なぜかこの場を仕切るような物言いをするフィオナ。

「うん。さ、降りよう?」

「ええ、ありがとう。セブラン」

 私は彼の手に掴まり馬車を降りると、タイミングよく屋敷の扉が開かれて、フットマンとイメルダ夫人が現れた。

「お帰りなさい、フィオナ。それに……レティシア」

「ただいま、お母様」

「ただいま、戻りました」

 どうにもイメルダ夫人の前では緊張してしまう。すると次に夫人はセブランに声をかけた。

「セブラン様、送っていただきありがとうございます。今夜、またお待ちしておりますね」

「はい、夫人」

「あ、そうだわ。レティシア、お父様からあなたに贈り物があるのよ?」

 イメルダ夫人が私に視線を移した。

「贈り物ですか?」

「え? レティにだけ? 一体どんな贈り物なの?」

 フィオナの言葉はどこか不満そうに聞こえる。すると、イメルダ夫人は背後に控えていたフットマンに声をかけた。

「あれを持ってきてちょうだい」

「はい、かしこまりました」

 フットマンは一度ドアの奥に姿を消すも、すぐに現れた。しかも車椅子を押している。

「え? 車椅子?」

 あまりにも予想外のものをプレゼントされ、私は戸惑いしかなかった。

「お父様が足を怪我したあなたのために、早急に用意してくださったのよ。感謝しないと」

「はい。そうですね」

「よかったね、レティ。車椅子があれば、移動するのも楽になるよ」

 セブランが私に笑いかける。

「え、ええ……そうね」

 父の昨夜の言葉が脳裏に蘇ってくる。

『……少しだけ待っていてくれ。時間をくれるか?』

 まさか、父が昨夜私に言ったのは車椅子のことだったのだろうか? けれどあの時はそんな風には思えなかった。あれほど真剣な……どこか切羽せっぱ詰まったような雰囲気だったのに。

「あら? どうしたのかしら? 嬉しくないの?」

「そうね。あんまり嬉しそうに見えないわ。折角のお父様からのプレゼントなのに」

 イメルダ夫人とフィオナが尋ねてくる。

「い、いえ。そんなことはありません。とても嬉しいです。ただ、あまりにも驚いてしまっただけですから」

 誤解されるような報告を父にされては困るので、私は必死に首を振った。

「そうだよね。レティはプレゼントが嬉しくて驚いたんだよね? それじゃ乗ってみようか? 手を貸してあげるよ」

 セブランが優しく声をかけてくれる。

「ええ。そうね」

 彼の手を借りて、私は生まれて初めて車椅子に乗ってみた。

「……すごく乗り心地がいい……」

 椅子の部分も背もたれ部分も柔らかいクッションがちょうどよかった。

「お父様にあとでお礼を言いに行くわ」

 誰に言うともなしに、私は言葉を口にした。

 やはり、昨夜父が私に言ったのはこのことだったのだろう。こんなに乗り心地がいい車椅子を用意してくれたのだから。

 この時の私は、そう信じて疑わなかった。父の言った言葉の本当の意味を理解することもなく……。

 部屋に戻って着替えを済ませると、父にお礼を言いに行くことにした。車椅子で書斎へ向かっているとメイドとすれ違う。

「お帰りなさいませ、レティシア様。どちらかへ行かれるのですか? よろしければ私が押して差し上げましょうか?」

「慣れるためにも一人で大丈夫よ。それより、お父様は書斎にいらっしゃるかしら?」

「いいえ。旦那様なら、本日はお仕事で外出しております」

「そうだったの? 教えてくれてありがとう。なら部屋に戻るわ」

 私は再び車椅子を動かして部屋に向かった。

「お父様にお礼を言いたかったのに……」

 それと同時に、私の胸に不安が一つ込み上げてくる。たいてい父は、仕事で出かけると数日間留守になる。今夜、セブランの両親が尋ねてくる頃、父は在宅しているのだろうか?


