10章 その頃の人々


「レティ……一体どうしたのかしら……?」

 私、ヴィオラ・エヴァンズは、姿が見えなくなったレティの姿を大ホールの中で捜し回っていた。

 今着ているのはイエローカラーのパーティードレス。そして足元は同系色のハイヒール。

 ドレスもハイヒールにも全く慣れていないものだから、歩きにくくてたまらない。

 おまけに、目のくらむほどに大人数の卒業生たちがドレスやタキシード姿でひしめき合っているのだ。これではとてもレティを捜し出すどころではなかった。

「もう……! なんだって、こんなに大勢の学生を一堂に集めるのよ! 大体700人なんて多すぎなのよ!」

 ブツブツ文句を言いながら私はレティを捜し続け……ついに諦めて、ホールに設置された椅子に座り込んでしまった。

「はぁ……駄目……見つからないわ。こんなことなら、レティと一緒に行動すればよかった」

 絶望的な思いでため息をつく。

 私はレティと講堂で別れたことを今、激しく後悔していた。あの時はレティとは更衣室が同じなのだから、待っていれば会えるだろうとたかくくっていたのだ。

 けれど、レティは一向に現れる気配がない。そこで、もしかするとどこかで行き違いがあったのではないかと思い、一人で大ホールまで来たのだが……いまだにレティと会えずにいた。

 それに、なんだか言い知れぬ胸騒ぎを感じていた。講堂での別れ際、レティは今まで見たこともないような切羽詰まった様子で私を呼び止めた。あれは一体なんだったのだろう?

「レティ……」

 ポツリと彼女の名を呟き、大ホールの時計を見ると、時刻は13時になろうとしている。

「歩き回って喉も乾いたし、お腹も空いてきたわね……食事でもしてこようかしら」

 大ホールには立食テーブルのコーナーがあちこちに設置されている。学生たちは食事やダンスで卒業記念パーティーを楽しんでいた。

「パーティー終了時間までまだ時間はあるし、食事をしたあとでまたレティを捜せばいいわね」

 ブツブツ独り言を呟きながら、自分に言い聞かせる私。それに……もしかしたら、レティはセブランと一緒にいるかもしれない。とりあえず、食事をしてからまた考えよう。

 椅子から立ち上がると、私は立食テーブルコーナーへと向かった。


「う~ん……! このお肉最高!」

 ローストビーフに舌鼓を打っていると、人混みに紛れてセブランがフィオナと親しげに飲み物を飲んでいる姿を偶然発見してしまった。

「な、何よ……あれは……! やっぱりセブランはレティじゃなくて、あの女と一緒だったのね!」

 2人を目にした途端、頭にカッと血が上る。

 許せない……! セブランはレティと婚約したはずなのに……!

「こうなったら文句を言いに行ってやるんだから……!」

 ドレスの裾をたくし上げて、セブランとフィオナの元へ向かって突き進んだ。すると私よりも早くセブランに駆け寄った人物が目に飛び込んできた。

「え……? イザーク?」

 髪が乱れきっているイザークは、ものすごい剣幕でセブランの胸ぐらを掴むと、何やら文句を言い始める。そして、震えながら2人の様子を見ているフィオナ。

「イザークったら……! 何考えてるのよ!」

 あれでは暴力の一歩手前だ。急いで3人の元へ駆け寄ると、イザークの怒声が聞こえてきた。

「セブラン! お前……ふざけるなよ!!

「え? な、なんのことだよ!」

「ちょっと! イザーク! やめなさいよ!」

 大きな声を上げながら駆け寄ると、3人は一斉にこちらを振り向いた。


◆◇◆◇◆


 今日は卒業式、そして卒業記念パーティーが行われる日だ。俺、イザーク・ウェバーはこの日を心待ちにしていた。なぜなら、この日はダンスパーティーが開催される。堂々と彼女をダンスに誘えるからだ。

 気持ちを打ち明けることもできずに、3年間ずっと片思いだったレティシアを──


 講堂での卒業式が終わり、卒業生たちは更衣室に向かって歩いていくが、俺はレティシアを捜し回っていた。なんとしてもパーティー会場の大ホールに入場する前に、レティシアを見つけなければ、まず会えることはないだろう。何しろパーティーは分校の生徒たちも集まり、総勢約700人にも上るのだから。

(レティシア……どこにいるんだ?)

