第3章 美化委員会


 ──昼休み。

 学生食堂に私とヴィオラはいた。

「とうとうレティの義理の妹に会わなかったわね」

 ヴィオラが話しかけてきた。

「そうね。お父様に学園内でフィオナの面倒を見るように言われていたから、てっきり同じクラスになるのかとばかり思っていたけど」

 結局、フィオナは私たちのクラスにはやってこなかった。

「どのクラスになったのかしら……Bクラス? それともCクラスかしら?」

 ヴィオラはだいぶ気にしているようだ。セブランのいるBクラスでなければいいのだけど……とてもその気持ちを口にすることはできなかった。

 その時──

「なんだ? レティシア。まだ食べ終わっていなかったのか?」

 真上から声が降ってきて、慌てて顔を上げるとイザークが立っていた。

「あ、イザーク」

「昨日言っておいただろう? 今日は昼休みに美化委員会の活動があるって」

 トレーの上の食事は、あと半分ほど残っていた。

「ああ、そうだったわね。ごめんなさい。すぐに食べ終えるから」

 するとヴィオラが口をとがらせる。

「ちょっとイザーク。委員会の活動まであと15分あるじゃない。何もそんなに焦らせなくたっていいでしょう?」

「……そうだったな。かすような真似をして悪かった。それじゃ俺は先に行ってるから」

 それだけ言うと、イザークは背を向けて去っていった。

「まったく……イザークは不愛想で何を考えているか分からないわ。よく美化委員会なんてやっていられるわね。大体、男子生徒は美化委員なんてやりたがらないのに」

「私は委員の仕事好きだけどね。花と触れ合えるから」

 ここは貴族ばかりが通う名門校。美化委員になりたがる人はあまりいない。私は花が好きだったから、花壇の手入れの仕事をしたくて、自分から美化委員に手を上げた。もっともイザークが一緒に手を上げた時には驚いたけれども。

 食事を食べ終えると、私は席を立った。

「それじゃ、ごめんなさい。委員会活動に行かないといけないから」

「ええ、いってらっしゃい」

 こうして私はヴィオラに見送られ、食堂をあとにした。


 今日は中庭の花壇の手入れの日だった。

「急がないと、またイザークに注意されてしまうわ」

 中庭へ行ってみると、既にイザークは倉庫から麻袋やスコップ、じょうろを出していた。

「ごめんなさい、遅くなって」

 息を切らせながらイザークの元へ駆け寄ると、彼は首を振った。

「いや、まだ作業開始時間まで5分あるから大丈夫だ。ほら、これつけるだろう」

 イザークが作業用エプロンと軍手を渡してくる。

「ありがとう」

 早速エプロンをつけて、軍手をはめると、私たちは美化活動を始めた。雑草を刈り取ったり、土をならしたり……花壇の手入れ作業が好きな私は、いつの間にかイザークの存在を忘れて鼻歌を歌っていた。

「……よほど花が好きなんだな」

「え?」

 声をかけられて顔を上げると、そこにはこちらをじっと見ているイザークの姿があった。

「鼻歌を歌いながら花壇の手入れをしていた」

「え? 嘘? 本当に……?」

「本当だ。しかもずいぶん上機嫌そうにな」

 相変わらず無表情のイザーク。

「ご、ごめんなさい。お花の手入れが好きだから、つい……」

 思わず顔が赤くなる。

「それじゃ家でもやってるのか?」

 草むしりをしながら、イザークが声をかけてきた。

「ええ。子供の頃から庭師さんと時々一緒に花壇の手入れをしていたわ。植物はお世話をするだけ、期待に添って美しく育ってくれるから」

 父と母に愛情を向けられて育たなかった私は、自然とお花に興味がいくようになっていた。美しい花々を眺めていると、自分の寂しい心を埋めてくれるような気持ちになれたからだ。

