一章



 どこからどう見ても、紛まぎれもない不ふ審しん者しやである。

 一九〇センチ近い長身、細身の体、やや猫ねこ背ぜ。髪かみの毛はガタガタのボブカットで、ヒゲは掴つかめるくらい長い。上半身は裸はだかで、下半身には薄うす汚よごれたふんどし一丁。背中には紐ひもが千切れかけた鼠ねずみ色いろのリュックサックを背負い、右手には錆さびた手て斧おの、左手にはこんがり焼けた骨付き肉。

 何なにを隠かくそう、俺おれ――永なが野の弘ひろしの姿だ。

 誰だれかに見られた瞬しゆん間かん、即そく座ざに警察に通報されるような出で立ちだが、何も問題はない。なぜならここは、ダンジョンのそれもかなり深い層だからだ。

 ダンジョン。

 ゲームを代表に、小説や漫まん画がなどでも描えがかれることの多い冒ぼう険けんの舞ぶ台たい。

 地下へ地下へ伸びる、モンスターや罠わな、そしてお宝と神秘に満ち溢あふれた迷めい宮きゆうだ。

 そんなダンジョンが地球に突とつ如じよ発生して――何年経たったんだろうな。いやマジで。

 たまには過去を振ふり返らないと、本格的に人間を辞やめてモンスターに変わってしまいそうだから、久しぶりに思い出してみるか。

 俺がダンジョンの深い層で、謎なぞの半はん裸らおじさんになった切っ掛かけの日ってやつを。


◇


 タッパは低いが横にがっしりとデカい、山さん賊ぞくみたいなツラの男が、地面に転がっている頭ず蓋がい骨こつを足でひっくり返した。

『おい、ナガ。見ろよこれ』

 ナガは俺のあだ名だ。合計四人で組んで仕事をしている俺らは、互たがいにあだ名で呼び合っている。

 ボロボロに崩くずされた中世の要よう塞さい跡あと地ちみたいな地形。偽にせ物ものの月明かりが照らす下で、転がった頭蓋骨から下あごがポロンと外れた。奥おく歯ばの部分がきらりと月明かりを反射する。

『お、金歯じゃねーか』

 外れた下あごを拾い上げ、ナイフでえぐって金をとると、要いらなくなった骨はそこらに放り投げた。砕くだけた石いし畳だたみの隙すき間まから伸のびた雑草に落ちたのか、音は立たない。

『スケルトンも金歯とかしてんだな。金歯狩がりでもして一いつ攫かく千せん金きん狙ねらうか?』

 山さん賊ぞく野や郎ろうのヤスが下品な顔で笑う。

 スケルトンは動く骨格標本みたいなやつだ。どうやって動いてんのかは知らんが、骨こつ盤ばんを叩たたき割われば死ぬ。死ぬっていう表現はおかしいかもしれないが、とりあえず、それで動かなくなる。

『割に合わねぇよ。地味にめんどくせぇし』

 ぼやいたのは、坊ぼう主ずあ頭たまに黒くろ縁ぶち眼鏡で、真面目そうな顔した男だ。

 メガネと呼ばれているが、この中で一番暴力に手慣れている。

『お前らうるせぇんだわ。仕事中くらいは静かにしろよ殺すぞ』

 チビで痩やせぎすのニット帽ぼう君が脅おどすような口調で言った。こいつが今回のダンジョン探たん索さくの「ボス」だ。

 俺らは日ひ雇やとい労働者みたいなもん。ダンジョン前で自じ称しよう会社さんの人に集められ、適当に分けられて潜もぐる。このイキったニット帽のガキは、会社さんの使いっ走り兼けん、俺らのお目付け役だ。

