伯爵令嬢クラウディアの確信


 場に満ちていたさざめきが、ほんの一瞬、さっと引いた。

 それは本当に一瞬のことで、またすぐに元通りになりはしたけれども、ノール伯爵令嬢クラウディア・フォスカールは、自分に向けられる視線を意識せずにはいられなかった。

 少々の居心地の悪さを感じながら、この場へ──貴族の令嬢たちが集うお茶会の場へ、招いてくれた伯爵令嬢のもとへ、挨拶に向かう。嫉妬と羨望と好奇心が入り混じった視線は、その間も遠慮なくクラウディアに注がれていた。

「彼女が殿下の──?」

「ほら、ついこのあいだの──」

「ノール伯爵のところの──」

「あのパーティの──?」

「一体どうやって──?」

「あの侯爵の御令嬢よりも──」

 さざめきの中に溶け込むひとつひとつの言葉を無意識に拾ってしまいながら、クラウディアは努力して表情を変えずに、自分を招待した伯爵令嬢のテーブルまでを歩いた。

「ごきげんよう。お招きくださり、ありがとうございます、ソフィア様」

「ごきげんよう。おいでくださり、嬉しく思います、クラウディア様。──そちらが空いておりましてよ」

 ソフィアと呼ばれた伯爵令嬢──レンダール伯爵令嬢が、同じテーブルの空いている席を手で示す。

 テーブルにはレンダール伯爵令嬢のほかに、同格の伯爵令嬢がもうふたり。普段はこの3人でテーブルを囲んでいて、クラウディアは近くの別のテーブル、というのが通例だった。よく見ればテーブルも普段のそれより大きい。

 椅子をひとつ余分に置くために、わざわざ大きなものを選んだに違いなかった。

 ──それはそうよね。

 好意的に解釈すれば、自分でどこの席を選んでも角が立ちそうなクラウディアに、主人役のご指名だから、という逃げ道を作ってくれた、ということでもある。

 無論それは、当人たちの好奇心によるものでもあるのだろうけれども。

「ありがとうございます、ソフィア様。お言葉に甘えさせていただきますわ」

 にこりと笑みを浮かべて礼を述べ、クラウディアは勧められた席につく。

 ほどなく紅茶が運ばれてきた。

 紅茶と菓子を楽しみながら、いくつか当たり障りのない話題が続いた。

 庭の季節の花の話、最近流行の抒情詩とその作者の詩人のこと、売れ始めたという楽団のこと。

 クラウディアは出しゃばりすぎないように注意を払いながら、話を合わせる。

 当然、主人役のレンダール伯爵令嬢をそれとなく引き立てることも忘れない。

 相手が語りたいことを気分よく語れるように深いところまでは踏み込まず、それでいて「あなたの仰ることは私も理解していますよ」ということが伝わるように言葉を選ぶ。

 父から教わったことであり、王太子を相手に実践していたことでもあった。

『自分が気分よく話せたと思うときはね、クラウディア』

 幾年か前、まだ社交の場へ出るか出ないかという頃、屋敷の談話室で気分よく話をしたあとで、父であるノール伯爵は、穏やかな笑顔を浮かべて言った。

『だいたい、相手にうまく踊らされているのだよ。おまえも話し相手を踊らせられるようになるといい。社交の場に出るのならば、大事なことだ』

 そのときはそんなものかな、という程度に流したけれど、お茶会やパーティに招かれるようになり、いろいろな相手と会話を交わすようになるにつれ、父が言っていたことは正しかった、と理解できるようになった。

 自分からあまりあれこれを話すことなく、相手の話したいことを探り、それに共感と理解を示しながら、相手の話を引き出す。それだけでクラウディアの周囲には人が集まり、『話し上手で教養のある令嬢』という評判が立った。もちろんそれは、父から与えられ、クラウディアが努力して身に付けた知識と教養の裏打ちがあってのことではあったけれども。