「ふ~ん。そうか」

 けれど私の返事にさほどイザークは興味を持っていないのか、気のない返事をする。

「イザークはなぜ美化委員になったの? あまりこの仕事やりたがる人はいないのに」

「それは……」

 言いかけたイザークは、突然眉をひそめて立ち上がった。

「どうしたの?」

 私の質問に答えることなく、イザークがポツリと呟く。

「……あれは……」

「え?」

 彼の視線の先を追った私は目を見開いてしまった。そこには、セブランとフィオナの姿があった。2人は仲良さそうに庭園を歩いている。思わず立ち上がった。

「セ、セブラン……」

 2人は私に気付くことなく、園庭を歩いている。すると、フィオナが何かを見つけたのだろうか? 突然セブランの右手を取ると、急かすようにどこかへ小走りで連れ出していく。その先には温室があり、2人はそのまま中へと入っていった。

「なんだ? 今のは……」

 イザークが呟き、私の方を振り返ると、慌てたように声をかけてきた。

「お、おい! 大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

「セブラン……まさかフィオナと同じクラスに……」

「フィオナ? あの女、フィオナというのか? 初めて聞く名前だな。それにしても……」

 イザークは私をチラリと見た。

「レティシア、あの女を知ってるのか? ずいぶんセブランと仲が良さそうに見えたぞ?」

 けれど私は返事ができなかった。ショックで言葉をなくしてしまったのだ。

 なぜ、2人が一緒に?

「レティシア、もう教室に戻った方がいい。ひどく具合が悪そうだぞ」

 珍しくイザークの顔に心配そうな表情が浮かぶ。

「で、でもまだ……」

「あとは水やりと片付けだけだからな。残りは俺がやっておく。まるで今にも倒れそうだぞ?」

「い、いいの?」

 尋ねる声が震えているのが自分でも分かった。

「ああ。そんなことより少し休んだ方がいい」

「ありがとう……」

 のろのろと園芸用エプロンを外すと、イザークが手を伸ばしてきた。

「ほら、エプロンと軍手も片付けておくよ」

 私はコクリと頷き、エプロンと軍手を渡した。

「ごめんなさい。それじゃお言葉に甘えて先に戻らせてもらうわね?」

「ああ。そうした方がいい」

 一度だけセブランとフィオナが入った温室を見ると、重い足取りで教室へ足を向けた。


「ど、どうしたの!? レティ! 顔が真っ青じゃないの!」

 教室へ戻ると、ヴィオラが驚いた様子で声をかけてきた。

「う、ううん……大丈夫、なんでもないわ」

「なんでもないってことないでしょう? まさか美化委員会の活動中に何かあったの?」

「え?」

 その言葉にドキリとし、先ほどセブランの手を取って温室へ嬉しそうに入っていくフィオナの姿を思い出してしまった。

 だけど私には何も言う権利はない。私たちはまだ婚約しているわけでもないのだから。

 けれど、ヴィオラの言葉にますます私は青ざめてしまったのだろう、何を勘違いしたのか、ヴィオラは思いもよらない言葉を口にした。

「さてはイザークのせいね? 前から彼はレティに何かにつけて絡んでくるところがあったから。私の方から文句を言ってやるわ」

「ま、待って。違うわ。イザークは何も悪くないのよ」

「だけど委員会活動から戻ってから様子がおかしいんだもの。どう考えたってイザークに何かされたと思うじゃない」

 するとその時──

「俺がどうしたんだよ」

 ちょうど運悪く、イザークが教室に戻ってきた。

「あ……イザーク。お疲れ様」

 後ろめたい気持ちになりながら、彼に声をかける。

「ああ、君もな」

 するとヴィオラが椅子から立ち上がった。

「ちょっと、イザーク。一体レティに何をしたのよ」

「なんのことだ?」

 首を傾げるイザーク。

「それはこっちの台詞よ。委員会活動から戻って、レティの様子がおかしいのよ? きっと何かあったと思うじゃない」

「なんでそれが俺のせいになるんだよ」

「決まっているでしょう? 一緒にいたのが、あなただったからよ」

 2人の間に険悪な雰囲気が漂い始めた。

「待って! 落ち着いて、ヴィオラ。本当にイザークは何もしていないわ。むしろ気分が悪くなった私を先に帰らせてくれたのよ。彼は一人残って後片付けをしてくれたのだから」

