その日の夜。私が食堂の片付けを終えて明日の準備をしていると、不意に人の話し声や、ガチャガチャというよろいの音で外が騒がしくなった。

 ……何だろう?

 この辺りは『花の都亭』があるから夜もにぎやかだけれど、それとは違うけんそうに、私はそぉっと扉を開けてみる。

 すきからちらりと見えたのは──フィンさんとテオさん、それに聖騎士団の皆さん?

 聖騎士団の人たちは最近軽装で来ることも多く、ちゃんとした鎧をつけているのを見るのは久しぶり。けれど、あの目立つ後ろ姿は間違いない。

 私はドーラさんにひと声かけると、騎士さんたちの後を追った。

 追いついた先では、リナさんたちが在籍する『花の都亭』に人だかりができていた。通行人は皆おのおのがランタンを持ちながら、ガヤガヤと『花の都亭』を指さして何か話している。

「あの、『花の都亭』で何かあったんですか?」

 人ごみをくぐりぬけてフィンさんの近くまで行くと、私に気づいたフィンさんがそっと手で私を制した。

「ララ、気をつけて。この辺りはガラスが散乱している」

 見れば確かに、地面にはガラスの破片がそこかしこに飛び散っていた。見上げると、『花の都亭』にある二階の一室の窓が盛大に破れている。ガラスはそこにはまっていたものらしい。

 そしてガラスが飛び散る先では、テオさんが貴族服を着た若い血まみれの男性の手に縄をくくり、連れていくところだった。

「『花の都亭』から通報があった。ちょうど私たちが勤務していたから、ラルスが詳細を確認しているところなのだが……」

 そこへラルスさんの声が響く。

「団長~! ガイシャの証言が取れたっスよ!」

 そう叫んだラルスさんの後ろには、心配そうな顔をして付き添うリナさんとペトロネラさん、そして肩に上着をかけられたドレス姿のセシルさんが立っていたんだけれど──。

「セシルさん、どうしたんですかそれ!!

 セシルさんを見て、私はぎょっとした。

 折れそうなほど細い首には、ふんわりあま~い雰囲気がただようセシルさんには到底似つかわしくない、真っ赤な絞め痕が残っていたのだ。

「セシルねぇ、さっきあの人に殺されそうになっちゃってぇ」

「えええ!?

 ほおに人差し指をあてたセシルさんは、先ほど殺されそうになったばかりとは思えないほど、あっけらかんと笑っている。

「でもぉ、セシルはパンケーキ食べてたから筋肉ムキムキでぇ、あいつを殴ったら飛んじゃったの。うふ」

 パンケーキ!? 殴ったら飛んじゃった!?

 全然釣り合いがとれていないふたつの言葉に驚いていると、隣でラルスさんもフィンさんに報告し始めた。

「どうやら殴り飛ばした勢いで、セシルさんを襲った男が窓枠を突き破って、二階から落っこちたらしいっスね」

 窓枠を突き破る!? 二階から!?

「窓から男が吹っ飛んでくるのを見たって通行人も複数いたので、間違いないっス」

「わかった、報告お疲れ様」

 淡々と報告するラルスさんとその報告を聞くフィンさんを見ながら、私は目を白黒させていた。

 えっと……つまり……? セシルさんはさっき血まみれになっていた男の人に首を絞められて、逃げるために殴ったら、男の人が窓から吹っ飛んだっていうこと……?

 確かに話の筋は通っている。

 通っているんだけど……。

「セシルさん……すごい……!」

 こんなか弱そうな見た目をしているのに、どこにそんな力が!?

 はっ!? まさかパンケーキを食べたせいで!? まさかそんな、いくらなんでもそこまで強くは……。

 そう考えてから、私はおそるおそるセシルさんに話しかけた。

「あの……セシルさん。ちょっと《鑑定》させてもらってもいいですか?」

「鑑定ってなあにぃ?」

「セシルさんの状態とか情報とか、色々調べることができるんですけど……」

「えー何それぇめっちゃ便利ぃ。ララちゃんだったらいいよぉ」

「ありがとうございます! では失礼して……」

 そういえば、自分以外の人に《鑑定》を使うのって初めてだな。なんとなくそういうのは勝手に見ちゃいけないと思ってたし、フィンさんたちを鑑定する機会も逃していたんだけれど……。

 考えながら、私はセシルさんを見つめて《鑑定》と心の中でつぶやいた。

 すると──。

〈セシル〉

 性別:女 年齢:35

 レベル1:1/7

 状態:負傷(首) 職業:売れっ子しょう

 体力:550 精神力:1300

 力:66 防御:1 素早さ:1

 器用:1 魔力:1 運:0

 ……。

 三十五歳!?

 真っ先に飛び込んできた情報に声をあげそうになって、私はとっさに手で口を押さえた。

「どうしたのぉ? 何か見ちゃいけないものでもあったぁ? うふふ」

「い、いえっ……! 何でも、ないです……!!

 ニコッ……と微笑ほほえんだセシルさんに見られ、私はあわててブンブンと首を横に振った。

 ふわふわの金髪に、垂れ目の青い瞳。お人形さんのような可憐な見た目に甘い雰囲気のセシルさんは、三人の中で誰よりも幼く見えた。外見年齢だけで言うなら、多分十五歳ぐらいだと思う。

 なのに、まさか一番年上だったなんて……! しかも倍どころじゃなかった……!

 も、もしかして見ちゃいけないものってこれ……!?

 この秘密は一生お墓まで持っていかなければ、と私はゴクンと生唾をんだ。

 それに……年齢に驚きすぎてついそっちに目がいってしまったけれど、体力と精神力以外のステータスが軒並み一ケタの中、さんぜんと輝く「力:66」もすごい!

 ぷろていんの効果は《ステータス:力+2、上限一日一回まで》だったから、セシルさんがほぼ毎日食べに来ているうちにこんなことになってしまったらしい。

 表面上はあまり変化のわからない愛らしい見た目で、まさかの筋肉ムキムキ……。でも、それが結果的にセシルさんの命を救ったのなら、きっといいこと……なんだよね? 多分……。

 考えて、私はまたハッとした。

 そうだ、こんなことをしている場合じゃない!

「セシルさん、ちょっと待っててくださいね!」

 言うと、私はあわてて『れべるあっぷ食堂』に引き返した。

 急いで自分用の大きなマグカップを取り出し、鍋を火にかけて牛乳をあたためる。それから蜂蜜と、今日はもう食べていたから本当は効果ないんだけれど、気休めとしてプロテインもたっぷり入れてかき混ぜると、それを持って外に飛び出した。

「セシルさ~ん! これ、飲んでください!」

 私はこぼさないように気をつけながら運んできたホットミルクを、ずいっとセシルさんに差し出した。

「ホットミルクぅ?」

「はい! あの……ホットミルクは興奮した気持ちを静めてくれるので……!」

 あと、ケガにも効果があるのかはわからないけれど、もしかしたら《浄化》がセシルさんの首の絞め痕を消してくれるかもしれないって思ったの。

「やったぁ、ララちゃんありがとぉ」

「ケガにも効果があるといいんですけれど……」

 私がぽつりと呟いた時だった。

『ララ、《浄化》はケガには効果はありませんよ。ケガを治したければ、《浄化》の先にある《治癒》を取るといいでしょう』

 そう言ったリディルさんの声が聞こえたのだった。

「治癒……!?

 リディルさんの言葉を、私が詳しく聞こうとした時だった。

「っくちゅん!」

 肩に上着をかけたセシルさんが、くしゃみをしたのだ。

 今は夏とはいえ、夜はそれなりに冷える。心配したリナさんとペトロネラさんが、あわててセシルさんの顔を覗き込んだ。

「セシルさん、大丈夫? 夜は寒いもんね。中に戻ろっか」

「ララさん、ミルクありがとうございます。あとはわたくしたちに任せて、あなたも気をつけてお帰りくださいませね」

「あっ……はい! 皆さんもお気をつけて!」

 セシルさんの首の痕、治せなかったな……。

 私がトボトボ帰ろうとしていると、そこへフィンさんがやってきた。

「夜も遅いし、こんな事件があったばかりだ。家まで送ろう」

「フィンさん……ありがとうございます」

 『花の都亭』は『れべるあっぷ食堂』のすぐ近くだから、本当はひとりでも全然大丈夫なのだけれど、私はお言葉に甘えることにした。

 だって万が一何か起こって、リディルさんにまっぷたつにされる暴漢の姿を見たくないもの! 切るのは食材だけで十分です!

「さっき捕まっていた男の人……やっぱり前にセシルさんたちが話していたお客さんですか?」

 以前彼女たちが食堂に来た時、セシルさんにのめり込みすぎて危ないお客さんがいると話していた。リナさんが『出禁』という言葉を使っていたから、記憶に残っていたの。

「ああ、その男みたいだ。セシル嬢は穏便に話し合いをしようとしたらしいのだが、相手の男が逆上して彼女を殺そうとした」

「そっか……。男女のもつれは難しいって聞きますもんね……」

 なんてしんみりした顔をしているけれど、私はうわさに聞いたことがあるだけで、自分でそういう色っぽいことは一度も経験したことがない。だからセシルさんを手にかけようとした男の人の気持ちも、全然わからなかった。

 好きな人が自分から離れていこうとしたらそりゃ悲しいとは思うけれど……だからって殺そうとするなんて、どれだけ自分勝手なんだ……!

 私がうーんと顔をしかめていると、フィンさんが軽くせきばらいをした。

「その……ララも、気をつけた方がいい。もし変な客にまとわりつかれたら、すぐ私に言うように」

「私ですか? 大丈夫ですよ! お客さんはみんな優しい人ばかりですし」

 確かに以前、ボート侯爵が私のことを愛人にしようとしてきたことはあるけれど、あれはボート侯爵が悪い男の人だっただけ。『れべるあっぷ食堂』に来てくれるお客さんはいい人たちばかりだ。

 けれどフィンさんにとってはそうではないらしい。

「それは……ララが気づいていないだけだ。中には君目当てで来ている奴も間違いなくいたぞ。私がにらんだら逃げていったが」

 えっ? そんなことが!?

 でもそんな人、いたかな……? フィンさんの思い違いじゃなくて?

 なんてやりとりをしているうちに、気づけば『れべるあっぷ食堂』の目の前だった。

「っと、もう着いてしまったな。ララもくれぐれも気をつけて。特に夜間は、誰が訪ねてきても絶対に中に入れないように」

「はい! わかりました」

 フィンさん、優しいなあ。さすが都の治安を守る聖騎士団の団長さんだ。

 私はフィンさんと別れると、ドーラさんに事情を説明してからちゅうぼうに戻った。そして目をつぶる。

 さっき聞けなかった、《治癒》スキルのことを知りたかったのだ。

「リディルさん……《治癒》ってこれですか?」

 言いながら私が見ているのは、暗闇に浮かび上がったスキルツリーの、《浄化》と書かれた銀貨の先にある《治癒・小》というスキル。

 今までその隣にある《毒無効》と《毒変化》の方に目が引き寄せられて見落としていたけれど、《治癒》でケガを治せるならすごいことだよね! 《治癒・小》の奥には《治癒・中》と《治癒・大》があり、さらにその奥は──。

 ……あれ? なんだろう。ここだけ、なぜか銀貨だけで文字が書いてないなあ?

 私が考えていると、ふわん、と軽やかな身のこなしで、暗闇から全身真っ白なリディルさんが現れた。

『はい。この《治癒・小》を選択することで、軽度のケガなら治せるようになります。これも《浄化》と同じく、ララの場合は直接使うより料理を作った方が、効果が発揮されるでしょう』

 すごい……!

 最近、《バフ付与・中》を取ったばかりだったから必要なスキルポイント6には足りていないけれど、今のペースならすぐに《治癒・小》が取れるはず!

 待っててねセシルさん。私、がんばるから!



 翌日、『花の都亭』での事件から一夜明けて。

 私がいつものように食堂の営業を始めようと、何気なく店のカーテンを開けた時だった。

「……!? ドーラさん、大変です!」

「どうしたんだい? ララ」

「お客さんが、たくさん並んでいます!」

 カーテンを押さえた私が見たのは、開店前から『れべるあっぷ食堂』に並ぶ、たっくさんの人々の姿だった。

 エプロンをつけた職人っぽい中年の男性から、子どもを連れた若い女性まで、老若男女問わず並んでいる。その列は長く、道にまで延びていた。

「おやまあ! これは一体どうしたことかね!?

「さあ……!?

 私とドーラさんは首をひねった。急にこんなに人が来るなんて、ちっとも思い当たることがない。

「とりあえず、開店してお客さんを入れてしまおうか。今日はあたしも手伝うからね!」

 と、すっかり調子の良くなったドーラさんが腕まくりをしながら言う。

「はい!」

 私はうなずくと、急いで『れべるあっぷ食堂』の扉を開けた。

「お待たせいたしました! れべるあっぷ食堂の開店です!」

 途端に、並んでいた人たちが一斉に中へと流れ込んでくる。仕事前の若い男性に、いつも来てくれる働き盛りの男性。それからご新規の壮年男性に加えて、女性の姿もちらほら。

 すぐさまカーテンで仕切られた食堂内は満席になり、私は申し訳なく思いながらもまだ並んでいるお客さんたちに謝った。

「席が空き次第、すぐご案内させていただきますので!」

 急いで中に引き返して注文を取ると、お客さんは皆、そろえたかのようにあるものを注文した。

「ぷろていんパンケーキをひとつ」

「ぷろていんパンケーキ? ていうのを頼む」

「ぷろていんパンケーキで!」

「はい!」

 みのお客さんも、初めて来るお客さんも、皆の口から出るのはパンケーキばかり。

 その後もパンケーキの注文は止まらず、私とドーラさんは手分けして片っ端からパンケーキを焼いては配り、焼いては配った。

「うお!? なんだこりゃ! 急に大盛況だな!」

 そんなテオさんの声が入り口から聞こえてきたけれど、目が回る忙しさに騎士さんたちを出迎えることもできない。私は大きな声で叫んだ。

「皆さんごめんなさい! 今日は何やらお客さんがいっぱいで……! すごくお待たせしてしまうかもしれません!」

「私たちは大丈夫だが、それにしてもすごいな。一体何があったんだ?」

 フィンさんが首をかしげていると、店の外にいた女の子たちがきゃいきゃいと話しかけてきた。食堂の壁に隠されていて姿は全部見えないが、しゃべり方や着ている服からして、どうやらリナさんたちと同業の方っぽい……?

「お兄さん、知らないんですかぁ? 『花の都亭』のセシルって人がここのパンケーキを食べたら超強くなって、自分のこと殺そうとしてきた人を返り討ちにしちゃったんですよ!」

「そうそう! それがあたしたちの間だけじゃなくって、お客さんの間でも話題になってぇ!」

 漏れ聞こえてくる会話によれば、昨夜セシルさんが「ぷろていんパンケーキのおかげで命が助かったのぉ」と吹聴したおかげで、一晩で噂が風のように広まってしまったらしい。

 それは娼婦さんの間のみならず、来ていた男性のお客さん、その友達、さらに友達の家族と、芋づる式に広まっていったのだとか。

「主人から聞いた時はそんなまさか……って思ったんですが、うちの子は昔から体が弱くって。少しでも効果があればいいなと思って、連れてきたんです。パンケーキなら、この子も食べられそうですし」

 なんて言いながら、少年を連れてやってきたお母さんまでいた。

「リッ、リディルさん……! 子どもにぷろていんって、食べさせても大丈夫なのですか!?