 そのようにしてあちこちの令嬢との繫がりを作り、様々な相手に好意的に紹介されて、クラウディアは己の周囲の人の輪を広げていった。行き着いた先が王太子のところ、というのは自分でも少々意外ではあったし、王太子の婚約者の椅子に座ることになったのはいくつもの偶然が重なった結果でもあった。

「──あの」

 会話が一段落して、皆がティーカップに手を伸ばしたとき、おずおずと近付いてきて声をかけたふたりの令嬢を見て、クラウディアはため息をつきたい気分になった。

「先日は、ありがとうございました」

 ──何もかも秘密、と言ったはずなのに。

 追放を宣告された侯爵令嬢の『被害』に遭った令嬢は3人。ひとりは未だに家から出ることができず、ひとり分はクラウディアがその役割を肩代わりした。ふたりで出てきてしまっては数が合わなくなる。礼を言われたクラウディアも声をかけた令嬢の片割れも例の一件に関わっていると知れているのだから、ふたり揃って礼など言われれば、察しのよい令嬢には何かしらがあったのだと感付かれてしまうかもしれない。

 礼ならばほかに人のいないところで声をかけるなり、手紙をしたためるなり、いろいろやり方はあったはずだった。主人役と同じテーブルについていて、それでなくとも注目されている場所で、わざわざ声をかけてくるという神経が、クラウディアには理解できなかった。

 ──まあ、だからこそ、ああいう挙に及んだのでしょうけれど。

「お礼を言われるようなことをしたわけではありませんわ。友人として、当然のことをしたまでですもの」

 言いながら、これ以上なにも喋るなという意を込めて、礼を述べてくれた令嬢の目を、正面から視線で射抜く。

 さすがに歓迎されていないという事実に気付いたのだろう、手短に話を切り上げて場を離れるふたりを見送って、クラウディアは小さく息をついた。

「気を利かせたつもり、なのかもしれませんわよ」

 レンダール伯爵令嬢が小さく笑って言う。

 何とはなしに事情を察した上での言葉に違いなかった。

「──そうかもしれませんわね」

 だとしても困ったものです、と目だけで付け加えて、クラウディアは頷く。

「ところで、クラウディア様、殿下のご婚約者ともなればお忙しいのでは? こういった場にまたお呼びしても、差し支えはございませんか?」

「もちろんです、ソフィア様。是非またご招待を。殿下もきっとお許しくださいますわ」

 レンダール伯爵令嬢の問いに、クラウディアは笑顔で応じる。

「ご迷惑でなければ、こちらからもお誘いさせてくださいませね」

「まあ、ありがとうございます、クラウディア様」

 笑顔のやり取りはつまり、お互いに、これからも変わらずお付き合いくださいね、という話だった。

 立場が変わったとしても、相手の態度が変わらないのなら、自分の態度も変える必要はない、とクラウディアは思っている。逆に、王太子との仲が噂になるや近付いてきて面倒だけを持ち込むような手合いとは、付き合い方を考えなければいけない。

 ただ、深い付き合いは改めるにせよ、ばっさりと切って捨てるというわけにもいかない。王太子の婚約者に収まった途端に態度を変えた、という評判でも立ってしまっては困る。そのあたりの匙加減には、どれだけ気を遣っても気を遣いすぎるということはない。

 ──あの侯爵令嬢は、そのあたりをどのように考えていたのかしら?

 ふとそう思い、クラウディアはそう思った自分を嘲るように小さく笑った。

 自分が望んで追い落とした相手が何を考えていたのか、今更知りたくなる自分を、クラウディアは身勝手で浅ましいと思っている。

 背後に広がるさざめきの中から、いくつもの声を、クラウディアの耳は拾い上げる。

「わたくし、あの目が恐ろしくて──」

「つめたいお顔でいらしたわ」

「たいへんに聡明でいらっしゃったけれど──」

「何を考えていらっしゃるのか、わからなくて」

「でも、あんなことをなさるなんて」

「やはり恐ろしい方でいらしたのね」

 あちこちの令嬢がそれぞれの好きにあの侯爵令嬢を評し、先日の一件の感想を述べている。

 評判の大半は悪意のもので、だから代わりに王太子の婚約者の椅子に座ろうとしているクラウディアはおおむね好意的に評されているのだろう。クラウディアはそれを素直に喜ぶことなどできなかった。