「え……そうだったの?」

 ようやく納得したのか、ヴィオラはイザークを見た。

「ごめんなさい。勝手に勘違いしてしまったわ」

「別に分かればいい。だけど、レティシアの気分が悪くなったのはセブランのせいだからな」

「イザーク!」

 まさか彼の口からセブランの名が出てくるなんて。

「セブランの? 一体どういうことなの?」

 ヴィオラが私に視線を向ける。

「そ、それは……」

「俺たちが花壇の手入れをしていたら、セブランがフィオナとかいう女と一緒に温室へ入っていく姿を目撃したのさ。それでレティシアは気分が悪くなったんだ」

「え! フィオナって……あなたの異母妹の?」

「異母妹……? そんなのがレティシアにはいたのか?」

 イザークが私を見る。

「ええ……そうなの。今日から同じ学校に通うことになったのよ」

「ふ~ん。そうか。とにかく誤解が解けたなら、俺はもう行くから」

 イザークはそれ以上尋ねることはなく、自分の席に戻っていった。

「レティ、どうするの? どちらかを問い詰める?」

 ヴィオラがじっと私を見つめる。

「でも盗み見をしていたように思われてしまうかもしれないわ」

 イメルダ夫人の耳に入れば、父にも伝わる。そうなると叱責しっせきされてしまうかもしれない。

「きっと、学校案内を頼まれただけよ。だから私の方からは何も聞かないわ」

「レティ。私は何があってもあなたの味方だからね」

 そう言って私の手を握りしめるヴィオラ。彼女の温かい手がとても嬉しかった。


 本日の授業が全て終わる鐘が校舎に鳴り響いた。

「ふぅ……」

 今日からフィオナが一緒に帰ることになる。そう思うと気が重かった。

「大丈夫? レティ。今日から異母妹が一緒なのよね?」

 帰り支度を終えたヴィオラが話しかけてきた。

「ええ、そうなの」

「どうする? 今日は私と一緒の馬車に乗って帰らない? まだ顔色が悪いわよ」

 ヴィオラはとても優しい。私をこんなに気遣きづかってくれる。

「そうしたいのは山々だけど、フィオナの登校初日から私が別の馬車に乗って帰れば夫人の機嫌を損ねてしまうかもしれないわ」

 いや、むしろ夫人は、邪魔な私がいないことを喜ぶかもしれない。けれど、父はどう思うだろう。嫌味な真似をするなと叱責されるかもしれない。

「そう、分かったわ。無理には誘わないけれど……」

 その時──

「レティ! 迎えに来たわ!」

 大きな声が廊下から聞こえて振り向くと、笑顔で手を振るフィオナとセブランの姿がある。

「まぁ! 図々しい……もうあなたのこと、愛称で呼んでるの?」

「ええ。でも、そう呼んでもいいかとフィオナに聞かれたの。だからよ」

「そうだったの?」

「ごめんなさい。あまり待たせるわけにはいかないから、私もう行くわね」

「分かったわ。また明日ね」

 私はヴィオラに手を振ると、急いで2人の元へ向かった。

「ごめんなさい、待たせてしまって」

「別にそれくらい大丈夫だよ。それじゃ一緒に帰ろう?」

 セブランが笑顔で話しかけてくれる。

「ええ」

 頷くと、私たちは歩き始めた。

「ねぇレティ。私、セブラン様と同じクラスになれたのよ? すごい偶然だと思わない」

「本当? それはよかったわね」

 そんなことは言われなくても知っているが、私は笑顔で頷いた。

「本当に驚いたよ。朝、先生が転入生の紹介がありますと教室に入ってきた時には。まさかと思っていたら、現れたのがフィオナだったからね」

「本当。私も教室にセブラン様がいたから驚いたわ。でも安心したわ。だって知り合いがいるといないとでは全然違うもの。それでね、今日はいろいろ校舎を案内してもらったの……」

 フィオナのおしゃべりは止まらない。

 結局、馬車に乗っても彼女は今日一日の出来事を興奮した様子で話し、私が口を挟む隙間は全くなかった。そんなフィオナを、セブランは優しい瞳で見つめながら聞いている。

 セブランは誰にでも優しい。私に限ってではなく、全ての人に……。

 だから、彼がフィオナのことを見つめる頬が少し赤く染まって見えるのは、たぶんきっと私の気のせい。そう、無理に言い聞かせた。


 ──そしてその夜。

「何? レティシアではなく、セブランと同じクラスになったのか?」

 食事の席で父が、フィオナの話に驚いたように目を見開く。

「ええ、そうなのよ。すごい偶然だと思わない?」

 イメルダ夫人が父に話しかける。

「あ、ああ……そうだな」

 父は頷き、なぜか私を見た。その視線が気になったが、黙って食事を進めた。

 今夜も3人だけで盛り上がる夕食。私はそこに入ることができない。以前、父と2人きりの食事の時も居心地の悪さを感じていたけれども、今のこの状況は私にとって針のむしろ状態だった。