 その後、部屋に戻り、学校の課題と父から託されていた書類のファイリング作業を行った。取引先の書類を名簿順に並べてファイリングし、ラベルを貼る。

「ふぅ。こんなものかしら?」

 出来上がったファイルは5冊分になっている。もう一度開いて、並び順に間違いがないかチェックしてみた。

「……大丈夫そうね」

 私が父の仕事を手伝い始めたのは2年前。それも自分から言い始めたことだ。父の愛情が欲しかった私は、自分が役に立てば、認めてくれるのではないだろうかと思い、無理を言って仕事をさせてもらうように頼み込んだのだった。初めの頃は簡単な手伝いばかりだった。そのうち仕事にも慣れ始め、最近は少しずつ父の役に立てるような仕事を任せてもらえるようになっていた。

 けれど、父の態度は相変わらず冷たいものだった。それなのにイメルダ夫人とフィオナに対する態度は、私とは真逆だった。だから私は、父の幸せを奪った娘だから憎まれて当然なのだと思っていたけれど……。

「この車椅子をプレゼントしてくれたということは、少しは私に愛情を持ってくれていると考えていいのかしら」

 それでも私は不安だった。だから、もっと父の役に立つ人間にならなければ。決して困らせるようなことをしてはいけない。

「もっと、もっと頑張らないと……」

 そう、自分に言い聞かせた。

 ──20時。

 部屋で読書をしていると、扉をノックする音が聞こえた。

 ──コンコン。

「どうぞー」

 声をかけると扉が開かれ、フットマンが現れた。

「レティシア様、セブラン様と伯爵夫妻が、応接室にお見えになっていらっしゃいます」

「そうなのね? ありがとう。すぐに向かうわ」

 笑みを浮かべて返事をすると、なぜか突然謝られてしまった。

「大変申し訳ございません!」

「え? どうしたの?」

 その態度に、すごく嫌な予感がする。

「はい……実は既にセブラン様たちは、30分ほど前からお越しでした。けれどイメルダ様が、レティシア様は今、足の調子が悪いので、代わりに自分が対応すると言われて、お呼びするのを止められてしまったのです」

「え!?

 その言葉に血の気が引く。

「イメルダ様とフィオナ様がセブラン様たちのお相手をされていたのですが……マグワイア伯爵夫妻が、レティシア様のお見舞いに来たのだからどうしても会わせてほしいと仰られたので、私がお迎えにあがりました」

「そ、そうだったのね……」

 ひどい……イメルダ夫人はセブランだけでなく、マグワイア伯爵夫妻からも私を引き離そうとしているなんて……!

「すぐに行くわ! お願い、手を貸してくれる?」

「はい! もちろんです!」

 フットマンは私の車椅子のハンドルを握ると、すぐに応接室へと運んでいく。

 イメルダ夫人が勝手なことをしているということは、おそらく父はまだ帰宅していないのだろう。おじ様とおば様は、私がすぐに顔を出さなかったことで怒っていないだろうか……?

 たまらなく不安な気持ちを抱えたまま、私は応接室へ向かった。

 応接室の扉は開け放したままになっていた。扉の前でフットマンに下がってもらうと、私は自分で車椅子を動かして応接室の中へと入った。

 部屋にはソファに座ったイメルダ夫人にフィオナ。そして向かい側にはセブランとおじ様、おば様が座っている。

「遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 お詫びの言葉を述べながら部屋に入ると、おば様が立ち上がって駆け寄ってきた。

「レティ! 会いたかったわ! とても心配していたのよ!」

 そして私を強く抱きしめてくれた。

「おば様……」

 その温かい胸の中がとても嬉しくて……私は両手をそっとおば様の背中に回した。

「レティ。最近姿を見せないから、とても心配していたのよ?」

 おば様が私の髪を撫でながら尋ねてくる。

「……申し訳ございません」

 今の私にはそれしか言いようがなかった。すると、おじ様がこちらに近づいてきた。

「学校で意識を失って足を怪我したとセブランから聞いた時は、とても驚いたよ。それにしても一体どうしたのだい? 顔色もよくないし、痩せてしまったみたいだが」

 おじ様が心配そうに尋ねてくる。するとイメルダ夫人が口を挟んできた。

「最近、レティシアはあまり食事をいただかないのですよ。どうも好き嫌いが激しいようで」

「え!? そ、そんなこと……!」

 あまりの言葉に全身から血の気が引く。すると夫人が反論した。

「いいえ、レティはそのような娘ではありませんよ? なんでも好き嫌いなく食事をいただく礼儀正しい娘です。小さな頃から見てきた私たちはよく知っています。そうよね? セブラン」

