりと横を向いたラプトルは一足で大きく跳び、俺たちから距きよ離りをとった。

 カチカチカチカチッ。

 ずらりと並んだ牙きばの隙すき間まから、火の粉がこぼれる。

「ブレス!?」

 咄とつ嗟さの判断だったのか。トウカが盾を構え、体勢を下げる。それを即そく座ざに横合いから蹴り飛ばした。予期せぬ方向からの衝撃だ。簡単に吹き飛んで地面を滑る。

「きゃっ、何を!?」

「ヒルネ、回収しろ!」

 ラプトルが首を鞭むちのように振り、火球を飛ばしてきた。とっさに転がって躱す。着ちやく弾だんした火球は、水風船のように弾けて、放射状に火の海を作り出した。

「可燃性の液体だ、受けるな!」

 まるで焼しよう夷い弾だんだ。粘ねばつく燃料は、触ふれた場所をしつこく燃やす。

 ラプトルが再度首を振り上げた。おかわりなんて、気前のいいやつだ。

「ううう、重すぎる~!」

 ヒルネが顔を真っ赤にしながら、トウカを引きずって下がる。

 対して前に出たのはスイだった。

『タイミ シナ モ ポウツ セ アウマイ』

 かざす左手。指輪が光った。

 ラプトルの前に、光の柱が立った。まさに火球を飛ばそうと振り上げていた頭が、柱にぶつかる。

 ごんと鈍い音とともに、光の柱は霧む散さんした。

 たかが障害物が瞬しゆん間かん的てきに生まれただけ。だがその衝撃で口から溢あふれた燃料が、ラプトル自身に降りかかった。顔面が炎ほのおに包まれる。

「ナイスだ、スイ!」

 竜種に炎が効くのかは知らないが、五感の大半は封ふうじただろ!

 狙いがかなり甘くなった火球をかいくぐり、さっき指を潰した足に、再び剣を叩たたきつけた。

 ラプトルが身を捩ねじり、がむしゃらに暴れた。ほんの一いつ瞬しゆん、目の前が暗くなる。じりりと額に熱いものを感じた。

「ナガ!」

「尾が掠かすっただけだ! 心配ない!」

 ブレスの炎が消え、明暗の差で視界がくらんだ。そこにタイミング悪く尾の振り回しが当たってしまったようだ。

 衝撃による脳のう震しん盪とうはない。本当に掠っただけ。だというのに、派手に出血してやがる。目に流れてくる血が鬱陶しい。

 傷口から鼻の横を通り顎あごまで、歌か舞ぶ伎き役者の隈くま取どりのように、指で血を引き伸ばす。血に流れが生まれ、目に入らなくなった。

 ラプトルを睨にらみ上げる。

 無機質な鱗に覆われた顔には、たしかに激げき昂こうの色が浮うかんでいるように見えた。

 無造作な噛みつきをツヴァイハンダーで打ち返すと、ラプトルは派手に仰のけ反ぞった。

 効いてる――違ちがう。

 背筋に冷たいものが走る。

 仰け反った勢いそのままに、長い尾だけで体を支える姿勢に。揃そろえられた足の裏が、俺をぴたりと狙う。死――――。

「後ろは、私の担当っ! だから!」

 ばつん。太いゴムが切れたような音がした。尾が地面を滑すべり、ラプトルの体がじたばたと宙で泳いだ。地じ響ひびきをたて、無様に倒れこむ。尾の先せん端たんが切断されていた。

「はぁーっ、はぁーっ」

 地面に刺さるほど深く剣を突き下ろしたスイが、肩で息をしている。足元には切られた尾の先端が落ちている。何度も何度も同じ場所だけ攻こう撃げきしていたようだ。切断面がボロボロだった。

「よくやった!」

 お前最高だな!

 笑えみが抑おさえきれない。意図せず歯は茎ぐきを剝むき出しにして、俺は藻も掻がくラプトルに躍りかかった。

 狙うは脇わき。関節付近の可動部は、どんな生き物でも多少は柔やわらかくなる。そして、脇の下には大きな血管が走っている。

「おおおおおおオオォォォォ!!」

 腹の底から叫んだ。

 振り抜ぬくツヴァイハンダーは銀色の残像を描えがき、指の先はビリビリと痺しびれる。過去最高の一撃が、狙い過たずラプトルの脇に突き刺さった。

 強い衝しよう撃げきに剣がしなる。めり込んだ切っ先が肉を潰す感かん触しよく。隙間から大量の血が溢れ出た。

 ラプトルの巨きよ体たいが倒れのたうつ。

 体高四メートルのガタイからすれば小さな傷。それでも命に直結する場所を急所と呼ぶんだ。人間だって首筋を五センチも切られりゃ死ぬ。

 ラプトルが首をもたげ、俺を見た。鱗に覆われ変化が見えない表情では、何を考えているのかわからない。

 カチッ……。

 一度だけ発火器官を鳴らし、諦あきらめたようにうつ伏ぶせる。

「勝った……んですか?」