 厨房の隅にしゃがんで、私はこそこそとリディルさんに聞いた。

『もちろんですよララ。わたくし女神が授けるものに、大人も子どもも関係ありません。食べすぎにだけ気をつけるといいでしょう』

「はいっ! ありがとうございます!」

 どんなにいいものでも、食べすぎはよくない。

 その鉄則だけ守れば大丈夫だと聞いて、私はほっとした。

「さすがリディルさん……頼りになります!」

『ふふっ。そうでしょうそうでしょう。それなら今日のお昼はステーキとパンケーキのふたつでお願いしますよ』

「ふたつ!? そ、そんな時間あるかなあ……。がんばりますね!」

 私が気合を入れていると、息をふぅふぅと切らしながらドーラさんが言った。

「まったく! ここは食堂なんだか、パンケーキ屋なんだかわからなくなってきたね!?

 口調は乱暴だが、その顔は笑っていてどこか面白がっているように見える。

「本当ですね……! あっドーラさん大変です! パンケーキを作るのに欠かせない、あの材料が!」

 言って私は、床に積み上げられているヘシトレストーンを指さした。

 ぷろていんはこのヘシトレストーンから生成するため、厨房に常備しているのだけれど、思わぬ大盛況ぶりに急に在庫が尽きようとしていたのだ。

「おやまあ、困ったね。これは急いでヤーコプに運んできてもらわないと……あたしが行ってきてもいいが、そうするとララひとりでここを回せるかい?」

 言われて、私は食堂内と外に並ぶお客さんの列を見た。

 食堂内にはまだぎっしりとお客さんが座り、外に並ぶ列もまだまだ長い。

「……さすがにこれをひとりでさばくのは厳しいかもしれません……!」

「ならしょうがないね。お客さんには申し訳ないが、今日のパンケーキは売り切れってことで──」

 ドーラさんがそう言いかけた時だった。

「はいはいはぁ~い!」

「あたしたちがいるじゃん!」

「ここはわたくしたちにお任せくださいませ」

 明るい声が聞こえて食堂の入り口を見ると、リナさんにペトロネラさん、それに首に大きなスカーフを巻いたセシルさんが立っていた。

「水臭いなあ! 人手が足りないのなら、あたしたちが手伝うよ!」

「これをお客さんにお出しすればいいのぉ? セシル、そういうの得意だよぉ」

 なんて言いながら、ひょいと出来上がった料理を持っていく。私はあわてた。

「い、いえ! 皆さんはお客さんなんですから、手伝ってもらうわけには!」

「まぁまぁララさん。これも昨日のホットミルクのお礼ということにしましょう」

「で、でも」

 私がなおもためらっていると、この事態をさっさと受け入れたらしいドーラさんが出かける準備をしながら言った。

「じゃあお言葉に甘えて、頼んだよお嬢ちゃんたち! あたしはヤーコプのところまで、ひとっ走りしてくるからね!」

「はぁ~い」

「任せて!」

「えええ!? ドーラさん!?

「さぁ、ララさんはお料理に集中して。配膳はわたくしたちにお任せくださいませ。簡単な調理ならお手伝いもできますわ」

「エプロンってこれ? 借りるね!」

 なんて言いながら、リナさんたちがてきぱきと手際よくウェイトレスに変身する。それから滑るようになめらかな動きで、店内の仕事を回し始めた。


 ──数時間後。

 なんとかお客さんをさばききり、営業を終えた食堂内では、私とドーラさん、それからリナさん、セシルさん、ペトロネラさんが、ぐったりと椅子にもたれかかっていた。

「皆さん……今日は本当にありがとうございました!」

 私は疲れた体にむちつと、リナさんたちに向かってぺこりと頭を下げた。

「お嬢ちゃんたち、ありがとねぇ。おかげでなんとか今日を乗り切れたよ」

 無事ヘシトレストーンを仕入れられたドーラさんも、帰ってきてからは一緒に厨房仕事をしていたため、さすがに疲れているようだ。

「もちろん、今日の手伝い賃は出すからね。ちょっと待ってておくれ」

 そう言ってのろのろとした動作でお金を取りに行こうとしたドーラさんを、セシルさんが止める。

「ドーラさぁん。セシルたち、お金はいらないのぉ。その代わり、お願いがあるんだけど聞いてくれなぁい?」

「お願い? ……なんだね?」

 椅子に座り直したドーラさんに向かって、リナさんとセシルさんがにぱっと笑って、声を揃えた。

「「あたしたちを『れべるあっぷ食堂』で雇ってくださぁい!」」

「ええ!?

 私とドーラさんは叫んだ。

「あんたたちを雇うってどういうことだい!?

「そうですよ! リナさんたち、お仕事はどうするんですか!?

 面食らった私たちに向かって、セシルさんがにーっこりと笑う。

「実はぁ……セシル、昨日でお店、やめてきちゃったの!」

「えええ!?

「ついでにリナちゃんも引き抜いてきちゃったぁ」

 なんでもないことのように言いながら、セシルさんはうふっと微笑んだ。驚いたドーラさんが、目を丸くする。

「やめてきたって……あんたたちは普通の仕事とはわけが違うんだよ!? 娼婦がそんな簡単に仕事をやめられるのかい!? しかも、そっちのお嬢ちゃんまで一緒だなんて……!」

 えっ。そうなの? 娼婦って、簡単にやめられないの……?

 なんとなくの知識しかなかった私の前では、セシルさんが指を組んできゃらきゃらと楽しそうに笑っている。

「そうなのぉ、大変だったのぉ。でもセシル、実はちょーっとばかり貯金があってぇ。だからそのお金で、セシルとリナちゃんのこと、自分たちで身請けしちゃったんだぁ」

「そう! セシルさんが、あたしの分のお金まで払ってくれたの! もう、一生ついていくって感じ!」

 隣ではリナちゃんも、うんうんとうなずいている。

 それをあきれた顔で見ているのはドーラさんだ。

「しちゃったんだ、って……! よくしょうかんあるじが許してくれたねぇ……」

 どうやらドーラさんの口ぶりからして、娼館はそのあたりがとっても厳しいらしい。事情を知らない私が口を出すのもよくないかな、と思ってじっと話を聞いていると、セシルさんがきらりと瞳を輝かせながら続ける。

「うふふ。本当は自分でお金出してもダメ! って言われたんだけどねぇ……」

 言いながら、セシルさんは可愛かわいらしい手でこぶしを作り、トンッと机をたたいてみせた。

「オーナーの机を拳でまっぷたつにしたら、許してくれたのぉ」

 ……え? 机をまっぷたつ……?

 最初、私はすぐにその言葉の意味を理解できなかった。だってこんな可愛い見た目をしたセシルさんの口から出たとは思えない言葉だったんだもの!

 絶句する私の前では、ドーラさんもあんぐりと口を開けている。

「机って……娼館ともなればここにあるテーブルより何倍も丈夫なものだろうに……!」

 リナさんがとして言った。

「大きくてツヤツヤした黒檀エボニーの机だったよ! ねっ! セシルさん」

「えええ!?

 エボニーといえば、あのものすっっっごく硬い木材!

 それを、こんなきゃしゃなセシルさんが!?

「なんかぁ、かるぅく脅かすつもりだったんだけどぉ、想像以上にバキバキってなっちゃった!」

 ひえぇっ!? エボニーがバキバキになるってどういうこと!?

「なっちゃったじゃないよ、まったくお前たちは……」

「オーナー、顔真っ青にしてたよね! 多分、命の危険を感じたんだと思う」

 確かに、目の前でエボニーの机をまっぷたつにされたら怖い。

 しかもそれをやったのが、愛くるしい見た目のセシルさんだったら、なおのこと。

 その光景を目の当たりにしたオーナーにちょっとだけ同情していると、ドーラさんが、ふむぅと腕を組んで続けた。

「なるほどねぇ。まぁ、それなら少し納得がいったよ。だけど、ここは食堂だ。娼館と違って高い給料なんか出せやしないよ? それにここにいる以上、もう娼婦の仕事をするのも禁止だ。それでも構わないのかい?」

「大丈夫でぇ~す! もともとセシル、そんなにお金使う方じゃないしぃ」

「あたしも!」

 きらきらした目で身を乗り出すリナさんとセシルさんを見て、ドーラさんがはぁとため息をついた。

「まぁちょうどそろそろ人を雇おうと思っていたところだから、ひとりでもふたりでもいいけどさ……なんでここにしたんだい? あんたたちなら、もっといくらでも仕事があるだろうに」

「それはねぇ」

 言って、セシルさんが人差し指を口にあてた。

「セシル、昨日死にかけたでしょう? それで思ったの」

 セシルさんの青い瞳が、差し込んできた日光を受けてキラキラと輝く。

「王子サマはぁ、こっちが迎えを待っているだけじゃダメなんだって。王子サマは……自分の手で捕まえなくっちゃって!」

 言って、セシルさんは恥ずかしそうにキャッと頬を赤らめた。

 王子サマ? もしかしてセシルさんには、誰か好きな人でもいるのかな?

 その隣では、リナさんがもじもじと手をいじっている。

「あた……あたしはね……本当はずっと、料理をしてみたくって」

「えっ!?

 料理!

 その言葉に目を輝かせたのは私だった。

「リナさん、料理に興味があったんですか!?

「う、うん……。だからここなら、あたしでも料理教えてもらえるかもって思ったんだけど……。や、やっぱ変だよね。あたしなんかが料理したいって言ったらさ」

 そう言って恥ずかしがるリナさんの両手を、私は鼻息荒くがしっと握った。

「全然変じゃないですよ! ごはんはすばらしいものです! 一緒に料理しましょう!」

 そういえば、三人の中で唯一、リナさんだけはぷろていんと小麦粉の味の違いを感じ取っていた。そんな鋭い味覚を持つリナさんなら、料理人にぴったりだと思う!

「ほお。そっちのお嬢ちゃんは厨房希望か。いいよ、ちょうどララにもお手伝いがいた方がいいと思っていたところだ」

 ドーラさんの言葉を、私はうんうんとうなずきながら聞いていた。それからニコニコとこちらを見守るペトロネラさんを見て、はたと気づく。

「そういえば、ペトロネラさんは……? さっき、身請けの話が出た時も、ペトロネラさんの名前だけなかったような」

「ペトロネラちゃんも誘ったんだけどねぇ、だめだったのぉ」

 セシルさんの言葉に、ペトロネラさんがうなずいた。

「セシルさんやリナさんのお誘いはとってもうれしかったですわ。ですが……わたくしにも、夢があるんですの」

「夢、ですか?」

「ええ。わたくし──いつか娼館のあるじになりたいのです」

 そう言ったペトロネラさんの顔は穏やかだった。

「このお仕事は人から色々と言われることも多いですが……身寄りのない娘たちにとっては、唯一の居場所であることも確かです。であれば同じ環境で生きてきたわたくしが、彼女たちにとって少しでも優しい環境を作っていけたらと……。そう思うんです」

「ペトロネラさん……!」

「ペトロネラちゃん、すごいよねぇ。セシル、自分以外の子のことなんて考えたこともなかったよ」

 セシルさんの言葉に、私とリナさんもうんうんとうなずいた。

「私も家族への仕送りで精一杯で、他の人を考えている余裕なんてなかったです……。ペトロネラさんは本当にすごいです!」

「ペトロネラさんがオーナーになったら、きっと女の子たちも幸せだよ!」

 リナさんがそう言うと、ペトロネラさんはぽっと頬を染めた。

「……なんて本当はわたくし、セシルさんやリナさんのような立派な夢がないだけなんですけれど……」

「そんなことはない。その歳でそれだけのことを考えられるあんたは立派だよ。自信を持ちな」

 ドーラさんに背中をバンと叩かれて、ペトロネラさんは照れたように笑った。

「人の生き方、選ぶ道はそれぞれさね。道が違ったとしても、今まであった絆まで消えるわけじゃない。むしろ道が違うからこそ、お互い協力できることもあるはずだ。あんたたちの仲は、大事にしていきなさいよ」

 人生の大先輩であるドーラさんの言葉は、私たちの心に真水のようにすっと染み込んでいくようだった。

 隣ではリナさんもセシルさんもペトロネラさんも、みんなが真剣な顔でうなずいている。

「さっ! 話はここまでだ。どうせあんたたちも、ララと同じ宿無しなんだろう? 住み込み用の部屋がまだあるから、そこを使いな。まったく、宿無しばっかりがどんどん集まってくるねぇ」

「えっ! ここに住まわせてくれるんですか!? ありがとうおばあちゃん!」

「おばあちゃんはやめな! これでもドーラって名前があるんだよ!」

「ドーラママありがとぉ!」

「ママって……。まったく、あたしはいつからこんな大きい娘を持っちまったのやら」

 呆れたように笑うドーラさんに、セシルさんとリナさんが抱きついた。それを見ながら、私はペトロネラさんとくすくす笑っていた。


「ララ。新しいカーテンの位置はこれくらいでいーい?」

「はい! ばっちりだと思います!」

 開店前の『れべるあっぷ食堂』で、私は新たな仲間、リナさんとセシルさんとともに食堂内の配置を変えていた。

 ふたりが加わったことで、『少し店内を広げても大丈夫なんじゃないかい?』とドーラさんが言ってくれたのだ。

 『れべるあっぷ食堂』の本来の建物は本当に広い。さすがに一階を全開放、とまではいかなかったけれど、今回の拡張で一階の半分くらいはお客さんが座れるようになったと思う。

 私が新しく出したテーブルを《浄化》スキルで掃除していると、リナさんとセシルさんが目を丸くした。

「ララそれ何!? 超便利じゃん!」

「すごぉい。それ、スキルっていうんでしょ? セシルも色々見てきたけど、そんなのは初めて見たぁ」

「はい! 実は私のスキル、すごく便利で……」

 って。リナさんとセシルさんには、《はらぺこ》のこととかリディルさんのこととか話してもいいよね……?

 念のためちらりとドーラさんを見ると、ドーラさんもうなずいている。安心した私は、食堂の準備をしながらリディルさんのことをかいつまんで話した。

「《はらぺこ》? なんか可愛かわいいかもぉ。いいなぁ、セシルもそういうの欲しい」

「他にどんなスキルが使えるの? っていうかあたしそんなに詳しくないんだけど、スキルってそんなにいっぱいあるのが普通なの?」

 もっと詳しく話を聞こうと身を乗り出すふたりに、ドーラさんがぱんぱんと手をはたく。

「はいはい。おしゃべりは仕事が終わってからにしな。今日もお客さんがいっぱい待っているからね!」

「「はぁい」」

 ドーラさんの言葉通り、今日も『れべるあっぷ食堂』の前には行列ができている。

 店を開けてすぐに舞い込んでくるのは、やっぱりパンケーキの注文だ。ただし、昨日にはなかった朝ごはんの注文も、ちらほらと入るようになっていた。

「お待たせいたしましたぁ~! 『きのこたっぷりオムレツ』と『定番ハム&エッグ』でぇす」

「こちら『ぷろていんパンケーキ』になりまーす!」

 私がトントントンと包丁を振るう前で、セシルさんとリナさんがちゃっちゃかと注文を取ったり、配膳をしたりしてくれる。

 リナさんはいずれちゅうぼうに入る予定だけれど、最初のうちだけウェイトレスとして動いてもらうことになったの。

「よぉ! 今日も来たぞ……って、おわ!?

