お尻をぐわしっとつかまれた瞬間、私は叫びながら五十過ぎの旦那様をビンタしていた。

 バチィン! とすごい音がした後、ほおに真っ赤な手形をつけた旦那様が怒鳴る。

「せっかく役立たずスキルのお前を雇ってやったのに、ちょっと尻をでられたぐらいで主人をたたくとは何事だ! クビだ! 今すぐこの家から出ていけ!」

 ──そうして私は、いともあっけなく奉公先であるボート侯爵家を追い出されたのだった。



 数時間後。初夏の夕暮れの中、私は木々がうっそうと生い茂る森の道を、かばんを抱えてとぼとぼと歩いていた。

 ああ、やってしまった。せっかく見つけた奉公先だったのに……!

 私、ララローズ・コーレインは男爵家の長女だ。

 ただし男爵家とは名ばかりで、実際は借金を抱えて、毎日食べるものにも困るほどのド貧乏。だから少しでも家計を助けるため、働きに出ていたのだけれど……。

「来た直後からおかしいとは思っていたけれど……まさか『愛人になれ』って言われるなんて」

 ぼやきながら私はため息をついた。

 普通、侯爵家当主ともなれば忙しくて姿を見かけるのもまれなはず。

 なのに旦那様は、なぜか家の中で私の行く先々に現れたの。

 しかも、会うと必ず肩を抱かれたり、しつように手をさすられたり、腰に手を回されたり……。

 ようやく見つけた奉公先だったから、ぞわぞわしながらも毎日必死に我慢していたんだけれど、今朝、耳元でハァハァしながら『桃色の髪とすみれ色の瞳がかわゆいのう。おまえ、わしの愛人になれ』と言われてお尻をわし掴みにされた瞬間、頭が真っ白になって気づいたらビンタをしていた。

「うう。ただでさえ《はらぺこ》スキルのせいで敬遠されているのに、主人を叩いたって知られたら、ますます働き先が見つからなくなってしまうかも……!」

 私はハァと、再度ため息をついた。

 ──この世界では、貴族の血筋は十六歳になると『スキル』と呼ばれる特別な能力を授かる。

 スキルは千差万別で、よく聞くのは《火魔法》とか《水魔法》とか、簡単な魔法が使えるもの。希少なものになると《剣聖》とか《賢者》とか、「それってスキルなの……?」と聞きたくなるほどのものもあるらしい。

 当然すごいものを授かれば、一発逆転や成り上がりだって夢じゃない。

 私も、病弱なお様に代わって弟や義妹を養うため、なんとか就職に有利なスキルが欲しかったんだけれど……。

 十六歳の誕生日、教会で困惑顔の神官に言われたのは《はらぺこ》という聞いたこともないスキルだった。

 しかも……。

『ぷっ! 《はらぺこ》って何? さすが貧乏男爵令嬢ね』

『君のスキルじゃ雇えないよ。我が家に卑しい者が出入りしていると笑われてしまう』

 と、スキルを理由に、何度も就職をお断りされてきた。

 確かに私は、普通の女の子に比べたらその……ちょっとだけたくさんごはんを食べるかもしれない。でもそれは生まれつきだし、奉公先ではちゃんと制御もしている。

 だから何も迷惑はかけていないんだけれど……。そもそもこのスキル、一体何の効果があるのか、私もよくわかっていないの。

 そこまで考えてから、私はふるふると首を振った。そして自分を励ますように、ぐっとこぶしを握る。

「ううん、落ち込んでる時間はないわ! 早く次の仕事を見つけて、家に仕送りをしなくちゃ! 幸い、読み書きはできるし家事だってできる。貴族がダメなら、王都で職場を見つければいいのよね!」

 王都くらい人がいれば、きっと《はらぺこ》スキルを気にしない人だっているはずだ。もしかしたら、夢だった料理を作る仕事にだって就けるかもしれない!

 お義母様だって言っていたもの。『あなたが活躍できる場所は、きっとどこかにあるから大丈夫よ』って。

 も何もないけれど、なんとかなるでしょう! 多分。知らないけれど!

「えっと……、王都ってこっちでいいんだっけ?」

 旦那様に『お前に馬車など出してやらん! 退職金もこれで十分だ!』と投げ渡された地図を見ながら、私は森の奥に向かって歩いていく。

 それから、ふと道端に咲く野草に気づいて声をあげた。

「あっ! こんなところに万能ハーブのタイムが咲いている! あっちにはローズマリーも!? ……この森、よく見ると色んな香草に、まさかのきのこまで生えているわ! せっかくだから持っていこうっと」

 私は上機嫌で、道端に咲く香草やきのこを採っていった。

 まさかこんなところで出合えるとは思わなかったけれど、どれも家計に優しい食材で我が家の定番だったから、とてもなじみ深いのよね!

「うん。これだけあれば何にでも使えるわ! ……あれ、もしかしてあそこに落ちているのは、クルミ!? 今日はなんてついているの!」

 私は目を輝かせて、木から落ちたクルミをせっせと拾い集めた。

 クルミは殻付きなら日持ちするし、栄養も豊富。鞄がぱんぱんになるぐらい詰め込んだから、これだけあればきっと王都まで困ることはない!

「あ、いけない。没頭していたら、道を外れてしまった……」

 私はハッとして辺りを見回した。

 侯爵家を追い出されてから随分歩いたから、既に日も傾き始めてきている。王都まではまだ遠いみたいだし、今日はきっと森で野宿しなきゃいけないだろう。

 実家を出た時、お義母様がなけなしのお金をはたいて《結界》の加護がついたお守りを買ってくれた。だからこれを発動させれば、野宿しても魔物に襲われないはずだ。

 ……とはいえやっぱり、知らない森での野宿は少し怖い。地元の森だったら、もう少し慣れているんだけどな……。

 どこか安全そうな場所はないかきょろきょろしていると、ふと森の奥に目が留まった。

 というのもなぜかそこだけ、森にぽっかりと穴が開いたように、何もない空間が広がっていたの。

 そしてあかね色の夕日に照らされる中、石畳がまばらに広がる地面には……。

 ……あれ? 包丁キッチンナイフが刺さっている?

 私は目を細めてじっと見つめた。

 それは全体が白銀でできた包丁で、持ち手にはれいな装飾がびっしりと彫り込まれている。

 私はさらに何度か角度を変えて、じぃぃいっと見つめた。

 ……やっぱりこれ、包丁だよね?

 普通の包丁より一回りくらい大きいけれど、剣にしては小さいし、そもそも持ち手と刀身を分けるつばがついていない。

 この場所は開けていて寝泊まりにちょうどよさそうだし、もしかして誰かが忘れていったのかな?

 一応辺りを見回してみても、私以外に人の姿も気配もない。私はまたじっと包丁を見た。

 忘れ物なら……一瞬借りても大丈夫かな? ちょうど、今日と明日食べる分のクルミを割っておきたいと思っていたところだったの。

 私はしばらく悩んでから、思い切って包丁に手を伸ばした。

 それから細くてしなやかな持ち手部分を握って、えいっと引き抜いてみる。

 すると、包丁はスポッと、あっけないくらい簡単に抜けた。

 ……と思った次の瞬間。

 パァアアアッ! と私の目の前で、包丁が突然光り出したのだ。

「きゃっ! 何!?

 驚いて包丁を落としそうになって、私はあたふたと握り直す。

 かと思うと、頭の中に、澄んでりんとした綺麗なお姉さんの声が響いた。

『──ようやく会えましたね、わたくしの新しいあるじよ』

「へっ?」

 ど、どこから聞こえているの、この声!?

 急いで見回しても、辺りには私以外誰もいない。それに、声は頭に直接響いてきている。

 思い当たるものがあるとすれば……もしかしてこの包丁!?

 おたおたしていると、さらに頭の中に綺麗な声が響いてくる。

『おや……。これはまた、ずいぶんと若い女性でいらっしゃるのですね。……なるほど、《はらぺこ》スキル持ちと。おもしろいです。今世でなぜ包丁の姿になったのかずっと不思議でしたが、あなたが主人ならば納得もいきます』

「あの、えっと、はい……?」

 話についていけないまま、包丁さんが淡々と、それでいながらどこか興奮したように続ける。

『自己紹介が遅れましたが、わたくしは剣の女神リディル。主のお名前は?』

「えっと、私はララローズ、です……。みんなララって呼びますが……」

『ララローズ。いい名ですね。では主ララよ、早速わたくしと、世界平和を目指して、魔物を斬って斬って斬りまくりましょう!』

「えええっ!?

 突然出てきた単語に私はぎょっとする。

 せ、世界平和!? 魔物を斬りまくる!?

 この包丁さん、淡々とした口調でとんでもないことを言い出した!

 今の私は世界平和どころか、毎日食いつないでいくだけで必死なのに……!

 私はあわててリディルさんに言った。

「あの……ごめんなさい! せっかくのお誘いなのですが、人を間違えていると思います! 私に切れるのは食材だけで、魔物なんてとても……!」

 もしかしたらリディルさんは、この包丁の落とし主と私を間違えているのかもしれない……!

 けれどそんな私の予想とは反対に、リディルさんがきっぱりと断言する。

『いいえ、間違えておりません。わたくしの主は確かにあなたです』

「そ、そうなんですか……?」

『なぜなら、わたくしたちは既に魂の絆を結んでおりますからね。たとえあなたがここにわたくしを置いていったとしても、わたくしはすぐにあなたのところに飛んでいくことができますよ。だって、魂がつながっておりますから』

 リディルさんは、なぜかすっごく得意げな口調だった。

「た、たましい……?」

 私はといえば、突然出てきた不思議な単語についていけていない。でもどうやら人違いというわけではないらしい。一体、どうして……?

 首をかしげていると、不意に後ろからガサリと音がする。

 釣られて振り向くと、茂みの中からよだれを垂らしたおおかみ型の魔物が顔をのぞかせていた。

 血塗られたようにぎらぎら光る赤い瞳に、口から覗く鋭い牙。

 その姿を見て、私はリディルさんを抱えて叫んだ。

「ベッ、ベアウルフだあああ!」

 ベアウルフは魔物の中でもかなり凶暴で、絶対に遭遇したくない魔物の一種。なのに、まさかこの森に生息していたなんて! まだお守りも発動させてないのに!

「にに、逃げなきゃ!」

『待つのです、ララ。ここはわたくしに任せなさい!』

 涙目で逃げ出そうとしていたら、リディルさんが力強い声をあげた。

『さぁ、恐れずにつるぎを構えるのです! あなたにはわたくしの加護がついているのですから!』

 つ、剣っていうか……リディルさん包丁ですよね……!?

 でも、私が走って逃げたところでベアウルフはすぐに追いついてくるだろう。それなら、リディルさんを信じるしかない!

 私はぎゅっと口を引き結ぶと、ぶるぶる震えながらリディルさん包丁を構えた。

 それと同時に、よだれをまき散らしながらベアウルフが飛びかかってくる。

「グガアアア!!

「きゃあああっ!」

 でもやっぱり怖い!!

『ララ! 目をつぶってはいけません!』

 リディル包丁さんのしっが飛んできたと思った次の瞬間──ザシュッ! と小気味いい音がして、一歩も動いていない私の前でベアウルフがまっぷたつになった。

「えっ……えっ!?

 どうやったのか、気づけば一滴の血も飛び散ることなくベアウルフが私の左右に転がっている。しかもリディルさん包丁自身も、刀身に汚れひとつなくぴかぴかのままだ。

『ふふ、どうですかわたくしの力は。これくらい簡単ですよ』

 すぐに得意げなリディルさんの声が聞こえてきて、私は拍手をした。

「すごい! すごいですリディルさん!」

『わたくしは剣の女神。これくらいはお手のものです。……まぁ、本当はあなた自身が斬った方がよいのですが……』

 言いながら、目はないけれどリディルさんがちらちらとこちらをうかがっている気配がして、私はあわてて否定した。

「わ、私はただの一般人なので、食材しか切れませんよ……! それよりもあのう……リディルさん、こんなに強い包丁さんなのに、私が主人でいいのですか……?」

『もちろんです。先ほども言った通り、わたくしたちの絆は既に繋がれておりますからね』

 どうやら、リディルさんの決意(?)は固いらしい。

 なら、命を助けてもらったし、リディルさんがそこまで言うのであれば……!

 私は覚悟を決めると、包丁リディルさんに向かって深々と頭を下げた。

「わかりました! ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします!」

『はい。よろしくお願いします、ララ』

 うれしそうなリディルさんの声を聞いて、私はふふっと笑う。

 まさかこんな変わったお友達ができるとは思っていなかったけれど、これも何かのご縁だ。大事にしよう。

「あっ、リディルさん。寒くないですか? 私、さやを持っていないので、スカーフで包みますね!」

 言って、私は鞄からごそごそとスカーフを取り出そうとした。

 けれど、その言葉をリディルさんがさえぎる。

『鞘などいりませんよ。いえ、しいて言うなら……わたくしの鞘はあなたです。ララ』

 言うなり、リディルさんがパァアッと白く光り始めた。やがて真っ白な光になったリディルさんが、すぅぅうと私の体内に吸い込まれる。

「わぁ、すごい! これなら鞘いらずですね!」

『驚くのはまだ早いですよ。わたくしの本領発揮はこれからです。あなたにスキルツリーを見せてあげましょう!』

「すきる……つりー?」

 突然出てきたのは、まったく聞いたことのない単語だった。

『百聞は一見にかず。さぁ、ララ。目をつぶってごらんなさい』

 リディルさんに言われるがまま、私は目をつぶる。

 すると──。

「わわっ!? なんですかこれ!?

 暗闇の中には、たくさんの光る銀貨のようなものが浮かんでいた。

 銀貨の表面には様々ながらが描いてあり、一番真ん中にある銀貨を中心にたくさん枝分かれして、すべての銀貨が線で繋がって広がっている。

 そこへふわりと舞い降りたのは、暗闇でもほの明るく光る、全身真っ白な女の人だ。

 切れ長の目にまつ毛がバサバサついて、ツンととがった鼻先もふっくらと膨らんだ唇も、全部お人形さんみたいに美しい。

『ふふ。驚きましたか。わたくしの加護とララの《はらぺこ》が掛け合わさった結果がこれです。見たことのないスキルばかりで、わたくしも大変驚いていますよ』

 ……あれっ!? この声はもしかして、リディルさん!? すごい美人さんだあ……!

 私がれていると、リディルさんの白魚のような手がいくつかの銀貨を指さした。

『しかし《浄化》や《バフ付与》、《火魔法》などはいいとして……なんでしょうこの《短冊切り》というのは。それにもっとわけがわからないのは、この《ポン酢生成》と《プロテイン生成》です。こんなものは初めて見ました。錬金術で使う薬剤でしょうか?』

「ぽんず……? ぷろていん……?」

 聞いたこともない不思議な単語に私は首をかしげる。それから別の銀貨に気づいて、あっと声をあげた。

「あの! ここに書いてある《砂糖生成》って……もしかしてお砂糖が作れちゃうんですか!?

『そういうことですね。ですがこれはスキルツリーなので、《砂糖生成》スキルを覚えるためには、まずその前にある《塩生成》を覚えないといけません』

「えっ!? これ全部、スキルなんですか!?

 普通、スキルというのはひとりにつきひとつしか授けられない。

 複数のスキル持ちなんて聞いたことがないし、ましてやスキルツリーなんて代物は初耳だ……!

『ふふふ。それこそがわたくしの加護なのですよ。さぁ、まずは基礎となる《包丁使い》のスキルをあなたに授けましょう。……あまり緊迫感のない名前ですが、これはララの基礎であり、すべての始まりですからね』

 リディルさんが手を組んで祈ると、包丁が描かれた銀貨がパァアッとひときわ強く光り始める。

『さぁ、これでララは《包丁使い》になりました。包丁を使えば使うほど経験値がまります。その経験値を使って、どんどん新たなスキルを覚えていきましょう!』

 わぁ……すごい!

 私はぱちぱちと拍手をした。

 魔物退治って言われた時はどうしようかと思ったけれど、包丁を使うってことは、普通にごはんを作っていればいいんだよね? それなら私にもできそうだし、何より塩とか砂糖を自分で作れるようになれば……すっごく助かる! それを売って、家に仕送りもできるかもしれない!

『ララ、早速使ってみてはどうですか。ちょうどそこに、先ほど斬ったベアウルフが残っていますし、あれで試し斬りしては』

 指し示されるまま、私はベアウルフを見た。

 そういえば今までベアウルフを食べる機会はなかったけれど……ついに機会が巡ってきたのかもしれない! ベアウルフって一体、どんな味なんだろう……!

 ごくり。私の喉が鳴る。

 実家にいた頃は節約のため、散々キラーラビットをわなで倒して食べてきたから、応用すればベアウルフもさばけると思う。まずは皮をいで、内臓を取って血抜きもしないと……!

 私がベアウルフを解体する算段をつけていると、ふいにリディルさんがハッとしたように鋭い声をあげた。

『いけません、ララ! 囲まれています!』

 けれど私が顔を上げた時にはもう遅かった。

 いくつもの赤い瞳に、鋭い牙。

 茂みから姿を現したのは、ベアウルフの集団だった。

 囲まれているのを見て、私は飛び上がった。

「わ、わあああ! 狼さんがいっぱいいいい!」

『落ち着くのです、ララ。わたくしがいるから大丈夫。まずはわたくしを具現化させて──!』

「ぐ、ぐ、ぐ、具現化って何ですか!?

 私はすっかりパニックになっていた。あたふたと空っぽの両手を振る。

 そんな私のすきを見た狼が一匹、飛びかかってくる。

「グガアアアアア!」

「きゃああああっ!」

 だめ、間に合わない!

 両手で身をかばったその時だった。

「伏せるんだ!」

 突然男の人の叫び声が聞こえたかと思うと、横からビュッと矢が飛んできた。矢は私に飛びかかろうとしていた狼の横っつらを貫き、地面に叩き落とす。

!?

 声がした方向を見ると、そこにはよろいを着たたくさんの男の人たちがいた。風貌や鎧の形からして、騎士だろうか。

「行け! 狼どもに負けるな!」

 先頭で声を張り上げているのは、私より少し年上に見える青年だ。真夜中の空の色を思わせる紺青色の髪に、鮮やかなサファイアの瞳。

 その顔は鼻筋から輪郭にいたるまですべて完璧な調和を描いており、騎士とは思えないほど綺麗な顔をしていた。

 彼は大きな声でげきを飛ばしたかと思うと、自身も剣を抜いて戦い始める。

 その動きは人間離れしたすさまじい速さで、私は恐怖も忘れてぽかんと魅入っていた。

『ほう……人間の騎士たちもなかなかやりますね。スキルの力を最大限まで引き出している』

 なんて言いながら、リディルさんが色々解説してくれる。

『先頭で戦っている方、心身一体のれするような動きですね。あの巨体な男性もすさまじいパワーです。おや? あっちの小柄な男性もなかなかの弓術のようですね』

 騎士たちは次々とベアウルフをなぎ倒したかと思うと、あっという間に撃退してしまった。

「君、大丈夫か。ケガは」

 返り血をぬぐいながら、先ほどの青年が歩み寄ってくる。私はぺこりと頭を下げた。

「助けていただいてありがとうございます! あの、何かお礼を……」

「礼は大丈夫だ。それより、なぜこんなところにひとりで?」

「そうだぞ! この辺りは夜になると魔物が活発になる! 夜は近づいてはいけないって、教わらなかったのか!?

 辺りの空気をびりびりと震わせる大声で叫んだのは、グリズリーのように体格のいい騎士だ。彼は周りの騎士たちより頭ひとつ分くらい大きく、年は私より十ぐらいは上に見える。

 とにかく大きな声だったから、私はビクッと肩をすくめた。

「ご、ごめんなさい……!」

「テオ、声量には気をつけてくれ。相手は女性なんだ」

「おっとすまん!」

 テオと呼ばれた男性が、また大きな声で私に謝る。

「いっいえ、大丈夫です……!」

 その声にも委縮する私に、先ほどの青年が身を乗り出した。

「自己紹介が遅れたが、私はフィンセントだ。王立聖騎士団の団長をやっている。彼は副団長のテオドール」

「フィンセント様に、テオドール様……!」

 えっと、騎士だから敬称をつけるのであっているんだよね……?

 貴族社会のことは一応知識として習ったけれど、貧乏すぎて一度も社交界に出たことがないから、あっているかどうか自信がない。

 私がおそるおそる呼ぶと、フィンセント様は優しく微笑ほほえんで首を振った。

「様はいらないよ。ただのフィンでいい」

「俺もテオで大丈夫だぞ。様付けなんて落ち着かん」

「で、ではフィンさんとテオさん……! 私は、ララローズと申します」

「ララローズ、さっきも聞いたが、なぜここにひとりでいたんだ?」

 その質問に、私はしどろもどろになった。

 やっぱり、正直に話さないとだめだよね……?