『殺さなくてもそのうち減るさ。それがダンジョンだ』

 ヤスが言う。「ボス」を除いた俺ら三人はヘラヘラと笑った。「ボス」だけがイラついた様子で、手に持ったバールのようなもので、自分の肩かたをトントン叩く。

 このとき、たぶん、俺だけが感じた。先頭にいたからかもしれない。

 ――空気が変わった。

 ハンドサインを出し、立ち止まる。全員無言で足を止め、息を潜ひそめた。

 どんよりと空気が濁にごってくるように感じる。重苦しい緊きん張ちよう感だ。心臓が早はや鐘がねを打ち、視野がじわじわと狭せまくなってくる。

 ざっざ。ざっざ。

 遠くから草を踏ふみしめる音が近づいてくる。

 ゆっくりと、半はん壊かいした石いし壁かべに身を寄せ、そっと音の方を覗のぞいた。瞬間、背筋に冷たいものが走る。

『トレインだ!!』

 思わず叫さけんだ。

 敵に追われた獲え物ものが逃にげ惑まどううちに、次々と色んなエリアの敵に狙ねらわれてしまい、大集団を作り上げる。それがトレイン。

 しかも今回の場合は最悪だった。

 先頭を走る――獲物役がラミア。蛇へびの体に、人間の女の上半身がくっついたモンスター。そして、それを追うのが数えきれないほどのスケルトンの集団。

 俺らは目を合わせたのも束つかの間ま。散り散りになって、全力で走って逃げだした。

 トレインで追われているやつが考えるべきことは単純だ。逃げ切るか、誰かになすりつけるか。

 スケルトンは俊しゆん敏びんではないが、疲つかれ知らずだ。逃げ切れはしない。ならば、他の獲物になすりつけるしかない。

 そして、ラミアは蛇の能力――ピット器官を持っている。要は、熱を探知できる。つまり、どれだけ息を殺して物もの陰かげで縮こまっていようが、ラミアは絶対に俺らを見つけ出す。

 この中の誰かがなすりつけられる。確実に。それが自分じゃないことを祈いのりながら、他の奴やつと違ちがう方向に逃げるしかない。

 俺は走った。

 次々に聞こえる人間の断だん末まつ魔まのさけびにも振り返らず、がむしゃらに走った。吸う息、吐はく息、いちいち血の味がするまで走った。

 トレインから逃のがれたあとも散々だった。いつの間にダンジョンの奥おくに入ってしまったのか、出てくるモンスターは格上の手に負えないやつばかり。逃げて隠れて走ってを繰くり返すうちに――。

『どこだ、ここ』

 俺は完全に道を見失ってしまった。

 おそらくは、ダンジョンの深い階層と思われる場所で。


◇


 あれからは大変だった。

 たどり着いたのは、大昔に映画で見た恐きよう竜りゆう時代みたいな植物が一面に生い茂しげっている階層。

 ダンジョンの始まり地下一層は、建物の内部みたいな造りをしている。そこから階段を下るにつれて建物の外に出るようになり、やがて人の痕こん跡せきがまばらになって、自然物の割合が増えていく。

 完全に人工物がないこの階層は、もはやどれだけ深いのかもわからない。

 ただ、それは完全に悪いことばかりではなかった。

 ダンジョンの浅い層は人工物が多い。つまり、水場や食料を得るのが大変なのだ。出てくるモンスターも生物ではなく、ゾンビやスケルトンなんかの、動く死体がほとんど。手持ちの水と食料で突とつ破ぱするしかない。深い階層は、モンスターとの生存競争にさえ勝てれば、とりあえず食い物に困りはしない。

 その日から俺は大きな木の洞うろに身を隠して眠ねむった。草木の若芽や、虫、小さなトカゲなんかを食べるところから始まり、少しずつ倒たおせるモンスターを倒していき、気づけばこの階層での生活も安定するようなっていた。

「といっても、結局出れないんじゃなぁ」

 食事中に乱入してきて、焚たき火びを踏みつぶしやがった、翼つばさ付きのトリケラトプスみたいなモンスター。その死体に腰こしかけてぼやく。冷血動物のくせにデカいからか、人ひと肌はだよりもあったかい。

 体長六メートルくらいはあるモンスターだって、楽に倒せるようになった。ここに下りてきたときは、素人しろうとに毛が生えたような冒ぼう険けん者しや――ダンジョンで日ひ銭ぜにを稼かせぐ者は、そう呼ばれていた――だった俺にとって、ありえないくらいの成長だ。

 骨付き肉にがぶりと食くらいつく。味付けもなければ血ち抜ぬきもしていない、生なま臭ぐさい肉。とっくに慣れたが。

 食料は問題ないんだ。実力に関しても、ここらの階層を多少上下しながら探索できるくらいには強くなった。ただ、水がなぁ。

 来るときに持っていた、サバイバル用品の浄じよう水すいキットはとっくに使い果たしている。ビニールバッグみたいなのに粉が入っていて、汚お水すいに投なげ込こんで数時間待てば、中に綺き麗れいな飲み物が出来上がっているという、アレだ。

