第7章 父への誕生日プレゼント


 あの日から、2年の時が流れた。

「早いものね。あと4カ月で18歳になるなんて」

 部屋のカレンダーを眺めながら、ため息をついた。時刻は8時20分を指している。

「そろそろセブランが迎えに来る時間ね」

 学校指定のコートを羽織ると、重い足取りで自室をあとにした。

 エントランスが近づいてくると、ホールから楽しげな会話が聞こえてきた。そっと角から覗き込むと、2人は笑顔で話をしている。

「本当にお似合いの2人だわ」

 ズキズキと痛む胸を押さえながら、私は再びため息をつく。2年前、私とセブランが婚約の口約束をしても、2人の関係に変化はなかった。

 いや、それどころか、逆にフィオナとセブランの仲が急接近したように感じられてならなかった。最近ではまるで私が2人の邪魔者のように感じるので、朝も遠慮して時間ギリギリにエントランスへ向かうようにしているのだった。

 私がまだセブランと婚約していないから、おそらく遠慮がないのだろう。それとも、婚約してもまだ2人の関係は変わらないのだろうか……?

「そろそろ顔を出した方がいいわね」

 あれこれ考えてみても始まらない。私は一歩踏み出すと、2人に声をかけた。

「おはよう、セブラン、フィオナ」

「あ、おはよう。レティ」

「レティ、待ってたわよ」

 笑顔で返事をする2人に、何気ないふりをして私も笑みを返す。

「さて、それじゃ馬車に乗ろうか」

 セブランは私たちに笑いかけた。


「ねぇ、レティ。話があるのだけど」

「何かしら?」

 珍しくフィオナが私に話しかけてくる。そんな時は、たいてい私にとってよくない知らせだ。緊張しながら返事をする。

「もうすぐお父様の誕生日でしょう? それで放課後、セブラン様とプレゼントを買いに行く予定なの。もしよかったらレティも一緒に行かない?」

「え?」

 その言葉に血の気が引く。セブランとフィオナが買い物に行く約束を……? 私は何も聞いていないのに? 思わず、縋るような目でセブランを見る。

「2日前にフィオナに頼まれたんだよ。プレゼントを買いたいから、男の人の目線で選んでほしいって。だからレティも僕たちと一緒に行かないかい?」

 セブランは、私の気持ちを考えもせずに、残酷な台詞を言う。私たちはいずれ婚約するのに、なんの相談もなく2人で買い物に行く約束をしていたなんて……!

