立ち上がったセブランは笑みを浮かべながら私を見る。でも、私には分かる。彼が無理に作り笑いをしていることを。

 なぜなら私は子供の頃からずっと彼に恋をしていたのだから。

「まさか。断るはずないでしょう?」

 バラの花束の香りをぎながら返事をする。

「もう君のお父さんに婚約の話は済ませてあるんだ。婚約式はいつにする?」

 太陽を背に、私に話しかけるセブランのダークブロンドの髪がキラキラと光っている。アンバー色のセブランの瞳は優しい。

「ええ、そうね。いつにしましょうか……」

 その時──

「レティ、セブラン様。2人とも、ここにいたの?」

 声が聞こえて振り向くと、そこにはホワイトブロンドの長い髪に青い瞳の女性。私の腹違いの妹であるフィオナの姿があった。もっとも妹と言っても、彼女と私の年齢は半月ほどしか離れていない。

「フィオナ、こんにちは。今日もお邪魔しているよ」

 途端とたんにセブランの顔に笑みが浮かぶ。

「ええ。お待ちしていたわ、セブラン様」

 フィオナはセブランに笑いかけ、次に私を見た。

「まぁ、レティ。とても素敵な紫のバラね。あなたの瞳と同じ色だわ。もしかしてセブラン様にもらったの?」

「ええ。彼からいただいたの」

 小さくうなずくと、セブランがフィオナに話しかけた。

「フィオナ、それなら君にもバラの花束をあげるよ。フィオナの瞳は海の色のように青く美しいから青色のバラなんてどうだろう?」

 セブランは熱を持った瞳でフィオナを見つめている。そのほおには少しだけ赤みがある。

「え……? でもそれは悪いわ。だって私はセブラン様から花束をもらう資格はないのよ? だってあなたはレティと……」

 そしてフィオナはチラリと私を見る。……ここは私が察しなければ。

「私、バラが枯れるといけないから花瓶かびんにいけてくるので、お先に失礼するわね」

 背を向けて立ち去ろうとしたところ、セブランから戸惑いの声で呼び止められる。

「え? レティ?」

 そこで私は振り向いた。

「フィオナ、私の代わりにセブランのお相手をお願いね」

「ええ、分かったわ。セブラン様、それではこちらで私と一緒にお話ししませんか?」

 フィオナは頷くと、すぐにセブランに声をかける。

「うん、そうだね」

 セブランの顔はとてもうれしそうだ。

「それではごゆっくり」

 私は声をかけるも、2人は既に互いの話に夢中になっているのか、返事をするどころか、こちらを見ようともしない。

「そういえば、セブラン様。私この間、町でとても美味おいしいケーキ屋さんを見つけたのよ。そのお店は飲み物もとても美味しかったわ」

「そうなのかい? 一度行ってみたいな」

「なら、今度一緒に行きましょう。いつがいいかしら……」

 2人の楽しげな会話を背に、私はその場をあとにした。


 静まり返った長い廊下を歩いていると、前方から2人のメイドを引き連れた女性がこちらへ歩いてくる姿が目に入った。

「あ……」

 思わず足を止めると、女性も私に気付いたのか笑みを浮かべて真っ直ぐこちらへ近づいてくる。そして私の前で足を止めると、ニコリと笑いかけてきた。

「あら、レティシア。とても美しい花束を抱えているわね? もしかしてセブラン様からもらったのかしら?」

 彼女は私の義理の母。イメルダ・カルディナ伯爵夫人でフィオナの母親。娘と同様に美しいホワイトブロンドに青い瞳の女性。

「はい、そうです。彼からいただきました」

「そうなのね……ひょっとすると婚約の申し出の話があってもらえたのかしら?」

「その通りです。セブランから本日婚約の申し入れがありました」

「……ふ~ん。そう。それで? フィオナの姿を見なかったかしら?」

 興味がなさそうに返事をすると、意地悪な質問をしてくる。

「フィオナでしたら、おそらくガゼボにいると思います。お花を花瓶にいけてきたいので、私はこれで失礼します」

 会釈すると、私は再び歩き始めた。

「まったく……立場が逆だったらフィオナが選ばれたのに……」

 すれ違いざまに、イメルダ夫人がポツリとつぶやいた台詞せりふが耳に飛び込んでくる。

 明らかに私に聞かせるために意図的に口にしたのであろう。けれど、私は聞こえないふりをして、そのまま自分の部屋へと向かった。

 ──パタン。

 扉を閉じると、ようやく安堵のため息が口から漏れる。

(きっと本当はお父様も、私ではなくフィオナがセブランの婚約相手だったらいいのにと思っているでしょうね……)