「今日も相変わらずの人気だな。おや、彼女たちは?」

 そこへ、フィンさんたち聖騎士団の面々が顔をのぞかせた。

 いつも通り真っ先に声をあげたテオさんだけれど、今日はリナさんたちを見て、ぎょっとした顔で言葉をみ込んでいる。

「あっ、皆さんいらっしゃいませ! 実は今日から、リナさんとセシルさんが『れべるあっぷ食堂』で働いてくれることになったんですよ」

「よかったじゃないか、これでララの負担が減るな」

 と言いながら微笑ほほえんだのはフィンさんだ。

 対してテオさんとラルスさんは、何やらこそこそと話し合っている。

「あの人たち、しょうの人たちっスよね? なんでここに?」

「さあ……。掛け持ちで働くことにしたんじゃねぇのか?」

 ……でも声が大きいから、丸聞こえだ。

 そこへセシルさんが、トンッとテーブルにメニュー表を立てて、テオさんに向かって言った。

「娼婦のお仕事はぁ、れいさっぱりやめました! 今日からずっと『れべるあっぷ食堂』だけのセシルでぇす」

「お、おう……」

 にこっと大輪の花が咲いたような笑みを浮かべるセシルさんに、テオさんがたじろぐ。

 ふふっ。セシルさん、この間テオさんの上半身裸を見た時は絶句していたみたいだけれど、テオさんが嫌いになったわけじゃないみたいでよかった。

「だからテオ様、これからもいっぱい来てくださいねぇ」

 セシルさんの言葉にラルスさんが眉をしかめる。

「なんでテオさんだけ様付け? ってかこの人、テオさんのことしか見てなくないっスか……?」

 なんて言葉を聞きながら包丁を動かしていると、突然いつものリディルさんの声が聞こえた。

『ぱぱぱぱーん。おめでとうございます。レベルアップしましたよ』

 待ち望んでいた声に、私はサッと食堂内の様子を確認する。

 うん、今なら一瞬手を止めても大丈夫そう!

 それから急いで厨房の奥に引っ込むと、目をつぶる。

 すぐに現れたのはスキルツリーと、麗しいリディルさんの姿だ。

『ララが欲しいのはこれでしょう? ──《治癒・小》』

 ここ数日ずっと治癒治癒と連呼していたから、リディルさんも一緒になってスキルポイントを数えてくれていたの。私が声をかける前からもう、リディルさんの白い指が《治癒・小》の銀貨に触れていた。

「はいっ! それでお願いします!」

 ぱぁぁっと光る銀貨を見ながら、リディルさんが微笑む。

『さぁ、これでララは《治癒・小》を覚えましたよ。何を作りますか? ──といっても全部の料理に適用されるので、何を作ってもいいのですが』

「《治癒》を覚えたら、ずっと作りたいと思っていたものがあるんです!」

 言いながら私は、厨房の棚からせっせといくつかの材料を取り出した。

 レモンに生姜ジンジャー、蜂蜜、それから茎付きのミント。

 私はまずリディルさん包丁を使ってレモンの皮を薄く、幅広くそぎ切った。それから生姜を四枚にスライスし、包丁の面を使ってぎゅっぎゅっと押しつぶす。こうすることで、生姜の味が染み出しやすくなるのだ。

 それをレモンの皮と一緒にゴブレットに入れると、上から熱湯をとぽとぽと注いだ。そのまましばらく寝かせ、湯がちょうどよいあったかさになる頃には、レモンとジンジャーのいい香りが厨房に広がっていた。

 えっと……セシルさんは確か甘いのが好きだったから、蜂蜜は多めに入れて、と……。

 さじにたっぷりとすくいあげた蜂蜜をゴブレットに加え、最後に茎付きのミントを入れる。

「よしっ……できた! 名付けて、『ジンジャーとミントのぽかぽか茶』です!」

 ほんのりと黄色く色づいた人数分のお茶を作ると、私は念のため鑑定した。

ジンジャーとミントのぽかぽか茶:クリティカル+15%、運+15%、スキルスピード+15%、浄化、治癒・小

 うん、しっかりと《治癒・小》がついている!

 それに最近《バフ付与・中》を取ったから、ついているバフが前よりも増えてきたみたいだ。付与の比較的少ない飲み物でも、15%もついているなんて!

 ……といっても、実際に私がその効果を体感したわけではないんだけれど……。

 そう思いつつ、私はみんなに声をかけた。

 ちょうど注文も一瞬落ち着いているみたいでいい頃合いだ。

「リナさん、セシルさん、ドーラさん! お茶が入りましたよ。少し休憩しませんか?」

 その言葉に、みんなが集まってくる。

「なんかいい匂いがする!」

 くんくんと鼻を動かすリナさんに、私は説明した。

「生姜とミントのお茶です。蜂蜜も入っているので、きっと飲みやすいですよ」

 食べ物に《治癒》をつけてもいいんだけれど、やっぱり食べるのには時間がかかる。だから今回は、サッと飲めるドリンクとして出すことにしたの。

 やってきたセシルさんがゴブレットを持ち上げ、ゆっくりとひとくち飲む。

「……んんっおいしーい! なんか、疲れた体に染み込んでいく感じぃ」

「体に良さそうな味がする! 気のせいかな、もう体がぽかぽかしてきた」

「これも爽やかな飲み口でおいしいねぇ。ララ、これも店で出したらどうだい?」

 皆の感想を聞きながら、私はうなずいた。

「確かに、これならすぐにメニューとして出せるかもしれません。……あ、セシルさん。首の痕はどうですか? その……少し見せてもらえませんか?」

 私が聞くと、相変わらず首にスカーフを巻いたままのセシルさんが、ちょっと困った顔をした。

「今ぁ? あざ、青と黄色ですごいことになってるから、見たらきっとびっくりするよぉ?」

「大丈夫です! 一瞬でいいので!」

「しょうがないなぁ……。ちょっとだけだからね?」

 言いながら、困った顔のセシルさんはしゅるしゅるとスカーフをほどいてみせる。

「ほらぁすごいでしょ? 朝、鏡で見た時、自分で引いちゃったくらいなのぉ」

 けれど──。

「あれ? セシルさん、あざなんてどこにもないよ?」

 リナさんの言葉通り、現れたセシルさんの細い首にはあざどころか、シミひとつなかった。

「えっ?」

 驚くセシルさんを見ながら、私はにっこりと微笑む。──うん、予想通り!

 それからきょとんとしているセシルさんに、ひそかに用意していた手鏡を渡す。受け取ったセシルさんは、鏡に映った自分の首を見て驚きの声をあげた。

「本当だぁ! なんでぇ!? 朝見た時は、確かにあったのにぃ!」

 言いながらぺたぺたと触っているけれど、やっぱり首は白くなめらかで、健康そのもの。数日前に首を絞められたなんて、誰に言っても信じてもらえないだろう。

 それを見ていたドーラさんが、ハッとしたように私の方を向く。さすがドーラさん、もう気づいたみたいだ。

「ララ、もしかして」

「はい。実は、《治癒・小》というスキルを覚えたんです!」

「治癒……!?

「治癒だって!?

 そこへガタタッと身を乗り出してきたのはドーラさん──ではなく、まだ食堂にいたフィンさんだった。

 私だけじゃなく、女性陣全員がびっくりした顔で見ると、フィンさんが気まずそうにせきばらいする。

「す、すまない。思わぬ単語が聞こえてきて……」

 フィンさんの後ろでは、またもやテオさんとラルスさんがこそこそと話していた。といってもやっぱり声が大きいから、丸聞こえなんだけど……。

「おいおいおい。嬢ちゃん、やばいのまで出してきちまってるじゃねーか」

「今聞こえたのってアレっスよね? 発現した人はもれなく大神殿に連れていかれるやつっスよね?」

 え……? 大神殿……?

 さすがの私でも、大神殿の名は聞いたことがある。私のスキルを調べくれたのは教会だけれど、それをとりまとめている、いわば教会のトップが大神殿だったはず。

 目の前ではフィンさんが腕を組み、いつになく難しい顔で考えている。それから真剣な顔で私に聞いた。

「ララ……君は知らないかもしれないが、それはとても希少なスキルだ。もし大神殿にそのスキルを持っていることを知られた場合、君はここにいられなくなるかもしれない」

「えっ!? どうしてですか!?

 食堂に、いられない?

 珍しいと言われたことよりも、私はそっちの言葉にあわてた。フィンさんが声のトーンを落とし、ひそひそとささやく。

「大神殿は《治癒》スキル持ちを決して放っておいたりはしない。恐らくどんな方法を使ってでも、君を連れていこうとするはずだ」

「えええ!?

 大神殿って、そんな物騒な感じなんですか!?

 聖職者なんだしもっとこう、聖なる感じというか、清らかというか、人の嫌がることはしないかと思っていたのに……。

「もちろん、彼らは君を丁重に扱うだろう。それこそ、『聖女』として大事にしてくれるはずだ。お金に関しても、一生遊んで暮らせるだけの分を、生きている限り受け取れる」

「セイジョ……?

「えっ!? 一生遊んで暮らせるお金!?

「すごぉい!」

 『一生遊んで暮らせるだけのお金』という言葉に、リナさんとセシルさんが声をあげる。反対に、フィンさんの顔は暗い。

「その代わり、君は一生『聖女』として生きることになり、『聖女』以外のことはできなくなる。食堂で働くこともきっと許されない」

「えっ……」

 私は動揺した。

 お金は確かに魅力的だ。借金が全部返済できて、そのうえ私や家族の生活が一生困らないのなら、今すぐにでも飛びつきたいぐらい。

 でも……。

「ララは……大神殿に行きたいか?」

 言って、フィンさんは真剣な顔で私を見つめた。

 真面目な空気を感じ取ったリナさんたちも、じっと私の様子をうかがっている。

 私……私は……。

 私はリディルさんをぎゅっと握って、まっすぐフィンさんを見た。

 きっと、私がこの食堂にたどり着く前、それこそボート侯爵家を追い出されて森を歩いていた頃だったら、喜んでその話に飛びついていたと思う。

 でも、『れべるあっぷ食堂』はようやくできた私の居場所だ。

 優しく導いてくれるドーラさんに、頼もしい聖騎士団の人たち、最近できた楽しい仲間たち。

 食堂はようやく軌道に乗ってきたところだし、「おいしい」と言いながら繰り返し来てくれるお客さんだってついてくれるようになったのだ。

 きっと、神殿からもらえるお金と比べたら、ここでもらえるお金はそう多くはないんだと思う。

 それでも私にとっては、今の毎日が楽しくて、幸せで。

 ──お金には代えられない大事なものが、『れべるあっぷ食堂』にはあった。

「私は……ずっとこの食堂で、働いていたいです」

 私が答えると、フィンさんはにこりと微笑んだ。

「ララならそう言うと思っていた。大丈夫、君がそう望むなら、君が『れべるあっぷ食堂』に残れるよう、協力しよう。そしてララも──今だいぶ騒いでしまったが──今後は外で《治癒》のことは話さないようにしてほしい」

「は、はいっ!」

「それからリナ嬢にセシル嬢、君たちもこのことは秘密にしておけるだろうか?」

 フィンさんが視線を向けると、リナさんとセシルさんも力強くうなずいた。

「わかった! これから絶対言わない!」

「セシル、何にも聞かなかったことにするねぇ。だってララちゃんがいなくなっちゃうの、やだもん」

 言いながらぎゅっと抱きついてきたふたりに、私はじんと目頭が熱くなった。

「ふたりとも、ありがとうございます……!」

「さて……まだテオたちが食べている途中だが、私はひと足先に帰らせてもらうよ。少し確認したいことがあるから」

「わかりました! フィンさん、今日は色々とありがとうございます」

「いいんだ。君が神殿に行くことになったら──正直私も困るからね」

「え? それはどういう……」

 けれどそれには答えず、フィンさんはにこりと微笑んだだけだった。


「して、急にどうしたんだ。勇者に関する重大な報告とは」

 王宮にある一室で、私は父である国王陛下と、兄である王太子殿下と顔を突き合わせていた。事の内容が機密にまつわるため、今日はえっけんではなく、ごくごく内密な話ができる部屋を用意してもらったのだ。

「前にお話ししていた〝勇者〟のことなのですが──」

「例の、初めての女性勇者か」

「はい」

 以前ララが持っている包丁が聖剣だと判明してすぐ、私は今と同じように父と兄を呼び出していた。

 ララの持つ包丁が聖剣で、かつ女性であるという前代未聞の事態を三人で話し合った末に、いったんは「とりあえず様子を見よう」という結論が出ていたのだが……。

「実は彼女が……ララローズ・コーレイン嬢が、《治癒》のスキルも持っていることが判明しました」

「なに……!?

「おっと。それは穏やかな話じゃないね?」

 治癒という単語に父の顔は険しくなり、兄もおどけた口調で話しているものの、その瞳は笑っていない。

「じゃあ彼女、勇者であるだけじゃなくて聖女でもあるってことか」

「だとすれば、神殿が出てくるな」

 確かめるように聞くふたりに、私はうなずく。

 《治癒》スキル自体は珍しいものの、数年に一度見つかることもあり、勇者ほど大ごとになるわけではない。

 ただし《治癒》スキル持ちの者は全員、大神殿に引き取られ、神殿のかなめとなる『治癒院』で働くことになるのだが──。

「今の大神官というと、あれか、あのとんでもないごうつくばり──いや、らつわんうわさの」

「ええ。最年少にして大神官の地位についたドケチ──いえ、やり手の彼ですね」

 言って、ふたりが黙る。

 恐らく……いや確実に、私たちはとある一人の青年のことを考えていた。

 その青年は神官とは思えぬほど欲深く、そしてやり手だった。

 史上最年少でありながら瞬く間に大神官に就任したかと思うと、実は見逃しも多かった各地の《治癒》スキル持ちをどうやってか次々といだし、あの手この手で『治癒院』に連行。

 さらに今まで慈善事業同然だった『治癒院』を、膨大な黒字を量産する施設へと成長させたのだ。

 ただしその強引なやり口には反発や反対派も多く、また連れていかれた《治癒》スキル持ちは多額のお金をもらう代わりに、大神官の絶対的支配下に置かれているとも聞く。

 そこまで思い出してから、私は言った。

「もしララが彼に連れていかれた場合、《治癒》だけではなく、勇者の力、いや、彼女のありとあらゆるスキルを利用される気がします」

「僕もその意見には同意だね……あの彼ならやりかねない」

 さらに兄は続けた。

「それに、近年平和だったせいで勇者を擁護する王家は発言力が弱まり、反対に治癒院を持つ神殿は支持を強めているよね。もしここで勇者と聖女、両方の力を持つ人物が大神殿の支配下に置かれたら──下手すると、王家が傾くかもしれないよ」

 その言葉に、国王はうぅむとうなった。

「仕方ない……しばらくは様子見を続けるつもりだったが、こうなったら神殿に取り込まれる前に、王宮で囲い込むしかない」

 ララを、王宮に。

 その言葉に、私は急いで声をあげた。

「待ってください、それは……!」

 確かに王宮に囲い込んだ方が圧倒的に安全だし効率的だ。

 けれど──それだと彼女が『れべるあっぷ食堂』にいられなくなってしまう。

「フィンよ、何か問題でもあるのか? これ以上ない案だと思うが」

 国王に聞かれて、私は一瞬ためらった。

 ……だが、ここはララのために言わなければ。

「彼女は──ララは、食堂に残ることを強く希望しているんです」

 ララは自分が勇者だということを理解していないが、膨大な額のお金がもらえるという聖女の話をした時も、決して食堂から離れようとはしなかった。

 たとえ王宮で料理人の席を用意したとしても、ララは喜ばないだろう。それくらい、『れべるあっぷ食堂』そのものが、ララにとって特別なものになっていることを私は感じていた。

「彼女は聖剣の使い手・勇者であると同時に、《治癒》スキル持ちの聖女でもあるのかもしれません。けれどその前に、彼女はララローズという名の、ひとりの人間なのです」

 私は父と兄に訴えかけるように、言葉に力を込めて言った。

「我々の都合だけで都合よく扱っていいわけではありません。私は彼女の友人として、彼女の意思を尊重したいのです」

「友人、ねぇ……」

 ぽそりと兄がつぶやく。それに対して私が何かを言う前に、国王がまたうなる。

「我々も本人の意思は尊重したいが……問題は神殿側だ。そのうえ今の大神官はあの豪腕。生ぬるいことをしているうちに、勇者──いや、聖女か? どのみち、例の人物をかっさらわれてしまうのではないか」

