「別に謝ることはない。それに少しも重くなんかないぞ? むしろもっと食べた方がいいんじゃないか?」
私を振り返ることもなく答えるイザーク。思わず黙ると、ヴィオラが彼に声をかけた。
「イザーク、どうしてあの場所にいたの? 校舎の出入り口とは反対じゃないの?」
「それは……セブランがレティシアを迎えに行ったのか気になったからだ」
「ふ~ん……そうなの」
ヴィオラは頷き、前方を歩くフィオナとセブランを見てため息をついた。
「まったく、何よ。あの2人ったら。少しはレティに気を使えばいいじゃない」
「……そうだな」
するとイザークが同意した。てっきり「そんなことはどうでもいい」と答えるかと思っていただけに驚いた。
けれど今は、もっと気になることがあった。それは、廊下をすれ違う学生たちが私たちを好奇心いっぱいの目で見ているからだ。中には私とセブランのことを知っている学生たちもいて、驚いた様子で目を見開いてこちらを見ている。
「イザーク。やっぱり私、歩くわ。降ろしてくれる?」
「何言ってるんだ? その足で歩くなんて駄目だ」
まさか即答されるとは思わなかった。
「でも……なんだかすごく目立っているみたいだし……イザークに迷惑をかけているわ」
「他人の目なんか気にするな。それに別に迷惑だとは思っていない」
相変わらず無愛想に返事をするイザーク。
「そうよ。レティは足を怪我しているんだからこの際、イザークの好意に甘えなさいよ。それにしても本来ならセブランがレティをおんぶするべきなのに。まったく……」
ヴィオラはよほど気に入らないのか、前方を仲良さげに歩くセブランとフィオナを睨みつける。けれどイザークは、そのことについては返事をしない。代わりに私に声をかけてきた。
「レティシア、足の痛みは大丈夫か? ……響いて痛むなら、もっとゆっくり歩くぞ?」
「ええ? だ、大丈夫。平気よ。その……ありがとう」
まさか私の足の痛みを気にかけてくれるとは思わなかった。
「ふ~ん。イザーク、あなたって意外といい人なのね」
「……なんだ、その意外とって」
ヴィオラの言葉に無愛想に返事をするイザークに対し、少しだけ思った。人というのは見かけによらないものだと。
そして私は再び、楽しげに話をしながら前を歩くセブランとフィオナを見つめ、心の中でため息をついた。
馬車乗り場に到着し、イザークに乗せてもらうと、セブランが彼にお礼を言った。
「ありがとう、イザーク。レティを馬車までおんぶしてくれて」
「だったら、お前が初めからおぶってやればよかっただろう?」
相変わらず無愛想な顔のイザーク。
「うん……そうだよね。ごめん。レティ」
セブランが申し訳なさそうに謝ってくる。
「いいのよ、セブラン。最初に断ったのは私の方だから」
「そうよ、セブラン様は……」
私のあとに、フィオナが頷きかけて口を閉ざした。なぜなら、ヴィオラがフィオナを睨んでいたからだ。
「そ、それじゃ私たちも馬車に乗りましょう?」
フィオナが慌てたようにセブランに声をかける。
「うん。そうだね」
するとヴィオラがフィオナを見た。
「フィオナさん」
「何? ヴィオラさん」
「これ、レティのカバン。あなたに渡すから、持ってあげてよ」
ヴィオラはフィオナに私のカバンを押し付けた。
「ええ、分かったわ。レティ、私が持っていってあげるわね?」
「ありがとう、フィオナ」
馬車の扉が閉ざされると、私は窓から顔を出した。
「ありがとう、ヴィオラ、イザーク」
「お礼なんかいらないわ。私たち、親友でしょう?」
笑顔のヴィオラとは対照的な顔のイザークが返事をする。
「足、大事にしろよ」
「え? ええ」
そこへ、セブランが声をかけてきた。
「もう馬車を出してもらってもいいかな?」
「ああ。早く帰った方がいい」
イザークの言葉にセブランは頷くと、男性御者に声をかけた。
「馬車を出してください」
その言葉に御者は頷くと、馬車はガラガラと音を立てて出発した。
「今日は本当にごめんね。レティ。僕がもっと気を利かせていれば……」
馬車の中ですっかり落ち込んだ様子のセブランが謝ってきた。
「いいのよ、セブランは何も悪くないから気にしないで」
こちらをじっと見つめるフィオナの視線を気にしながら、私は笑顔で頷いた。
この日ばかりはセブランもフィオナも、私に悪いと思ったのか、馬車の中で何かと話しかけてきた。けれどその内容は、あまり気分がいいものではなかった。
「ねぇ、あのイザークさんって人は、レティとどういう関係なの?」
好奇心いっぱいの目でフィオナが尋ねてくる。
「だから、さっきから話している通り、単なるクラスメイトよ。あと、同じ美化委員なの」
先ほどからフィオナにイザークのことばかり尋ねられて、
「美化委員? どんなことをするの?」
するとセブランが代わりに答える。
「美化委員というのは、主に校内の花壇の手入れをする仕事だよ。植物の世話だから、美化委員だけは1年間同じ委員会に所属するんだよ」
「へ~。あの人、あんな
あろうことか、フィオナはセブランに話を振ってきた。
「ちょ、ちょっと……フィオナ」
「え? 僕にそれを聞くの?」
セブランは驚いた顔つきになり、私をチラリと見た。まさかセブランも同じ考えを……?