「実は……今日、奉公先のボート侯爵家から追い出されまして……」

「追い出された? ……一体どうして?」

 フィンさんの眉がひそめられる。私はごにょごにょと小声で言った。

「その……だ、旦那様の顔を、思い切りビンタしてしまって」

「ビンタぁ!? お嬢ちゃん、若いのにやるなあ」

「すっすみません!」

 私はあわててぺこぺこと頭を下げた。そんな私を、フィンさんが止める。

「謝らなくて大丈夫だ。それより、ビンタした理由を聞いても?」

「それは……その……」

 私はもごもごと、事情を説明した。

 家じゅうどこに行っても旦那様と遭遇すること、会うと必ず体のあちこちを触られること、それから『愛人になれ』とささやかれながらお尻をわし掴みにされたこと……。


 全部説明し終えると、テオさんがブハッと噴き出した。

「尻をわし掴みにされたぁ!? そりゃひでえな! 一発と言わず、十発ぐらい殴ってもよかっただろう! 俺が代わりに殴ろうか!?

 一方のフィンさんは、眉間にしわを寄せて険しい顔をしている。

「まさかボート侯爵がそんな人物だったなんて。なんと下劣な。国王陛下に直談判して、爵位をはく奪してもらおう」

「いっいえ! 大丈夫です!」

 国交陛下!? 爵位はく奪!? 大ごとになりそうな気配を感じて私はあわてて手を振った。

「お気持ちだけありがとうございます! それに、私も暴力をふるってしまいましたから……」

 私の言葉にフィンさんはまだ納得がいかないような顔をしていたが、私が何度か断るとようやく諦めてくれたようだった。

「わかった。ボート侯爵の爵位はく奪まではしない。だが使用人に対する不当な扱いについては、きっちり制裁を受けてもらおう。……そうだ、君はこれからどこに向かうんだ」

「王都に行こうと思っていました。そこなら何か職が見つかるかもしれないと思って」

「ならちょうどいい。私たちの拠点も王都にある。女性一人でこの森を歩かせられないし、王都まで一緒に行こう」

「本当ですか!?

 やった! 聖騎士団と一緒に行動できるなら、もう魔物を怖がる必要もない!

「ありがとうございます! 私も、できることは全部やります! 料理とか家事とかが得意です!」

「おっ。それは助かるな。聖騎士団は剣術しか知らない野郎ばっかりだから、炊事係を押し付けられているラルスが喜ぶぞ」

「そうだな。もし手伝ってもらえるのなら、とても助かる」

「もちろんです! 何でもやります!」

「だとさ、ラルス! こっち来いよ!」

 テオさんが大声で呼ぶと、ラルスと呼ばれた小柄な青年がこっちにやってくる。

「なんスかテオさん! 今めっちゃ忙しいんスけど!」

 栗色の髪に細い糸目、それからそばかすを顔いっぱいにつけたラルスさんが来ると、テオさんがその背中をばんと叩いた。

「よかったなラルス! 炊事係がひとり増えたぞ!」

「王都まで同行することになったララローズ嬢だ。料理や家事を手伝ってくれるらしい」

「本当スか!? 女神様っス! めちゃくちゃ助かるっス!」

 ラルスさんの想像以上の喜びっぷりにドキドキしつつ、私は頭を下げる。

「ララローズです! どうぞララって呼んでください! 皆さんよろしくお願いします!」

「じゃあ早速っスけど、こっち来てもらっていいっスか? 今日はここに拠点を作らなきゃいけないんスけど、今猫の手も借りたいくらい忙しい感じで!」

「はい、もちろん!」

 私はフィンさんたちにもう一度ぺこりと頭を下げると、早速ラルスさんについていった。

 そんな私の後ろで、声が聞こえる。

「大変ですフィン団長! 侯爵領で守られているはずの聖剣が、どこにも見当たりません!」

「なんだって!?

 セイケン……ってなんだろう?

 気になりつつも、私は急いでラルスさんの後を追った。

「じゃあまずは、夕飯の下ごしらえを手伝ってほしいっス! 簡単なスープを作るっスから、そのための野菜を全部切ってもらっていいっスか?」

「はい!」

 言いながらラルスさんは、たくさんの食材が載せられた荷車を引いてくる。

 中にはじゃがいもと玉ねぎといった日持ちする野菜のほかに、大きなお鍋や包丁、まな板カッティングボードなどの調理器具に加え、瓶の調味料までいくつか入っている。

 旅人の携帯食といえば干し肉やショートブレッドを想像していたんだけれど、まさか専用の荷車があるなんて! さすが王立聖騎士団だ。

 私が感心して眺めている間に、ラルスさんが今日使う野菜を取り出す。

 聖騎士団は十人で構成されているため、結構な量だ。近くに清水の湧く泉があるから、今日は大鍋でぐつぐつ煮るスープにするらしい。

「包丁はここのものを使ってもらって、それから──」

「ラルスさぁん!」

 そこへ、ラルスさんより若い騎士さんが走ってくる。

「どうしたっスか」

「今日斬ったベアウルフ、どうします?」

 若い騎士さんに聞かれて、ラルスさんが「あぁ~」と顔をしかめた。

「それ、悩んでいるんスよね~。ベアウルフの肉は栄養豊富なんスけど……においが超強烈で……ハーブ使っても消えないんスよねぇ……」

「前に食べたベアウルフ、すげえ臭さで食べられたものじゃなかったですもんね……」

 ふたりの会話に、私は興味津々で聞き耳を立てていた。

 ハーブの臭み消しも効果がないなんて、ベアウルフってそんなに臭いんだ!

「とりあえず非常食用に、干し肉にできないか考えてみるっス」

 言いながら、解体用の大きな包丁を持ったラルスさんが若い騎士さんとともに積み上げられたベアウルフの山に向かって歩いていく。

 その後ろ姿を見ながら私も腕まくりした。

 ベアウルフも気になるけど、まずは目の前のお仕事を片付けないと!

 そこに、リディルさんの声が響く。

『ちょうどいい機会です。早速わたくしを使ってごらんなさい』

「はい!」

 一瞬、こんなに綺麗で気高いリディルさんを使って野菜を切ってもいいのかな……なんて思ったりもしたけれど、本人が言うのならきっと大丈夫なんだろう。

『先ほど言いそびれてしまいましたが、わたくしを具現化したい時は、頭の中でわたくしを持った自分の姿を思い浮かべるのです』

「姿を思い浮かべる……」

 私は目をつぶって、リディルさん包丁を持つ自分の姿を想像した。すると、右手のあたりがあたたかくなって、目を開けた時には自然と手に包丁が握られていた。

『上手ですよ。その調子です。早速、使ってみてください』

「はい!」

 実家では当然使用人を雇う余裕なんてなく、料理はずっと私の仕事だったから、手慣れたものだ。

 私はまずじゃがいもを手に取ると、しょりしょりと手際よく皮をむき始めた。

『てぃりんてぃりんてぃりん』

 ……えっ?

 直後、頭の中に不思議な音が響く。

 それは小声だったけれど、よく聞くと……リディルさんがつぶやいている?

『てぃりんてぃりんてぃりん』

「あの……リディルさん? その音は一体……?」

『これはですね、ララ。経験値が溜まる様子を、わたくしが音で表現してみました。どうです、わかりやすいでしょう?』

 そう言うリディルさんの声はどこか得意げだ。

「そ、そうなんですね……」

 ちょっとびっくりしちゃったけれど、厚意なら無下にするわけにいかないよね……!

 私は気を取り直して、今度はむき終わったじゃがいもをまな板にのせて切り始めた。

 トントン……。

『てぃりんてぃりん』

 トントントン……。

『てぃりんてぃりんてぃりん』

 ………………お、落ち着かない!

 親切心だってわかっているけれど、ずっと音が聞こえるのはちょっと落ち着かない! しかもこれ、リディルさんが横で(?)しゃべっている声だから!

 でも「音はなくていいです」なんて言ったら、きっとリディルさんが悲しむよね……?

 私が悩んでいると、何かを察したらしいリディルさんの声が聞こえる。

『……もしかして、目に見える方がお好きでしたか?』

「えっ! 目に見える方もできるんですか?」

『もちろんです。わたくしは有能ですから。ほら、これでどうです?』

 言うなり、目の前の空間にスゥーッと光る白い文字が現れた。そこには

Lv1:1112

 と書かれている。

 試しにその状態でトントン、とじゃがいもを切ってみると、パッと文字が光って、

Lv2:2/30

 と数字が変わった。

 同時にリディルさんの弾んだ声が聞こえる。

『ぱぱぱぱーん。おめでとうございます。レベルアップしましたね』

「れべ……れべるあっぷ……?」

 スキルツリーに続いて、またもや聞いたことのない単語だ。

『スキルポイントも1増えたので、初期スキルなら好きなものを覚えられますよ。さあ、何にしますか?』

 すきるぽいんと……って何だろう?

 疑問に思いながらも私は目をつぶった。

 そうすると暗闇の中に、またあの〝スキルツリー〟と呼ばれる不思議な銀貨たちが浮かび上がってくる。

 基本の《包丁使い》に繋がっているものは……結構多い。

 私は書かれている文字に次々と目を通した。

 リディルさんが言っていた《塩生成》や《短冊切り》、それから《武器変化:おたま》って何だろう……? 《鑑定》とか、《バフ付与・小》、《下級火魔法》といった魔法っぽい項目もある。

『ちなみにわたくしのおすすめは《鑑定》です。これがあると便利なのはもちろん、次のスキル《浄化》にもつながっているので非常に汎用性が高いと思います』

「リディルさんがそう言うなら、まずは《鑑定》を取ってみます!」

『わかりました。それではあなたに《鑑定》スキルを授けましょう』

 リディルさんの美しい手が《鑑定》と書かれた銀貨に触れる。すると《包丁使い》を選んだ時同様、銀貨がパァッと光った。これでスキルを習得したことになったらしい。

『さぁ、早速使ってみてください。鑑定したいものを見て心で念じると、スキルが発動します』

 私は、リディルさんに言われた通りにしてみた。

 といっても目の前にあるのは野菜だけだったんだけれど、私はじっとじゃがいもを見つめて心の中で『鑑定』と呟く。

 すると、じゃがいもの上にぱっと文字が浮かび上がった。

ヘシトレ産じゃがいも:成熟。日持ち残り二か月

「す、すごい……! 状態のほかに、日持ちする日数までわかっちゃうなんて!」

 私は感動に震えた。

 実家はとにかく貧乏だったから、よく余った食材や、傷みかけの食材をただで譲ってもらっていたの。

 当然、中には思ったより傷んだものや危ないものもあったりするのだけれど、この《鑑定》スキルがあれば、見分けに時間をかけなくてすむ! なんて便利なんだろう!

『これひとつで、人間から魔物まで何でもわかりますよ。もちろん、食べ物に毒があるかどうかも』

 リディルさんの言葉に、私はふと思い出して、今日採ったきのこを取り出した。

「あっ! このきのこ鑑定したら微毒だ!? いつも食べているから気づかなかった……」

 思わぬ新発見に驚きつつも、私はそっと微毒きのこを鞄に戻した。

 ……貴重な食材だもの。お義母様たちには食べさせられないけれど、私は胃が強いから食べ続けても大丈夫。多分。

 そこへ、少し離れたところからフィンさんの声が聞こえてくる。

「一体どういうことなんだ、聖剣がないとは……! 急ぎ、聖剣領を管理しているボート侯爵に早馬を飛ばせ。状況を確認するんだ」

「はいっ!」

 フィンさんは何やら厳しい顔で部下に指示を出していた。テオさんも険しい顔をしているし、よくわからないけれど大変みたい。

 私は何もできないけれど、せめておいしいごはんを作って皆に英気を養ってもらわなくっちゃ!

 気を取り直して、私はリディルさん包丁でじゃがいもをトントンと切り始めた。

 私がじゃがいもを切る動きに合わせて、文字表示にしてもらった、れべる? というものの数値がどんどん上がっていく。

 すぐさま、間を置かずに次のレベルに上がった。

『ぱぱぱぱーん。おめでとうございます。またスキルポイントが1増えましたよ。次は何にしましょう。おすすめは《浄化》ですが、スキルポイントが3必要になるので今はまだ取れません。ポイントを溜めてもいいですが、1で獲得できるものをばんばん取るのもおすすめです』

「そうなんですね。なら……」

 私は目をつぶった。

 《浄化》もいいけれど、その前にずっと気になっていたスキルがあるのだ。

「次は《塩生成》を取ってもいいですか?」

『わかりました。あなたに《塩生成》を授けましょう』

 パァァッと、今度は《塩生成》の銀貨が光る。

『これであなたは、塩を作れるようになりました。試しに、そこに落ちている石を拾ってごらんなさい』

「えっ。石……!?

 どうやって作るのか気になっていたんだけれど、まさか石を持ってこいと言われるなんて。

 げんに思いながらも、私は近くに落ちている卵大の石をひとつ手に取った。

「あのう……これをどうすれば……?」

『それをまな板にのせ、わたくしを使って切るのです』

「リディルさんで石を? 刃が欠けてしまいませんか!?

『何を言うのです。わたくしがたかだか石などに負けるはずがありません。金剛石だって切れますとも。さぁ、切るのですララ』

「は、はい!」

 私は急いで、まな板に石をのせた。それからごくりと唾をんで、言われた通り石にスッと包丁を走らせる。

 すると──。

「わわっ!? じゃがいもよりも簡単に切れる!」

 てっきりガツンという嫌な手ごたえが返ってくるかと思いきや、石はバターを切るようにスッと切れてしまったのだ。

 しかも刃に触れた灰色の石が、瞬く間に白い物体へと姿を変えていく。見間違いでなければ、これはやたら綺麗な岩塩だ!

 試しに少し手に取ってめてみると……うん、やっぱり塩!

「す、すごい……!! 石が塩に変わっちゃった……! 奇跡だ……!」

 私、今日は「すごい」しか言っていない気がする。でも本当にすごい! だってこの力があれば、一生塩に困らないんだよ!? それに、他にも《砂糖生成》があるってことは……!

 私はごくりと唾を呑んだ。それから、ふとあることに思い至って、顔を上げる。

「これだけ塩があるなら、もしかして……」

 私は作り立ての塩を持って、ベアウルフの血抜きをしているラルスさんのところに向かった。


「っかしいっスね。なんでこのベアウルフだけこんな変な斬れ方しているんスかね──」

「あの、ラルスさん、ちょっといいですか?」

 私が声をかけると、ベアウルフを解体中のラルスさんがぎょっとしたようにこっちを向く。

「どうしたんスか、ララさん。今解体しているところなんで、女性にはちょっと刺激が強い光景かもしれないスよ」

「大丈夫です。動物をさばくのはキラーラビットでよくやりましたから、ベアウルフも全然平気です!」

「え。ララさん、キラーラビットさばいていたんスか? 強いスね……」

 ラルスさんにちょっと引かれた。

 でも、そういう反応は慣れているから大丈夫!

 実家にいた頃も「男爵令嬢なのにあの凶暴なキラーラビットを捕まえてさばくの!?」ってよく驚かれていたもの。

 それよりも……。

「あのう、ベアウルフの肉って、そんなに臭いんですか? 私、食べたことないんです」

 私が興味津々で聞くと、ラルスさんが「ああ」と呟いた。

「とにかく臭いっスね。……もし平気なら、嗅いでみまスか? 血抜きしたのにこれっスよ」

 言いながら、水で洗ったらしい一枚の分厚い肉をべろんと差し出す。

 とたんに、まだ顔を近づけてもいないのに、ムッとする強烈な獣のにおいがこうをついた。

 ううん、これは確かに……臭い!

 念のため鑑定してみたけれど、次のように書いてあって、やっぱり傷んでいるわけではなさそうだ。

ベアウルフの肉:正常。日持ち残り二時間

 眉間にぎゅっとしわを寄せた私を見ながら、ラルスさんが言う。

「一応ローリエとかっていうハーブが、臭み消しの効果があると聞いて使ってみたこともあるんスけど……それぐらいじゃこの臭みは全然消えなかったっスね」

「タイムや、他のハーブはどうでしたか?」

「さあ、そのあたりは……。自分、他の人よりは器用なのを買われて炊事係を押し付けられ……じゃない、やってるっスけど、正直詳しくは全然わかんないっス」

 どうやらラルスさんの本業は騎士の方で、専門の料理人というわけではないらしい。

 それを聞いた私は、ある提案をした。

「なら……ラルスさん。このベアウルフのお肉、ちょっと私に任せてみてもらえませんか?」

「ララさんにっスか? 構いませんけど」

「ありがとうございます!」

 私は腕まくりをすると、早速強烈な異臭を放つベアウルフ肉を見つめた。

 それからリディルさんを構えると、迷わずスッと肉に刃を入れる。

 相変わらずリディルさんは切れ味抜群で、手ごたえを一切感じさせない軽やかさでスッスッと肉が切れていく。

 ああ、この切れ心地もなんてすばらしいんだろう! リディルさんは間違いなく一流の包丁だわ!

 感動しながら、私はまずベアウルフの肉を人数分、分厚いステーキサイズに切り分けた。最終的にはもっと細かいひと口サイズに切る予定なんだけれど、今は下ごしらえのために面は広い方がいいと思ったの。

 肉を切り終わると、私はリディルさんを自分の中に収納した。

 それから地面の上に葉っぱをたくさん並べ、その上に一枚ずつ肉をのせていく。先ほど《塩生成》で作って細かく刻んだ塩をひとつかみ握ると、私は肉の表面にパラパラと振りかけていった。

 周りでは、私の様子に気づいた騎士さんたちが何事かと集まり始めている。

 用事を終えたらしいフィンさんやテオさんもやってきた。

「ララ、それは一体?」

「お嬢ちゃん、塩振って食べるつもりなのか? やめとけやめとけ。ベアウルフはくせぇぞ」

「いえ、これは肉の臭み消しなんです。うちは貧乏だったので腐りかけのお肉もよく食べていたんですけれど、そういう時にこの方法を使うんですよ」

 私の言葉に、フィンさんたちがどよめく。

「腐りかけの肉……!?

「そんなものを食べるなんて、嬢ちゃんガッツあるなあ……」

「自分たちですらないっスよね。王立聖騎士団はこう見えて全員、貴族の家系っスから」

 その場にいる騎士さんたちが、一斉にうんうん、とうなずいている。

 ……ど、どうしよう。実は私も一応男爵家の娘なんです、とは言いづらい……。さいわい気づかれていないみたいだし、わざわざ自分から言わなくてもいいよね……?

 私は赤面して縮こまりながら、ひたすら塩をぱらぱらと振っていった。

 それから鞄をごそごそと探って、今日摘んだばかりのハーブを取り出す。

「ラルスさん。ハーブを結べるようなひもか糸を持っていませんか? ブーケガルニを作りたくって」

「ぶーけがるに? それはよくわかんないっスけど、紐ならこれがあるっスよ」

 言うなり、ラルスさんは結ぶのにちょうどよさそうな紐を持ってきてくれた。私は今日集めたローリエにマジョラム、パセリ、ローズマリーを紐できゅっきゅと結びながら説明する。

「ありがとうございます! ブーケガルニは、シチューやスープなどに使う、いくつかのハーブをまとめたものなんです」

 用途に合わせて入れるハーブも変えるんだけれど、森にいっぱいあったおかげでいいブーケガルニが作れそう! それにしてもこの森、本当によく色々生えていたんだなぁ。きのこも生えているし、季節とか関係ないみたい。なんでだろう……?

 不思議に思いながら、私は次にローズマリーを細かくちぎって木のボウルで混ぜ合わた。そうしている間にほどよく時間がったので、塩を振っておいたベアウルフの肉を見ると、表面が水っぽくなっている。

 うんうん、いい感じ! なぜかは知らないけれど、塩をまぶすと臭みが浮き出すんだよね。

 それを近くの池からんできてもらった水でじゃぶじゃぶと洗う。さらに洗い終わった肉を、包丁の背でトントントントンと細かく叩いて柔らかくしてから、ちぎったローズマリーをまぶす。

 普通のお肉なら塩だけでも十分なんだけど、ベアウルフは手ごわそうだから、ハーブも追加だ!

 肉の下ごしらえが終わると、私は鍋の準備に取りかかった。

 大鍋の底に油を垂らし、ラルスさんが用意してくれた網を張った金属製の台のようなものにのせる。網の下ではぱちぱちとたきぜていて、これで料理をするらしい。よくできているなぁ。

 鍋をあたためている間に、私はローズマリーをまぶしておいた肉を手に取った。

 それから鼻を近づけてみて……うん、これならいけそう!

 私はにっこり微笑むと、ラルスさんの方を向いた。

「ラルスさん、ベアウルフの肉を使ってシチューを作ってもいいですか?」

「ええっ! シチューにっスか!? そんなことしたら、シチュー全体にベアウルフの臭みがつくんじゃ……」

「でも、もう臭くありませんよ」

 言いながら、手に持っていた肉を差し出す。

 それをラルスさんがくんくんとにおいを嗅ぎ──。

!? 本当だ! 全然においがしないっス!」

「なんだって? お嬢ちゃん、俺にも嗅がせてくれ!」

 ラルスさんの叫び声に、見守っていたテオさんら騎士さんたちも次々においを嗅ぎに来る。

「本当だ! あのすさまじいにおいがしない!」

「確かにこれなら食べられるかもしれないな……」

「やったあ! もしかして、肉入りのシチューが食べられるんですか!?

 肉入りシチューは、街中でもなければなかなか食べられる機会はないのだろう。興奮して盛り上がる騎士さんたちを見ながら、私はにっこりと微笑んだ。

「安心してください。煮込む時、お肉の臭み消しに特化したブーケガルニも入れるので、においはしないはずです!」

 まさかこんなところで散々質の悪い肉を調理した経験が生きてくるなんて……! 人生何事も経験だわ!