 時折、私を見るイメルダ夫人の刺すような瞳が耐え難かった。……もしかすると私を邪魔だと思っているのかもしれない。

 早く食事を終えて、一人になりたい。そう思いながら食事をしていると、不意に父に声をかけられた。

「レティシア」

 顔を上げると、父がじっと私を見つめている。

「お父様?」

「食事を終えたら、あとで私の書斎に来なさい。いいな?」

「は、はい」

「あら? お話なら、今ここですればよいのではなくて?」

 イメルダ夫人が父に尋ねた。

「ええ、そうよ。お父様」

 フィオナも頷く。しかし……。

「いや、2人は遠慮してくれ。いいな、レティシア」

「はい、分かりました」

 一体なんの話なのだろう? 不安な気持ちのまま、私は食事を終えた。


 ──20時。

 私は父の書斎の前に立っていた。重厚そうなマホガニー製の扉の奥に父がいる。緊張をとるために一度深呼吸すると、私は扉を叩く。すると少しの間のあと、扉が開かれた。

「来たか。入りなさい」

 父は私を見下ろすと、無表情で声をかける。

「はい、お父様。失礼いたします」

 部屋には2つの書斎机が置かれている。そのうち一つの書斎机の上には書類が散乱していた。

「レティシア。そこの書類を分別してまとめてくれ。やり方は分かるな?」

 私は15歳の時から父の仕事の手伝いを始めていた。だからもう手順は分かっている。

「はい、分かりました」

 なんの用事で呼び出されたのかと緊張していたけれども、結局は仕事の手伝いだったのかと思うと、少しだけ拍子抜けしてしまった。席に座ると、私は早速書類の分別を始めた。

 仕事を始めて少しした頃、突然父が話しかけてきた。

「レティシア、フィオナのことについてだが……」

「え?」

 いきなりの話に驚いて私は顔を上げた。すると父は、じっと私を見つめている。

「あの、なんでしょうか?」

 私は自分の知らないところで、彼女に何かしてしまったのだろうか? 緊張が走る。

「フィオナがセブランのクラスに入ったと聞かされた時は驚いた」

「そうなのですか?」

 それほど驚くことなのだろうか? クラスは3クラスしかないのに。

 その時──

 ガチャッ!

 突然扉が開かれ、驚いた私は顔を上げ……さらに驚いた。なんと扉を開けたのはイメルダ夫人だったからだ。

「なんだ? いきなり扉を開けたりして。一体どうした?」

 父がどこかとがめるような口調でイメルダ夫人に声をかけた。

「い、いえ。たぶんレティシアが来ているだろうと思って。私も話に混ぜてもらおうかと思ったのだけど……」

 夫人は私が書類の整理をしている姿を見ている。

「見ての通りだ。私がレティシアに部屋に来るように命じたのは、仕事を手伝ってもらうためだ。イメルダ、君もやってみるか? 領主の仕事を手伝う妻は世間に多くいるからな」

「そ、そうですね。そのうちに教えていただきますわ。私はお邪魔のようですので、下がらせていただきますね。失礼しました」

 そしてイメルダ夫人は、まるで逃げるように部屋を去っていった。

 父はイメルダ夫人が部屋を出て行くさまをじっと見つめていたが、扉が閉ざされると、ため息をつく。その姿がなぜかに落ちなくて首を傾げた。

「話が中断してしまったな。私は学園側に、フィオナをレティシアと同じクラスに入れてもらえるように頼んでいた。なのに、まさかセブランのクラスに入るとは……」

「え? そうだったのですか?」

 あまりにも意外な話で、思わず目を見開いてしまった。

「フィオナはあの通り、行儀作法に全くうとい。お前と同じクラスならばお目付け役になってもらえるだろうと考えて、以前から学園に要望していたのに。なぜなのだろう?」

 そして父はじっと私を見る。

「お父様、私は何も知りません。大体、フィオナが同じ学園に通うことも知らなかったのですよ?」

「そんなことは分かっている。ただ、なぜそうなったのか理由を知っているか尋ねてみたかったのだ。あの2人の前では聞けないからな」

 なぜ、夫人とフィオナの前では聞けないのだろう?