 おば様はセブランに問いかける。

「はい、そうです。レティに食事の好き嫌いはありません」

「セブラン……」

 セブランは私を見てにっこり笑う。するとすかさず、フィオナが口を挟んできた。

「レティは最近、あまり食欲がないだけなんです。だから私、ずっとレティのことが心配だったのです。何か悩みがあればなんでも打ち明けてね? レティ」

「え、ええ……あ、ありがとう」

 私には白々しらじらしい言葉にしか聞こえない。おじ様とおば様の前でいい人を演じているだけなのだろう。イメルダ夫人は、頷きながらフィオナの言葉に同意している。

 けれど、おじ様もおば様も不審そうな目を向けているのが分かった。

「イメルダ夫人、そして……フィオナさんだったかな? 私たちはレティのお見舞いに来たのです。申し訳ないが、お2人は席を外していただけませんか?」

 突然、おじ様が2人に声をかけた。

「え……? い、今なんと仰ったのですか?」

 夫人は目を見開き、フィオナは言葉を失っている。

「私の話が上手く伝わりませんでしたか? お2人はご遠慮くださいと申し上げているのです」

 おじ様はどこまでも静かに言葉を紡ぐ。

「……わ、分かりました……確かに皆さんはレティシアのお見舞いにいらしたのですよね? 出すぎた真似をして申し訳ございませんでした。行くわよ、フィオナ」

 夫人はフィオナに声をかけた。

「え? で、でも……セブラン様……」

 フィオナは縋るような視線をセブランに向ける。

「……ごめんね、フィオナ」

「!」

 セブランの言葉にフィオナは一瞬目を見開き……項垂れると、夫人と共に応接室を出ていった。

 ──パタン。

 扉が閉じられると、ようやく私は肩の力が抜けた。

「大丈夫だった? レティ」

 おば様が心配そうに声をかけてきた。

「はい、大丈夫です。でも……申し訳ございません。折角お見舞いに来てくださったのに、父が不在で」

「いいのだよ。予定も聞かずに、勝手に来てしまったのだから。それに、レティに会うのが目的だったからね」

 おじ様が笑みを浮かべる。

「セブラン。あのフィオナとかいう子の面倒を見ていると言っていたけれど……もっとレティのことを気にかけてあげなさい。こんなにやつれてしまったのに気付かなかったの?」

「はい……ごめんなさい。気付きませんでした……」

 すっかり気落ちした様子でセブランが返事をする。おば様はセブランを責めるけれども、彼が私の異変に気付かなかったのは無理もない。だって、フィオナに夢中なのだから。

「レティ、もしかして、新しい家族とあまり上手くいっていないのではないの?」

 セブランの手前、私は返事ができなかった。彼に本音を知られてしまえば、フィオナに伝わってしまいそうだったから。

「黙っているということは、やはりそうなのだね? これは提案なのだが……どうだろう? レティ。しばらくの間、我が家で暮らさないか?」

「え?」

 おじ様からの意外な提案に驚いた。それはとてもありがたい提案だったが、私の脳裏に夫人とフィオナ……それに父の顔が浮かんでくる。

 婚約も決まっていないのに、もし私がセブランのお屋敷でお世話になろうものなら、何を言われるか分かったものではない。それどころか、戻ってくれば私の居場所はなくなっている可能性もある。

「申し訳ございません。とても嬉しいお話ではありますが、お父様のお仕事の手伝いもあるので、お断りさせてください」

 私は丁重に断るしかなかった。

「確かに、2人はまだ婚約すら交わしていないし、ましてや成人年齢に達するまであと2年もあるしな。今の段階で我が家で暮らすのは難しいかもしれない」

「だったら、セブランとレティシアが共に18歳になったら、すぐに婚約してしまえばいいのよ。そしてそのまま一緒に暮らせばいいわ。そう思わない? セブラン」

「お、おば様!」

 セブランが私に好意を抱いているかどうかも分からないのに、2年後の婚約の話を持ち出してくるなんて。大体、今のセブランはフィオナに惹かれているのに……? セブランの顔を怖くて見ることができない。もし彼の顔に少しでも嫌悪の色が浮かんでいたら、私はどうすればいいのだろう。