「彼は何やら特別なスキルを使うと聞くしね。はたしてフィンの友人は隠れおおせるかな?」

 聞かれて私はゆっくりと首を振った。

「見つかるのは、時間の問題だと思います」

 ララは食堂にいる時、確かに『治癒』という言葉を口にしていた。聞こえたのはきっと私だけではないだろう。今からどんなに秘密にしたとしても、人の口に戸は立てられない。

 それに例の大神官は行動派であると聞いている。辺境の村の貴族籍でない人たちのところにまで出向き、才能ある人を自ら見つけていったと。

 ただでさえ、ララの料理には《バフ付与》やステータス上昇の効果が入っているのだ。そこに《治癒》も加わるとなると、何も知らない人でも気づくだろう。『れべるあっぷ食堂の料理を食べると、調子がよくなる』と。

 そんな噂を、あの大神官が聞き逃すはずがない。

 ならば、私にできるのは──。

 私はゆっくりと顔を上げた。それから父をまっすぐ見据える。

「私が、彼女を守ります。大神官の手から、そして彼女を狙うすべての人たちから。それが王都を守る、騎士としての私の務めです」

「騎士としての務め、ねぇ……」

 また兄がぼそりと言った。


「ララ! 下準備ができたよ!」

「ララちゃぁん、パンケーキふたつとぽかぽか茶ふたつぅ」

「頑固ステーキも追加で頼むよ!」

「はぁい!」

 れべるあっぷ食堂が最もにぎわう昼どき。

 食堂内には昼休憩に入った職人さんからお役人さん、親子連れまでぎっしりとお客さんで埋まり、リナさんやセシルさん、ドーラさんが忙しく動きまわっていた。

 外には長い行列ができており、忙しさはまだまだ終わりそうにない。

 ──私が《治癒・小》を覚えてからはや一週間。

 あれから『れべるあっぷ食堂』のみんなが内緒にしてくれているおかげか、特段変わったことはなかった。

 食堂の人気も、ぷろていんパンケーキの人気もそのまま……ううん、むしろ前以上で、毎日目の回る忙しさが続いている。

「はぁ~疲れたっ!」

「もう足がぱんぱぁん」

「皆さん、ぽかぽか茶をどうぞ!」

 皆の疲れがまってきた頃に、私はここぞとばかりに『ジンジャーとミントのぽかぽか茶』を出した。

 同時に自分でもひと口飲むと、生姜しょうがとミントの爽やかな風味が、疲れた体全体にすぅっと染み渡ってあっためてくれる。

「くぅうっ……! ほんっっっと生き返るね、これ!」

 目の前ではリナさんが、プハーッと息を吐きながらお茶を豪快に飲み干している。

「セシル、もともと生姜ってあんまり得意じゃなかったんだけどぉ……これはなんか癖になっちゃうっていうかぁ、もうこれがないと休憩した気にならないっていうかぁ」

「まあ実際体がみるみるうちに元気になってるからねぇ。恐ろしい代物だよこりゃ。どんなに疲れていても、これを飲めばすっかり元通りになるんだから」

「本当、この力ってすごいですよね……!」

 そういう私も、ぽかぽか茶を飲んでからすっかり元気になっていた。朝からの疲労なんて、まるで最初からなかったみたいだ。

「これ飲んでたら一生働けそぉ。こういうのって、えーきゅーきかんっていうんだっけぇ? 聖女の人たちってぇ、もしかして自分で自分をいやしながらずぅっと働いているの?」

 セシルさんの言葉に、リナさんと私は顔をしかめる。

「それはそれでちょっとやだな……」

「私も……」

 いくら疲れがとれるからって永遠に働かなきゃいけないってなったら、だいぶ嫌だ。

 どんなにおいしいものでも食べすぎはよくないのと同じで、どんなに便利なスキルがあったとしても、働きすぎはよくない、と思う。

「そういや前、ヤーコプから治癒院のうわさを聞いたことがあるねぇ。なんでも聖女たちは不眠不休で働いているとか……」

「「「えええ!?」」」

 不眠不休!?

 恐ろしい言葉に、私はぞっとした。

 や、やっぱりこのあいだ神殿に行かないって言って本当によかったかも……!

「まぁこれは噂だけどね。ただ、働きづめになるのは間違いないみたいだねぇ」

「セシル、そんなとこぜったいやだぁ。お休みは欲し~い」

「あたしも~」

 そんな会話をしながら、私たちは今日も無事に『れべるあっぷ食堂』の営業を終えた。

 どんっとテーブルにのせられた硬貨は山盛りで、私だけではなくリナさんやセシルさんも、十分な賃金をもらえている。

 それぞれのお賃金を配りながら、ドーラさんが言った。

「あんたたちのおかげで、『れべるあっぷ食堂』の営業は順調すぎるくらい順調だ。今日の治癒院の話じゃないけど、あんたたちも休みはしっかり取りなね。休みたい日の希望があれば、いつでもあたしに言っておくれ」

 『れべるあっぷ食堂』は今、週に一度水星日が定休日になっている。休みの日はリナさんたちと遊びに行ったり、フィンさんと街を見て回ったり、充実した休日を送らせてもらっていた。

 だから今のところ追加で休みが欲しいということはないのだけれど、それよりも食堂のことでひとつ気になることがあった。

「休みよりもひとつ気になっていることがあって……」

「うん? なんだい?」

「最近、食堂を広げたにもかかわらず入れていないお客さんがちらほらいるんですよね……」

「ああ~。毎日めちゃくちゃ並んでるもんね」

 リナさんの言葉に、私はうなずいた。

 基本的に『れべるあっぷ食堂』は、根気強く並んでもらえれば、時間はかかっても全員案内するようにしている。けれど途中で待ちきれなくなったり、あるいは最初から諦めてしまう人は少なくないのだ。

「まぁそれが人気店のさだめだからねぇ」

「ありがたい反面、やっぱりせっかく来てくれたのに申し訳なくて……」

 私がうつむくと、そこにほわわんとしたセシルさんの声が響いた。

「なら、お持ち帰り用のごはんを売ればいいんじゃなぁい?」

「お持ち帰り……?」

 その単語に、私は目を丸くした。

「うん。『花の都亭』でもよくやってたよぉ。大体クッキーとかのお菓子なんだけどぉ」

「そっか……その手がありましたね! なんでその存在を忘れていたんだろう!」

 私は目を輝かせた。

 お持ち帰り用の軽食を用意すれば、サッと食べたい人が長時間待つ必要もなくなるんだ!

「ドーラさん、うちでもお持ち帰り用のごはん、出してもいいですか!?

「いいけど、普通の営業でも忙しいのに、そんなものを用意している時間があるのかい? まあクッキーなら前日に作ればいいのかもしれないが……」

 その言葉に、私は首を振った。

「いいえ、クッキーは出しません。『れべるあっぷ食堂』は食堂なので、やっぱり皆さんにしょっぱいものをお出ししたいと思っているんです。それに、時間もかけません。サッと作れて、サッとお出しできるものをやろうと思います!」

「へぇ。その口ぶりからして、どうやらもう案がありそうだね?」

「はい!」

 私は満面の笑みでうなずいた。

 サッと作れて、サッとお出しできるもの。

 それでいて満足感があるものといえば──あれしかない!

 私は早速立ち上がると、明日に向けての準備を始めた。


「いらっしゃいませ! 『れべるあっぷ食堂』へようこそ!」

 朝、『れべるあっぷ食堂』の営業は、私の声とともに始まる。

 本当はリナさんやセシルさんに任せてもいいんだけれど、これだけは朝の儀式としてずっと続けているの。それにお客さんの顔を見てしっかり挨拶する唯一の機会だから、これからも大事にしていきたいなって思っている。

「やぁ、ララちゃんおはよう! 朝から元気だな」

「今日もおいしいもの頼むぜー」

「ここのごはんを食べて一日を始めると、元気が出るんだよねぇ」

 なんて言いながら、すっかり常連となったお客さんたちがぞろぞろと中に入る。挨拶を交わしながら、私は笑顔で言った。

「そういえば、今日からお持ち帰りメニューも始めたんですよ!」

「お持ち帰り?」

「はいどーぞ! これがメニューだよ!」

 すかさずリナさんが、サッとメニューを差し出す。

 そこにはこう書かれていた。

『お持ち帰り始めました。とろとろタマゴの目玉焼きパン。お早めにお召し上がりください』

 と。

 おじさんが武骨な指であごひげでながら目を細める。

「へぇ……目玉焼きパンか」

「はい!」

「朝にはぴったりだが……いささかシンプルすぎやしないかね」

「サッと作れて、サッとお出しするものですから」

 持ち帰りメニューはみんながあっと驚くようなものではなく、極力シンプルなものをあえて選んでいる。だからおじさんの反応がかんばしくなくてもへいちゃらだった。

 私が微笑ほほえむと、おじさんは「ふぅん」と言って続ける。

「申し訳ないけど、俺はせっかく来たんならもっと別のものを食べたいかな」

「大丈夫ですよ。これはお持ち帰りごはんですし、食べたいものを食べていってくださいね!」

 言って私はちゅうぼうに入った。

 そのままトントントントンと包丁を振るっていると、駆け寄ってきたセシルさんが目を輝かせ、高らかに声を張り上げる。

「とろとろタマゴの目玉焼きパン一枚、お持ち帰りのご注文が入りましたぁ!」

 その声に、食堂内の視線が一斉にセシルさんに集まった。

 私が見ると、セシルさんはぱちんとウィンクをする。どうやら、わざと注目を集めるように大きな声を出してくれたらしい。

 さすが元売れっ子しょうさん! お客さんの視線や注目の集め方をよくわかっている……!

 私はその応援がうれしくなって、満面の笑みで微笑んだ。

「はい! 少々お待ちください!」

 よし、早速一枚目の注文だ!

 私は腕をまくって、準備を始めた。

 まずは朝一でパン屋さんから仕入れた、ふっくらこんがり山型に焼けた四角いパンを、リディルさんでサクッと一枚分切り分ける。

 ぜいたくに、分厚く切られたパンは、まるでふっかふかのお布団のよう。

 その真ん中を指でぐいぐいと押して少しへこませてから、表面全体にサッと少量のバターを塗る。

 そしてふかふかのお布団パンで寝るのは、これまた朝届けられたばかりの新鮮卵だ。

 カシャッと音を立てて割った卵を、お布団の真ん中にぽとりと落とす。

 その上に粗びきの黒しょうをパラパラと振りかけたら、次は一番大事な作業だ。

 パン布団の上でゆらゆら揺れる卵がこぼれないよう、そーっとそーっとかまどに運び入れる。

 そして卵とパンにじっくり火が通るのを見守って、頃合いが来たら──完成だ!

「できました! 『とろとろタマゴの目玉焼きパン』です!」

 お皿の上で輝くのは、つるんとした黄身が目にも鮮やかな目玉焼きパン。

 仕上げにほんのすこしだけオリーブオイルをかけると、輝きを増した黄身がつやつやと光った。

 うう! このこっくりした輝き、見ているだけでおいしそう!

 そう思ったのは私だけではないみたいで、周囲で見守っていたお客さんもごくりと喉を鳴らす。

「はぁい、お届けしまぁす」

 それを、セシルさんが食堂内のみんなに見せびらかすように高く掲げながら、意気揚々と歩いていく。

 目玉焼きパンを注文してくれたお客さん第一号は、ドーラさんが守る会計台の隣に立っていた。

 お皿にのせて運ばれてきたパンを見て、サッと顔を輝かせる。

「うわ……! 仕事先に着いてから食べようと思ってたんだけど、なんだこのつや! 俺、朝ごはん抜いてきたんだよな……。だめだ我慢できない、ここで食べてもいいか、ばあさん!?

「ばあさんじゃなくてドーラって呼びな! これは持ち帰り品だし、立ち食いでいいんならどこで食べようとお前さんの自由だ。ただし皿は後で返してくれよ」

「やった! それじゃ、いただきまーすっ!」

 言いながら、お客さんはあーんと大きな口を開けて、目玉焼きパンにかぶりついた。

 それから──。

「おっとと! 黄身が!」

 かぶりついた目玉焼きからとろぉりとこぼれてきたのは、黄金のように輝く黄身。

 こぼさないようにパンを傾けると、黄身はとろとろ、ゆっくりと、パンの上を伝っていく。

 そこに、もう一度お客さんがかぶりついた。

「んんっ! んまい!! 黄身がパンと混ざって、なんってまろやかな味わいなんだ……! シンプルだからこそわかるぞ! この黄身が、何よりの調味料だ!」

 なんて言いながら、はぐっ! はぐっ! とものすごい勢いで食べている。

 周りで見ているお客さんが、もう一度ごくりと唾をんだ。

「お兄さん、感想がおじょうずぅ! 詩人さんかなにかぁ?」

 とセシルさんが褒めている横で、近くに座っていたお客さんがそっと身を寄せてくる。

「僕もあれ食べたいんだけど、持ち帰りじゃないとダメ?」

 その言葉に私はにこっと微笑んだ。

「いいえ、食べられますよ! 食堂内で食べるならサラダもついてきます!」

「じゃあそれひとつ頼む!」

「はい!」

「あっ待って。俺もそれひとつ!」

「あのさ……俺もそれいいかな?」

 最後に言ったのは、先ほどメニューを見て「別のものを食べたい」と言っていたお客さんだ。

 目が合うと、彼は恥ずかしそうに鼻の頭をかいていた。

 ふふっ。やっぱりみんな、目の前で食べているのを見ていると食べたくなるよね。

 わかるなぁ、その気持ち。

 私はまたにっこりと微笑んだ。

「はい! 皆さん目玉焼きパンひとつですね!」



 目玉焼きパンは日を重ねるごとに注文が増え、飛ぶような売れ行きを見せた。

 今はほとんどの作業をリナさんに任せ、私は最初のパンを切る工程だけ担当している。

 というのも色々検証してみたのだけれど、どうやら私のスキルを発動させ、食べ物にバフやステータス上昇などの効果をつけるためには、リディルさんが食べ物に触れる必要があるみたいなの。

 それは《武器変化》で変化したおたまや泡立て器で触れてもカウントされるため、工程のどこかを私が担当すれば、残りは他の人が作っても大丈夫のようだった。

「やれやれ。今度はパンケーキ屋じゃなくて、目玉焼きパン屋になりそうな勢いだね」

 またあきれたような、面白がるような口調でドーラさんが言う。そこへ、お皿を用意しようとしていたリナさんが声をあげた。

「ドーラさん! そろそろ目玉焼きパン用のお皿がなくなりそうだよ!」

 お持ち帰りの目玉焼きパンは、お客さんに出す時にはお皿ごと渡している。

 後日使い終わったお客さんが返しに来ることで、もう一度来店が見込めるというアイディアでもあるのだけれど、想定以上の売れ行きに、仕入れたお皿の在庫が尽きようとしていた。

「もうかい? この間ヤーコプに追加してもらったばっかりなんだが、また頼まないといけないようだねえ。……おや、噂をすれば」

 時間は閉店を控えた夕方前。『れべるあっぷ食堂』のピーク時は過ぎて、少し話をする余裕も出てきた頃だ。

 開け放たれた食堂の扉から入ってきたのは、ひげがふさふさした商人のヤーコプさん。

「やぁやぁ、みなさんおそろいで。今日もここはいい匂いに満ちていますね。私もひとつ、噂の目玉焼きパンとやらを注文してもいいですかな?」

「もちろんです! 目玉焼きパンですね!」

 すぐさま私とリナさんが準備を始める。その横では、ドーラさんがお皿の追加発注の話をヤーコプさんとしていた。

「どうぞ、お待たせいたしました!」

 リナさんがことりと、完成した目玉焼きパンの皿を差し出す。

 お持ち帰りと違って食堂内で食べる用には、緑のレタスと紫キャベツ、それから真っ赤なチェリートマトもついている。

「おぉ、色合いも華やかでいいですねぇ。野菜のおかげで、黄身の色がますます引き立つようです」

 ヤーコプさんは嬉しそうにパンにかじりつき、とろりとした黄身をあふれさせながら言った。

「うん、おいしいですねぇ! 人気になる理由もわかりますよ。シンプルだけど、何回食べても飽きない味だ」

 それからハッとしたようにナプキンで口をぬぐう。

「失礼、食べるのに夢中で肝心の本題を忘れていましたが、ララさん。以前言っていた農村、ようやく出かける用事ができたのですが、同行しますか?」

「えっ!? 本当ですか!?

