「あそこがエイズワースの屋で、隣接しているのがトリンドルの武器屋と防具屋。それからこっちの通りにあるのが、こなひき屋とパン屋だ」

 大通りでフィンさんの説明を聞きながら、私はふんふんとうなずいた。

 そばではすれちがう女性たちが、ポッとほおを染めてフィンさんを見ている。

 ……その気持ち、わかるなぁ。

 だって、今は私に合わせて軽装に着替えているけれど、それでもフィンさんから漏れ出るオーラはすごいのだ。《剣聖》のスキルを持っていると言ってたから、本当にスキルのオーラが漏れちゃっているのかもしれない……。

 ──私は今、『れべるあっぷ食堂』開店準備の間を縫って、フィンさんとともに王都ヘシトレの街中に繰り出していた。フィンさんが、

「これから都で生活をするなら、色々知っておいた方がいい。案内しよう」

 と提案してくれたので、ありがたく甘えさせてもらったのだ。

 実際ドーラさんは足が悪いし歩き回らせるのも申し訳ないと思っていたから、私がしっかり覚えておつかいができるようにならなくっちゃね!

 私はフィンさんが指し示してくれた店をじっと見つめた。

 えっと……開け放たれた扉からカーンカーンというかなづちの音が聞こえるのが鍛冶屋さんだよね? 武器屋さんと防具屋さんは用がないと思うんだけど、鍛冶屋さんの場所は一応チェックしておかなくっちゃ。万が一リディルさんに何かあった時に駆け込めるのは、きっと鍛冶屋さんだもの。

 それから反対側の通りにある粉挽屋さんとパン屋さんを見る。

 ふたつの店はどちらも最近、商人のヤーコプさんに仲介してもらって契約を交わしたばかり。この粉挽屋さんから小麦粉を仕入れ、パン屋さんには毎日パンを配達してもらうことになっている。

 私が両方のお店に行って軽く挨拶を済ませると、今度はフィンさんが少し離れたところにある細い路地を指しながら言った。

「この辺りだったらひとりで歩いても問題ないが、あそこから向こうには行かない方がいい。こことはがらりと雰囲気が変わる。もしどうしても用事がある時は、必ず私を呼ぶように」

「フィンさんを……ですか……?」

 私はまじまじとフィンさんを見た。

 運よく知り合えてとても親切にしてもらっているけれど、フィンさんは聖騎士団の団長さんなのだ。こうして案内してもらっているだけでもすごくありがたいのに、そんなに甘えてしまっていいのだろうか。というかすっごく忙しいんじゃ……。

「あの、フィンさんは団長さんなのですから、私がそんなに軽々しく呼んだらご迷惑になるのでは……」

 そう聞いた途端、なぜかフィンさんがすごくうれしそうな顔でニコッと笑った。

 輝く笑顔はペカーッと音が聞こえそうなほどまばゆく、私は思わずうっと顔を覆いそうになる。通りにいる女の子たちからも、キャーッと黄色い悲鳴があがっていた。

「それが、実は仕事としてこの辺りに通うことになったんだ。なんなら近くで、家でも借りようかと考えている」

 えっ!? 家まで借りるんですか!?

 どんなお仕事かはわからないけれど、思ったよりも本格的に腰を据えるつもりなんだ!

「だからララは遠慮なく私を呼んでほしい。騎士としての務めだけではなく、友人として君の力になりたいと思っている」

「フィンさん……! ありがとうございます!」

 友人だなんて嬉しい! 村の人たち以外で友達って初めてだ!

 本当にフィンさんにはずっと助けてもらってばかりだから、私もごはんで恩返ししていけたらいいなぁ。

 嬉しくてるんるん歩いていると、ふいにお肉の焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。反射的にくんくん、と匂いを嗅ぎ、少し歩いた先に串焼きの屋台が出ているのを見つける。

 わぁっ! 串焼き屋だ!!

 私は口から出かけた声を飲み込み、代わりに目をらんらんと輝かせた。

 実家のある村では、屋台といえばお祭りの時だけ出る催しものだった。でも料理はどれもお祭り価格で高くって、貧乏な我が家には到底買える代物じゃなかったの。

 お父さんがまだ健在だった頃に一度だけ串焼きを買ってもらったんだけど、スパイスがたっぷりのラム肉、すごくおいしかったなあ……!

 せめて匂いだけでもめいっぱい吸っておこう……。

 と思って私がひそかにくんくんしていたら、隣でふはっ、と笑う声が聞こえた。

 見ると、フィンさんが口を押さえてくつくつ笑っている。

「……も、もしかして、バレてました……?」

「いや、すまない。気づかないふりをしようと思っていたんだが、その……突然あまりにも素早い動きで屋台の方を向いていたから……」

 私はかあぁぁっと顔が赤くなった。

 は、恥ずかしい……! 私、そんな風になっていたなんて!

「すみません、はしたないですよね……!」

「大丈夫だよ。ある意味君らしい。それよりもせっかくだから、屋台で何か食べていこうか。見てごらん。昼どきだから色々な屋台が出ている」

 言われて私は気づいた。

 通りには串焼き屋だけではなく、ホットワイン屋や出張パン屋といった様々な屋台が並んでいる。あの浅いお鍋にのっている黄色いお米は……もしかして前に教えてもらった、パエージャパエリアのお店かな!?

「すごい。今日はお祭りか何かなんですか? こんなにたくさん!」

「毎日ここに来るわけじゃないが、どの通りもごはんどきは大体こんな感じだ。固定の店を持たず、屋台だけを出す人も多い」

 フィンさんいわく、この街では最初に屋台から始めて、お金がまったら念願の店を構える人たちが多いのだという。ドーラさんももしかしたら、そういう風に食堂を始めていたのかもしれない。

「そう考えると、未経験だったのに最初からお店に立たせてもらえる私は幸せものですね! ドーラさんがいなかったら、きっとあのままウェイトレスをやっていたと思いますし」

 聞けば、ドーラさんも最初はをたどって料理人を探していたらしい。

 けれど『花の都亭』が開店したことでこの辺りの料理人は皆雇われてしまった上に、フィリッツさんがいた頃の『れべるあっぷ食堂』の評判を落とすのが怖い、という理由で誰にも引き受けてもらえなかったそうだ。

 そこに折よく現れたのが私で、聖騎士団の紹介なら! とわらにもすがる気持ちで声をかけてくれたのだとか。

「それは……実はお互い様だと思うな」

「え?」

「ドーラさんもまさか、ララみたいないい人材を捕まえられるとは思っていなかっただろう。明るくて優しいし、何より……」

「何より?」

 だがそこで、私のお腹が盛大にぐごぉぉおおお! と鳴った。

 それはもう、巨大なヒキガエルの魔物、ジャイアントトードの鳴き声と聞き間違えるくらい、盛大に。

「……」

「……」

 私の顔が再び真っ赤になる。

 ……せ、せめてもうちょっとこう、「きゅるる☆」みたいな、可愛かわいい音だったら……!

 隣のフィンさんは笑わないよう必死にこらえていたけれど、でもちょっとだけ漏れている。

「ふ、ふふっ……。話はあとにして、そろそろごはんを食べに行こうか。私がおごるから、屋台の食べ歩きでもしよう」

「いいんですか!? ありがとうございます!」

 よかった! 実は本当にお腹がぺこぺこだったの!

 私は遠慮することも忘れて、ダッと屋台に駆け出した。

 後ろから、ニコニコしたフィンさんがついてくる。

「ああ、なんでも好きなものを好きなだけ食べてくれ。君がよく食べるのはもう知っているから、遠慮しなくてもいい」

 み、見透かされている……。

 それはそれで嬉しいような、恥ずかしいような……。

 複雑な気持ちになりつつも、私は串焼き屋のおじさんからそっと串焼きを受け取った。

 スパイスがたっぷりかかった肉厚のラム肉は見るからにおいしそうだ。独特の匂いを胸いっぱい吸い込んでから噛むと、スパイスの風味とともにじゅわっと肉汁が口の中に広がる。

「ん~~~おいしい! これですよこれ!」

 昔お祭りで買ってもらった串焼きの味が、一瞬で口の中に蘇る。それはとってもおいしくて、そして幸せな味がした。



「よし! いよいよ、今日が開店日ですね!」

 朝。私とドーラさんは顔を見合わせながら、緊張した面持ちでうなずいた。

 ちゅうぼうには商人のヤーコプさんから仕入れた食材がどっさりと積み上がり、オーブンや大鍋には朝から仕込んだ食材や料理が出番を待っている。

 《浄化》スキルで掃除した食堂内もピカピカだし、あとはここにお客さんを迎えるだけ!

 私はぎゅっと手を握った。

 実家で料理を作ったり、聖騎士団で料理を作って食べてもらったりはしたけれど、最初から「料理を売る」という前提で作るのは初めてだ。お金をもらうことで急に責任が重くのしかかってきた気がして、私はドキドキした。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよララ。毒でも入れない限り、多少やらかしちまってもなんとかなるさ。死ぬわけじゃあない」

 ぽんぽんと私の背中をたたきながら、ドーラさんが励ましてくれる。

「そ、そうですよね! ……それで思い出したんですが、念のため《鑑定》で、料理が毒になっていないか確認してもいいですかね!?

「驚いたねえ。お前さん、そんなことまでできるのかい?」

 この数日でドーラさんにはリディルさんのことを色々と話したから、最近は何を言ってもすんなり受け入れてくれるようになった。

 フィンさんにもついに話せたし、テオさんたちにもフィンさんから伝えておいてくれると言っていた。だからみんな、私がひとりごとを言っているわけじゃないってわかってくれるはずだ!

「おっと。話しているうちにそろそろ時間だね。それじゃ、店を開けようかね! 『れべるあっぷ食堂』の再始動だよ!」

「はい!」

 私はドーラさんが用意してくれた、「営業中」と書かれた看板を持ち上げると、外に向かって歩き出した。店の前に置くことで、再開したと知らせるのだ。

 カランカラン、と鈴をくくりつけた扉を開けたところで、ちょうど向こうからやってくる見慣れた顔ぶれが見えた。──フィンさんたち、聖騎士団の面々だ。

「おう! ちょうどいいタイミングだな嬢ちゃん!」

 遠くからでも聞こえるのは、間違いなくテオさんの声。

「皆さんおはようございます! 今日から『れべるあっぷ食堂』の再始動です!」

 テオさんに負けじと声を張り上げる。そうすると、本当に今日から開店するんだ! という実感がじわじわ込み上げてきて、私も気合が入る気がした。

「おはようララ。あまり大勢で押しかけてもよくないと思って全員は連れてこなかったが、明日以降も皆で来るつもりだ」

 爽やかな笑みを浮かべるフィンさんの横で、ラルスさんがふぃーっと息を漏らしながら言う。

「どうなるかと思ったっスけど、自分、じゃんけんになんとか勝ててよかったっスよ」

「フィンだけずるいよなぁ、団長特権とか言って、自分はじゃんけん免除なんだから」

「じ、実際団長なんだから仕方ないだろう」

 話を聞く限り、どうやら、今日はじゃんけんで来る人を決めたらしい。

 ごほん、とせきばらいするフィンさんに、テオさんとラルスさんがじとーっとした目を向ける。

 私はにこにこしながら、食堂の扉を開けた。

「皆さん、本当にありがとうございます! 今日来てくれただけでも嬉しいのに明日もだなんて……さあ、どうぞ中へ!」

 案内されるまま、騎士さんたちがぞろぞろと食堂内に入る。

 ぴかぴかになった店内を見て、真っ先にテオさんが声をあげた。

「おおっ! これがばあさんとララの城か! 結構いいところじゃねえか」

「こらっ! ばあさんなんて呼ぶな! あたしにはドーラって名前があるんだよ!」

「いてっ!」

 ドーラさんにつえでコツン、と頭を叩かれたテオさんを見て、フィンさんが笑う。その横ではラルスさんもきょろきょろと食堂を見回している。

れいなところっスね! カーテンで仕切っているのは人数制限っスか? フィンさんの言う通り全員で来なくてよかったっスね。この規模だと聖騎士団だけで埋め尽くしちゃうところだったっス」

「さぁさお前たち、話すのもいいが、ここは食堂なんだ。何か食べていっておくれよ。うちのララがおいしいものを作るからね!」

「おお、そうだったそうだった。これがメニューか?」

 パンパンと手を叩くドーラさんにうながされて、テオさんたちがガヤガヤと席につく。私が厨房から板に書かれた小さなメニューを持ってくると、みんなが一斉にのぞき込んだ。

「やっぱ男は朝から肉だよな。俺はこの『頑固ステーキ』で!」

「なら、私は『フラットブレッドのサラダ巻き』をいただこうかな」

「自分は……『バターミルクビスケットの蜂蜜がけ』にするっス」

 ラルスさんの注文に、テオさんがくわっと目をく。

「ミルクビスケットぉ!? お前は赤ちゃんか!」

「それのどこが悪いんスか。自分が赤ちゃんなら、テオさんは野獣スね」

「がっはっは! いいじゃねえか野獣! 赤ちゃんなんかひとのみでちゅよ~」

「こら、お前たち。いきなり騒がしくするな」

 やれやれという顔で仲裁するフィンさんの顔を見ながら、私は他の騎士さんの注文も小さな黒板にメモして厨房へ行った。

 よし、れべるあっぷ食堂最初のごはん、がんばって作るぞ!