 肉を手に取り、くんくんと嗅ぎながらラルスさんが感心したように言った。

「ララさんすごいっスね! あの臭かったベアウルフ肉から何もにおいがしないなんて……! あ、切るのは自分がやるっスよ! これくらいは自分も手伝わないと」

 言いながら、腕まくりしたラルスさんが分厚かった肉をちょうどいいひと口サイズに切り分けてくれる。私はそれを大鍋に並べ、軽く焼いてまんべんなく焼き目をつけていった。

 それから一度肉を鍋から取り出すと、私は再びラルスさんに声をかけた。

「ラルスさん、食材の中にワインがあったと思うんですが、少しもらってもいいですか?」

「もちろんっス」

 もらったワインをゆっくりと鍋に回し入れると、木べらで鍋底の焦げをこそげ取って煮溶かしていく。

 途端、肉の香ばしい匂いと、ワインのほうじゅんな香りが混ざり合って、そばにいる騎士さんたちがうっとりと目を細めた。

 さらに先ほど焼いたお肉と水、ブーケガルニも投入し、火を弱めに調整してもらって、野菜と一緒にくつくつ、くつくつと煮込んでいく。

「おっ!? 早くもいい匂いがしてきたなぁ!」

「テオさん、気が早いっス。これからが本番スよ」

 くんくんと鼻の穴を広げて吸い込むテオさんに、ラルスさんが突っ込む。その様子を見て、私とフィンさんは笑った。

「ここからしばらく煮込むので、もうしばらく時間はかかります!」

「外であたたかいものを食べられるだけで十分だと思っていたが……こんなに夕食が楽しみなのは久しぶりだ」

 そう言ったフィンさんは本当に嬉しそうな顔をしていて、なんだか私まで嬉しくなった。

 『令嬢が自炊なんて』と散々馬鹿にされて笑われてきたけれど、ここでみんなの役に立ててよかったなあ……!


 ──やがて、夏の夜空に白い湯気の筋が立ち上る。

「ごめんなさい! 遅くなっちゃいましたね。もう少しでできますので!」

 気づいたら辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

 同時にふわんと広がるシチューの匂いに、数人の騎士さんがワクワクした顔で駆け寄ってくる。フィンさんも目を細めて匂いを嗅いでいた。

「すごいな……。ベアウルフのひどいにおいが全然しないどころか、嗅いでいるだけでお腹がく」

「おい、フィン……。こりゃなんともいい匂いだなぁ、ええ? ラルスが作ってた時とはえらい違いだなぁ」

「うるさいっスよ。そもそも自分、料理人じゃないんスから、あったかいごはんを食べられるだけ十分でしょ」

 そんなやりとりを聞きながら、私は貸してもらったおたまでシチューを少しすくい取り、味見をする。

 ……うん! これなら大丈夫そう!

 出汁ブイヨンをとる時間がなかったのだけれど、ワインのおかげだろうか? ベアウルフ特有の臭みは感じられず、シチューはいい感じにとろっとしていて、ひと口舐めただけで濃厚なコクを感じた。

 これなら皆さんに出せる!

 私は器にシチューを盛り付けると、それをずいっと差し出した。

「お待たせいたしました! 『ローズマリー風味ベアウルフの野営シチュー』の完成です!」

「できたか! 早速皆で食べよう」

 フィンさんが嬉しそうな顔で言った途端、他の騎士たちもワッと駆け寄ってくる。

 私はラルスさんと協力して器に盛り付けて、どんどん皆に配っていった。

 やがて全員に行きわたったのを確認すると、フィンさんが木製のジョッキを掲げる。

「今日の夕食は、今日からしばらく聖騎士団に加わることになったララローズ嬢が作ってくれた! 皆、感謝して食べるように!」

「ララにかんぱーい!」

 乾杯を終えると、騎士さんたちが一斉にシチューを口に運んだ。その様子を、私はドキドキしながら見つめる。

 すると。

「うっ……ま! なんですかこれ! 今まで食ったことのないおいしさですよ!?

「これがベアウルフ肉って本当ですか!? 臭いどころか……香草と混じってさわやかないい匂いがします!」

「少し癖がありますけど、それもまたやみつきになる……! 肉も思ったよりずっと柔らかいし、たまらないですね!」

 なんて言いながら、他の騎士さんたちが嬉しそうにシチューをかきこんでいる。その様子を見て、近くに座るテオさんが豪快に笑った。

「わっはっは! 皆、すごいがっつきっぷりだな!」

「でも、気持ちもわかる。これは本当においしいよ。ララ、ありがとう」

 フィンさんが、私を見ながらにっこりと微笑んでいた。

 さらさらの紺青色の髪に、優しく細められたサファイア色の瞳が、焚火の明かりを受けてきらりと光る。その顔は暗闇の中でも際立って美しく見えていて、私は目を丸くした。

 フィンさんって、本当に綺麗な顔立ちだなぁ……! テオさんは豪快だけど顔立ちは整っているし、ラルスさんも可愛かわいい系の顔立ちだし、よく見ると他の騎士さんたちもみんなどこか上品だ。都会の騎士様ってすごいんだなあ。

「お役に立てたようでよかったです! おかわりはたくさんあるので、好きなだけ食べてくださいね!」

 言って、私も山盛りにしたシチューをぱくっと食べた。

 ……うん! おいし~い!

 煮込む前にしっかり焼いたベアウルフ肉はほろほろだし、それでいてむと肉汁とシチューが混じり合ったおいしい汁がじゅわっと出てくる。

 ベアウルフ肉の臭みを取るのに必死だったけれど、反面しっかり煮込んだおかげでいい出汁が出ているらしく、ハーブも効いてなんとも香り高い味わいのシチューになっていた。

「よっしゃ! せっかくうまいシチューがあるんだ、今日はララの参加を祝ってうたげだぜ!」

 ワインの入ったジョッキを掲げてテオさんが叫ぶ。それに対して他の騎士さんたちも、うぉおおっとそれぞれのジョッキを掲げた。

「まったくテオは……すぐ酒盛りにしたがる」

「テオさんはどっちかというと騎士っていうより、ようへいって感じっスよね」

 フィンさんとラルスさんの言葉を聞きながら私は笑った。

 あ。そういえば……。実はさっき包丁で切っている途中でレベルが3に上がって、《バフ付与・小》っていうスキルを取ってみたんだけれど、効果って出てるのかな……?

 バフ付与は、リディルさんいわく〝バフ〟っていう体に良いものがごはんに付与されるらしい。そういえば、そんなスキル持ちの人がいるって、前に聞いたことがあるような気もする!

 私は何か変化がないか、騎士さんたちに聞いてみようと思って彼らの方を見た。けれどフィンさんは早くも酔っぱらったテオさんに捕まって何やら話し込んでいるし、ラルスさんや他の騎士さんたちも楽しそうに盛り上がっている。

 むむ。こんなことで邪魔するのもなんだか気が引けちゃうな……。あ、そうだ。それなら、ごはんを鑑定してみよう!

 思い出して、私は心の中で『鑑定』と呟きながら作ったシチューをじっと見つめた。

 すぐさま、シチューの上にぱっと白い文字が浮かび上がる。

ローズマリー風味ベアウルフの野営シチュー:攻撃力+5%、力+5%、防御力+5%、

スキルスピード+5%

 すごい、ちゃんと私が命名した料理名がついている……! じゃなくって、ちゃんと何やら色々上がっている! でもスキルスピードってなんだろう……?

 相変わらず不思議な単語に首をかしげつつ、私はいったん《バフ付与・小》のことは置いておいて、シチューを食べることにした。

 騎士さんたちは普段からいっぱい食べるみたいで、鍋は巨大だし底が深いしでシチューはたんまりとある。これなら私がちょっとくらい食べても、全然減らないよね?

 わいわいと盛り上がっている横で、私はせっせと自分の器にシチューを盛り付け始めた。

 それから、ふと静かにしているリディルさんのことを思い出す。

 そうだ! せっかくだからこのシチュー、リディルさんにも食べてもらいたい! でもリディルさんって包丁だよね? ごはん、食べるのかな……?

「リディルさん……」

『はい、何でしょうララ』

 試しに名前を呼んでみると、すぐにリディルさんから返事があった。

「リディルさんって、ごはん、食べられるんですか?」

『わたくしは剣の女神なので、そのようなものは必要ありません』

「そう、なんですね……」

 予想していたこととはいえ、返ってきた返事に私はしゅんとした。

 そうだよね。リディルさんは包丁だもんね……。でも、残念だなぁ。

 実は私はごはんを食べるのも大好きなんだけれど、それ以上に、作ったごはんをみんなに食べてもらう方がもっともっと好きだった。

 工夫して作ったごはんを、おいしい、おいしいって言いながら食べてるみんなの顔を見ると、本当に胸がいっぱいになって幸せな気持ちになれるの。

 だからぜひリディルさんにも! と思ったんだけれど……。

 しゅんとしていると、私の落胆を悟ったのか、リディルさんが控えめに言った。

『……必要ありませんが、食べることは恐らくできますよ』

「えっ!? 本当ですか!?

『はい。あなたはわたくしの鞘。わたくしはあなたを通して外の世界を見ているので、やろうと思えば他の感覚を共有することもできるのです。試しにララ、わたくしに食べさせたいものの見た目と味を、頭の中で思い浮かべてください』

 言われて、私はすぐさま目をつぶった。

 頭の中に思い浮かべるのは、色鮮やかなにんじんとじゃがいもが浮かぶ、ワイン色のこっくりとしたシチューだ。

 えーと、お肉はほろほろで、シチューはコクうまで、じゃがいもはほくほくで、それからそれから……。

 一生懸命考えていると、いつの間にか暗闇に、木の深皿に入ったシチューがぼんやりと浮かび上がっていた。

 そこにスッと白い手が伸びてくる。リディルさんだ。

『これがシチューなのですね。……今まで歴代の使い手たちが食べているのを見たことはありますが、食べるのは初めてです。私にごはんを食べさせようなんて奇特な人はひとりもいませんでしたから』

 リディルさんにさらっと奇特な人呼ばわりされている……! でもいいんだ! そんなことより!

「食べるなら、スプーンがいりますよね!」

 思い出して、私は急いで木のスプーンを思い浮かべた。

『なるほど、これを使って食べるのですね。……どれ』

 言いながら、リディルさんが少しぎこちない手つきでシチューをすくう。それから美しい口元にぱく、とスプーンが吸い込まれ──。

………………これは……』

 リディルさんの瞳が大きく見開かれた。

 ど、どうしよう。もしかしておいしくなかったのかな!? だとしたら申し訳ないことをしちゃったかも……。

 私がドキドキしながら見ていると、相変わらずぎこちない手つきのまま、リディルさんが猛然とシチューを食べ始めた。

『これはっ……もぐっ……! ララ、これは……もぐもぐもぐ……これは……!』

 白い頬を赤らめ、目をらんらんと輝かせているその姿は……多分、喜んでいるんだよね?

 私はおそるおそる聞いてみた。

「もしかして……おいしい、ですか?」

『〝おいしい〟! なるほど、これが、〝おいしい〟ということなのですね!?

 おいしいという言葉に、まるで雷に打たれたように、リディルさんがハッと天を仰いだ。

 大きな目はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、唇はあえぐようにはくはくとしている。普段無表情とも言えるリディルさんのそんな顔は初めてで、見ている私がぎょっとするほどだ。

 そんな私には構わず、興奮とこうこつが入り混じった表情でリディルさんが続ける。

『剣の女神として数え切れないほどの時を過ごしてきましたが、これが〝おいしい〟なのですね……!?

 なんて言いながら、一生懸命シチューを食べ続けている。

 口ぶりからして、リディルさんは生まれて初めてごはんを食べたのかもしれない。あ、口の端にシチューがついていますよ……!

『ああ……なんでしょう。口の中から、〝おいしい〟が全身に広がっていくようです……。こんな、こんな感覚は初めてです。まるで、わたくしが生き物として生きているような……』

 そう言ってしみじみとシチューを見つめるリディルさんに、私は力強くうなずいた。

「もちろん、リディルさんも生きていますよ! 人も動物も、みんな生きるためにごはんを食べます。つまり、食べることは生きることなんです!」

 リディルさんはごはんを食べなくても生きていけるようだけれど、ごはんが満たすのはお腹だけじゃない。

 生活が苦しくても、みんなに貧乏って笑われても、家族みんなで食卓を囲んでごはんを食べれば元気が出た。生活は大変だけれど、また明日もがんばろうって思える。

 おいしいごはんには、そういう力があるのだ。

 きっとリディルさんも、初めてのごはんでそのことを感じ取ったのかもしれない。

「だからリディルさんも、たくさん食べてくださいね! おかわり、いっぱいありますから!」

 私が言うと、リディルさんはふふっと笑った。それから、空になった器を差し出してくる。

『では……〝おかわり〟を頼めますか、ララ』

「はい!」

 リディルさんの言葉に、私は満面の笑みを浮かべた。


 真ん丸の月が見下ろす夜。

 ララが作ってくれたベアウルフのシチューを食べ終わって皆がくつろいでいると、口に葉っぱを加えたテオがどかっと私の前に座った。

「おいフィン、それじゃ明日はボート侯爵家に行くのか?」

「ああ。聖剣がない以上、事実を確認しなければならないから」

「まあそうか。それにしてもまさか聖剣がないなんてな……。きっと勇者に抜かれたんだよな? 何十年、いや下手すると何百年ぶりか?」

 テオの言葉に、私は考え込む。

 聖剣。それはリヴネラード王国に伝わる伝説のつるぎ

 剣を抜けるのは女神に選ばれし勇者のみだと言われ、いつの時代もその絶大な力で、魔物や魔王を打ち払ってきたのだという。私はつぶやいた。

「史実によると、最後に抜かれたのが百二十年前だな」

 最後に聖剣が抜かれて以来、魔王は誕生しておらず、リヴネラード王国を含めた大陸全土はひたすら安寧の期間を享受している。

 今回、王立聖騎士団がここに来たのも、聖剣に用があったわけではなくただの偶然だ。遠征の帰りにボート侯爵領を通ることがわかり、聖騎士団の務めとして軽く偵察に来ただけのつもりだった……はずなのに。

 まさか聖剣がないとは……。

 私はふーっと息を吐いた。

 勇者の登場は、国に激震が走るほどの大事件。

 すぐさま見つけ出し、大陸を挙げて勇者の補佐に回らなければいけない。そもそも私たちの所属する王立聖騎士団は、そのために作られたのだ。

 考えているとテオが続ける。

「ボート侯爵はこのことを知っているのか? 聖剣の管理って、ボート侯爵の一番大事な仕事だったよな?」

「もしかしたら、もう勇者を保護している可能性もある。何はともあれ、明日直接聞いてみよう」

「それもそうだな」

 うなずくテオを見てから、私は少し離れたところでラルスと一緒に片付けをしているララの方を向いた。

「ララ、少し来てくれないか」

「はい、なんでしょう?」

 スカートで手をぬぐいながら、小柄なララがこちらに小走りでやってくる。

 肩まである柔らかなピンクブロンドが、今は料理のために結ばれており、すみれ色の瞳は魔法ランタンに照らされてオレンジに染まっている。

 彼女は今日、ベアウルフの集団に襲われているところを偶然助け、王都まで一緒に行くことになった女性だ。

 男性なら放っておかないであろう愛らしく親しみやすい顔立ちで、そこを下劣なボート侯爵に付け込まれたのだろう。

「本当にすまない。王都に戻る前に、ボート侯爵家に寄らなければいけなくなった。君をひとりで森に放り出すわけにはいかないため、同行してもらえないだろうか」

「ぼ、ボート侯爵家、ですか……!」

 途端に彼女の顔がこわばる。

 無理もない。彼女はボート侯爵の愛人にされかけたあげく、給金も支払われないまま身ひとつで森に追い出されたのだ。侯爵の顔など、二度と見たくないのだろう。

「すまない。君がボート侯爵に会いたくないのはわかっている。だから侯爵家にいる間はこれを着て、騎士たちの中に隠れていてくれないか」

 言って私は自分のフード付きロングマントを差し出した。

 これを着てフードをかぶれば、全身がすっぽりと隠れるはずだ。ボート侯爵は権威に弱い反面、後ろに立つ騎士たちには見向きもしないため、これを着ていればララだとは気づかれないはず。

「ありがとうございます! これがあれば平気そうですね」

 ほっとしたように言ってから、ララがふわりとお辞儀をした。

 ……まただ。

 その姿を、私はじっと見つめていた。

 ララは普段気さくでとても親しみやすい雰囲気であるものの、時折ふとした仕草がドキリとするほど美しいのだ。スッと伸びた背筋に、指先まで丁寧な所作は、貴族女性にも通じる品を感じる。

 出会った当初はただの街娘かと思っていたのだが……もしかして彼女は貴族の生まれなのか? だが、貴族女性が料理をするなんて聞いたことがない。ましてや、ララは血にまみれながらベアウルフをも平気でさばいていたのだ。

 それに、社交界で彼女を見た記憶もなかった。

 私は物覚えがよく、特に一度見た人の顔は忘れないという能力がある。社交界の令嬢や令息たちはもちろん、彼らに付き添う使用人の顔も忘れたりはしない。

 そんな私の記憶力をもってしても、彼女の顔には見覚えがないのだ。

「? フィンさん、どうかされましたか?」

 私がじっ……と見つめていると、気づいたララが首をかしげた。

「ああ、いや、失礼。以前どこかで君を見たことがあったかな、と思って」

「私をですか……? だとすると森とか畑とか牧場とか、市場とかでしょうか?」

 森はともかく、畑や牧場、市場に普通、令嬢はいないはず……だよな……? やはり彼女はただの街娘なのだろうか。

 考えていると、テオがばんばんと背中をたたいてくる。

「おい、フィン! なーにれているんだよ。今まで貴族のご令嬢たちにもことごく無関心だったのに、そんな古典的な手法を使ってナンパだなんて珍しいなぁおい」

「いや……そういうわけでは……」

 結局その日、私は何やら変な誤解をしたテオにずっとにやにやされながら夜を過ごすことになったのだった。


 翌日。

 侯爵邸で出迎えてくれたボート侯爵は、げんな顔をしていた。我々を歓迎していないことがひとめでわかる顔だ。

「これはこれは……聖騎士団様が、一体何用で?」

「聖剣のことで、至急聞きたいことがある」

「聖剣の? ……まあ、立ち話もなんですし、フィンセント様はどうぞこちらへ」

 そう言って、ボート侯爵は私だけを貴賓室に案内しようとする。

 副団長だが家の爵位が子爵であるテオや、そのほかの騎士に対する興味は相変わらずゼロのようだ。もちろん騎士たちにこっそりと紛れ込んでいるララのことにも気づいていない。

「んじゃ、ま、フィンが話をしている間に俺らはのんびり過ごさせてもらうってことで」

「すまない。皆を頼んだ」

「ボート侯爵の態度には慣れたもんよ。それより、ここって庭を貸してもらえたりしないかねえ」

「庭?」

 予想外の単語に私が聞き返すと、テオがぐるぐると腕を回しながら言った。

「いや、なんかさ。昨日の夜からやったら体の調子がイイんだわ。体が軽いっつーか、全身から力が湧いてくるっつーか、とにかくじっとしているのがもったいないから、庭で素振りでもしようかと思ってな」

「あ、それわかるっス。今日みんなそんな感じっスよね」

 そこにラルスも加わってきて、私は目を見張った。

 実は私も、昨夜からまったく同じことを思っていたのだ。久々に心からおいしいと思えるごはんを食べて、柄にもなくはしゃいでしまったのかと思っていたのだが……。

「驚いたな。まさか私だけではなく、みんなそうなのか?」

「あれか? もしかしてベアウルフ肉の滋養強壮ってやつ?」

「確かにベアウルフ肉は栄養豊富っスけど、さすがにここまで体感できるような効果はないっスよ」

「一体なぜなんだろうな……」

 もう少し話したいところだが、ボート侯爵が「まだですか?」と言いたげにこちらを見ている。

「ひとまず、私はボート侯爵と話をしてくる。ふたりともララを頼んだぞ」

 彼女は今、私が渡したマントをまとって、目立たないようにひたすら縮こまっていた。ここは居心地が悪くて落ち着かないだろうし、早く聖剣と勇者のことを確認して、侯爵家から離れたい。

 私はボート侯爵とともに貴賓室に入った。そして椅子に腰かけるなり、話を切り出す。

「昨夜、侯爵領で管理しているはずの聖剣がなくなっていた。一体どうなっているのか至急説明してくれ。勇者は既に貴殿が保護しているのか?」

 途端、葉巻に火をつけようとしていたボート侯爵がぎょっとした顔になった。その勢いで、手から葉巻が落ちる。

「せっ、聖剣がない!? まさかそんな」

 私は侯爵をじっと見つめた。この反応からして、勇者を既に保護しているという線はなさそうだな。

 ひとつの誤魔化しも見逃すまいと、私はなおも侯爵を注視しながら続ける。

「……まさかも何も、聖剣の管理を任されているのはボート侯爵である貴殿だろう。では最後に聖剣を確認したのはいつだ? 昨日か? それともおとといか?」

 私の質問に、それまで横柄だったボート侯爵が急にびへつらうような笑みを浮かべる。

「そ、そ、それ……は……! おい! 誰か知らんのか!?