 それを悪びれることもなく言うセブランの心が分からない。

「遠慮しておくわ……実はもうプレゼントを用意してあるのよ」

 自分がひどく惨めに思えた。第一、私は既に父の誕生日プレゼントに、半月も前からカフスボタンを購入して準備をしていたのだ。

「まぁ、レティはもうお父様へのプレゼントを用意していたのね? 流石用意周到だわ。それで何を買ったか教えてくれる? プレゼントが被ってしまったらいけないから」

「カフスボタンなの。お父様と同じ瞳の色の」

「カフスボタンね。なら私はそれ以外のプレゼントを用意しなくちゃ。ね、セブラン様」

 フィオナはさり気なくセブランの手に触れる。

「うん、そうだね。でも、レティ。僕たちと一緒に帰らないと、馬車がないよ? 帰りはどうするんだい?」

「大丈夫よ、セブラン。今日はヴィオラの馬車に乗せてもらうから」

「そう? ヴィオラさんが乗せてくれるのね? なら安心だわ」

 笑みを浮かべるフィオナに対し、セブランは申し訳なさそうに謝ってきた。

「ごめんね、レティ。今日は送ってあげられなくて」

「いいのよ、セブラン。その代わり……」

 今度は私と2人だけでお出かけしてほしい……なんて台詞は、口が裂けても言えなかった。

 フィオナの前でそんな台詞を言おうものなら、イメルダ夫人にフィオナを除け者にするなと怒られてしまうのが目に見えていたから。

「その代わり……なんだい?」

 首を傾げるセブラン。

「お父様のために素敵なプレゼントを選んであげてくれる?」

 泣きたい気持ちをこらえながら無理に私は笑う。

「うん、もちろんだよ」

「セブラン様と素敵なプレゼントを選んでくるわ」

 並んで馬車に座る2人は、たぶん他人の目から見てもお似合いに違いない。だから、2人が仲良さそうにしている姿を見るのがつらい。彼の隣に立つのは私ではなく、フィオナの方がずっとお似合いに思えてならない。

 私さえいなければ……きっと、2人は……。

 私の精神は限界に近づいていた。


「……どうしたの? レティ。なんだか朝からボ~ッとしてるじゃないの?」

 4時限目の家政科の授業中にヴィオラが話しかけてきた。

「え? そ、そうかしら?」

「ええ、そうよ。なんだか教室に入ってきた時からうわの空だったし……でも、やっぱり刺繍の腕前はすごいわね」

 手元の刺繍をヴィオラは覗き込んできた。そこには、のどかに広がる黄金色の田園風景が刺繍されている。

「まるで、絵みたいだわ……私にもレティみたいに刺繍の才能があれば、女一人でも生きていけるのに」

 その言葉に私の手が止まった。

「え……? ヴィオラ。刺繍ができれば……生きていけるの?」

「そうよ。私の夢は将来自立して生きていくことなの。何か手に職があれば、女性だって働けるでしょう? レティなら刺繍の先生になれそうだわ。商品にしてお店で売るのもいいかもしれないわね」

 時々、ヴィオラは、貴族令嬢らしからぬ話をする。

「そういうものなのかしら……」

 自分の手で、一人で生きていく。今の私には、その話はとても魅力的に感じた。あの屋敷には私の居場所はない。まるで針のむしろの如く、息の詰まる生活だ。

 初めの頃は、セブランと結婚できればあの窮屈な家を出ることができると思っていたけれど、彼が思いを寄せる女性は私ではない。フィオナなのだ。フィオナは口にこそしないけれど、イメルダ夫人ははっきり言う。私さえいなければ、フィオナがセブランの婚約者に選ばれるのにと。けれどヴィオラには、そこまでのことは話せなかった。言えば、きっと心配するだろうから。

 私が黙り込んでしまった様子を見て、ヴィオラはますます心配そうに声をかけてきた。

「ねぇ、本当に大丈夫? 何かあったら絶対に相談してよ?」

「ええ。分かったわ、ヴィオラ」

 笑みを浮かべて私は返事をした。


 ──カーンカーンカーン。


 本日最後の鐘が鳴り響いた。

「はぁ~まいったわ。今日は委員会活動が2時間もあるから」

 帰り支度を終えたヴィオラが憂鬱そうに立ち上がった。

「広報委員も大変ね。活動時間が長いから」

「でも月に2回しかないから、美化委員会に比べると楽な方よ。それにしても意外よね」

 ヴィオラは窓際の席で帰り支度をしているイザークをチラリと見た。

「まさかイザークが3年間もレティと同じ美化委員になるとは思わなかったもの」

「たぶんイザークは園芸が好きなのよ。だって一生懸命世話をしているのよ?」

「ふ~ん。人は見かけによらないわね。遅刻するといけないから、私もう行くわね」

 ヴィオラが立ち上がった。

「ええ、また明日ね」

 私たちは手を振るとその場で別れた。今朝、ヴィオラから、放課後は委員会活動があるから憂鬱だと話を聞かされ、誘うことができなかったのだ。

「ふぅ……今日は辻馬車で帰るしかないわね」

「レティシア」

 その時、不意に名前を呼ばれ、振り向くとイザークが近くに立っていた。

「どうしたの? イザーク」

「今日はセブランが迎えに来ないのか?」

「え、ええ。今日は一緒に帰らないの」

「え? だけど、今朝だってセブランの馬車に乗って登校してきたんだろう? 迎えの馬車は来るのか?」

 イザークが眉をひそめた。

「来ないわ」

 2人から放課後、買い物に行くと聞かされたのは馬車の中だった。事前に知らされていれば、迎えの馬車を頼めたかもしれないけれど……。

「なんで来ないんだ? 馬車もなくて、どうやって帰るつもりなんだよ。それに今日は具合が悪そうじゃないか」

 なぜ彼はこんなにしつこく尋ねてくるのだろう?

