王太子エイリークの算段
「そなたたちも既に聞き及んでいるかもしれぬが」
その日の昼過ぎ、王太子エイリークは、執務室に集めた諸卿を前に切り出した。
「一昨日、余はマレス侯爵の息女、アリアレイン・ハーゼンとの婚約を解消した。また、王国の貴族として相応しからぬ行いがあったゆえ、アリアレインは追放刑に処した」
9人の諸卿──各省の大臣たちが一斉に頭を下げて賛同の意を示す。
そこに驚きの色はない。2日前のいきさつは、宮廷貴族たち全員の耳に届いている。
「そうなりますと殿下、新たなご婚約者様を定めねばなりませんが」
王太子の言葉を引き取る形で言葉を継いだのは式部卿だ。
貴族としての爵位と紋章の管理を担当する役目柄に沿った発言ではあった。
「新たな婚約者ならば、もう決まっておる。ノール伯爵令嬢、クラウディア・フォスカールだ」
「よいご人選かと、殿下」
エイリークの言葉に、内務卿が柔和な笑顔で頷く。
2日前と同じ台詞だった。
「お父君、ノール伯爵も堅実に御領地を治めておられる。中央へ乗り出そうという思惑もございますまい」
内務卿の言葉に、幾人かが頷く。
世評を信じるのならば、ノール伯爵が中央へ──つまりここにいる諸卿の職域へ、乗り出して来ようとは思われない。
外戚として権勢を振るおうというような人柄ではなく、そしておそらくそのような能力もない。
諸卿としてはまさに、よい人選なのだった。
「通例では、妃殿下のお父君となりますと、一代侯爵でございますな」
式部卿が確かめるように言った。
王の、あるいは王太子の妃は通常、侯爵家の令嬢から選ばれる。とはいえ侯爵家は国にふたつだけだから、そもそも適齢の侯爵令嬢がいないこともままある。また、そういった場合に限らず、伯爵家や子爵家の令嬢が見初められることも珍しくはない。
そのようなときには、妃の父を、あるいはそれに相当する立場の者を、当代限りの侯爵として形式上の家格を整える、ということが行われるのだ。
「それで問題なかろう」
王太子が頷く。
あくまでも形式上の爵位であるから、領地の加増などがついてくることもない。宮中の席次が上がり、先に礼を取らねばならない者が増えるだけだ。
「では、お披露目と同時に一代侯爵として昇爵されるよう整えます。フォスカール嬢も侯爵令嬢、ということになりましょうな」
式部卿がそう言って一礼した。
うむ、と王太子が鷹揚に頷く。
「フォスカール嬢とお父君のことはそれでよろしいとして、殿下」
別の話を持ち出したのは法務卿だった。
「追放刑となれば、段取りを整えねばなりません。発効は明日の夕刻と承っておりますが」
法務卿は名のとおり、法と裁判を司り、法が正しく執行されるよう統括する立場である。このあたりの話を気にするのも、当然と言えば当然のことではあった。
「ああ、3日間の猶予を与えた。それが一昨日の話だからな。発効は法務卿、そなたの言うとおり、明日の夕刻だ」
王太子が応じる。
「通例、刑の執行は日の出ている間でございます。夕刻となりますと、日没の鐘と同時に、ということでございますから──」
法はあまねく王土を照らす太陽のごときものであるから、その執行もまた太陽のもとで行われねばならない、という慣習が、この国にはある。実際問題として、処刑や鞭打ちなどの身体刑の執行は、なるべく多くの民に知らしめられるよう、日中に広場で行われねば十分にその意味を為したとは言えない、というのも理由のひとつだ。
「公布と執行は更に次の朝、ということか。まあそれで問題はあるまい、取り立てて急ぐような話でもないゆえな」
は、と法務卿が一礼した。
「貴族の追放刑の公布は、王城の城門と王都の各市門、商館、それに主だった教会と広場への布告状の掲示によるのが慣例でございます」
式部卿がそう言って補った。
追放刑は貴族としての身分を失わせるものでもあるから、その布告は式部卿の担当だ。
「それでよい。夜明けと同時に布告できるよう、準備しておけ。各所領へも滞りなく知らせよ」
「は。公用使を手配いたします」
ふたたび式部卿が一礼する。
「殿下、婚約の解消と追放についてでございますが」
どこか緊張した面持ちで、法務卿が王太子に話しかける。
「何かあるのか」
「ああ、いえ、大したことではございません。しかし──」
「よい、言ってみよ」
「布告に当たりまして、順序と申しましょうか、その──」
「順序?」
王太子が眉根を寄せた。一体何が言いたいのだ、という疑問が、その声に乗る。