 控えていた使用人たちが、おろおろと互いの顔を見る。やがて執事らしき男性がやってきたかと思うと、何やら侯爵に耳打ちした。それを聞いた侯爵の顔が、見る間に赤くなる。

「な……なんだと!? 半年前が最後!? お前たち、一体なにをサボっていたんだ!?

 ボート侯爵はそのままこれみよがしに執事を怒鳴りつけようとした。

 だが、それを止めたのは私だった。

「なにをサボっていたんだというのはこちらの台詞せりふだ、ボート侯爵。使用人たちのせいにしたいようだが、そもそも貴殿が一番把握していなければいけないことのはず」

 ボート侯爵領は別名、聖剣領とも呼ばれる。

 それは聖剣が眠る土地だからであり、ボート侯爵は〝聖剣の守り手〟という名誉ある役割を担っているからこそ、代々侯爵でいられるのだ。

 だというのに、この体たらく。

 いくら世の中が平和になっているとはいえ、半年間、一度も聖剣の存在を確認していなかったとは……。

 私は眉間にしわを寄せ、厳しい顔で言った。

「それに、最近女性の使用人に対する不当な仕打ちがあったとも聞いている。聖剣を守り、ひいては国を守る大貴族でありながら、立場の弱い女性に愛人になれと迫るなんて……貴族の風上にもおけないぞ」

「そ、それは……」

「聖剣の件と合わせて、どちらも国王陛下に報告させてもらう。厳罰を覚悟するように」

 途端、ボート侯爵があわてたようにガタッと立ち上がった。その顔は真っ青だ。

「お、お許しください! フィンセント殿下! 今すぐ聖剣を探してまいりますので! あと、ええと……その女性にも謝りますから!」

 その言葉に、私がぎろりと侯爵をにらむ。

「謝って済むなら警吏はいらない。未払いの給金と見舞金をきっちり支払え。それに聖剣を探す? 半年もあれば、勇者はとっくにこの地から離れているぞ」

「も、申し訳ありません……!」

「あと私を殿下と呼ぶなと言ったはずだ。今の私は聖騎士団長のフィンセントだ」

「失礼いたしました、フィンセント様……!」

 私はため息をつくと、席を立ち上がった。

 期待していたわけではないが、聖剣の行方も勇者の行方も、あまりにも情報がなさすぎる。とにかく一度王宮に戻って、陛下と兄上にこのことを相談しないと……。

 そう思いつつも、その日は団員たちからのベッドで寝たいという要望もあり、ボート侯爵家に一泊することになった。

 ボート侯爵は聖剣にまつわる不祥事をなんとか私にとりなしてほしいのだろう。やたら私にベタベタとまとわりついてきたが、私はそれを利用してララへの見舞金をどんどんとり上げた。この額なら、彼女もしばらくは生活に困らないはずだ。

 それからようやくボート侯爵を追い出して静かになったひとり部屋の中。

 どう勇者を探したものか……と頭を悩ませていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。

 もしやまたボート侯爵か? と思って警戒しながらドアを開けた先には、頭にすっぽりとフード付きマントをかぶって、マグカップを持ったララがいた。

 私はぎょっとした。

「ララ……!? こんな時間にどうしたんだ!?

 以前、私と既成事実を作りたがった令嬢が部屋に忍び込んできたことはあったが、普通そんな状況でもない限り、女性がひとりで男性の部屋にやってくることはまずない。

 外聞を何よりも大事にする令嬢たちにとって、男性とふたりきりになっただけでも大変な醜聞なのだ。

 もしや街の娘たちはそういう価値観ではないのか? いや、でも女性がこんな夜更けに男性の部屋に来るのは誰であっても危険なはず……。

 私の動揺をよそに、ララはにこにこしながら白いミルクがたっぷり入ったマグカップを差し出してくる。

「実はこの家で働いていた時の同僚さんが私に気づいてくださいまして、こっそりちゅうぼうを貸してもらったんです。フィンさん、今日ここに来てからずっと難しい顔をされていましたから、蜂蜜入りホットミルクでもいかがですか?」

 その顔には、以前忍び込んできた令嬢のようなギラギラした雰囲気や邪気はじんもない。彼女は純粋に親切で持ってきてくれているようだ。

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして! では、他の皆さんにも飲み物をお届けしてきますね!」

「待て!」

 すぐに身をひるがえそうとしたララを、私は急いで引き止めた。

「その……君は知らないようだが……この時間に、女性がひとりで男の部屋に行くのは危ないからやめた方がいい。騎士たちは手を出したりしないだろうが、君が自分に好意を抱いていると勘違いされるかもしれない」

 途端、ララの顔が青くなった。

「ご、ごめんなさい……! そっか、普通、そういう意味になるんですね……!? 教えてくださってありがとうございます。これからは気をつけます……」

 どうやら本当に知らなかったらしい。

 ララに変な下心がないことを知ってほっとしたような、同時に少し残念なような……。って残念? なぜ私はそんな考えが出てきたんだ?

 考えていたらララがそのままトボトボと自分の部屋に戻ろうとしていたため、私は思わず彼女を引き止めた。

「ララ、少し話をしないか?」

「話ですか? はい、何でしょう?」

 私がうながすと、ララは大人しく私の部屋に入った。

 ……こうもあっさり男性の部屋に入ってしまうなんて、やはり彼女は警戒心というものがないようだ。とはいえ、警戒されたらされたで困るのだが……。

 ごほん、とせきばらいしながら、私はララと向かい合って椅子に座ると話を切り出した。

「ボート侯爵のことだ。先ほど侯爵が、君へのおびとして見舞金を出すと言っていた。お金は私が預かって君に渡そう。そうすれば君は侯爵と顔を合わせなくて済む」

「本当ですか!?

 見舞金という言葉に、パァッと彼女の顔が明るくなる。

「よかった、これで実家に仕送りができます……!」

「仕送り……? ずっと気になっていたんだが、君の家はどこに? ご両親は何をしている人なんだ?」

 何気なく尋ねたつもりだったのだが、私の質問にララがサァーッと青ざめた。それから目をそらして、ぷるぷると震えだす。

「そ、その……」

 それから彼女は勢いよく頭を下げた。

「……ごめんなさい! だましていたわけじゃないのですが、実家はコーレイン男爵家なんです!」

「コーレイン男爵家? というと……カシュズル地方に領地がある、あの?」

 ではやはり、彼女は貴族の令嬢だったのか! ……だいぶ規格外ではあるが。

 私が驚きながら聞くと、どうやらコーレイン男爵家は、借金のせいで今は食べるものにも困るほどの貧乏っぷりらしい。彼女が社交界に来たことがないというのも家計状況が影響していると聞いて納得した。道理で一度も見たことがないわけだ。

「そうか。令嬢でありながらそんな苦労を……大変だったろう」

「それほどでもないんですよ。お様に教育もつけていただきましたし、運のいいことに体はすっごく丈夫なので、バリバリ働けるんです!」

「そういえば王都で職を探すと言っていたな。何かはあるのか?」

 その質問に、ララは照れたような、困ったような笑みを浮かべた。

「いえ、実は何も……。でも王都なら広いですし、私の《はらぺこ》スキルでも気にしない方がいるかも、と期待しているんです」

「へぇ……。《はらぺこ》というスキルとは初めて聞いたな。そのスキルはそんなに不利なのか?」

 私は興味深くララを見つめた。

 私は《剣聖》というスキルを授かっているし、テオは《狂戦士の魂》、少し変わったスキルだとラルスの《ものまね》があるが、《はらぺこ》は初めて聞く。

「貴族の方々には『卑しい』と笑われてしまいましたが、実際どういう効果があるのか、はっきりしていないんです。ボート侯爵家でも本当は念願だった厨房の仕事に就く予定だったのですが、直前になって侍女に配置替えになって……」

 厨房仕事、という単語に私はあることを思い出した。

「料理か。もしそれでいいなら、私が紹介できるかもしれない。王都に聖騎士団がよく行く酒場があるんだが、そこで先日働き手を募集していたはずだ。もちろん、怪しい店ではない」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 私の言葉に、ララがぱっと顔を輝かせて頭を下げた。

 その笑顔はまるで花が咲いたように明るくれんで──一瞬でその場が華やいだ気がした。

 ……こんな屈託ない笑顔を向けられたのは久しぶりな気がするな。

 社交界で私に近づいてくる女性は、皆、打算的でぎらぎらした人ばかり。すきあらば体に触れてこようとするし、向けられる笑みにも媚びがべったりと浮かんでいる。

 もともと女性に興味が薄かった私はそれにうんざりして、夜会などは極力避けるようになっていたのだが……。

「あ、フィンさん。冷めるとよくないので、ミルクは早めに飲んでくださいね。蜂蜜が入っているので、夜はぐっすり眠れるはずですよ!」

 言われて、私は蜂蜜入りミルクをひとくち飲んだ。

 ミルクはあたたかく、そしてほんのりと口に優しく広がる蜂蜜味が、どことなくララを思わせる気がした──。


 ボート侯爵家に泊まった翌日、私は聖騎士団の皆さんと一緒に王都に向かって出発した。

 みんなが自分の馬に乗って移動する中、私はといえば、ラルスさんの馬が引く荷車の隅っこに、食材と一緒にちょこんと丸まって座っている。

 ふぅ……侯爵様に私だってバレたらどうしようって思ったけれど、フィンさんやテオさんたちが協力してくれたおかげで、どうにかバレずに済んだみたい。

 それに、うれしいことがひとつあったの! なんとフィンさんいわく、侯爵様がおびとして見舞金をくれるらしい!

 見舞金はフィンさんが交渉してむしり取ってくれたおかげで、見たこともないすごい金額だった。

 私の当面の生活費を抜いても、お様たちにたっぷり仕送りできる!

 私はうきうきしながら、わらで編んだかごをぎゅっと抱きしめた。中にはボート侯爵がくれた卵が入っていて、他にもベーコンやバターなどの食材をたくさんもらえたのだ。

 テオさんいわく、これもフィンさんがむしり取ってきたらしい。……フィンさんって真面目な人っていうイメージがあったんだけれど、意外と交渉上手……?

 とにかく! 今日はこの食材でおいしいごはんを作るぞ~!

 やがて昼食の時間がやってきて、私は早速、この間も使った金属の台(ラルスさんお手製の移動式ちゅうぼうらしい)でお昼ごはんを作り始めた。今日はもらった食材と、このあいだ森で拾ったきのこたちの出番だ。

 まずは先に、冷めてもおいしい方から作ろう。

 しめじを食べやすいように小分けにほぐし、マッシュルームをトントントンと薄切りにする。森でいっぱい拾ったくるみも小さく切ってから、火をかけた巨大なフライパンにバターをぽん。

 じゅわっとバターが溶けたら、しめじとマッシュルームを投入。

 途端にふんわりと香ばしい匂いがただよってきて、早くもテオさんたちが寄ってきた。

「ほうほうほう! 今日はきのことくるみか。そのまんま食べるか、焼いて食べるかぐらいかと思っていたが……」

「テオさんって、貴族のわりに食生活が貧相っスよね」

「貧相って言うな貧相って!」

 そこへ団長としての仕事を終えたらしいフィンさんも合流する。

「テオは騎士団生活が長いからな。騎士歴で言うなら、私よりずっと先輩なんだ」

「そうだぞ、俺は先輩なんだぞ」

 ふふん、と胸をそらすテオさんを見て私は笑った。

 テオさんは子爵家の嫡男なのだけれど、社交界よりも騎士団の方が水が合うらしく、領地は弟に任せて、自分はもう十年以上も騎士団にいるのだとか。

 対してラルスさんは伯爵家の五男坊で、領地も継げないし遺産もあんまり期待できないからという理由で、出世を目指して騎士団に入ったと言っていた。

 私は毎日の生活にいっぱいいっぱいでほとんど交流をしてこなかったのだけれど、ひとくちに貴族といってもみんな色んな人生を歩んでいるんだなぁ……なんて感心する。

 あれ? そういえば団長のフィンさんの生い立ちはまだ聞いていないような……。

 考えながら、私はまたフライパンに目を戻した。

 きのこに火が通ったあとは、くるみを加えサッと炒めて塩、しょうで味付け。

 仕上げに、薄く切ったバゲットに炒めたきのことくるみをのせて刻んだパセリを振れば……『侯爵領の森産きのことくるみのブルスケッタ』の完成だ!

 ブルスケッタの準備が終われば、次はいよいよ本命の準備。

 まずは細かく切っておいたきのことベーコンをさっと炒め、一度取り出してからここでもバターを投入する。

 そしてほどよく溶けてきたところで、混ぜほぐした卵の出番!

 流し入れると、じゅわぁっという音を立てながら、目にも鮮やかな黄色の卵がフライパンいっぱいに広がった。

 すぐにぷつぷつと泡が膨らんできたところを、私は隠し玉である具材を投入した、そしてフライパンの柄をトントンとたたいて揺らしながらささっと卵の衣で包む。具材を先に炒めて火を通す時間を短くし、卵のとろとろをなるべく保つのが私流オムレツなのだ。

 よし、これで『とろとろ隠し玉入りベーコンのオムレツ』も完成だ!

 ラルスさんと協力してごはんを配って席に戻ると、自分の分をもらったフィンさんがオムレツにフォークを入れながらつぶやく。

「ふわふわのオムレツをこんな森の中で食べられるとは。……おや? これはチーズか?」

 ふふふ。そう、実は隠し玉として中にチーズを仕込んでいたの!

 切り分けたオムレツからのぞくのは、とろ~りとのびたチーズ。

 フィンさんはそれを嬉しそうにほおばって、ほぅ、とため息を漏らした。

 ……な、なんだかその顔もやたら色っぽい。そんな効果がつくなんて、顔がいいってお得なんだなぁ……!

「……うん、うまい! ふわふわのオムレツとチーズが混ざり合うと、こんなになめらかな味になるのか……!」

「こっちのブルスケッタ? とかいうやつもいけるなあ。手に取って食べやすいし、きのこもくるみもちょうどいいしょっぱさだし……くぅう、酒が飲みたくなってきた!」

「もうっスか!? テオさん、まだ昼っスよ!?

 ラルスさんの突っ込みに、皆が笑う。

 それを見ながら、私も自分の分を食べた。

 すぐにふわぁん、と口に広がる卵の味に、うっとりと目を細める。

 うんうん、侯爵家だけあって卵は上質だし、上質な卵を使ったオムレツはふわっふわ、チーズはとろっとろ。チーズの海に泳いでるごろごろベーコンもちょうどいいしょっぱさだし、本当にオムレツってなんておいしいんだろう……!

 ブルスケッタも、ソテーされてくたっとしたきのことくるみのカリサクッとした食感の違いが楽しい。こんなおいしい食材がまとめて採れるなんて、森ってなんてすごいんだろう。

 それから私は、あっと思い出して、ふたつの料理を鑑定してみた。

 せっかく作ったんだもの。今回はどんな効果があるのかな?

 すぐさま、白い文字がパッと表示される。

 それぞれ書かれているのは……。

とろとろ隠し玉入りベーコンのオムレツ:攻撃力+2%、防御力+5%、クリティカル+2%

侯爵領の森産きのことくるみのブルスケッタ:クリティカル+5%、運+5%、

スキルスピード+3%

 運……はまだわかるとして、今度は〝クリティカル〟っていう謎の単語が出てきている。なんだろうこれ……?

 どっちの料理にもついているバフは、もしかして両方きのこを入れたから? 食材によって、バフが違ったりするのかなあ?

 考えながら、私は目をつぶった。バフも大事だけれど、リディルさんにおすそ分けするのはもっと大事だ!

 一生懸命食感やら味やらを思い浮かべていると、まだ声をかけていないのに、いつの間にか暗闇の中でリディルさんが待機していた。顔はいつもの無表情なんだけれど、どこかそわそわとしている。

 よし、今度はしっかりフォークも添えて……と。

「お待たせしました! 今日はとろとろ隠し玉入りベーコンのオムレツと侯爵領の森産きのことくるみのブルスケッタです!」

 私が言うと、リディルさんがおっかなびっくりという手つきでフォークを手に取った。それから暗闇に皿ごと浮かぶオムレツにフォークを入れ……。

『ララ! なんですか、こののびのびした白いものは!』

「それはチーズです。牛の乳を発酵させたもので、おいしいですよ」

『ちーず……聞いたことはあります』

 にゅ~んと伸びたチーズを落とさないようがんばりながら、リディルさんがぱくっと口に含む。途端にリディルさんの顔がぱあああっと輝いた。

……っ! ……っ!! これ、は……!!

 この反応二回目だ。

 私はニコニコしながら聞いた。

「リディルさん、おいしいですか?」

『おいしい! すごくおいしいですよララ! 口の中が、ふわふわのおいしいでいっぱいです!』

 ふふふ、今回も喜んでもらえたみたいでよかった。

『それに、こっちも不思議な味です! くたくたなのにカリカリでサクサクで……! おいしいですよララ! こちらもおいしいです!』

 おいしいを連呼しながらほおを上気させ、めいっぱいほおばっているリディルさん、本当においしそうに食べるなあ……!

 料理を作った人からすれば、やっぱり「おいしい」って言ってもらえるのは何よりのご褒美。

 もぐもぐもぐと手と口を休めることなく食べるリディルさんをニコニコ見ながら、私も自分のオムレツをに手を伸ばした。


 それから私たちは、順調に王都への道のりを進んでいった。

 森で採取した食材や、騎士さんたち(主にテオさん)が調達してきた獲物肉を取り入れながら、毎日ごはんを作る。

 そうしているうちに私のレベルも上がって、新たに《下級火魔法〈ファイアーボール〉》と《下級水魔法〈ウォーターボール〉》のふたつを覚えた。

 どちらも料理を作る時には必須のものだから、すっごく助かる!

 早速るんるんで水魔法を使って野菜を洗っていたら、狩りから戻ってきたフィンさんに話しかけられる。

「おや、ララは魔法が使えるのか。もしかしてそれが《はらぺこ》スキルの効果なのか?」

「は──」

 はい! と言おうとして、私は止まった。

 あれ? これって、《はらぺこ》スキルの効果なのかな?

 どっちかというとリディルさんのおかげだと思うんだけれど……。それに、包丁を抜いたらスキルが増えるようになりました! って言って信じてもらえるのかな……!? リディルさんの声って、他の人には聞こえていなさそうだし……!

 私がぐるぐる考えていると、でっかいワイルドボアをかついだテオさんとラルスさんもやってくる。

「おっ? ララはスキル持ちなのか? やったな。平民でスキルが発動するのは珍しいから、ラッキーじゃないか」

 うっ。この口ぶりからして、やっぱり私が貴族だとは夢にも思われていないみたい……!

 そんな私に助け舟を出すように、フィンさんがごほん、とせきばらいした。

「テオ……。実は、ララはコーレイン男爵家の令嬢なんだ。だから我々と同じ、貴族階級に当たるぞ」

「ええっ!? そうなんスか!?

 ……ラルスさんまで驚きの声をあげている。

 私がトホホと肩を落とす前で、テオさんがあわてたように手を振った。

「す、すまん、俺はてっきり……!」

「いえ、気にしないでください。令嬢らしくないという自覚はありますので……!」

 だって、普通のご令嬢はキラーラビットもベアウルフもさばかないし、なんなら包丁を握ったことすらないはずだ。

 むしろ気を遣わせてしまって申し訳ないなあ……と思っていたら、テオさんがかついでいたワイルドボアを、どん! と私の前に下ろす。

「すまんな! 代わりにこれやるよ!」

「いやテオさん、それ最初っからララさんに調理してもらう予定だったっスよね?」

 ジトッとした目を向けるラルスさんに、テオさんは「バレたか」とガハハと笑った。

 その後フィンさんとテオさんは会議のために移動し、私はラルスさんと協力しながらワイルドボアを解体していった。ラルスさんが、ちらちらと私──の手元、包丁を見ながら呟く。

「……ララさんの包丁、切れ味がすごいっスよね。そんなれいな見た目してるのに芋でも肉でも、なんなら骨でも簡単に断っているし。スゲー包丁じゃないスか? それに……その包丁、どっかで見たことある気がするんスよね……」

 聞かれて、私はリディルさんを掲げてみせた。

「そうなんです、本当にすごいんですよ! 実はこれ森に刺さ──」

「ラルスさーん! テオさんが呼んでいますよ!」

「ういっス! すみませんララさん、話はまた今度で!」

 呼ばれて、ラルスさんがあっという間に駆け出していく。

 せっかくリディルさんのことを紹介するチャンスだったのに、のがしてしまった……。でも、しょうがない。

 ラルスさんの後ろ姿を見ながら、私はまたごはんの準備に戻った。

 それから、先ほどのフィンさんの言葉を思い出す。

『もしかしてそれが《はらぺこ》スキルの効果なのか?』

「ううーん。リディルさんのおかげでスキルは増えているけれど、これは《はらぺこ》スキルといえるのかな……?」

『それはですね、ララ』

 すぐさま私の質問に答えるように、リディルさんの声が聞こえる。

『わたくしと《はらぺこ》スキルがシナジーを起こした結果、通常とは違う現在のスキルツリーが誕生しています。ただ《はらぺこ》スキル自体にも効果は別にあるはず。ララ、自分を鑑定してごらんなさい』

「えっ!? というか鑑定って、人にも使えるんですね!?