 この階層には、とても衛生的とはいえないものの、水源が存在する。だからこそ長期間生き延びられた。逆に中層から上の方の階層は水が手に入らないんだよな。

 水がなければ人は動けない。上の方の階層はモンスターが弱いといっても、一いつ切さい水を飲まずに踏とう破はできるような距きよ離りじゃない。かといって、このまま一生ダンジョンの地下で暮らすっていうのも耐たえ難がたい。地上に戻もどったところで何があるってわけでもないが、それでも人間社会ってやつが恋こいしい。

 ――やってみるか。

 ダンジョン深部から、地上を目指すことが無む謀ぼうな挑ちよう戦せん。聞く人によっては何を言っているんだこいつは、と思われるようなあべこべな状じよう況きようだ。

「ま、最悪ゾンビの汁しるでもなんでも飲んでやるさ」

 俺は白はく亜あ紀きの原生林みたいな環かん境きようで、可能な限りの準備を整えて、逆ダンジョンアタックを開始した。


◇


 地球に突如として現れたダンジョン。それによって世界はファンタジーなものに――ならなかった。人の枠わくを超こえた力。それはある。魔ま法ほうや魔法の道具。それもある。ただ、それは漫画やアニメで見るような派手で華はなやかなものじゃない。目で追えないような速さで走ることは出来ないし、氷の槍やりを乱射するようなことだってできない。社会の仕組みだってそうだ。緩ゆるやかには変われど、劇的な変化は起こらない。

 関東ダンジョン多た摩まエリア二一層、通つう称しよう「神しん殿でん墓地エリア」。

 屋外の墓地が延々と広がり、ところどころに神殿のような建物が並んでいる。その神殿の礼拝所によく似た空間で、三人組の若い女性が焚火を囲んで体を休めていた。三人の背後には、小型のドローンが無音で浮うかんでいる。

「それじゃあ、しばらくは休きゆう憩けいになるからみんなも休憩してねー」

 胸きよう甲こうと細身の剣けんを装備した少女、スイがドローンに向かって手を振った。

 一人一台、それぞれがカメラ付きのドローンで配信しているのだ。この配信は娯ご楽らく目的で視し聴ちようする者も多数いるが、元来はダンジョンに入るすべての民間人に義務付けられたものでもある。

 平和な国、日本。そこに突とつ然ぜん現れた危険地帯であるダンジョンに、民間人が無資格で入ることなどできない。

 国家資格である特定地下探索者免めん許きよ試験に合格したのち、一いつ般ぱん社団法人特定地下探索者協会と、公益社団法人特定地下探索者協会の二つに加入。それから二か月間の法定研修を受け、地下探索従事者証と、探索中に休みなく配信し続けるドローンを受け取って、ようやくダンジョンに潜ることができるのだ。

 ちなみに両協会の加入費として合計で六〇万円ほどがかかり、さらに年会費として毎年一二万円がかかる。さらに毎年六回の研修参加が義務付けられており、それの参加費用として毎回三万円かかるため、実質の年会費は三〇万円くらいになる。

 単純なダンジョンへの憧あこがれで始めるには、あまりにも高いハードルだ。

 さらに、ダンジョンで手に入れた物品はすべて協会が強制的に買い取り、入金は月末締しめの三か月後あと払ばらい。不正が出来ないよう、ダンジョン内では常にドローンに撮さつ影えいされ、配信され続ける。

 現代のダンジョンにおいては、ナガのようなチンピラや食い詰つめ者が入る余地はない。

 少女たちの腕うでについたスマートウォッチからアラーム音が鳴る。休憩を終えた彼かの女じよたちは立ち上がり、大きく伸びをした。

「んんん、あとは階段見つけて中ちゆう継けい地点の設営。ダンジョン攻こう略りやくも楽じゃないですな~」

 黒の戦せん闘とう服ふくとボディーアーマーに身を包み、短たん弓きゆうを手にした少女がドローンに吊つるされた荷物を叩いた。魔法と科学の組み合わせで作られたこのドローンは、白くのっぺりした電子レンジのような見た目ながら、無音で宙に浮かんで撮影・配信を行うばかりか、二〇〇キログラムまでの荷物を運ぶことができる優すぐれものだ。