「別に具合は悪くないけど? 今日は辻馬車で帰りたい気分だったから断ったのよ」

 まさかセブランがフィオナと買い物をして帰るからだとは言えなかった。ヴィオラにも話していないのに、イザークに言うわけにはいかない。

「ふ~ん。そうか……」

 ポツリと呟くイザーク。これ以上話していると深く追及されそうだ。

「辻馬車乗り場まで行かないといけないから、もう行くわね。さよなら」

「ああ……またな」

 まだ何か言いたげなイザークを残し、私は足早に教室を出た。そして、のちほど衝撃的な現場を目にしてしまう。


 憂鬱な気持ちで校舎を出た私は、トボトボと辻馬車乗り場へ向かって歩いていた。

 私たちの通う学園は町の中心部にある。正門を抜ければすぐに広々とした大通りになっており、さまざまな店が整然と立ち並んでいる。そして辻馬車乗り場は、学園から徒歩5分ほどの近距離にあった。

「今頃2人は、お父様の誕生日プレゼントを探しているのでしょうね……」

 こんなに気になるなら、2人についていけばよかっただろうか? でも、邪魔に思われる方がもっと堪える。

「セブラン……」

 思わず名前を呟いた時、前方に紳士服を取り扱う洋品店が目に止まった。

 その店は、私が父のカフスボタンを購入した店だ。何気なくその店を眺めた時、店の前に見慣れた馬車が止まっていることに気付いて息を呑んだ。

「あ……あれは……!」

 その馬車はセブランが乗る馬車だった。

「ま、まさか……あの店で買い物を……」

 ゆっくりその店に近づき、窓から覗き込むと、仲良さそうに品物を選んでいるセブランとフィオナの姿が見えた。

「……!」

 思わず自分の足が震える。

 その時──

「レティシア?」

 背後で声が聞こえ、驚いて振り向くと、自転車にまたがったイザークの姿があった。

「イ、イザーク……どうして、ここに……?」

 自分の声が震える。

「それはこっちの台詞だ。俺の家はこの通りにあるからな。それより、こんなところで何してたんだ? 顔色が真っ青じゃないか。大丈夫なのか?」

 イザークは自転車から降りると、スタンドを降ろした。

「あの、それは……」

「この店がどうかしたのか?」

「あ! ま、待って!」

 しかし、止める間もなくイザークは窓から覗き込み……眉をひそめた。

「あれはセブランとフィオナじゃないか。一体どういうことだ? なんであの2人が一緒にいるんだ?」

「2人は……お父様の誕生日プレゼントを買いに来たのよ」

「そうなのか? だったらなぜ一緒に……」

 イザークは言葉を切った。

「大丈夫か? ずいぶん震えているぞ?」

 その声には、どこか労りを感じる。

「一体……何を買ったのかしら……」

 無意識のうちに言葉が口をついて出る。

「分かった。俺が確認してくる。この店の2つ先に本屋がある。そこで待ってろ」

「え?」

 イザークは私が返事をする前に、店の中へと入ってしまった。

「イザーク……」

 どうしよう……けれど、いつまでもここにいれば、2人が店から出てきて鉢合わせをしてしまうかもしれない。

「本屋に行くしかないわね……」

 私はイザークに指定された本屋へ向かった──


「イザーク……まだかしら……」

 最近話題の小説を手に取り、パラパラとめくりながら何度目かのため息をついた時……。

「お待たせ」

 背後から声をかけられて振り向くと、背の高いイザークが私を見下ろしていた。

「あ……イザーク」

「カフスボタンを買っていたぞ? あの2人」

「え! カフスボタンを……! そ、そんな……!」