 ヤーコプさんの言葉に、私はバッと身を乗り出した。

 実は、《しょう生成》を覚えてから、私はずっと畑に使われている栄養たっぷりの土がどんな胡椒になるのか、気になっていたの。純粋に「畑の土をください!」と言ってもよかったのだけれど、どうせなら農村で直接色々な土で試したくって……。

 だからヤーコプさんに「もし仕入れ先の農村に行く機会があったら、私も連れていってください!」とお願いしていたのだ。

「確か『れべるあっぷ食堂』の定休日は、水星日ですよね? その日に日帰りで、お世話になっている農村に行きましょうか」

「ドーラさん、行ってきてもいいですか!?

 急いで聞くと、ドーラさんはひらひらと手を振りながら言った。

「はいよ。気をつけて行っといで」

「ありがとうございます! それじゃヤーコプさん、次の水星日にぜひお願いいたします!」

「すまない、私も同行してもいいだろうか?」

 そこへ、フィンさんの声が響く。

 聖騎士団の皆さんは最近、『れべるあっぷ食堂』の忙しさを考慮して、ピーク時から少しずらした時間帯に来てくれるようになったのだ。

 ヤーコプさんが少しだけ驚いた顔をするが、すぐに気を取り直したようだった。

「フィンセント様もご一緒しますか? 私は構いませんよ」

「もしかしてフィンさんも、農村の土に興味がおありですか!?

 私が鼻息荒く聞くと、フィンさんはゆるく首を振った。

「いや、そういうわけではないのだが……周囲の農村には、ずいぶん長いあいだ視察に行っていないことを思い出して」

「ああ、なるほど!」

 視察! さすが聖騎士団の団長さんだ。こんな時でも視察のことを忘れないなんて。

 私が感心していると、それを見ていたテオさんとラルスさんがこそこそと言った。……もちろんその声は丸聞こえなんだけど。

「面白いよなぁあいつら。アレでどっちもただの『お友達』らしいぜ」

 ……? お友達……って、なにかダメなのかな……?

 私もフィンさんもきょとんとしていると、ラルスさんがフォークでパンケーキをつっつきながらめんどくさそうに言った。

「まぁ人それぞれっスからね。いいんじゃないんスか。本人たちが楽しいならそれで」

 うんうん、と私がうなずきかけたところで、テオさんとラルスさんのところにひょいと顔をのぞかせた人たちがいた。リナさんとセシルさんだ。

「そういうお兄さんたちはどうなの? 聖騎士団なんだから、モテモテなんでしょ?」

「セシルも気になるぅ。テオ様ってぇ、どんなタイプがお好きなんですかぁ?」

 甘い声を出しながら、セシルさんがまっすぐテオさんだけを見て言った。

「俺!?

 名指しされたテオさんは動揺している。

 一方サラッとセシルさんから無視されたラルスさんは、げんな顔でつぶやいた。

「え。やっぱセシルさん、この間からテオさんのことしか見てなくないっスか?」

 その問いに、セシルさんがぽっとほおを染めて、もじもじする。

「だってセシル……テオ様のこと好きだもぉん」

「「「えええ!?」」」

 私とリナさん、それにラルスさんが一斉に叫んだ。

 対してテオさんはというと──突然「だっはっは!」と笑い出したのだ。

「おいおい、お嬢ちゃんも変わった奴だなぁ。俺にそんな冗談言ってどうするんだ。そういうのはラルスに言え、ラルスに」

 その言葉に、ラルスさんが「なんで自分なんスか」と唇をとがらせている。

 一方、困った顔をしているのはセシルさんだ。

「えぇ? 冗談じゃないんだけどなぁ」

「えっ。もしかしてセシルさん、ガチでガチなの……?」

 言って、リナさんが魔物を見るような目でセシルさんを見る。

 そんなセシルさんの頭を、テオさんの大きな手がばんばんとたたいた。それは下手するとセシルさんが床にのめり込みそうな勢いだったんだけれど、ぷろていんパンケーキで「力:66」になっていたセシルさんは体幹がしっかりしているのか、ビクともしない。

「それに、俺の好みは俺より年上だからな! あと、尻もでっかくないと!」

「そうなのぉ? テオ様っていくつぅ?」

「俺は今年二十九だぞ! こう見えてもう三十路みそじ手前だ!」

 だっはっは、と笑うテオさんの前で、セシルさんの瞳がきらりと光った。

「ならセシル、両方当てはまってるよぉ?」

 言って、セシルさんがドンッと大きなお尻をテーブルにのせた。……胸にばっかり視線が行きがちなんだけれど、実はセシルさんはお尻もすっごいのだ……!

「おぉ……!

 スカートの上からでもぷるんっと揺れる桃尻はビッグかつ形よく、私は改めてセシルさんの魅惑ボディのすごさを思い知った。

「こらセシル! テーブルに座るんじゃないよ!」

「ごめんなさぁい」

 ドーラさんの怒声が飛んできて、セシルさんがぺろっと舌を出しながらテーブルから下りる。それを見ながらテオさんが、またがっはっはと笑った。

「確かにいい尻をしているが、年齢だけは増やしたくて増やせるもんじゃないからなぁ。悪いが諦めてくれ、お嬢ちゃん。お前さんはどう見ても十代だろう」

「セシルの言ってること、本当なんだけどなぁ」

 ぷくーと頬を膨らませるセシルさんを見ながら、私は内心ドキドキしていた。

 だって以前セシルさんを《鑑定》した時……私は確かに見たのだ。

『年齢:35歳』

 という文字を……。

 《鑑定》スキルがうそをつくとは思えない。でも、私が知った情報を、ここで勝手に言っちゃいけない気もする……!

 テオさん……! その方は、本当に年上なんですよ……!

 内心こっそりテオさんに念を送りながらダラダラと汗を流していると、目玉焼きパンを食べ終わったヤーコプさんが言った。

「気づけばここも、ずいぶんとにぎやかになりましたねぇ。話は戻りますが、次の水星日には、ララさんとフィンセント様のおふたりが農村に行くということでよろしいですかな?」

「はい! よろしくお願いいたします!」

「ありがとう。当日はよろしく頼む」

 私とフィンさんは、ヤーコプさんにお礼を言った。


「それじゃ、いってきます!」

 よく晴れた水星日の朝。久しぶりの出番となるかばんを抱えた私は、フィンさんとヤーコプさんと一緒に、『れべるあっぷ食堂』の皆に向かって手を振っていた。

「はいよ。気をつけて行ってきな」

「いってらっしゃぁい。楽しんできてねぇ」

「ララ、お土産よろしくね!」

 それからドーラさんが、私の隣に立つフィンさんに向かって言う。

「フィンセント様や、くれぐれもうちのララを頼みますよ」

「はい。万が一何か起きても、彼女にはかすり傷ひとつつけさせません」

 まっすぐに背筋を伸ばし、胸に手をあてて優しく微笑ほほえむフィンさんは今日もとても輝いていた。

 紺青色の髪は太陽の光を受けてつやつやし、サファイアの瞳は今日もキラキラしている。

 最近はずっと身軽な騎士服を着ていたんだけれど、今日は「視察だからきちんとした格好をしないと」という理由でもう少し格式高い騎士服を着ていた。

 よろいはないものの、清潔でピシッとしたたたずまいは一目で騎士とわかるしさがある。さらにフィンさんの端整な顔立ちや気品と相まって、まさに恋物語に出てくる騎士のようだった。

 道を歩く女性たちがぽーっとほおを染め、歩くのも忘れてフィンさんにれている。

 さすがフィンさん! 下町の中でここだけ輝いている!

「それじゃおふたりとも、行きましょうか」

「はい!」

 手綱を握るヤーコプさんにうながされて、私はフィンさんとともに御者席の後ろに回った。御者席には三人も座れないから、私とフィンさんは荷物を載せる荷台に座ることになったの。

「ララ、手を」

 ひと足先にひょいっと上がったフィンさんが、手を差し出してくる。

 その自然かつ爽やかな仕草も本当に物語に出てくる貴公子や騎士みたいで──そのどっちもあっているんだけど──見惚れていた女性たちが、さらにキャーッと黄色い声をあげた。

 皆に見られているのを恥ずかしく思いながら、私はフィンさんの手を借りて荷台に乗り込んだ。

 すぐに馬車が、ガタゴトガタゴトと音を立てながら出発する。前に座るヤーコプさんが、私たちの方を振り向きながら言った。

「農村といっても、そんなに遠いわけじゃないですからね。王都を抜けてすぐなので、昼前には着けますよ」

 私たちが向かっているツドミム村は、別名『王都の食料庫』とも呼ばれるほど大きな農村だ。ヤーコプさんいわく、かなりの食材をここから仕入れているらしい。普段『れべるあっぷ食堂』で扱っている野菜にも、ツドミム産のものが多く入っていた。

「ということは、いつも食べている野菜の生みの親たちに会いに行くのか」

 フィンさんの声に私はうなずく。

 実は《しょう生成》用の土とは別に、私は農家さんに挨拶できるのを楽しみにしていた。

「はい! いつもお世話になっている皆さんなので、ささやかながらお土産も用意してきました」

 言って、私はいくつかの小さな包みを取り出した。

 中に入っているのは『れべるあっぷ食堂』の裏庭の土で作った胡椒だ。日持ちするスパイスならきっと、どれだけあっても困らないだろうと思ったの。

「それにしても不思議な気持ちだな……。今まで数え切れないぐらい料理を食べてきたが、その野菜を誰が作ったかなんて、考えたこともなかった」

「お料理の仕事をする人じゃないと、あんまりそういうことは考えないかもしれませんね。私も目の前に食材があったら、とにかく早く食べたい! って思いますし!」

「それは……ララらしいな」

「そ、そうですか?」

 フィンさんがくすくすと笑って、私は急に恥ずかしくなった。

 う、うっかり自分のはらぺこっぷりを発揮してしまった……!

 そこへ、もうひとり馬車に同乗している人(?)の声が響いた。

『そういえばララはいつも野菜を調理してしまいますが、あれはそのままでは食べられないのですか? 果物はそのまま食べているのに』

 最近すっかり食べることが大好きになった、リディルさんだ。

 その声に、私はフィンさんに向かって「リディルさんです!」と前置きしてから話し始める。

「『れべるあっぷ食堂』に来てからは作っていないですが、生野菜も食べられますよ。新鮮な野菜はそのままでもおいしいですし、チーズフォンデュにしたり、パーニャカウダにしてもおいしいです」

『ちーずふぉんでゅ? ぱーにゃかうだ?』

 首をかしげているであろうリディルさんに、私は説明した。

「チーズフォンデュは、溶かしたチーズの海に、切ったお野菜をくぐらせるんです。そうしてあつあつとろとろのチーズをまとったお野菜は絶品ですよ! まさにチーズとお野菜のハーモニー、頭の中で祝福の鐘が鳴ること間違いなしです!」

 リンゴン、リンゴンという架空の鐘の音を聞きながら、口の中にじわりとよだれがにじみ出てくる。

「それからパーニャカウダは、イタリン国に伝わるソースの名前です。にんにくやイワシの塩漬けなどで作ったあつあつソースなんですけれど、こっちはにんにくの風味と塩味でやみつきになること間違いなしです!」

 くうぅ。自分で言ってて、食べたくなってきちゃった……!

 私はそっとハンカチでよだれをぬぐう。ソースなら作るのも簡単だし、『れべるあっぷ食堂』でも取り扱おうかな?

『なるほど……何やらよくわかりませんが、ララが言うのならきっとおいしいのでしょう。ならばララ、帰宅したらわたくしはその、チーズフォンデュとパーニャカウダを所望します』

「ふたつともですか!?

『何か問題でも?』

 シレッとリディルさんに返されて、私はふふっと笑った。

「わかりました。では帰ったらふたつともお作りしますね。いっぱい作って、みんなで交互に食べ比べしましょう!」

 食欲旺盛なリディルさんに私がなおもくすくす笑っていると、その様子をじっと見ていたフィンさんがためらいがちに口を開く。

「……ララの言葉しか聞こえないが、聞いているとどうも、ずいぶんと食いしん坊な女神のようだな……?」

『なっ! 食いしん坊とは何事ですか食いしん坊とは! ララ、今すぐこの男に訂正させなさい。わたくしは食いしん坊ではなく、食べ盛りなのです!』

「えっ。リディルさん、私以外の人の声も聞こえているんですね!?

『聞こえていますとも! 普段は干渉しませんが、今のは聞き捨てなりません!』

 そのことに驚きつつ、私はフィンさんにリディルさんの言葉を伝えた。

「フィンさん。リディルさんいわく──食いしん坊ではなく、食べ盛りだそうですよ」

「た、食べ盛り」

『そうです! まったく、女神を捕まえて食いしん坊だなんて、不敬ですよ!』

 ぷんぷんと怒るリディルさんの声を聞きながら、私はまたくすくすと笑った。


 やがてガタゴトと揺れていた荷馬車がゆっくりと速度を落とし、馬が足踏みする音が聞こえたかと思うと、乗っていた荷馬車がごとんと停止した。

「おふたりとも、ツドミム村に着きましたよ」

 そんなヤーコプさんの声に、私は荷台から顔をのぞかせる。

「わぁっ……!

 目の前に広がっていたのは、見渡す限りの畑、畑、畑だ。

 建物がぎゅうぎゅうに詰め込まれた王都ヘシトレとは違い、面前一杯に広がる畑の中に、ぽつぽつと農家と思われる家や倉庫などが散在している。

「なんだか懐かしい光景です。実家を思い出します!」

 私の実家があるカヴ村も、ここほど規模は大きくないものの農村だった。畑をもっと小さく少なくして、代わりに家をもっと増やせば、カヴ村の出来上がりだ。

 荷馬車から降りながら、フィンさんが言う。

「ララもすっかり、ヘシトレの住人として板についてきたからな」

「私が王都でがんばれているのも、皆さんのおかげですよ」

 言いながら私はフィンさんとにこにこと微笑み合った。

 ひとり森の中をさまよい歩いていたところから無事王都に着けたのも、職に就けたのも、すべてフィンさんや聖騎士団の皆さんが導いてくれたおかげ。

 本当にフィンさんたちには、どれだけ感謝してもしきれないくらいだ。

 私にできることはおいしいごはんを作ることだけだけれど、だったらそれを精一杯がんばろう! と改めて心に誓う。

「やあ、いらっしゃい。ヤーコプさん、それからお客さん方」

 馬車の音を聞きつけたのだろう。家の中から老夫婦が出てくる。

 二人とも六十代くらいかな? 長年畑で働いてきたことがわかるよく焼けた肌に、しわしわの手。それぞれ手に日よけの帽子を持っている。

 帽子を取ったヤーコプさんは、順番にふたりと握手を交わした。

「ララさん、フィンセント様、紹介しますよ。彼らはここら一帯をまとめるご夫婦です。ツドミムのことが知りたかったら、なんでも聞いてください」

「ララローズと申します! 今日はよろしくお願いいたします」

「ヘシトレ聖騎士団のフィンセントです」

 私たちが挨拶すると、二人はほがらかに言った。

「ようこそツドミムへ」

「見ての通り畑しかないんですが、その代わり畑だけは腐るほどありますからね、ゆっくりしていってください」

「はい! あと、いつもおいしいお野菜をありがとうございます。よかったらこれ、皆さんで使ってください」

 言いながら、私は持ってきた胡椒の包みを渡した。途端に、夫婦が目を輝かせる。

「おぉ、胡椒か。これはいくらあっても困らないから、とても助かるねぇ」

「お嬢ちゃんは、畑の見学と土が欲しいんだっけ?」

「はい! 少し土を分けていただけると助かります」

「なら早速、案内しようかねぇ」

 そう言って、夫婦は歩き出した。ヤーコプさんは商談のため別の約束があるようでここで別れ、私とフィンさんは彼らの後ろをついていく。

 歩きながら、旦那さんが私たちに説明した。

「ツドミムの土地は、ボート侯爵領ほどではないですが加護を受けていましてねぇ」

「加護……ですか?」

 加護ってなんだっけ? どこかで聞いたことがあるような……。

 隣ではフィンさんも興味深そうに耳を傾けている。

「ここは気候が温暖かつ穏やか。それに何よりすごいのが、どんな時期にどんな作物の種をいても、大体育つんですよ」

「もしかしてほうじょうの女神、デーメテールの加護ですか?」

 フィンさんの言葉に、旦那さんがうなずく。

 あっ。そういえばデーメテールの名前は私も聞いたことがある!