「すみません。私は何も聞かされておりません」

「そうか。でもセブランが一緒なら、少しはマシかもしれないな」

 そして父は再び仕事を始めた。

 少しはマシ? 私の代わりにセブランにフィオナのお目付け役になってもらおうということですか? 私とセブランは将来婚約するかもしれないのに、彼の側にフィオナを置くつもりなのですか……?

 そう、父に尋ねたかった。けれど私と父は普通の親子関係ではないので、聞くに聞けない。私は言葉を飲み込んで、父から託された仕事をするしかなかった。

 父の仕事の手伝いを終えると、21時半を過ぎていた。

「お父様、書類の分類が終わりました」

「ああ、ご苦労だったな。もう部屋に戻ってもいいぞ」

 父は顔を上げることもなく、返事をする。

「はい、それでは失礼いたします」

 挨拶を済ませて部屋を出ようとした時、背後から声をかけられた。

「レティシア」

「はい?」

 振り向くと、父はじっと私を見つめている。

「何か?」

「……いや、なんでもない」

「そうですか? では失礼いたします」

 私はあらためて挨拶すると、今度こそ書斎をあとにした。

 フィオナの部屋の前を通り過ぎ、自分の部屋の扉を開けようとした時。

 ──カチャ。

 突然隣の部屋の扉が開かれ、フィオナが顔を現した。

「レティ、今までお父様のお部屋に行ってたの?」

 あまりにもタイミングよく扉が開いたので、いぶかしく思いながらも私は頷いた。

「ええ、そうよ」

「ふ~ん、そう。それで一体どんな話だったの?」

 なぜイメルダ夫人もフィオナも、私と父の会話を気にするのだろう?

「別に話というわけではなかったの。お父様の仕事の手伝いをしてきただけよ」

 セブランとフィオナの話が出たことは、なぜか言う気にはなれなかった。

「……本当に仕事の手伝いだったの? 他に何か話があったんじゃないの?」

 なぜかしつこくフィオナが尋ねてくる。

「いいえ、本当に仕事の話だけよ? なんだったら、あなたのお母様に尋ねてみたらどうかしら。書斎に一度いらしたから」

「え? お母様が?」

「ええ、そうよ。私とお父様が仕事をしている姿を見ているから」

「ふ~ん……そうだったのね。それじゃ今まで仕事をしていたのね? ご苦労様」

 ニコニコ笑みを浮かべるフィオナ。

「それじゃ、少し疲れたから私、もう部屋に戻るわね」

「そうね。ゆっくり休んで。明日も学校だし」

「ええ。おやすみなさい」

 フィオナと挨拶を交わすと、私は自分の部屋の扉を開けた。


「なんだか疲れたわ……」

 入浴を終えた私はベッドに横たわると、天井を見上げた。

 フィオナとイメルダ夫人との生活は始まったばかりなのに、既に私の精神は疲弊ひへいしていた。

「この生活、あと何年続くのかしら……」

 早く家を出たい。

「セブラン……」

 もしセブランと結婚できれば、この屋敷をすぐにでも出られるのに。彼の両親からは、私たちが18歳になったら正式に婚約させようという話が出ている。

 けれど、今のままではもしかするとこの話は流れてしまうかもしれない。セブランはフィオナに惹かれているように見えるし、フィオナは初めから彼への好意をあらわにしている。

 父にしたって、セブランに彼女のお目付け役をさせようとしているようにも思える。

 そして一番の問題は、イメルダ夫人。

 彼女は露骨なくらい、セブランとフィオナの仲を取り持とうとしている。もしくは、私に対する単なる当てつけかもしれない。

「私はこれからどうすればいいの……」

 思わず、ポツリと言葉が漏れる。なぜか亡き母の顔が脳裏に浮かび、ため息をついた──


 ──翌朝。

 今朝も私を除く3人は楽しそうに談笑しながら食事をしている。そして私は当然その会話に入ることはできない。そのうえ、時折刺すような瞳でこちらを見つめてくるイメルダ夫人。私にとって家族団らんの食事は、今や苦痛の時間になっていた。

