第5章 セブランの両親


 ──翌朝。

 朝食後、登校するカバンをリュックサックに交換すると、早速背負ってみた。

「……大丈夫そうね。これなら松葉杖をついて一人で歩けそう」

 時計を見ると、そろそろセブランが迎えに来る時間が迫っていた。

「慣れない松葉杖だし……早めに出た方がいいわね」

 昨夜も寝る前に松葉杖で歩く練習をしてみたけれども、まだまだ不慣れで、思うように扱えなかった。

「なるべくみんなに迷惑かけないようにしないと」

 松葉杖を手に取って、扉に向かった時……。

 ──コンコン。

 不意に扉がノックされた。一体誰だろう?

「はい、どなたですか?」

 ちょうど近くにいたので声をかけてみた。

『僕だよ、セブランだよ』

「え? セブラン? どうぞ」

 驚きながら返事をすると扉が開いて、セブランが姿を現した。

「おはよう。レティ」

「まぁ、セブラン。どうしたの?」

 今まで部屋までは迎えに来たことがなかった彼の姿に驚く。

「レティが足を怪我しているから、部屋まで迎えに来たんだよ。それに大事な話もあったし」

「大事な話?」

「うん、そうなんだ。実はレティが足を怪我してしまったことを両親に話したら、お見舞いがしたいと言ってきたんだよ」

「え? そ、そんな、お見舞いなんて大げさだわ。怪我だって1週間もすれば治ると言われているのに」

 まさかそんな大事になるとは思わなかった。

「だけど特に母さんがレティのこと、とても気にしているんだよ。最近家にも遊びに来ていないだろう?」

「そ、それは……」

 確かにフィオナとイメルダ夫人がこの屋敷に住むようになってから、一度も私はセブランの邸宅にお邪魔していない。以前は週末ごとに訪ねていたのに……。

 フィオナとセブランが親しくなり、私はどうしようもないくらいセブランとの距離を感じていた。それに私がセブランの自宅にお邪魔するとなれば、フィオナとイメルダ夫人までついてくるのではないかと思い、行けなかったのだ。

 心が狭いと言われてしまうかもしれないけれど、私はできればセブランの両親に、2人を会わせたくなかったのだ。

「……で、いいよね?」

 不意にセブランの言葉に我に返って顔を上げた。

「え? ごめんなさい。今なんて言ったのかしら?」

「あれ? 話聞いてなかったのかな?」

 首を傾げるセブラン。

「え、ええ。少し考えごとをしていたから……ごめんなさい。もう一度言ってもらえる?」

「うん、いいよ。それで今夜、レティのお見舞いに両親と訪ねてもいいかな?」

「え? 今夜、ここに!? だ、だけど……」

 あまりの突然の話に驚いた。ここに来るということは、セブランの両親がフィオナとイメルダ夫人に会うことになる。

「……そうだよね。あまり突然の話だから困るよね? ただ、両親がすごくレティのことを心配していたから……」

「い、いえ。そうではないわ。でも、わざわざ訪ねてきてくださるのは申し訳ない気が……」

「あら、私たちは大歓迎よ」

 その時、背後で声が聞こえた。

「「え?」」

 私とセブランは驚いて振り向くと、いつの間に来ていたのか、イメルダ夫人とフィオナが立っていた。

 そんな……まさか、今の話を聞かれていた……?

 動揺する私とは違い、イメルダ夫人とフィオナは笑みを浮かべている。

「セブラン様の両親が訪ねてくださるのよね? 大歓迎よ。みんなが学校へ行っている間にお招きの準備をしておくわ」

「素敵! お母様、お願いね」

 イメルダ夫人とフィオナは楽しそうに笑い合っている。

「あ……でも、レティは……」

 少しだけ困った様子でセブランが口を開きかけた時、夫人が上から言葉をかぶせてきた。

「レティシア。折角お見舞いに来たいと先方が仰っているのだから、厚意を無下むげにしてはいけないわよ?」

 そして私を鋭い目で見る。

「は、はい……そうですね……」

 返事をすると夫人は頷き、セブランに声をかけた。

「では、セブラン様。今夜お待ちしておりますね?」

「はい、分かりました。帰宅後伝えておきます」

「フフフ。セブラン様のご両親に初めてお会いできるのね。楽しみだわ」

 3人の会話を、私は暗い気持ちで聞くしかなかった……。


 登校の馬車の中でフィオナは、セブランの両親が訪ねてくるのがよほど嬉しいのか、すっかり有頂天うちょうてんになっていた。2人は、学校に到着するまでの間、ずっと彼の両親のことで盛り上がっていたのだった。