 必死で捜していると、ようやく彼女を見つけた。レティシアは、なぜか一人で中庭の方へ向かって歩いていく。

(え? どこへ行くんだ? 更衣室とは反対方向じゃないか)

 なぜかひどく胸騒ぎがする。そこで悪いとは思ったが、彼女のあとを追うことにした。

 レティシアは俺につけられていることに気付く様子もなく、まっすぐ足早に中庭に向かって歩いていく。その姿はまるで、何かに追い立てられているようにも見えた。

「一体どこへ行くんだよ……」

 すると前方に外へ続く門が視界に入る。まさか外へ行くつもりなのか?

「レティシア? どこへ行くんだ」

 たまらず、とうとう声をかけてしまった。彼女を驚かせないようにできるだけ静かな口調で。なのに、それでもレティシアは驚いたのだろう。小さな肩をビクリと動かし、恐る恐るこちらを振り返った。

「イ、イザーク……」

 なぜかその目はひどくおびえている。不審に思いながら、意を決して彼女に話しかけた。

「レティシア。こんなところで何してるんだ? それにまだドレスにも着替えていないじゃないか」

 レティシアのドレス姿も楽しみにしていたのに。

「そ、そういうイザークはどうしてここに……?」

「どうしてって……レティシアが一人、こっちへ向かったから気になって……ついてきたんだ」

 怯えた目で俺を見る彼女に、とてもではないがダンスの申し込みをするなんてできない。

「なぜ?」

「え? なぜって……」

 まさか、優しい彼女からそんな台詞が飛び出してくるとは思わなかった。ひょっとして、あとをつけてきたから幻滅されてしまったのだろうか? 情けないことに、レティシアがセブランと婚約しても、まだ彼女に未練があっただけに、今の態度は流石にショックだった。

「あ……ごめんなさい。私、別にそんなつもりで言ったわけじゃないの。ただ卒業前に花壇の様子を見たかっただけなのよ」

 すると、レティシアは悪いと思ったのか謝ってきた。

 しかし、嘘だとすぐに分かった。何しろ彼女は説明する間、視線をずっと逸らしていたからだ。

「そうだったのか。あとをつけるような真似をして悪かった。ただ、少し話もしたかったから」

「話? 何?」

「い、いや。やっぱり話はパーティー会場でするよ。それじゃ、またあとで」

 もう、ここで彼女と話をするのは諦めよう。レティシアも俺の提案に頷くも、心ここにあらずであることは一目瞭然だ。

 俺は背を向けると、引き返した。背後からレティシアの視線を感じる。建物の中に入ると、すかさず陰から顔をのぞかせた。

「!」

 すると驚くことに、はるか前方をレティシアが門に向かって走っている姿が見える。

「レティシア!」

 慌ててあとを追いかけるも、彼女は門を開けて走り去ってしまった。

「くそ!」

 必死で門まで走り、通りに出たものの、既に手遅れだった。人や馬車で賑わう大通りを見渡しても、どこにもレティシアの姿は見当たらなかったのだ。

「レティシア……」

 完全に見失ってしまった。

「レティシア……一体どこへ……もしかして、ヴィオラが知っているかもしれない!」

 そこで、急いで大ホールへと向かった。なんとしてもヴィオラを捜し出して、レティシアがどこへ行ったのか尋ねてみなければ!


