「そうだったのか。あとをつけるような真似をして悪かった。ただ、少し話もしたかったから」

「話? 何?」

 できれば用件は手短にしてもらいたかった。グズグズしていれば、他の誰かにも見つかってしまう。

「い、いや。やっぱり話はパーティー会場でするよ。それじゃ、またあとで」

「ええ」

 イザークが背を向けて歩き出し、建物の中に消えていくのを見届けると、私は門を目指して走った。早く、早くここを抜けないと!

「はぁ……はぁ……」

 無事に門を抜けて振り向くと、背後には6年間通いなれた学園が目に映る。

「ごめんなさい、イザーク。あなたにはいろいろお世話になったのに……」

 謝罪の言葉を口にすると、私は辻馬車乗り場へ向かった──


 ガラガラと走り続ける馬車の窓から、見慣れた町並みを目に焼き付ける。

 既に必要な荷物は自転車と共に、この町の港からアネモネ島に運ばれている。おそらく今頃は港の倉庫に保管されているだろう。

 懐中時計を見ると、時刻は11時を過ぎたところだ。私は既に12時半出港『アネモネ』行き蒸気船の切符を手に入れていた。

 港には馬車で40分もあれば到着するし、私の行き先を知る人は誰もいない。

「とうとう……決行してしまったわ……」

 ヴィオラは私のことをすごく心配するだろう。けれど、もしかすると私が自分の意志でこの町を出たことに気付いてくれるかもしれない。

 ふと、父の顔が脳裏に浮かぶ。父は私を探し出そうとするだろうか?

「お父様……」

 父の顔を思い浮かべ、私はそっと目を閉じた──


「お客様、港に到着いたしました」

 その声にハッとなり、私は目を開けた。すると、扉を開けた初老の男性御者が私をじっと見つめている。

「あ……すみません。眠っていたようです」

「いえ、それは気にしないでください。かえって眠っているところを起こしてしまって申し訳ありません」

「あの、それでおいくらになりますか?」

「はい、500リンになります」

 お金を支払い、馬車を降りると、交易都市『リーフ』の港が目に飛び込んできた。多くの人々や荷物が忙しそうに行き交い、港には何隻もの蒸気船が出港の時を待って停泊している。

「すごいわ……」

 私は今まで一度もリーフから出たことはなかった。狂気に駆られた母。家族を顧みない父……そのような状況で、船に乗って遠くに出掛けるなど到底できるはずはなかったからだ。

 生まれて初めて見た港の光景に圧巻されながら、私は『アネモネ』行きの蒸気船を探した。

「あった、これだわ」

 蒸気を吹き上げながら停泊している船は真っ白の船体。青い空によく映える姿はとても美しかった。

「この船が……アネモネ島に行くのね」

 蒸気船を見るのも生まれて初めてだった。今の私は生まれ育ったリーフを去る寂しさや、新天地での新しい生活に対する不安よりも好奇心が勝っていた。

「もうすぐ出港の時間ね」

 懐中時計を見ると、時刻は12時を過ぎた頃だった。初めて船に乗るので、船酔いをしないようにミントの葉も用意してある。準備は万端だった。

 島に着くまでは約6時間の旅になると聞いている。卒業パーティーが終わるのは19時。このパーティーは分校の卒業生も参加するので、総勢700名ほどの人々が集まる一大イベントだ。私の姿がたとえ見つからなくても、おそらくすぐに騒ぎにはならないだろう。それに秘策があった。

 あの方法が上手くいくといいのだけど……。

「そろそろ乗りましょう」

 私はギュッと両手を握りしめると、タラップを登って蒸気船に乗り込んだ──


 ──ボーッ……。

 船の出港時間がやってきた。

 私はデッキに立ち、港を見下ろしていた。私の周囲には大勢の乗船客たちが、見送りに来ている人々に手を振っている。ここに立つ人の中で手を振っていないお客は私だけ。そう思うと寂しさが込み上げてきた。誰にも行き先を告げずに来たから、今この場に見送りの人は一人もいないという事実に、切ない気持ちが込み上げてくる。

「駄目ね。今からこんな気持ちになっては」

 私があの屋敷にいると、セブランとフィオナが結ばれることはない。私は邪魔者……いない方がいいのだ。

 だから、ここを去ると決めたのだから。

 ──ボーッ……。

 汽笛が再度、港に大きく響き渡り、ゆっくり船は動き始めた。私は見送りが誰もいないにもかかわらず、大きく右手を振った。

 さようなら、みんな。

 ヴィオラ……勝手に消えてごめんなさい。

 イザーク……話を聞いてあげられなくてごめんなさい。

 セブラン、フィオナと幸せになってね。

「お父様……どうか……お元気で……!」

 私は大きな声で手を振った。そして、私を乗せた船はアネモネ島へ向かって大海原へ出港した──