 トントントントントントン、という包丁の音に、ジュージューと焼くフライパンの音。その間に他の材料を混ぜたり、時間を計ったりと座ってできる仕事はドーラさんにお願いしている。

 ふぅ……! やっぱり並行して違う料理をいくつも作るとなると大変だな。

 私は頭の中で順序だてながら、効率よく動ける最善の方法を選んでいく。

 そんな中、ふと気づくと、聖騎士団の人たちが首を伸ばしてじぃっと私のことを見ていた。……ううん、私じゃなくて、包丁を見ているのかな?

「あっ、もしかしてフィンさんからリディルさんのことを聞きましたか?」

 にこにこしながら、私はスッとリディルさんを構えた。

 途端に、「おお、これが!」とどよめきがあがる。

 ふふ、リディルさんは綺麗な上にすごい包丁だから、皆さんが驚くのも無理はない。

「おっ、おう……! これが聖け……じゃなくて、ララちゃんの包丁なんだな!」

「いやぁ、なんかその、まさかのそれが聖け……じゃなくて、綺麗な包丁っすね!」

 珍しくラルスさんもテオさんも歯切れが悪い。

 さらに、ぼそぼそとこんな会話も途切れ途切れに聞こえてくる。

「おい……! ラルスお前、いつも嬢ちゃんのそばで料理していたじゃないか……なんで気づかなかったんだよ……!」

「そ、それは……その、あんまりちゃんとそういう勉強してなかったっスから……ていうかテオさんだって人のこと言えないっスよね!?

「お、俺はいいんだよ俺は……! だって肉体派だからよぉ……」

「そんなの……言い訳になってないっスよ……」

「そうだぞふたりとも……。聖騎士団に所属しているのに……聖剣の形を覚えていないなんて……いや私も気づくのが遅くなったが……」

 ボソボソ、ボソボソ。

 聞こえてくる会話が気になって私は顔を上げた。

「あ、あのう……もしかして私が何かご迷惑を……」

「いや! ララは気にしないでくれ!」

「何でもない! 何でもないんだ嬢ちゃん!」

「そうっス! 大丈夫っス!」

 戸惑ってドーラさんの方を見ると、いつの間にかドンッ! と腕を組んでいたドーラさんが力強く言った。

「ララ、世の中には知らない方が幸せなこともあるんだよ!」

 えっ。それってどういう……。

「それよりも、料理から目を離してもいいのかい!?

 言われて私はハッとした。そうだ、今は目の前の料理に集中しなきゃ!

 私はてきぱきと料理を仕上げ、そして多少順番が前後しながらも、なんとか全部の料理をテーブルに並べることができた。あんで、ほっとため息が漏れる。

 今日皆さんにお出ししたのは、クレープのように薄く焼いた生地で野菜を包んだ『フラットブレッドのサラダ巻き』に、特製ソースをかけた『頑固ステーキ』。それからサイコロのように真四角で、コロコロした形の『バターミルクビスケットの蜂蜜がけ』だ。

 目の前では早速、フィンさんたちが食べ始めている。

「なるほど。フラットブレッドで野菜を巻くと、手が汚れなくて食べやすい。書類仕事をしながらでも食べられそうだな……」

「んん、うめぇな! 結構いい肉使ってるじゃねーか!」

「サクサクの生地に、染み込んだ蜂蜜がたまらないっスね~」

 ……よかった! 他の騎士さんたちも、みんなおいしそうに食べてくれている。

 ちゃんとおいしい料理を出せたことにほっとしていると、不意にむっすりとしたリディルさんの声が聞こえた。

『……ララ、わたくしもあれを食べたいのですが』

 あっ、しまった! 私が食べていない時は、リディルさんも食べられないんだった! とはいえさすがにお客さんのごはんを食べるわけにもいかないし……。

「ごめんなさいリディルさん、お昼休憩になったら私も食べるので……!」

『お昼? ではお昼になったら、あれらの料理が全部食べられるのですか?』

「ぜ、全部ではない、かも……。一種類だけじゃだめですか……!?

『……』

「リディルさん……?」

…………

「あ、あの~、リディルさ~ん……!」

………………

 無言が怖い。

 それからたっっっっっっぷりの間を空けてから、ハァア……という特大のため息をついたリディルさんが言った。

『……しょうがないですね。なら一種類で我慢してあげましょう。ではわたくし、あれがいいです。バターミルクビスケット』

「わかりました! ビスケットですね!」

 一種類しか食べられない代わりに、蜂蜜はたっぷりかけてあげよう……!

 そう思っていると、テオさんが一瞬でステーキを食べ終わったらしい。他のみんながまだ食べている中、テオさんだけが席を立ち上がる。

「よしっ、食べ終わったし……いっちょやるか!」

「やるとは?」

「何をでしょう?」

「なんか……嫌な予感がするっス」

 みんなが不思議そうな顔で見つめる中、テオさんは何も言わずのっしのっしと食堂の外に出ていった。

 かと思うと──。

「おう! 早速、客を捕まえてきたぜ!」

 言いながら、見知らぬ男性をひとり、肩にかついで戻ってきたのだ。

「えええ!? テオさん何やってるんっスか!?

「テオ!?

「テオさん!?

 仰天する私たちに向かって、テオさんはけろりとした顔で言う。

「ん? 何って、新規客だが? 近くに住む人たちにも、ララのメシのおいしさを知ってもらわないといけないだろ?」

「それはそうだが、だからって力ずくで捕まえてきてはいけないよテオ。仮にも我々は聖騎士団なんだから……!」

「別に力ずくじゃねーよ? 店の前でうろうろしていたから運んでやったんだ。そうだよなぁ?」

 と言いながらかついでいた眼鏡の男性を下ろし、嬉しそうな顔でバンバンとその肩を叩く。

 一方、眼鏡をかけた細い男性は、テオさんに肩を叩かれるたびに、どんどん地面にめり込んでいくようだった。

 見た目は二十歳ぐらいだろうか? 何度も繰り返し着て裾が擦り切れた服に、斜めがけの大きなかばん。青年はボソボソとした声でしゃべった。

「あ、あの……はい、仕事の前に食事をとらねばと思っていたところで……あの、この方に運んでいただきました」

「この人、テオさんに無理やり言わされてないっスか? あんたも嫌だったら逃げて大丈夫っスからね?」

「そうだ。テオは私たちが止める。君の安全は保証しよう」

「おいおいおいおい。俺を魔物か何かだと思っていないか?」

「違うんスか?」

 そのやりとりに私は思わず噴き出した。

「ご、ごめんなさい。笑っちゃいけないのについ……フフッ。あの、大丈夫ですよお客さん。食べたいならどうぞ席に、今日は違うならまた別の日にでも」

 声をかけると、背中を丸くした青年はズレた眼鏡を直しながら、何も言わず席に座った。

 それを見たテオさんが自慢げに言う。

「ほら、やっぱり客じゃねーか」

「大丈夫っスかね。おびえてるだけなんじゃ……」

「とりあえず様子を見ようか」

 私はメニューを取ると、青年に差し出した。

「こちらが朝のメニューになります」

「……ではあの、『頑固ステーキ』と『フラットブレッドのサラダ巻き』と『バターミルクビスケットの蜂蜜がけ』で」

「うおっ!? 兄ちゃんそんな細身なのに、よく食べるねぇ!」

「こらテオ。ここは酒場じゃないんだから、絡むのはやめなさい……」

「そっスよ。いいご迷惑っスよ。あんたも嫌なら言ってくださいね。すぐテオさんをつまみ出しまスんで」

「いえ……。にぎやかなのは慣れているので大丈夫です」

 無表情のまま、青年がボソボソと言う。

 この人、誘拐同然で連れてこられたけど、意外と肝は据わっているみたい……?

 私は急いで注文の料理を作ると、青年に出した。

 彼はみんなが見守る中、まず無言で『頑固ステーキ』をひとくち食べ──。

っ……!?

 カッと、大きく目を見開いた。

 ……だ、大丈夫かな。何か苦手なソースだったのかな……!?

「おい。味はどうなんだ兄ちゃん。うまいだろ? うまいよな?」

 そう言うテオさんの声に、しかし青年は答えない。

 代わりに、カツッカツッ! と音を立ててフォークとナイフを動かし、すごい速さで食べ始める。

 ひゅんっ、もぐもぐ。ひゅんっ、もぐもぐ。

 一瞬で口の中にステーキが吸い込まれたかと思うと、次に野菜を巻いたフラットブレッドもすさまじい速さで平らげられる。

 ……あれ、このパターン、このあいだ見たばっかりなような……。

 私はこっそり、シチューを食べる白い女神様の姿を思い浮かべていた。すると、

『……ゴホン。ララ、わたくしはあんな風に、はしたなく食べてはいませんよ』

 と不満げなリディルさんの声が聞こえた。

「どうやら……気に入った……ようだな?」

「まあ、すごい勢いで食べてるっスからね。気に入ったんじゃないっスか?」

「うまくて言葉も出ないってやつか! わかるぞ~。うまい料理をもくもくと食べたい時も、あるよな!」

「え。テオさんにもそんな時あるんスか? てっきり黙ったら死ぬのかと思ってました」

「お前なあ……」

 そんな会話にも動じず、青年は最後のビスケットを一個まるごとごくんっと飲むようにして食べたかと思うと、席を立ち上がった。

「……あ、あの、おいしかったです。これ、お代……」

「あいよぉ。まいどあり!」

 そして会計係のドーラさんにお金を支払った途端、さっさと食堂を出ていってしまう。

 あまりにも速い一連の動きに、テオさんが目を丸くした。

「おわっ。あの兄ちゃん、食べるだけ食べて一瞬で消えちまったな……」

「仕事前だと言っていたからな。急いでいたんじゃないか」

「その割にはよく食べてたっスねー。自分たちですら朝からあの量、いけるか怪しいっスよ」

「でも、いい食べっぷりでしたね」

 私はにこにこしながら言った。

 豪快な食べっぷりからは、何も言わずとも「おいしい」という気持ちが伝わってくる。言葉で褒めてもらうのももちろん大好きだけれど、口に出さずとも、行動で伝わる無言の賞賛も好きだった。

 かつて、リディルさんが無言でシチューを食べていた姿を思い出して、私はまた微笑ほほえんだ。

「ふふっ」

『ララ。その笑いは何ですか。わたくしはあなたとつながっているからわかっていますよ。今、わたくしのことを笑っていたでしょう』

「思い出していたんです。リディルさん、可愛いなあって」

『かっ……かわいい……!? わ、わたくしは高貴なる剣の女神であり、可愛いなどという言葉は……!』

「もしかして嫌でしたか? ごめんなさい……これからは言わないように気をつけますね……」

 私がしゅんとすると、あわてたようにリディルさんの声が響く。

『いっ、嫌ではありませんよ。少し驚いただけで……別に今後もかわいいと言っても構いませんが?』

「そうなんですか? よかった──」

 そこまで話して、私はハッとした。

 また、騎士団のみんながじっ……と私を見ていたのだ。

「あああ、あの、違うんですよ。これはひとりごとじゃなくて……!」

「大丈夫だララ、みんなわかっている」

「リディルってぇ女神と……会話しているんだろ?」

 フィンさんとテオさんの言葉に私はほっとした。

「はい! リディルさんとお話ししていました! リディルさん、とっても可愛いんですよ!」

「……じゃあやっぱララさんのその包丁、聖剣──じゃなかった、アレで間違いないんでスね……」

「ああ、アレで間違いない……」

「いやー信じられないな。本当にアレだなんてなぁ……」

「結局、はなんて言ってたんスか?」

「しばらく様子見だ。誰もどうしたらいいのか、皆目見当がつかなかったからな……」

 ……また、ボソボソ話している……! 様子見って、何をだろう……。

 さっき一瞬聞こうとしたんだけれど、ドーラさんにキリッとした顔で『知らない方が幸せなこともあるんだよ!』と言われたから、多分、聞かない方がいいんだよね……?

 気になりながらも、私は知らないふりをした。私だって、空気を読める大人なんだから……!