 私が実家にいた頃、仲良くしてくれた農家のおばさんが何度も『コーレイン領にもデーメテールの加護があればねぇ』と言っていたのを思い出したのだ。

 野菜がいっぱい実る神々の加護だと聞いて、私もそういうスキルを授かれるよう、必死にお願いしていた時期もあったなあ。

「ララ、ボート侯爵領では、やたらきのこや山菜などが生えていただろう? あれも全部、デーメテールの加護によるものだ」

「ああ、だから……!」

 確かにボート侯爵領の森では、季節に関係なくきのこも薬草も驚くくらい生えまくっていた。

 あれは侯爵領全体が加護を受けているからだったのか……! 加護ってすごいなぁ。どうやったら受けられるんだろう?

 私が考えていると、今度はおかみさんが言った。

「その代わり、野獣や魔物からもよく狙われるんだけどねぇ。でもフィンセント様が聖騎士団の団長に就いて村の警護を増やしてくださったおかげで、ここ最近は本当に平和ですよ。ありがたやありがたや」

 言って、おかみさんがフィンさんに向かって祈りをささげ始める。

 へぇえ……! さすがフィンさん、こんなところでも貢献していたなんて!

 一方穏やかに微笑んだフィンさんは、ゆっくりと否定するように首を振っていた。

「私は聖騎士団として当然のことをしたまでのこと。お礼を言うならここに常駐している騎士たちにぜひ。それに神官たちも、がんばって結界を張ってくれましたから」

 どうやら、ツドミム村には聖騎士団が常駐するだけではなく、定期的に神官たちがやってきて結界を張ってくれているらしい。

 そうだよね。こんなにたくさんおいしいものがあったら、魔物だって狙いに来るもんね。

 そう考えるとコーレイン領は、それほど実り豊かではない代わりに、比較的平和だったんだなあ。森に出るのも、せいぜいキラーラビットぐらいだったもの。

「さ、お嬢さん。この中から好きなだけ土を持っていっていいですよ」

 旦那さんに指し示された先には、見るからに栄養たっぷりな、ふかふかな土が鎮座していた。

 私はしゃがむと、ためらわずに両手で土をすくいあげる。

「さすがツドミムの土! 空気もお水も、たっぷり吸い込みそうですね! ……すみませんが、コップを持参してきましたので、お水を少し頂いてもいいですか!?

「ああ、構わないですけど……何に使うのかね?」

「そ、それはえっと……!」

 さすがに、《胡椒生成》に使います! とは言えなかった。

 リディルさんやスキルのことは人に話してはいけないよと、ドーラさんにくぎをさされているのだ。

「この土をじっくり観察してみたいんです! 裏の作業台を借りてもいいですか!?

 言って私はフィンさんにその場を任せ、こそこそと家の裏に引っ込む。

 裏には切り株でできた簡易作業台があったため、そこに持参してきたまな板をのせる。それから誰も見ていないのを確認してから、私はツドミムの土をサクサクと《胡椒生成》し始めた。

 ぽろぽろとこぼれてくる胡椒の粒は、『れべるあっぷ食堂』の裏庭産よりもやや赤みを帯びていて、ツドミムの土の色をそのまま引き継いでいる。

 くん、と鼻で嗅いでみると、裏庭産よりもさらに強い香りが鼻を満たした。

「うわぁっ……これもすっごくおいしそうな匂い! 今度の目玉焼きパンは、この胡椒を使ってみようかな!?

 どんな料理に使うか考えているだけで、わくわくする! いい胡椒なんだもの。良さを最大限引き出さなくっちゃ!

 私があれこれ考えながらなおも胡椒を生成していると、フィンさんの驚いた声が響いた。

「何をしているのかと思ったら、まさかそうやって胡椒を作っていたのか!?

「あっ、フィンさん。……あれ、フィンさんには言っていませんでしたっけ……?」

「それは聞いていないよ、ララ……」

 言いながらフィンさんが、ガクーッと脱力したように額を押さえている。

「す、すみません! 完全に話したつもりになっていました……」

「いや、いいんだ……。それにしても、本当にすごいな。包丁で切るだけでそんなことができるなんて、しかも土を……」

 言いながらフィンさんは胡椒の粒を取り上げ、土と交互に見比べている。

「……というかこれを売るだけで、すごいもうけが出るのではないか?」

「……あっ」

 料理に使うことしか考えていなかったけれど、確かに《胡椒生成》のスキルがあれば、胡椒商人として一生食べていける気がする。ううん、それだけじゃない。《塩生成》やまだ覚えていない《砂糖生成》を使えば、あっという間に無限調味料屋の完成では……!?

「ドーラさんに一度聞いてみてもいいかもしれないね。収入のあては多い方が何かと助かるだろう」

「確かにそうですね、ありがとうございます!」

 ──と、私がお礼を言っているその時だった。

「きゃー!!

「大変だ!!

 という複数の叫び声が聞こえてきたのだ。

!?

 声に私が驚いていると、バッとすごい速さでフィンさんが駆けていった。私はあわてて後を追う。

「どうした! 魔物か!?

 目の前ではフィンさんが、先ほどのご夫婦を捕まえていた。

 彼らも焦った顔で、目の前の畑を指さしている。顔を真っ青にしながら、おかみさんが言った。

「大変だよ! お隣の畑でアレが──マンドラゴラ病が発生したんだ!」

〝マンドラゴラ病〟

 その言葉に私は固まった。

 でも固まったのは一瞬だけ。次の瞬間、私は叫んだ。

「大変! 今すぐ首を落としに行かないと! 手伝います!」

「本当かい、助かるよ! あたしたちもすぐ包丁を取ってくるから先に行ってておくれ!」

「はい!」

 すぐさま私は、ワーキャーと複数の叫び声が聞こえる畑へと走り出す。その横を、困惑顔のフィンさんもついてくる。

「ララ! マンドラゴラ病とは一体!?

 どうやらフィンさんはマンドラゴラ病を知らないらしい。

 でも、立ち止まって説明している時間はない! マンドラゴラ病が発生した時は、一分一秒を争うんだもの!

 私は走りながらフィンさんに説明した。

「マンドラゴラ病は、野菜に起きる病気のひとつなんです! 症状は口で言うより、実物を見た方が早いです!」

 言いながら、私はたどり着いた畑に向かって、バッと手を差し示す。

「これは……!?

 その光景を見たフィンさんが目を丸くした。

 騒ぎの起きた畑では、焦った顔の村人たちと一緒に、辺りを縦横無尽に駆け回るマンドラゴラ──動く野菜たちがいたのだ。

 元はにんじんだったと思われるマンドラゴラには、オレンジ色の体から手と足がにょっきりと生え、その少し上にはり上がった目と裂けた口がある。

 裂けた口からは「キィェエエエエ!」という甲高い叫び声が絶えず発せられていた。

「野菜が魔物化……しているのか!?

「はい!」

 〝マンドラゴラ病〟は、ある日突然、野菜が何の予兆もなくマンドラゴラと呼ばれる魔物に変化する病気だ。

 原因は不明で、マンドラゴラ自体は弱いものの、一度マンドラゴラになってしまった野菜は苦すぎてとても食べられたものではなくなる。おまけに何より怖いのが、その驚異的な感染力だ。

 マンドラゴラ病が発生した場合、たった一晩で近隣一帯の畑が全滅、なんて話は珍しくない。農家の天敵とも言える病気だった。

 以前カヴ村でも、マンドラゴラ病に遭遇したことがあるんだよね……! その時に駆除を手伝ったことがあるから、私でも力になれるはず!

「キィヤアアア!!

 考えていると、口をぱっくりと開けたマンドラゴラが飛びかかってくる。

 私は身構えた。

「リディルさん!」

『おまかせください、ララ!』

 私は瞬時にリディルさんを呼び出すと、マンドラゴラとすれ違いざまに、流れるような動きでタンッ──と包丁を振るう。

 次の瞬間、ぼとりという音とともに、横にまっぷたつになったマンドラゴラが地に落ちていた。

 次のマンドラゴラに視線を移しながら、私はフィンさんに向かって叫ぶ。

「マンドラゴラはどこを斬っても再生しますが、首を的確に斬って頭を落とすことで息絶えます! これ以上感染が広がる前に、一匹でも早く倒さないと!」

「頭を落とす……!? それっぽいところを切ればいいのか!?

「そうです! 大体、口のすぐ下あたりまでが頭です!」

 野菜の体にそのまま手足が生えたマンドラゴラは、人間のようにわかりやすい首はしていない。

 おまけに野菜によって首の位置が違うため、慣れない人だとなかなか見分けがつかないが、的確に頭さえ落とせば倒すこと自体は難しくはなかった。

 ザンッ! と包丁でもう一匹頭を落としながら、私は叫んだ。

「毒はありませんがまれると結構痛いので、それだけ気をつけてください!」

 私がそう叫ぶ近くで、まさに複数のマンドラゴラにたかられ、かじられている男の人がいた。

「いてええええ!!

「大丈夫ですか!? 今助けますね!」

 言いながら私は、ザンッ、ザンッ、ザンッ、とマンドラゴラだけをまっぷたつにしていく。

 ボトボト落ちていくマンドラゴラを振り払いながら、男の人は驚いた目で私を見た。

「あ、ありがとうよ。それにしてもあんた、すごい剣さばきだなぁ……!

リディルさん包丁は友達ですから!」

 それに相手は魔物化しているとはいえ元は野菜。

 つまり食材だ。

 食材なら、何も怖くない!

 ──ちなみにこの時の私は、まだ気づいていなかった。

 キラーラビットのように、一度『食材』だと認識したものはすべて、怖い気持ちよりも食欲が勝るという事実に──。

「どんどん頭を落とせばいいんだな?」

 言いながらフィンさんが、腰に下げた剣をすらりと抜く。

「なら魔物を倒す時と要領は同じだ。──《剣聖》!」

 フィンさんがスキルを発動させた瞬間、彼の姿が視界から消えた。

 時々見える残像からして、目にも留まらぬ速さでマンドラゴラたちを斬っているようだ。

 ボトリ、ボトリと、私やフィンさん、それに村の人たちに頭を落とされたマンドラゴラの体が増えていく。

 そこへ、さらなる叫び声が聞こえた。

「大変だ! 隣の隣の畑にも移った!」

 声がした方を見れば、隣の隣の畑では玉ねぎがぴょんぴょん跳ね回っていた。遠目にははっきり見えないが、やっぱり手足が生えている。

「くっ……! さすがマンドラゴラ病! 感染が速い……!」

 私は唇を噛んだ。

 マンドラゴラ病の一番の恐ろしさは何を隠そうその感染スピードだ。

 被害を少しでも抑えるためには、一匹でも多くのマンドラゴラを早く倒さないと!

 私はまたリディルさんを構えた。

「全力でいきますよ、リディルさん!」

『はい! ララ! 今こそわたくしにお任せください!』

「やぁぁあっ!」

 叫んで、私とリディルさんは跳ね回るマンドラゴラの群れへと突っ込んだ。

「キィェエエエ!」

『左から二匹! 右から三匹! 後ろから一匹来ますよ、ララ!』

「はいっ!」

 リディルさんの助けを得ながら、私は左からやってきたマンドラゴラ二匹の頭をすれ違いざまにトントンッと落とした。右三匹は一度体をひねってかわしてから、まとめて一直線にザンッと頭を吹っ飛ばす。

 最後に飛びかかってきたマンドラゴラはまっすぐ迎え討ち、噛みつかれる前にスパッ……とまっぷたつにした。

 少し離れたところでは、フィンさんが数十匹にも及ぶ大量のマンドラゴラに囲まれている。

 けれど、フィンさんの態度は落ち着き払っていた。

 マンドラゴラたちが一斉に飛びかかったと思った次の瞬間には、トントントントンッ、と流れるような剣捌きを見せ、眉ひとつ動かさないままドサドサドサッと地面にマンドラゴラたちを積み上げる。

「フィンさん!」

「ララ、この畑は落ち着いたと思う。隣へ助けに行こう」

「はい!」

 それから私たちは、村人たちとともに辺りの畑を駆けずり回った。

 時々マンドラゴラに噛みつかれている人を助けながら、斬って斬って斬りまくり、そうしているうちに、気づけば畑は静かになっていた。

「はぁはぁ……。これでマンドラゴラは全部倒した……のかな?」

 こんなに動いたのは久しぶりだ。

 息を切らせ、額の汗を拭いながら辺りを見回すと、村人たちもみな地べたに足を投げ出して座り、ぜぇぜぇと荒い息をしている。

 隣でツドミムの騎士たちから報告を受けたフィンさんが、剣をさやに納めながら言った。

「駐在している騎士たちからも報告があったが、恐らくすべての畑のマンドラゴラが倒されたはずだ」

 フィンさんはこの場にいる誰よりもたくさんマンドラゴラを斬っていたはずなのに、その表情は涼しく息ひとつ切れていない。

 さすが聖騎士団の団長さん……格が違う!

 私はひそかに感心した。

 それから安心したように、私も地面に座り込む。

「はぁあ……よかった……マンドラゴラを全部倒せた……」

「騎士様やお嬢ちゃんたちもありがとうなあ。おかげで被害は最小で済んだよ」

 農家の旦那さんが汗を拭きながら、私やフィンさんに声をかけてくれる。

「少しでもお役に立てたならよかったです! でも……」

 言いながら私はちらりと辺りを見回した。

 私もフィンさんも、それに村の人たちも本当に精一杯がんばったと思う。

 それでも無残に荒れてしまった畑は多く、損失はかなりのものになるのがひとめでわかった。

 ついさっきまであんなにれいな畑だったのに……。農家の皆さんが丹精込めて育てた野菜だったのに……。

「これは、なかなかひどくやられましたねぇ……」

 私が肩を落としている横で言ったのは、商人のヤーコプさんだ。その顔にも手にも小さな歯形がついており、相当マンドラゴラにかじられたらしい。

 私がしゅんとしていると、農家のおかみさんがバンと私の背中をたたいた。

「なぁに、お嬢ちゃんが落ち込むことはない。よくあることさ。農作ってのは、常に自然との戦いなんだ。今はそれより、目の前に残ったものを大事にしていかなくっちゃね」

「……はい!」

 そうだ。被害に遭った人たちがこんなに前向きなのに、私が落ち込んでいてもどうしようもない。

 それより、他にできることがあるはずだ!

「何か、手伝えることはありますか!? あっ、散らかった野菜、片付けますね!」

「おお、本当かい。助かるよ、ありがとうねぇ」

 そこへ、先に畑の後始末を始めていた村人から声があがった。

「なんだこりゃあ!?