 当然食欲だって落ちてしまう。テーブルの前にはまだ料理が残っていたけれども、とてもではないがこれ以上食べられそうになかった。

 フォークを置くと、フィオナが私の様子に気付いたのか、声をかけてきた。

「どうしたの? レティ、もう食べないの?」

「え、ええ。もうお腹がいっぱいで」

「でも半分以上残っているじゃない」

 するとイメルダ夫人が声をかけてきた。

「レティシア、こんなに美味しい料理を残すなんて贅沢ぜいたくだと思わないの? ね、あなたもそう思うでしょう?」

 夫人は父に同意を求めた。きっとまた、叱責されるに違いない。私は覚悟を決めたが、父の口から出たのは意外な言葉だった。

「食欲が湧かないのなら仕方ないだろう。まだ登校するまでには時間がある。食事はもういいから、部屋に戻っていなさい」

「お父様……」

 まさか、退席することを許されるとは思わなかった。

「どうした? 部屋に戻らないのか?」

 相変わらず感情の伴わない言い方ではあったけれども、今の私にとってこの言葉はありがたかった。

「すみません。それではお先に失礼します」

 席を立つと、フィオナが尋ねてきた。

「ねぇ、学校には行けるわよね?」

「ええ、もちろん行くわ」

「よかった。なら、またあとでね」

「ええ。また」

 そして私は部屋に戻った。


 ──8時。

 そろそろセブランが迎えに来る時間だったので部屋を出ると、エントランスへ向かった。

 扉を開けて外に出ると、既にセブランは到着しており、フィオナと楽しそうに話をしている。2人とも私が出てきたことにはまだ気付いていない。

「セブラン……」

 セブランとフィオナが笑顔で話している姿を見て、私の胸は苦しくなってきた。声をかけるタイミングを失っていると、セブランが私に気付いて手を振った。

「あ! おはよう、レティ」

「おはよう、セブラン。遅くなってごめんなさい」

「いいよ。いつもより少し早く着いただけだから気にしないで」

 笑顔で話しかけてくれるセブラン。彼は優しい人だから、誰にでも笑顔を向けてくれる。だからフィオナとセブランのことは、気にしてはいけない。無理に自分に言い聞かせる。

「それじゃレティも来たことだし、行きましょうよ」

 フィオナがさり気なくセブランの腕に触れる。

「うん、そうだね、行こうか。2人とも、乗って」

「は~い」

「ええ」

 私たちが乗り込むと、すぐに学校へ向けて馬車は走り出した。

「あのね。今朝お父様に言われたのだけど、私とセブラン様は同じクラスになったから、学校ではセブラン様のお世話になりなさいと言われたの」

「え? そうだったの?」

 セブランが目をパチパチさせる。

「ええ、そうなの。レティもお父様からその話、聞かされているでしょう?」

 フィオナが私を見る。確かに昨夜、それらしいことは父に言われたけれども……一瞬言葉に詰まるも、返事をした。

「セブラン、私からもお願いします。フィオナのこと、よろしくお願いします」

 これが父の願いであり、イメルダ夫人が望むことなのだから。

「分かった。それじゃフィオナが学校生活に慣れるまでお世話させてもらうよ。よろしくね」

「本当? 嬉しい! ありがとう、セブラン様」

「そんなに喜ばれるとは思わなかったな」

 フィオナがとびきりの笑顔を見せ、セブランの頬が赤く染まる。そんな2人の様子を私は心を殺して見つめるしかなかった……。


「それじゃ、レティ。放課後にね」

「またね、レティ」

 私の教室の前でにこやかに笑顔を向ける、セブランとフィオナ。

「ええ、また放課後にね」

 私が手を振ると、2人は仲良さげに自分たちのクラスへ入っていく。その様子を悲しい気持ちで見つめていると、不意に背後から声をかけられた。

「おはよう、レティシア」

「え?」

 驚いて振り向くとイザークだった。今までほとんど彼から挨拶をされたことはなかっただけに少しだけ驚いた。

「お、おはよう。イザーク」

「何をしてるんだ? 教室に入らないのか?」