 そこへ、見知らぬ三十代くらいの男性が食堂に入ってくる。

「こんにちは~。店、もう開いてます?」

 お洒落しゃれな帽子をかぶった男性はしわのない綺麗な服に、ぴかぴかの靴を履いている。……お役人さんかな?

「おや、これは久しいね。代書人じゃないか。奥さんの愛妻弁当はどうしたんだい?」

 代書人とは、公的な文書を代わりに書いてくれる人のことだ。とにかく実入りがいい仕事だと聞いたことがあって、実は私も前に調べたことがあったの。

「何を言っているんですか。今日は『れべるあっぷ食堂』の再始動日でしょう? これでも祝いに駆けつけたつもりなんですよ」

 言いながら、ニコニコした顔で席に座る。どうやら、ドーラさんの古いみらしい。

 彼は『フラットブレッドのサラダ巻き』を注文すると、ドーラさんと話しつつひと口食べた。

 途端に、ちょびひげをつけた細長い顔がぱっと輝く。

「……おや、これはおいしいですね!」

「そうだろうそうだろう。あたしもメニューに載ってるものは全部味見したが、このお嬢ちゃん、なかなかの腕前をしているんだよ」

 紹介されて私は照れたように微笑んだ。

 そんな私を、代書人さんが興味深そうに見つめる。

「へぇえ……失礼ながら、今回も付き合いで来ただけで、正直そんなに期待していたわけじゃなかったんですが」

「あんた……相変わらずずいぶんはっきり言うねえ。ま、それがあんたのいいところだけど」

「だけど、サラダ巻きを食べてみて驚きましたよ。中に入っているビネグレットソースの、ちょうどいいすっぱさと爽やかさといったら! これがなんともま~野菜のシャキシャキ感を引き立てている! フィリッツさんの味とは少し違うけれど、これはこれで、新・れべるあっぷ食堂の味として大変いい!」

 興奮気味に語る代書人さんにドーラさんが笑う。

「あんたも相変わらず食に関してはあたしよりよっぽど博識だ」

 私も言った。

「全部フィリッツさんの残したレシピのおかげなんです。ドーラさんが見せてくれて」

「いやいや、謙遜しなくていいですよお嬢さん。レシピがあったところで、作り手が変われば味も変わるというもの。そして濃すぎず薄すぎず、かといって大雑把なわけでもなく、ここぞな味付けになっているのは、あんたの舌とセンスがあってこそなんだ」

 大声で言われて、私はますます照れた。

 おや? という顔でドーラさんが目を丸くする。

「ずいぶんとべた褒めじゃないか。ダメだよ、ララが可愛いからって変な気を起こしたら。あそこにいる騎士たちにばっさり斬られるぞ」

「ちっ違いますよ! そんな奥さんにバレたら殺されるようなこと──じゃなかった、お尻の毛までむしられるようなこと、できませんって……!」

 どうやら、代書人さんにはなかなか強い奥さんがいるらしい。

 ひとしきりドーラさんにからかわれた後、彼は帽子を手に席を立ち上がった。

「いやぁ、今日はいいもの食べさせてもらいました。心なしか体まで軽い。一日仕事がはかどりそうだ。ドーラさん、ララさん、またちょくちょく『れべるあっぷ食堂』に来させてもらいますよ! 怪しまれないよう、奥さんも連れてきますからね!」

 そう言って散々私の料理を褒めた後、上機嫌で店を去っていく。

 その後も、店の扉が開いているのに気づいた通行人がちらほらと店に入ってくる。代書人さんのようにドーラさんの顔見知りもいれば、初見のお客さんもいた。

「よかったな、ララ。初日にしてはまずまずの盛況じゃないか?」

 穏やかに微笑むフィンさんに、私も微笑み返す。

「はい! これも皆さんが協力してくれたおかげです、ありがとうございます!」

「他のお客さんの邪魔になってもいけない。私たちはそろそろ撤収するよ」

「つっても明日もまた来るけどな。じゃんけんに勝った奴が」

「はい! お待ちしています!」

 ぞろぞろと席を立つフィンさんたちを見送って、私はまた厨房に戻った。

 食堂内を見渡すと、数は決して多いわけではないものの、まだまだお客さんは残っている。

 彼らとは初対面だけど、皆お客さんとしてこの食堂に来てくれているのだ。

 ああ、私本当に料理人をしているんだ……!

 その光景にジーンとしていると、隣では同じように目を潤ませたドーラさんが食堂内を見つめていた。

「ドーラさん?」

「ああ、いや……すまないね。こうしてまた、『れべるあっぷ食堂』にお客さんが座っているのを見ると……としもなく、胸が熱くなっちまってね……」

 ドーラさんもきっと、大事な大事な『れべるあっぷ食堂』にお客さんがいるのが嬉しいのだろう。その感動が伝わってきて、うっかり私まで涙ぐみそうになった。

 とはいえまだ食堂は始まったばかり。これから先、もしかしたら困難だって待ち受けているかもしれない。でもドーラさんの大事なれべるあっぷ食堂を守るために、私は私にできることをするだけ!

 私はむんっとそう気合を入れた。それから次の料理に取り掛かるため、野菜を切ろうとした時だった。

『ぱぱぱぱーん』

 というリディルさんの淡々とした声がしたのだ。

『おめでとうございます、ララ。レベルアップして、スキルポイントが9まりましたよ』

「えっ! いつの間に!?

 そういえば今日は、開店してから何度かこの音を聞いていたような……。やっぱり一日中料理するってなると、たくさん経験値も溜まるみたい。

「でも、スキルポイント9ってことは……」

 私は目を輝かせた。

 《塩生成》はスキルポイント1。その次にあるのはまだ未収得のスキルポイント3の《しょう生成》。さらにその後ろには、スキルポイント6の《プロテイン生成》があった。

 つまり一気に《胡椒生成》と《プロテイン生成》のふたつを取れるのだ! 私は早速、仕事が終わったらリディルさんにお願いしようと決意した。


「──初日にしてはよくがんばった方なんじゃないか。この調子なら店は続けていけそうだねぇ」

 その日の夜。『れべるあっぷ食堂』の営業を終え、片付けも終えた私とドーラさんは、今日の売り上げを前に座っていた。ドーラさんがお金を数えながら、せっせと帳簿? というものに書き込んでいる。

「今日の売り上げはこれで全部か……。じゃあララ、これがお前さんの賃金だよ」

 言いながら、テーブルにのせられた半分のお金をずいっと私の方に押し出してくる。

「だっ、だめですよドーラさん!」

 私はあわてた。

「私、知っているんですよ! 食材にかかったお金とかの分、ドーラさん抜いてませんよね!? このお金をそのまま半分こしたら、ドーラさんの手元に全然お金が残らないじゃないですか!」

「おや、気づいてたのかい」

 ぺろりと舌を出しながら、ドーラさんが茶目っ気たっぷりに言う。

「いいんだよ。経費はちゃんとあたしの分でまかなえているし、それ以外のもうけがあれば十分なんだ」

「でっでも……家だってただで住まわせてもらっているのに……!」

「でもはいいっこなしだ。それに、ララがやっているのは食堂の料理人だけじゃないだろう?」

 言われて私は眉を下げた。

 確かに、ここに来てから私は自分とドーラさんの食事作りはもちろんのこと、家の掃除やドーラさんのおつかい、湯あみの手伝いなど、日々色んなことをしている。

「この前夜中に発作を起こした時も、ずっと背中をさすってくれただろう? 料理人以外の部分でも、あたしはララに助けられているからね。これぐらいもらっておくれよ」

 私がまだ納得いかなそうな顔をしていると、ドーラさんがバチンと片目をつぶった。

「それに、何も温情でやっているわけじゃない。これは立派な〝戦略〟なのさ」

「戦略?」

「ああ、そうだとも」

 ドーラさんはふふんと笑った。

「ララが腕のいい料理人だということは、今日のお客さんの反応を見てよーくわかったよ。それに、聖騎士団たちの胃袋も心もガッチリつかんで、人脈もある。そんな有能な料理人に、うちみたいな店に長くいてもらうための戦略なんだよ」

「ドーラさん……」

 私はじんとした。

 住むところも仕事も与えてもらって、助けられているのは間違いなく私の方なのに、こんな風に気遣ってくれるなんて……。

「ありがとうございます。私、これからもっともっとがんばります!」

「はっは。ほどほどにねララ。お前さんに倒れられたら──まあお前さんは何やっても倒れそうにないけど──、あたしが困っちまうからね」

「はい! じょうぶさが取り柄なので大丈夫です!」

 それから私は、いただいたお賃金を大事に大事に袋にしまった。

 先日フィンさんがボート侯爵からむしり取ってくれたお金もあるし、今回これだけもらえれば、すぐにでも追加の仕送りができる。

 そろそろお様たちにも手紙を書かなくちゃ。久しぶりに嬉しい報告ができるから、きっとみんなも喜んでくれるはず!

「それじゃあたしは、一度部屋に戻るからね」

「はい! 何かあったら、鈴で呼んでくださいね」

 ドーラさんが部屋に帰り、食堂にひとり残った私は、よし、と腕まくりをした。

 スキルポイントが溜まったと聞いてから、ずっと試してみたくてうずうずしていたの!

 私は目をつぶるとスキルツリーを出現させ、リディルさんに向かって話しかけた。

「リディルさん! スキル《胡椒生成》と、それから《プロテイン生成》もいっちゃってください!」

『わかりました。そのふたつ、一気にいっちゃいましょう』

 暗闇に浮かぶリディルさんの白い手が、ポン、ポン、と軽やかな動きでスキルの銀貨に触れていく。すぐさまパァァアッと両方の銀貨が光り──。

『おめでとうございます。《胡椒生成》と《プロテイン生成》を習得しましたよ』

 リディルさんが満足げに言った。

 よしっ! これで、胡椒とぷろていんが作れるはずだ!

 胡椒は、料理やお肉の保存に欠かせないのに値が張るから、自家製胡椒を使えれば食材費が大幅に節約できるもんね! あとでドーラさんにも教えなくっちゃ。

「ところで、今回は何を使って生成するんですか? また石を拾ってきますか?」

 私が聞くと、リディルさんがしばらく考えてから答えた。

『……どうやら胡椒の方は、黒か白い土を使うようですね。プロテインは、石灰岩のようです』

 今度は土に岩! 相変わらず不思議な生成元だけれど、どこかにあったかなあ……。

 うーんと考えて、私はある場所を思い出す。

 そういえば、食堂の裏の小さな庭に、黒土と余っていたヘシトレストーンがあった気がする! 王都の象徴であるヘシトレストーンは、蜂蜜色の石灰岩。条件にぴったりだ。

 私はすぐさまドーラさんに許可を取ると、麻袋で包んだ黒土と、ヘシトレストーンを調理台の上に置いた。

 ……でも何度見ても、岩や土をまな板の上にのせているのって、すごい違和感……! 他の料理人さんに見られたら怒られそう。内心そんなことを考えていると、リディルさんが説明してくれた。

『まずは胡椒ですね。土は、一度水で丸くまとめてから切ってください』

 指示通り、私はまず水で丸く固めた黒土に包丁を入れた。

 すると……ぼろぼろとくずれていった土が、黒いコロコロとした胡椒粒に変わったのだ。

「わああ、すごい……! 何度見てもすごい……!」

 やっぱり奇跡の力!

 感動していると、リディルさんが思い出したように付け足す。

『ちなみに産地の違う土を使うと、生成できる胡椒の種類も味も変わります』

「そうなんですか!? こ、細かい……」

 私はそっと、『れべるあっぷ食堂の裏庭産胡椒』を手に取って匂いを嗅いでみた。

 ただようのは、今使っている胡椒よりずっとほうじゅんな香りだ。それを胸いっぱいに吸い込んでから、今度は胡椒粒をひと粒噛んでみた。

 途端に、胡椒の辛みがピリリと口の中に広がる。それは刺激的で、それでいて爽やかで……うん。こういうのもなんだけれど、なんかすっごくお高そうな味がするよ!

 この何でもなさそうな黒土でもこの味なら、他の土はどんな胡椒になるんだろう!? 畑に使われている栄養たっぷりの土は!? あんまり見ないけれど、白い土は!? 全部全部、食べてみたい!

 私はわくわくした。

 いつか絶対、畑の土を分けてもらおう! ヤーコプさんだったらきっと伝手を持っているはず……!

『次にプロテインの方ですが……これは岩をそのまま切ればよさそうですね』

 って、危ない危ない。胡椒に興奮している場合じゃなかった。

 そう、謎の物体、ぷろていんがまだ残っているんだもの!