 みんなの視線が一斉に声の方に集まる。私もフィンさんも、その人を見た。

「どうしたんだい?」

「いや……今野菜を片付けようと思って集めていたんだけどさ、なんか変なのが交じっているんだよ」

 言って彼が指さしたのは、集められて大量に積まれたにんじんたちの残骸。

 その大半はひどく黒ずみ、張りがなくシワシワになってしまっている。マンドラゴラ病にかかって頭を落とされた後の典型的な症状だ。

 けれどその中にところどころ、不思議なにんじんが交じっていた。

 そのにんじんは腐るどころか、むしろもともとのにんじんよりも鮮やかなオレンジ色をしていたのだ。その上、採れたてのようにみずみずしい張りと艶も保っている。

「んん? なんだいこりゃあ……?」

 言いながら、みんなが不思議そうににんじんを手に取って見比べている。

「ララ、これもマンドラゴラ病の……?」

「えっと……黒ずんだ方は確かに、マンドラゴラ病にかかった野菜なのですが……」

 フィンさんに言いながら、私も近くに転がっていたにんじんをそれぞれ手に取った。

 じっと観察すると、黒ずんだ方も鮮やかな方も、どちらもマンドラゴラの首の位置でスパッと斬られており、これがマンドラゴラ病にかかった野菜だというのは間違いない。

 だというのに、こっちの鮮やかなオレンジ色はなんなんだろう?

「なんでこっちは違うの……?」

 周りを見てもみな首をかしげるばかりで、理由がわかる人はいないようだ。

 私が眉をひそめてまじまじと観察していると、リディルさんの声が響いた。

『ララ、こういう時こそ《鑑定》してごらんなさい』

 鑑定!

 そういえばその手があった!

 私は急いで、目の前のふたつのにんじんを鑑定した。

 まずはシワシワになってしまった方を見ると──。

ツドミム産マンドラゴラ:死亡

 し、死亡という二文字が重い……!

 見た目は野菜でも、やっぱり魔物化しているから、野菜とは出てくる表示も違うんだなぁ……。

 変なことに感心しながら、今度は鮮やかなオレンジ色の方を鑑定すると──。

ツドミム産マンドラゴラ(浄化済み):死亡。日持ち残り一週間

「浄化済み……??

 私は目を丸くした。

 その上、『日持ち残り一週間』ってどういうこと? こんなの、黒ずんだ方にはなかったよね? 日持ち表記があるってことは、食べる前提なの……?

「ララ? どうしたんだ?」

 私が目をぐるぐるさせていると、気づいたフィンさんが心配そうに声をかけてくる。私は周囲の人に聞かれないよう、こそこそとささやいた。

「あの……フィンさん。こっちのオレンジ色の方、なぜか浄化済みらしいんです……」

「浄化済み……!?

 眉間にしわを寄せたフィンさんが、すぐさまにんじんの山を見る。それからハッとした顔で言った。

「あのオレンジ色のにんじんの数……確かララが斬ったマンドラゴラも、あれくらいではなかったか?」

「えっ?」

 言われて私もにんじんの山を見た。

 斬っている間は必死で、数を数える余裕もなかったけれど、言われてみれば大体それくらい斬った気もする。

「ララは確か、その包丁で触れたものにスキルの効果が出ると言っていたな。ならばその包丁で斬られたマンドラゴラが、君の《浄化》スキルで浄化されたという可能性は?」

 その言葉に、私はまじまじとリディルさんを見つめた。

 確かに、フィンさんが言っていることは合理的だし、一理ある。

 じゃあ、まさか本当に……?

 私はごくりと唾をんだ。

 それから意を決したように、持っていた黒ずんだにんじんにかぶりつく。

「お嬢ちゃん何やってるんだい! マンドラゴラ病にかかった野菜なんてやめときな! 腹をこわすよ!」

 あわてるおかみさんの横で、私は思いっきり顔をしかめた。

 おええっ! やっぱりとてつもなく苦いっ……!!

 今すぐ吐き出したい気持ちをぐっとこらえ、私はなんとかしゃくして飲み込む。

 毒があるわけじゃないから、一度口に入れたものを吐き出すのは私の信念が許さなかった。だってもったいないもの。

 とはいえ、ダメ元で食べてみたけれど、やっぱりマンドラゴラ病にかかった野菜は食べられた味ではない。

 一部のげきにが愛好家や、怪しい薬を作る人には需要があるみたいだけれど、普通の人は求めていないだろうな……。

 そんなことを思いながら、今度は鮮やかなオレンジ色の方にかじりついて──私は目を見開いた。

「なにこれ……おいしい!!

 『浄化済み』のにんじんは硬すぎず柔らかすぎず、コリッとしたちょうどいい歯ごたえをしていた。さらにみずみずしく口に広がる甘みはかつてないほど濃厚で、まるで果物を食べているよう。

 それは今まで食べたにんじんの中でもかなりおいしかった。

「おいしい……おいしいですこれ!」

 皆が見ているのに、おいしすぎてにんじんを食べる手が止まらない。

 ツドミムに来る途中、リディルさんとチーズフォンデュやパーニャカウダの話をしていたけれど、このにんじんを使ったら、それはもうとんでもないおいしさになるんじゃ……!?

 私がなおもボリボリ食べ続けていると、様子を見ていた村人たちがごくりと唾を呑む。

 それから近くに立っていた男の人が、意を決したようにオレンジ色の浄化済みにんじんをボリッとかじった。

「……本当だ、うめぇ!」

 言って、彼もそのままボリボリとにんじんをむさぼり始める。

「そんなにか……!?

 釣られるようにひとり、またひとりと、浄化済みにんじんにかぶりつく。かと思うと皆が目を丸くし、口々に言った。

「なんだこりゃ……。なんでこんなにうまいんだ!?

「硬さ、水分量、甘み、どれをとっても完璧じゃないか!」

「くそっ。俺の畑から採れるにんじんよりうまいなんて悔しい……! でもうまい!」

 なんて、悔し泣きしながら食べている人までいる。

 確かに農家の人からしてみれば、丹精込めて育てたにんじんより魔物化したものの方がおいしいなんて、複雑な気持ちだよね……。

 それにしても、これは《浄化》の効果なのかな。マンドラゴラ病にかかった野菜がおいしいなんて初めて聞いたもの。

 私がなおもボリボリ食べていると、隣で黒ずんだにんじんを見つめていたフィンさんが囁いてくる。

「ララ、少し確かめたいことがある。一緒に来てくれないか?」

「? はい」

 私たちは皆に気づかれないよう、こそこそとその場から離れた。

 近くの農家の裏に引っ込み、誰にも見られていないのを確認してからフィンさんが黒ずんだにんじんを差し出す。

「私たちの仮説が正しいなら……この黒ずんだにんじんも、もしかしたら君が浄化できるかもしれない」

 フィンさんの表情を見ながら、私はこくりとうなずいた。

『リディルさんの刃に触れたマンドラゴラ病の野菜は浄化される』

 それが、私とフィンさんが出した仮説だ。

 確かめるように、私はそっと黒ずんだにんじんの端っこを、リディルさんを使って切った。

 すると──。

 にんじんがパァァッッと光ったかと思うと、刃が触れた部分からまるで絵の具で染めたように、黒ずんだにんじんがみるみるうちに色鮮やかなオレンジ色へと変化していったのだ。

「フィンさん!」

「やはり……!」

 念のため《鑑定》すると、そこには『浄化済み』の文字が追加されていた。

 フィンさんが急いで浄化済みとなったにんじんを手に取り、ガリッとかじる。

「……うん、味もおいしくなっている。間違いない。ララがその包丁で斬ると、マンドラゴラ病は浄化されるんだ!」

 その言葉に、私は顔を輝かせた。

 元の野菜には戻せなくても、浄化すれば味だけは戻るなんて! ……いや、むしろおいしくなるのだ。出荷できるかどうかは別にしても、少なくともこのままごみとして捨てずにすむ!

「他のも全部浄化すれば、廃棄は防げますね! 私、すぐに皆さんにお知らせして──」

「いや、待つんだ」

 村人たちに知らせに行こうとしていた私の腕を、真剣な顔のフィンさんがガシッとつかむ。

「この情報が外に漏れると、ララの身が危ない。少なくとも浄化は君ではなく、神官が行ったことにしないと。騎士たちにマンドラゴラ病の野菜を持ってこさせるから、ララは私と一緒にツドミムの駐屯所に来てくれ」

「あっ、そうでしたね……!」

 私のスキルは怖い神官さんに狙われるから、内緒にしておかなければいけないんだった。

 私は大人しくフィンさんについていくと、ツドミムの駐屯所に引きこもった。

 そして予備として置いてあった衣をかぶって神官のふりをしながら、運ばれてきた野菜を片っ端から浄化していく。

 やがてすべてのマンドラゴラ病の野菜を浄化し終えた私は、フィンさんと何食わぬ顔で村人たちのところに戻っていった。

「おお、すごい……! 捨てるしかないと思っていた野菜たちが、生き返ったぞ!」

「出荷はできなさそうだが、食べられるだけありがたいねぇ」

 浄化された野菜たちを村人に返すと、みんなは目を輝かせながら喜んだ。

「ララちゃんもお手伝いありがとうね。これ、ララちゃんもよかったら持っていっておくれよ」

 そう言いながらおかみさんから渡されたのは、頭を落とされ浄化されたにんじんがどっさり入ったかご

 ──ちなみに浄化したのはマンドラゴラの体だけで、落とされた頭は浄化していない。一度変化した顔は元には戻らないから、オレンジ色に輝くにんじんの山の向こうでは、吊り上がった目をしたマンドラゴラの頭の山が、恨めしそうにこちらを見ている。

 さすがに顔のついた方は、浄化しても食べる気にはなれないらしい。

 私は全然、平気なんだけどな……。

「さぁさぁ、すっかり遅くなってしまいましたね」

 そこへ、帰り支度をしたヤーコプさんが急いで荷馬車を引いてくる。

 マンドラゴラの討伐に、浄化にとやっているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。本当は日が暮れ始める前には出発する予定だったから、大幅な遅れだ。

「予定よりだいぶ遅くなってしまいましたが、ララさんを『れべるあっぷ食堂』にお帰しするため、急いで馬車を走らせますよ!」

「安心してくれ。もし魔物が出ても、私が皆を守ると誓おう」

 にこりと微笑んだフィンさんに、私は頭を下げた。

「はい! ありがとうございます!」

 夜の道は魔物の出現率が上がるから、本来は避けた方がいい。

 けれど『れべるあっぷ食堂』は明日も営業するし、フィンさんやリディルさんがいるなら夜道でも安心だと思ったの。

 もらった野菜や土を荷車に載せ、私たちも急いで荷馬車に乗るとツドミムの人たちにお別れを告げた。

「皆さん、今日はありがとうございました!」

「こっちこそありがとうねぇ! また来ておくれよ!」

 手を振る村人たちに見送られながら、荷馬車が速度を上げてツドミム村を離れていく。


 ──けれどその時、私たちは気づいていなかった。

 もらった浄化済みマンドラゴラの山に紛れて、何かがもぞりと動いたのを。


 空に、ぽっかりと丸い満月が浮かぶ深夜。

 私たちを乗せた荷馬車は、無事『れべるあっぷ食堂』の前に着いていた。

 積み荷の中から私の荷物を降ろしながら、ヤーコプさんが言う。

「いやあ、遅くなっちゃってすみません、ララさん」

「不測の事態でしたから、気にしないでください。それよりヤーコプさんも、今日は遅くまでありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね!」

 言いながらマンドラゴラにんじんがどっさり入ったかごを受け取っていると、れべるあっぷ食堂にぱっと明かりがともった。

 そしてドーラさんやリナさん、セシルさんが食堂の中から出てくる。

「おかえり、ララ!」

「遅かったねぇ」

 どうやらみんな、寝ずに待っていてくれたらしい。

「遅くなっちゃってごめんなさい! ただいま戻りました!」

「皆で何かあったんじゃないかって、心配してたところだよ」

「実はツドミムで、マンドラゴラ病が……」

 その言葉に、ドーラさんが「ああ」とうなずく。反対にリナさんとセシルさんは、「マンドラゴラ病?」と首をかしげている。

 やっぱり農家や普段から野菜に関わる人たち以外には、マンドラゴラ病はあまり知られていないのかもしれない。

「まあ、夜ももう遅いからね。話すなら中でにしよう」

「はい! ……あ」

 私は一度籠を置くと、そばで見守っていたフィンさんのところに駆け寄った。

「フィンさん、今日は本当にありがとうございました! フィンさんがいなかったらきっと被害ももっと広がっていたし、私の《浄化》のことも、皆さんにバレちゃっていたと思います」

 もしあそこでフィンさんに止められていなかったら、きっと色々露呈して、大変なことになっていたと思うの。

「フィンさんが一緒にいてくれて、本当に助かりました!」

 私がにこりと笑ってお礼を言うと、フィンさんは一瞬固まっていた。暗くてその表情はよく見えなかったものの、すぐに優しく微笑ほほえみ返してくれたようだった。

「……役に立てたようで、うれしいよ。私も今日は色々なことを勉強できて──……それから、ララと一緒に過ごせて、楽しかった」

「はい! 私も……楽しかったです!」

 荷馬車に乗っている間、私たちは色んなことを話した。

 私のこと、フィンさんのこと、食堂のこと、料理のこと、スキルのこと、リディルさんのこと。

 フィンさんには何も隠す必要がないし、リディルさんのことを話すと打てば響くような答えが返ってくるから話していてとても楽しい。

 話していて、こんなに話題が尽きない男の人は初めてだった。

 ……そもそも男の人とこんなに話したことはないのだけれど……。

「また今度の休みにでも、遊びに行こう」

「はい!」

 ヤーコプさんとフィンさんを見送ってから振り向くと、なぜかリナさんとセシルさんがニヤニヤしながらこっちを見ていた。

「どうかしましたか?」

「ううん! なんでもな~い!」

「楽しそうでいいなって思っただけぇ」

 そんなことを言いながら、ふたりが協力して籠を持ち、きゃーきゃー笑いながられべるあっぷ食堂の中に入っていく。

「まったく。深夜だっていうのに騒がしい子たちだねえ。……まあもともと夜行性か」

「あっ、籠、ありがとうございます! 大丈夫ですか重くないですか!」

 そんなふたりやドーラさんの後を追って、私も食堂の中へ入った。

 ひと足先に中へ入っていたリナさんとセシルさんが、どさりとにんじんの籠を下ろす。

「ララ、このにんじんの山、ここに置いておくよ?」

 そこは食堂の野菜置き場で、周りには明日使う予定の野菜が積まれている。私は置かれたマンドラゴラにんじんを見て、一瞬ためらった。

 ……マンドラゴラ病にかかった野菜とはいえ、浄化済みだから大丈夫だよね……?

 マンドラゴラ病は、かかると瞬く間に感染を広げて辺りの畑をダメにする。けれど逆に、一度かかるとその畑はしばらく安泰でもあった。

 少なくとも処理された野菜から感染が再度広がったという話は聞いたことがない。

 そこまで考えて、私はためらいを振り切るようにうなずいた。

「はい! ありがとうございます!」

「それでさ、『まんどらごら病』って何なの?」

「セシルもその話聞きたぁい」

 すぐさま席についたリナさんとセシルさんが、トントンと椅子をたたいて私に座るよううながす。

「あんたたち、夜も遅いんだからほどほどにしなね。……ま、あたしもマンドラゴラ病の話は聞きたいんだけど」

 と言いながらドーラさんもちゃっかり席についている。

 私はくすっと笑って、みんなの方に向かおうとした──その時だった。

 一瞬、今日持って帰ってきたにんじんの山から、何かがサッとちゅうぼうの方に飛び出していった気がしたのだ。

 ……まさか、マンドラゴラの生き残り!?