「見つからないな……」

 大ホールは予想以上にすごいことになっていた。ただでさえ大人数のうえに、半数以上が見知らぬ顔。挙げ句に参加者全員が正装しているのだ。このような状況でヴィオラを見つけられるとは思えなかった。

「こんなことなら、レティシアから目を離さなければよかった……」

 今さらながら、激しく後悔していた。あの時、門に向かって走るレティシアの様子は只事ではなかった。なぜ彼女はパーティーに出席するどころか、出ていってしまったのだろう?

「おかしい……絶対に何かあるに違いない」

 時間が気になり腕時計を見ると、時刻は13時になるところだった。今まで散々捜し回ったせいで、喉が乾いていた。

「何か飲んでから、またレティシアを捜すか」

 そこで俺は立食テーブルへ向かった。


「ふぅ……」

 アイスティーを飲み干しテーブルに置いて、何気なく辺りを見渡した。その時にとんでもない光景を俺は目にしてしまった。それは、セブランがフィオナと楽しそうに食事をしている姿だった。フィオナはセブランの腕に手を回し、あいつも満更でもない笑みを浮かべている。しかも2人は同じ色のスーツにドレス姿だ。誰が見てもカップルにしか思えない。

「あ、あいつら……!」

 その姿を見た時、一瞬で頭に血が上るのを感じた。レティシアはセブランの婚約者だというのに、一体何をやってるんだ? きっとレティシアは、2人を見てショックを受けた。そして逃げ出してしまったに違いない。

「レティシアを傷つける奴を許すものか……!」

 俺はセブランに駆け寄った。

「セブラン!!

 すると、奴は能天気に笑いかけてきた。

「あれ? イザーク。どうしたんだい?」

「こんにちは。イザーク様」

 フィオナは挨拶してきたが、それを無視してセブランの胸ぐらを掴んだ。

「セブラン! お前……ふざけるなよ!」

「え? な、なんのことだよ!」

 奴は、俺の怒りの理由に全く気付いていない。それが尚更怒りを掻き立てる。

「やめて! イザーク様!」

 フィオナが耳障りな声で叫ぶが、知ったことか。こいつ……一発なぐってやらなければ気が収まらない。

 拳を振り上げた時──

「ちょっと! イザーク! やめなさいよ!」

 突然の声に驚き振り向くと、肩で息をするヴィオラの姿があった。

「ヴィオラ……」

 セブランを離すと、奴は喉を押さえて苦しそうにき込む。そんなセブランの背中をさすりながらフィオナが文句を言ってきた。

「イザーク様! セブラン様になんてことするんですか!」

「うるさい! それはこっちの台詞だ! お前ら、レティシアに何をしたんだよ!」

「え……? レティがどうかしたのかい?」

「一体なんのこと?」

 セブランとフィオナが首を傾げる。

「ふざけるなよ! レティシアがいなくなったのはお前たちのせいだろう!?

 すると、ヴィオラが突然俺の左袖を掴んできた。

「ちょっと! 何よ、それ! レティがどうしたのよ!」

「え……?」

 その言葉に血の気が引く。

「ヴィオラは……知ってたんじゃないのか……?」

「知ってた? 一体なんのことよ?」

「レティシアが……制服姿のまま、中庭の門から外に出ていったことだよ……」

 俺の言葉に、その場にいた全員が目を見開く。

「え? レティが中庭の門から外に出ていったの? それって、パーティーに参加したくなくて、家に帰ったのじゃないかしら?」

 フィオナが信じられない発言をした。

「なんだって? 本気で言ってるのか? そんな馬鹿な話があるものか。誰だって高校生活最後の卒業パーティーに参加したくないなんて思うはずないだろう?」

「そうよ! もし参加したくないなら、それはあなたたち2人のせいよ!」

 ヴィオラが俺の意見に同意し、セブランとフィオナを交互に睨みつける。

「ええ! どうして僕たちのせいになるんだい?」

「そうよ。いくらレティの親友だからといって、いい加減なことを言わないでくれる?」

「だったら、なぜ同じ色の衣装を着ているの? まるでパートナー同士に見えるわよ!」

「ああ、俺もそう思う。セブラン、お前はレティシアという婚約者がいるのに、なぜフィオナと揃いの色のスーツを着ているんだよ!」

 すると意外な言葉がフィオナから出てきた。

「それは私が以前にセブラン様に、卒業パーティーでどんな色のスーツを着るか尋ねたからよ。ドレスを作る参考にしたかったからね。それで薄水色のスーツだよと教えてもらったの。素敵な色だと思ったから、私も真似てこのドレスを作ったのよ」