 私はヘシトレストーンをまな板にのせると、リディルさんを使ってサクッ……と切った。相変わらず岩が、パンを切るみたいに簡単に切れる。

 すぐに、刃が触れた岩がサラサラとした白い粉に変わった。塩の時はまだ粒感があったけれど、これは本当に粉って感じだ。

 それを少し指に取り、くんくんと匂いを嗅ぐ。

 ……匂いは、しない。

 次に指にのせた粉をぺろりとめてみる。

 ……味も、しない……? これは食べ物なんだよね……?

 私は首をかしげながら、プロテインと呼ばれる粉を鑑定してみた。

ヘシトレプロテイン:粉状。日持ち残り一年。《ステータス:力+2、上限一日一回まで》

 ……うん?

 すて、すてーたす?

 バフとは違う単語に首をかしげていると、リディルさんが得意げな声で言う。

『ふふ、これはわたくしが説明しましょう。《バフ付与》で得た効果は時間経過とともに消えますが、ステータスで得た効果は永久的に持続します。つまり、永続バフです!』

「おおお!!

 私は拍手した。

 永続バフって、すごい! ……ことだよね?

 実はいまだによくバフの効果を理解できていないんだけれど、この間フィンさんがなんだかすごく感動していたから、きっとすごいことなんだと思う。

 つまりこの粉を料理に使えば、みんなの力が強くなるってことなんだ! なら、どの料理に入れようかな?

 私はぷろていんを指に取って、じっと見つめた。

 そもそもこれはどれくらい入れればいいんだろう? どっさり入れた方がいいのかな? それとも少しでも効果はあるのかな?

 そして見た目や味、香りはなんとなく小麦粉に似ている気がするな……。

 私はそのまましばらく、じーっと粉を見つめた。

 ……よし、決めた!

 この食材によさそうな料理を見つけてみせるぞ! そして新作として食堂に出すんだ!

 私は腕まくりすると、早速ぷろていんに手を伸ばした。


 ──数日後。

 大盛況とはいかないまでも、『れべるあっぷ食堂』は順調に営業を続けていた。

 聖騎士団のみんなや、それから意外にも他のお客さんも結構来てくれるようになったのだ。特に初日にやってきた眼鏡の青年は、毎朝通ってくれていた。

「おぉ~い。今日も来たぜ~」

 お昼ごはんの時間になったところで、元気のいいテオさんの声が聞こえる。隣にはフィンさんや他の騎士さんもいる。

「あれ、ラルスさんは……じゃんけんに負けたんですね」

「おう。負けた負けた。『テオさんだけ毎日なんなんスかその豪運! ずるいっスよ!』ってキャンキャンえてたぜ」

 私はラルスさんの口調を真似するテオさんを見て笑った。

 ここに来ることが騎士さんたちの負担になっていたらどうしようかと心配していたんだけれど、口ぶりからして本当にごはんを目当てに来てくれているみたい。よかった~!

「今日もおいしいもの、作りますね! ……あ、そういえば新作を考えたんですけれど、一番喜びそうなラルスさんがいないですね……」

「ラルスが喜ぶということは、甘いものか?」

 フィンさんに聞かれて私はうなずいた。

「はい。新作は『ぷろていんの蜂蜜パンケーキ』っていうんです!」

 ──あれから数日かけて、私はプロテインの調理方法を模索していた。

 色々な料理に入れてみたり、混ぜてみたり、置き換えてみたり。

 作っては鑑定し、作っては鑑定しを繰り返してようやくたどり着いた結論が……。

 パンケーキに最適! だった。

 なぜならプロテインは少量入れるだけだとあまり効果がないみたいで、小麦粉代わりにがっつり置き換えて初めて《ステータス:力+2》が表示されたの。

 パンだとこねる時間や寝かせる時間を考えてもひとりで間に合う気がしないし、フラットブレッドは既に他のメニューで使っている。それに引き換え、さっと混ぜ合わせてさっと焼くだけで作れるのが、パンケーキだったのだ。

 私は他のお客さんには聞こえないよう、騎士さんたちに向かってひそひそとささやく。

「このパンケーキ……実は食べるだけで強くなれるみたいんです……!」

「へええ? 食べるだけで強く?」

 興味を持ったらしいテオさんがずいっと身を乗り出す。不思議そうに首をかしげたのはフィンさんだ。

「強くなれる? 今までララが作っていたごはんも、食べるとバフが付与されて強くなっていたのではなかったか? 何が違うんだ?」

「それが、聞いてびっくりなんです! なんとリディルさんいわく、今回のはバフじゃなくって、すてーたす……っていう、永続バフが付くらしいんですよ!」

「ステータス!?

「永続バフゥ!?

 フィンさんとテオさんがクワッ! と目を見開いて叫んだ。

 そのあまりの勢いに私だけじゃなく、少し離れたところにいるドーラさんまで一瞬ひるんだ。

「これ! 他のお客さんもいるんだから大声を出すのはやめな! 特にごっついほう!」

「雑なくくりだな、ばあさん……」

「す、すまない。だがこれはすごいことだぞ!」

 フィンさんが興奮したようにひそひそ声で、でもとうの勢いで喋り出す。

「ステータスといえば勇者にのみ許された特権! バフのように時間経過で切れることもなく、一度上昇すれば永遠に、自分の血肉として根付いていく、女神の祝福とも言われているあの憧れの!」

 ……フィンさんって、こんなに早口な人だったっけ……?

 早口すぎてちょっと聞き取れなかった私が圧倒されていると、同じことを考えていたらしいテオさんがぽつりと言った。

「お前……その話になると本当に早口になるよな」

「何を言うテオ、これが興奮せずにいられるか!? 夢にまで出てきた憧れが目の前にあるのだぞ!? しかもその恩恵を自分の体で受けられるかもしれないなんて……! ララ、私はその『ぷろていんの蜂蜜パンケーキ』で頼む!」

「は、はい! わかりました!」

 私がちゅうぼうに走ると、あわててテオさんが言った。

「おい、待ってくれ。俺もそれで! その超強いパンケーキが食べたいぞ!」

 その声を聞いた他の騎士さんたちも、「私も!」「自分も!」と声をあげる。

「わかりました、皆さんパンケーキですね!」

 私は上機嫌で人数分の卵を取り出した。

 それからボウルの縁を使ってコンコンと卵にヒビを入れ、黄身と白身に分けていく。

 先に白身だけをボウルに入れると、私はスゥウッ……とリディルさんを構えた。

「ではリディルさん……。今日は〝泡立て器〟でお願いします!」

『任せてください、ララ』

 りんとしたリディルさんの声とともに、パァッと包丁が白く光る。

 ──と思った次の瞬間、私が握っているのは包丁ではなく、組み合わさった鉄線が、風船のように膨らんでいる形に変わっていた。

「よし、これでメレンゲを作って──」

「ちょちょ、ちょっと待ってくれララ! 今のは一体!? 君の包丁は!?

 ガタガタッと音がして、厨房に身を乗り出してきたのはフィンさんだ。その後ろではすごい顔をしたテオさんも私のことを見ている。

「あ……実はこれ、最近覚えたんです!」

 『れべるあっぷ食堂』を開店してからというもの、私のレベルはすごい速度で上がっていた。やっぱりお店にいる間ずっとリディルさんを使っているから、そのおかげみたい。

 そうして気づいたら、いつの間にかレベル21にまで上がっていたの。スキルポイントもぐんぐんまっていたから、私は比較的少ないスキルポイントで覚えられる《武器変化:おたまレードル》と《武器変化:泡立て器ホイッパー》を習得していたのだ。

 これは武器──つまりリディルさんが、おたまや泡立て器に変化するということなんだけれど、なんとそれだけじゃない。

 おたまはすくえばすくうほど、泡立て器はかき混ぜればかき混ぜるほど、経験値が溜まる仕様になっていたのだ!

 私がとして説明すると、フィンさんがガクーッと崩れ落ちた。

「ああよかった……てっきり聖け……ゴホン。包丁が消えたのかと……」

 そこへ席を立ったテオさんがぽんと肩をたたく。

「わかるぜその気持ち。タマがヒヤッとするよな」

「テオ……人前でその表現は使わない方がいいぞ……」

 フィンさんはぐったりしているように見えた。

「あの、フィンさんは大丈夫ですか……?」

「すまない、最近ララを驚かせてばかりだな……。あとなんだか謝ってばかりだ……。私もそうしたくてしているわけではないのだが……」

 なんてぶつぶつ言いながら、フィンさんが席に戻っていく。私はその後ろ姿を見ながら心配になった。

 フィンさん……疲れてるのかな?

 ならとびきり甘くておいしいパンケーキを作って、元気を出してもらわないと……!

 私は再びボウルに向き合った。

 昔、ふわふわのメレンゲというものは卵があれば作れると行商人さんに聞いて、私もフォークで試してみたことがあるの。けれど何十分、いや何時間かき混ぜても一向に泡立たず、へとへとになってやめてしまった苦い記憶があった。

 でも、今は違う!

 なんとリディルさん泡立て器を使うと、シャカシャカシャカッとかき混ぜるだけで、夢にまで見た白いふわふわができてしまうのだ!

 私はピンッと元気よくツノが立ったメレンゲに満足して眺めてから、別のボウルに黄身と牛乳を入れて混ぜた。ここまできてから、いよいよぷろていんの出番だ。

 ドサーッと豪快に入れた後はダマにならないようぐるぐるぐるぐる混ぜ合わせ、生地がとろりとして黄色くなってきたところで、先ほど作っておいたメレンゲを入れてさっくりとかき混ぜる。

 パンケーキを思いついてからここ数日色々試してみたんだけれど、ぷろていんを使って普通にパンケーキを焼くとどうしても少しパサついてしまう。でもメレンゲを入れることで、普通のパンケーキのようなふわふわしっとりの食感になるのだ!

 準備が終わると、私はよく熱したフライパンにそっと生地を流し込んだ。

 見守っているとぷつぷつと泡が浮き出てくるから、ひっくり返して少しずつ火を通していく。

 パンケーキを作るコツは焦らずじっくり、そして時間を見極めること。

 ……そう、今だ!

 ここぞとばかりにフライパンからお皿に移せば、こんがりきつね色に焼けた特製パンケーキの出来上がりだ。

 それを三段に重ね、一番上に四角いバターをぽんとのせる。さらに上からとろとろとたっぷりの蜂蜜をかければ──。

「お待たせいたしました! 『ぷろていんの蜂蜜パンケーキ』の出来上がりです!」

 トントントンッ、とお皿をテーブルに並べると、騎士さんたちから「おぉ~」という声があがった。

 パンケーキの上を蜂蜜がとろとろとしたたり落ちていくのを見て、フィンさんがうれしそうに言う。

「パンケーキは最近食べていなかったが、子どもの頃に戻ったようにワクワクするな」

「ラルスの奴、自分だけ食えなかったって知ったら悔しがるだろうな~。帰ったら自慢しまくってやろう」

「やめとけテオ。下手すると一生恨まれるぞ。以前ラルスの糖蜜ケーキを盗み食いして、一か月口をきいてもらえなかったのを忘れたのか?」

「ゲッ……そうだった」

 ふたりの話を聞きながら、私はうんうんとうなずいた。

 わかるなあ。食べ物の恨みは深いよね。

 私もきょうだいたちとは仲がいいけれど、小さい頃に父からもらって大事に大事にとっておいたこんぺいとうを盗み食いされた時は、さすがに大げんかになった記憶があるもの。

「あーあ。ラルスを怒らせるのは面白いんだが、今回は本気でやばいことになりかねん。大人しくするか……」

「それがいい。さ、それよりも食べよう。せっかくの作りたてなんだ」

「だな! 肉にはかなわないけど、俺は甘いのも結構好きだぜ!」

 言って、テオさんはパンケーキの真ん中にフォークをぐっさり刺した。かと思うと、そのまま一枚まるごと大きな口へと運んだのだ。

 ご、豪快!