 評判が悪いから追い落とされたのではない。

 追い落とされたから評判が悪くなっている。

 自分がどこかで道を踏み誤れば、次にこうやって評されるのはクラウディア自身になるだろう。

 それもおそらく、クラウディアのいない場所で。

 ──たとえそうであったとしても。

 後悔はない。

 クラウディアは自分の選んだ道を、間違っていたとは思っていない。

 背後の雑音から意識を離して、クラウディアは同じテーブルを囲む令嬢たちとの会話に戻っていった。



 走り出した馬車の座席に身体をもたせかけて、クラウディアは目を閉じ、大きく息をついた。

 何ひとつ誤ることの許されない重圧。

 挙措ひとつ、言葉ひとつ、表情のひとつであっても。

 自分に近付こうとしながら、隙あらば引き落とそうとする令嬢たち。

 落としたあとにどう扱われることになるのかも、彼女たちは実演して見せてくれた。

 ただのお茶会だったというのに、そういった諸々が、クラウディアを疲弊させていた。

 アリアレインは、あの侯爵令嬢は、今日のようなお茶会にもそれなりに顔を出していて、でも基本的に最後までいるということはなく、失礼のないあたりで中座するのが通例だった。

 いつもそつなく周囲の令嬢たちに対応し、控えていた従士の耳打ちをしおに言い訳を述べて中座する。

『申し訳ありませんが、公務がございますので──』

 たしか彼女は、いつもそう言っていた。

 つめたい顔。そうだったかもしれない。

 あまり表情を変えることもなく、時折小さく笑いはしても、その目はけっして笑わない。

 クラウディアは、あの侯爵令嬢の目を、灰色の瞳を持つ切れ長の目を、もう一度思い出していた。

 何もかもを見透かすような、美しく静かで、底の見えない、冷たい目。

 自分が聞いていたような噂話を直接に、そしてたぶん配下たちに調べさせて耳にしながら、それを知っているということすら表には出さず、挙措も言葉遣いも完璧で、そして表情ひとつ動かすことがない。

 自分と同じように疲労していたのかどうかすら定かではなかった。

 そして公務。そう、彼女はたしかに公務と言っていた。

 彼女はあの歳で、クラウディア自身と変わらない年頃で、マレス侯爵の──王国にただふたつしかない侯爵領の主の、王都における名代でもあった。侯爵令嬢としての社交を大きな失点なくこなしながら、侯爵の名代としての公務を執るということがどういうことなのか、クラウディアにははっきりとした想像ができずにいる。

 だが、それが恐るべき重圧と重責を伴うもので、凄まじい激務であろうことは推測できる。

 背筋を這い上がる震えを抑えようとするかのように、クラウディアは己の身体を己の腕で抱いた。

 ──怪物だ。

 震えながら、クラウディアははっきりとそう思った。

 王太子の婚約者としての重圧と、マレス侯爵家の名代としての重責。そのふたつに耐えながら、耐えているということすら悟らせず、いつも変わらない態度と表情でいつづけることができるなど、並の人間に為しうることとは思えなかった。

 そして同時に、その能力とあの苛烈な行動を厭わない性格をひとつの身体に同居させるあの侯爵令嬢を、やはり将来の王妃の座に就けてはならなかった、という確信を新たにしてもいた。

 いずれにしても、とクラウディアは、幾分震えの収まってきた己の身体を抱いて、馬車の椅子に身体を縮めながら考える。

 ──もう矢は放たれている。否、放ってしまった。自分と王太子とが、放ってしまった。

 クラウディアは深く息をついて、馬車の天井を見上げた。

 懊悩していた父の──ノール伯爵の気持ちを、少しだけ理解できた気がした。