「なんですって? それではお揃いで作ったわけではなかったのね?」

 ヴィオラが尋ねた。

「そうだよ。だから僕も少し驚いたんだ。まさかフィオナが僕のスーツと同じ色のドレスを着てくるとは思わなかったよ」

 相変わらず、のんびりした口調で話すセブラン。こいつ……自分が何をしたのか理解していないのか?

「でもそのせいで、レティを勘違いさせてしまったのかしら? だとしたら悪いことをしてしまったかもしれないわ」

 口先だけのフィオナのふてぶてしい態度に俺は確信した。この女はとんでもない性悪だ。レティシアに対する嫌がらせだということに、俺たちが気付かないとでも思っているのか?

「あ、あなたっていう人は……!」

 ヴィオラは怒りで肩を震わす。すると、フィオナはセブランの背後にサッと隠れた。

「セブラン様、ヴィオラさん、怖いわ」

「な、なんですって!」

 ますます目を吊り上げるヴィオラ。

「よせ、ヴィオラ。相手にするだけ時間の無駄だ。そんなことよりも、レティシアの行方を捜す方が先だ。行こう」

「ええ、そうね」

「何よ、相手にするだけ時間の無駄って」

 俺の言葉遣いが気に入らなかったのか、フィオナが口を尖らせる。だが無視して背を向けた時、セブランが声をかけてきた。

「イザーク。もしレティが見つかったら、あとで一緒に踊ろうって伝えておいてくれるかな?」

 その言葉に、もう俺は我慢の限界だった。振り返ると、怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎! レティシアはドレスを着ていなかったのに、どうしてお前と踊れるんだよ!」

「え……?」

 すると、初めてセブランは狼狽ろうばいした表情を浮かべる。

「セブラン、お前は何一つレティシアのことを考えていない。最低な婚約者だ」

 吐き捨てるように言うと、俺はヴィオラに視線を移す。

「……行くぞ。レティシアを捜しに行こう」

「ええ」

 俺たちは足早にパーティー会場をあとにした。


「それにしても、一体レティはどこへ行ってしまったのかしら」

 誰もいない廊下を歩きながらヴィオラが尋ねてくる。

「さぁな。だが、少なくとも学園には残っていないだろう。何しろ門をくぐり抜けて外へ出て行ってしまったのだから」

 それに、あの切羽詰まった様子も気になった。

「ひょっとして家に帰ったのかしら……」

「だったらいいけどな」

 エントランスに行くために理事長室の前を通った時、偶然その会話が聞こえてきた。

『な、なんですって? 理事長! レティシア・カルディナが、大学への進学取り下げの書類を提出してきたのですか!? あんなに優秀な生徒なのに……信じられません……』

 それは学園長の声だった。

『そうなのだ。つい先ほど、郵送で届けられたのだよ。進学はやめて、自立して一人で生活をしたいからだという手紙が添えられていた。これは親御さんにも尋ねた方がいいかもしれないな』

 な、なんだって!?

「その話……本当ですか!?