「ん~~~やっぱ作りたてはほかほかでうめえな! ばあやがおやつに焼いてくれた味を思い出すぜ」

 その隣では、美しくお上品にパンケーキを切り分けたフィンさんももぐもぐと口を動かしている。

「染み込んだ蜂蜜が、むとじゅわっと染み出てくるのもいいな。甘さが疲れた体に染み込んでいくみたいだ」

 他の騎士さんたちも、おいしいおいしいと言いながら食べている。

 私は洗い物をしながら、それをニコニコと見ていた。

『……ララ、あの者たちを見ていたらわたくしも食べたくなってきました』

 不意に聞こえてきたリディルさんの声に、ふふっと笑う。

 試作段階でおいしいものも、おいしくないものも散々一緒に食べてきたはずなんだけれど、他の人が食べているのを見ると自分も食べたくなること、あるもんね。

「わかりました。休憩の時にでも作りますね!」

『蜂蜜はたっぷりでお願いしますよ、ララ』

「もちろん!」

 とそこへ、突然キャイキャイとした若い女の子たちの声が響いた。

「ミランくんが言ってた食堂ってここぉ?」

「そうみたいですわね。看板に『れべるあっぷ食堂』って書いてありましたもの」

「ふ~ん。食堂っていうからどんな男くさいところかと思ってたけど、結構れいじゃん?」

 見れば、入り口にはようえんなドレスを着た三人の女性が立っていた。


 背丈も髪の色も違う三人の女性は、それぞれがとても人目をきつける姿と顔立ちをしていた。

「セシル、すっごく楽しみぃ。甘いものって久々じゃなぁい?」

 ふわっふわの金髪に、甘~いしゃべり方ととろんとした垂れ目。三人の中で一番背の低い少女は、同時に一番幼く見えた。でもドレスの胸元で揺れる胸は誰よりもおっきくて、女の私ですら思わず目がくぎけになるくらい。

「そうですわねぇ……『花の都亭』は男性向けのお料理ばかりですものね」

 三人の中で一番年上に見えるのは、品のあるおっとりとした女性。二十歳を少し超えたぐらいだろうか?

 流れるような長い黒髪はツヤッツヤで、つい触ってみたくなるほど。そして悩ましい谷間もさることながら、深いスリットが入った紫のドレスからのぞくおみ足も美しくて、私は思わずほぅ……とため息を漏らした。

「あ~楽しみ! 早く食べたい! みんな座ろーよっ!」

 三人の中で一番背が高くて、肩の上で切りそろえた短い赤毛と浅黒い肌を持つのは先頭を歩く少女だ。歳は私と同じくらいかな? すらっと伸びた長い手足は惜しげもなく露出され、健康美の中にも色気がある。胸元から覗く胸も、結構大きい。

 ……って私、さっきから胸ばっかり見ているわけじゃないんだよ!?

 この人たち、みんなすごく露出度が高い服を着ているからつい目がいってしまっただけで……!

 必死に言い訳をしていると、隣に座っていたドーラさんが彼女たちに声をかけた。

「よく来たねお嬢ちゃんたち。好きな席に座んな」

 私はそっと顔を寄せて聞く。

「ドーラさんのお知り合いですか?」

「いや知らん。……でもありゃ多分、『花の都亭』んとこに来た売れっ子しょうだね」

 売れっ子娼婦!

 その言葉に私はぽんっと手を打った。

 だからみんな、れいな上にすんっごいグラマーなのか!

 れていたのは私だけではないようで、食堂の中に座っていたお客さんたち──みんな男性──も、気づけばざわざわと色めき立っている。

 それは騎士さんたちも例外ではなく、珍しくテオさんも小声でひそひそと耳打ちしていた。

「すんげえなありゃ。どこの店のお姉さんたちだ?」

「さあ」

 一方、返事をするフィンさんは冷静だ。

 あまり興味がないようで、それより目の前のパンケーキを掲げて「おお、これがステータス上昇……!」なんて言いながら食べている。

 そこへ、赤毛の少女から声がかかる。

「あのーメニュー見せてもらえますかぁ?」

「あっ、はーい!」

 いけない! お客さんと一緒になって見惚れている場合じゃなかった!

 私が走っていくと、差し出されたメニューを見ながら赤毛の少女がきゃいきゃいと話しかけてくる。

「あたしたち~『花の都亭』で娼婦やってるんですけど~ミランくんにここがめっちゃおいしいって聞いて」

「ミランくん……?」

「あ、ミランくん知りません? さてはあの子、根暗だからまた自分から名乗ってないな!? 眼鏡をかけた、ひょろひょろした黒髪の男の子で!」

 言いながら、赤毛の少女は両手の指で丸を作って目にかける。その動作を見て、私はひとりの人物を思い出していた。

 もしかして、初日から毎日来てくれている、あの青年のことかな?

「ミランくんって、すごい量を食べる方ですか?」

「そうそう。ってここでもやっぱいっぱい食べてるんだ。めっちゃ草」

 め、めっちゃ……?

 王都でっている言葉なのだろうか。村の人とも貴族のご令嬢たちとも違う言葉遣いに、私は目をぱちぱちさせた。

 聞けば、ミランと呼ばれた彼はすごうでの化粧師で、しょうかんのお姉さんたちから引っ張りだこらしい。そんな彼から『れべるあっぷ食堂』の話を聞いて、仕事前にやってきてくれたのが彼女たちというわけだった。

うれしい。みなさん来てくださってありがとうございます! がんばっておいしいものを作りますね!」

 お礼を言うと、赤毛の少女が驚いたように私を見る。

「えっ? お姉さんが作ってるんですか?」

「はい!」

「セシル、てっきりお姉さんはウェイトレスかと思ってたぁ。歳もリナちゃんと同じくらいじゃなぁい?」

 私が今年十六になったと言うと、ふわふわの金髪をしたセシルさんは「やっぱりリナちゃんと同い年だぁ~」と言って手をたたいて喜んだ。

 ……ということは十六歳で売れっ子娼婦!?

 その事実にびっくりしていると、今度は黒髪のお姉さんが言う。

「へぇ、珍しいですわね。その若さで料理人をやらせてもらえるなんて。しかもこの食堂……他に料理人はいなさそうだけれど……」

「あんた、もしかしてこの食堂の子か何かなの?」

 リナと呼ばれた赤毛の子に聞かれて、私は答えた。

「いえ、私はただの雇われ料理人です。実家は男爵家なんですけれど──」

『男爵家』

 その単語を出した瞬間、場がシンッ……と静まり返った。

 三人が急に黙ってしまったのだ。

 それはまるで食堂内に突然北風が吹いたようだった。続けて「家が貧乏で……」と言おうとしていた私は、言葉の代わりにヒュッと息をんだ。

 あ、あれ。私、もしかして言ってはいけないことを言ってしまった……!?

「……ふぅぅうん」

「あらぁ、あなた、貴族のご令嬢だったのね……」

「貴族令嬢、ねぇ……」

 さっきまでの親しげな雰囲気はどこへやら。

 私を見る三人の目には、冷たい光が浮かんでいる。どうやら、貴族令嬢が好きではないらしい。

 ──だというのに、なぜか私は懐かしくなっていた。

 この手のひらをくるっと返される感じ、久しぶりだなあ。

 というのもまだ実家で奉公先を探していた頃、よくこういう風に急に態度を変えられることが多かったの。

『使用人募集。貴族や信頼のおける家柄なら誰でも可』

 という話を聞いて、なけなしのお金を握りしめて面接に行ったはいいものの、コーレイン男爵家の名を出した瞬間、あるいは《はらぺこ》のスキル名を告げた瞬間、まるで魔物でも見るかのような目で見られてきたのだ。

 思い出して私はしみじみした。

 懐かしいなあ……。当時は恥ずかしいし悲しいし、何より移動費をねんしゅつしてくれたお様に申し訳なくて、節約のために歩いて帰ったりしていたんだよね……。

 それに比べて、今はなんて幸せなんだろう。

 私は周りにいる人たちのことを考えた。

 仕送りで実家の家族も生活できるようになるし、雇い主であるドーラさんはお母さんみたいにあったかいし、聖騎士団のみんなもとっても優しい。

 住まわせてもらっている食堂は広くて清潔だし、お布団もふかふかだし、何より念願の料理人をやらせてもらっているんだもの!

 こんなに恵まれて幸せなことってないわ!

 考えながら、私は彼女たちに向かって、ニコッと微笑ほほえんだ。

「ご注文が決まりましたら、お声がけください!」

 ──今までの経験で、私はひとつ学んだことがある。

 それは世の中、万人に好かれる必要は全然ないということ。

 生きていれば、どんなに真面目にしていても偏見の目で見てくる人はいる。きっと私のことを嫌いな人もいるだろう。でも、それを気にする必要はないのだ。

 大事なのは、私を好いてくれて、優しくしてくれる人たちを大切にすることなのだから。

『あなたを嫌う人のことなんて忘れちゃいなさい。時間を割くだけもったいないわ』

 これは落ち込んでいた私に、お義母様がくれた言葉。

 それ以来、この言葉を意識して生きるようにしたら、生きるのが少しだけ楽になったの。

 ……お義母様たち、元気にしているかなあ。おいしいもの、作ってあげたいなあ。

 実家を思い出しながら、私が彼女たちに背中を向けたその時だった。

「……でもさぁ、貴族のご令嬢なのにここで働いてるのはなんでなの?」

 振り向くと、赤毛のリナさんがほおづえをつきながら私のことをじっと見つめていた。

 もう一度話しかけられるとは思っていなかったけれど、私は照れながら答えた。

「家が貧乏だったので、仕送りするために仕事を探して王都まで来たんです」

「へぇ、貧乏なんだ。……どれくらい?」

 聞かれて私は考えた。

 どれくらい話したらいいんだろう? 正直に、ありのまま言って大丈夫かな……?

「えっと……食べ物を買うお金がないこともよくあって……そういう時は余った食材を譲ってもらったり、山菜を探しに行ったり、森でわなを使ってキラーラビットを捕まえて食べたり──」

「キラーラビット!?

 リナさんがガバッと体を起こした。金髪のセシルさんも、きゃらきゃらと笑い出す。

「わぁ~、セシルが思ってたより、三倍ぐらい斜め上の答えが出たきたぁ~!」

「キラーラビットって、あれ女の子が捕まえられるものなんですの……? 以前お客様に見せていただいたことがあるけれど、歯がノコギリみたいになっていましたわよね?」

「そもそもキラーラビットってどう捕まえるワケ!?

「セシルも聞きたぁ~い!」

 身を乗り出してきた彼女たちに、私は説明した。

「えっと……観察していてわかったんですが、キラーラビットは人間を見つけると、必ずまっすぐジャンプして襲いかかってくるんです。なのでこちらに飛びかかってきたラビットの口めがけて、ブスッ! とながやりを突き出せば、割と簡単に捕まえられますよ」

 言いながら、私は槍を斜め上に突き出す動作をする。

 途端に女の子たちだけじゃなくて、なぜか後ろにいた他のお客さんや騎士さんたちまでブーッと噴き出した。

「思ってたよりめちゃくちゃ直接的な方法なんですけど!?

「待って。罠って道具のことじゃなくて、もしかしてあなた自身が罠ってことなの……?」

「すごぉい! 飛びかかってくる魔物が怖くないのぉ!?

「すぐ慣れましたよ。何よりキラーラビット、大きい上においしくてたくさん食べられますから、やる気が出るんです!」

 私が目を輝かせながら言うと、彼女たちは一瞬ぽかんとした後──大きな声で笑い始めた。

「お姉さん、最っ高だね!? そんな可愛かわいい見た目してキラーラビット串刺しとか、おもしろすぎるでしょ!」

 リナさんはバンバンとテーブルを叩いて笑い転げているし、セシルさんは思いっきり私を指さして「あはははは!」と大声で笑い続けている。

「しかもラビットちゃん食べちゃうのぉ!? やば~いおもしろすぎぃ~!」

「ふふふっ。こんな豪快な子、初めて見ましたわ」

 ……なんだかよくわからないけれど、皆さんが楽しそうならいっか。

 リナさんはひとしきりゲラゲラと笑った後、笑いすぎで出てきた涙をぬぐいながら手を差し出してきた。

「ねえ、お姉さんの名前なんていうの? あたしたちご近所さんだし、これから仲良くしよーよ」

「ララローズです。ララって呼んでください!」

「わかった。よろしくララ! あたしはリナだよ」

 私がリナさんと握手すると、綺麗なお姉さんとふわふわの金髪のセシルさんも手を差し出してくれる。

「わたくしはペトロネラ。どうぞよろしくお願いしますわ」

「セシルはセシルだよぉ~よろしくぅ~」

「はい! 皆さんよろしくお願いします!」

 それからリナさんが、申し訳なさそうな顔で言う。

「っていうか、さっきは急に態度変えてごめんね。つい最近、男爵令嬢があたしらのとこに乗り込んできてさぁ。その仲間なんじゃないの!? って警戒しちゃったんだ」

「もぉあれ、セシルめっちゃ怖かったしめっちゃ迷惑だったよねぇ」

「あの方は貴族のご令嬢なのに、とんでもない言葉遣いをしていましたわねぇ……」

 そう言って、リナさんたちが説明してくれた。

 いわく、セシルさんの魅惑ボディに魅了された貴族の令息がいたんだけれど、のめり込みすぎてセシルさん以外のすべてをおろそかにしてしまったらしい。

 それは婚約者の男爵令嬢も例外ではなく、怒った彼女が『花の都亭』にやってきてしまったのだとか。

 そして男爵令嬢はなぜか婚約者の令息ではなく、セシルさんや他の娼婦さんたちを周囲の人たちが引いてしまうくらい、これでもかとひどい言葉で罵倒。

 最後には嫌がる婚約者を引き連れて帰っていったという話を聞いて、私は目を白黒させた。

「世間知らずはこれだからだめなんだよ。あたしたちを責めたって男が戻ってくるわけじゃないのにね」

「むしろぉ~もっとドン引きっていうかぁ~」

「その点、賢い奥様方は違いますわよね。娼館で遊ばせるだけ遊ばせておいて、手綱はガッチリという」

 ……すごい。私が全然知らない世界の話を、私と全然歳の変わらない女の子たちが話している。

 村には娼館がなかったし、こんなに洗練された雰囲気の女の子もいなかったから、私はじーっと興味深く彼女たちを見つめた。

 ……それにしても可愛い女の子がいっぱい集まっていると、見ているだけで心が潤うんだね。それも知らなかったよ……!