 人に使えるというのは聞いていた気がしたけれど、自分に使うという発想が全然なかった私は、驚いてリディルさん包丁を見た。

『はい、鑑定はすべてのものに使えます』

 鑑定、すごいなあ……!

 リディルさんがおすすめしただけあるなと思いつつ、私は早速、食べ物を鑑定する時と同じように自分のことを鑑定してみた。

 ぽわん、と目の前に現れた文字には──。

〈ララ・コーレイン〉

 性別:女 年齢:16

 レベル7:21/234

 状態:はらぺこ 職業:はらぺこ包丁使い

 体力:700 精神力:700

 力:2 防御:5 素早さ:7

 器用:10 魔力:1 運:7

 スキル:はらぺこ

 包丁使い

 鑑定

 塩生成

 バフ付与:小

 下級火魔法

 下級水魔法

 すごい! レベルアップするための数値も、今まで覚えたスキルも、全部表示されている!

 ……でも職業の『包丁使い』はともかく、前についている『はらぺこ』は必要だったのかな!? あと体力と精神力が他に比べてやたら高い気がする……。

 私がじぃいっと見つめていると、どこか得意げなリディルさんが続けた。

『それから、スキル欄に載っている文字を触ってごらんなさい。詳細が見られるはずです』

「えっ!? そうなんですか!?

 なんて便利設計なんだろう! これでようやく、私のスキルの謎が解明されるのかもしれない!

 ワクワクしながら、私は早速宙に浮かぶ《はらぺこ》の文字に触れた。

 途端、ぽぅんと音がして、新しい文字が表示される。そこには──。

はらぺこ:スキル所持者の胃袋が巨大化する 

 ……。

 …………

 ………………えっ、それだけ!?

 私は思わずリディルさん包丁をぎゅっと握りしめた。

 役立たず役立たずとは言われてきたけれど、まさか本当にそれだけだなんて……。

 もしかしたら何かいいこともあるんじゃないかって、ちょっとだけ期待したのに……。いや、ごはんをたくさん食べられるのはいいことだし、リディルさんのおかげですごく便利なスキルや魔法を使わせてもらっているけれども……! 胃袋巨大化って……!

 私がくぅぅ……とうなだれていると、『おや』というリディルさんの声が聞こえた。

『ララ、よくご覧なさい。スキル説明の最後に、鍵のマークがついていますよ』

 えっ?

 言われて、私はあわててまじまじと文字を見つめた。

 言われてみれば確かに、『胃袋が巨大化する』の後ろには、小さな鍵のマークがついている。

「これは……?」

『なるほど。どうやら、ララの《はらぺこ》スキルはまだ未覚醒の部分があるようですね。レベルが上がるか、あるいは必要なスキルを習得するか……いずれにせよ、条件を満たさなければ、ここは開かないようです』

 それってつまり……まだほかにも効果があるってことだよね? よかった、お腹がくだけじゃなかった!

 私はホッとした。

 何も書いていないから鍵の部分が解放される条件は全然わからないけれど、このままレベルが上がっていけばヒントぐらいはわかるかもしれない。

 一体、どんな効果が待っているんだろう。食べても太らないとか? ううん、ここはもっとすごく、毒でも腐ったものでも何でも食べられるようになるとか!? そしたらすごい節約につながるよね! いい効果だと嬉しいなあ。

 私はまだ解放されない効果を考えながら、ひとりでワクワクした。

 他の人には散々笑われてきたスキルだけど、リディルさんのおかげで今はすごく楽しい。これからもたくさんおいしいごはんを作れればいいな。

 フィンさんも、酒場の仕事を紹介してくれると言っていたし、そこでなら念願の料理人になれるかもしれない!

 私はうきうきしながら、まだ行ったことのない王都のことを考えてトントントントンとリディルさん包丁でリズムを刻むのであった。



「ここが王都なのですね!」

 私は胸の前で両手を組みながら、感極まって目を輝かせた。

 数日の旅を終えて、ついに私を含めた聖騎士団はリヴネラード王国の王都、通称〝蜂蜜色の都ヘシトレ〟にたどり着いたのだ。

 大きな門を抜けた先には、名前の由来となった蜂蜜色の石灰岩で造られた建物がずらりと立ち並んでいる。明るく輝くようなヘシトレストーンの中、真っ赤に色付けされた扉や緑の窓枠などが目にも鮮やかだ。

 通りでは、あちこちに並んだ露店から売り子たちが明るい声を張り上げている。それは道行く人のにぎわいとあいまって、歩いているだけで楽しくなりそうだ。

「もしかしてララは、王都は初めてなのか?」

「はい!」

 穏やかな顔のフィンさんに聞かれて、私はうなずいた。

 私の主な行動範囲は実家があるカヴ村の領地と、そばにある森の中だけ。

 他の令嬢は社交界のために王都に来ているだろうし、王都にタウンハウスと呼ばれる別邸もあるだろうけれど、コーレイン家ではそんなものはとうの昔に売り払っていた。

「そうか。なら、王都は広い。ここでしばらく暮らすつもりなら、今度私が街を案内しよう。危険な裏通りなども知っておいた方がいいからね」

「ええっ!? いいんですか、ありがとうございます!」

 私は感動に目を潤ませた。

 働き口を紹介してくれるだけでもありがたいのに、街の案内までだなんて……!

 きっと騎士団長さんともあれば忙しいだろうに、なんて優しいんだろう。やっぱり都会の騎士さんって紳士なんだなあ……!

「でもその前に、まずはララの働き口を見つけないと。皆、せっかくだからこのまま酒場に行こう。陛下へのえっけんは私だけ行くから、皆は帰還の打ち上げをしていてくれ。ただし、飲みすぎるなよ」

 フィンさんの言葉に、ワッと騎士さんたちから喜びの声があがった。

「おっ! 早速『勇者の憩い亭』か!? あそこのエールはうまいんだよな~!」

「テオさん、帰還早々酔いつぶれるのはやめてくださいね。テオさん重いんですから、運ぶのは数人がかりなんスよ!」

 そうお小言を言うラルスさんの顔も、心なしかいつもより嬉しそうだ。

 やっぱりみんな、王都に帰ってきて嬉しいんだろうな。そんな騎士さんたちの顔を見ていると、なんとなく私までニコニコしてしまう。

「そういうことなら、すぐに行こうぜ!」

 テオさんが先頭を駆ける中、早速着いた『勇者の憩い亭』は裏にうまやもある大きな酒場だった。

 私の家よりもずっとずっと広い酒場はたくさんの人たちでにぎわい、四十代の店主らしい男性がフィンさんを見つけてすぐさま駆け寄ってきた。

「やあやあ、これは聖騎士団のフィン様ご一行ではないですか! 偵察の旅からお戻りになられたのですね!」

「ああ。せっかくだから、慰労会でも開こうと思って。今から騎士たちを入れてもいいか?」

「もちろんですとも! そろそろかと思って、お酒もたぁんと用意してありますよ! ……おや、その女性は?」

 そこで、店主さんの目が私に向けられる。

「ちょうど紹介したいと思っていたんだ。彼女はララローズ。わけあって働き先を探しているのだが、以前ここで料理人を募集していた気がして」

 フィンさんに紹介されて、私は緊張しながらぺこりと頭を下げた。

「ララローズと申します! 《はらぺこ》スキル持ちですが、ご迷惑はおかけいたしませんっ!」

「スキル? へえ。お嬢ちゃんはお貴族様なのかい?」

「はい! といってもものすごく貧乏なので、仕送りするために働き口を探しています!」

 私が言うと、店主さんは目を丸くしてからわっはっはと笑った。

「貧乏だなんて、自分で言うお貴族様も珍しいですなあ。……おわっ!」

 そこへ、既にエールのジョッキを握りしめたテオさんがガシッと店主さんの肩に腕を回してくる。

「おいオヤジよぉ、ぜひともこの子を雇ってくれよ。いい子だし、何より作るメシがうまいんだ。俺が保証するぜ!」

 絡んでくるテオさんを押しのけながら、店主さんはううむとうなる。

「私はその、はらぺこスキル? とやらも気にしないし、雇いたいのはやまやまなんですが、ちょうど先日、新しい料理人が見つかったばかりなんですよ。ウェイトレスの職だったらまだ空いているんですが……」

「ウェイトレスか……。でもララは、料理人として働きたいんだよな?」

 フィンさんに聞かれて、私は口ごもった。

 確かに、私は料理人として働きたい。

 でも、スキルを気にしないで雇ってくれる人は貴重だし、フィンさんの紹介だし、仕送りができるならウェイトレスでもいいのかも──。

 私がそう考えていた時だった。

 入り口から、白髪のおばあちゃんが扉を開けて入ってきたかと思うと、私たちに向かって叫んだのだ。

「料理人なら、あたしが探しているよ! そこのお嬢ちゃん、あたしのところで働きな!」

「ドーラさん!? 一体、急にどうしたんだい? 店はもう畳んだんだろう?」

 あわてる店主さんが言う横で、私はおばあちゃんを見た。

 ドーラさんと呼ばれた気の強そうなおばあちゃんは、五十、いや六十代ぐらいだろうか? 足が悪いのか、つえをつきながらひょこひょことこちらに歩いてくる。その後ろには、ひげがふさふさした、困った顔の商人らしき男性もついてきていた。その男性が言う。

「そうですよ、ドーラさん。店の土地は私に売るという話だったじゃないですか。なんでまた急に食堂を再開するだなんて……その体じゃ無理ですよ!」

「ふん。うるさいね。あたしが無理でも、料理人を雇えば無理じゃないさ!」

 話の成り行きがわからず、私はフィンさんと顔を見合わせた。

 フィンさんもフィンさんで心当たりがないらしく、不思議そうな顔をしている。後ろではテオさんが目を丸くしたまま、グビッと無言でエールをんだ。

「だけどさぁ、ドーラさん」

 と、『勇者の憩い亭』の店主さんが続ける。

「おやっさんが生きていた頃ならともかく、今から店を再開しようなんて無茶だよ。おたくのすぐ近くに、でっかい酒場ができたのはドーラさんだって知っているだろう? 客もみんなそっちに引っ張られちまったし、おやっさんの味なしで店を再開してもねぇ……」

「それは……!」

 口ごもるドーラさんに、ここぞとばかりに商人さんも追い打ちをかける。

「そうですよ。ドーラさんだってもういいお歳なんですから、商売のことは忘れて、店を売って老後の資金に換えた方がいいですよ。今なら、しょうかんになっちまいますが、高く買い取ってくれるお客さんがいるんですから。ねっ?」

「私も彼の言葉に賛成ですよ、ドーラさん。あんたのことを考えるからこそ言うけど、その歳でまた商売を始めるのは体にもよくないですって。まだ病の後遺症も残ったままなんでしょう?」

 その言葉に釣られるように、ドーラさんがゴホッゴホッと咳をした。それから、苦しそうな顔で続ける。

「でも、あたしは……あたしにはあの店しかないんだ。あの店を失ったら、あの人との思い出だって、全部失われちまうんだよ!」

 その声は震えていた。

 泣きそうなおばあちゃんの顔に、私はおろおろする。

 事情はよくわからないけれど、おばあちゃん、すごく困っている。どうしよう……!

 その時だった。

「その話、詳しく聞かせてもらっても?」

 気づくと、一歩進み出たフィンさんがおばあちゃんに話しかけていた。気づいた店主さんが「ああ」とこちらを見る。

「ドーラさんは、ふたつ隣の通りにある元・食堂の女将おかみでね──」

 店主さんの説明によればこうだ。

 ドーラさんとドーラさんの旦那さんは、長年協力して食堂を経営していた。

 味の良さや夫妻の人柄の良さもあって食堂は繁盛し、店もかなり大きくなっていたらしい。

 けれど三年前の疫病で、旦那さんや料理人を含め、食堂の中心となっていた人たちがほとんど倒れて亡くなってしまったのだ。

 かろうじて一命をとりとめたドーラさんも、足のしびれと、咳が止まらなくなる後遺症が残ってしまったのだという。

 そこまで説明してから、店主さんがまたドーラさんの方に向き直る。

「ドーラさん、一度は店を閉めていたじゃないか。この三年間ずっと再開していなかったし、維持費も大変だっただろう? 商人さんの言う通り、無理せずもう店は売っておしまいなよ」

「そうだよ。私だって、何もあんたから無理に店を取り上げたいわけじゃないんだ。本当にあんたのためを思うからこそ言っているんだよ」

 そう言う店主さんも商人さんも、どちらも悪い人には見えない。

 確かに、今は従業員がひとりもいなくてドーラさんはひとりぼっちのようだし、体も悪くしているならお金に換えた方がいいのかもしれない。

 でも……。

 私の気持ちを代弁するように、またフィンさんが落ち着いた声で言った。

「だがドーラさんは、店を再開したいようだ。病んだ体を押してまでそうしたい理由があるのだろう?」

 その言葉に、ドーラさんがこくこくとうなずく。それから、どこか寂しそうな表情で言った。

「あたしと旦那の間には、子どもがいなくてねぇ……」

 しわしわの手をぎゅっと握るドーラさんの顔は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。

「欲しかったんだが、どうがんばってもできなかったんだ。だから、あの店はあたしにとっては子どもみたいなもんなんだよ。確かに、一度は店も閉めた。……でも、だからこそわかったんだ」

 言って、ドーラさんが顔を上げる。その瞳には揺るぎない強い決意が浮かんでいた。

「どんなにボロボロで、お金がかかってもいい。老後の資金なんかいらない。あたしはただ、旦那が生きていた場所を、食堂として残しておきたいんだって……!」

 それはドーラさんがしぼり出した、心からの叫びだった。

「ドーラさん……」

 その場にいた人たちが皆、ドーラさんの強いおもいに言葉をなくす。

 私も、会ったこともないのに、ドーラさんの旦那さんを想像してぎゅっと自分の手を握りしめていた。ドーラさんの強い気持ちに、心を揺さぶられていたのだ。

 気づけば私は、ドーラさんに向かって一歩踏み出していた。

「あの! 私でよければ料理人、やります!」

 声をあげた私に、ドーラさんがパァッと顔を輝かせた。

「お嬢ちゃん、やってくれるのかい!?

 反対に、店主さんが心配そうな顔で言う。

「お嬢ちゃん……本当にいいのかい? こんなこと言いたかないが、ドーラさんは厨房に立てないから料理も配膳も全部自分でしなきゃいけないんだ。料理人になりたいだけなら他の店を探した方がいいんじゃあ……」

「いいえ。私、ドーラさんのところだから働きたいと思ったんです。ドーラさんが何よりも大事にしているお店を、もう一度開くお手伝いがしたいんです!」

 私は料理人になりたいし、ドーラさんは旦那さんの思い出の店を再開したい。

 なら、ふたりで手を取り合えばいいと思ったの。多少大変だろうと気にしない! だって私は貧乏を乗り越えて生きてきたんだもの。

 それに、今はふたりじゃない。リディルさんもいるから三人だ! 古いことわざにも『三人寄れば文殊の知恵』っていうのがあるしね!

 私の言葉に、ドーラさんが涙ぐむ。

「お嬢ちゃん……ありがとうね。そして心配しないでおくれ。ちゃんと給金も支払うし、都に来たばかりならうちに住み込みで働くといい! 仕入れはかつてのがあるから任せておくれ。そこのあんたも、手伝ってくれるだろう!?

 言って、ドーラさんは杖でビシィッと後ろにいる商人さんを指した。彼はあたふたとあわてながら、こくりとうなずく。

「わ、わかりましたよ……! 本当にお店を再開する気なら、もちろん手伝いますとも」

「おうおう、ララが料理人として働く店なら、俺たち聖騎士団で通って繁盛させないとなぁ!?

 乗り出してきたテオさんの力強い声に、そばで聞いていた騎士さんたちもうんうんとうなずく。

「自分たちが交代で通えば、ひとまず閉店はないっスよね? ついでに他の人にも言い広めておくっスよ。ララさんの料理、マジうまいんで」

「皆さん……! ありがとうございます!」

 なんて頼もしいんだろう! 偶然の出会いだったけれど、本当に優しい騎士さんたちと知り合えてよかったなぁ……!

 力強い後押しに不覚にも涙ぐみそうになって、私はあわててキリリと顔を引き締めた。それからドーラさんに向き直り、深々と頭を下げる。

「私、がんばります! どうぞよろしくお願いいたします!」

「お嬢ちゃん、よろしく頼んだよ。そういえばお嬢ちゃんの名をまだ聞いていなかったね?」

「私はララローズと申します! 《はらぺこ》スキル持ちですが、ご迷惑はおかけしませんっ!」

「はらぺこ? ハハッ! なんだいそりゃ、縁起がいいねえ。はらぺこの客が山ほどやってきそうじゃないか!」

 ドーラさんの言葉に私は目を丸くした。

『はらぺこ? 何なのその貧乏くさいスキルは』

『いつも飢えてそうで縁起が悪いな。うちには来ないでくれ』

 と過去に言われることはあっても、縁起がいいと言われたことはなかったのに……。

 じんわりと、胸があたたかくなる。小さなことかもしれないけれど、私にとってドーラさんの言葉はとても嬉しかったのだ。

「よかったな、ララ」

 隣ではフィンさんも優しく微笑ほほえんでいる。

「テオやラルスも言っていたが、私たちも店に行こう。ドーラさん、店の名前は?」

 フィンさんに聞かれて、ドーラさんが胸を張った。その顔はどこか自慢げで、嬉しそうだ。

「店はね、ここからふたつ隣の通りにある、『れべるあっぷ食堂』だよ!」

 …………ん? なんか聞いたことのある単語のような……。

 私が目を丸くしていると、やんややんやと騎士さんたちが盛り上がる。

「おお、れべるあっぷか! そりゃあいい名じゃねえか、ばあさん」

「れべるあっぷといえば、勇者にまつわる名前っスもんね」

「うん、縁起がいいな。いつか、れべるあっぷの伝説をこの目で見てみたいものだ」

 んんん?

 勇者にまつわる……??

 れべるあっぷの伝説を、この目で見たい……??

 私ははて……? と首をかしげる。

「れべるあっぷって、あの……いつもリディルさんが言っているアレですよね……?」

 おそるおそる呟くと、リディルさんの声が頭に響いた。

『そうです、ララ。さぁ、まだまだあなたのレベルは上がりますしスキルも増えます。今日も食材を切って切って切りまくりましょう! そしておいしいごはんを作ってわたくしに食べ……ゴホン。ごはんを作ってもっとレベルアップするのです!』

 ……気のせいかな。

 リディルさん今、レベルアップより先に自分が食べることを気にしていたような……。

 それに以前は魔物を斬るって言っていたのに、ちゃっかり食材に修正されているような……。

 私の考えていることが伝わったのか、リディルさんが再度咳払いした。

『か、勘違いしないでくださいララ。これは女神の務めとして言っているだけです。決してわたくしが食べたいからというわけでは……』

 リディルさんがごにょごにょ言うのを聞きながら、私は笑う。

「ふふっ。いいんですよリディルさん。ごはんを食べるのは、とっても大事なことですからね!」

 グッ! と手を握りながら言うと、ドーラさんが不思議そうな顔でこっちを見た。

「……お嬢ちゃん、いやララ、一体誰と話しているんだい?」

 しまった。興奮して声が大きくなってしまった。

 でも、リディルさんのことを説明するちょうどいいチャンス──。

 と思っていた私に、フィンさんが優しい瞳で言う。

 それは善意百パーセントで言っているとわかる優しい瞳で、言う。

「ああ、ララは時々ひとりごとを言う癖があるんだ」

「そうそう。俺たちでいう精神統一的なものかなーと思っているから、あんまり気にしないでやってくれ、ばあさん」

「ああ、そうなのかい。ちょっと変わった癖だけど、まぁ色んな人がいるさねぇ」

 ……あっ、あれえ……!?

 今まで私の声は届いていないのかと思っていたんだけれど、皆さん、ばっちり聞こえていたんですね……!? それでもって、ひとりごとだと思われていたんですね……!?

 私は恥ずかしさにかぁあああっと顔が赤くなった。

 こ、これはリディルさんのことを説明しなければ……! そしてひとりごとじゃないって、わかってもらわなければ……!

 強く決意しながら、私は顔を上げた。

「あっ、あのぉ……!

 私がリディルさんのことを説明しようと声をあげたその時だった。

 またもや扉が開き、豪華かつカッチリした貴族服を着た壮年の男性が入ってきた。そしてフィンさんを見つけるなりパッと顔を輝かせる。

「ああ、ここにおられたのですねフィンセント様! 王城で皆様がお待ちですよ」

 フィンさんが小さくため息をつく。

「今回も見つかるのが早かったな……。わかった。行こう。皆は引き続き打ち上げを楽しんでくれ。ララも、次に会う時はれべるあっぷ食堂で」

 さわやかな笑顔で微笑まれて、私は返事をした。

「あっ、はい! れべるあっぷ食堂で!」

 そのまま壮年の男性にうやうやしく案内されるフィンさんを見送っていると、後ろでテオさんがぽつり……というにはやや大きすぎる声で呟いた。

「相変わらずフィンは人気者だなぁ。知ってるかい嬢ちゃん。さっきのお役人は『王城で皆様がお待ち』って言っていたが、その中には王様だけじゃなくて貴族のご令嬢たちも山ほどいるんだぜ。皆、フィンが戻ってくる日だけ用もないのに登城してくるんだ。……どうだ、気になるか?」

「えっと……?」

 私は言葉の意図がわからず、聞き返した。

 優しく紳士でいながら剣も強い騎士団長のフィンさんが人気者なのはわかるとして、私が気になるとは一体……?