 私はあわてて厨房に走った。

「どうしたの? ララ」

「ちょっと待ってください! 今何かいたような……!」

「ええ? ねずみぃ? やだあ! セシルねずみきらぁい」

 きょろきょろと厨房を見回してみても、厨房はシンとしており、それっぽい気配はない。念のためつんいになって、視線を低くして探してみる。

 でも、しばらく探してみてもやっぱりそれらしき姿は見つからなかった。

 厨房は静まり返って、私たち以外気配はしない。

 ……気のせいだったのかな?

 私は立ち上がると、パンパンとスカートをはたいた。

 昼間のマンドラゴラ騒動で、神経が少し過敏になっているのかもしれない。

 それに、息をひそめて隠れるマンドラゴラなんて聞いたことがない。

 マンドラゴラはじっとしていられない性分で、奇声をあげながら辺りをぴょんぴょん跳ねまわるし、人間がいたら避けるどころかみついてくるのは有名だ。

「すみません、見間違いだったみたいです。今行きますね!」

 私はドーラさんたちのところに戻ると、ツドミムで起きたマンドラゴラ病の事件のことを話した。

 みんな興味津々で、リナさんたちは「やば!」とか「こわぁ~い!」とか弾むような反応を返してくれる。

 私たちはたっぷり話し込んだ後、眠い目をこすってそれぞれの寝室に向かった。


 ──その晩、私は不思議な夢を見た。

 夢の中では元にんじんだったマンドラゴラが暴れまわり、れべるあっぷ食堂の野菜を次々とダメにしていくのだ。

 夢の中なのにどすんばたん、という音やキィエエエエというマンドラゴラの叫びがやけに生々しくて、ついでに振動もあるものだから、夢と現実の区別がつかないぐらい。

 私、ツドミム村のマンドラゴラ病事件がよっぽど印象に残っていたのかな。夢の中でもまだマンドラゴラが出てくるなんて……と思いながら、薄目を開ける。

 そしてハッと気づく。

 ……あれ、夢から覚めたのに、まだ音がする……?

 どすんばたん、という音は食堂のある一階からだろうか? それにキィエェエエというあの甲高い声……まさか!!

 私はガバッと起き上がると、パジャマのまま血相を変えて廊下に飛び出す。

 廊下に出ると、ちょうどリナさんとセシルさんもパジャマ姿のまま、自分たちの部屋から顔をのぞかせているところだった。

「ねえララ、あれ何の音?」

「セシルねむぅい……でもうるさぁい……」

 そこに、ドーラさんも部屋から出てくる。

「なんだいなんだい、何の騒ぎだい!?

「わかりませんが、すぐ見に行きます!」

 青ざめながら私はダッと駆け出した。後ろからリナさんたちもついてくる気配がする。

 みんなの部屋がある二階から、だだだだっと階段を下りて、れべるあっぷ食堂のメインとなる一階へと走っていく。

 そして着いた先で見た光景に、私は叫び声をあげた。

「きゃああ!!

 ──そこには、にんじんや玉ねぎ、なす、キャベツなど、様々な姿をしたマンドラゴラが辺り一面に跳ねまわっていたのだった。

 野菜たちに共通しているのは、り上がった目に、裂けた口、生えた手足。

 ……間違いない、マンドラゴラ病だ!

 やっぱり帰ってきた時に、何かが紛れ込んでいたんだ……!

 私は見逃した自分のなさにグッと唇を噛み、それから意を決したように駆け出した。手にはもちろん、リディルさんを握って。

 落ち込んでいる時間はない! 早く全部《浄化》しないと!

 万が一にもこの食堂から逃がして、王都ヘシトレに感染を広げるわけにはいかない……!

「わあ!? 何これ! 変なのいるじゃん!」

「これは……!?

「もしかしてぇ、これってマンドラゴラ病?」

 遅れてやってきたリナさんたちも声をあげる。私は一番近くにいたマンドラゴラの頭をスパッと落としつつ、大きな声で叫んだ。

「皆さん! あとで説明します! 今はマンドラゴラが外に逃げないよう、見張っていてもらえませんか!」

 私の言葉に、みんなの目がきらりと光る。すぐやるべきことを理解したリナさんたちが、それぞれの持ち場にサッと走った。

「外に逃げないようにすればいいんだね? オッケー、あたしは扉の前に立ってる!」

「セシルはぁ、窓の方を守ってるね!」

「二階に入ってこないよう、あたしは階段の前で見張っているよ!」

 みんな、話の理解が早くて頼もしい!

「ありがとうございます! 皆さん噛まれないよう、椅子で体を守ってくださいね!」

 みんながガッチリと出入り口を封鎖してくれている中、私はリディルさんとともに走り回った。

「えいっ!」

 スパスパスパッと、斬られた玉ねぎがどさどさと落ちる。

 次はくるくる回りながら噛みついてこようとするキャベツをひらりとけ、ズバッと一刀両断すると、辺りにキャベツの葉が飛び散った。

 そこへセシルさんの声が響く。

「やぁん! いたぁい!」

!? セシルさん、大丈夫ですか──」

 叫びの内容からして、セシルさんが噛まれたようだ。

 あわてて振り向いた私の前を、ビュンッとすさまじい勢いでマンドラゴラが吹っ飛んでいった。

 ──次の瞬間、ドゴォン! という音とともに、にんじんのマンドラゴラがれべるあっぷ食堂の壁にめり込む。舞い上がるつちぼこりを見て、ドーラさんがカッと怒鳴った。

「セシル! 食堂を破壊する気かい! 力加減には気をつけな!」

「てへへ。ごめんなさぁい、噛まれてつい」

 なんて言いながらペロッと舌を出したセシルさんは、右手でグーを突き出していた。……どうやらこぶしで、マンドラゴラを殴って吹き飛ばしたらしい。

 私はぼとっと床に落ちたにんじんマンドラゴラの頭を落としながら、へこんでパラパラとちりを落としている壁を見つめた。

 ……さ、さすが「力:66」のセシルさん……!

 前に黒檀エボニーの机をバキバキに割ったって言っていたし、なんならマンドラゴラも素手で粉砕できそうだね……!?

 私が恐れおののいていると、セシルさんの明るい声が響く。

「ララちゃあん、マンドラゴラ退治、セシルも手伝おうかぁ?」

「だだっ、大丈夫です! お気持ちだけありがとうございます!」

 私はあわてて言った。

 いくらマンドラゴラとはいえ、全身粉砕されるマンドラゴラを想像したら少しかわいそうになってしまったのだ。それに粉砕されたら、多分浄化も大変になる……!

「はぁい。じゃあセシルはぁ、マンドラゴラが逃げないように見張ってまぁす」

「お願いします!」

 私は守りを任せると、また野菜の戦場へと戻った。

 といっても、ツドミムの畑と比べれば全然数は少ない。手早くぱぱっと片付けると、私はふぅ、と息をついて辺りを見回した。

「これで全部……かな!? 見落としがないようにしないと……」

「ララ! 厨房に一匹走っていったよ!」

 リナさんの声に、私は急いで厨房を見た。厨房の陰からちらりと見えたのは、オレンジ色の後ろ姿。

 もしかして、あれが見逃したマンドラゴラ!? 今度こそ仕留めなくちゃ!

 私はダッと駆け出した。

 すぐさま目的のマンドラゴラを、厨房の奥で追い詰める。

「今度こそ逃さない! あなたもここでおいしい浄化済みマンドラゴラになって──って、あれ……?」

 包丁を握って怖い顔で言った私は、目に飛び込んできたマンドラゴラの姿に目を丸くした。

 そこにいたマンドラゴラは、確かにマンドラゴラなのだけれど、他のマンドラゴラとは大きく様子が違っていたのだ。

 吊り上がった目──ではなく、涙でうるうると潤んだ大きな瞳。

 裂けて鋭い牙が覗く口──ではなく、両端を大きく下げ、おびえたような口。

 何より、人を見れば飛びかかってくるはずのマンドラゴラが、私を見て両手で自分の顔をかばっていた。

 その体は小さく縮こまり、怖がっているようにぷるぷると震えている。

「えっ……? これ、マンドラゴラ……だよね……?」

 予想外すぎる姿に困惑していると、怯えた様子のマンドラゴラから小さな声が漏れた。

「ぴきゅい……!」

 その声は高く細く、そして……なんか可愛かわいかった。

「えっ……!?

 私はたじろいだ。

 そのまま小さくぷるぷると震えるマンドラゴラが、ボロボロと涙をこぼし始める。

「ぴきゅ……ぴきゅぅぅ……

 その姿はまるで怯える子犬か子猫のようで──私はバッと手で口を押さえた。

 なななっ、何これ……!

 すっごく可愛い……!!

 どうしよう、こんなの……可愛すぎて切れないよ!

 私は頭を抱えた。

 マンドラゴラの思わぬ可愛さに動揺していると、リナさんとセシルさんがやってくる。

「ララ、マンドラゴラは全部やっつけたっぽいけど──ってなにこれめっちゃ可愛い!!

「なぁにぃこれぇ。超可愛いんですけどぉ」

「やっぱり可愛いですよね!?

 ふたりの言葉に、私はクワッと目をいた。

 よかった! 私の感覚が変なわけじゃなかった!

 ホッとしつつ、またマンドラゴラを見る。

 これ……他のとだいぶ違うけど、多分マンドラゴラだよね……?

 おそるおそる手を伸ばしてみると、気づいたマンドラゴラがビクッと身をすくませる。

「ぴきゅ……!? ぴきゅう……!!

 その上さらにガタガタと震え始めるものだから、なんだか私がこの子をいじめている気分になってきた。

「だっ、大丈夫だよ……怖いことはしないよ……多分……」

 言いながら、私はまた頭を抱えた。

 どうしよう、これ!?

 きっとこの子から感染が広がったんだろうし、ここは頭を落とした方がいいんだよね……!?

 でも……でも、こんな可愛くて怯えている子の頭を……切るの!?

 私がぐるぐる悩んでいると、様子がおかしいことに気づいたドーラさんもやってくる。

「どうしたんだいララ。最後の一匹なんだろう? 早く倒しちまいなよ」

「でっ、でもドーラさん、この子……!」

 私が言いながら震えるマンドラゴラを指さすと、ドーラさんも目を丸くした。

「おやまぁ……! ずいぶん可愛い顔のマンドラゴラもいたもんだねぇ。でもその子、放っておいたら危ないんだろう?」

「で、ですよね……」

 ……そう、マンドラゴラは危ないのだ。

 いくら私が《浄化》できるとはいえ、王都にマンドラゴラ病を広げるわけにはいかない。ここは心をオーガにして……。

 私は歯を食いしばり、ぎゅっと包丁リディルさんを握った。

 そして、マンドラゴラと見つめ合う。

「ぴきゅう……」

 縮こまって震えるマンドラゴラの潤んだ瞳から、またぼろりと大きな涙の粒がこぼれた。

 ~~~っ!!

「あああっできない! できませんんん!!

 私はリディルさんを握ったまま、ガクッとその場に崩れ落ちた。

「あ、あんないたいけな子を切るなんて……ドーラさん、私にはできないです……!」

「そうだよドーラママ、あの子泣いちゃって超かわいそうじゃん」

「なんか害はなさそうじゃなぁい?」

 同じくマンドラゴラの可愛さにやられたリナさんとセシルさんが加勢してくれる。それを見て、腰に手を当てたドーラさんがあきれた顔で言った。

「あんたたちねぇ……可愛い魔物が一番危なかったりするんだよ。こっちの油断を誘っておいて、後ろからぶすり! みたいなのはよく聞く話だろう?」

「うぅっ……確かに……」

「そんなに可愛いんなら、指を差し出してごらんよ。あたしの予想だと、がぶっと噛むか、逃げるかだと思うけどねぇ。そしたら頭を落としな」

 ドーラさんの言葉に、私はこくりとうなずいた。

 そうだよ……マンドラゴラを放っておくのは危ない。それに今は可愛い姿だけれど、本当はやっぱり凶暴なマンドラゴラかもしれない。

 だから私の指をがぶっとやったり、逃げるそぶりを見せたら、その時は潔く切るんだ!

 これは決していじめているわけじゃない。王都の食の安全を守るためなんだ……!

 心の中で色々言い訳しながら、私はそっと左手の人差し指を差し出した。

 さぁ、噛んで……!

 お願い……早く……早く噛んで! じゃないと切れないよぉ!!

 そんな私の願いが届いたのか届かなかったのか、怯えるマンドラゴラは近づいてきた私の指を見ると──。

 ぎゅっと、ちいちゃなおててで、私の指を抱きしめたのだった。

「ああああ無理ですぅ!! 私には切れませんん!!

 私は泣きながらその場に崩れ落ちた。

 後ろからキャアアアッ! とリナさんとセシルさんの悲鳴のような声があがる。

「なにあれ!? ララの指を抱っこしてるの!? 超カワイイんですけどっ!?

「ねぇ見てぇ! 顔、すりすりしてるぅ!」

 ふたりの言う通り、マンドラゴラは私の指をぎゅっと抱きしめたまま、まるでほおずりするように泣きながら頬をこすりつけていたのだ。

 その姿は弱々しくいたいけで、頭を落とすどころか、私が守ってあげなくちゃ! という気持ちにさせられる。

 さらに右手も伸ばすと、差し出された手のひらに、マンドラゴラはぴょんと飛び乗ってきた。もちろん、左手の人差し指を大事そうに抱えたまま。

「おやまぁ……。擬態もここまで来ると、本物みたいだねぇ……」

「ママ! こんなの擬態じゃないよ! だって本気で震えているよ!」

「そうだよぉ、警戒しすぎだよぉ」

 気づけばリナさんとセシルさんまでもが、泣きながらそう言っている。完全にマンドラゴラに感情移入していた。

「あんたたちねぇ……。でも、確かに擬態にしては完成度が高すぎるし、逃げないあたり変だねぇ……。もしかしてこの子だけ、こういう変異種なのかい?」

 言いながら、ドーラさんも困ったように首をひねる。

 私は目に涙をめ、必死になって頼み込んだ。

「ドーラさん……この子、ひとまず様子を見ちゃダメですか……!? 私、この子が感染を広げないようしっかり見張るので! 万が一感染させたら、全部浄化しますから!」

 考えが甘いと言われてもいい。それでも、手の中で震えるこのいたいけな生き物を切るのは、私にはできなかった。

「お願いママ! あたしからも頼むよ!」

「ママおねがぁい! こんな可愛い子、いじめないでぇ!」

 みんなに懇願されて、ドーラさんは大きくため息をついた。

「まったく、しょうがないねぇ……。ただし、何かまずいことが起きたら、すぐに頭を落とすんだよ! さまにご迷惑をおかけしないよう、そこだけ徹底しな!」

「はいっ!」

「やったぁ!」

「ありがとママ!」

 私たちは抱き合って喜んだ。

 私の手の中でマンドラゴラは相変わらず震えているし泣いているけれど、ひとまず命は助かったらしい。

「ねぇララ、この子に名前つけてあげようよ!」

「マンドラゴラってぇ、呼びにくいもんねぇ」

 確かにそれもそうだ。

 私は首を捻らせた。

「そうですね……うーん。どんな名前がいいんだろう……」

「マンドラゴラだからマンちゃん? ゴラちゃん?」

「なんかそれ可愛くなぁい。にんじんだし、キャロちゃんはどぉ?」

「キャロちゃん! 可愛いですね! 短くて呼びやすいし!」

「オッケ! んじゃこの子はキャロちゃんってことで!」

「よろしくねぇ、キャロちゃん」

 私は手の上で震えるマンドラゴラに向かって、そっと呼びかける。

「今日からあなたのこと、キャロちゃんって呼びますね……!」

 震えていたマンドラゴラが、ゆっくりとこっちを見る。それからおそるおそるといった様子で小さく鳴いた。

「ぴきゅ……?

 こうしてれべるあっぷ食堂にまたひとり(?)、新たな仲間が増えたのだった──。