「とはいえ、大事な任務ですから頑がん張ばりましょうね」

 全身鎧よろいと大きなメイスで物々しい武装をした少女が穏おだやかな声で言った。装備こそ重量級だが、優やさし気げな表情はどこか聖職者のような神こう々ごうしさがある。

「それはそう。画面の前のみんなもご存じの通り、私たち先せん遣けん隊たいがビーコンを設置しないと、後続の本隊が無む駄だにダンジョンをさまようことになっちゃう。さらに下層を目指す人たちも、この階層を探索する人も、ビーコンを頼たよりに探索するんだから、本当に大事なんだよ」

 スイが指をドローンに突つきつけるようにして言った。

 肩のあたりで綺麗に切り揃そろえられた黒くろ髪かみ、透すき通るような白い肌はだに、長くカールしたまつ毛。胸甲と細剣という装備も相まって、まさに姫ひめ騎き士しといった印象だ。ドローンの表面に表示されて流れる配信コメントにも、容姿に触ふれるようなものが多い。

「それでは、不死払ばらいの加護をつけますね」

 重装の少女がメイスを右手で掲かかげ、左手で小さな宝石のようなものを握にぎりながら、小さな声で呪じゆ文もんを唱える。

『セ オエ テ イア アイ アヴァツ エ マナ リ』

 メイスから迸ほとばしる白い光を受けた三人は、礼拝所を出た。

 早さつ速そく現れたのは長ちよう剣けんで武装した三体のスケルトン。眼がん窩かには黄色の鬼おに火びが揺ゆれる。

「黄色三、近くに遠えん距きよ離りなし! 楽勝!」

 短弓の少女が元気よく言った。

 スイと重装の少女が走り出すと同時、三体のスケルトンも距離を詰めるように走り出した。

 全身鎧と錆びたスケルトンの長剣が衝しよう突とつし、火花を上げる。構わず振りぬかれたメイスが骨盤を粉ふん砕さいし、スケルトンがバラバラに崩れ落ちた。

 スイは顔に突き出された切っ先を屈かがむように避さけると、一体を蹴けり飛ばし、もう一体の骨盤に鋭するどい突きを差し込んだ。また骨が崩れ落ちる。蹴り倒されたスケルトンが立ち上がる前に、スイは左手のひらを向けた。

『アフィ レ オ マロシ』

 指輪が光り、手のひらに生み出された火球が飛ぶ。野球ボールほどの火球はスケルトンの骨盤を的確に撃うち抜ぬき破は壊かいした。一息ついたところで、短弓の少女が鋭い声を上げる。

「何か来る!」

 月明かりが陰かげる。冷たい風が吹ふいた。

 三人の前にゆっくりと姿を現したのは、ボロボロのローブを身に纏まとった、魔ま術じゆつ師しのような見た目の骸がい骨こつだった。右手には手斧、左手にはねじくれた木の杖つえを持っている。

「――レイス」

 スイは息をのんだ。

 腐くさった皮ひ膚ふが張り付いた骸骨がカラカラと嗤わらう。眼窩の奥に光る鬼火は、赤。

「赤は……厳しいですね」

 一いつ般ぱん的てきに、アンデッドの強さは鬼火の色でわかると言われている。弱い順に、無し・水色・黄色・赤色。それ以上は観測されていない。事実上、最強のアンデッドと言えるのが、赤の鬼火の個体だ。

「ま、まだ来てる!」

 後方で警けい戒かいしていた短弓の少女が悲鳴を上げた。

 レイスの背後から、さらにもう一体レイスが現れた。眼窩の光は――。

「むらさき、ですか?」

 重装の少女の声は震ふるえていた。彼女はこのパーティーで最も対アンデッドの経験が豊富だ。だからこそわかる。

「か、勝てません。撤てつ退たいを」

 言いながら、直感していた。撤退は叶かなわないだろうと。散り散りに逃げれば、もしかすると一人は生き残るかもしれないが、恐おそらくそれは自分じゃない。最も重装備な分、最も足が遅おそい。絶望の中、それでも前に一歩、足を進める者がいた。スイだ。