 そんな私の反応を見て、テオさんがくつくつと面白そうに笑う。

「くくっ。ダメだこりゃ。あっちもあっちで大概だが、こっちはこっちで大概だな。これは先が思いやられるぞぉ」

「あのう、テオさん。何のお話を……?」

「いーや、なんでもねえ。こっちの話だよお嬢ちゃん」

 なおもくつくつ笑うテオさんを見ていると、ドーラさんが言った。

「さあ、じゃあララも私と一緒に食堂に行こうかね」

「はいっ! ……って、今さらですがドーラさん。本当に初対面の私を雇ってよかったのですか? 私は料理人といっても、どこのお店でも働いたことがなくって……」

「ああ、いいのさ。だって、お前さんはあの聖騎士フィンセント様の紹介だろう? 誠実さにかけては彼以上の人はいないから、フィンセント様が推すんなら間違いない」

 ドーラさんの言葉に私は目を丸くした。

 フィンさんって、王都ですっごく信頼されているんだな……!

 またリディルさんのことは話せなかったけれど、フィンさんは行ってしまったし、それなら次に騎士団の人たちが集まった時にでも話そう。

 私はかばんをぎゅっと握ると、テオさんたち騎士団の方を向いた。

「皆さん、短い間でしたが、本当にありがとうございました!」

 バッとお辞儀してから頭を上げると、テオさんだけじゃなくラルスさんや他の騎士さんたちも優しい目でこっちを見ていた。

「おう。嬢ちゃんとはここでいったんお別れだけど、いっときでも騎士団に入ってくれて嬉しかったぜ」

「ララさん、色々教えてくれてありがとうございました! 自分も、もっともっと料理がんばるっス!」

「ララちゃーん、ありがと~!」

「ごはん、すごくおいしかったです!」

「食堂、食べに行きますね!」

 思わぬあたたかい声援に、私は不覚にも胸がいっぱいになる。

 ドーラさんが、目を丸くして言う。

「おやおや、ララはずいぶんと人気者なんだねえ。こりゃ食堂に連れていったからって、あたしを恨まないでおくれよ」

「恨みませんよ。もともと料理人になるのはララさんの希望っスから」

「うむ。まーでも、また機会があったら一緒に遠征にでも行きたいもんだな」

「テオさん、それ完全にララさんのごはん目当てっスよね?」

「当たり前だろ!」

 テオさんの声にドッと笑いがあがる。

 私は目が潤みそうになるのをこらえながら笑った。

「皆さん……いつでも食堂に来てください。私も、何か力になれるようなものを考えておきますね!」

 私にできるのは、ごはんを作ることだけ。

 食べに来た騎士団のみんなが……ううん、食べに来た人たちみんなが元気になるごはんを、作るんだ!

 そうして私は、みんなに見送られながら聖騎士団と別れたのだった。



「さぁ、ここがあたしの城、れべるあっぷ食堂だよ!」

 『勇者の憩い亭』から歩くこと十数分。

 私はドーラさんと一緒に、『れべるあっぷ食堂』の前に立っていた。

 どどんと構えられた蜂蜜色の建物は、勇者の憩い亭に負けず劣らずな大きさだ。ただし手入れされていない建物特有の、少しすさんだ空気もただよっている。

 それもしょうがない、だって店を閉じてからもう三年もっているんだもの。中は当然、もっとほこりっぽかった。

 私は鞄を地面に置くと、腕まくりする。

「お店を開く前にまず、お掃除ですね! ドーラさんはそこで座って待っててもらえますか。私が掃除します!」

「すまないねえ……。本当はあたしがやらなきゃいけないのに、そんなことまでやらせちまって」

「何を言っているんですか! ここで働くと決めた時から全部覚悟してます。それに私、お掃除は得意なのでまかせてください! あ、モップとバケツだけ借りてもいいですか?」

 よーし、こうなったら上から下まで全部ピカピカに磨いちゃおう! もちろん調理道具だってお手入れしないとね!

 私が意気込んでいると、突然リディルさんの声が聞こえた。

『ララ、なぜ掃除道具を出しているのです?』

「それはもちろん、掃除するからですよ!」

 言いながらモップとバケツを持ち上げた私に、リディルさんが不思議そうに言う。

『掃除なら……先日覚えた《浄化》スキルがあるではありませんか』

「えっ?」

 《浄化》スキル? ……確かにワイルドボアを調理した後にレベルが上がって、スキルポイントが3まったから浄化を覚えてはいたけれど……。

「浄化って、食べ物のことだけじゃないんですか……?」

 覚えた直後に、毒きのこの毒を浄化して普通のきのこにして喜んでいたんだけれど、まさか他にも効果があるの!?

 あわてて《浄化》スキルの説明を出してみたけれど、書いてあることはやっぱり前に見た時から変わっていない。

浄化:毒やけがれを取り除く

 リディルさんの得意げな声が響く。

『ほら、書いてあるでしょう。穢れを取り除くと。部屋の汚れも、広義では穢れと同じ。浄化スキルが通用するはずです』

 えっ、そんな解釈でいいんだ!?

 思ったよりくくりが雑……! と思いながらも、私は埃が積もったテーブルに向かって心の中で『浄化』と呟いた。

 すると──。

 ヒュウウッとどこからともなくキラキラした風が吹き、辺りの埃を巻き上げた。さらにそれだけでは飽き足らず、テーブルや壁にこびりついていた古い汚れもふわりと浮き上がる。

「えええっ!?

 驚く私の目の前で、あっという間に目の前の一画が綺麗になってしまったのだ!

「なんだいこりゃあ!?

 私が叫ぶのとドーラさんが叫んだのは、ほぼ同時だった。

「ララ、お前さん一体、何をしたんだい!? テーブルが一瞬で綺麗になっちまって……!」

「えっと、あの、これは……!」

 なんて説明しよう!?

 ……あっ! 今こそリディルさんのことを教えるいいチャンスなんじゃ……!?

 私は椅子に座るドーラさんの前まで行くと、頭の中で念じてリディルさんを具現化した。それを構え、ドーラさんに近寄る。

「実は、森ですごい包丁を拾いまして……!」

「包丁……?」

 そして私はドーラさんに全部説明した。

 奉公先を追い出されて森を歩いていた時に包丁を見つけたこと。包丁を拾ったら、リディルさんという女神様がしゃべり出したこと。包丁を使うとれべるあっぷして、スキルが増えること。

 そしていつもひとりごとを言っているわけじゃなくて、リディルさんと会話をしていること。

「へぇええ……!? な、なんだか作り話のようで信じがたいけれど、じゃあララはその……包丁を使うとスキルが増えていくんだね?」

 信じられないというように目をぱちぱちしばたたかせながらドーラさんが言った。

「はい! そうなんです! だからひとりごとじゃなくて、リディルさんとお話ししているんです!」

 ここは大事だから、念押ししておかなくっちゃね!

 鼻息荒い私に、ドーラさんがおっかなびっくりといった様子で言う。

「すごいねえ……その、リディルさんとやらは。それに……れべるあっぷするって、まるで伝説に出てくるれべるあっぷのようじゃないか」

 伝説? そういえばさっき、フィンさんも言っていたような……一体何だろう?

 けれど続きを聞く前に、食堂の扉がガチャリと開いた。そこに立っていたのは先ほどドーラさんと一緒にいた商人さんだ。

「ドーラさん、とりあえず食材の調達はできそうで──って何やってるんですか!?

「えっ?」

「ラッ、ララさん! あなたまさか、人のいないところでドーラさんを襲おうと!?

「えっ!?

 言われて、私ははたと気づいた。

 ──包丁を構えながらドーラさんに詰め寄っている私の姿は、はたから見たら強盗にしか見えないことを。

「ララさんあなた……!」

「ちちっ違うんです!! 断じて違うんです誤解です! この包丁を、ドーラさんに見せようとしていただけで!」

 私はあわてて後ずさった。

「そうだよヤーコプ。あんたの早とちりさ。ララはただ包丁を見せてくれていただけだ」

 ドーラさんの言葉で、商人のヤーコプさんはようやく信じてくれたらしい。ほっとした顔でこっちにやってくる。

「ああ、びっくりした……。早とちりして申し訳ありませんでした」

「いえ、私こそ紛らわしいことをしていてすみません!」

 なんとか誤解が解けたところで、ヤーコプさんが「んっ?」と目を細める。

「おや……? ララさん、よく見ると実に素晴らしいお品を持っていますね。仕事柄色々と見てきましたが、そんなに美しい包丁は初めてです。曲線が繊細かつ優雅……! 少し見せていただいても?」

「あ、どうぞどうぞ」

 聞かれて、私はニコニコしながら包丁を差し出した。

 そうなんです、既に肉やら野菜やらを切りまくっている私が言うのもなんだけれど、リディルさんって本当に綺麗な包丁なんです。

「いやあ、白銀の刀身といいに彫り込まれた彫刻といい、本当に美しいですねぇ。家系に伝わる由緒ある一品とかです──かっ!?

 ヤーコプさんが柄を握ったのを見て、私が手を離した次の瞬間だった。

 急にヤーコプさんが体ごと床に向かって引っ張られたかと思うと、スターン! という小気味いい音を立てて、包丁リディルさんが床にまっすぐ突き刺さったのだ。

「や、ヤーコプさん?」

「どうしたんだい、ヤーコプ」

 目を丸くする私とドーラさんの前で、両手で包丁の柄を握りしめたヤーコプさんが歯を食いしばって言う。

「ぐっ、ぐぬぬぬ……!! ララさん、何ですかこれは!? あなた、こんな重い包丁を持っていたのですか!? きゃしゃな体のどこにそんな怪力が!?

 え? 重い?

 その言葉にきょとんとする。

 見ればヤーコプさんは、リディルさんを床から引き抜こうとしているようだ。けれど全然引き抜けずに、顔だけどんどん真っ赤になっていく。

 やがて数分格闘したのち、ぜぇぜぇと息を切らしながらヤーコプさんが言った。

「いや無理ですって! 重すぎてびくともしません! こんなの引き抜ける気がしませんよ!」

「そう、なんですか……?」

「ララはどうなんだい? さっきまで軽々とその包丁を持っていたじゃないか」

 ドーラさんに尋ねられて、私は戸惑いながらリディルさんに手を伸ばした。

 すると──。

「あっほら。やっぱり全然重くないですよ?」

 リディルさんは森で引き抜いた時と同じく、あっけないくらいスポッと抜けたのだ。重いどころか、相変わらず羽根のように軽い。

「えええ!?

 今度はヤーコプさんがぎょっとしたように目を丸くした。

 そばで見守るドーラさんが、どっちを信じていいかわからない、という顔で言う。

「一体どっちが本当のことを言っているんだい……」

「いや絶対さっきは重かったですって! 試しにララさん、もう一度私に……!」

「は、はい」

 私はまたリディルさんを差し出した。

 そこへ、緊張した顔のヤーコプさんがそーっとそーっと手を伸ばしてくる。

 そして──。

 スッターーーン!!

「うわあああ!!

 また小気味いい音を立てて、ヤーコプさんをくっつけたままリディルさんが床に刺さった。

「もはや重いっていう次元すら通り越してますって! 信じてくれないならドーラさんが抜いてみてくださいよ!」

「どれどれ……」

 ヤーコプさんの言葉に、興味が湧いたらしいドーラさんも身を乗り出してくる。私の支えを受けながらドーラさんがリディルさんに手を伸ばし──。

「んっ!? なんだいこりゃあ! いくらあたしがよぼよぼだからとはいえ、ビクともしないよ!?

「ほらほらほらぁ! 私の言った通りでしょ!? うそ、言ってなかったでしょ!?

 口から唾を飛ばしながら必死の形相でヤーコプさんが言う。

 それからふたりは、私が見守る前で散々リディルさんを引き抜こうとしたが、結局ビクともしなかった。

 困惑する私がスポッとリディルさんを抜くと、ふたりに魔物を見るような目で見つめられる。

「ララさん、一体どういう体の構造しているんですか……!?

「お前さん……」

「い、いえ、あの、貧乏育ちで体は丈夫な方だと思いますが、その、そこまで変わったことはない……はずです」

 ぼそぼそと、最後の方は声が小さくなった。

 だって本当に知らなかったの。まさかリディルさんが実はそんなに重かったなんて……! もしかして私、気づかないうちにとんでもない怪力になっていたの!?

 動揺していると、ドーラさんがふぅむとうなる。

「もしかしたらそれも、ララのはらぺこスキルとやらが関係しているのかもしれないね。ララ、ヤーコプに見せておあげよ。お前さんが覚えた《浄化》を」

「あっ、はい!」

 うながされて、私はまだ汚れが残っている食堂内に向かって《浄化》スキルを発動させた。

 途端キラキラした風が巻き起こり、ちりや埃、汚れがごっそり舞い上がってフッと消える。

 スキルが発動し終える頃には、食堂内に広がるテーブルや椅子は、新品同様の輝きを放っていた。

「おおおおお!?

 ヤーコプさんが大げさなほど目を輝かせる。

「すばらしい! これがララさんのスキル効果なのですか!? こんな便利すぎる魔法、見たことありません! ……どうですララさん、週一だけ、うちの商会に掃除に来ていただくことは……!? 報酬ははずみますよ!」

「えっ!?

 想定外のお誘い!

「確かに週一ならいいかもしれないねえ、ララだって稼げる場所は多い方がいいんでないのかい?」

「ええっ!?

 そしてドーラさんから想定外の許可!

 そっか、このスキルを使って働くこともできるんだ……!

 《浄化》スキルの思わぬ可能性にドキドキしながらも、私は申し訳なさそうに切り出した。

「あのぅ……お誘いは大変嬉しいのですが、今はまずれべるあっぷ食堂のことに集中したくて……」

「ああ、そうですよね、いやすまなかったですララさん。でも余裕ができた時にでも私に声をかけてください! その力はいつでも大歓迎ですよ!」

 ヤーコプさんの言葉に私はほっとした。よかった、怒ってはいないみたい。

 「じゃあ話がひと段落したところで、次は肝心のメニューかね。ヤーコブの仕入れ可能リストも来たところだし」

 ドーラさんの言葉に、私は力強くうなずいた。

「はい! 実際に出すメニューですね!」

 ヤーコプさんがくれた仕入れ可能な食材リストには、玉ねぎやじゃがいも、にんじん、かぼちゃといった定番野菜のほかに、牛肉や豚肉、羊肉など、必要そうなものはひと通り書いてある。

 ……意外にも、キラーラビットや魔物肉は載っていなかった。村では私たち以外にもみんな捕まえて食べていたんだけれど、都会の人たちは魔物を食べないのかな?

 そう思って私が聞くと、ドーラさんが「ああ」と教えてくれた。

「ヘシトレは平和だからね。魔物の巣ができてもすぐに聖騎士団が片付けてくれるから、安心して家畜を育てられるんだ」

 どうやら、平和ゆえにわざわざ魔物を食べなくてもいいらしい。その平和を維持してくれているのはフィンさんが率いる聖騎士団で、だからこそみんなに支持されていると聞いて納得した。私と出会った時は偵察のために王都を離れていたけれど、普段は王都で働いているようだ。

「もちろん、魔物肉を扱う店もあるけどね。ララが魔物肉を使いたいならあたしは構わないよ」

 言われて私は考えた。

 魔物肉は野性味があっておいしいから、いつかみんなに食べてみてほしいと思う。けれど、問題がひとつあるの。

「魔物肉、私がキラーラビットを仕留めに行く時間がなさそうなので厳しいと思います」

「まさか自分で捕まえる気だったのかい!?

 その反応には慣れたものだったので、私は微笑んだ。

「実家の方はキラーラビットがうようよいたので、よくお世話になっていたんですよ!」

「驚いたねえ! ラビットって響きだけ聞くと可愛かわいいけど、あんなでかくて凶暴なうさぎ、よくその細っこい体で捕まえられたねぇ……。そのすんごい包丁があるからかい?」

 実はリディルさんと出会う前から捕まえていました。多分、七歳ぐらいの時から。

 ……っていうのを言うかどうか迷っていると、何かを思い出したらしいドーラさんがごそごそと厨房をあさった。

「あ、そうだ。話は変わるがララ、よかったらこれを使っておくれ」

 言いながら、ドーラさんが今度は古びた厚紙を渡してくれる。字がかすれ気味だけど、どうやらドーラさんの旦那さんが健在だった頃のメニューのようだ。

「今はお前さんが料理人だ。昔と同じことはしなくていいが、参考までに見ておくといいかと思ってな」

「ありがとうございます!」

 私はメニューを開いた。そこには朝食、昼食、ばんさんのメニューがそれぞれ書いてある。

 目を通しながら私は言った。

「そういえば私……今日ここに来る時に思ったんです。しばらくは、朝と昼、夕方までの営業にしたらどうかって」

「晩餐以外ってことかい? それはまたなんで?」

「なぜなら、すぐ近くに『花の都亭』があるんです」

 『花の都亭』。それは先ほど商人さんたちが言っていた、『最近れべるあっぷ食堂の近くにできたでっかい酒場』のことだ。

 実は移動の時、ドーラさんと一緒に少しお店を覗いてみたんだけれど、そこは酒場だけあって、夜の営業がメインのようだった。今、従業員が私とドーラさんのふたりしかいない状態では、とてもじゃないけど夜に戦える相手じゃないと思ったの。

 それに……。

「『花の都亭』は二階に娼館が入っているから、夜は危ない気がするんです」

 娼館目当てにやってくる客は、圧倒的に男性が多いはず。しかも夜なら、きっとお酒も入っていると思う。

「ああ、そうだね。あたしたちはばあさんと若い女の子だから、酔った客に絡まれたら危ないもんねぇ」

「はい、危ないです。……あの、私たちじゃなくて、お客さんの方が」

「えっ? なんだって?」

 げんな顔をするドーラさんに、私はスッ……とリディルさん包丁を構えてみせる。

「もし私が変なお客さんに絡まれたら……多分、リディルさんが容赦なく斬っちゃう気がするんです……!」

 リディルさんは、私が何もしなくてもベアウルフをまっぷたつにしてくれた過去がある。つまり、リディルさんの意思だけでも物は切れるのだ。

 私の呟きに、リディルさんがさらっと返事する。

『そうですね。不届きなやからは人間だろうとまっぷたつにします』

 ひぃぃ! やっぱり!

 私がおののいてベアウルフの件を説明すると、ドーラさんも理解したらしい。

「そっそれは大変だね! さすがに食堂で殺人沙汰は起こしたくないよ。よし、それなら当分は朝と昼だけにしよう」

「はい!」

 理解が得られたことにほっとしていると、しみじみ……といった様子でドーラさんが言った。

「それにしても、本当にそのリディルさんとやらは不思議な存在だねぇ……。あたしには何も聞こえないんだけど、確かにいるんだろう?」

「はい! とっても美人さんですよ! いつかリディルさんも、皆さんとお話できるようになればいいんですけど……」

 一応リディルさんにも聞いてみたんだけれど、残念ながら他の人と会話はできないらしい。だったらリディルさんが寂しくないように、私がいっぱい話しかけなくちゃな……! なんて決意する。

「それで、朝と昼に出すメニューなんですが……オムレツやハム&エッグ、ビスケット、ポトフなど、このあたりは私でも作れると思います。レシピが残っていれば、れべるあっぷ食堂の味にがんばって近づけます!」

「おお、嬉しいね。ありがとうよ」

 そう言ってから、ドーラさんはなぜかふっと寂しげな顔をした。

「ドーラさん?」

「ああいや、すまないね。ララが、食堂の味に近づけてくれるって聞いて、一瞬旦那の味を思い出しちまってね……」

 その瞳は、切なそうに揺れていた。

 きっとドーラさんは本当に旦那さんが大好きで、仲のいい夫婦だったんだろうな。完全には無理でも、少しでも旦那さんの味に近づけられたらいいのだけれど……。

「旦那さんの得意料理はなんだったのですか?」

「色々あったけど、やっぱりフィリッツのピリ辛おつまみポテトかねえ」

「フィリッツのピリ辛おつまみポテト……」

「ああ、フィリッツっていうのはあたしの旦那の名前なんだけどね、そのおつまみポテトがやたらうまいのさ。作り方は切ったじゃがいもにスパイスをかけて焼くだけなんだけど、このスパイスの配合がくせものでねぇ。旦那もこれだけは、誰にも教えてくれなかったんだよ」

 おかげで、とうとう誰にも作れなくなっちまったんだけどね、とドーラさんは寂しそうに笑った。

「まっ、そんなことを言ったが、あたしはこの店さえ残っていれば満足なんだ。ララもフィリッツの味になどこだわらず、好きなもんを作ってくれればそれでいい。もちろん、経営していけるだけの売り上げは必要だけどね。この三年の間に、貯金も随分減っちまったからねえ」

 言いながら、ドーラさんがひらひらと手を振る。

 聞けば、旦那さんが存命だった頃にお金をめていたらしく、そのお金でこの三年間、ヤーコプさんの助けを借りながら細々とやってきたらしい。本当はひとりなら、ここからあと数年は暮らしていけるし、それこそ食堂を売れば、老後の心配はしなくてもいいぐらいの額だったらしい。

 でもドーラさんは隠居生活を選ばず、危険を覚悟しながら再始動を選んだのだ。

 きっと私を気遣って、フィリッツさんの味は気にしなくていいと言ってくれたのだろうけれど、そんなドーラさんの覚悟に私もなんとかして応えたい!