「あっ。ごめんね! 話に夢中で注文するのを忘れてた。ねぇララ、このお店のおすすめは何? もちろん甘いやつで!」

 あっ。この話題なら私も得意だ!

 リナさんに聞かれて私はいきいきと答えた。

「バターミルクビスケットもおすすめですが、ちょうど今日登場したばかりの『ぷろていんの蜂蜜パンケーキ』もありますよ!」

「ぷろていんってなぁにぃ? なんか響きが可愛いから、セシルそれにするぅ」

「ではわたくしもそれにしようかしら」

「じゃ、あたしもそれー!」

「わかりました! では、皆さんパンケーキですね!」

 私は急いでちゅうぼうに戻ると、ふわふわのメレンゲを作るところから始めた。

 その間にもセシルさんたちの話し声が聞こえる。彼女たちの声は高く、食堂内によく響くのだ。

「みんなぁ~、食事の邪魔しちゃってごめんねぇ?」

「おびに、お店に来てくれたらサービスするからさっ」

「わたくしたち『花の都亭』の二階にいるから、よろしくお願いいたしますわ」

 言って、ペトロネラさんがちゅっとお色気たっぷりの投げキッスを飛ばす。その仕草に、フィンさん以外の男性が「おぉ……」と声をあげた。フィンさんはといえば、相変わらずパンケーキをあがめている。

 それにしてもすごいなあ。さすが売れっ子娼婦さんたちだ。

 周囲にも気が遣える上に、ちゃっかり宣伝して、一瞬でこの場にいる男の人たちをとりこにしちゃった。

 三回くらい生まれ変わっても真似できそうもない技に感心しながら、私はせっせとパンケーキを焼いた。

「──お待たせいたしました!」

 やがて蜂蜜たっぷりのパンケーキをテーブルに運ぶと、キャーと黄色い声があがる。かと思うと、リナさんが一枚まるごと、ぱくっとかじりつく。

「う~~~ん! これだよこれ! あたしたちはこういうのを求めていたの!」

「お客様がくれるお菓子もおいしいんですけれどね。落ち着いて食べたいのはやっぱり、こういう懐かしくてほっとする味というのかしら」

「わかるぅ。あと、できたてホカホカがいちばぁん」

 言いながら幸せそうに食べる三人を見て、私は嬉しくなった。

 ふふふ。味が落ちないよう工夫したかいがあったなぁ。

 それからはたと思い出す。

 ……そういえば、フィンさんたち以外にはステータス上昇のことを話していないんだけど、大丈夫だよね?

 本当は最初、パワーアップパンケーキ! っていう名前でメニューに載せようと思っていたんだけれど、ぷろていんのことを説明したらドーラさんに止められたの。

 いわく、

『ララ。確かにパワーアップと書いたら売れ行きはよくなると思うが、今はお前さんの力をむやみに人に言わない方がいい』

 ということだった。

 不思議に思って聞き返したら、ドーラさんは丁寧に説明してくれた。

『先日、お前さんの《浄化》スキルを見たヤーコプが、お金を払ってでも来てほしいって言っていただろう? ヤーコプみたいにちゃんと扱ってくれる人ならいいんだが、世の中には悪い人間も多い。あたしゃ、ララの力が変な奴に狙われないか心配なんだよ。気にしすぎならいいんだけどねぇ……』

 確かに、ドーラさんの言うことは一理ある。

 ……っていっても、変な人間に狙われたらリディルさんが一刀両断しちゃう気がするんだけど、だからって食堂で殺人事件は起こしたくないもんね。

 だから私はドーラさんと相談した結果、ぷろていんの名前だけ使いつつ、ステータス上昇のことは黙っていることにしたのだ。

「あ~ほんとにおいし~! でもこれ、何が入ってるの? なんか普通のパンケーキとはちょっとだけ違うよね?」

「えっ、ほんとぉ? セシル、全然気づかなかったぁ」

「リナさんって意外とそういうところ敏感ですわよね」

 ひとりだけ気づいたリナさんに、私はぷろていんの入っている容器を掲げて見せた。

「実はそれ、小麦粉じゃなくて、名前の由来になっているぷろていんを使っているんです」

 厨房の見えないところには、ヤーコプさんに仕入れてもらったヘシトレストーンも山ほど積んである。

 本当に便利だよね。使う時だけリディルさんを使ってぷろていんを生成して、使わない時はヘシトレストーンとしてずーっと家に置いておけるんだもの。食材の傷みを気にしなくていいって、なんて素敵なんだろう!

「でもさぁ、そのぷろていんって、何なの?」

 聞かれて私はうーんと考えた。

 バフ付与やステータス上昇のことは聖騎士団以外の人たちに言わないってドーラさんと約束したから……。

「……とっても体にいい粉、ですかね……!」

 詳細はともかく、大体は合っているはずだ。

 でも私の返答に、リナさんたちがどっと笑い出した。

「何それ!? ヤバい薬じゃん!?

「ララさん……そんな愛らしい外見してあなた……」

「こわぁ~い。人って見かけによらなぁ~い」

「ちちちち、違うんです!」

 変な誤解をされそうになって、私はあわてて訂正した。

 確かに普通の食べ物とは違うんだけれど、決して危ないお薬とかではないはず!

「……ですよねリディルさん……!?

 小さな声でささやくと、ちゃんと聞こえていたらしいリディルさんが答える。

『プロテインの正体はいまだ不明ですが、わたくしは善なる剣の女神リディル。人の子に害をなすような物質は出さないと約束しましょう。……もちろん、食べすぎは別ですが』

 うんうん。どんなにいいものでも食べすぎはよくないよね。お水だって飲みすぎると毒になるもの!

「本当に大丈夫なんですよ!」

 必死になって弁明する私を見て、リナさんがくすくすと笑う。

「ララって本当におもしろいね。しかも、パンケーキもめっちゃおいしいし」

「セシル、もっともっと食べたくなってきちゃったなぁ」

「セシルさん、それはまた今度にしましょう? そろそろ準備の時間ですわ」

 そう言って、ペトロネラさんが食堂内の時計を見る。

 まだおやつの時間なんだけれど、彼女たちはこれからが本番らしい。

「そだね、今日はもう戻ろっか。ありがとララ。あたしたち、また来てもいい?」

「もちろんです! お待ちしてますね!」

「えぇえ~! セシルまだここにいたぁい!」

「駄目ですよセシルさん。今日もまたあの貴族令息様が来るんでしょう?」

「だからヤなんだよぉ。最近思いつめっぷりが激しくてぇ、ちょっと切りたいっていうかぁ」

「はいはい。ならオーナーに頼んで出禁にしちゃおーよ」

 言いながら、リナさんとペトロネラさんが嫌がるセシルさんの背中を押していく。

 私が外まで出て彼女たちを見送ると、急に食堂内が静かになった気がした。

「……すげーなありゃ。嵐みたいっつーかなんつーか」

 大きな体を丸めるようにしてぼそっと言ったのはテオさんだ。それをフィンさんが驚いた目で見ている。

「珍しいな、テオが圧倒されるなんて。いつも圧倒する側なのに」

 確かに、いつものテオさんならとっくに会話に割り込んできていてもおかしくない雰囲気だった。なのに今日は背中を丸めて、ずーっとフォークでパンケーキの残りかすをつついていた気がする。

「さすがの俺もなあ。得手不得手はあるからなあ。ああいうキラッキラした、すぐに折れそうな女子は意外と苦手なのよ。もっとこう、酸いも甘いも噛み分けた、俺より年上で尻もどっしりした女だったら口説きに行くんだがなぁ」

 意外にもテオさんは年上が好きらしい。

 騎士さんたちのそういう話は初めて聞くから聞き耳を立てていると、テオさんがフィンさんをつついた。

「フィンはどういう子が……って聞こうかと思ったが、やっぱいいや。聞かなくてもわかる」

「どういう意味だ」

 聞き返すフィンさんを無視して、テオさんが私の方を向く。

「それよりお嬢ちゃん! お嬢ちゃんはどんな男が好きなんだ!?

「へっ?」

 突然話を振られて私はぎょっとした。

 どんな男が好き……?

 その質問に、私は言葉をつまらせる。

 今まで毎日何を食べるかとか、どうやって食べ物を手に入れるかとか、そういうことを考えるのに必死で、好きな人のことなんて考えたこともない。

「えっと……」

「隠さなくていいぞー。お嬢ちゃんがどんな趣味をしてても、俺たちは受け止めるからな!」

「テオ、女性にそういうことを聞くのは失礼ではないか?」

「お? じゃあフィンだけ聞くのやめるか?」

 テオさんがフッとどこか勝ち誇ったような笑みをフィンさんに向けた。

 途端、フィンさんがゴホンゴホンとせきばらいし始める。……喉が痛いのかな。蜂蜜、もっと足しておけばよかったかな?

「い、いや。……私も聞く」

「だよなあ! そうだと思ったよフィン! お前がおもしろいのは、それで無自覚なところだよなあ!」

「無自覚? 何がだ?」

「いやなんでもねえ! お前は一生変わらずそのままでいてくれよ!」

 がははと笑いながら、テオさんがバンバンとフィンさんの背中を叩いた。

 テオさんがそうしている間も、私は困っていた。

 何かを期待されているようだけど、残念ながら私は何も考えていないのだ。

「ええっと、好きな男性……は……」

 私はううう~~~んと、かつてないほど頭を悩ませた。それからやっとの思いでしぼり出す。

「ごはんを……残さず食べてくれる方……でしょうか……?」

「ぶははっ! そんなんでいいのか!? まあ嬢ちゃんらしいっちゃ嬢ちゃんらしいけどよ!」

「他に思いつかなくて……」

 こういう時、なんて答えるのが普通なんだろう。

 私が困り顔で立っていると、ゴホン、と咳をしたフィンさんが、スッ……と自分の空き皿を差し出す。

「……とてもおいしかった」

「あっ、お口に合ったみたいでよかったです! お皿下げちゃいますね!」

 私がニコニコしながら空き皿を持って厨房へ行くと、なぜかテオさんが「だーっはっはっは!」と笑いながら転げまわっていた。何かがツボに入ったらしい。

「ちくしょう! この場にラルスがいないのが悔しすぎる! このおもしろさを共有したかったのによぉ」

 なんて叫んでいた。



 『れべるあっぷ食堂』を再開して早一か月。食堂は順調に営業を続けていた。

 聖騎士団の皆さんはもちろんのこと、初日に来てくれた化粧師のミランくんに代書人さん、それに『花の都亭』の皆さんも繰り返し来てくれるようになったのだ。

 店は満席とはいかないものの、途切れることなく常にお客さんが入るようになっていた。

 その様子を見ながら、ドーラさんがぽつりとつぶやく。

「……これだったら、そろそろウェイトレスを雇ってもいいかもしれないねえ。ララもずっと全部ひとりでやるのは大変だろう。ほら、その皿も貸してごらんよ」

 なんて言いながら、出来上がった料理のお皿を運んでいこうとする。

「あっ大丈夫ですよドーラさん! すぐに運びます。ドーラさん、足が悪いんですから座って──ってあれ……?」

 言って、私ははたと気づいた。

 料理皿を取ろうとしたドーラさんは、いつもの杖を持っていなかったのだ。

「ほっほっほ。ようやく気づいたのかい?」

 ドーラさんがいたずらっぽく笑う。

「ドーラさん、杖がなくても平気なんですか……!?

 一か月前、私が来たばかりの頃は、ドーラさんは確かに杖をついて歩いていた。座るために私が手を貸すこともよくあったし、フィンさんや商人のヤーコプさんの手を借りているところも、間違いなく見た記憶がある。

 なのに。

 目の前のドーラさんはひょいと料理皿を取り上げると、スタスタと、しっかりした足取りでお客さんのところに歩いていったのだ。

「あ、あれえ……!?