「それじゃ、また放課後迎えに行くよ」

「またね。レティ」

「ええ、また放課後に」

 私のクラスの前でセブランとフィオナは手を振ると、背を向けて自分たちの教室へと向かっていく。その様子を無言で眺めていると、背後から声をかけられた。

「今朝はリュックで登校したんだな」

「え?」

 振り向くと、こちらをじっと見ているイザーク。

「おはよう、イザーク。ええ、そうなの」

「足の怪我はどうなんだ? 少しは痛みが引いたのか?」

「ええ、大丈夫よ。うっかり床に足をつけない限り、痛むことはほとんどないから」

「うっかり床にって……そんなことがあったのか?」

 イザークは眉をひそめて私を見る。

「え? でもほんの数回だから大丈夫よ」

「松葉杖は慣れたのか?」

「そうね。少しは慣れたかしら」

「そうか。ならいい。悪かったな、足が悪いのに立ち止まらせて」

 それだけ告げると、イザークは教室の中へ入っていった。私も続けて中へ入ると、途端にクラスメイトたちが松葉杖をついた私に驚き、次々と声をかけてくる事態になった。

 その後──

 私は予鈴の鐘が鳴り響くまでクラスメイトの対応に追われたものの、今朝の嫌な出来事を思い出さずに済んだのだった。


「ふぅ……」

 ようやくみんなから解放され、ため息をつくと、ヴィオラが声をかけてきた。

「おはよう、レティ。さっきは大変だったわね」

「おはよう、ヴィオラ。ええ、ちょっとね」

「教室に入ったら驚いたわ。あなたの席にクラスメイトが群がっているんだもの。おかげで私、席に座ることもできなかったわ」

 席に座るとヴィオラが口を尖らせる。

「そうだったみたいね。でも……みんな、こんなに心配してくれていたなんてありがたいわ」

 私はクラスの中心人物になるような目立つ生徒ではない。だから尚更なおさらみんなから注目されたことに驚いていた。

「何を言ってるの? レティは頭もいいし、美化委員というみんながやりたがらない委員会にも積極的に手を上げて立候補してくれたから、実は一目置かれているのよ? だって現にあなたが階段で意識を失った時、クラス中が大騒ぎしたのだから」

「そんなことがあったなんて……」

「それだけじゃないわ。あのイザークが倒れそうになるあなたを咄嗟に支えて、抱き上げた時にはみんな驚いていたもの」

「え? そ、そうなの!?

 その言葉に目を見開く。

「ええ、そうよ。あなたがイザークに抱きかかえられたまま保健室に運ばれていく様子に感嘆の声を上げている人たちもいたんだから。ひょっとして、あの2人は交際しているんじゃないかって噂している人たちもいたわよ?」

「し、知らなかったわ……」

 まさか、そこまで騒ぎになっていたとは思わなかった。

「ごめんなさいね。本当はもっと早く教えてあげればよかったんだけど、セブランとフィオナの手前……言えなかったのよ。なんとなく言いにくくて」

「いいえ、そんなこと気にしないで。でも、私、昨日はかなりイザークに迷惑をかけてしまったのね……」

 しかも放課後は背負ってもらって校舎内を歩いている。

「何かイザークにお礼をしないと……彼ってどんなものが好きなのかしら? ヴィオラは何か知ってる?」

「え? 何言ってるの? 女子生徒の中では一番彼と親しいのはレティじゃないの? みんな、そう思っているわよ?」

「え? 私とイザークが? それは違うわよ。ただ彼とは同じ委員会だから、話す機会は少しならあるかもしれないけれど……」

 私はイザークをチラリと見た。

 そういえば、イザークはクラスでも一人でいることが多い。だからといって、別に友達がいないわけではない。現に男子生徒たちとは時々話をしていたり、一緒に行動している光景をたまに見かけるからだ。けれど、積極的に誰かと関わろうとしている素振りはない。なぜなのだろう? 私は遠くの席に座るイザークを、そっと見つめた。


 ──昼休み。

 私はヴィオラが戻ってくるのを待ちながら、誰もいない2階の教室の窓から外の景色を眺めていた。彼女は足を怪我した私を気遣って、ランチボックスを買いに行ってくれている。