 私は決意すると、むんっと気合を入れた。


 食堂の新メニューを決め終わる頃には、もう日も暮れていた。

 私はメニューを片付けて厨房に立つと、ドーラさんや自分、それから夜遅くまで付き合ってくれたヤーコプさんのために、晩ごはんを作り始める。

 《浄化》スキルでぴかぴかになった厨房は私ひとりには広すぎる気もするけれど、いつかは私以外にも料理人でいっぱいになったらいいなあ……!

 そんな明るい未来を想像しながら、私はトントントントントンとリディルさん包丁を振るう。

 これから作るのは、食材庫に入っていた野菜のごった煮スープだ。

 じゃがいもに玉ねぎ、にんじん、さやいんげん、えんどうまめ、とうもろこし、それからヤーコプさんが差し入れてくれた鶏肉!

 私はまず小さなスキレット鉄製フライパンでバターをじゅわっと溶かすと、そこへにんにくとローズマリーを入れて軽く炒める。香ばしい匂いがただよい始めたらいったん火を止め、余熱でバターに風味がしみ込むのを待つ。

 その間に、今度はザクザク切った野菜を他のハーブと一緒に深鍋に投入。炒めた野菜がくたくたになってきたら、鶏肉の出番だ。

 水を入れてひと煮立ちさせたあとは、さやいんげん、とうもろこしを入れて、ふたをしてごくごく弱いとろ火でくつくつ煮込む。

 ほどよく野菜が柔らかくなってきたところで、ハーブを取り出して塩胡椒で味を整えたらほぼ完成だ。

 ふんわりとただよう野菜と鶏肉の優しい匂いに、ヤーコプさんが鼻をひくひくとさせている。

「いい匂いですねぇ。野菜たっぷりスープは、素朴ながらいくらでも食べられる。あと、私の太った体にも優しいですな、ハハハ」

 ぽよん、と膨れたお腹を叩きながら、ヤーコプさんがスープの入った器を手に取ろうする。

 私はあわてて止めた。

「あっ、待ってください。最後に仕上げが!」

 言って、私はスキレットを手に取った。今頃溶けたバターには、ローズマリーとにんにくの風味がじんわり染み込んでいるはずだ。

 きょろきょろと辺りを見渡すと、さすが食堂! すぐに目当てのし器を見つけられて、私は器に溶かしガーリックバターを濾して入れた。

 それからバターを小さじ一杯分、それぞれの皿に回しかける。終わると、私は椅子に座るふたりに器を差し出した。

「おまたせいたしました! 『野菜ごった煮スープの溶かしガーリックバターがけ』です!」

「ほぉ。ガーリックバターをスープに入れたのかい。これはあたしも初めて見るねぇ」

 ドーラさんが言う横で、待ちきれないといった様子のヤーコプさんがズズッとスープをすする。

「……うん! うまい! 野菜の甘みもさることながら、そこににんにくの風味が加わって素晴らしいハーモニーを奏でていますね! これは確かに、聖騎士団の皆さんが絶賛するだけありますねぇ」

「体があったまるし、あたしでも食べやすい。これはいいねぇ」

「喜んでもらえてよかったです」

 私はにこにこしながら、自分もスープに口をつけた。

 すぐにふんわりと口に広がるのは、ぎゅっと詰まった野菜のうまみと甘み。そしてガーリックバターのコクが、スープに深みを与えておいしさを引き立てている。

 このスープは具材もたっぷり入っているから、他におかずがなくてもこれだけでお腹いっぱいになれる便利な一品だ。実家ではこんなにたくさんの具は入っていなかったし、ガーリックバターもなかったけれど、色んな食材でよく楽しんでいたなぁ。

 ……あ、そういえばこのスープは、どんな効果なんだろう?

 思い出して私はスープを鑑定した。

野菜ごった煮スープの溶かしガーリックバターがけ:攻撃力+2%、スキルスピード+10%、運+2%、浄化(小)

 ん……? なぜかこの料理だけ、スキルスピードっていう効果がやたら大量についている! いつもよりたくさん野菜を入れたのが関係しているのかな?

 それに、この《浄化》って、もしかして《浄化》スキルを覚えたから?

 私は目をつぶって、スキルツリーを出現させた。

 最初はわけがわからなかったこのスキルツリーとやらも、今じゃすっかり慣れたものだ。浮かぶ銀色のコインを見ながら考える。

 ついている浄化が(小)なのって、もしかして《バフ付与・小》を取ったからなのかな? じゃあ、《バフ付与・中》とか《バフ付与・大》とかを取ると浄化もそれに合わせて変化するのかな……!?

 ドキドキしながらスキルツリーをさらにみつめる。

 《バフ付与・中》に必要なスキルポイントは3、《バフ付与・大》に必要なスキルポイントは6。さらにその上には、スキルポイントが12必要な《バフ付与・EX》という項目もある。

 むむむ……! どれも面白そうで、次にどれを取るのか、すっごく迷う!

 もっと大きなバフはもちろん、生成シリーズにあるプロテインとかポン酢とかの謎の単語も気になるし、浄化の先にある毒無効や毒変化だって……ああ、取ってみたいスキルが山ほどある!

 気づけば私はすっかりスキルツリーに夢中になっていた。だって取れるスキルが本当にどれも便利そうで、ワクワクするんだもの。

 そこへ、いつの間にか暗闇でスープを飲んでいたリディルさんが満足そうに言った。

『今日のスープはとても優しい味ですね、ララ。わたくし、この間のシチューもおいしかったですが、こちらもとても好きです』

 最近はリディルさんも慣れたもので、わざわざ念じなくても、私が食べただけでリディルさんが取り出せるようになったらしい。

「明日からはしっかり出汁ブイヨンも取っていくので、もっとおいしくなりますよ。楽しみにしていてくださいね!」

 出汁はもともと、くず野菜や骨も残さず食べられないかと試行錯誤していたら出来上がった偶然の代物だ。後になって村の人たちから「それは出汁と呼ばれるものだよ」と聞いて驚いたのだけれど、それ以来欠かせないものになっている。

 騎士団に合流した時はずっと移動していたし、そんなに調理時間を取れなかったから今まで入れずにきたけれど……これからは腰を据えてじっくり作れるぞ!

『それは楽しみです。……ところでスキルツリーを眺めてどうしたのですか?』

「実は、次に何のスキルを取ろうか悩んでいたんです。リディルさんがずっとおすすめしていた《浄化》もすごかったし、きっと他のスキルもすごいんだろうなぁと思って……!」

『そうですね。ララが魔物討伐をするのであれば魔法系や剣術を極めるようにすすめるところなのですが』

「ま、魔物討伐はちょっと……! 食べみたい気はしますが……!」

 私がおじづくと、リディルさんは特に残念がることもなく淡々と言った。

『でしたらやはり生成シリーズがよいのではないでしょうか。この、ショウユとかミソとかも並びから想像するに食べ物のようですし』

 確かに、料理人としてそれは気になる! だとしたら、次に目指すのはスキルポイント6で取れるプロテインかな? 塩、しょうの次にあって、ショウユの前に挟まっている。

 派生している砂糖の方もすごく気になるんだけれど、実は胡椒生成の方が後のスキルを考えた時にちょっとポイントがお得なんだよね……。

「それにしてもプロテインって、一体何なんでしょうね?」

 私はくたくたになった野菜をおたまですくいあげながら、まだ見ぬスキルのことを想像した。


 王宮にあるえっけんで、私は玉座に座る両親と、そばに立つオリフィエル兄上を見上げていた。

たびの遠征、ご苦労だった。無事に戻ってきてくれてうれしいぞフィンセント」

向こう辺境では聖騎士団が大活躍だったという報告を聞いている。さすがフィンだな」

 笑顔で言うふたりに、私は臣下らしくこうべを垂れる。

ねぎらいのお言葉ありがとうございます。陛下、王太子殿下」

「そんな堅苦しい呼び方はよしてくれ、フィン。僕とお前は、たったふたりの兄弟じゃないか」

「ですが、今の私は騎士ですので……」

 固辞すると、兄上はやれやれといった顔で首を振った。

「相変わらずフィンは頭が固いな」

 隣では王妃である母も、ぼやきながらため息をつく。

「聖騎士団に入ると言った時も、かたくなでしたものね。第二王子なのですから、聖騎士団なんて危険な職務になど就かなくてもよいのに」

「だが聖騎士団に入るのはいいことだぞ。体も精神も鍛えられるし、その経験はきっと将来オリフィエルの助けとなるだろう」

「そうですよ母上。私は体が弱くて遠征に行けないから、私の代わりに見てきてくれるフィンにどれだけ助けられていることか。……ゴホッゴホッ。ほら、私の体は相変わらずですから」

「それはそうですけれど……だからって、聖騎士団長にまでならなくったって……」

 そんな三人のやりとりを、私は黙って聞いていた。

 ──私が第二王子という身分でありながらわざわざ聖騎士団に入ったのは、何を隠そう兄上の王位を守るためだった。

 そうめいで優しい兄は生まれつき体が弱く、昔から王に向いていないのでは、という声が多い。

 それだけならまだ静観していられたのだが、ここ数年はフィンセントを王にした方が、という声が無視できないほど大きくなり始めていた。

 だから私は、兄を押しのけて王位に就く気はないということを周囲に知らせるために、王族としては初となる聖騎士団長の座に就いたのだ。

 本当は王位継承権そのものを放棄できれば一番よかったのだが……さすがにそれは、と父である陛下に止められ、苦肉の策で選んだのが聖騎士団長の座だった。

「まぁまぁ、この話はよそう。せっかくフィンセントが戻ったのだ。近々、帰還の祝宴でも開こうではないか」

 祝宴、という言葉に母の目がきらりと光る。

「宴! ええ、そうですわね。祝宴がいいですわ。今をときめく聖騎士団長ですもの、ご令嬢たちもたくさん呼ばなければ。ふふっ」

 そう言う母は張り切っていた。……理由は聞かなくてもわかる。

 聖騎士団に入ってからというもの、母は一刻も早く私を結婚させようとしていた。

 いわく、「守りたい女性のひとりやふたりいれば、無駄に命を落とすこともなくなるでしょう。もしかしたら聖騎士団もやめてくれるかも」という考えらしい。

 もちろん、私の身を案じてくれる母の気持ちもわかるし尊重したいのだが……接すれば接するほどご令嬢、いや、女性全般が苦手になっていくのは、自分でもどうしようもなかった。

 考えながら、ふぅ、とため息をつく。

 世の中の女性が、皆ララのように話しやすければいいのに……。

 こんな時につい思い浮かべてしまうのは、ボート侯爵領で知り合った男爵令嬢のことだ。

 彼女は色々風変わりではあるものの、その風変わりさが私にとってはとても居心地がよかった。

 胸を押し付けてきたり甘ったるい声を出したりせず、また変に私を美化しすぎたりもしない。ただただ私にフィンセントというひとりの人間として接してくれる。だから私も、変に警戒することもなくひとりの人間として話ができる。

 長年王宮で過ごしてきた私にとって、そんな女性は初めてだった。

 そこまで考えてふと思う。

 それとも……彼女も私の身分を知ったら、態度を変えてしまうのだろうか?

 想像して一瞬暗い気持ちになりかけたが、すぐにその考えを振り払う。

 今それを考えるのはよそう。いつか彼女も、私が第二王子であることを知る日が来るだろう。その時彼女の態度がどんな風に変わっても、それは彼女の自由だ。

 ただ──。

 こちらに向かって微笑ほほえむララの顔を思い出しながら、私はきゅっと唇を結んだ。

 ただ、それによってあの笑顔が失われないことを、今は願うだけだ。

 それから顔を上げると、私は母に向かって言った。

「王妃陛下、気遣いは大変ありがたいのですが、祝宴を開くなら私ではなく騎士たちを主役にしていただきたい。私はしばらく王都を離れていたため、やることが山積みになっているのです。そちらの仕事を放ってはおけない」

 遠回しに宴を辞退すると、母が不満げな顔になる。

「でも、帰還の祝宴なのに団長であるあなたがいないなんて……」

「聖騎士団長など、ただの飾り。こういう時こそ、普段主力となって支えてくれている騎士たちを慰労したいのです。私も、少しだけ参加しますので」

 少しだけ参加する、の言葉に、母は渋々ながらも納得したようだった。

 次に、私は陛下に声をかける。

「陛下、早馬を飛ばした件なのですが──」

 その言葉に、陛下の顔つきが変わった。

 実は昨日、王都に着くと同時に王宮に向かって早馬を飛ばしていたのだ。用件はもちろん聖剣のことだ。

「うむ。手紙は読んだ。聖剣がボート侯爵領から失われたそうだな。ボート侯爵が最後に聖剣を確認したのは半年前だとも」

「はい。そのため、早急に勇者を捜し出す必要があると思っています」

「ふぅむ……。しかし、この広い国で、どうやって勇者を捜す? 国外に出ている可能性もあるのだろう?」

 私はうなずいた。

 陛下の言う通り、聖剣を携える勇者は、もしかしたら今頃国外にいるのかもしれない。

 だが、私は勇者にまつわるあることを知っていた。

 ちらりと兄上を見ると、兄もやはり覚えていたらしい。微笑みながら言う。

「懐かしいね。まさか今になってあの頃の記憶が役に立つなんて」

 実は幼い頃、私は勇者やら聖剣やらの響きに憧れて、兄と一緒によく勇者にまつわる記録を読んでいた。後に、それが王家にしか伝えられていない情報だと知ってずいぶんと驚いたものだ。

 勇者を捜すために重要な情報もその中にあった。

「陛下。勇者は一度現れれば必ず人目を集め、話題になると記録に書かれていました。そのため、王宮の人員を各地に派遣する許可をいただきたいのです。何か異変があれば、すぐに情報を掴めるように」

 記録によれば、いつどの時代でも、勇者は現れると必ずその規格外すぎる能力で瞬く間に存在を認知されていったのだという。

 村に襲いかかってきた魔物の大軍を、十歳の少年がたったひとりで返り討ちにしたり、巨大化しすぎて誰も足を踏み入れられなかった巣窟をひとりで一掃したり……。

 最後の勇者が登場したのは百二十年前だが、今回もきっと、そういうとんでもないことを達成する人物が出てくるはず。その人物をいち早く捜し出し、聖剣の所持が確認できれば、勇者の発見につながるというわけだ。

 私が説明すると、陛下は納得がいったようにうなずく。

「わかった。ではフィン主導のもと、勇者を捜すことを命ずる」

「承知いたしました」

 私は恭しく頭を下げた。

 ……その時に一瞬、「これなら、ララに街案内する時間を取れるな……」という考えが浮かんだのを、私ははっとしてすぐに振り払った。


 翌日。

 母の「誰でもいいからいいご令嬢はいないの?」攻撃をかわし、聖騎士団長としての雑務を終わらせた私は、朝一番に「れべるあっぷ食堂」へ向かう準備を始めた。

 さすがに疲れが重なっていたのだろうか? ここ最近軽かった体が、今日は少し重く感じるな……。

 そんなことを思いながら、私はクローゼットの服を眺めた。

 前までは侍女に身支度を任せていたのだが、以前、裸になった侍女がベッドに侵入していた事件が起きて以来、私はひとりで身支度をするようになっている。とはいえ聖騎士団ではそれが普通なので、特に不自由は感じてない。

 さて……。

 あまり物々しい格好で行ってもララたちを困らせるかもしれないから、聖騎士団長の服ではない普通の服を着ていこうと思ったのだが……普通の服とは一体なんだ? 聖騎士団に入る前に着ていた服は豪華すぎて、通りを歩くには目立つだろうし……。

 一瞬テオやラルスたち聖騎士団の面々に聞いてみようかと思ったが、彼らが昨夜『勇者の憩い亭』で騒いでいたのを思い出してやめる。ラルスならともかく、テオは確実にまだ寝ているだろう。

 なら……と私は、稽古時に着る一番地味な騎士服に着替えた。そして、自分が外出に着ていける服がこれしかないことに気づいて苦笑する。

 今までテオたち以外と外に行くことなどなかったからな……。

 だが、私にもついに女性の友人ができたのだ。

 上機嫌で着替えているとノックの音がして兄のオリフィエルが部屋に入ってくる。

「おや? 一緒に朝食でもと思っていたんだけれど、出かけるのかい?」

「はい。今から友人のところに行こうかと」

「友人……それにしては何やら珍しい服を着ているな。それに、顔も何やら楽しそうだ」

 指摘されて私は目を丸くした。……相変わらず、兄上はこういうところによく気がつく。

「そう……でしょうか。確かに少し変わった友ではありますが」

「へえ? その人物の名は?」

「ララです」

 彼女の名に、兄が首をかしげる。

「ララ? まるで女性のような名だな」

「まるでも何も、ララは女性ですよ」

 そう言った途端、兄はぎょっと叫んだ。

「なんだって!? お前に、女性の友人が!?

「そこまで驚かなくても……私にも女性の友人ぐらいいますよ」

「でも、今までひとりもいなかっただろう?」

 少し虚勢を張ったつもりだったが、速攻で見抜かれた。気まずさにふいと目をらしつつ、私はゴホンとせきばらいする。

「い、今までは今までですよ」

「そうか……ついにお前にも女性の友人が……。では女性に対する苦手意識は克服されたということか?」

「それは……今までと変わらずです。貴族のご令嬢たちには申し訳ないが、やはり苦手です。彼女だけ平気なんですよ。私を色眼鏡で見たりしないので」

 その言葉に、なぜか兄は大きく目を見開いた。それから、にこりと笑う。……なんですか、その意味ありげな笑顔は。

「ほぉ。……そのご友人は、一体どんな人なんだい? フィンの格好からして……もしや街娘なのかな? さすがにお前がしょうに入れ込むことはないだろうし……」

「家は貧しいですが、彼女は男爵令嬢ですよ。コーレイン男爵家の長女ララローズです」

「へぇ。コーレイン男爵家の。確かにあの家は借金で苦しんでいると聞いたことがあるな。そのせいで長女は社交界デビューもできなかったとか」

 さすが兄上、社交界の事情に精通している。

 私は一度会えば顔は覚えるが、それ以外の表に出てこない人たち、特に娘のことまで知ろうとしたことはない。

 私も見習って、もっと勉強しなければ……と思ったところで、兄が私の肩をぽんぽんとたたいた。

「引き止めて悪かったなフィン。僕のことは気にせず、友人のところへ行ってくるといい。大丈夫、母上には僕がうまいこと言っておくから」

「ありがとうございます、殿下。……でもなぜ母上にうまいこと言う必要が?」

「それは気にしなくていい。さぁさ、時間は有限だ。早く行きたまえ!」

 に落ちないながらも、私は兄に背中を押されるまま、王宮を出発した。



 それから聞いた道をたどり、思っていたよりもずっと立派な『れべるあっぷ食堂』に着く。

 この食堂はこんなに大きかったのか……!

 てっきりもっとこぢんまりした食堂なのかと思っていたが、料理人がララひとりでこんな大きな食堂を回せるのだろうか?

 そんなことを心配しながらキィ、と扉をくぐると、中ではララがひとりで大きなテーブルをよいしょよいしょと引きずっているところだった。

「ララ、一体何を?」

 驚いて声をかけると、私に気づいたララがぱっと顔を輝かせる。

「あっ。おはようございますフィンさん! 昨日ぶりですね! 実は今、区画を作っているところでして」

「区画?」

「はい! 今の食堂だと、広すぎて私ひとりじゃ手が回らないので……」

 言いながら、ララは説明した。

 食堂を再開させた場合、ドーラさんも手伝ってはくれるものの、調理も配膳も実質ララひとりでやらなければいけない。そのため、しばらくは受け入れる客の人数も、出すメニューも、数を減らして営業するつもりなのだという。

 広々とした二階は当然全部閉鎖するとして、一階も三分の二ほどを閉鎖。残された三分の一の面積だけで営業するとララは言った。

「それで使わないテーブルや椅子を片付けていたんです」

「なるほど。なら私も手伝おう。ここにあるテーブルや椅子をどかせばいいのだな?」

 言って私がテーブルに手をかけると、ララがあわてる。

「そんな、大丈夫ですよ! フィンさんに手伝わせるわけには!」

 私は微笑みながらひょいとテーブルを持ち上げた。彼女がそう言うだろうと思っていたのだ。

「なら、昼食はララが作ってくれないか。このままララの〝ごはん〟を食べずに帰るのも惜しいし、それが手伝い料ということでどうだろう」

「でも……今日のごはんは、昨日の残り物スープとサンドイッチぐらいしかないですよ……?」

「かまわない。むしろそれが食べたい」

「それなら……喜んで! ありがとうございます、フィンさん!」

 屈託のない明るい笑顔を見ながら、私は微笑んだ。

 ──そうだ、この笑顔だ。

 ララによこしまな気持ちがないから、私は安心して接していられるんだ。

 それからふたりでテーブルやら椅子やらを片付けると、ララが今度はロープとカーテンを持ってきた。しばらくはこのロープを張って、カーテンで間仕切りをするのだという。

 それもララに代わって背の高い私が、ちょうどよさそうなはりにロープを結び付けていく。

「あとはここにカーテンを通せばいいんだな? ララ、カーテンを──」

「はい! どうぞ!」

 言いながらララがカーテンを渡してくる。

 その瞬間、受け取ろうとした私の手とララの手が一瞬触れた。ほんのりとあたたかい指先に、私は動揺する。

「わっ、と。……すまない!」

「大丈夫ですよ!」

 ……が、ララは全然平気そうだった。どうやら動揺していたのは私だけらしい……。

 複雑な気持ちになっていると、ララが何やらしみじみした顔で言う。

「……前から思っていたんですが、フィンさんってすごく紳士ですよね。テオさんやラルスさん、騎士団の皆さんも優しいんですが、飛びぬけて礼儀正しいというか。やっぱりフィンさんも、とってもいい貴族の生まれなんですか?」

「それ……は……」

 私はどう言うべきか迷った。

 この流れで、自分が第二王子であることを言ってしまおうか? でも、万が一それで彼女の態度が変わってしまったら……。

 そんな考えがよぎって、気づくと私は誤魔化すような言葉を口走っていた。

「……まぁまぁいいところの貴族だよ」

「やっぱりそうなんですね! だったら……あの、もしかして、舞踏会や夜会に参加したことがあるのですか!?