 そう思うと、なんだか無性むしょうに悲しい気持ちが込み上げてきた。

「う……うぅ……」

 私はバラの花束を抱えたまま、涙を流してその場にうずくまった──


 私の実の母……ルクレチア・カルディナは、かなりの財産を所有していた名家の伯爵家出身で、2年前に亡くなっている。父であるフランク・カルディナ伯爵とは政略結婚であったのだが、実は母はデビュタントの時に出会った父にずっと恋をしていたそうだ。そこで自ら両親に訴え、父と結婚することができた……らしい。

 一方、父には恋人がいた。その女性こそがイメルダ夫人。彼女は貧しい男爵家で、身分差がありながらも2人は結婚しようとした。ところが家柄のことで周囲の猛反発を受けることになる。そこへ追い打ちをかけるかのように母との縁談話が浮上し、イメルダ夫人は身を引くしかなかった。

 父と母は結婚したものの、夫婦関係は冷え切っていた。それでも世継ぎを望む双方の親たちの説得により、母はなんとか子供を宿すことができた。それが私である。

 母は私を妊娠したことをとても喜んだのも束の間、一気に地獄にたたき落とされた。なぜなら、ほぼ同時期にイメルダ夫人の妊娠が発覚したからだ。

 父は母と結婚生活を続けていたものの、恋人との関係は切れていなかった。彼女のためにこっそり別宅を買い与え、2人はそこで逢瀬おうせを重ねていたのだ。そして残酷なことに、ほぼ同時期に子供を宿した。さらにあろうことか、父はそのことをすぐに母に報告したそうだ。

 その事実を知った母は……ついに、心を病んでしまった。

 父に恋人がいたこと……そして妊娠を知った母の怒りと悲しみは計り知れなかった。まして、妊娠の時期がほぼ同じなのだから余計にショックは大きかった。精神的に追い詰められた母は何度も流産しそうになったが、私は難産の末に無事に生まれてくることができた。

 ……母の精神の崩壊と引き換えに。

 私を産んだ母は狂気にとらわれ、廃人同様になってしまった。人の世話がなければ何もできない赤子のようになってしまったのだ。

 そんな母を見兼ねた父は、母を屋敷の一番奥の部屋に押し込めて世間から隠してしまった。

 そして母の実家には、出産により気が触れてしまったと説明した。娘の変わり果てた姿に絶望した母の両親は、父に全てを託して見捨ててしまった……と私は使用人から聞かされて育ってきたのだった。

 狂気に囚われ、子育てができなくなってしまった母の代わりに、父はメイドに交代で子育てをさせた。私に名前をつけたのは父であったけれども、愛情を注いでもらった記憶はない。

 やがて私は成長し、父と一緒に食事をとるようになった。けれど、そこに会話はほとんどなかった。

 それでも私は父の愛情が欲しかった。そこで必死になって父に話しかけたけれども、返事は「ああ」とか「うむ」といったものばかりで、まともな会話が成り立つことはなかった。

 そしてついに、私は父との関係改善をあきらめて、距離を置くことに決めたのであった。

 母は狂気に囚われ、母娘の会話など成り立たない。父はまるで私から目をそむけるような態度を取り、相手にもしてくれない。そんな両親から見捨てられた私を救ってくれたのが、幼馴染のセブラン・マグワイアの存在だった。

 彼は同じ地区に住む伯爵家の令息だった。同い年で父の顔見知りだったということもあり、私と彼は一緒の時間を過ごすことが多かった。私が彼に淡い恋心を抱くようになるのにさほど時間はかからなかった。

 マグワイア家は、冷たいカルディナ家とは違ってとても温かな家族だった。セブランの両親は、まるで実の娘のように私を温かく受け入れて可愛がってくれた。

「レティシア、将来はセブランと結婚してお嫁においで」

 セブランの両親からそのように言われ、当然私は将来彼と結婚することになるだろうと夢を抱いていたのに……私の夢は、もろくも崩れ去ることになる──