 目を丸くしてぼうぜんと見つめる私に、ドーラさんがまたほっほっと笑う。

「調理に忙しすぎて、あたしが何度かこっそり皿を持っていってるのに気づいていなかっただろう?」

「あっ、そういえば……運んだ記憶のない料理も運ばれています!」

 言われて初めて気づく。

 忙しすぎて、頭の中はどうやったら一秒でも早く料理を作れるか考えるのでいっぱいになっていたらしい。

「ごめんなさい! 全然気づいていませんでした……」

「いいんだよ。それだけ店が忙しいってことだからね。それに、足に関してはあたしも不思議なんだよね」

 言いながら、ドーラさんが自分の足をぽんぽんと叩く。

「いつからかはわからないんだけどさ。……いや、ララが来てからか。色々世話をしてくれるようになって、あれだけ長年しびれがとれなかった足が、徐々に動くようになってきたんだよ。この間もしやと思って杖を手放してみたら、まさかの杖なしで歩けちまって」

 言ってドーラさんはからからと笑った。

「後遺症が治ったのでしょうか。よかったですねドーラさん! おめでとうございます!」

 私がお祝いを言うと、ドーラさんがチッチッチッと指を振った。

「しかも、それだけじゃないんだよララ。お前さんのことだから気づいていないと思うけど……実は咳もとっくに出なくなっていたのさ」

 言われて、またもや私は「あっ」と声をあげた。

「……本当ですね!? 来た頃は、まだ時々発作を起こしていたのに!」

「ほっほっほ。不思議なこともあるもんだねぇ」

 嬉しそうに笑うドーラさんに、私はうんうんとうなずいた。

「やっぱり、体を冷やさないようにして、栄養のあるごはんをしっかり食べていたのがよかったのでしょうか。体を作るのは、食事だと言いますもん……ね……」

 そこまで言って、うなずいていた私の頭がぴたりと止まる。

 ……あれ。そういえば、ここに来てからずっと、作ったごはんに《浄化》ってついていたような……。

 《浄化》の効果は、『毒やけがれを取り除く』だったはずだけれど、リディルさんが言っていた。『部屋の汚れも、広義では穢れと同じ』だと。

 なら、病魔は……?

 その定義で言うなら、病魔も《浄化》の対象になったりするのかな……?

「あのう、リディルさん」

 お客さんに聞こえないよう厨房の奥に引っ込みながら、私はひそひそと話す。

『何でしょう、ララ。お昼ごはんならわたくし、ホットサンドがいいです』

「ホットサンドですね! わかりました。……じゃなくて、ちょっと聞きたいんですが、病気って《浄化》で治せたりするんでしょうか?」

『できますよ』

 さらっと、じんもためらうことなくリディルさんが言った。

「や、やっぱりそうなんですね!?

『はい。もともと病魔は穢れから発生しているもの。すなわち、病魔と穢れは同じものという解釈です』

 なるほど……! 確かに汚い場所から病気は広がると聞いたことがあるし、全部『穢れ』というくくりでつながっていてもおかしくない……気がする。

 私が自分を納得させていると、『ちなみに』とリディルさんが続けた。

『《浄化》スキルは人に直接使うこともできます』

 うん!? 思わぬ新情報にびっくりしてしまったけれど、そういえば確かに《浄化》スキルで掃除をしている時は、直接食堂内に発生させていた。

『ただララの場合は、料理を作った方がより効果が強いようです。……恐らくこれも、《はらぺこ》スキルが影響を及ぼしているのでしょうね』

 ふむふむ。でも私にとってはそっちの方が嬉しいな。だって火や水の魔法を使うと少し疲れを感じるのだけれど、ごはんを作る分には全然疲れないからだ。

「じゃあやっぱり、ドーラさんの後遺症は……」

『十中八九、ララの《浄化》の効果でしょうね』

 や、やっぱり~~~!

 私はおずおずとドーラさんの元に戻ると、そぉっと耳打ちした。

「あの……どうやら後遺症が消えたの、《浄化》スキルの効果だったようです……!」

 その言葉にドーラさんの目が大きく見開かれる。

「おっ……たまげたねぇ……! ララのそれ、てっきり掃除用かと思っていたんだが……そんな効果もあるのかい!?

「私も今初めて知りましたが、あるようです」

 途端に、「あっはっは!」と大きな声でドーラさんが笑い出した。

 店内のお客さんが驚いてドーラさんを見たが、それも気にしていないようだ。

「あーはっは! いやはや! もうララのソレにはだいぶ慣れたつもりだったけど、そうかい、これもララのおかげだったのかい!」

「私というか、《はらぺこ》というか、リディルさんのおかげというか」

 私はごはんを作る以外何もしていないので、あまり実感がない。

 ドーラさんがまだ笑い続けていると、聞き慣れた声が聞こえた。

「よう、どうしたんだばあさん。そんなに笑って」

 テオさんとフィンさん、それに今日はじゃんけんに勝てたらしいラルスさんが顔を覗かせる。

 ……全然関係ないけど、テオさんはフィンさんと一緒に毎日来てるんだよね。テオさんって、本当にじゃんけんは負け知らずなんだな……。

「何でもないよ、こっちの話。それよりあんたたち、今日は何を食うんだい?」

「それはもちろんアレよ。俺は『頑固ステーキ』に」

「私は『サラダ巻き』を」

「自分は『ミルクビスケット』っス!」

 そこまで言ってから三人……もとい、騎士さんたちは声を揃えて言った。

「「「あと『ぷろていんパンケーキ』!」」」

「わかりました! お作りしますね」

 私が準備を始める前で、席についたテオさんが早速ラルスさんをいじり始める。

「おいおい~ビスケットにパンケーキにって、赤ちゃんフルコースだなぁ?」

「そういうテオさんも赤ちゃん食であるはずのパンケーキ、食べてるっスよね?」

「おう、もちろんよ! なぜなら……」

 ラルスさんの冷ややかなツッコミにも動じず、なぜか立ち上がったテオさんはいそいそと服を脱ぎ始めた。

「おい……テオ!?

「ちょ、何しようとしてるんスか、テオさん! ここ食堂っスよ!?

「おいおい、でっかいの! ぼうずの言う通りここは食堂だよ! 公開露出ショーなら外でやんな!」

 あわてて止めようとする周囲にも構わず、テオさんは勢いよく服を脱ぎ捨てていく。

 そして──。

「どうよ、この筋肉!?

 テオさんが両腕をぐっと曲げると同時に現れたのは、パァンッという音が聞こえてきそうなほど張り、たけだけしく膨らんだ力こぶだった。その肌は小麦色につやっつやと輝いている。

 テオさんが服を脱ぎ始めた当初、げんな顔をしていた男性客たちがブッ! と口からごはんを噴き出す。

「すげェな兄ちゃん!? なんだその筋肉!」

「おう。すごいだろう。最近なんか調子がいいと思ったら、こんなんなってたぞ! 多分、あのパンケーキのおかげだよな!?

 言いながらテオさんが、今度は両手を下ろして腰に当てる。そして、「フンッ!」と胸を張った。

 すると、はちきれんばかりに膨らんだ胸がブルンッと揺れて、周囲のお客さんからウォオオオという野太い声があがる。

「すっげぇ!」

「なんてでかさだ!」

「うちの母ちゃんのよりでっかいぞ!」

 な、何が……?

 でもなんとなく聞かない方がいい気がして、私はそっと口をつぐんだ。

 そして気のせいかな。ムキッ……ムキッ……っていう音が、テオさんの全身から聞こえてくる気がする。

 その後も得意顔になったテオさんがポーズを変えるたびに、やんややんやと周囲から歓声があがった。ラルスさんは完全にあきれた目で見ていて、フィンさんは額を押さえ、天を仰いでいた。

「聖騎士団の品位が……」

「そりゃテオさんの筋肉はすごいっスけど、みんな持ち上げすぎっスよ……あとここ食堂っス」

「おうおうおう!? ノリの悪いこと言ってるのは誰だぁ! そんな奴は……俺がいてやる!」

 叫ぶなり、目を光らせたテオさんがラルスさんに飛びかかった。

 その姿はまるで、獲物に襲いかかるグリズリーのようだ。

「うわっ! ちょっ! 何するんスか! や、やめっ──!

 悲鳴をあげるラルスさんの服を、容赦なくテオさんがぎ取っていく。──あ、今ビリビリって音がした……!

 やがてみんなが見守るなか現れたのは、意外にも小柄な体格からは想像できない、パツッと形よく張った筋肉だった。

 ほどよく焼けた肌には若者らしいつややかなハリがある上に、そこかしこの筋肉がしっかりと膨らんで存在を主張している。

 ……ラルスさん、思ってたよりずっとすごい……!

「おっ? こっちの兄ちゃんもなかなかいい体してんじゃねえか!」

「その紋章は聖騎士団か? さすが、やるねぇ!」

 ひゅーひゅーと飛ばされるヤジに、ラルスさんが乙女のように顔を真っ赤にする。

「じ、自分、そういうのはいいっスから!」

 怒ったように言って、急いで服を取り戻すと頭からかぶっている。

「なんだよつまんねーな~。こうなったら、団長さんの出番かぁ……?

 ぎらりと光る、テオさんの目。

 ゆっくりと持ち上げられた手は、フィンさんに向けられていた。

「お、おい。やめろ」

 フィンさんがぎくりとした顔になる。

 ……も、もしかして次は、フィンさんが剥ぎ取られちゃうの……!? でもちょっと見てみたいかも……!

「やめろと言われてやめる奴がいますかぁああー!!

 私がドキドキしながら見ていると、巨体なのに信じられないぐらい素早い動きでテオさんが襲いかかった。観衆からも「いけぇ!」とか「やれぇ!」とか、声が聞こえる。

 でも、そこはさすが聖騎士団長であるフィンさん。負けていなかった。

「スキル《剣聖》!」

 そう叫んでスキルを発動させたかと思うと、フィンさんは目にも留まらぬ速さでシュッとテオさんの魔の手から逃れたのだ。

「あっ、クソッ。おい、スキルはずるいぞ! 捕まえらんないだろーが!」

「そもそも捕まえようとするな……。ララもドーラさんも困っているだろう」

「あたしゃもう諦めたよ。物さえ壊さなきゃ、好きにやりな」

 死んだ目で言うのはドーラさんだ。

「おっ! ばあさん話が通じるじゃねーか! 久しぶりにいくかぁ!? 本気の鬼ごっこ!」

「勘弁してくれ……」

「でも、私もちょっと見てみたいかも……」

 私が小声でぽそっと呟いた瞬間だった。

「ララ!?

 聞きつけたフィンさんが、驚いた顔でこっちを見たのだ。

すきありィ!! お嬢ちゃんナイスサポート!」

「うわっ!?

 その一瞬の隙を逃さなかったテオさんが、フィンさんを取り押さえる。

「やめっ……! でもララが見たいと言っていた……!」

 フィンさんは一瞬抵抗しかけ、なぜかすぐに大人しくなった。

「よーしっ、うちの団長さんはどんなもんかなあ!?

 バッとテオさんが剥ぎ取った服から現れたのは──。

「おおおっ!!

「なんか……すんげー色っぺぇな!?

 フィンさんの筋肉は主張しすぎず、貧相すぎず。細身の体についた筋肉は力強く盛り上がり、それでいて品を損なわない完璧なバランスを保っていた。全体的に白い体は、まるで名匠の作った彫像のように美しい。

「昔から日焼けしない体質だから、恥ずかしいんだ……」

 やや頬を赤らめて言ったフィンさんの顔は憂いを帯びて美しく、近くで見ていた男性客がゴクッ……と喉を鳴らす。

「……やばい。俺、新しい扉を開けちゃいそう」

「ちょ、ちょっと水でらしてみてもいいか兄ちゃん?」

「なんでだ。ダメに決まっているだろう」

 その言葉に、私は思わず水に濡れたフィンさんを想像して──顔を真っ赤にした。

 ななななっ! なんで私、上半身裸でずぶ濡れの、髪をかき上げてこちらを見るフィンさんなんか想像しちゃったんだろう!?

 あわててパタパタと手で顔を仰いでいると、そこへ異様に盛り上がった空気を吹き飛ばすかのごとく、元気で明るい声が響き渡った。

「やっほ~! パンケーキ食べに来たよ!」

「セシルはぁ、今日お肉が食べたぁ~い」

「……あら、皆様お取り込み中ですか?」

 それは『花の都亭』の三人だった。

「リナさん、セシルさん、ペトロネラさん、いらっしゃいませ!」

 いけないいけない、美しい筋肉に見惚れている場合じゃなかった。ここは食堂。お客さんにおいしいごはんをお出ししないと!