「バランス型の私が、一番生存率が高いと思う。隙すきを見て逃げるから、二人は先に逃げて」

 レイスたちに細剣を向ける。逃げろと言われた二人は何かを言おうと口を開け閉めしていたが、スイが魔法の詠えい唱しようを始めたのを切っ掛けに、背中を向けて走り出した。

 仲間の自己犠ぎ牲せいを心が拒こばんだとて。ダンジョンでは簡単に人が死ぬ。ときにはあっさりと、実力者揃ぞろいの大集団とて命を落とす。それは、彼女たち自身にとっても例外じゃないと知っていたからだ。

 二人はスイの身を案じながらも、来た道を全力で引き返した。

 強敵。それも複数を一人で相手取るときは、下がりながら戦うのが定石だ。

 宙に浮くレイスの杖から黒い球体が放たれる。大きく横に回かい避ひ。着ちやく弾だんした背後から、粘ねばっこい液体がぶつかった音がした。赤のレイスが滑すべるように接近。振るわれた手斧をしゃがむように回避。細剣で一突きし、バックステップで距離をとる。

 横にかわす。後ろに下がる。上下にかわす。後ろに下がる。合間合間に攻こう撃げきを挟はさみながら、広大な墓地を下がる。

 踏みしめた地面が揺れた。嫌いやな予感がし、即座にバックステップ。ついさっきまでスイが足を置いていた場所に、腐った腕が突き出された。冷たい土を押おしのけて出てきたのは、目に黄色い鬼火を宿したゾンビだ。

 冷ひや汗あせが頬ほおを伝う。

 スイがしてしまった想像を裏付けるように、周囲の墓が揺れた。次々と地面から這はい出て来るゾンビやスケルトン。二体のレイスが嗤った。

「……トレイン」

 スイは唇くちびるを噛かんだ。


◇


 まずい。もう水が切れた。

 太い木をくりぬいただけの、お手製の樽たるの中身はもう空っぽだ。斧おので樽の内側を剥はがして、湿しめった木の繊せん維いをしゃぶりながら裸は足だしでぺたぺたと歩く。

 唯ゆい一いつの救いと言っていいのは、もう九階層も人工物のあるエリアを上がっていることだ。もう幾いくらか進むことが出来れば、他の冒険者やらに助けを求めることが出来るかもしれない。

 助けるメリットがないと見捨てられるかもしれないが、そこはアテがある。リュックには幾らか、金でできた装そう飾しよく品ひんが入っているのだ。これで交こう渉しようすれば、助けてくれなくとも、多少の水は分けてくれる可能性だってある。

「はぁっ、はぁっ」

 渇かわきに自然と息が上がる。墓場から起き上がったゾンビの頭をカチ割り蹴とばした。燃料が手に入ったら、こいつらを焼いて蒸留みたいなことをすればいいかもしれないな。可燃物くらい、どっかで手に入るだろう。

 雲に偽物の月が覆おおわれて視界が悪い。燃料を探すのは次の階層が良いかもな。そんなことを考えていると、はるか先でぽっと小さな光が浮かんで消えた。魔法だ。それも炎ほのおの魔法だ。

 アンデッドはあまり光る魔法を使わない。黒いネチャネチャを飛ばしてくるのがほとんどだ。十中八九、光った場所に人間の魔ま法ほう使つかいがいる。人間が、いる!

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 視界の先には、無数のアンデッドを相手に、下がりながら戦う少女の姿が。

 どうやらトレインを引き起こしているようだが、そんなことはどうでもいい。なんでこんな所に一人でいるのか、そんなこともどうでもいい。

「水ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 一刻も早くアンデッドを片付けて、水を分けてもらおう!

 俺は躊躇ためらいなく、手斧だけをたのみにアンデッドの群れに飛び込んだ。

 正面のゾンビを掴んで、左のスケルトンとの盾たてに。ダッキングで次のゾンビの懐ふところに潜り、飛んできた魔法の盾に。右のスケルトンは腰よう椎ついを切り飛ばす!

 大ぶりの剣をかわしたら、反はん撃げきのラリアットで数体巻まき込んでなぎ倒す!

 脳からドバドバと汁が溢れてくるのを感じる。水だ! 人だ! 日本社会だ!

 昔は脅きよう威いだったアンデッドのトレインだって今となっちゃ楽勝だ。それもまた、なんだかとにかく気持ちいい!

「げ、原始人……? 亜あ人じん系?」

 背後から聞こえる声だって気にならねぇ!