 すると──

「はい、分かりました」

 隣に立つセブランが返事をした。

「え……?」

 その言葉に驚いて思わずセブランを見上げると、彼は笑みを浮かべて私を見ている。

「そうだね。僕とレティが共に18歳になったら、僕から婚約を申し入れるよ。どんな言葉がいいかな。今から2年後に向けて考えておかないとね」

「セブラン……ほ、本当に……?」

「もちろん、本当だよ」

 その言葉に思わず顔が真っ赤になる。私はまだ一度もセブランから好意を寄せられるような言葉すらかけてもらったことがない。それなのに、いきなり今から2年後の婚約に向けての言葉を考えておくと約束してもらえるなんて。幸せすぎて夢のようだ。

「うん。2人の間で口約束も交わすことができたし……このぶんなら安心だな」

「ええ、そうね。一時はとても心配したけれど、あなたたちの様子を見て安心したわ」

 おじ様もおば様も、笑顔で私たちの様子を見つめている。

「ありがとうございます……おじ様、おば様」

 私は感謝の言葉を述べた。

 とても幸せだった。16年間生きてきて、今日は私の人生で一番素晴らしい日だった。なんと言っても、子供の頃から大好きだったセブランから、2年後に交わす婚約の約束をもらうことができたのだから。

 一時はフィオナが現れたことで、セブランを奪われてしまうのではないかと不安だったけれども……もう大丈夫。きっとこれからは、セブランも私の方を向いてくれるに違いない。

 この時の私は、そう信じて疑わなかった。


 やがてセブランとおじ様たちが帰る時間になった。私は見送りのためにイメルダ夫人とフィオナを呼んでこようと思った。けれども、おじ様にわざわざ呼んでくることはないと言われたので、声をかけるのをやめて、一人でお見送りをしたのだった。

「フフフ……」

 婚約の口約束をセブランからもらえたことで、私は嬉しくて笑みを浮かべながら、車椅子で自分の部屋に向かっていた。そしてリビングの前を通り過ぎようとした時──

「レティシア、ちょっといらっしゃい」

 突然部屋の中から声をかけられた。あの声は……イメルダ夫人だ。

「は、はい……」

 恐る恐るリビングに入ると、険しい目でこちらを見るイメルダ夫人と、落ち込んだ様子のフィオナがソファに座っていた。

「あ、あの……何かご用でしょうか……?」

 すると夫人が強い口調で尋ねてきた。

「何かご用でしょうか? ではないわ。お客様はお帰りになったの?」

「はい、そうです……」

「なら、どうして私たちに声をかけなかったの?」

「え? それは……セブランのお父様が、わざわざ呼ばなくてもいいと言われたので……」

 それに、私が夫人とフィオナのことを持ち出した時、おじ様とおば様は嫌悪感を顕わにしたのも、声をかけなかった理由の一つだった。けれど、そんなことは口が裂けても言えない。

 すると、私の言葉にますます夫人の目は吊り上がる。

「あの人は不在だから、今屋敷の主人はこの私なのよ? お客様のお帰りを見送るのは主人である私の役目なのに……よくもないがしろにしてくれたわね。それだけじゃないわ。フィオナだってお見送りをしたかったのよ?」

「ひどいわ。レティ。私、皆さんにご挨拶したかったのに……呼んでくれなかったなんて……」

 フィオナは悲しそうな目で私を見る。

「ご、ごめんなさい、フィオナ。私……本当に悪気はなかったのよ」

 このままでは2人が父に訴えて、叱責されてしまうかもしれない。それどころか、礼儀知らずな娘だと言われて、セブランとの婚約の口約束も取り消されてしまうかも……!

「もういいわ。今夜のことはあの人にも相談させていただきます。さっさと部屋に戻りなさい」

 フイと夫人は私から視線を逸らせる。

「本当に……大変申し訳ございませんでした……」

 私は謝罪の言葉を口にし、暗い気持ちで自分の部屋へと戻った──