「どうしたんだ? なぜそんなに驚くんだ?」

「カ、カフスボタンは……私も買っているの。今朝、馬車で尋ねられたから……」

 なぜフィオナはカフスボタンを選んだのだろう? 同じ品物をプレゼントしないために私に尋ねたはずなのに。

「なんだって? それは本当の話なのか?」

「ええ……」

「分かった。行こう」

「え? 行くって……どこへ?」

「さっきの店だ」

「そんな! 行けるはずないじゃない!」

 店の中にもかかわらず、大きな声を上げてしまった。

「だけどフィオナはカフスボタンを買ったんだろう? どう考えても嫌がらせに決まってるじゃないか。だったら別の品物を買えばいい。相手の裏をかいてやるんだ」

「だけど、あの店には……!」

 激しく頭を振る私の肩を、イザークは掴んできた。

「大丈夫だ。あの2人は馬車に乗って帰っていった」

「え……帰った……?」

「そうだ。だから今から行くぞ」

 そしてイザークは私の手首を握りしめると、店の外へと連れ出した。


「いらっしゃいませ。……おや? あなたは?」

 洋品店に入ると、グレーのスーツを来た男性が出迎え、私を見て首を傾げた。

 あ……この人は……。

「こんにちは。あの……品物を見に来ました」

「こんにちは。レティシアさん」

 男性は笑顔を向ける。

「レティシア、もしかして知り合いなのか?」

 イザークが不思議そうに尋ねてくる。

「ええ。こちらの方はこのお店の店主さんで、父の取引先のお相手のポールさんなの。私は父の仕事を手伝っていて何度かお会いしたことがあって。でもお店で会うのは初めてよ」

「今日は従業員が休みなのですよ。だから私が代わりに店番をしているんです。何かお探しですか?」

 すると、イザークが声をかけてきた。

「レティシア。だったらこの人に父親のプレゼントを選んでもらったらどうだ? 顔見知りなら尚更いいじゃないか」

「ああ、なるほど。それでこの店にお越しいただいたのですね?」

「はい。実は半月ほど前にカフスボタンを購入したのですが、もう一点プレゼントしようかと思って」

 とても本当のことは告げられない。

「なるほど、それならよい品がありますよ。ネクタイピンはいかがでしょうか?」

「ネクタイピンですか?」

「ええ、実は3日前にカルディナ伯爵が仕事の関係で当店にいらしたのです。その際に熱心にネクタイピンを見ていらっしゃいました。そして紫のネクタイピンはないか尋ねられたのです。ですが、あいにく紫は欠品で残念そうな様子でした」

「紫……ですか?」

 紫は私の瞳の色と同じだ。まさか……? でも、きっと偶然に決まっている。

「そこで念のために紫のネクタイピンを発注し、本日入荷したのですよ」

「本当ですか?」

「ええ、ご覧になりますか?」

「はい、ぜひお願いします」

 するとポールさんはショーケースから小箱を取り出し、蓋を開けた。

「まぁ……」

 中には上品な薄紫色のネクタイピンが収められていた。

「よい品じゃないか」

 イザークが背後から声をかけてくる。私もその通りだと思った。

「おいくらになりますか?」

 値段を聞くと、手持ちのお金で購入できそうだった。

「では、こちらをください」

「はい。すぐにご用意いたしますのでお待ちください」

 ポールさんがラッピングしてくれている間に、私はイザークに話しかけた。

「ありがとう、イザーク。あなたのおかげでよい品物が買えたわ」

「別に礼を言われるようなことはしていない。だけど、よかったじゃないか。これでフィオナの鼻を明かせるだろう?」