 骨と腐ふ肉にくを蹴け散ちらしていると、目の前に赤い鬼火を浮かべた、ローブ姿のアンデッドが割り込んできた。互いが振った手斧がぶつかり、跳はね上がる。

「よぅ、久しぶりだなぁ」

 こいつは、俺が身に着けている唯一の衣類、ふんどしの布を提供してくれたアンデッドだ。ちなみに手斧もこいつから奪うばったものだ。あのときは命いのち懸がけの激戦だった。が。

 近くにいた不運なスケルトンの肋ろつ骨こつを掴み、投げつける。飛んできたそれを邪じや魔まそうに払はらったローブ野や郎ろう。その無防備になった手首を切り飛ばした。零こぼれ落ちた斧を空中で掴み取り、錆びた斧の二刀流でローブ越ごしに斬きり付ける。嫌がって杖を振り上げたときに露ろ出しゆつした膝ひざの皿を、奪った手斧が叩き割った。深く食い込んだ手斧から手を放し、怯ひるんだローブ野郎を蹴り飛ばす。

 吹き飛んだローブ野郎は、アンデッドの群れの足元に埋うもれて、あっという間に見えなくなった。

 やっぱ楽勝じゃねぇか。こうなりゃ勝負は決まったようなものだ。

 長年に渡わたるダンジョン生活で学んだこと、その一。トレインは厄やつ介かいだが、その物量そのものがモンスターの仇あだになる。足を潰つぶせば他のモンスターに巻き込まれ潰されるのだ。どれだけタフなモンスターでも、絶え間ない踏みつけ攻撃には耐えられず、為なす術すべなく砕け散る。

 視界の端はしで、紫むらさきの光が通り過ぎた。二体目のローブ野郎が、少女に忍しのび寄っている。なんて卑ひ怯きような。

「ゴラァ! そいつは俺の水だぁぁぁぁ!」

 ボサっとしてるゾンビの頭を踏み越こえて、ローブ野郎に空中から躍おどりかかる。全体重を乗せた一いち撃げきは、綺麗にそいつの頭を捉とらえた。

 ばきっ。

 嫌な音がした。右手の内が、急に軽くなる。くるくると斧の頭が飛んでいくのが見えた。

「マジか!?」

 振り返ったローブ野郎の眼窩で、紫の炎が躍る。密着する俺を払うように杖が振りぬかれた。咄とつ嗟さにしゃがむ。視界の上で、細長いものが揺れ動いた。髑どく髏ろの口から、黒い蛇がずるずると吐き出されている。

「ああああ面めん倒どうくせえええ」

 蛇の形をして動いちゃいるが、どうせこれも素材は黒いネチャネチャだろう。アンデッドが魔法で出すネチャネチャは、言うなれば呪のろいのようなものだ。

 油性インクみたいにベッタリとくっつき、ついた部分から体の末まつ端たんにかけて、全ての感覚を奪い取る。肩に食らえば腕から指の順に何も感じなくなり、首につけば視覚聴ちよう覚かく嗅きゆう覚かく味覚の全てを奪われる。長時間つきっぱなしにしていると、体力まで奪われて疲れ果てるのだ。

 近くにいたスケルトンをぶん殴なぐって長剣を奪い、背後のゾンビ一体を斬り捨てる。手斧で襲おそい掛かって来たローブ野郎の攻撃をバックステップでかわして、口に長剣をねじ込んだ。

「よく噛んで食え、スルメ野郎!」

 背後のゾンビを使って三角跳とびをし、咥くわえさせた剣の柄つか頭がしらに飛び蹴げりを入れた。硬かたいものを突き破やぶる感かん触しよく。一いつ瞬しゆんこちらに手を伸ばしたローブ野郎だったが、ふっとその力が抜け、眼窩の鬼火が消えた。

 今のがボスみたいなものかな。それなら後は掃そう除じをするだけだ。ローブ野郎が落とした手斧を振るい、残りの雑魚ざこ共を一気に蹴散らしにかかる。

 ――気づけば、立っているのは俺と少女だけだ。

 流石さすがにトレインの大集団を倒すのは、雑魚であれ疲れる。俺は肩で息をしながら、フラフラと少女に近づいた。

「ちょ、え、なに」

 思わずといった様子で少女が身構える。

「み、みず」

「え?」

「水を、くれ」

 渇きの限界だったのだろう。足から力が抜け、俺は冷たい地面とごっつんこした。