「は。畏れながら、現状、まず婚約の解消があり、次に追放刑ということでございます。しかし、わたくしといたしましては、これを逆にするのがよろしいかと」
「ふむ。逆にすると何が変わるのだ?」
「王国貴族に相応しからぬ行いがあったとして追放、されば婚約は当然に解消ということに」
王太子と幾人かの大臣が、ほう、と頷いた。
「──婚約解消の理由を問われることもなくなる、ということか」
「さようでございます」
安堵したように法務卿が頷く。
「ならば、布告はそのようにせよ」
は、と法務卿がもう一度頭を下げた。
「布告はそれでよいとして、法務卿、あれが王都に残してゆく財産の接収もそなたが担当であったな」
「接収についてでございますが、かの令嬢はマレス侯爵家の王都における名代でございます。侯爵家の財産のうち、王都とその近郊に所在するもの、すなわち実質として名代の支配下にあるものについては接収の対象となります。無論、当人の身柄や所持している物品も、でございますが──」
「それは捕らえた者への褒美、ということでよかろう。マレス侯爵家の王都邸その他、主だった不動産は収公する」
王都で当人が捕らえられたならばともかく、侯爵領に落ちる途中で誰かに捕らわれたのであれば、身の回りのものは捕らえた者に与えられることになる。つまりそれらは、追放者を捕らえた、あるいは殺した者への、間接的な恩賞になるのだった。
それでよいな、と視線を向けた王太子に、法務卿が目礼した。
「さよう手筈を整えます」
「騎士館はどうなる?」
「さすがに先例はございませんが、制度の上ではやはり接収の対象でございますな。しかし王都邸とはいささか事情が異なります。騎士たちが残っておれば面倒なことに」
片や王都内でもよい立地を占め、守るのはせいぜいが門衛程度のマレス侯爵家王都邸。
もう一方は郊外の練兵場に所在するマレス騎士館。そこには精強をもって鳴るマレス侯爵領の騎士たちが起居している。
住むもの守るものにこれだけの差があれば、一口に接収と言っても、実質はまったく違う話になる。
「マレス騎士館は近衛に任せることとしよう。軍務卿、そなたから近衛騎士団長に話を通しておけ。マレスの騎士どもがあれこれ言うようであれば、館そのものはあれらに使わせてやってよい」
名義を移すことさえできるならば、当面の間は騎士たちがそのまま使い続けても差し障りはない。混乱を避けられるのであれば、その方が重要なことだった。
は、と一礼した軍務卿が、探るような視線を王太子に向ける。
「マレス騎士どもが抵抗する場合は、いかがなさいますか」
「事情を含めて説得させよ。騎士どもも敢えて王命には逆らうまい。その上で万が一、武器をもって歯向かうようであれば」
諸卿が緊張した面持ちで王太子を見守る。
勇猛かつ精強というマレスの騎士たちの評は、諸卿でなくとも王都の住人ならばよく知るところだ。
「まずは館を包囲させよ。それでなお白旗を揚げぬようであれば攻めるほかあるまい。騎士館を焼かせたくはないが、万が一騎士どもが自ら火をかけたとして、周囲に燃え広がる心配はあるまい?」
街中であれば延焼の危険は大きいが、郊外の、それも十分な広さのある練兵場にある騎士館である。
なにかよほどの不運がなければ、別の建物に飛び火することはない。
接収するために火を放つようなわけにはいかないが、抵抗を恐れる必要もない、ということだった。
「御意のままに、殿下。騎士団も館攻めの経験が豊富というわけではございませぬが、よき練兵となるやもしれません」
「そうならぬことを祈るべきだろうな」
軽い口調で軍務卿を窘めながら、王太子は考える。
──今回の一件は、式部卿、法務卿、軍務卿あたりの得点となるだろう。
国政を握る諸卿は、一枚岩というわけではない。
内務卿と財務卿を筆頭に、省と己の権勢を懸けて、ことあるごとに綱引きを繰り返している。
誰が誰を抱き込むか、どの派閥の下に誰が入るか、というのは常に宮中の関心事だった。
当然、旗幟を敢えて鮮明にしない者もいる──というよりも、皆が皆、「自分は常に執政府と王室のためだけに動いている」という建前を掲げてはいるのだ。だから表向き、諸卿の
とはいえ実態はそのようなものであるから、婚約者の交代、侯爵令嬢の追放という事態は、執政府と宮中に小さくない波紋をもたらすだろう。
王太子自身もまた、見定めなければならない。
誰がどのような思惑を持って、どのような行動をするのかを。
誰にどれだけの信頼を置くのかを決めるために。
王太子の目と関心は既に、己が追放を言い渡した侯爵令嬢からは離れていた。