 イザークはじっと見つめてくる。

「い、いいえ。入るわ」

「そうか、なら行くぞ」

「ええ」

 イザークに促され、自分の教室に入ると、ヴィオラが声をかけてきた。

「あら? 珍しいじゃない。イザークと一緒に教室に入ってくるなんて。まさか一緒に……」

「そんなわけないだろう? 偶然、教室の入口で会っただけだ」

 イザークは眉をひそめ、次に私を見る。

「レティシア、今日も委員会活動があるから遅れるなよ」

「ええ、分かっているわ」

 頷くと、イザークは自分の席に行ってしまった。

「……やっぱりイザークって、何を考えているか分からないわ」

 ヴィオラは首をひねっている。けれど私の頭の中はイザークのことよりも、フィオナとセブランのことでいっぱいだった。

 その日は、ずっと憂鬱な気分で授業を受けていた。

 私はヴィオラに心配をかけたくなかったので、彼女の前ではつとめて明るく振る舞っていた。それなのに、またつらい現実を目にしてしまうことになる。

 それは昼休みの出来事だった。

 私とヴィオラが学生食堂に来て、2人で料理の載ったトレーを持ってテーブル席を探していた時……。

「!」

 窓際の席で向かい合わせに座って、楽しそうに食事をしているセブランとフィオナの姿を見てしまった。ショックで思わず体がこわばる。

「う~ん。なかなか空いてる席が見つからないわね……」

 ヴィオラが話しかけてくるも、私はそれどころではなかった。

「セブラン……フィオナ……」

 傍から見れば、2人はまるで恋人同士のように見えた。笑顔で話しかけているフィオナを優しげな目で見つめているセブランの姿を見ていると、胸が締め付けられてくる。

「どうしたの? レティ……え!」

 ヴィオラも私の見ている視線の先に気付き、驚きの声を上げた。

「な、何! あれ! セブランと一緒にいるのって……レティの異母妹でしょう?」

「え、ええ……そう……よ……」

 トレーを持つ手が震えてしまう。

「一体なんなの、あの女! それにセブランまで……私、文句言ってくるわ!」

 ヴィオラはトレーを持ったまま、セブランたちの元に行こうとした。もしあの2人に文句でも言おうものなら、家に帰ったら叱責されてしまうかもしれない。

「ま、待ってヴィオラ。そんなことより、空いている席を探して食事しましょうよ」

 自分の声が震えてしまうのが分かった。

「え? ……でも……」

「おい、そこの2人」

 その時、不意にすぐ近くで声をかけられた。

「え?」

 振り返ると、テーブル席に座っているイザークの姿がある。

「イザーク……?」

 私が名前を呼ぶと、ヴィオラも気付いたのか振り返った。

「あら、イザークじゃない。何か用?」

「席を探しているんだろ? 俺のテーブル席が空いている。座ったらどうだ?」

 確かにイザークが座っている丸テーブル席は椅子が2つ空いている。

「「……」」

 私とヴィオラは顔を見合わせ、頷いた。

「そうね。ならお言葉に甘えようかしら?」

「座らせてもらえる?」

 ヴィオラに続き、私はイザークに声をかけた。

「ああ、他の誰かにとられる前に座れよ」

「まったく……! セブランもあの女も本当に気に入らないわ!」

 席に着くやいなや、ヴィオラは苛立った様子で食事を始めた。

「そ、そうね……」

 するとイザークが話に加わってきた。

「セブランがどうかしたのか?」

「そうよ! セブランよ! レティの異母妹と一緒に食事をしているなんて信じられない!」

 ヴィオラは憤慨した様子で説明する。

「……でも、セブランは……転入生のフィオナのお世話をしているだけだから……私からもお願いしたし」

「え……?」

 その言葉にイザークが顔を上げて私を見つめ、ヴィオラは詰め寄ってきた。

「そうなの? でも、なんで?」

 そこで私は、なぜこのようなことになってしまったのか、今までの経緯を説明した。

「で、でも、だからと言って……」

 ヴィオラは納得がいかないのか、まだ何か言いたげだ。するとイザークが口を挟んできた。