 気付けば、俺はノックもせずに理事長室の扉を開けていた──


◆◇◆◇◆


 交易都市リーフの港を出港して約6時間──


「あれが……アネモネ島。私の新天地になるのね」

 デッキに立っていた私……レティシア・カルディナは、感慨深い思いで島を見つめた。

 空はオレンジ色と紫色の美しいコントラストに染まり、島の特徴である白い建物を紫色に染め上げている。建物の窓から洩れるオレンジ色の光は部屋の灯りだろう。その光景はとても神秘的だった。

「なんて美しい景色なの。世界にはこんなに素晴らしいところがあったのね……あのまま屋敷で暮らしていたら、決して見ることができなかったわ」

 私は新天地で暮らすことへの不安感など忘れ、島の美しい景色にすっかり魅了されていた。


 ──ボーッ……。

 蒸気船は汽笛を鳴らしながら、島へとゆっくり近づいていった──


 船が島に到着し、乗船客たちは次々と下船していく。私も人混みに紛れながらタラップを進み、初めてアネモネ島へ降り立った。

 懐中時計を取り出し、時刻を確認すると、1840分を指していた。太陽はそろそろ沈む時間で、周囲はだんだん薄暗くなってきている。

「今からではお祖父様とお祖母様の元を訪ねることはできないわね」

 もともと今夜は島のホテルに宿泊する予定だった。けれど、その前に私にはするべきことがある。

「まずは今必要な荷物を取りに行かなくちゃ」

 私は港に立ち並ぶコンテナターミナルへ向かった。


「はい、どうぞ。こちらがお客様のご利用されているコンテナの鍵になります。ピンク色のコンテナなので、すぐに分かると思います」

「どうもありがとうございます」

 係員の男性から鍵を受け取った。

「契約期間は1カ月となっておりますが、延長される場合はまたお申しつけください」

「はい、分かりました」

 港に整然と並べられた50個ほどのコンテナの中から探し出すのは、意外に簡単だった。

「これが私の借りているコンテナね」

 ピンク色のコンテナの背丈は、私の身長より少し高い。中を開けると、自転車が入っていても少し余る程度の広さだった。とりあえず、当面必要なキャリーケースをコンテナから引き出すと、扉を閉めて鍵を掛けた。

「港の近くにホテルがないか探してみましょう」

 大きなキャリーケースを引きながら、ガス灯に照らされた町中を歩き始めた。


 私は3軒目のホテルを訪ねていた。

「そうですか‥…それでは空き部屋はないということなのですね?」

「はい、大変申し訳ございません」

 ホテルのフロントマンの人が、申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べてくる。

「いえ、大丈夫です。他を当たってみます」

 ホテルを出ると、私はため息をついた。

 島は観光シーズンに入ったばかりということで、空いているホテルがなかなか見つからなかった。

「ホテルの予約だけでも入れておけばよかったわ……。でも、ここは観光島だから、どこか空いているでしょう」

 念願だったアネモネ島に来ることができたからだろうか。3軒目のホテルを断られても楽観的な自分がいる。気を取り直すと、私は再びホテルを探し始めた。


 4軒目でようやく空いている部屋が見つかり、私はなんとか今夜泊まる場所を確保することができた。

「では、ごゆっくりどうぞ」

 フロントで女性スタッフからルームキーを受け取る。

「どうもありがとうございます」

 お礼を述べると、私はキャリーケースを引きずりながら部屋へと向かった。


 私の部屋は2階の203号室だった。扉を開けて室内に入ると、目の前の大きな窓から見えるアネモネ島の美しい町並みと海が飛び込んできた。

「まぁ……! なんて素敵なの……!」

 部屋の扉を閉めて窓に駆け寄ると、大きく開け放した。すると途端に潮風が頬に触れ、波の音が聞こえてくる。空を見上げれば、満天の星空が美しい輝きを放っている。

「まるで夢のような世界だわ……」

 ふと時間が気になり、懐中時計を確認すると、時刻は19時半を指している。

「……今頃はもう、パーティーも終わったでしょうね」

 ヴィオラは私がいなくなったことにすぐに気付いただろう。けれど、私の行先を彼女は知るよしもない。

 黙っていなくなったことに怒っているだろうか? イザークは、結局私に何を言いたかったのだろう?