「いいお天気ね……」

 窓からは、私とイザークが世話をした園庭の花壇の花が、美しく咲いている様子が見える。

「花壇のお花も綺麗きれいに咲いてるわね……え?」

 その時、私は目にしてしまった。それはセブランとフィオナが花壇の前を歩いている姿だった。2人は楽しそうに笑い合っている。

「また……2人は一緒なのね……」

 ズキリと痛む胸を押さえながら、ため息をついた時……。

「お待たせ~レティ」

 教室に元気なヴィオラの声が響き渡った。

「お帰りなさい、ヴィオラ」

 振り向きながら声をかけ、私は目を見開いた。なんとヴィオラがイザークと一緒に教室に現れたからだ。

 彼も手にランチボックスを持っている。

「どうしたの? ヴィオラ……イザークと一緒に戻ってくるなんて」

「違うわよ。偶然さっきそこで会ったのよ」

 ヴィオラに続き、イザークが相変わらず無表情で答える。

「今日はランチボックスを買って教室で食べるつもりだったんだ。そしたら帰りに偶然ヴィオラに会っただけだ」

「そうだったのね」

 ヴィオラは私の元へやってくると尋ねた。

「レティ、ずいぶん熱心に窓の外を眺めていたけど、何かあったの?」

「え? ええ。少し……ね」

 ためらいがちに返事をすると、好奇心旺盛なヴィオラが窓の外を眺め……途端に眉をひそめた。

「何あれ……セブランとフィオナじゃないの」

「なんだって?」

 ヴィオラの言葉にイザークも窓の側に近づき、外を眺めた。

「あいつ……なんだってあの転校生に構うんだ?」

 そして私を見る。なぜかその目で見られると、責められているように感じてしまう。

「それは私がセブランに頼んだからよ。フィオナの面倒を見てあげてと。だから彼は言う通りにしてくれているのよ」

「そうだったのか? だが、なぜそんなことを君が頼む?」

 すると、そこへヴィオラが割って入ってきた。

「よしなさいよ、イザーク。レティはお父さんに頼まれたのでしょう? そうよね?」

「ええ、そうなの。本当はフィオナを私のクラスに転入させたかったみたいなの。だけどセブランのクラスに入ったから、私の代わりにフィオナの世話をしてもらうようにそれとなく父から言われたの」

「ふ~ん。そうか」

 まだ、どこか納得いかなそうなイザーク。

「そんなことよりも、昼休みが終わる前に食事にしましょうよ」

 ヴィオラが私に声をかけてきた。

「ええ。そうね」

 その時、私を見つめるイザークと視線が合う。

「イザーク。もしよければ、私たちとお昼一緒に食べる?」

 面倒ごとが嫌いな彼のことだ。きっと断るだろうと思っていたのだが……。

「そうだな。そうするか」

 驚くべきことに私の誘いに頷いた。そこで私たち3人は、一緒に机を寄せ合って食事することになった。


「ええっ! 嘘でしょう? セブランの両親が今夜お見舞いに来るのに、義母とフィオナが同席するなんて……」

 サンドイッチを口に入れようとしていたヴィオラが目を見張る。

「成り行きでそうなってしまったのよ」

 するとイザークがため息をつく。

「セブランの奴……本当に考えなしだな。君の家でそんな話をすれば、2人に知られるに決まっているじゃないか」

「そうなのだけど、セブランに悪気はなかったと思うのよ」

 だって彼は、私がイメルダ夫人とフィオナを苦手に思っていることを知らないのだから。

「でも、それにしても無神経すぎるわ。あんな親子、レティの家から出ていけばいいのに」

 ヴィオラは憤慨しながら言うけれど、たぶん2人が出ていくことはないだろう。あの家にいる限り、私は夫人からもフィオナからもずっと逃げられないのだ。

 つい暗い気持ちになってしまったので、話題を変えるためにイザークに話しかけた。

「イザーク。昨日、あなたにたくさん迷惑をかけてしまったから、何かお礼をしたいのだけど……」

「お礼? 別にそんなものはいらない」

 何か気にさわったのか、ジロリとイザークは睨みつけてくる。

「で、でも……それでは私の気が……」

「だったら、これからも美化委員の仕事を頑張ってくれればそれでいい」

「そ、そう? 分かったわ」

 そんな私たちの様子をヴィオラは黙って見つめていた。


 ──放課後。

 授業が終わり、帰り支度をしていると、ヴィオラが声をかけてきた。

「……あと数時間で、セブランの両親がフィオナたちに会うのね?」

「ええ、そうね」

「あんな礼儀知らずの親子、セブランの両親から嫌われてしまえばいいのに」

 時々、ヴィオラはすごい発言をしてくる。

「どうかしら……」

 そこまで話した時──

「レティ! 迎えに来たよ!」

 教室の外にセブランとフィオナの姿がある。

「あ、迎えが来たわ。ヴィオラ、それじゃまた明日ね」

 椅子に立てかけてある松葉杖を取った。

「ええ、また明日ね。レティ」

 私たちは手を振って別れた。


 セブランとフィオナは馬車の中で、彼の両親の話で盛り上がっている。

「嬉しいわ。今夜またセブラン様に会えるなんて。それにご両親とも初めてお会いするから、なんだか今から緊張してきたわ」

 もはやフィオナは、セブランに対する好意を隠そうともしない。私は心を殺しながら窓の外を見つめていた。


 やがて馬車が屋敷に到着すると、セブランが私に手を差し伸べてきた。

「レティ、降りるなら手を貸してあげるよ」

「そうね、その足では流石に一人では難しいわよね。下手に降りようとして怪我が悪化してもいけないし。セブラン様、どうぞレティをお願いします」