私は息を呑んで彼の言葉を待つ。
「う~ん……イザークは中等部の頃から知っているけど、彼はああ見えても面倒見がいいんだよ。だから美化委員になったし、レティのことも放っておけなかったんじゃないかな? 僕はそう思うよ」
「セブラン……」
彼の無難な言葉に、心の中で安堵のため息をつく。
「そうなの? 私にはどう見てもレティを特別扱いしているように思えるのだけど……でも、セブラン様がそう言うなら別にいいわ」
「ええ、そうよ。私とイザークは単なるクラスメイトだから」
いい加減、この話を終わらせたい……そう思っていた矢先、セブランが声をかけてきた。
「もうそろそろ馬車が到着するね。レティ、僕が君を降ろしてあげるよ」
「本当? ありがとう、セブラン」
「そうね。流石にその足で馬車を降りるのは……難しいものね」
フィオナはしぶしぶ頷いたように思えた。
馬車が到着し、セブランに抱き上げてもらいながら馬車を降りると、素早くフィオナが松葉杖を差し出してきた。
「はい、レティ。使うでしょう? 松葉杖」
「いいんだよ、僕がレティを屋敷まで運ぶから。その代わりフィオナは杖を持ってきてくれるかな?」
まさか、セブランが私を屋敷まで運んでくれるとは思わず、嬉しさのあまり笑みが浮かぶ。
「ありがとう、セブラン」
「そうなの? 分かったわ」
フィオナはまだ何か言いたいことがあるのか、チラリと私を見たけれども、それ以上のことは何も口にしなかった。安堵のため息をついたその時、扉が開いてイメルダ夫人が現れた。
「お帰りなさい、フィオナ。それに……どうしたの? レティシア。セブラン様に抱き上げられて馬車を降りてくるなんて?」
その声はどこか非難めいて聞こえる。夫人は私の足の怪我が目に入らないのだろうか?
「あ、あの、これは……」
私が言いかけた時、フィオナが口を挟んできた。
「お母様、レティは今日学校で足首を怪我してしまったの。それでセブラン様が馬車から降ろしてくれたのよ」
「まぁ、そうだったの? それでセブラン様が……どうもわざわざレティシアのために、ありがとうございます」
夫人がセブランにお礼を言う。
「いえ。僕の方こそ、気が利かずにレティを困らせてしまいました。ごめんね、レティ」
「セ、セブラン……」
そのような言い方は、イメルダ夫人に変な誤解を与えてしまうのではないかと、私は内心ハラハラしていた。
「も、もうあとは松葉杖を使って歩くから大丈夫よ。セブラン、降ろしてくれる?」
「え? だけど僕は、君を部屋まで運ぶつもりだったのだけど……」
その時──
「レティシア! 一体どうしたのだ!?」
突然声が響き渡り、振り向くと扉の奥から父が出てきた。
「あ、お父様……いらっしゃったのですか?」
セブランに抱き上げられたまま父に尋ねた。
「今日は書斎で仕事をしていたのだが……足に包帯をしているな? 怪我をしたのか?」
「こんにちは、伯爵。レティシアは学校で怪我をして、一人では歩けないので、僕が部屋の中まで連れていってあげようと思っていました」
セブランが私の代わりに答える。
「そうか……悪かったね、セブラン。あとは私がレティシアを部屋へ運ぶ」
思いがけない父の言葉に驚いた。
「あなた!?」
夫人の驚きの声が響く。
「え? お父様? ほ、本気ですか?」
「当然だ。いつまでもセブランに抱き上げてもらうわけにはいかないだろう? セブラン、娘を渡してくれ」
「はい。伯爵」
私はわけが分からぬままセブランからお父様の腕に渡された。
「セブラン、私を運んでくれてありがとう」
「いえ。それでは皆さん、僕はこれで失礼いたします」
セブランは私たちに挨拶すると、馬車に乗って帰っていった。