「ごめんなさい……ヴィオラ。住むところが決まって落ち着いたら、必ずあなたに手紙を書くから許してね」

 そして……お父様。私はあの屋敷を出るつもりだったので、大学に進学する気は毛頭なかった。けれど、そのことを事前に父に知られるわけにはいかなかった。だから入学手続きの書類を提出はしたものの、本日付けで進学取り下げを申請した書類が学園側に届くように手続きをしておいたのだ。

 きっと学園側から父に連絡が行くだろう。そして私がいなくなったことにも気付くことになる。

「でもお父様は私に無関心だから、気に留めることもないかもしれないわね」

 父は、あの家にイメルダ夫人とフィオナがいればいいのだから。それに夫人は私を目のかたきにしているし、フィオナだって私がいなくなれば、セブランの婚約者になれるかもしれない。

「セブラン……私がいなくなって、少しは悲しんでくれるかしら?」

 一瞬セブランのことが脳裏に浮かび、消えていく。けれどたぶん、それはないだろう。彼の心は……もう私にはないのだから。

 その時、冷たい潮風が部屋の中に流れ込んできた。

「少し冷えてきたわね」

 窓を閉じてカーテンを引くと、キャリーケースから荷物を取り出した。

「今日から新しい生活が始まるのね……」

 浮き立つ気持ちを抑えられず、鼻歌を歌いながら荷物の整理を始めた。


 この時は、まだ何も知らなかった。私が突然消え去ったために、リーフでどれほどの大騒ぎになっていたかということを──


「ふぅ……これでようやく落ち着いたわ」

 荷物の整理が終わり、部屋の時計を見ると、時刻は20時を過ぎていた。

「まぁ、もうこんな時間だったのね。どうりでお腹が空いていると思ったわ」

 考えてみれば、今日はお昼を食べていなかった。船酔いをしないために、食事をとらなかったからだ。

「そういえば、ホテルの1階にレストランがあったはずだわ」

 私は早速部屋を出ると、レストランへ向かった。


「美味しい!」

 シーフードパスタを口に入れ、私は思わず顔をほころばせた。流石海に囲まれているだけあって、メニューはシーフード料理で溢れていた。

「これから毎日、島の料理を味わえるのね…‥」

 食事をしながらそっと辺りを見渡すと、店内はほぼ席が埋まっていた。おそらくここで食事をしている人々は、皆ホテルの宿泊客なのだろう。

 一人きりで食事をしているのは私だけで、それが少しだけ寂しかった。

「お父様……今頃、どうしているのかしら……」

 そろそろセブランがフィオナを連れてカルディナ家へ戻る時間だ。私が帰宅してこないことを知ったらどう思うだろう?

「……」

 そこで思考が止まる。父の反応がどのようなものになるか、見当がつかなかったからだ。

「考えても仕方ないわね。私はあの家ではいてもいなくてもいい存在だったのだから」

 あの家での私は、父からは空気のように扱われ、イメルダ夫人からは敵意を向けられていた。フィオナからは、ことあるごとにセブランとの親しい様子を見せつけられ……私の心は疲弊しきっていた。