「舞踏会? もちろんだが……」

 言って、ふと思い出す。

 そう言えば兄上が言っていたな。コーレイン男爵家は借金のせいで、長女がいまだに社交界デビューできていないと。貴族の令嬢は通常十四歳で社交界デビューするのだが、ララはもう十六を過ぎていたはずだ。

「やっぱり君も、舞踏会に興味があるのか?」

 私にはよくわからないが、女性は美しいドレスや宝石、きらびやかな舞踏会そのものが好きだと聞く。彼女もそういうものに対する憧れがあるのかもしれない。

 私がそう思っていると、ララはきらきらと目を輝かせ、ぐっとこぶしを握りしめながら言った。

「もちろんです! だって、舞踏会にはおいしいごはんがたっくさん出るのでしょう!?

 ……ん?

「しかも、お金もいらず食べ放題なんだとか! なんですかそれは天国ですか!?

 ……んん?

 おかしいな。思ってた反応とちょっと違う。

 私が目を丸くして見つめていると、はっと気づいたララが、ほおを染めた。

「って、ご、ごめんなさい。参加するためにはまずれいなドレスが必要でしたね……! それも準備できないのに、お金がいらないなんて言ってごめんなさい……!」

 いや、大事なのはそこではないと思う。

 ……そう思うのに、突っ込む代わりに笑いが出た。

「ふ、ふふ……ふははっ」

 誰もが着飾り、気取って歩く中、ひとり食べ物に夢中なララの姿を想像したら思わず笑みが込み上げてしまったのだ。

 きっと、彼女ほど喜んでくれる人がいたら、料理人たちも作ったがあるだろうな。

 ……いつかその光景を、見てみたいものだ。

 そう思った次の瞬間には、驚くべきことに私はララを誘っていた。あんなに行くのが嫌だった、舞踏会に。

「なら、今度私と一緒に舞踏会に行くかい? お世話になったお礼に、ドレスは私がプレゼントしよう」

「えっ、えええ!? だめですよ! フィンさん、何やらとんでもなく高価なドレスをくれそうな気がするのでだめです! そこまでご迷惑はおかけできません!」

 ……なぜ私が高価なドレスを贈ろうとしていると見抜かれたのだろう。

 思いのほか強い口調で断られてしまったが、どうやらこれはララが断れないよう何か理由が必要なようだな。

 考えていると、コツ、コツ、とつえの音がして、入り口からこの間の老婦人が入ってくる。名前はドーラだったな。

 ドーラ婦人は私に気づくと、おや? と眉を上げた。

「フィンセント様がいらっしゃってたんですか。すみませんね、まだ開店の準備ができていないんですよ」

「いえ。私はララの様子を見に来たんです」

「フィンさんが手伝ってくれたおかげで、間仕切りがもう終わったんですよ!」

「おお、それは助かるねえ。男手がないと、力仕事はどうしても苦手だからねぇ」

 ララがにこにこと言うと、すぐにドーラさんもにこにこし始める。

 ……最近気づいたが、ララの笑顔はどうも伝染するらしい。彼女がにこにこしていると、なんとなくこちらまで気持ちが明るくなって、にこにこしてしまうのだ。

「お役に立ててよかったです。さ、ドーラさんは席にどうぞ。予定より早いですが、もうお昼ごはんを作り始めちゃいますね。フィンセントさんの分も作ってもいいですか?」

「ああ、もちろんだともさ」

「ドーラ婦人、お手を」

 私が手を差し出すと、ドーラ婦人が驚いたようにこちらを見る。

「おや? フィンセント様がエスコートしてくれるのかい? さすが聖騎士団長様だねぇ」

「当然のことです」

 ドーラさんをエスコートして、ちゅうぼうと向かい合った対面のカウンター席につかせている間に、ララは昼食を作るためにエプロンをつけていた。

「いつも通り私におまかせで大丈夫ですか?」

「あたしゃ大丈夫だよ」

「私もだ」

 言って、私もドーラさんの隣に座った。それから、じっとララを見つめる。

 遠征中は何かと雑務が多く、いつも料理のいい匂いがただよい始めてから見に行っていたから、こうして一から作るところを見るのは初めてだ。

 私が穏やかな気持ちで眺める前で、気づけばララが、スゥッ……と白い包丁を握っていた。

 ……ん? 今この包丁、どこから取り出したんだ……?

 さっきまで持っていなかったような……。

 不思議に思いながら、目を細めてじっと包丁を見つめる。

 ……ん? ……んんん?

 あの白い持ち手に、白い刀身。そしてびっしりと刻まれた優雅な彫刻、どこかで見たことがあるような──。

 そこまで考えてから、私はガタタッと席を立ち上がった。

「ラッ、ララ! その包丁は……! なんでそれを君が!?

「はい?」

 きょとん、とした顔でララが握っていたのは、私が王宮の記録室で何度も何度も目に焼き付けるようにして見た、『聖剣』そのものだった。

「……!?

 何度目を凝らして見ても間違いない、ララが持っているのは私が捜し求めていた聖剣だ!

 記録に描かれていた聖剣の姿はなんとなく……というかどこからどう見ても包丁にしか見えない形をしていて、それがひどく印象に残っていたのだ。

「あっ、実はずっと話しそびれていたのですが……」

 言いながら、ちょっと照れた顔のララが聖剣を差し出す。

「実はフィンさんたちと出会う少し前に、森で拾ったんです!」

 それってどう考えても、聖剣の眠るボート侯爵領のことだよな!?

「この包丁、名前はリディルさんっていうんですけれど、すごいんですよ!」

 リディル! 確かに記録で見た! 剣の女神リディルは、聖剣リディルの守り手であり、勇者の導き手だと!

「使えば使うほどれべるあっぷするんですけれど、それと一緒にスキルも増えていって!」

 れべるあっぷ! それって、勇者だけに許された〝れべるあっぷ伝説〟のことか!?

「この間フィンさんたちにひとりごとを言っていると勘違いされたのですが、実はあれもリディルさんとずっと会話をしていて──ってどうしたんですかフィンさん!」

 もはやどこから突っ込んでいいかわからなくなった私は、ふぅ……と深いため息をついてがっくりとうなだれていた。

「大丈夫……少し気が抜けただけだ……」

 まさか捜し求めていた聖剣と勇者が、こんなところにいたなんて……!

 いや、彼女の場合は勇者というくくりでいいのか……? 歴代勇者は確か全員男性だったはずだが……。

 私が考えていると、ララよりも先に何かを察したらしいドーラさんがひそひそと耳打ちしてくる。

「フィンセント様やい。やっぱりあれ、普通の包丁じゃないんだよな……?」

 私もひそひそとささやき返した。

「ええ、そうです……。あれは百二十年も眠っていた、聖剣リディルですよ……」

「聖剣ッ……!

 その言葉に、ドーラさんが目をく。

「おとぎ話で聞いたことはあったが、本当に実在していたのかい!? そしてララが持っているのがそれだって!?

 ドーラさんが驚くのも無理はない。

 最後に聖剣が振るわれたのは百二十年も昔。その当時のことを知る人は誰も生きておらず、勇者伝説も聖剣伝説もおとぎ話と化していた。

 その上、ボート侯爵領は聖剣保護法にのっとって観光客の立ち入りも禁止していたため、「聖剣などないのではないか」「ただのおとぎ話なのでは」という声もあがるほどだったのだ。この件に関しては、陛下も見直しを考えている最中だった。

 さらにおとぎ話として拍車をかけたのが、近年の平和ぶりだ。

 魔物は依然として出現し続けてはいるものの、それは雨が降り作物が育つのと同じ自然の摂理程度に過ぎず、魔王が実在していた頃のようなれつさもない。

 そのため、勇者の出現など誰も夢にも思っていなかったのだ。

「あのう……。私、何かおかしなことを言ってしまいましたか……!?

 おかしいというか、聖剣に気づいていないのがおかしいというか、いやでも記録を見たことがなければ、聖剣が包丁の形をしているなんて誰も気づかないのか……!?

 混乱した私は、気持ちを落ち着けようとララに質問した。

「ララ……聖剣伝説のことは知っているかい?」

「セイケン伝説……? それっておいしいですか?」

「え?」

「ごっ、ごめんなさい! 私、食べ物以外のことはあまり興味がな──じゃなかった、詳しくなくて……!」

 ララがしゅんと眉を下げる。

 なるほど。彼女はまず聖剣伝説そのものを知らないのか。というか聖剣の単語を持ち出して、

「おいしいですか?」って聞かれたのは初めてだな……。

 はっ! もしかして、だからこそララが聖剣を引き抜けたのか!? 見た目が包丁だから……!

 そこへ、ドーラさんが声をかける。

「ララ、とりあえずごはんを作ってくれないかい? あたしゃそろそろお腹がいてきたよ」

「あ、はいっ!」

 話が変わってホッとした顔のララが、せっせと食材を切り始める。

 そのトントントントンという軽やかな音を聞きながら、ドーラさんが私に耳打ちした。

「フィンセント様やい……。あたしゃそういうのは詳しくないんだが、あれが聖剣だとするとどうなっちまうんだい? ララ、王宮に連れていかなきゃならんのかね?」

「それは……」

 聞かれて私は考え込んだ。

 通常であれば、勇者は発見次第王宮に召される。

 そこで王から装備を賜り、魔王討伐へと出発するのが、記録に残っている一連の手順……なのだが……。

 ……実は今、魔王がいないのだ……!

 私は頭を抱えた。

 そう、ボート侯爵にもわずかだが同情の余地があって、そもそも平和すぎて魔王の気配などじんもないのだ。そのため、勇者だけが現れるとは誰も予測できないだろう。

 そして勇者も、倒すべき魔王がどこにもいないとなると仕事がない。

 ならば魔物退治に、と言いたいところだが、それも規模の大きいものは先日我々が討伐したばかり。

 もちろんこまごまとした魔物はいるものの、昨今は平和すぎて冒険者という職業そのものが廃れつつある状態、わざわざ料理人であるララを連れ出す必要はあるのだろうか……?

 あと女性の勇者なんて初耳だぞ。性別、合っているのか? あんな見かけだが、実は男です、なんてことはないよな……!?

 考えれば考えるほど、ぐるぐると思考のドツボにはまっていく。

 だめだ、これは私ひとりでは結論を出せない。すぐに陛下や兄上たちに報告しなければ。

 そう思って、私は一瞬立ち上がろうとし──思い直して席についた。

 ……いや、せめてララのごはんを食べてからにしよう。

 私が悩んでいる間にも、ふんわりとおいしそうな匂いがただよってきているのだ。

「いったん、この件は保留にして、陛下に意見を伺おうと思っている」

「そうかい……。まあ事が事だもんねえ……。まさか聖剣だなんて」

 ドーラさんとひそひそ話していると、ララが元気な声で言った。

「お待たせいたしました! 今日のお昼ごはんは昨日の残り物スープと、『カンクローネ風ホットサンド』です!」

「ほう……」

 お盆にのって出てきたのは、深皿に入った野菜たっぷりスープと、重しを載せて焼いたらしい具入りのパンだ。それを目の前で、ララが包丁──もとい聖剣で、パンの真ん中をさっくりと切っていく。

 ……聖剣でパンを切っていると知ったら、神官は失神してしまうかもしれないな……。

 このことは黙っておこう、と思いながら、私はまずホットサンドを手に取った。

 バゲットを薄く切って焼いたパンとパンの間からは、真っ赤なトマトと緑がかったソース、それからとろりとしたチーズがのぞいている。このとろけ具合……チーズはロッツァレラだろうか?

 確かロッツァレラは、イタリン語の「ちぎる」を意味するロッツァーレという単語からきているんだったな……。

 思い出しながらひと口かじると、サクッという音とともに、あつあつとろとろのトマトとチーズが口に広がった。さらにバジルのさわやかな香りで、ソースがバジルソースだとわかる。

 私ははふはふとほおばりながら、目を輝かせた。

「うん、おいしいな! この組み合わせは私も大好きだ」

「カンクローネ風とは意外と物知りだねえ。ララはどこで料理を学んだんだい?」

 隣ではドーラさんも、とろ~りとチーズを伸ばしながらホットサンドを食べている。

「村に来る行商人です。よく余った食材や傷んだ食材を譲ってもらっていたんですけれど、レシピも教えてもらっていて」

 なるほど。彼女の料理知識はそんなところからきていたのか。

 聞きながら、私はまたホットサンドにかぶりつく。それから野菜たっぷりのスープに口をつけると、野菜の優しい甘みが染み出していてこちらも大変に美味だった。

 パンに口の水分を持っていかれた後に入るスープは、文句なしにうまいな……!

 夢中で食べているうちに、みるみる体があったまってゆく。どちらもそんなに量は多くないのだが、満足感が高く、食べ終わる頃には幸せな気持ちで満たされていた。

「今日もすごくおいしかった。ありがとう、ララ」

 それに気のせいか、また疲れが吹っ飛んだようだ。体が活力に満ちている。料理には、そんな精神的な効果もあるのだろうか。

 私がほくほくしていると、思い出したようにララが顔を上げる。

「あっ、そうだ! ずっと聞こうと思って忘れていたんですが、フィンさんは〝すきるすぴーど〟って単語が何か知っていますか?」

「〝スキルスピード〟? ……それは勇者が使っていた呪文ではないか?」

 確か記録で見たことがあるな。

 なんでも、勇者がスキルスピードの呪文を唱えると、人体の限界を超えてスキルが高速で使えるようになるのだとか。

 我々聖騎士団も戦闘中は各自のスキルを最大限使っているが、その発動スピードをさらに上げて高速で使えるようになったら……考えただけでワクワクしてしまう、夢の単語だな。

「っと、ララは勇者のことは知っているのか?」

「勇者は……昔お母さんがそんなおとぎ話をしていたような、していなかったような……」

 返ってきたのは、かなりあいまいな返事だ。

 勇者についてだったら一度は聞いたことがあるかと思っていたが、これもあまり期待しない方がよさそうだな。どうやら彼女は、本当に食べ物以外興味がないらしい。……それもララらしいといえばララらしい。

「でも、そのスキルスピードがどうしたんだ?」

「実は今、フィンさんにバフとしてスキルスピードが付与されている……みたいなんです」

「なんだって!?

 その言葉に、私はまたしてもガタタッと立ち上がり、あやうく皿をひっくり返すところだった。

 驚いたララとドーラさんが、目を丸くして私を見る。

「あ、大声を出してすまない……! そんな話をここで聞くとは思わなくて……!」

 そもそも、《バフ付与》は、スキルの中でも極めて希少なスキル。

 このスキルを授かった者は王宮でバフ付与師として召し上げられ、高給取りとして一生生活に困ることはない。

 それくらい、価値の高いスキルなのだ。

 しかも彼女は言った。『スキルスピードが付与されている』と。

 《バフ付与》で聞いたことがあるのは攻撃力が上がったり、魔力が増えたりするもの。

 それだけでも十分すごいのに、まさかあの伝説のスキルスピードが私に付与されているだと……!

 私はそのまま急いで食堂の外に出た。

 大通りは多少剣を振り回してもケガ人が出なさそうなほど広々としており、私はそのことに感謝しつつ、さやから剣を抜いた。

 通行人がぎょっとした目でこちらを見るが、気にしてなどいられない!

「《剣聖》スキル、発動!」

 途端、コォオオオと私の体から白い光が発せられ、血がぐつぐつと煮え立つ感覚に襲われる。反対に体はフッと軽くなり、剣の重さも自分の体の重さも、すべての重さが消えせる。

 人々の動きは牛よりも遅くなり、それはまるで緩慢な世界の中、私だけが自由に解き放たれているようだった──。

「や、やめてください。私はおつかいの途中で……!」

「へへ、ちょっとぐらい付き合ってくれよ姉ちゃん──」

 少し離れた街角で女性にしつこく絡んでいた男が、そう言った次の瞬間だった。

 男の着ていた服にスッ……と太刀筋が走ったかと思うと、はらはらはらっ……と服が散り散りになったのだ。

 現れた締まりのない裸体に、女性が叫ぶ。

「きゃあああ! 変態!」

「なんだこれ!? ち、ち、違うんだって!」

 素っ裸になった男が股間を押さえて逃げていくのを見ながら、私は剣を鞘に納めた。

 先ほどのように、天から授かった《剣聖》スキルを発動させると、私は常人では不可能な、目にも止まらない速さで剣を振るうことができる。

 しかし一度発動させた後はしばらく使えないはずだが──。

 体に流れる力の源を感じながら、私はぐっと手を握る。……うん。この感覚なら、もしかしたらアレができるかもしれない!

「二度目の……《剣聖》!」

 私が叫ぶと、まだ体が軽い状態であるにもかかわらず、再びカッと血が全身に巡る。それは一度目の発動をさらに超える、未知の領域だった。

 ……すごい、思った通りだ!

 復活が早いおかげで、一度目のスキル効果が切れる前に二度目のスキルが発動できたぞ……!

 私が感動してまじまじと手を見つめていると、心配したらしいララが食堂の扉からひょいと顔を覗かせた。

「あの、フィンさん……?」

 その声に、私はあわてて彼女の方を向く。

「ああ、すまない。興奮してつい……。それにしても驚いたよ。まさかララが《バフ付与》を使えるなんて。以前、火と水の魔法を使っていたから、てっきり《はらぺこ》はそういうスキルかと思っていたのだが」

「それもリディルさんのおかげなんですよ。バフも、今は《バフ付与・小》のみですが、いずれ中と大も取りたいなと思っていて……」

 ……ん? 中と大も取る? 彼女は何を言っているんだ……?

 スキルは自然に発生するものであって、主体的に選択できるなんて聞いたことがな──。

 そこまで考えて私ははっとした。

 ……いや、いる。

 この世にたったひとりだけ、そんなことができる人が。

 唯一〝れべるあっぷ〟の概念を持つ、勇者その人が。

 ……だとすると、やはりララは勇者で間違いないのだな……!?

 私はくっとうめいて額を押さえながら、ララに聞いた。

「その……ララ。念のため、念のためだ。……ひとつ聞いてもいいだろうか」

「はい、なんでしょう?」

「これは決してやましい気持ちがあったり、君の外見がどうこうという理由ではない、あくまで形式上の、書類に書くために必要な確認なのだが……」

「はい……?」

 山ほど前置きをつけてから、私は慎重に尋ねた。

「その……君の性別は、女性……で合っているだろうか?」

 おそるおそる尋ねると、ララは目をぱちぱちとさせた。

 澄んだすみれ色の瞳はアメシストのように輝き、それを彩るストロベリーブロンドの髪も、これ以上ないくらい華やかで可愛かわいらしいと思う。

 そんなララが……まさか……ないよな……?

 ドキドキしながら見つめる私の前で、ララはにっこりと微笑んだ。

「はい! 女ですよ!」

 その言葉に、私はほーっと息をついた。

 よかった。彼女が女性で。そして嫌な顔をされなくて……。

 それにしても、ララが女性となると前代未聞だな。

 これは一刻も早く陛下に相談をしなければ……。

 そして陛下が正式な決断を下すまで、しばらく聖剣や勇者のことはララに説明しないでおこう。

 こちらの見通しも立っていない状態で、食堂を始めようと奮闘している彼女を変に動揺させたくなかったのだ。

 決意しながら、私は話を変えた。

「ところでララ。食堂の開店はいつになるんだ? 本格的に忙しくなる前に、この街を案内しようと思って」

 ……おほん。

 冷静な自分が、「そんなことをしている場合ではないのでは!?」と言っているのが聞こえるが、彼女が勇者であることと、彼女に街案内をすることとは別の話だ。

 私は自分にそう言い聞かせながら、しっかり彼女の予定を聞き出していた。