 私が戒めのため、ぺちんと頬を叩く横で、上半身裸のテオさんたちに気づいたリナさんが叫んだ。

「お兄さんたち、筋肉すっごいね!?

 隣ではいつも笑顔のセシルさんが口に手をあて、珍しく無言でしかめっつらをしている。……こういうの、嫌いだったのかも。

「ほらテオ! ここは食堂だ。悪ふざけはそれぐらいにして服を着ろ。これは団長命令だ」

 言いながら、フィンさんも頬を赤らめたまま、急いで服を着ている。

「はいはい、わかりましたよーだ」

 さすがのテオさんも、女性陣が来たからには悪ふざけはおしまいにするらしい。お客さんに惜しまれつつも、ちゃんと服を着直している。

 それを面白がるように見ながら、席についたリナさんが言った。

「ねえララ、今日は何か催しとかだったりするの? あっ、あたしぷろていんパンケーキで!」

「セシルもぷろていん食べるぅ」

「わたくしも同じものでお願いしますわ」

「そういうわけではないのですが……。あ、今日はラズベリーを仕入れてきたので、パンケーキはラスベリーソースがけにもできますがどうしますか?」

 私が聞くと、三人はパァッと顔を輝かせた。

「「「じゃあそれで!」」」

 彼女たちは時々注文を変えたりしつつも、なんだかんだあのパンケーキを気に入ってくれたらしい。

 私が嬉しく思いながらせっせとメレンゲを泡立てていると、リナさんがテオさんに話しかけているのが見えた。相変わらず抜群のひとなつっこさで、人見知りとは無縁のようだった。

「ねぇねぇ、お兄さん、さっき筋肉すごかったね? ここでよく会うけど、聖騎士団の人たち?」

「おう。聖騎士団だぞ」

「やっぱり! 筋肉、めっちゃヤバかったよ!」

「ええ、すごかったですわ。さすが殿方って感じで」

「わかるぅ~すごかったぁあ~」

「そ、そうか……?」

 リナさんたちに褒められて、テオさんはたじたじになっていた。

 ふふっ、こんな押されっぱなしのテオさん、初めて見るなあ。

 微笑ましく思いながら生地を混ぜていると、また弾んだリナさんの声が聞こえる。

「っていうかさぁ、なんかいい鍛え方あったら教えてよ! 実はあたしも、最近なーんかやたらと筋肉ついちゃって。面白がって鍛えてたらこの通りだよ、ほら」

 どうやら、リナさんがテオさんたちに力こぶを披露しているらしい。

「お嬢ちゃんが? またまたぁ……って、結構立派なモン持ってるじゃねえか!」

「女性の二の腕とは思えないっスね!?

 え?

 その言葉にボウルから目を離して顔を上げれば、リナさんの細い二の腕には、なにやら立派な力こぶが盛り上がっていた。

 えっ! 何あれ、思ったより全然すごい!

 というかよく見たら……リナさん、なんだか全身つやつやしている!?

 もともとリナさんはスラリとした体形をしていたけれど、今は全身どこもかしこもキュッと音が聞こえてきそうなほど引き締まり、以前よりはだつやが一段階も二段階もアップしている。

「ちょーっと腕立てとかしてみただけなのに、気づいたらこんな風になっていたんだよね。しかもお客さんからやたらモテるようになっちゃってさぁ。最近、指名がグングン増えてウハウハなんだよね~」

 言って、リナさんはニカッと輝くような笑みを浮かべた。

 ……。

 …………

 ……それって、まさか……。

 だらだらと冷や汗を垂らしながら私がゆっくり顔を向けると、ドーラさんにフィンさん、それにテオさんやラルスさん──ぷろていんの効果を知っている人たちがじっと私を見つめていた。

 も、もしかしてあの筋肉……ぷろていんパンケーキの効果だったりしますか……!?

 へらっ……と笑うと、みんなも何かを察したのか、にこっ……と笑い返してくれる。

 ──そう。リナさんたちはこの一か月、ほぼ毎日のようにやってきては、ぷろていんパンケーキを食べていたのだ。

 私はサァーッと青ざめた。

 あああ、もしかしなくてもそうだよね!?

 力って、純粋に力が強くなるのかと思っていたけど、力が上がるってことはつまり、体にも相応の変化が起こるってことだもんね……!?

「みっ、皆さんごめんなさい! それ、パンケーキのせいかもしれません!」

 私はすっ飛んでいってぺこぺこと謝った。

 商売柄、リナさんたちは体型の維持がとても大事なはず。なのに勝手に変えるようなことをしてしまったら……!

 でも平謝りする私を見て、リナさんはきょとんとした顔になった。

「え? なんで謝るの? あたしこの体、めっちゃ気に入っているけど? さっきも言ったけど、このおかげでさらにモテるようになったし」

「セシルもだよぉ~。なんかセシルってぇ、馬鹿にされやすいんだけどぉ、最近力こぶ見せるとぉ、みんな逃げていくの。うふ」

 そう言ったセシルさんの瞳がキラッと鋭く光った。

 それは普段、ふんわりとろとろ、あま~い雰囲気のセシルさんには似つかわしくない光で、一瞬見間違いかと思って私は目をごしごしとこする。

 でももう一度見た時には、セシルさんはいつものとろぉんとした表情に戻っていた。

 そこへ、ペトロネラさんもニコニコしながら続ける。

「きっとそれが、〝ぷろていん〟の効果なんでしょうね。確かに筋肉はつきましたけれど、体型が崩れるほどではありませんから大丈夫ですわ。むしろ肌艶が良くなって、若返ったねって言われるようになりましたし」

「そーいうこと! だからララが謝る必要、なーんもなしっ」

 その言葉に、私は心からホッとした。

 よ、よかった……!

「むしろぉ、メニューに書いちゃえばぁ? 食べると筋肉ムキムキになりまぁ~すって」

 語尾にハートをつけながら言うセシルさんの案に、少し離れたところで聞いていたドーラさんもうなずく。

「そうだねえ……。あんまり出したくなかったが、ここまで体型が変わるってなると、ひとこと注意書きを入れておいた方がいいかもしれないね」

「わかりました。じゃあ明日から、メニューにはそのことを書き加えますね」

 言いながら、私は文章を考えた。

『ぷろていんの蜂蜜パンケーキ ※ただし食べるとムキムキになる可能性があります』

 ……うん、これでいこう!


 ──あたしの人生、こんなとこで終わっちゃうのかなぁ。

 『花の都亭』の二階。割り当てられた部屋の中で、あたしはあたしの首をギリギリと絞めているお貴族サマの顔を見ていた。

「セシルッ……セシルが悪いんだよ! 僕ともう会わないなんて言うからぁ!!

 そう叫んだお貴族サマの顔は涙と鼻水でぐじゅぐじゅで、普通にしていればあの男爵令嬢を夢中にさせるくらいにはかっこいいのに、今は全部台無しだ。

「どうして……どうしてだよ! 僕の味方は君だけだったのに! 僕が愛人に迎えてあげるって言ったじゃないか!」

 どうして?

 それを聞きたいのはこっちの方よ。

 あたしは何度も言ったよね。あんたが大好きな、あまぁ~い、舌ったらずの、頭が悪そうな口調で、何度も言ったよね?

『セシルはぁ、お嫁さんになるのが夢なのぉ』

 って。

 それなのにあんたが提示してきたのは愛人でしょ?

 愛人なんてまっぴらごめんよ。正妻の座に、あのヒステリックで品のない女がつくのならなおのこと。

 ま、たとえ正妻にって言われても、お断りなんだけどね。

「ケホッ……」

 ……だめだ、だんだん意識が遠くなってきた。あたし、本当にこのまま死ぬのかな?

 あーあ……。

 思えばあたしの人生、誰の一番にもなれなかったんだなあ……。

 ──十四歳でしょうかんに売られてからもう十年以上。

 貧しい家が娘を売るなんてよくある話だし、あたしにはこの顔と体があったから、高級娼館でもすぐに売れっ子になるってわかってた。

 上には上がいるっていうのも知ってたから、万年二位でもそれ以下でも、別にどうってことはない。

 前にいた売れっ子の先輩しょうれいで賢かったし、後からやってきたペトロネラちゃんだって、売れるために必死に努力を重ねた子。『花の都亭』の二階にできた新館に移ってから知り合ったリナちゃんだって、可愛かわいいだけじゃない。輝くばかりの生気っていうのかな、そういうのを放ってるもの。

 第一、この年齢でここまで戦えてるだけですごい方じゃない? ──みんなはあたしの年齢知らないけど。

 ……でもそんなあたしにも、たったひとつだけ夢がある。

 それは、誰かの一番になって、その人のお嫁さんになること。

 世界でただひとり、あたしのことだけを見てくれる男の人に愛されて、愛して、その人の子どもをいっぱい生みたいの。

 これだけは、娼館にやってきた十四歳の頃からの変わらない夢。

 ……まあもう、うすうすわかっているんだけどね。その夢がかなわないってことは。

 尊敬してた先輩も貴族の愛人として娼館を出ていったし、あたしを身請けしたいって人は、今あたしの首を絞めているお貴族サマみたいに、みーんな「愛人として」としか言わないし。

 ……ああ、だんだん目の前がかすんできた。

 このお貴族サマも、娼婦ひとり殺したところで自分の経歴には傷がつかないと思っているんだろうなあ。

 でも残念。この都には聖騎士団がいるのよ。彼らは相手が誰であろうと、殺されたのが誰であろうと、決してそんたくしないし公平に裁いてくれるって、知らないのかしら?

 ……そういえば……聖騎士団といえば……あの超かっこいい、イケメン……。

 涼しい目元に、しい眉。高いお鼻に、グリズリーのような、たくましいワイルドな雰囲気。

 ああ、テオ様って、今何しているんだろうなぁ……。

 突然浮かんできたテオ様の顔に、あたしはピクリと手を動かした。

 ああだめ、なんだかまとまりのない考えが頭の中を走っていく。

 こういう死に際に色々見えるのって、ピクシーのランタン走馬灯っていうんだっけ?

 でもね、あたし、結婚するならああいう人がいいなって思ってたの。

 たくましくて、強くて、豪快で……それでいて、意外と女遊びしなさそうな感じ。に何年も娼婦やってきたわけじゃないから、そういうのすぐわかる。

 あたし、ああいう人のお嫁さんになりたかったなぁ……。

 でもどう考えても無理だよね。あの人、苦手ですって感じの目であたしのこと見てたし……。

 この間も食堂に行ったらびっくりしちゃったな。テオ様がまさかの上半身裸になっていて、その筋肉がすごすぎて、あたし危うく失神しちゃうところだったんだもの。

 両手で口を押さえてなんとかこらえてたんだけど、本当に眼福の極みだった。思い出すだけで胸が熱くなっちゃう。

 テオ様みたいに……あたしにも力が……筋肉が……あったらなぁ……。

 ……。

 ……あれ?

 そういえば最近、あたし結構筋肉ついたんじゃなかったっけ? あのぷろていんパンケーキのおかげで。

 思い出しながら、あたしはゆるゆると腕を持ち上げた。

 あたしたちが筋肉がついた~って言ったら、『れべるあっぷ食堂』のララちゃん、かわいそうなぐらい顔を真っ青にして謝ってたなぁ。別にいいのに。

 考えながら、あたしはゆっくりと手をお貴族サマの手にわせていった。

「ふぐゥッ……! がそうとしたってだめだよセシル、僕たちはもう後戻りできないところまで来ているんだ。君は死んだ後、僕の中で永遠に生きるんだッ!」

 そこはせめて無理心中にしなよぉ……なんで自分だけ生き残ろうとしているんだよぉ……。そういうところだぞ。

 あたしはうんざりしつつ、自分の首の後ろに伸びているお貴族サマの指を一本つかみ──思いっきり反対側にじ曲げた。

「ぐぎゃあああ!?

 そしたら、指はあっけないほど簡単に剥がれたの。ついでにボキッ! となかなかいい音もしたものだから、お貴族サマが絶叫する。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 むせながら、あたしは自分の力に驚いていた。

 うそ……こんなに簡単に指剥がれちゃうの!? 筋肉って、すっごい!

 さっきまで死にかけていたのも忘れて、あたしは目をらんらんと輝かせた。

 体中から、力がみなぎる! そっか、今までなかったから知らなかったけど、筋肉って、こういう風に使えばいいんだね?

 最初にあたしを殺そうとしたのはこいつ。

 なら、何をしても正当防衛ってことになるよね?

「よぉ~しっ! 歯ぁ、くいしばっててねぇっ!」

 あたしはグーを作ると、手を押さえてもんぜつしているお貴族サマの顔に向かって、全力でパンチした。