 私がいなくなっても、心配する人はおそらくいないだろう。

 そんなことよりも、これからの島での暮らしを考える方が重要だ。私は今後の生活のことを考えながら食事を進めた。


「ふぅ……気持ちよかったわ」

 ホテルの部屋のバスルームから出ると、カバンの中から黄ばんだ封筒を取り出した。

 それは私の10歳の誕生日に届いた手紙であり、チャールズさんから託されたものだった。

 8年という歳月で、封筒も手紙もすっかり黄ばんでしまっている。

『レティシア、10歳のお誕生日おめでとう。あなたの幸せを心よりお祈りしています。祖母より』

 手紙にはそれだけが書かれていた。

「お祖母様……」

 私はまだ一度も会ったことのない祖父母に思いを馳せた。

 祖父母にしてみれば、父の不誠実な態度はとうてい許されたものではなかっただろう。だから自分たちの娘である母が亡くなっても、葬儀にも参加しなかったのだ。

「お2人は、私のこともよく思っていないかしら……」

 会ってもらえなかったらどうしよう? そんな不安が込み上げてくる。憎い父の血を引く私を、祖父母はよく思っていないかもしれない。

「悩んでいても仕方がないわね。もともと私がここに来たのは、この国で一番美しいといわれているアネモネ島で暮らしてみたいと思ったからだし」

 少し不安だけど……明日、祖父母の家を訪ねてみよう。封筒をカバンに戻し、部屋の灯りを消すとベッドの中へ潜り込んだ。

「おやすみなさい……」

 誰に言うともなしにポツリと呟くと、目を閉じた。こうして、アネモネ島での第1日目が終わった──


 ──翌朝7時。

 ホテルの部屋で目覚めると、ブラウスに濃紺のジャンパースカートに着替えて窓を開けた。

 途端に潮風が部屋の中に流れ込んでくる。今朝も雲一つない青空で、真っ白な建物と青い屋根の見事な景色にため息をつく。

「本当に素敵な島ね。ずっとここに住んでいたいわ……」

 そのためにも、いつまでもホテル暮らしは続けられない。

「う~ん。とりあえずは食事に行ってから考えましょう」

 部屋の戸締まりをすると、ホテルのレストランへ向かった。


「昨夜もそうだったけど……本当にここのお料理、すごく美味しいわ」

 食事を口に運び、思わず感嘆のため息がもれてしまう。決して豪華な食事ではない。むしろ、カルディナ家で出されていた料理の方が豪華だと言える。

「たぶん食事をしていた環境のせいかもしれないわね。あの屋敷での食事は、私にとっては苦痛の時間だったから」

 私をそっちのけで楽しげに会話しながら食事をする父と夫人、そしてフィオナ。それでもここ最近、父は私に何か言いたげな視線を送ってきたりもしていた。が、話しかけてくることはなかった。

 私は本当に、あの屋敷では孤立していたのだ。だけど、きっとこれから先はいいことばかり起きるはず。何しろ一大決心をして、ついに行動に移したのだから。

 黙っていなくなってしまった罪悪感を無理に押し込めると、食事を進めた──

 部屋に戻った私は外出準備を終わらせ、時計を確認した。時刻は9時半を過ぎている。

「さて、そろそろ出かけようかしら」

 ショルダーバッグに祖母からの手紙をしまうと、帽子を被ってホテルをあとにした。


 私は港へやってきていた。ここへ来た理由は一つしかない。

「ついに……私の夢がかなう日がきたのね」

 コンテナの前に立つと、鍵を回し開けて、赤い自転車を引っ張り出してきた。帽子を目深に被り、風で飛ばないようにあごの部分でリボンを結ぶ。

「さて、行きましょう」

 そしてペダルに足を載せると自転車で、アネモネの美しい町へと漕ぎ出した──


 どこまでも白い建物に囲まれた美しい町並みを自転車で進んでいると、物珍しさからか、町を行く人々が気さくに声をかけてくれた。

「こんにちは! お嬢さん!」

「素敵な乗り物だね」

「どこに行くんだい?」

「観光で遊びに来たのかな?」

 その度に自転車を止めては、島の人たちと会話を交わしながら、祖父母の家を目指した。

 そしてついに、手紙に書かれた番地に到着した。

「……メイソン通り3番街……グレンジャー家……ここね」

 門に記された番地を確認すると、顔を上げた。

 そこには白い門に囲まれた、青い屋根が美しい白亜の屋敷がそびえ建っている。

「ここに……お祖父様とお祖母様が住んでいるのね……」

 祖父母は私を受け入れてくれるだろうか……? たとえ、受け入れてくれなかったとしても大丈夫。だって、ここは夢にまで見た私の理想の場所なのだから。


 少しの不安と期待を胸に、私は門扉を見上げるのだった──