「よし、ではいくぞ」
「は、はい……お父様……」
そして私は父に抱きかかえられながら、部屋へ連れていってもらうことになった。
背後から杖を持ったフィオナとイメルダ夫人の刺すような視線を感じながら……。
「お父様、レティは歩く練習が必要なので、降ろしてあげたらどうですか?」
松葉杖を持って、あとをついてくるフィオナ。
「そうですよ、あなた。フィオナの言う通りです。足が治るまでの間、運んであげるなんて無理でしょう? お仕事だってあるでしょうし。それにレティシアだって気を使ってしまうわよ。そうよね? レティシア」
背後からイメルダ夫人が私に話を振ってきた。
「え? そ、それは……」
どうしよう。私から父に言い出したことではないのに。だからといって、自分で歩くので降ろしてくださいと言おうものなら、父から非難されてしまうかもしれない。
返事に詰まり、腕の中で父の顔をそっと窺うと、父は私を見ることもなく答えた。
「だが、レティシアは今日怪我をしたばかりなのだ。何もすぐに無理させることもあるまい」
「「……」」
その言葉に流石のフィオナも夫人も黙ってしまった。
やがて私の部屋の前に到着すると、父がフィオナとイメルダ夫人に話しかけた。
「お前たちはもう戻っていなさい。少しレティシアと話があるから」
「え? でもお父様……」
「お父様が仰っているのだから、私たちは行きましょう」
まだ何か言いたげなフィオナに、イメルダ夫人が肩に手を置く。
「はい……分かりました。またね、レティ」
フィオナが笑顔で私に手を振る。
「ええ、またあとで」
2人が去っていくと、父が私に尋ねてきた。
「レティシア。扉を開けられるか?」
「はい」
両手が塞がっている父の代わりに扉を開けると、私を抱きかかえたまま父は部屋の中に入った。父は私をベッドに下ろすと、じっと見つめてくる。
「あ、あの……お父様……?」
今までこんなに間近で見つめられたことがないので戸惑ってしまう。すると……。
「レティシア。……少しだけ待っていてくれ。時間をくれるか?」
「え? 待つって……一体何をですか?」
「その足では屋敷の中を歩き回るのは大変だろう。治るまで自分の部屋で食事をとるといい」
「お父様……」
一人きりの食事……本来であれば寂しいという感情が込み上げてくるのかもしれないが、私の場合は違う。あの食事の場は、私にとっては息が詰まる空間でしかなかった。
けれど申し出ることができなかった。そんな申し出をすれば、全員から非難の目を向けられてしまいそうで、怖くて言い出せずにいたのだ。
それが、足が治るまでの間はこの部屋で食事をとることを父から許されるとは思いもしていなかった。
「はい、分かりました。お父様」
「一応部屋に松葉杖を置いておくが、誰か人の手助けが必要な時は呼び鈴を鳴らしなさい。すぐに使用人をお前の部屋に向かわせるように指示を出しておこう」
「ありがとうございます、お父様」
あらためて礼を述べると、父は無言で頷き、部屋を出ていった。
扉が閉ざされ、一人になると私はため息をついてベッドに横たわった。
「ふぅ……やっぱりお父様との会話は緊張するわ……」
なぜ父は今まで私のことを気にかけたことすらなかったのに、突然人が変わったかのように態度を変えたのだろう?
それに「待っていてくれ」とは一体どういう意味なのだろう?
「分からないことだらけだわ……」
思わずポツリと言葉が口から洩れる。
そして、夕食は文字通り一人きりの食事だった。
久しぶりにゆったりした気持ちで食事をとることができたおかげか、この日は久しぶりに残さず食べることができたのだった──